2022年12月01日

くり舟


在所の近所に、くり舟あり。其の所にて、彼の牢人を呼ぶこと、頻(しき)り也(片仮名本・因果物語)、

とある、

くり舟、

は、

粗製の川舟。船首船尾とも箱型、

と注記がある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。同じ出典で、

其の夜より、彼の縷(く)り舟の渡りに、化けものありと云ひけり(仝上)、

とある、

縷り舟、

も、文脈から同じ意味かと想像される。この「くり舟」は、

艪を漕ぐのには川底が浅すぎる、棹をさすのには流れが速すぎる――そのやうな川を渡るために、岸から岸へ綱を引き、乗手は綱を手繰つて舟をすすめる、これを繰舟の渡しと称(い)ふ、

とある(牧野信一「繰舟で往く家」)、

繰舟、

のことかと思われる。あまり辞書には載らないが、

渡船(わたしぶね)の両岸に、大綱を架(わた)し、乗る者の両手にて、綱を手繰りて、船を遣る、

とある(大言海)。

タグリブネ、

ともいう(仝上)。ただ、

手繰り船、

と当てると、

手繰り網を引いて魚をとる船、

の意になってしまう(デジタル大辞泉)。室町中期の『梅花無盡蔵』(禅僧万里集九(ばんりしゆうく)の詩文集)に、

出柿崎、大半濱路、黒井、中濱之閒有河、両岸挿柱張大綱、渡者、皆轉手而遣舟、號曰轉舟(くりぶね)、

とある、


轉舟、

も同じだと思われる。とすると、

縷(く)り舟、

に当てた、

縷、

は、

後述のように、

糸、

の意もあるが、

襤縷、

の「縷」で、

ぼろ布、

の意だから、

襤褸舟、

の意なのかもしれない。

ところで、

くり舟、

に、

刳船、

と当てると、

丸木舟、

1本の木を刳(く)り抜いてつくる舟、

の意になる。

独木舟、

ともいう。

「縷」 漢字.gif

(「縷」 https://kakijun.jp/page/ru17200.htmlより)

「縷」(漢音呉音ル、漢音ロウ)は、

会意兼形声。「糸+音符婁(ル・ロウ 補足つらなる)」、

とあり(漢字源)、「細々と連なる意と」の意と、それをメタファに、「縷説」と、「くどくどしているさま」の意、「襤縷」と、「破れ布をつないだボロ」の意がある。

「操」 漢字.gif

(「操」 https://kakijun.jp/page/1626200.htmlより)


「操」 説文解字・漢.png

(「操」 説文解字・漢 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%93%8Dより)

「操」(ソウ)は、

会意兼形声。喿(ソウ)は、うわついてせわしないこと。操はそれを音符として手を加えた字。手先をせわしなく動かし、うわべをかすめたぐること。繰(ソウ たぐり寄せる)と最も近い。転じて、手先でたぐり寄せて、うまくさばく意となる、

とある(漢字源)。ひいて「みさお」の意を表す(角川新字源)ようにもなる。別に、

形声文字です(扌(手)+喿)。「5本の指のある手」の象形と「器物の象形と木の象形」(「多くの鳥が鳴き、さわがしい」の意味だが、ここでは「巣(ソウ)」に通じ(同じ読みを持つ「巣」と同じ意味を持つようになって)、「巣を作る」
の意味)から、鳥が巣を作るように手をたくみに動かす事を意味し、そこから、「あやつる」、「手にしっかり持つ」を意味する「操」という

漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji901.html

「舟」 漢字.gif


「舟」(漢音シュウ、呉音シュ)は、「一葉の舟」http://ppnetwork.seesaa.net/article/490791096.htmlで触れたように、

象形。中国の小舟は長方形の形で、その姿を描いたものが舟。周・週と同系のことばで、まわりをとりまいたふね。服・兪・朕・前・朝などの月印は、舟の変形したもの、

とある(漢字源)。

「舟」と「船」の区別は、「ふね」http://ppnetwork.seesaa.net/article/463391028.htmlで触れたように、

小形のふねを「舟」、やや大型のふねを「船」、

とするが、「船」と「舟」の違いは、あまりなく、

千鈞得船則浮(千鈞も船を得ればすなはち浮かぶ)(韓非子)、

と、

漢代には、東方では舟、西方では船といった、

とある(漢字源)。今日は、

動力を用いる大型のものを「船」、手で漕ぐ小型のものを「舟」、

と表記するhttp://gogen-allguide.com/hu/fune.htmlとし、

「舟」や「艇」は、いかだ以外の水上を移動する手漕ぎの乗り物を指し、「船」は「舟」よりも大きく手漕ぎ以外の移動力を備えたものを指す。「船舶」は船全般を指す。「艦」は軍艦の意味である。(中略)つまり、民生用のフネは「船」、軍事用のフネは「艦」、小型のフネは「艇」または「舟」の字、

を当てるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%88%B9とある。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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2022年12月02日

頓(とみ)に


その人々には頓に知らせじ。有様にぞしたがはん(源氏物語)、

とある、副詞、

頓(とみ)に、

は、

早急に、
さっさと、

の意で、

風波とににやむべくもあらず(土佐日記)、

とある、

トニニの転、

で、

多くの場合、下に打消しを伴って使われる。その打ち消された行動は、実は、即座に為し遂げられることが予想・期待される、

とある(岩波古語辞典)が、さらに、

とみにはるけきわたりにて(足が遠のいて)、白雲ばかりありしかば(蜻蛉日記)、

と、

打消しの意を含む語を修飾して、

ばったり、とんと、

の意でも使う(仝上)。「とにに」は、

トニは頓の字音tonに母音iを添えて、toniとしたもの、

で(仝上)、

にわかに、
急に、

の意である。

とみに、
とにに、

が、「頓」の字音からきているためか、

この故に名利とんに捨てがたし(「雑談集(鎌倉後期)」)、
頓(トン)に成就(じゃうじゅ)ある様に(太平記)、

などと、

とんに、

とも訛る。室町時代の文明年間以降に成立した『文明本節用集』では、

頓而、トンニ、

とある。「とみに」の語源について、

とし(疾)の語幹に接尾語みがついたもの、

とする説(大言海)もあるが、上記の土佐日記の、

とにに、

などの形から、

頓の字音の変化したもの、

と見ていいようである(日本語源大辞典)。

とにに→とみに→とんに、

といった転訛であろうか。

さるに、十二月(しはす)ばかりに、とみのこととて御ふみあり(伊勢物語)、

と使う、

とみ(頓)、

も同じで、

頓の字音tonに母音iを添えてトニとしたものの転、

である(岩波古語辞典)。

ニの音とミの音の交替例は、ニラ→ミラ(韮)、ニホドリ→ミホドリ(鳰鳥)、

などがある(仝上)。

時間的に間がおけないさま、
また、
間をおかないさま、
急、
にわか、
さっそく、

の意で、

「とみの」の形で連体修飾語として、また、「とみに」の形で副詞的に用いることが多く、現代ではもっぱら「とみに」の形で用いられる、

とある(精選版日本国語大辞典)。

「頓」 漢字.gif



「頓」 説文解字・漢.png

(「頓」 説文解字・漢 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%A0%93より)

「頓」(トン)は、

会意兼形声。屯(トン チュン)は、草の芽が出ようとして、ずっしりと地中に根をはるさま。頓は「頁(あたま)+音符屯」で、ずしんと重く頭を地につけること、

とあり(漢字源)、頭を下げる敬礼を意味する漢語(角川新字源)とある。別に、

会意兼形声文字です(屯+頁)。「幼児が髪を束ね飾った」象形(「集まる、集める」の意味)と「人の頭部を強調した」象形(「かしら、頭」の意味)から、頭を下げてきた勢いが地面で一時中断されて、力が集中する事から、「ぬかずく(頭を下げて地につける)」を意味する「頓」という漢字が成り立ちました、

とあるhttps://okjiten.jp/kanji2197.html

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
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ラベル:頓(とみ)に
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2022年12月03日

しきり


在所の近所に、くり舟あり。其の所にて、彼の牢人を呼ぶこと、頻(しき)り也(片仮名本・因果物語)、

とある、

頻(しき)り、

は、

動詞シキルの連用形から、

とも、

シク(頻)と同根、

ともある(岩波古語辞典・広辞苑)。

その年おほやけに物のさとし(不思議な前兆)しきりて(源氏物語)、

の、

しきる(頻)、

と、

新しき年の初めの初春の今日降る雪のいやしけ吉事(よごと)(万葉集)、

の、

しく(頻)、

とは同じ意味で、

度重なる、
つづけて起こる、

意である(明解古語辞典)。「しく」は、

しく(敷・及)と同根、

とある。「しく(敷・頷)」は、

一面に物や力を広げて限度まで一杯にする、すみずみまで力を及ぼす意、

とあり、「しく(及・如)」は、

追って行って、先行するものに追いつく意、

とあり、

しく(敷・頷)、
と、
しく(及・如)、

は同根とある(岩波古語辞典)。憶説だが、

追って先行するものに追いつく、

意と、それが、

限度いっぱい広がっていく、

意から、「しきり」の、

度重なる、

意につながったと、みえる。

だから、「しきり」は、

行(ゆ)き廻(めぐ)り見とも飽(あ)かめや名寸隅(なきすみ)の船瀬(ふなせ)の浜にしきる白浪(万葉集)、

と、

同じ事が何度も重なるさま、
後から後からつづくさま、
重ねて、
たびたび、
ひっきりなし、

の意と、そこから、

しきりに恋しがる、

というように、

物事の程度や、感情、熱意などの度合が強いさま、
むやみ、
やたら、

の意に、さらに、

繰り返される痛みの意から、

出産のまぎわに起こる痛み、
陣痛、

の意でも使われる(日本国語大辞典)。

その「しきり」に、「に」をつけた、副詞、

しきりに、

も、

天変しきりにさとし、世の中静かならぬは(源氏物語)、

と、

繰り返し、
たびたび、

の意と、

身にはしきりに毛おひつつ(平家物語)、

たいそう、
むやみに、

の意で使われる(学研全訳古語辞典)。「しきり」に「と」を付けた副詞、

しきりと、

も、

顔の汗をしきりと拭く、

と、

たびだひ、

の意、

しきりと水を欲しがる、

と、

ひどく、
むやみ、

の意で使う(大辞林)。なお、

頻りの年、

というと、

頻りの年より以来このかた、平氏王皇蔑如して、政道にはばかる事なし(平家物語)、

と、

近頃ひき続いての年、
近年、
連年、

の意で使う(広辞苑・岩波古語辞典)。

「頻」 漢字.gif

(「頻」 https://kakijun.jp/page/1745200.htmlより)

「頻」(漢音ヒン、呉音ビン)は、

会意文字。「頁(あたま)+渉(水をわたる)の略体」で、水際ぎりぎりに迫ること、

とある(漢字源)。別に、

会意。元字は「𩕘(瀕?)」で、「涉(渉:浅瀬を歩く)」+「頁(頭を強調した人、儀礼に関係)」。「頁」が不分明であるが(「説文解字」は「顰(眉を寄せる)」に関連付け、白川静は水辺の儀礼と解く)、音は「賓」「比」に通じ、ぴったりと迫るの意。水辺・水際を表し「瀕」「濱(浜)」と同義。ぎりぎりまで近づく(「瀕」)の意を生じ、相接することから、「しきりの」意を生じた、

ともhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%A0%BB

会意。頁と、涉(しよう=渉。𣥿は変わった形。步は省略形。水をわたる)とから成り、川をわたる人が顔にしわを寄せる、ひそめる意を表す。もと、瀕(ヒン)に同じ。借りて「しきりに」の意に用いる、

