2022年12月03日
しきり
在所の近所に、くり舟あり。其の所にて、彼の牢人を呼ぶこと、頻(しき)り也(片仮名本・因果物語)、
とある、
頻(しき)り、
は、
動詞シキルの連用形から、
とも、
シク(頻)と同根、
ともある(岩波古語辞典・広辞苑)。
その年おほやけに物のさとし(不思議な前兆)しきりて(源氏物語)、
の、
しきる(頻)、
と、
新しき年の初めの初春の今日降る雪のいやしけ吉事(よごと)(万葉集)、
の、
しく(頻)、
とは同じ意味で、
度重なる、
つづけて起こる、
意である(明解古語辞典)。「しく」は、
しく(敷・及)と同根、
とある。「しく(敷・頷)」は、
一面に物や力を広げて限度まで一杯にする、すみずみまで力を及ぼす意、
とあり、「しく(及・如)」は、
追って行って、先行するものに追いつく意、
とあり、
しく(敷・頷)、
と、
しく(及・如)、
は同根とある(岩波古語辞典)。憶説だが、
追って先行するものに追いつく、
意と、それが、
限度いっぱい広がっていく、
意から、「しきり」の、
度重なる、
意につながったと、みえる。
だから、「しきり」は、
行(ゆ)き廻(めぐ)り見とも飽(あ)かめや名寸隅(なきすみ)の船瀬(ふなせ)の浜にしきる白浪(万葉集)、
と、
同じ事が何度も重なるさま、
後から後からつづくさま、
重ねて、
たびたび、
ひっきりなし、
の意と、そこから、
しきりに恋しがる、
というように、
物事の程度や、感情、熱意などの度合が強いさま、
むやみ、
やたら、
の意に、さらに、
繰り返される痛みの意から、
出産のまぎわに起こる痛み、
陣痛、
の意でも使われる(日本国語大辞典)。
その「しきり」に、「に」をつけた、副詞、
しきりに、
も、
天変しきりにさとし、世の中静かならぬは(源氏物語)、
と、
繰り返し、
たびたび、
の意と、
身にはしきりに毛おひつつ(平家物語)、
たいそう、
むやみに、
の意で使われる(学研全訳古語辞典)。「しきり」に「と」を付けた副詞、
しきりと、
も、
顔の汗をしきりと拭く、
と、
たびだひ、
の意、
しきりと水を欲しがる、
と、
ひどく、
むやみ、
の意で使う(大辞林)。なお、
頻りの年、
というと、
頻りの年より以来このかた、平氏王皇蔑如して、政道にはばかる事なし(平家物語)、
と、
近頃ひき続いての年、
近年、
連年、
の意で使う(広辞苑・岩波古語辞典)。
「頻」(漢音ヒン、呉音ビン)は、
会意文字。「頁(あたま)+渉(水をわたる)の略体」で、水際ぎりぎりに迫ること、
とある(漢字源)。別に、
会意。元字は「𩕘(瀕?)」で、「涉(渉:浅瀬を歩く)」+「頁(頭を強調した人、儀礼に関係)」。「頁」が不分明であるが(「説文解字」は「顰(眉を寄せる)」に関連付け、白川静は水辺の儀礼と解く)、音は「賓」「比」に通じ、ぴったりと迫るの意。水辺・水際を表し「瀕」「濱(浜)」と同義。ぎりぎりまで近づく(「瀕」)の意を生じ、相接することから、「しきりの」意を生じた、
とも(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%A0%BB)、
会意。頁と、涉(しよう=渉。𣥿は変わった形。步は省略形。水をわたる)とから成り、川をわたる人が顔にしわを寄せる、ひそめる意を表す。もと、瀕(ヒン)に同じ。借りて「しきりに」の意に用いる、
とも(角川新字源)、
会意文字です(もと、渉(涉)+頁)。「流れる水の象形(のちに省略)と左右の足跡の象形」(「水の中を歩く、渡る」の意味)と「人の頭部を強調した」象形(「かしら」の意味)から、水の先端「水辺」、「岸」を意味する「頻」という漢字が成り立ちました、
ともある(https://okjiten.jp/kanji1877.html)。だいたい趣旨は似ているようである。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
金田一京助・春彦監修『明解古語辞典』(三省堂)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95