2022年11月17日
景公の夢
『左伝』には景公の夢、鄭の大夫伯有(はくゆう)が事、皆鬼神を伝へり(伽婢子)、
にある、
景公の夢、
とは、
景公が病気になると、夢の中に鬼が二人の小人になって会話したという、
という注記がある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。これだと何のことだかわかりにくいが、所謂、
病膏肓に入る、
の逸話である。なお、「伯有」についても、
春秋時代の人。貪欲な大夫だったが、殺されてから幽霊になって敵を討った、
とある(仝上)。
『左伝』には、
晋景公疾病。求医于秦(晋の景(けい)公疾病なり。医を秦に求む)
秦伯使医緩為之。未至、公夢(秦伯医の緩(かん)をして之を為(おさ)めしむ。未至に、公の夢に)、
疾為竪子曰、彼良医也。懼傷我。焉逃之(疾(やまい)竪子(じゅし 「豎」は子ども)と為りて、曰く、彼は良医なり。我を傷つけんことを懼る。焉(いづくか)に之を逃がれん)、
其一曰、居肓之上、膏之下、若我何(其一曰く、盲(こう)の上、膏下に居らば、我を若何(いかんせん))、
医至曰、疾不可為也。在肓之上、膏之下、攻之不可(医至りて曰く、疾(やまい)為(おさ)むべからざるなり。盲(こう)の上、膏(こう)の下に在あり、之を攻るは不可なり)、
達之不及、薬不至焉。不可為也(之に達せんとするも及ばずず、薬至らず。為(おさ)むべからざるなり)、
公曰、良医也、厚為之礼而帰之(公曰く、良医いなり。厚く之が礼を為して之を帰らしむ)、
とある(https://frkoten.jp/2016/03/03/post-1044/)。
病入膏肓(病膏肓に入る)、
は、
ここからきている。
居肓之上、膏之下、
とある、「膏」は、
心臓の下の微脂部分、
「肓」は、
膈(かく)の上の薄膜部分、
とされる(精選版日本国語大辞典・大辞林)。本来は、「膏肓」は、
こうこう、
と訓むが、誤って、
こうもう、
と訓まれている。また、
疾為竪子、
とあるところから、
二豎(にじゅ)、
二豎に侵される、
二豎子、
ともいう(広辞苑)。
この由来から、「病膏肓に入る」は、
不治の病にかかる、
また、
病気が重くなってなおる見込みが立たないようになる、
意で使うが、転じて、
悪癖や弊害などが手のつけられないほどになる、
また、
物事に熱中してどうしようもないほどの状態になる、
意でも使う(広辞苑)。
ただ、「二豎」(にじゅ)は、
病魔、
の意、転じて、
病気、疾病、
の意で使うが、悪癖に転じた使い方はない。
なお、晋の景公については、https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%99%AF%E5%85%AC_%28%E6%99%8B%29に詳しい。
「膏」(コウ)は、
形声。「肉+音符高」、
とのみある(漢字源)が、「あぶらの乗った肉」の意である。別に、
形声。肉と、音符高(カウ)とから成る。「あぶら」の意を表す、
とも(角川新字源)、
会意兼形声文字です(高+月(肉))。「高大な門の上の高い建物」の象形(「高い」の意味)と「切った肉」の象形(「肉」の意味)から高く大きい肉「こえる」を意味する「膏」という漢字が成り立ちました、
ともある(https://okjiten.jp/kanji2674.html)。
「肓」(コウ)は、
会意兼形声。「肉+音符亡(見えない)」で、心臓の下、横隔膜の上にあって深く隠れて見えない所をいう。膜(マク)の語尾の転じたことば、
とある(漢字源)。
参考文献;
尚学図書編『故事ことわざの辞典』(小学館)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95