とも(角川新字源)、

会意文字です(もと、渉(涉)+頁)。「流れる水の象形(のちに省略)と左右の足跡の象形」(「水の中を歩く、渡る」の意味)と「人の頭部を強調した」象形(「かしら」の意味)から、水の先端「水辺」、「岸」を意味する「頻」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji1877.html。だいたい趣旨は似ているようである。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
金田一京助・春彦監修『明解古語辞典』(三省堂)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

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2022年12月04日

竜田姫


物の色合ひなど、染め出だせる事は、竜田姫も恥ぢぬべき程なり(曽呂利物語)、

とある。

竜(龍)田姫、

は、

秋を支配する女神、

とある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。

龍田山は奈良の京の西に当たり、方角を四季に配当すると西は秋に当たるのでいう、

とある(岩波古語辞典)。

竹久夢二 画『立田姫』.jpg

(立田姫(竹久夢二) https://mai-arts.com/yumeji_tatsutahime/より)

大和の平群(今は生駒郡)に座す女神、因みに、同じ平群に座す男神は、

竜(龍)田彦、

で、

わが行きは七日は過ぎじ竜田彦ゆめ此の花を風にな散らし(万葉集)、

と、

風を司る神、

とされ(大言海)、

竜田神社の祭神、

とある(岩波古語辞典)。「竜田姫」「竜田彦」ともに、『延喜式』にみえ、竜田坐天御柱国御柱神社二座」とともに、

竜田比古竜田比女神社二座、

と記され、

前者の天御柱国御柱も後者の竜田比古、竜田比女も、みな風難を避けるために祭られる神、

であった(朝日日本歴史人物事典)とある。

「竜田姫」は、春の、

佐保姫の対、

とあり、「佐保姫」は、

佐保姫の糸そめかくる青柳を吹きな乱りそ春の山嵐(詞花和歌集)、

と、

佐保山は平城京の東北方にあり、東は季節に配当すると春に当たるのでいう、

とあり(仝上)、イロハ引き国語辞書『匠材集(1597)』には、

佐保姫、春を守る神也、

とある(岩波古語辞典)。なお「竜田姫」は、

竜田山を神格化した秋の女神の名、

としても用いられるが、それは、

佐保山を神格化した春の女神佐保姫、

に対するためともある(朝日日本歴史人物事典)

五行の色、四季、方位を表した図。.png

(五行の色、四季、方位を表した図 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E8%A1%8C%E6%80%9D%E6%83%B3より)

また、「竜田姫」は、

染色・織物の名手、

ともされ(日本国語大辞典)、冒頭引用の文に、

物の色合ひなど、染め出だせる事、

とあるのは、その所以で、その由来は、

『万葉集』以来、秋の木の葉が色づくことを染色にたとえて「染める」と表現しました。一方、染色は古代の女性にとって大切な、しかも専門的な仕事でした。そこで、山を染め、木の葉を染めて紅葉にする神も女の神でなければならなかったのです。秋をつかさどる神としての竜田姫は、紅葉の歌とともに染色の神さまにもなったということになります、

とある(片岡智子「竜田姫の秋」https://www.ndsu.ac.jp/blog/article/index.php?c

なお、

西が秋にあたる、

というのは、

五行説、

に基づく。「五行説」は、

五行思想(ごぎょうしそう)、

ともいいhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E8%A1%8C%E6%80%9D%E6%83%B3

中国古代人の世界観の一つ、

で、五行は、

五材、

ともいい、

生活に必要な水、火、金、木、土の五つの素材(民用五材)

をいい(日本大百科全書)、

万象の生成変化を説明するための理論、

で、

宇宙間には木火土金水によって象徴される五気がはびこっており、万物は五気のうちのいずれかのはたらきによって生じ、また、万象の変化は五気の勢力の交替循環によって起こる、

とする(精選版日本国語大辞典)。なお、漢代では五行説は、陰陽(いんよう)説と結合して、

陰陽五行説、

となり、以後の中国人のものの見方、考え方の基調となった(仝上)とある。

五行説.bmp

(五行説と方位 精選版日本国語大辞典より)

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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2022年12月05日

百万遍


……怨念を払はん爲とて、寺中寄りあひ百万遍の念仏を修行しける(曽呂利物語)、

とある、

百万遍の念仏、

とは、

災厄や病気をはらうために、大勢が集まって念仏を百万回となえる行事、

とある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。

百万遍念仏、

とも、略して、

百万遍、

ともいう。

如綽禅師、撿得経文、但能念仏一心不乱、得百万遍已去者、定得往生(伽才浄土論)、

とある。

百万遍念.bmp

(百万遍念仏 精選版日本国語大辞典より)

祈禱、追善などのため、大型の数珠を多数のものが早繰(ざらざらぐり)して、同音に唱える念仏のこと、

で、百万遍の念仏に用いる大念珠を、

百万遍数珠、

といい、百万回の念仏を唱えることを本義とし、

これに1人が7日または10日間に100万回念仏を唱えること、

と、

10人またはそれ以上の者が同時に唱えた念仏の総計が100万回におよぶもの、

と2種類があり、

後者は100人の集団が念仏を100回唱えれば1万遍となり、同時に自他の唱える念仏の功徳が相互に隔通しあって、総計で100の3乗、つまり100万回の念仏を唱えたのと同じ功徳があるとする、

とある(世界大百科事典)。浄土宗で、

極楽往生を願って10人ずつの僧や信者が輪になって念仏を唱え、1080個の玉の大数珠を100回、順送りにする仏事、

で、

合わせて百八万遍の念仏になる、

というもので、京都知恩寺で始まり、のちに一般でも行われるようになった(デジタル大辞泉)とある。

知恩寺の、八世善阿空円が流行病をなおすため、

7日間 100万遍の念仏を称え、効験があったので後醍醐天皇から百万遍の寺号と 1080珠の大念珠を賜った、

といい、これが嚆矢とされる。以来知恩寺では、衆僧、信徒が集って、弥陀の名号を称えながら大数珠を 100回繰回す仏事が行われ、これも百万遍という(精選版日本国語大辞典)。古く、中国の僧、

道綽(どうしゃく)、

に始まると伝えられる(仝上)とある。

「百」 漢字.gif


「百」(漢音ハク、呉音ヒャク)は、

「一+音符白」を合わせた文字(合文)で、もと一百のこと、白(ハク・ヒャク)は単なる音符で、白いといった意味とは関係がない、

とある(漢字源)。「大きな数」の意味もある(角川新字源)。別に、

形声文字です(一+白)。「1本の横線」(「ひとつ」の意味)と「頭の白い骨または、日光または、どんぐりの実」の象形(「白い」の意味だが、ここでは、「博」に通じ、「ひろい」の意味)から、大きい数「ひゃく」を意味する「百」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji133.html

「万」 漢字.gif

(「万」 https://kakijun.jp/page/0305200.htmlより)

「万(萬)」(慣用マン、漢音バン、呉音モン)は、「万八」http://ppnetwork.seesaa.net/article/488425542.htmlで触れたように、

象形。萬(マン)は、もと、大きなはさみを持ち、猛毒のあるさそりを描いたもの。のち、さそりは萬の下に虫を加えて別の字となり、萬は音を利用して、長く長く続く数の意に当てた。「万」は卍の変形で、古くから萬の通用字として用いられている、

とあり(漢字源)、

「万」の異字体は「萬」、

とされたり、

「萬」は「万」の旧字、

とされたりするが、「万」は、

古くから「萬」に通ずるが、「萬」との関係は必ずしも明らかでない、

とあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%B8%87

「万」はもとの字は「萬」に作る(白川静)、
「万」と「萬」とは別字で、「万」は浮き草の象形(新潮日本語漢字辞典・大漢語林。「万」と「萬」が古くから通用していることは認めている)、
「卍」が字源(大漢和辞典 西域では萬の數を表はすに卍を用ひる。万の字はその變形である)、
象形、蠆(さそり)の形。後に、数の一万の意味に借りられるようになった。現在でも、「万」の大字として使用される(角川新字源・漢字源)、
象形。もと、うき草の形にかたどる。古くからの略字として用いられていた(角川新字源)、

等々と諸説あり(仝上・https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%90%AC)、「中国最古の字書『説文解字』(後漢・許慎)は、

「萬」を「蟲なり」とするが、虫の名前は挙げず、説文解字注(段注)はサソリの形に似ているからその字であろう、

というが、白川静は「声義ともに異なる」と指摘する(仝上)。しかし、

「萬」が蠍の象形で、10000の意味は音の仮借、

という立場は、藤堂明保『学研 新漢和大字典』、諸橋轍次『大漢和辞典』、『大漢語林』、『新潮日本語漢字辞典』等々多くの辞典が支持する(仝上)、とある。数字の万としての用法はすでに卜文にみえる(白川)ようである(仝上)。

「遍」 漢字.gif

(「遍」 https://kakijun.jp/page/1267200.htmlより)

「遍」(ヘン)は、

会意兼形声。「辶+音符扁(ヘン 平らに広がる)」、

とある(漢字源)。別に、

会意兼形声文字です(辶(辵)+扁)。「立ち止まる足・十字路の象形」(「行く」の意味)と「片開きの戸の象形と文字を記した札をひもで編んだ象形」(門戸に書き記した札の意味から、転じて(派生して・新しい意味が分かれ出て)、札のように「ひらたい」の意味)から、「ひらたく行き渡る」を意味する「遍」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji2030.html

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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2022年12月06日

十念


一々懺悔して十念を授かりて、久しく念仏しければ、いつと無く蛇失せたりと也(片仮名本・因果物語)、

とある、

十念、

とは、

僧から南無阿弥陀仏の六字の名号を十遍唱えてもらい、仏との縁を結ぶこと、

とある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)が、これは、

浄土宗・時宗、

で、僧が南無阿弥陀仏の名号を信者に授けて結縁(けちえん)させること、

をいい(広辞苑)、これを、

十念を授(さず)く、

といい、

僧が南無阿弥陀仏の六字の名号を十遍唱えて信者に阿弥陀仏との縁を結ばせる、

ことで、浄土宗では、

葬式のとき、引導のあと、導師が六字の名号を十度唱えること、

をいう(仝上)。無量寿経には、

南無阿弥陀仏と阿弥陀仏の御名(みな)を十ぺん唱えること(十念)によって阿弥陀仏の極楽浄土に往生できる、

と説かれ、浄土教義の重要な根拠となっているとされるが、これは唐の善導は、観無量寿経の、

至心に声をして絶えざらしめ、十念を具足して南無阿弥陀仏と称す、

を十声の称念と解し(観経疏)、法然も、

声はこれ念、念は即ちこれ声、

とのべ(選択(せんちやく)本願念仏集)、

十声、

ととらえている。この根拠になっているのは、大無量寿経の法蔵菩薩の誓願は漢・呉訳では24であるが、増広された魏訳の48願の第18願で、

十方世界の衆生が心を専一にして(至心)深く信じ(信楽)極楽に往生したいと願い(欲生)、わずか10回でも心を起こす(十念)ならば、必ず極楽に往生できる、

と説いている。この〈十念〉が10回の念仏と解され、中国、日本における念仏による往生の思想の根拠として重視されるにいたったようである(世界大百科事典)。

一般に、

十念、

というと、原始仏教経典に説かれる、

十種の心念、

つまり、

念仏・念法・念僧・念戒・念施・念天・念休息(ぐそく)・念安(あんぱん)般・念身・念死、

という、

十種の思念を行う修行法、

をいい、

十随念、

ともいう(仝上)。また、

阿弥陀仏の相好を十遍つづけて観想すること、

または、

その御名を十遍唱えること、

をもいい(往生要集)、それを、

十念称名、

といい、また、

慈心・悲心・護法心など十種のおもいを数えたもの、

をもいう(彌勒所問経に説くとされている)とする(往生要集)、とある(広辞苑・精選版日本国語大辞典)。

なお、十念の唱え方は、https://zenryuji-jodo.com/jyunen/に詳しい。

「十」 漢字.gif

(「十」 https://kakijun.jp/page/0211200.htmlより)

