小野小町が、秋風の吹くにつけても、あなめあなめなどと歌の上の句をつらねしためし、世をもつて伝へ知る所也(新御伽婢子)、
の、
あためあなめ、
とは、
小町の髑髏の目に薄が生え、夜になると、こういったという説話(袋草紙)から。あゝ、目が痛いの意。『通小町』にも「秋風の吹くにつけてもあなめあなめ小野とは言はじ薄生ひけり」、
とあると注記がある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)。
(小野小町(狩野探幽『三十六歌仙額』) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E9%87%8E%E5%B0%8F%E7%94%BAより)
「あなめ」は、『江家次第』(大江匡房 平安時代後期の有職故実書)に、
小野小町の髑髏どくろの目から薄すすきが生えて「あなめあなめ」と言ったとある、
のが初見(広辞苑)で、
あな、目痛し、
あるいは、
あやにく、
の意という(仝上)とある。『江家次第』には、
(在五中将(「在五」は在原氏の五男の意。位が近衛中将であったところからいう、在原業平(ありわらのなりひら)のこと)、陸奥に到りて、小野小町の屍を求めしに)終夜有聲、曰、秋風之、吹仁付天毛(ふくにつけても)、阿那目、阿那目、後朝求之、髑髏目中有野蕨、在五中将、涕泣曰、小野止波不成(とはならじ)、薄生計理(すすきおひけり)、卽歛葬、
とあり、袖中抄(しゅうちゅうしょう 12世紀末)では、
あなめ、あなめとは、あなめいた、あなめいた、と云ふ也、
とあり、さらに、『和歌童蒙抄』(藤原範兼(のりかね) 平安末期の歌学書)には、
野中を行く人あり、風の音のやうにて、此歌を詠ずる聲聞ゆ、其薄を取捨てて、其頭を、清き處に置き歸る、其の夜の夢に、吾れは、小野小町と云はれし者なり、嬉しく、恩をかうぶりぬると云へり、
とあり、
此の小野を、玉造の小野と云ひし由、
とある(大言海)等々多少の異同がある。この「玉造」とは、『宝物集』(平康頼(やすより)説 鎌倉初期の仏教説話集)に、
玉造小町子壮衰書(たまつくりこまちこそうすいしょ 平安後期の漢詩文作品)、
が出典であるとして、
老後の衰えと貧窮、若年時の色好みと栄花、
が述べられているが、この、
玉造小町子、
と、
小野小町、
は新井白石が『牛馬問』で、問題視して初めて、混同が指摘されるまで、同一視されてきて、古く、『袋草紙』(藤原清輔 平安末期の歌学書)でも、小野は、
住所ノ名カ、
とし、「玉造」を、
その姓、
としている。そうした同一視の中で、『十訓抄』(じっきんしょう/じっくんしょう 鎌倉中期の教訓説話集)や『古今著聞集』(ここんちょもんじゅう 橘成季編の鎌倉時代の世俗説話集)に代表される、
若く、男性との交渉が盛んであった頃は比類のない驕りの生活で、衣食にも贅を尽くし、和歌を詠じての日々であった。多くの男たちを見下し、女御や后の位をのぞんだものの、両親、兄弟をつきつぎに失い、一人破れ屋に住む身となり、文屋康秀(ふんや の やすひで 平安時代前期の官人・歌人)の任国(三河)下向にも随行し、ついに山野を浪々することになった、
という(日本伝奇伝説大辞典)、
小町伝説、
が形成されていく。因みに、親密だった文屋康秀は、三河掾として同国に赴任する際に小野小町を誘った際、小町は、
わびぬれば身をうき草の根を絶えて誘ふ水あらばいなむとぞ思ふ、
と返事した(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E5%B1%8B%E5%BA%B7%E7%A7%80)。この逸話をもとにした話が、『古今著聞集』や『十訓抄』載せられるようになったようである。
(年老いた小野小町(「卒塔婆の月」(月岡芳年『月百姿』)) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E9%87%8E%E5%B0%8F%E7%94%BAより)
こうした伝説の中には、『奥義書』(藤原清輔(『袋草紙』の著者) 平安末期の歌学書)で、謡曲『通小町』を淵源とするらしい、
深草の四位の少将が、小町の「車の榻(しじ 牛車(ぎっしゃ)に付属する道具の名。牛を取り放した時、轅(ながえ)の軛(くびき)を支え、または乗り降りの踏台とするもの)に百夜通え」という言を実行し、思いの叶う百日目を目前の九十九日目に生命絶えた、
という説話が載るが、この女性の態度は、
平安朝の女性としてはこうした男性拒否の姿勢は一般的、
で、必ずしも「小町」と結びつけられていなかったのに、古今集や伊勢物語の古注釈で、
男を拒否する強い女としての小町、
として、この、
百夜通い説話、
が、小野小町と一体化されていくことになる(仝上)。
こうして出来上がった小町伝説が、謡曲の『卒塔婆小町』や浄瑠璃、歌舞伎などの「小町」物になっていくことになる。
柳田國男は、各地に伝わる小町伝説に、「神話上の隘路」で度触れたように、和歌を媒体とした、
霊験唱導者、
の存在を想定していた。
参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
乾克己他編『日本伝奇伝説大辞典』(角川書店)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95