2022年11月10日

遊びをせんとや生まれけむ


佐々木信綱校訂『梁塵秘抄』を読む。

梁塵秘抄.jpg


『梁塵秘抄』のタイトルは、「梁塵」http://ppnetwork.seesaa.net/article/492471821.htmlで触れたように、

梁塵、

とは、文字通り、

建物の梁(はり)の上につもっている塵(ちり)、

の意だが、

虞公韓娥といひけり。こゑよく妙にして、他人のこゑおよばざりけり。きく者めで感じて、涙おさへぬばかりなり。うたひける聲のひびきにうつばりの塵たちて、三日ゐざりければ、うつばりのちりの秘抄とはいふなるべし、

と、

梁塵秘抄、

となづけた所以を書いてある(『梁塵秘抄』巻第一)通り、

舞袖留翔鶴、歌声落梁塵(「懐風藻(751)」)、

と、

梁塵を動かす、
梁(うつばり)の塵を動かす、
梁(うつばり)の塵も落ちる、

という故事を生んだ、

歌う声のすぐれていること、
素晴らしい声で歌うこと、

の意、転じて、

音楽にすぐれている、

の意で使われる(広辞苑)。これは、『文選』(もんぜん 南北朝時代の南朝梁の昭明太子蕭統によって編纂された詩文集)の成公綏「嘯賦」の李善注に引く、劉向の「七略別録」に、

劉向別録曰……漢興以来善雅歌者、魯人虞公、発声清哀、遠動梁塵(文選)、

と、みえる故事に由来する(故事ことわざの辞典)。

本書は、

梁塵秘抄巻一(断簡)、
梁塵秘抄巻二(全巻)、
梁塵秘抄口傳集巻一(断簡)、
梁塵秘抄口傳集巻十(全巻)、
梁塵秘抄口傳集巻十一(全巻)、
梁塵秘抄口傳集巻十二(全巻)、
梁塵秘抄口傳集巻十三(全巻)、
梁塵秘抄口傳集巻十四(全巻)、

が収められているが、

梁塵秘抄巻一(断簡)、
梁塵秘抄巻二(全巻)、
梁塵秘抄口傳集巻一(断簡)、
梁塵秘抄口傳集巻十(全巻)、

のみが、巻十に、

大方詩を作り、和哥をよみ、手をかくともがらは、かきとめつれば、末のよ迄もくつる事なし。こゑのわざの悲しき事は、我身かくれぬる後とどまる事のなき也。其故に、なからむあとに人見よとて、未だ世になき今様の口傳をつくりおく所なり、

と、後白河法皇自身が記している通り、

後白河法皇の御撰、

であり、『梁塵秘抄』はもと、

本編10巻、
口伝集10巻、

だったと見られている。もし揃っていれば、

五千首を数えて『万葉集』にも匹敵する大歌謡集であった、

と推測されている(馬場光子『梁塵秘抄口伝集 全訳注』)。しかし現存するのはわずかな部分のみである。本編は、巻第一の断簡と、巻第二しか知られていないが、歌の数は、

巻第一が21首、
巻第二が545首、

の、あわせて、

566首、

であが(ただし重複があるので、もう少し少ない)。巻第一の最初に、

長唄10首、古柳34首、今様265首、

とあるので、完本であれば巻第一に、

309首、

が収められていたhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A2%81%E5%A1%B5%E7%A7%98%E6%8A%84ことになる。

また、口伝集の巻第十一以降については謎があり、御撰ではなく、後白河法皇の近辺者によって書かれたものと推測されている。

『梁塵秘抄』というと、

遊びをせんとや生(う)まれけむ、戯(たはぶ)れせんとや生(むま)れけん、遊ぶ子供の聲きけば、我が身さへこそ動(ゆる)がされ、

舞え舞え蝸牛(かたつぶり)、舞はぬものならば、馬(むま)の子や牛の子に蹴(くゑ)させてん、踏破(ふみわら)せてん、真(まこと)に美しく舞うたらば、華の園まで遊ばせん、

といった、

雜八十六首、

に入る歌が有名だが、

広義今様には内容・旋律様式から分類された「部」、

があり、

A 教の流行を反映して経典を歌謡化した法文歌(娑羅林 しゃらりん)をはじめ、これと似た曲節の「只の今様」、 また片下、早歌など、
B 東国をはじめ新たに地方から都に入った祭祀関連歌謡の神歌。中でも足柄十首・黒鳥子・旧河・伊地古は大曲(秘曲)とされた、
C 長歌・旧古柳・権現・御幣・十二所の心の今様・高砂・双六などの様々な旋律様式の「様の歌(物様)」、
D 農耕神事・儀礼を出自とする歌謡(田歌。あるいは臼歌・杵歌なども含まれるか)、