「十死一生」http://ppnetwork.seesaa.net/article/485500800.htmlで触れたように、「十」(慣用ジッ、漢音シュウ、呉音ジュウ)は、

指事(数や位置など、形を模写できない抽象的概念を表わすために考案された漢字)。全部を一本に集めて一単位とすることを、丨印で示すもの。その中央が丸く膨れ、のち十の字体となった。多くのものを寄せ集めてまとめる意を含む。促音の語尾がpかtに転じた場合は、ジツまたはジュツと読み、mに転じた場合はシン(シム)と読む。証文や契約書では改竄や誤解をさけるため、拾と書くことがある、

とある(漢字源)が、

象形。はりの形にかたどる。「針(シム)」の原字。借りて、数詞の「とお」の意に用いる、

とも(角川新字源)、

指事或いは象形。まとめて一本「丨」にすることから、後にまとめたことが解るよう中央部が膨れた。或いは針の象形で、「針」の原字とも(なお、「シン」の音はdhiəɔpのp音がmpを経てm音となったもの)、

ともhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%8D%81

象形文字です。「針」の象形から、「はり」の意味を表しましたが、借りて(同じ読みの部分に当て字として使って)、「とお」を意味する「十」という漢字が成り立ちました、

との解釈もあるhttps://okjiten.jp/kanji132.html

「念」 漢字.gif


「念」(漢音デン、呉音ネン)は、「繋念無量劫」http://ppnetwork.seesaa.net/article/491112345.htmlで触れたように、

会意兼形声。今は「ふさぐしるし+-印」からなり、中に入れて含むことをあらわす会意文字。念は「心+音符今」で、心中深く含んで考えること。また吟(ギン 口を動かさず含み声でうなる)とも近く、経をよむように、口を大きく開かず、うなるように含み声でよむこと、

とある(漢字源)。別に、

形声。心と、音符今(キム、コム)→(デム、ネム)から成る。心にかたくとめておく意を表す、

とも(角川新字源)、

会意文字です(今+心)。「ある物をすっぽり覆い含む」事を示す文字(「ふくむ」の意味)と「心臓」の象形から、心の中にふくむ事を意味し、そこから、「いつもおもう」を意味する「念」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji664.html

参考文献;
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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2022年12月07日

聊爾


こは如何に、聊爾をしつる事かな、と肝を潰し(曽呂利物語)、
脇よりも、聊爾をすな、殿の御秘蔵の唐猫なりと云ひければ(仝上)、

などとある、

聊爾、

は、前者については、

あやまち、

と注記がある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)が、後者は、後述の意味の幅から見ると、

粗相、
とか、
失礼、

といった意味ではないかと思う。

聊爾(レウジ・リョウジ)、

は、

未能免俗、聊復爾爾耳(晉書・阮咸傳)、

と漢語で、

かりそめ、

という意である。

聊、且略之辭(詩経)、

とあり、

爾は助辭、

とある(大言海)。で、

官倉求飽眞聊爾、山墅懐歸毎惘然(陸游傳)、

と、

仮初なること、
考えなくてすること、
不躾がましくすること、
いいかげん、
卒爾、

とある(仝上・岩波古語辞典・大言海)。我が国でも、

国の安危、政の要須これより先なるはなし。これより誰か聊爾に処せん(太平記)、
襄王の躰は、何共聊爾なき人で、人君とも見へぬ人ぢゃぞ(孟子抄)、

などと同じ意味で使うケースが多いが、やがて、そこから、

亭主のさる人にていみじうもてなしてことにふれつつ聊爾ならぬ人にはち道を執して(無名抄)、
もしいかようの事ありとも、船頭の聊爾にてあるまじく候(奇異雑談集)、

と、

ぶしつけで失礼なこと、
そそうなこと、
また、
そのさま(精選版日本国語大辞典)、

あるいは、

あやまち(岩波古語辞典)、

麁相、
失礼、
粗忽(大言海)、

といった意味で使うに至る。「慮外」http://ppnetwork.seesaa.net/article/490443592.html、「卒爾」http://ppnetwork.seesaa.net/article/444309990.htmlとある意味で重なる言葉になっている。

「聊」 漢字.gif

(「聊」 https://kakijun.jp/page/E3D6200.htmlより)

「聊」(リョウ)は、

会意兼形声。「耳+音符卯(リュウ つかえる)」で、耳がつかえて音がよく通らないこと。しばらくつかえて、留まるの意から、一時しのぎに(とりあえず)の意となる、

とある(漢字源)。「聊逍遥以相羊(聊カ逍遥シ以テ相羊ス)」と、「いささか」「とりあえず」の意や、「民、不聊生(民、生ヲ聊(りょう)セズ)」と、「やっとしまつする」意の外、「意無聊(意、無聊ナリ)」と「無聊」とも、また「聊啾(リョウシュウ 幽かに耳鳴り)」と、耳鳴りの意でも使う。

「爾」 漢字.gif

(「爾」 https://kakijun.jp/page/1401200.htmlより)

「爾」(漢音ジ、呉音ニ)は、

象形。柄にひも飾りのついた大きなはんこを描いたもの。璽(はんこ)の原字であり、下地にひたとくっつけて印を押すことから、二(ふたつくっつく)と同系のことば。またそばにくっついて存在する人や物を指す指示詞に用い、それ・なんじの意をあらわす、

とある(漢字源)。別に、

象形。(例えば漢委奴国王印のような形の)柄に紐を通した大きな印を描いたもの(あるいは花の咲く象形とも)。音が仮借され代名詞・助辞などに用いられるようになったため、印には「璽」が用いられる、

ともhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%88%BE

象形文字です。「美しく輝く花」の象形から「美しく輝く花」の意味を表しましたが、借りて(同じ読みの部分に当て字として使って)、「二人称(話し手(書き手)に対して、聞き手(読み手)を指し示すもの。あなた。おまえ。)」を意味する「爾」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji2580.html

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
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2022年12月08日

唐臼


いつも内なる唐臼(からうす)の上に、俵もの、石など多く置き、二十人ばかりしては、動かしがたく拵へて(曽呂利物語)、
いつもの如く、唐臼を踏み鳴らす(仝上)、

とある、

唐臼、

は、

足で踏んで杵(きね)を上下させる仕掛けの石臼、

とある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。

天照るや日の異(け)に干(ほ)しさひづるや唐臼(からうす)に搗き庭に立つ手臼(てうす)に搗きおしてるや(万葉集)、

とあるように、

臼を地に埋め、横木にのせた杵(きね)の一端をふみ、放すと他の端が落ちて臼の中の穀類などを搗く装置、

である(広辞苑)。「唐臼」は、また、

碓、

とも当てる(広辞苑)。

唐臼・碓.jpg

(「唐臼 広辞苑より)


唐臼による作業.jpg

(唐臼による作業 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%94%90%E8%87%BCより)

臼は地面に固定し、杵をシーソーのような機構の一方につけ、足で片側を踏んで放せば、杵が落下して臼の中の穀物を搗く。米や麦、豆など穀物の脱穀に使用した、

のでhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%94%90%E8%87%BC

踏み臼、
ぢからうす、略して、ぢから、
踏碓、

ともいう(大言海)。和名類聚抄(平安中期)に、

碓、踏舂具也、加良宇須、

とある。その由来は、

柄臼(からうす)の義、柄(え)に機発(しかけ)あり(大言海)、
柄があるところから、カラウス(柄臼)の義(古事記伝・言元梯・日本古語大辞典=松岡静雄)、
三韓から伝わったところから、カラウス(韓臼)の意(東雅)、
カラは外国伝来の意(岩波古語辞典)、
足で踏んで軽く舂くところから、カルウス(軽臼)の転(雅言考)、
カラはカラサヲ、カラクリ等のカラで、仕掛けの意(箋注和名抄)、

等々諸説あるが、はっきりしない。

柄臼(からうす)の義、柄(え)に機発(しかけ)あり(大言海)、

が個人的にはすっきりするのだが。

ややこしいのは、「唐臼」は、

からうす、

に、

殻臼、

とも当て、「からうす」のほか、

とううす、

とも訓ませ、

籾殻を磨る臼の義、

でも使い、

すりうすの古名、

とあり、

土臼、
するす、
すりす、

ともいう、

籾(もみ)をすって皮を取り除くのに用いる臼、

のこともいう(大辞泉)。

上下二個の円筒形からなり、二個の臼はそれぞれ竹や木を縁にし、塩を入れた土でうずめ固め、すりあう面には樫(かし)の歯を植えつけ、上の臼に籾を送り込む穴をあける。中央に軸があり、下の臼は動かないが上の臼には取手があり、籾を送って回すと、籾殻が取り除かれて出てくる。穀粉・ひき茶など製粉に使用するものもある、

とある(精選版日本国語大辞典)。字鏡(平安後期頃)には、

磑、宇須、

和名類聚抄(平安中期)には、

磨礱、須利宇須、

とある。

磨臼.bmp

(「磨臼」 精選版日本国語大辞典より)

また、「唐臼」は、

添水(そうず)、

といい、

竹筒に水を引き入れ、たまる水の重みで反転した竹筒が石などに当たって快い音を立てるようにした装置、

をもいう(広辞苑)。庭園などに設けるが、

田畑を荒らす鳥獣を追うために、水力を利用して音を発する仕掛け

で、

ししおどし、

だが、

添水唐臼(そうずからうす)、

といって唐臼をつく装置のものもある(広辞苑)とある。「そうず」は、

一説に、ソホヅ(案山子)の転。また、「僧都」からとも、

とある(仝上)。

唐臼 [からうす].jpg

(川の水流を利用して餅つきの杵のように原土を粉砕していく http://www.tougeizanmai.com/tabitetyou/007/05karausu.htmより)


「臼」 漢字.gif

(「臼」 https://kakijun.jp/page/usu200.htmlより)


「臼」 説文解字・漢.png

(「臼」 説文解字・漢 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%87%BCより)

「臼」(漢音キュウ、呉音グ)は、

象形。∪型にえぐってくぼませたさまを描いたもの。臼は、意符(意義符 漢字の構成要素のうち、主として意義を表す部分。「坂」の「」や「泣」の「氵」等々)に用いられた時は舂(ショウ つく)・陷の右側(穴にはまる)・插(ソウ=挿 穴に差し込む)など、穴やうすをあらわす、

とある(漢字源)。別に、

象形文字です。「地面または、木・石をうがって造る、うす」の象形から、「うす」を意味する「臼」という漢字が成り立ちました、

ともある(角川新字源・https://okjiten.jp/kanji2088.html)。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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2022年12月09日

いはんや悪人をや


金子大栄校注『歎異抄』を読む。

歎異抄.jpg


「直接に耳の底に留まるところを記録したのは、ただこの『歎異抄』のみ」(校注者解題)とされる、

弟子唯円が、親鸞の肉声を伝えている貴重な本である。本書の構成は、


親鸞の語録(第九章まで)
序(第十章)
唯円の歎異(第十一以下十八章まで)
結(述懐)

