垢ねぶりといふ物は、ふるき風呂屋にすむばけ物のよし申せり(百物語評判)、
にある、
垢ねぶり、
は、
垢舐、
とも当て、
人の垢をねぶりて生く、
とあり(大言海)、室町後期の国語辞書『林逸節用集』に、
垢舐、アカ子(ね)ブリ、温室中之蟲也、
とある。で、
風呂場に生ずる蟲の名、
とある(大言海)。だからか、
いもり(井守)の異名、
ともされる(精選版日本国語大辞典)。上記引用の『百物語評判』(1677年)の「垢ねぶりの事」にも、
凡そ一切の物、其の生ずる所の物をくらふ事、たとへば魚の水より生じて水をはみ、虱のけがれより生じて、其のけがれをくらふがごとし。されば垢ねぶりも、其の塵垢(じんこう)の気の、つもれる床呂より、化生(けしょう)し出づる物なる故に、垢をねぶりて身命をつぐ、
と説明していて、冒頭の、
垢ねぶりといふ物は、ふるき風呂屋にすむばけ物のよし申せり、
とあるのに対する回答として、こう答えているので、必ずしも「化け物」「妖怪」という見方を肯定しているとばかりは言えない。その後、しかし、鳥山石燕の妖怪画集、
『画図百鬼夜行』(1776年)、
では、
垢嘗(あかなめ)、
として、
風呂桶や風呂にたまった垢を嘗め喰う、
妖怪とされ、
足に鉤爪を持つざんぎり頭の童子が、風呂場のそばで長い舌を出した姿、
で描かれている(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9E%A2%E5%98%97)。
(垢嘗(画図百鬼夜行) 鳥山石燕『画図百鬼夜行全画集』より)
(垢舐(アカネブリ)と入浴中の老女(『日東本草図纂』) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9E%A2%E5%98%97より)
さらに、後年になると、玄紀の、
『日東本草図纂』(1780年)、
では、
垢舐(あかねぶり)、
は、完全に妖怪に化し(仝上)、
嬰児に似て目は丸く舌が長い、
と記している(仝上)。その流を受けて、歌川芳員の、
『百種怪談妖物雙六』(1858年)では、
不気味な青黒い肌の妖怪、
として描かれている(仝上)。
(「底闇谷の垢嘗」(歌川芳員『百種怪談妖物雙六』) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9E%A2%E5%98%97より)
本来、
垢ねぶり、
と、
垢嘗、
は、別系統だったはずだが、
妖怪、
とされることで、混同され、現在では、
垢嘗、
も、
垢ねぶり、
と同一視され、
垢嘗は古びた風呂屋や荒れた屋敷に棲む妖怪であり、人が寝静まった夜に侵入して、風呂場や風呂桶などに付着した垢を長い舌で嘗める、
とされてる(仝上)。当時の人々は、
垢嘗が風呂場に来ないよう、普段から風呂場や風呂桶をきれいに洗い、垢をためないように心がけていた、
という(http://logdiary6611.blog.fc2.com/blog-entry-93.html)。「垢」には、
心の穢れや煩悩、余分なもの、
という意味もあることから、
風呂を清潔にすることをし忘れるほど、穢れを身に溜めこんではいけないという教訓も含まれている、
との説もある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9E%A2%E5%98%97)。
なお、
垢舐(あかなめ)、
と当てると、
垢なめの歯にはさまつた灸のふた(柳多留)、
とある、
川瀬の底石に着く珪藻を鮎その他の淡水魚が餌として食べた跡、
の意、つまり、
喰跡(はみあと)、
の意になる(江戸語大辞典)。
参考文献;
鳥山石燕『画図百鬼夜行全画集』(角川ソフィア文庫)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95