の、四グループに分かれる(馬場光子『梁塵秘抄口伝集 全訳注』)。しかし、今日の我々にとっては、

仏は常にいませども、現(うつつ)ならぬぞあわれなる、人の音せぬ暁に、ほのかに夢に見え給ふ、

四大聲聞(しだいしょうもん)いかばかり、喜(よろこび)身(み)よりも餘るらむ、我等が後生の佛ぞと、たしかに聞きつる今日なれば、

我等は何して老いぬらん、思へばいとこそあはれなれ、、今は西方極楽の、彌陀の誓(ちかひ)を念ずべし、

などといった法文歌よりも、

わが子は二十(はたち)に成りぬらん、博打(ばくち)してこそ歩くなれ、國々の博黨(ばくたう)に、さすが子なれば憎かなし、負(まか)いたまふな、王子の住吉西宮、

媼(をうな)が子供は唯二人、一人の女子(ご)は二位中将殿の厨雜仕(くりやざうし)に召ししかば、奉(たてま)てき、弟(をとと)の男子(をのこ)は、宇佐の大宮司(ぐし)が、早船舟子(ふなこ)に乞ひしかば、奉(また)いてき、神も仏も御覧ぜよ、何に祟りたまふ若宮の御前ぞ、

冠者は妻設(めまうけ)に來んけるは、かまへて二夜(ふたよ)は寝にけるは、三夜(みよ)といふ夜の夜半(よなか)ばかりの暁に、袴取(はかまと)りして逃げけるは、

わが子は十餘に成りぬらん、巫(かうなぎ)してこそ歩くなれ、田子の浦に汐ふむと、いかに海(あま)人集(つど)ふらん、正(まさ)しとて、問いみ問はずみ嬲るらん、いとをしや、

といった、「雑首」にある、庶民の息吹の聞こえる歌が、やはりいいし、

聖(ひじり)の好む物、樹の節(ふし)鹿角(わさづの)鹿(しか)の皮、蓑笠錫杖木欒子(もくれんじ 木槵子)、火打笥(け)岩屋の苔の衣(ころも)、

此の頃京(みやこ)に流行(はや)るもの、肩當(あて)腰當烏帽子止(えぼうしとどめ)、襟の立つかた、錆烏帽子、布打(ぬのうち)の下の袴、四幅(よの)の指貫、

此の頃京(みやこ)にはやるもの、わうたいかみかみゑせかつら、しほゆき近江女(あふみめ)女冠者、長刀(なぎなた)持たぬ尼ぞなき、

遊女(あそび)の好むもの、雜藝鼓(つづみ)小端舟(こはしぶね)、簦(おほがさ)翳(かざし)艫取女(ともとりめ)、男の愛祈る百大夫(ももだゆう、ひゃくだゆう 傀儡師(子)や遊女が信仰する神)、

凄き山伏の好むものは、あぢきないくたかやまかかも、山葵(わさび)こし米(よね)水雫(みづしづく)、澤(さは)には根芹(ねぜり)とか、

聖の好むもの、比良の山をこそ尋(たづ)ぬなれ、弟子遣りて、松茸平茸滑薄(なめすすき)、さては池に宿る蓮(はす)の這根(はいね)、芹根(せりね)蓴菜(ぬなは 蓴菜(じゅんさい))牛蒡(ごんぼう)河骨(かはほね こうほね)うち蕨(わらび)土筆(つくつくし)、

武者(むさ)の好むもの、紺(こむ)よ紅(くれなゐ)山吹濃き蘇芳(すわう)、茜(あかね)寄生樹(ほや)の摺(すり)、良き弓胡簶(やなぐひ)馬(むま)鞍太刀腰刀(こしがたな)、鎧冑(よろひかぶと)に、脇立(わきだて)籠手(こて)具して、

心凄きもの、夜道船道(ふなみち)旅の空、旅の宿、木闇(こぐら)き山寺の経の聲、思ふや仲らひの飽かで退く、

隣の大子(おほいご)のまつる神、頭(かしら)の縮(しじ)け髪、ます髪額髪(ひたひがみ)、指の先なる拙神(てづつがみ)、足の裏なる歩きがみ、

池の澄めばこそ、空なる月影も宿るらめ、沖よりこなみ(前妻)の立て来て打てばこそ、岸も後妻(うはなり)打たんとて崩るらめ、

等々といった、当時の風俗が垣間見える歌がいい。

梁塵秘抄口伝集.jpg

(『梁塵秘抄口伝集』巻十 日本大百科全書より)

参考文献;
佐々木信綱校訂『梁塵秘抄』(岩波文庫)
馬場光子『梁塵秘抄口伝集』(講談社学術文庫)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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