となっており、

大切の証文ども、少々ぬきいでまいらせさふらふて、目やすにして、この書にまいらせてさふらふなり、

と結びに書くように、親鸞の言葉を証文として示したかったもののようである。その意図は、最後に、

古親鸞のおほせごとさふらひしをもむき、百分が一、かたはしばかりをもひおもひでまいらせて、かきつけさふらふなり。かなしきかなや、さひはひに念仏しながら、直に報土にむまれずして辺地にやどをとらんこと。一室の行者のなかに信心ことなることなからんために、なくなくふでをそめて、これをしるす。なづけて歎異抄といふべし。

と結ぶ。様々な異論に対する唯円の抗議と嘆きの書である。

徹頭徹尾、他力の本意を述べていく。

他力真実のむねをあかせるもろもろの聖教は、本願を信じ、念仏をまうさば、仏になる、そのほかなにの学問かは往生の要(えう)なるべきや、

の真義は、自力の、

難行(なくぎやう)、

に対し、他力の、

易行(いぎやう)、

たる所以を示し続ける。有名な、

善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや、

も、自力の目から見るからで、

悪おそるべからず、彌陀の本願をさまたぐるほどの悪なきがゆへに、

ということもあるが、

(弥陀の)願ををこしたまふ本意、悪人成仏のためなれば、他力をたのみたてまつる悪人、もともと往生の正因なり。よて善人だにこそ往生すれ、まして悪人はと、おほせさふらいき、

という意味なのである。なまじの、

はからい、

たとえば、

念仏まうさんごとに、つみをほろぼさんと信ぜんは、すでにわれとつみをけして、往生せんとはげむにてこそさふらふなれ、

とあるように、

これだけ善行をしたのだから、
これだけ喜捨をしたのだから、
これだけ念仏を唱えたのだから、

というおのが思惑そのものが、すでにおのれの力の拙さを知らないという意味で、

他力本願、

からそれている。親鸞は言う、

親鸞は弟子一人ももたずさふらふ。そのゆへは、わがはからひにて、ひとに念仏をまうさせさふらはばこそ、弟子にてもさふらはめ、ひとへに弥陀の御もよほしにあづかて念仏まうしさふらふひとを、わが弟子とまうすこと、きはめて荒涼(無遠慮)のことなり、

と。だから、念仏する行為を、

おのが善根とする故に、信を生ずることあたはず、

とする(教行信証)のであり、

念仏は行者のための非行・非善なり、

とし、

わがはからひにてつくる善にはあらざれば、非善といふ、

といい、唯円は、こんな皮肉を述べている

この身もて、さとりをひらくとさふらふなるひとは、釈尊のごとく種々の応化の身をも現じ、三十二相、八十随形好(ずいぎやうかう)をも具足して、説法利益さふらふにや、

と。

わがはからひなるべからず、
わがはからはざるを、自然とまうすなり、

の究極は、親鸞の、

念仏は、まことに浄土にむまるるたねにてやはんべるらん、また地獄におつべき業(ごふ)にてやはんべるらん、総じて存知(ぞんち)せざるなり、

と言い切るところに在る。究極、これは、

宗教、

そのものの破壊でもあるかに見える。しかし、中世、

一向門徒、

は、中世の潮流、現世での、

自力救済、

の象徴のような、

一揆、

によって、現世の武家権力と対峙していく、

巨大教団、

となっていくのは、何とも皮肉である。

参考文献;
金子大栄校注『歎異抄』(岩波文庫)

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コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
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2022年12月10日

乙矢


本筈(もとはず)末筈(うらはず)一つになれと、能引(よっぴ)きひやうと放つ。……乙矢(おや)を射る間のあらざれば、駒をはやめて逃げ来たる(曽呂利物語)、

とある、

乙矢(おや)、

は、普通、

おとや、

と訓ませ、

第二番目に射る矢、

の意である(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。因みに、「本筈」「末筈」は、

弓の両端の弦をかける所、上になる方を末筈、下になる方を本筈という、

とある(仝上)。「はず」http://ppnetwork.seesaa.net/article/450205572.htmlについては触れたし、「弓」についても、「弓矢」http://ppnetwork.seesaa.net/article/450350603.htmlで触れた。

手に持った二本の矢のうちで、二番目に射る矢を、

乙矢、

つまり、


二の矢(二矢)、

といい、

二本持って射る矢のうち初めに射る矢、

を、

甲矢(はや)、

つまり、

一の矢(一矢)、

という。

矢をつがえたとき、三枚羽根の羽表が外側になり裏が手前になる矢、

をいう(デジタル大辞泉)とある。これは、

鳥の羽は反りの向きで表裏があり、半分に割いて使用する。一本の矢に使う羽は裏表を同じに揃えられるため、矢には二種類できる。矢が前進したときに時計回りに回転するのが、

甲矢(はや、早矢・兄矢)、

逆が、

乙矢(おとや)、

となる。この、甲矢と乙矢あわせて一対で、

一手(ひとて)というhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%A2。矢は、二本(甲矢、乙矢)を一手(ひとて)ととし、

四本を単位、

として使用することが一般的である(世界大百科事典)とある。

「甲矢(はや)」は、

端矢(はや)なるか、

とあり(大言海)、

歩射、四十六歩、十箭中的、四已上者為及第、若一箭(イチノヤ)不中皮者、以二的准折(左衛門府式)、

とある(仝上)。

矢羽(鷲)。下が甲矢、上が乙矢.jpg

(矢羽(鷲)。下が甲矢、上が乙矢 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%A2より)


甲矢と乙矢.jpg

(甲矢と乙矢 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%A2より)


甲矢.jpg

(甲矢 デジタル大辞泉より)


乙矢.jpg

(乙矢 デジタル大辞泉より)

矢羽の数によっていくつか種類があり、

二枚羽、

は原始的な羽数で軌道が安定しにくいが、儀式用として儀仗に用いられ、飛ぶ軌道の安定性を得るため、

四枚羽、

となったが矢が回転しないため、

三枚羽、

で、

矢を回転させ鏃で的となる対象物をえぐり取り殺傷力が強化された、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%A2。矢羽(やばね)は、

鷲、鷹、白鳥、七面鳥、鶏、鴨、

など様々な種類の鳥の羽が使用されるが、特に鷲や鷹といった猛禽類の羽は最上品とされ、中近世には武士間の贈答品にもなっている。使用される部位も手羽から尾羽まで幅広いが、尾羽の一番外側の部位である、

石打、

が最も丈夫で、希少価値も高く珍重される(仝上)。「石打」は、


石打ちの羽、

鳥が尾羽を広げたとき、両端に出る1番目(小石打ち)と2番目(大石打ち)の羽、

をいい、鷲や鷹のものは、特に矢羽として珍重された(デジタル大辞泉)。

鷲羽根.jpg

(鷲羽根 https://qdou.exblog.jp/6120299/より)

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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2022年12月11日

酒呑童子


手足は龍の如くにて、長さ一丈三尺五寸、かしらは絵にかけれる酒顛童子(しゅてんどうじ)の如くなり(曽呂利物語)、

にある、

酒顛童子、

は、

酒呑童子、

とも当てるが、

鬼形をもって財を掠め、婦女子を略奪した伝説の妖怪。丹波大江山や近江国伊吹山に住んだ、

とある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。南北朝時代頃成立した御伽草子、

酒呑童子、

をはじめとして、絵巻・草双紙・謡曲・古浄瑠璃・歌舞伎などの題材となった(広辞苑)。

大江山絵巻(絵詞).jpg


酒天童子、
朱点童子、
酒典童子、
酒伝童子

等々とも記される(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%85%92%E5%91%91%E7%AB%A5%E5%AD%90・日本伝奇伝説大辞典)。

鬼の頭領、
あるいは、
盗賊の頭目、

とされ、

酒が好きだったことから、手下たちからこの名で呼ばれていた、

とある(仝上)。彼が本拠とした大江山では洞窟の御殿に住み棲み、茨木童子などの数多くの鬼共を部下にしていた、という。伝承では酒呑童子は最終的に源頼光とその配下の渡辺綱たちに太刀で首を切断されて打倒された(仝上)とされる。東京国立博物館が所蔵する太刀、

童子切、

は酒呑童子を退治した伝承を持ち、また源氏所縁の多田神社(兵庫県川西市)が所蔵する安綱銘を持つ太刀、

鬼切丸、

も酒呑童子を退治した伝承を持っている(仝上)。

一条天皇のころ(986~1011)大江山に城を構え平安京を脅かした、

という説話の原型は南北朝時代には成立していたと考えられ、14世紀後半の『大江山絵詞』が現存する最古の絵巻とされている(朝日日本歴史人物事典)。

大江山の酒呑童子と源頼光主従 (歌川芳艶 江戸時代).jpg

(大江山の酒呑童子と源頼光主従 (歌川芳艶) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%85%92%E5%91%91%E7%AB%A5%E5%AD%90より)

諸本は大別すると二種類あり、童子の住処を丹波国大江山とする、

大江山系、

と、それを近江国伊吹山とする、

伊吹山系、

に分かれるとされるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%85%92%E5%91%91%E7%AB%A5%E5%AD%90。ただこの分け方には異論・慎重論もあるようだが。大江山系とされるのは、

『大江山絵詞』(逸翁美術館所)、江戸時代の『御伽草子』版本(渋川本)、

伊吹山系とされるのは、室町時代成立の、

『酒伝童子絵巻』(サントリー美術館)、『伊吹山絵詞』、『伊吹童子』、『土蜘蛛草紙』

になる(仝上)。渋川版『酒呑童子』によれば、

童子は越後(新潟県)に生まれ、山寺の稚児となったが法師を殺して出奔し、丹後国大江山にたどり着く。出生については、戸隠山の申し子で美貌の持ち主であったが、もらった恋文を焼き捨てようとして上がった煙に巻かれ鬼に変じてしまった、

となり、伊吹山系だと、

ヤマタノオロチ(伊吹大明神=山の神)の子で比叡山に児として入ったが、祭礼のときにかぶった鬼の面が肉に吸い付いて取れなくなり、そのまま鬼になってしまった、

となる(朝日日本歴史人物事典)。

伝承の内容は、

池田中納言の娘が鬼にさらわれて、悲しみのあまり帝に奏聞したところ、源頼光(よりみつ)に退治を命じたので(日本大百科全書)、

渡辺綱(わたなべのつな)、
碓井定光(うすいさだみつ)、
卜部季武(うらべすえたけ)、
坂田公時(きんとき)、

の四天王と、

藤原保昌(やすまさ)らを従え、羽黒の行者を装って、「鉄の御所」にたどり着き、童子の歓待を受ける。神から授けられた毒酒により童子らが酔いつぶれたのを見計らって、隠していた鎧兜に身を固め、住吉・八幡・熊野の三社の神々の力を借りてついに童子の首を切り落とす。さらに茨城童子ら配下の鬼たちも残らず退治し、さらわれていた姫君たちを連れて都に凱旋する、

というもの(仝上・朝日日本歴史人物事典)だが、平安末期に、

このあたり(大江山や伊吹山)が山賊の巣窟になっていたことから生まれた伝説に、頼光(らいこう)四天王の武勇譚(たん)が付会されて、

御伽草子などの題材となった(仝上)とされる。この酒呑童子は、

京の治安を乱すだけの存在ではない。神の申し子として京の王権、京の「秩序」とは対立する、もうひとつの「秩序」=「反秩序」を象徴する存在である。それゆえ勅令によって、「秩序」の側に立つ申し子である坂田金時らに退治される必然性があった。つまり、酒呑童子に代表される鬼退治譚は反「反秩序」=「秩序」としての、王権の正統性を強化する王権説話にほかならないのである、

