手足は龍の如くにて、長さ一丈三尺五寸、かしらは絵にかけれる酒顛童子(しゅてんどうじ)の如くなり(曽呂利物語)、
にある、
酒顛童子、
は、
酒呑童子、
とも当てるが、
鬼形をもって財を掠め、婦女子を略奪した伝説の妖怪。丹波大江山や近江国伊吹山に住んだ、
とある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。南北朝時代頃成立した御伽草子、
酒呑童子、
をはじめとして、絵巻・草双紙・謡曲・古浄瑠璃・歌舞伎などの題材となった(広辞苑)。
酒天童子、
朱点童子、
酒典童子、
酒伝童子
等々とも記される(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%85%92%E5%91%91%E7%AB%A5%E5%AD%90・日本伝奇伝説大辞典)。
鬼の頭領、
あるいは、
盗賊の頭目、
とされ、
酒が好きだったことから、手下たちからこの名で呼ばれていた、
とある(仝上)。彼が本拠とした大江山では洞窟の御殿に住み棲み、茨木童子などの数多くの鬼共を部下にしていた、という。伝承では酒呑童子は最終的に源頼光とその配下の渡辺綱たちに太刀で首を切断されて打倒された(仝上)とされる。東京国立博物館が所蔵する太刀、
童子切、
は酒呑童子を退治した伝承を持ち、また源氏所縁の多田神社(兵庫県川西市)が所蔵する安綱銘を持つ太刀、
鬼切丸、
も酒呑童子を退治した伝承を持っている(仝上)。
一条天皇のころ(986~1011)大江山に城を構え平安京を脅かした、
という説話の原型は南北朝時代には成立していたと考えられ、14世紀後半の『大江山絵詞』が現存する最古の絵巻とされている(朝日日本歴史人物事典)。
(大江山の酒呑童子と源頼光主従 (歌川芳艶) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%85%92%E5%91%91%E7%AB%A5%E5%AD%90より)
諸本は大別すると二種類あり、童子の住処を丹波国大江山とする、
大江山系、
と、それを近江国伊吹山とする、
伊吹山系、
に分かれるとされる(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%85%92%E5%91%91%E7%AB%A5%E5%AD%90)。ただこの分け方には異論・慎重論もあるようだが。大江山系とされるのは、
『大江山絵詞』(逸翁美術館所)、江戸時代の『御伽草子』版本(渋川本)、
伊吹山系とされるのは、室町時代成立の、
『酒伝童子絵巻』(サントリー美術館)、『伊吹山絵詞』、『伊吹童子』、『土蜘蛛草紙』
になる(仝上)。渋川版『酒呑童子』によれば、
童子は越後(新潟県)に生まれ、山寺の稚児となったが法師を殺して出奔し、丹後国大江山にたどり着く。出生については、戸隠山の申し子で美貌の持ち主であったが、もらった恋文を焼き捨てようとして上がった煙に巻かれ鬼に変じてしまった、
となり、伊吹山系だと、
ヤマタノオロチ(伊吹大明神=山の神)の子で比叡山に児として入ったが、祭礼のときにかぶった鬼の面が肉に吸い付いて取れなくなり、そのまま鬼になってしまった、
となる(朝日日本歴史人物事典)。
伝承の内容は、
池田中納言の娘が鬼にさらわれて、悲しみのあまり帝に奏聞したところ、源頼光(よりみつ)に退治を命じたので(日本大百科全書)、
渡辺綱(わたなべのつな)、
碓井定光(うすいさだみつ)、
卜部季武(うらべすえたけ)、
坂田公時(きんとき)、
の四天王と、
藤原保昌(やすまさ)らを従え、羽黒の行者を装って、「鉄の御所」にたどり着き、童子の歓待を受ける。神から授けられた毒酒により童子らが酔いつぶれたのを見計らって、隠していた鎧兜に身を固め、住吉・八幡・熊野の三社の神々の力を借りてついに童子の首を切り落とす。さらに茨城童子ら配下の鬼たちも残らず退治し、さらわれていた姫君たちを連れて都に凱旋する、
というもの(仝上・朝日日本歴史人物事典)だが、平安末期に、
このあたり(大江山や伊吹山)が山賊の巣窟になっていたことから生まれた伝説に、頼光(らいこう)四天王の武勇譚(たん)が付会されて、
御伽草子などの題材となった(仝上)とされる。この酒呑童子は、
京の治安を乱すだけの存在ではない。神の申し子として京の王権、京の「秩序」とは対立する、もうひとつの「秩序」=「反秩序」を象徴する存在である。それゆえ勅令によって、「秩序」の側に立つ申し子である坂田金時らに退治される必然性があった。つまり、酒呑童子に代表される鬼退治譚は反「反秩序」=「秩序」としての、王権の正統性を強化する王権説話にほかならないのである、
との解釈もある(仝上)。
なお、「酒呑童子」の「しゅてん」については、定説はないが、
越後の産、奇怪なる行ひ多く六歳の頃谷底に捨てられたる者(前太平記)、
とあり、また、
大江山捨子のこうろへたのなり、
とも言われ、
捨て童子、
を原義とするという説がある(日本伝奇伝説大辞典)。
(「酒顚童子」(『今昔画図続百鬼』) 鳥山石燕『画図百鬼夜行全画集』より)
鳥山石燕は、
大江山いく野の道に行(ゆき)かふ人の財宝を掠(かすめ)とりて、積(つみ)たくはふる事山ごとし。轍耕録(てつこうろく 元末の1366年に書かれた陶宗儀の随筆)にいはゆる鬼贓(きざふ)の類なり。むくつけき鬼の肘(かいな)を枕とし、みめよき女にしやくとらせ、自(みづか)ら大杯(おおさかづき)をかたぶけて楽しめり。されどわらは髪に緋の袴きたるこそやさしき鬼の心なれ。末世に及んで白衣(びやくゑ)の化物出(いずる)と聖教にも侍るをや、
と記す(『今昔画図続百鬼』)。
参考文献;
乾克己他編『日本伝奇伝説大辞典』(角川書店)
鳥山石燕『画図百鬼夜行全画集』(角川ソフィア文庫)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95