との解釈もある(仝上)。

なお、「酒呑童子」の「しゅてん」については、定説はないが、

越後の産、奇怪なる行ひ多く六歳の頃谷底に捨てられたる者(前太平記)、

とあり、また、

大江山捨子のこうろへたのなり、

とも言われ、

捨て童子、

を原義とするという説がある(日本伝奇伝説大辞典)。

鳥山石燕『今昔画図続百鬼』より「酒顚童子」.jpg

(「酒顚童子」(『今昔画図続百鬼』) 鳥山石燕『画図百鬼夜行全画集』より)

鳥山石燕は、

大江山いく野の道に行(ゆき)かふ人の財宝を掠(かすめ)とりて、積(つみ)たくはふる事山ごとし。轍耕録(てつこうろく 元末の1366年に書かれた陶宗儀の随筆)にいはゆる鬼贓(きざふ)の類なり。むくつけき鬼の肘(かいな)を枕とし、みめよき女にしやくとらせ、自(みづか)ら大杯(おおさかづき)をかたぶけて楽しめり。されどわらは髪に緋の袴きたるこそやさしき鬼の心なれ。末世に及んで白衣(びやくゑ)の化物出(いずる)と聖教にも侍るをや、

と記す(『今昔画図続百鬼』)。

参考文献;
乾克己他編『日本伝奇伝説大辞典』(角川書店)
鳥山石燕『画図百鬼夜行全画集』(角川ソフィア文庫)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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2022年12月12日

来国光


漸(ようよ)うに押し寛げ、相伝の来国光を以つて払い切りにぞしたりける(曽呂利物語)、

にある、

来国光、

は、

鎌倉末期の名工来国光が作った刀、

とある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。

「来国光(らいくにみつ)」は、

鎌倉末期の刀工、

で、

来国俊の子。鎌倉末期を飾る来派の名工で、その作になる現存の太刀、短刀は多い、

とある(精選版日本国語大辞典)。「来派(らいは)」は、

日本刀の刀工の流派の一つ、

で、

大和伝、
山城伝、
備前伝、
相州伝、
美濃伝、

という

日本刀の五大刀工流派、

である、

五箇伝、

のうち、

山城伝、

に属する。鎌倉時代中期から南北朝時代にかけて山城国(京都府)で活動した。主な刀工に、

国行、
国俊(二字国俊)、
来国俊、
来国光、
来国次、

らがいるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%A5%E6%B4%BEとある。五箇伝は、

令制国の大和国・山城国・備前国・相模国・美濃国、

を発祥とし、これらを系統づけたのは、代々足利将軍家に使えた研師で、豊臣秀吉以後は刀の鑑定も務めた、

本阿弥家、

で、最終的に、

本阿弥光遜がまとめ上げた(仝上)とある。現在、確認できる五箇伝の刀工数は、

備前4005、美濃1269、大和1025、山城847、相州438、

という(仝上)。これ以外の小さな流派は、

脇物、

といったらしい。

来国光 (2).jpg

(来国光(九州国立博物館) https://collection.kyuhaku.jp/gallery/8252.htmlより)

「来派」の作風の特徴は、

総じて身幅広く、反り高く、中切先が猪首となった姿のものが多い。反りは、刃長の中程に反りの中心がある鳥居反り(輪反り、京反り)となるものが典型的、

とあり(仝上)、地鉄は、

小板目肌良く詰み、細かな地沸が一面につく。沸映りが見られる、

のが特色で、

来肌、

と称して、

鍛えの弱い肌が片面、もしくは両面の一部に現れる、

ことが多いとされ、鑑定上の見所とされている。「刃文」は、

直刃(すぐは)、あるいは直刃に小乱や小丁子を交える、

のを基本とする(仝上)らしい。なお、「小乱れ」は、

不規則な乱れ、

「小丁子」は、

丁子、

で、

「丁子」という植物の実を連ねた形や、これを模様化した丁子文に似ている刃文、

とあるhttps://www.touken-world.jp/difficult-word/komidarekogunomekochojinohagamajiri/

「来国光」の作品には、相州伝の影響を受けたと思われる、乱れ刃や沸(にえ)の働きの強いものも見られる、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%A5%E6%B4%BE。「沸(にえ)」は、

刃文を構成する鋼の粒子が肉眼で1粒1粒見分けられる程度に荒いもの、

をいい、

1粒1粒見分けられず、ぼうっと霞んだように見えるものを、

匂(におい)、

と称する。沸も匂も冶金学上は同じ組織である。沸と同様のものが地の部分に見えるものを地沸と称する(仝上)。

「来国光」は、通説では、

来国俊」(らいくにとし)の嫡男、

と伝わっているhttps://www.touken-world.jp/sword-artisan-directory/rai-kunimitsu/。ただ、

来国俊の次男や弟、孫とする説、
来国行(らいくにゆき)、もしくは来国秀(らいくにひで)の子とする説、
来国友(らいくにとも)の弟子であるとする説、

等々、異説も多い(仝上)、

謎の多い刀工、

らしい。

刀工は通常、自分の得意な作風を前面に押し出して作刀しますが、初代 来国光には、そのような傾向は見られません。これが窺えるのは、例えば刀身の身幅(みはば)。太刀、及び短刀において、身幅の広い作例と狭い作例の両方があります。刃文も同様で、「直刃」(すぐは)もあれば、「乱刃/乱れ刃」(みだれば)も見られる、

し、

乱刃/乱れ刃は、「小乱」(こみだれ)と「大乱」(おおみだれ)、それぞれを基調とした作例、

もあり、作風は、

大部分の姿が豪壮な物で、焼刃の働きも多くなっており、迫力、

があるhttps://www.touken-world.jp/search/6266/が、

多種多様な作風を得意としていた、

ようであるhttps://www.touken-world.jp/sword-artisan-directory/rai-kunimitsu/

なお、「かたな」http://ppnetwork.seesaa.net/article/450320366.html?1549439317、「太刀」http://ppnetwork.seesaa.net/article/464272047.htmlについては触れた。

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
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2022年12月13日

一条戻り橋


いつの頃にか有りけん、都のもどり橋の辺に、夜な夜な変化のもの有りと云ひわたる事あり(曽呂利物語)、

とある、

もどり橋、

は、

一条戻り橋、

のことで、

堀川の一条大路に架かる。古代、中世を通じて京域の境とされ、多くの伝承を生んだ。橋名の由来は、「一条の橋をもどり橋といへるは、宰相三善清行のよみがへり給へるゆへに名付けて侍る」(『撰集抄』)とされている、

とある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。

一条戻り橋(都名所図会).jpg

(一条戻り橋(都名所図会) https://www.nichibun.ac.jp/meisyozue/kyoto/page7/km_01_015.htmlより)

『都名所図会』には、

戻橋(もどりばし)は一条通堀川の上にあり。安倍晴明十二神将をこの橋下に鎮め事を行なふ時は喚んでこれを使ふ。世の人、吉凶をこの橋にて占ふ時は神将かならず人に託して告ぐるとなん。『源平盛衰記』に中宮御産の時二位殿一条堀川戻橋の東の爪に車を立てさせ、辻占を問ひ給ふとなん。また三善清行(みよしきよつら)死する時、子の浄蔵、父に逢はんため、熊野・葛城を出て入洛し、この橋を過ぐるに及んで父の喪送に遇ふ。棺を止めて橋上に置き、肝胆を摧き、数珠を揉み、大小の神祇を禱り、遂に咒力陀羅尼の徳によって閻羅王界に徹し、父清行(きよつら)忽ち蘇生す。浄蔵涙を揮ふて父を抱き、家に帰る。これより名づけて世人戻橋といふ。これ洛陽の名橋なり。

とあるhttps://sites.google.com/site/miyakomeisyo/home/maki-no-ichi--heian-jou-kubi/modo-hashi

この橋は、

794年の平安京造営に際し、平安京の京域の北を限る通り「一条大路」に堀川を渡る橋として架橋された、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E6%9D%A1%E6%88%BB%E6%A9%8Bが、文献上は、平安中期の『権記』(藤原行成の日記)の長徳四年(998)の条に見えるのが最も古いとされる(日本伝奇伝説大辞典)。当時は、一条大路を、

戻橋路、

と呼んだとある(仝上)。

橋は、何度も作り直され、現在も当時と同じ場所にある。

平安中期以降、堀川右岸から右京にかけては衰退著しかったために、堀川を渡ること、即ち戻り橋を渡ることには特別の意味が生じ、さまざまな伝承や風習が生まれる背景となった、

という(仝上)。

一条戻橋(いちじょうもどりばし).jpg

(一条戻橋(いちじょうもどりばし)晴明神社に復元された架替前のもの https://sites.google.com/site/miyakomeisyo/home/maki-no-ichi--heian-jou-kubi/modo-hashi

「一条戻り橋」は、

洛中と洛外を分ける橋である、

と同時に、

この世とあの世の境目、

という意味も持っているとも言われ(仝上)、『平家物語』では、

源頼光の頼光四天王の一人、渡辺綱が、鬼の腕を太刀で切り落とした場所、

と伝える。また、

願い事をすると陰陽師・安倍晴明が橋の下に隠した式神・十二神将が橋を渡る人の口を借りてお告げをする「橋占」としても有名、

とあり、

平時子は娘の建礼門院徳子が高倉天皇の子・安徳天皇を生む際、難産なため橋の東のたもとで橋占を行った、

とされている(仝上)。

一條戻り橋の邉にて髭切丸の太刀を以茨鬼童子の腕を斬..jpg

(渡辺綱・一條戻り橋の辺にて髭切丸の太刀を以茨木童子の腕を斬((歌川国芳) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%A1%E8%BE%BA%E7%B6%B1より)

「戻り橋」の名の由来は、上記中にもあった通り、鎌倉後期の仏教説話集『撰集抄』に、

一条の橋をもどり橋といへるは、宰相三善清行のよみがへり給へるゆへに名付けて侍る。源氏宇治の巻に、ゆくはかへるの橋なりと申たるは是なり、

とあるのによる。それは、

三善清行が病篤くなり、熊野にいた子浄蔵が急ぎ帰ったが、すでに善行は没し、野辺の送りの一行とこの橋の上で出会い、父の棺に向かって加持祈祷すると善行が蘇生した、

という話である。この橋は、前述の通り、

京の内外をわかつ、

だけではなく、

橋占い、

の場所としても知られ、『源平盛衰記』に、

一条戻橋と云ふは、昔安倍晴明が天文の淵源を極めて、十二神将を仕ひにけるが、其妻、職神の貌に畏れければ、彼十二神を橋の下に呪し置きて、用事の時は召仕ひけり。是にて吉凶の橋占を尋ね問へば、必ず職神、人の口に移りて、善悪を示すと申す、

とある。こうした伝承のせいか、

今も婚儀の際はこの橋を通行せず、古は旅立には態(わざ)とこの橋を通って発足したという、

という民俗もあったようである(大辞典)。

一条戻橋.jpg

(一条戻橋(堀川の水流が戻る前の一条戻橋) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E6%9D%A1%E6%88%BB%E6%A9%8Bより)

現在の一条戻橋.jpg

(現在の一条戻橋 https://www.digistyle-kyoto.com/magazine/10861より)

ただ、「もどる」http://ppnetwork.seesaa.net/article/489522919.htmlで触れたように、「もどる」は、

モドは、モドク(擬)・モヂル(捩)と同根、物がきちんと収まらず、くいちがい、よじれるさま、

とあり(岩波古語辞典)、

もとる(悖る)と同根、

ともある(仝上)。しかし、

モトホルの転、

ともある(広辞苑)。柳田國男は、「戻る」には、

元来引き返す、遁げて行くという意味はなかったように思います。漢字の戻も同様ですが、日本語の「戻る」という語は古くは「もとほる」といって、前へも行かず後へも帰らず、一つ処に低徊していることであったのです、

と指摘した(女性と民間伝承)上で、いわゆる「戻橋」についても、

橋占、辻占を聴くために、人がしばらく往ったり来たりして、さっさと通ってもしまわぬ橋というのでありました、

ことを傍証として挙げている(仝上)。

「もとほる」は、

廻る、
徘徊、

などと当て(岩波古語辞典・大言海)、新撰字鏡(898~901)に、

邅、毛止保留(もとほる)、

類聚名義抄(11~12世紀)に、

紆、モトホル、マツフ・メグル、
纏、マツハル・モトホル、

色葉字類抄(1177~81)に、

繚、モトヲル、繞、旋、

等々とあり、多く、それを説明する漢字が、

邅(テン めぐる)、
紆(ウ めぐる)、
纏(テン まとう、まつわる、からまる)、

と、

よじれる、
くいちがう、

意ではなく、

めぐる、

や、それからの派生と思われる、

からまる、

の意としていたと見え、

神風の伊勢の海の生石(おひし)に這ひ廻(もと)ろふ細螺(しただみ)のい這ひもとほり撃ちてし止まむ(古事記)、

と、

ぐるぐると一つの中心をまわる、
めぐる、
まわる、

という意味である(岩波古語辞典・大言海)。「戻り橋」は「橋占」由来のほうが、上述の、

ゆくはかへるの橋(源氏物語)

の意味を合わせてみると、リアリティがある気がするのだが。

参考文献;
乾克己他編『日本伝奇伝説大辞典』(角川書店)

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ラベル:一条戻り橋
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2022年12月14日

おはぐろ


振り分けた髪の下よりも、並べたる角生(つのお)いたるが、薄化粧に鉄漿(かね)黒々とつけたり。恐ろしとも云はん方なし(曽呂利物語)、

とある、

鉄漿、

は、

おはぐろ、

の意で、

歯を染めるための黒い液、

とある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。

お歯黒を付ける女性/画・歌川国貞.jpg

(お歯黒を付ける女性(歌川国貞) デジタル大辞泉)

「おはぐろ」は、

御歯黒、
鉄漿、

と当て、上述の引用のように、「鉄漿」を、

かね、

と訓ませると、

みかたには鉄漿つけたる人はない物を、平家の君達でおはするにこそ(平家物語)、

と、

おはぐろの液、

を指す。これは、

茶の汁や酢、酒に鉄片を浸して酸化させたもの、

とある(広辞苑)が、具体的には、

主成分は鉄漿水(かねみず)と呼ばれる酢酸に鉄を溶かした茶褐色・悪臭の溶液で、これを楊枝で歯に塗った後、倍子粉(ふしこ)と呼ばれる、タンニンを多く含む粉を上塗りする。これを交互に繰り返すと鉄漿水の酢酸第一鉄がタンニン酸と結合し、非水溶性になると共に黒変する。歯を被膜で覆うことによる虫歯予防や、成分がエナメル質に浸透することにより浸食に強くなる、などの実用的効果もあったとされる、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%E6%AD%AF%E9%BB%92。毎日から数日に一度、染め直す必要があったという。また、

鉄屑と酢で作れる鉄漿水に対し、ヌルデの樹液を要する五倍子粉は家庭での自作が難しく、商品として莫大な量が流通した。江戸時代のお歯黒を使用する女性人口を3500万人とし、一度に用いる五倍子粉の量を1匁(3.75g)として、染め直しを毎日行っていたと仮定した場合、1日の五倍子粉の消費量は20トン弱になった、

と推定されている(仝上)。

お歯黒道具一式.jpg

(お歯黒道具一式(耳だらい、かねわん、かね沸かし、渡し金、お歯黒壺、ふし箱、房楊枝) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%E6%AD%AF%E9%BB%92より)

「お歯黒(おはぐろ)」は、

「歯黒め」の女房詞、

とあり(デジタル大辞泉)、和名類聚抄(平安中期)には、

黑齒、波久路女、

とある。もとは貴族の用語で、御所では、

五倍子水(ふしみず)、

民間では、

鉄漿付け(かねつけ)、
つけがね、
歯黒め(はぐろめ)、

等々ともいうhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%E6%AD%AF%E9%BB%92。日本をはじめ、世界各地で見られた風習で、

中国および東南アジアの少数民族地域において、現代でも、本式のお歯黒が見られる。主に年配の女性に限られ、既婚でも若い女性がお歯黒をする例は稀である、

とある(仝上)。日本では古代から存在し、その由来は、

お歯黒の起こりは日本古来からあったという説(日本古来説)、
南方民族が持って来たという説(南方由来説)、
インドから大陸、朝鮮を経て日本に伝わったという説(大陸渡来説)、

があるhttps://www.jda.or.jp/park/knowledge/index04.htmlが、初期には、

草木や果実で染める習慣、

があり、のちに、

鉄を使う方法が鉄器文化とともに大陸から伝わった、

とされる(仝上)。古墳に埋葬されていた人骨や埴輪にはお歯黒の跡が見られ、『山海経』には、

黒歯国(『三国志』魏志倭人伝では倭国東南方)、

があると記す(仝上)。天平勝宝五年(753)鑑真が持参した製法が東大寺の正倉院に現存し、その製造法は古来のものより優れていたため徐々に一般に広まっていった、とされる(仝上)。平安時代の末期には、

第二次性徴に達し元服・裳着を迎えるにあたって女性のみならず男性貴族、平氏などの武士、大規模寺院における稚児も行った。特に皇族や上級貴族は袴着を済ませた少年少女も化粧やお歯黒、引眉を行うようになり、皇室では幕末まで続いた、

とある。室町時代には一般の大人にも浸透したが、戦国時代に入ると、

結婚に備えて8〜10歳前後の戦国武将の息女へ、

成年の印、

して鉄漿付けを行ない、このとき鉄漿付けする後見の親族の夫人を、

鉄漿親(かねおや)、

いった。また、戦国時代までは戦で討ち取った首におしろいやお歯黒などの死化粧を施す習慣があり、

首化粧、
首装束、

呼ばれた。これは戦死者を称える行為であったが、身分の高い武士は化粧を施し身なりを整えて出陣したことから、鉄漿首(お歯黒のある首)は上級武士を討ち取ったことを示す証ともなった(仝上)とある。江戸時代以降は皇族・貴族以外の男性の間ではほとんど廃絶、また、悪臭や手間、そして老けた感じになることが若い女性から敬遠されたこともあって、

既婚女性、未婚でも18〜20歳以上の女性、
および、
遊女、芸妓、

の化粧として定着、農家においては祭り、結婚式、葬式、等特別な場合のみお歯黒を付けた(仝上)とある。ために、

江戸時代には既婚婦人のしるし、

となりデジタル大辞泉)、

まずは白い歯を染めて、「二夫にまみえず」との誓いの意味あい、

あったhttps://www.jda.or.jp/park/knowledge/index04.htmlとある。

お歯黒をつけているところ。江戸時代。芳年画.jpg

(お歯黒をつけているところ(月岡芳年) https://www.jda.or.jp/park/knowledge/index04.htmlより)


お歯黒の化粧をする女性 (『今風化粧鏡』、五渡亭国貞画).jpg

(お歯黒の化粧をする女性(『今風化粧鏡』(五渡亭国貞)  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%E6%AD%AF%E9%BB%92より)

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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2022年12月15日

肝煎る


あまた人の子を肝煎るとて、其の生(うみ)の親のかたよりは、金銀をとりて、おのれが物とし、其の子は此の河へ流せしとかや(百物語評判)、

にある、

肝煎る、

とは、

あっせんする、

意とある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。

肝を煎る、

意とある(日本国語大辞典)。「肝を煎る」とは、

おもひきりしに来てみえて、きもをいらする、きもをいらする(「閑吟集(1518)」)、

と、

肝を煎り焼くようにつらい思いをする、
気をもむ、

意で(岩波古語辞典)、その意味の派生で、

肝を焦がす、
肝を焼く、

とも言い、

心をいら立てる、
心を悩ます、
腹を立てる、

意で使う(精選版日本国語大辞典)。「肝煎る」は、

胸を焦がす、同趣、

とある(大言海)のはその意味である。そこから転じて、

心づかいをする、
熱心になる、

意で使い、その派生から、

色々きもをいらせられて、御地走なされたる衆を(虎明本狂言「雁盗人(室町末‐近世初)」)、
兼々(かねがね)滝川に恋する者ありて、きもをいり、返事待(まつ)事あるが(浮世草子「好色一代男(1682)」)、

等々と、

間に立って骨を折る、
世話をする、
取り持つ、

の意で使う(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)。

きもいる、

は、この意味の「肝を煎る」から出ている(仝上)。名詞「肝煎」が、

肝入、

とも当て、

室町時代や江戸時代の各種の団体の世話役、

の意で使い、室町時代の郷村や江戸時代の、

村の世話役、
村役人(庄屋・名主役)、

の意で使うのはこの意味の流れからきている。

肝煎る、

の語源が、

胸を焦がす意の肝煎る、

とする(大言海)のは意味があり、別に、

「肝を入れる」(とりもつこと)に由来する、

とする説(日本大百科全書)もあるが、

肝を入れるとする説は非、

とされ(上方語源辞典=前田勇)るように、もともと、

肝を煎る、

から派生した流れから見ると妥当に思える。

「肝」 漢字.gif


「肝」(カン)は、「肝胆」http://ppnetwork.seesaa.net/article/492437841.htmlで触れたように、

会意兼形声。干(カン)は、太い棒を描いた象形文字。幹(カン みき)の原字。肝は「肉+音符干」で、身体の中心となる幹(みき)の役目をする肝臓。樹木で、枝と幹が相対するごとく、身体では、肢(シ 枝のようにからだに生えた手や足)と肝とが相対する、

とある(漢字源)。

形声文字です(月(肉)+干)。「切った肉」の象形と「先がふたまたになっている武器」の象形(「おかす・ふせぐ」の意味だが、ここでは「幹」に通じ、「みき」の意味)から、肉体の中の幹(みき)に当たる重要な部分、「きも」を意味する「肝」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji291.html

「煎」 漢字.gif


「煎」(セン)は、

会意兼形声。前のりを除いた部分は、「止(あし)+舟」の会意文字。前は、それに刀印を加えた会意兼形声文字で、もと、そろえてきること。剪(セン)の原字。表面をそろえる意を含む。煎は「火+音符前」で、火力を平均にそろえて、なべの上のものを一様に熱すること、

とある(漢字源)。別に、

形声文字です(前+灬(火))。「立ち止まる足の象形と渡し舟の象形と刀の象形」(「前、進む」の意味だが、ここでは、「刪(セン)」に通じ(同じ読みを持つ「刪」と同じ意味を持つようになって)、「分離する」の意味)と「燃え立つ炎」の象形から、「エキスだけを取り出す為によく煮る」、「いる(煮つめる、せんじる(煎茶)」を意味する「煎」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji2170.html

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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2022年12月16日

きも


「きも」は、

肝、
胆、

と当てる。古くは、

吾が肉(しし)は、御膾(みなます)はやし、吾が伎毛(臓腑)も、御膾はやし(万葉集)、

と、

臓腑の総称、

をいい、

群(むら)ぎも、

ともいい、

いまも、鳥の臓腑をきもと云ひ、俗に雑物(ざふもつ)と云ふ、

とある(大言海)。その意味から、

汝(なが)肝(心)稚之(わかし)、若雖(とも)、心望(こころにおもふ)而勿諠言(とよぎそ)(推古紀)、

と(大言海は、沖縄の「おもろ」に「晝なればきも通ひ、夜なれば夢通ひ」、「きも」は心なりと、注記)、

心、
きもだましひ、
精神、
気力、
胆力、
思慮、

の意に広げ(岩波古語辞典・大言海)、

胆を潰す、
胆太し、
肝に染む、
肝を消す、
肝を冷やす、
肝を摧(くだ)く、
肝を煎る、
肝に銘ず、
肝に彫(え)りつく、

等々と使う(仝上)。さらに、

(この句は)恋の本意をも背き、月の肝をも失ふ(長短抄)、

と、

物事の肝要な点、
勘所、

の意でも使い(岩波古語辞典)、また、

余りにもきも過ぎてしてけるにこそ(沙石集)、

と、

工夫、
思案、

の意味にも使う(広辞苑)。意味の広がりの流れとしてはよく分かる。

また、臓腑の総称の意であった、

きもを、中国から、

五臓六腑の説、

入りて後、一臓の名、つまり、

かんのざう、

つまり、

肝臓、

の意で使うに至る(大言海)。和名類聚抄(平安中期)に、臓腑類に、心、肺、腎、膵、等の中に列挙して、

肝、岐毛、

とある。ただ、「きも」は、

肝臓、

と同一とは言いがたい。

胆囊、

としばしば混同され、他方では、

昔、魂の宿るところとされたところ、

とされ、心や魂を指す語だった(世界大百科事典)から、とある。

で、「きも」の由来は、

凝物(こりもの)の約轉(熾火(オコシビ)、おきび。着物(きるもの)、きもの)(大言海)、
キ(気)+モ(内臓)、肝臓に気持ちの内臓があると考えた(日本語源広辞典)、
キノモト(気元)の義(和訓栞)、
キノモト(木本)の義(日本釈名)、
キヲモツ(気持)の義(和句解)、
キム(気群)の転(言元梯)、

等々あるが、「気持ち」系の説が多いが、どうも後世の解釈のような気がして、少し疑問である。

それにしても、「きも」に関わる言い回しは多い。

肝が煎(い)れる(焼(や)ける) 腹が立つ。しゃくにさわって気がいらいらする。
肝が大(おお)きい 心が強くて物事に恐れない。度胸がある。
肝が小(ちい)さい 度胸がない。小心だ。
肝が潰(つぶ)れる(抜(ぬ)ける、消(き)える) ひどく驚く。びっくりする。肝消える。
肝が菜種(なたね)になる(肝が、油を絞る菜種粒のようにつぶれる意。一説、菜種粒のように小さくなる意とも、多く「あったら肝が菜種になった」の形で用いる) 非常に驚くたとえにいう。肝が潰れる。。
肝が太(ふと)い 胆力が大きい。大胆だ。また、ずぶとい。
肝砕(摧 くだ)く (「くだく」が四段活用の場合) きも(肝)を砕く、(「くだく」が下二段活用の場合)はなはだしく心が痛む。
肝に染(し・そ)む 深く感じて忘れない。心に銘ずる。感銘する。
肝に銘(めい)ず 心にきざみこむようにして忘れない。しっかり覚えておく。
肝の束(たばね) ①五臓六腑が一つに束ねられているものと見て、その束ね目。内臓の中で最も大切な所。急所中の急所、②物事に恐れない気力。きもったま、③物事の重要な所。要点。急所。
肝を煎(い)る ①心をいら立てる。心を悩ます。腹を立てる。肝を焦がす。肝を焼く、②心づかいをする。熱心になる、③世話をする。間を取り持つ。
肝を砕(くだ)く ①心配事や悩み事のために、あれこれと思い乱れる。心がさいなまれる、②心を尽して努め、考える。苦心して考えをめぐらす。
肝を消す ①きも(肝)を潰(つぶ)す、②心を尽くす。苦心する。心を砕く。
肝を据(す)える かたく決心する。覚悟をきめる。腹をすえる。
肝を出(だ)す(投(な)げ出(だ)す) 思い切ってする。負けぬ気を出す。
肝を潰(つぶ)す(拉(ひし)ぐ・飛(と)ばす) 非常に驚く。肝を消す。
肝を嘗(な)める ひどく苦しい思いをする。あだ討ちや物事を成功させるために苦しみを経験する。臥薪嘗胆。
肝を冷(ひ)やす 驚き恐れて、ひやりとする。
肝を焼(や)く(焦(こ)がす) きも(肝)を煎(いる)。
肝が据わる 度胸があり、わずかなことで驚いたりしない。
肝も興も醒める 「興醒める」を強めた言い方、すっかり面白みがなくなる。
肝を抜かれる 肝を潰すに同じ。

なお、

肝、
はらわた、
腑、

は、

ともに、

人の心の奥深いところ、

の意で使われ、「はらわた」も、

はらわたがちぎれる(悲しみやいきどおりなどに堪えられないさま)、
はらわたが腐っている、
はらわたが煮えくりかえる、

等々、「腑」も、

腑が抜ける(気力がなくなる)、
腑に落ちない(納得できない)、

等々の言い方があり、三者は、

「肝」「はらわた」は内臓をさす言葉だが、転じて精神、心をいうようになった。
「腑」は、はらわたと同意で、心や命の宿ると考えられるところ。
「はらわた」は、「腸」とも書く、

とある(小学館類語例解辞典)。

「膽」 漢字.gif

(「膽」 https://kakijun.jp/page/E45B200.htmlより)


「胆」 漢字.gif


「胆(膽)」(タン)は、

形声。詹(セン・タン)は、「高い崖+八印(発散する)+言」の会意文字。瞻(セン 高い崖の上から見る)・譫(セン うわずったでたらめをいう)などの原字。膽はそれを単なる音符として加えた字で、ずっしりと重く落ち着かせる役目をもつ内臓、

とある(漢字源)。「胆嚢」の意である。ただ、「胆略」「胆力」等々、勇気や決断力、肝っ玉の意をもっている。別に、

会意兼形声文字です(月(肉)+旦(詹))。 「切った肉」の象形と「屋根の棟(最も高い所)から、ひさし(屋根の下端で、建物の壁面より外に突出している部分)に流れる線の象形と音響の分散を表した文字と取っ手のある刃物の象形と口の象形」(「くどくど言う」の意味だが、ここでは、「ひさし」の意味)から、肝臓をひさしのようにして位置する器官、「きも」を意味する「膽」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji292.html。なお、「胆」は、

「膽」の略字で、音符の「詹」を同音の「旦」に変えた形声文字。『膽』は、「月」(肉) + 音符「詹」の形声文字、

https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%83%86、「胆」は「膽」の俗字とする(字源)のが一般的だが、別に、

①形声。肉と、音符旦(タン)とから成る。はだぬぐ意を表す。もと、但(タン)の別体字。一説に、膻(タン)の俗字という。
②形声。肉と、音符詹(セム→タム)とから成る。「きも」の意を表す。古くから、膽の俗字として胆が用いられていた。常用漢字はこれによる。

と別系統とする説もある(角川新字源)。

「肝」は、「肝煎る」http://ppnetwork.seesaa.net/article/494858626.html?1671045940で触れた。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:きも
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2022年12月17日

獺祭(だっさい)


河太郎も河獺(かわおそ)の劫(こう)を経たるなるべし。河獺は正月に天を祭る事、七十二候の一つにして、よく魚をとる獣なり(百物語評判)、

の、

河太郎も河獺(かわおそ)の劫(こう)を経たるなる、

とは、

獺(カワウソ)老而成河童者(元和本下学集)、

とある(『下學集』は、室町時代の意義分類体の辞書)のに基づく(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。

七十二候、

は、

陰暦で、一年を七十二分して季節の変化をあらわしたもの。その第二を「雨水」といい、「獺祭魚」とされている、

とある(仝上)。つまり、

河獺は正月に天を祭る事、七十二候の一つにして、よく魚をとる獣なり、

とあるのは、

七十二候(しちじゅうにこう)、

の、二十四節気でいうと、その第二、

正月中(通常旧暦1月内)、

の、

雨水、

の、

初候、

で、

立春末候の魚上氷の後、雨水次候の鴻雁来の前、

にあたる、

獺祭魚、

を指している。

七十二候は、「半夏生」http://ppnetwork.seesaa.net/article/482302156.htmlでも触れたが、

一年を72に分けた五日ないし六日を一候、

とするものだが、

二十四節気をさらに五日ないし六日ずつの3つに分けた期間、

になる。二十四節気の一気が、

15日、

なので、一候は、わずか五日程度、

そんなに気候が変わるわけはない、

はずである(内田正男『暦と日本人』)。

「二十四節気」は「をざす」http://ppnetwork.seesaa.net/article/481844249.htmlでも触れたが、

1年を春夏秋冬の4つの季節に分け、さらにそれぞれを6つに分けたもの、

で、

「節(せつ)または節気(せっき)」

「気(中(ちゅう)または中気(ちゅうき)とも呼ばれる)」

が交互にあるhttps://www.ndl.go.jp/koyomi/chapter3/s7.html。例えば、

春は、

立春(りっしゅん 正月節)、
雨水(うすい 正月中)、
啓蟄(けいちつ 二月節)、
春分(しゅんぶん 二月中)、
清明(せいめい 三月節)、
穀雨(こくう 三月中)、

で、夏の、

立夏(りっか 四月節)、
小満(しょうまん 四月中)、
芒種(ぼうしゅ 五月節)、
夏至(げし 五月中)、
小暑(しょうしょ 六月節)、
大暑(たいしょ 六月中)、

のうち、七十二候の「雨水」は、

太陽黄径330度、
立春から数えて15日目ごろ、から、次の節気の啓蟄前日まで、

で、古代中国夏王朝は、

雨水を年始、

と定めているhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%A8%E6%B0%B4。「雨水」は、七十二候では、

初候 土脉潤起(つちのしょううるおいおこる) 雨が降って土が湿り気を含む 獺祭魚  獺が捕らえた魚を並べて食べる
次候 霞始靆(かすみはじめてたなびく) 霞がたなびき始める 鴻雁来 雁が飛来し始める
末候 草木萌動(そうもくめばえいずる) 草木が芽吹き始める 草木萌動 草木が芽吹き始める

とわけるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%83%E5%8D%81%E4%BA%8C%E5%80%99)。

「獺祭魚(だっさいぎょ)」は、略して、

獺祭、

ともいい、

孟春之月、……獺祭魚(礼記・月令)、

とあるのに基づき(「孟」は初めの意、春の初め。初春。また、陰暦正月の異称)、

獺の魚を捕へて、食する前に、これを陳列する、

のを、俗に、

魚を祭る、

といい(字源)、

人が祭をなすとき、物を陳列するに似たれば云ふ、

とある(大言海)。

おそまつり、
うそまつり、

ともいう(精選版日本国語大辞典)が、それをメタファに、「獺祭魚」は、

李商隠為文、多検閲書冊、左右鱗次、號獺祭魚(談苑)、

と、

晩唐の詩人李商隠が、文章を作るのに多数の書物を座の周囲に置いて参照し、自ら「獺祭魚」と号した、

故に(精選版日本国語大辞典)、

詩文を作る時などに多くの参考書を散乱したるさま、

にもいう(字源)。

懐中暦.jpg



懐中要便七十二候略暦.jpg

(懐中要便七十二候略暦(明治11年〈1878年〉 https://www.benricho.org/koyomi/72kou.htmlより)


「獺」 漢字.gif


「獺」(慣用ダツ、漢音タツ、呉音タチ)は、

会意文字。「犬+瀬(川の浅瀬)」の略体」、

とある。

大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

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2022年12月18日

求聞持法


智遁といふ出家、浅間が嶽(たけ)に来たりて、求聞持(ぐもんじ)の法を行ひ度(たき)よし望みけるに(百物語評判)、

にある、

求聞持の法、

とは、

仏教密教修法の一つ、『虚空蔵求聞持法』に説く修法で、見聞したことすべてを記憶する術、求聞持法、

のこと(高田衛編・校注『江戸怪談集』)で、正確には、

仏教書、「虚空蔵菩薩能満所願最勝心陀羅尼求聞持法」、

の略称で、

虚空蔵菩薩を本尊として修する行法、

という(広辞苑・日本国語大辞典)。

虚空蔵菩薩.jpg

(絹本著色虚空蔵菩薩像(東京国立博物館蔵) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%99%9A%E7%A9%BA%E8%94%B5%E8%8F%A9%E8%96%A9より)

「虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)」は、

サンスクリット語アカーシャガルバĀkāśagarbhaの訳、

で、

宇宙のすべてのものを含み、虚空(大空)のように無量の福徳・智慧を具え、これをつねに衆生(しゅじょう)に与えて諸願を成就させる菩薩、

である(日本大百科全書)。

アーカーシャガルバ、

は、

「虚空の母胎」の意、

で、

広大な宇宙のような無限の智恵と慈悲を持った菩薩、

ということから、

智恵や知識、記憶といった面での利益をもたらす菩薩、

として信仰されhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%99%9A%E7%A9%BA%E8%94%B5%E8%8F%A9%E8%96%A9

明けの明星、

は虚空蔵菩薩の化身・象徴とされ、

明星天子、
大明星天王、

とも呼ばれる(仝上)。また、大日如来(にょらい)の福と智の二徳を本誓(ほんぜい 根本の誓願)とするため、同体とする菩薩が多い。たとえば、

金剛宝菩薩、
虚空庫菩薩(『理趣経』)、
金剛胎菩薩(『摂真実経』)、
地蔵菩薩、

がそれであり、だからこの菩薩の化身に、

明星(『虚空蔵神呪経(しんじゅきょう)』)、
日月星(『宿曜儀軌(しゅくようぎき)』)、

がある(日本大百科全書)とされる。

奈良時代に将来された求聞持(ぐもんじ)法以降、虚空蔵信仰が盛んとなり、曼荼羅(まんだら)にも描かれ、

胎蔵界(たいぞうかい)曼荼羅の虚空蔵院の中心仏、

その形像は、

菩薩形、

で、

右手に智慧を表す剣、左手に福徳を表す蓮華(れんげ)と如意宝珠(にょいほうじゅ)を持ち、頭上に五つの智慧を表す冠をかぶる、

とある(仝上)。この菩薩を本尊とする修法には、虚空蔵求聞持(ぐもんじ)法の他に、

虚空蔵菩薩法、

もある(世界大百科事典)らしい。

空海.jpg

(空海の肖像(真如様大師) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A9%BA%E6%B5%B7より)

求聞持法を行う人は、

山中など静かな場所で虚空蔵菩薩の絵を掲げ供養し、集中して息の続く限り虚空蔵菩薩の陀羅尼(だらに サンスクリット原文の言葉、ノウボウ アキャシャキャラバヤ オン アリキャマリボリソワカ)を唱える。疲れたらやめてよいが、毎日続けて行い、合計100万回を唱える。唱え終わったら、今度は日食・月食の日に再び陀羅尼を唱えながら蘇(そ 古代のチーズ)を作り、これを食べれば一度読んだ経典の内容を忘れない知恵を得る、

とあるhttps://edu.narahaku.go.jp/post_note/27/。この求聞持法を、

空海、

も「三教指帰」(さんごうしいき)に、

ここにひとりの沙門あり、余に虚空蔵求聞持を呈す。その経に説く、もし人、法によってこの真言一百万遍を誦すれば、すなわち一切の教法の文義、暗記することを得る、

と記しているように、若い頃に、

高知の室戸岬の洞窟、御厨人窟に籠もって虚空蔵求聞持法を修した、

とされ、

山岳修行の日々を過ごし、高知の室戸岬の崖上に座禅を組み、虚空蔵求聞持法を修行していた時に明けの明星である金星が口の中に飛び込んでくるという不思議な体験をした、

というhttps://yasurakaan.com/shingonshyu/kokuuzou-gumonji/。この、

明けの明星が口の中に飛び込んでくるという体験こそが虚空蔵求聞持法の真髄であり、明けの明星は虚空蔵菩薩の化身とされて、明星天子、大明星天王などと呼ばれることもありますので、この体験こそ虚空蔵菩薩と一体化した瞬間であり、轟音がして明星が飛来して、体が爆発して粉々に飛んでいくような物凄い体験なのです、

とある(仝上)。それによって空海は悟りを開き、

洞窟の中で空海が目にしていたのは空と海だけであったため、空海と名乗った、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A9%BA%E6%B5%B7

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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2022年12月19日

ちぶりの神


世のいはゆる道陸神(どうろくじん)と申すは、道祖神とも又は祖神とも云へり。(中略)和歌にはちぶりの神などよめり(百物語評判)、

にある、

ちぶりの神、

は、

ちふりの神、

ともいい、

旅の安全を守る神、

とあり、

行く今日も帰らぬ時も玉鉾のちぶりの神を祈れとぞ思ふ(袖中抄)、

を引いている(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。因みに、『袖中抄』(しゅうちゅうしょう)は、顕昭が著した鎌倉時代の歌学書である(仝上)。

「道祖神」は、「さえの神」http://ppnetwork.seesaa.net/article/489642973.htmlで触れたように、

塞(斎 さえ)の神、
道陸神(どうろくじん)、

ともいい、

塞大神(さえのおおかみ)、
衢神(ちまたのかみ)、
岐神(くなどのかみ)、
道神(みちのかみ)、

などとも表記される(日本大百科全書)。

障(さ)への神の意で、外から侵入してくる邪霊を防ぎ止める神(岩波古語辞典)
路に邪魅を遮る神の意(大言海)、
邪霊の侵入を防ぐ神、行路の安全を守る神(広辞苑)、
さへ(塞)は遮断妨害の意(道の神境の神=折口信夫・神樹篇=柳田國男)、

等々という由来とされ、近世には、

集落から村外へ出ていく人の安全を願う、
悪疫の進入を防ぎ、村人を守る神、

としてだけでなく、

五穀豊穣、
夫婦和合・子孫繁栄、
生殖の神、
縁結び、

等々、

性の神、

としても信仰を集めた。中国では、もともと、

祖餞、崔寔(さいしょく 四民月令の著者)四民月(しみんげつれい 後漢時代の年中行事記)令曰、祖道神也、……故祀以為道祖、

と(「文選」李善註)、

行路神、

として祀られていたらしいが、平安期の御霊信仰の影響で、

境の神、

としての信仰が盛んになった(日本昔話事典)。

「ちぶりの神」は、

道触の神、

と当て、

わたつみのちふりのかみにたむけするぬさのおひかぜやまずふかなん(土佐日記)

と、

陸路または海路を守護する神。旅行の時、たむけして行路の安全を祈った、

とされ、

道祖神、

のこととされる(広辞苑・精選版日本国語大辞典)が、

隠岐国の一宮、

である、

隠岐の西ノ島町の由良比女(ゆらひめ)神社、

は、由良比女命をまつる。この神は「ちぶり神」ともいはれ、海上安全守護の神として信仰されてきた、

とありhttp://nire.main.jp/rouman/fudoki/42sima17.htm

上記土佐日記の、

わたつみのちぶりの神に手向けするぬさの追ひ風やまず吹かなん(袖中抄)、

と言い、確かに旅の守護神だが、

海路の旅の安全を守る神、

の色彩が強いのではないか、という気がする。

由良比女神社・二ノ鳥居.jpg

(由良比女神社・二ノ鳥居 http://msw316.jpn.org/07ichinomiya/kikoubun/35oki/oki_ichinomiya.htmlより)


由良比女神社拝殿.jpg



由良比女神社・本殿.jpg


参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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2022年12月20日

垢ねぶり


垢ねぶりといふ物は、ふるき風呂屋にすむばけ物のよし申せり(百物語評判)、

にある、

垢ねぶり、

は、

垢舐、

とも当て、

人の垢をねぶりて生く、

とあり(大言海)、室町後期の国語辞書『林逸節用集』に、

垢舐、アカ子(ね)ブリ、温室中之蟲也、

とある。で、

風呂場に生ずる蟲の名、

とある(大言海)。だからか、

いもり(井守)の異名、

ともされる(精選版日本国語大辞典)。上記引用の『百物語評判』(1677年)の「垢ねぶりの事」にも、

凡そ一切の物、其の生ずる所の物をくらふ事、たとへば魚の水より生じて水をはみ、虱のけがれより生じて、其のけがれをくらふがごとし。されば垢ねぶりも、其の塵垢(じんこう)の気の、つもれる床呂より、化生(けしょう)し出づる物なる故に、垢をねぶりて身命をつぐ、

と説明していて、冒頭の、

垢ねぶりといふ物は、ふるき風呂屋にすむばけ物のよし申せり、

とあるのに対する回答として、こう答えているので、必ずしも「化け物」「妖怪」という見方を肯定しているとばかりは言えない。その後、しかし、鳥山石燕の妖怪画集、

『画図百鬼夜行』(1776年)、

では、

垢嘗(あかなめ)、

として、

風呂桶や風呂にたまった垢を嘗め喰う、

妖怪とされ、

足に鉤爪を持つざんぎり頭の童子が、風呂場のそばで長い舌を出した姿、

で描かれているhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9E%A2%E5%98%97

垢嘗 (2).jpg

(垢嘗(画図百鬼夜行) 鳥山石燕『画図百鬼夜行全画集』より)

垢舐(アカネブリ).jpg

(垢舐(アカネブリ)と入浴中の老女(『日東本草図纂』) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9E%A2%E5%98%97より)

さらに、後年になると、玄紀の、

『日東本草図纂』(1780年)、

では、

垢舐(あかねぶり)、

は、完全に妖怪に化し(仝上)、

嬰児に似て目は丸く舌が長い、

と記している(仝上)。その流を受けて、歌川芳員の、

『百種怪談妖物雙六』(1858年)では、

不気味な青黒い肌の妖怪、

として描かれている(仝上)。

垢嘗 歌川芳員.jpg

(「底闇谷の垢嘗」(歌川芳員『百種怪談妖物雙六』) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9E%A2%E5%98%97より)

本来、

垢ねぶり、

と、

垢嘗、

は、別系統だったはずだが、

妖怪、

とされることで、混同され、現在では、

垢嘗、
も、
垢ねぶり、

と同一視され、

垢嘗は古びた風呂屋や荒れた屋敷に棲む妖怪であり、人が寝静まった夜に侵入して、風呂場や風呂桶などに付着した垢を長い舌で嘗める、

とされてる(仝上)。当時の人々は、

垢嘗が風呂場に来ないよう、普段から風呂場や風呂桶をきれいに洗い、垢をためないように心がけていた、

というhttp://logdiary6611.blog.fc2.com/blog-entry-93.html。「垢」には、

心の穢れや煩悩、余分なもの、

という意味もあることから、

風呂を清潔にすることをし忘れるほど、穢れを身に溜めこんではいけないという教訓も含まれている、

との説もあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9E%A2%E5%98%97

なお、

垢舐(あかなめ)、

と当てると、

垢なめの歯にはさまつた灸のふた(柳多留)、

とある、

川瀬の底石に着く珪藻を鮎その他の淡水魚が餌として食べた跡、

の意、つまり、

喰跡(はみあと)、

の意になる(江戸語大辞典)。

参考文献;
鳥山石燕『画図百鬼夜行全画集』(角川ソフィア文庫)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
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