2023年01月20日

頼母子


大欲不道の男あり。隣郷に、頼母子(たのもし)といふ事をむすび置きて、或る時そこへ行きぬ(新御伽婢子)、

とある、

頼母子、

は、

無尽、

ともいい、

一定の期日に一定の掛け金を出し合い、全員に順々に一定の融通をする組合、

と注記がある(高田衛編・校注『江戸怪談集』)が、正確には、「頼母子」は、

憑子、
憑支講、
頼子講、

とも当て、

一定の期日ごとに講の成員があらかじめ定めた額の掛金を出し、所定の金額の取得者を抽選や入れ札などで決め、全員が取得し終わるまで続けるもの。鎌倉時代に成立し、江戸時代に普及した。明治以降、農村を中心として広く行なわれた、

のを言い(精選版日本国語大辞典)、

頼母子講、

は、

頼母子の組合、

を指す(大言海)が、「頼母子」のみでも、

頼母子講、

の意味で使われる。「講」は、

もともと寺や寺院に集まって宗教教育を行っていた「講義」の意味、

とされ、時代とともに、次第に宗教色が薄れて、

単なる集まり、

を指すようになったhttps://www.nihon-jm.co.jp/mujin/history/index.htmlとある。

鎌倉時代の建治元年(1275年)12月の高野山文書に、高野山中のある寺院の風呂場の修繕資金を調達する為に、

憑支(たのもし)、

が組織されたとあり、この憑支(たのもし)の当て字が、

頼母子、

になる。

母と子のように相互に頼む(依存する)、

という相互扶助の意味となるhttps://www.nihon-jm.co.jp/mujin/history/index.htmlが、鎌倉時代には、

憑支・無尽銭、

の名称が文献に現れ、室町時代に下ると広く普及して民間一般に行われていた(日本大百科全書)とある。

色葉字類抄(平安末期)には、

頼、たのもし、

室町時代の意義分類体の辞書『下學集』には、

憑子(たのもし)、日本俗、出少錢取多錢、謂之憑子也、

節用集にも、

日本世俗、出少銭取多銭也、又云合力、

建武式目(延元元年/建武3年11月7日(1336年12月10日)、室町幕府の施政方針を示した式目)には、

無尽錢、田乃毛志、

とある。

頼母子講.bmp

(「たのもし」(武蔵国いるまの郡みよしのの里の人狩するとてはたのもしをして狩也「異本紫明抄(1252~67)」) 精選版日本国語大辞典より)

「頼母子」は、

貸稲(いらしいね・たいとう)の遺風なり、

とあり(大言海)、律令以前、

春に貸されて、秋に稲にて利息を納めしめられる、

もので、

出挙稲(すいことう)、

といい(仝上)、色葉字類抄(平安末期)に、

出挙、イラシ、

とあり仝上)、

処処の貸稲を罷(や)むべし(孝徳紀)

と載る。「無尽」は、

無尽錢、

ともいい、

質物を伴う貸し金で、「無尽銭土倉」という質屋もあり、おそらくは「無尽財」の名による寺院の貸付金に由来する、

とあり(日本大百科全書)、本来は由来を異にし、鎌倉時代の、

無利子の頼母子という互助法、

に対し、室町時代の、

土倉が担保をとり、利子をとったもの、

を無尽といったとの違いがあった(旺文社日本史事典)とされるが、室町時代以後は頼母子と同義に用いられるに至った(仝上)。だから、「頼母子」の由来は、

たのもしい(頼)(精選版日本国語大辞典)、
タノム、タノミの意(日本大百科全書)、
相救いてたのもしき意(大言海)、

等々と、互助の含意が由来になっている。

江戸時代以後は、明治・大正期にも及んで頼母子・無尽は多彩な発展を示し、根幹の仕組みは共通ながら種々の型が生じ、大別すると、

仲間の共済互助を本義とするか、
金融利殖を主目的とするか、

の両型に分けられ、明治期に入っては営業無尽とよばれる専門業者による形を分派させた(仝上)。

仲間の共済互助を本義とする頼母子・無尽には、

社寺建立その他公共的事業の資金調達を主目的とするもの、
と、
個人的融資救済を主旨とするもの、

があり、両者とも通例「親無尽(親頼母子)」の形をとり、

特定者への優先的給付を旨とした。それを親、講元、座元、施主などといい、趣旨に賛同しての加入者を子、講衆、講員などとよんだ。社寺寄進はもちろん個人融資でも、親は初回「掛金」の全額給付を受けるほか、初回を「掛捨(かけすて)」と称し「親」の掛金を免除するのがむしろ通例であった、

とある(日本大百科全書)。こうした特定者の救済互助の仕組みが頼母子・無尽の原型で、社寺への寄進行為とのかかわりも深かった。しかし2回目以後は講員相互の金融に移り、一定の講日に参集して所定の「掛金」を拠出しあい、特定者への給付が順次行われて満回に至る(仝上)とある。発起人を、

親、
講元、

称したが、別段特権はなく、むしろ信用度が仲間を集める要因であり、またそうでなければ頼母子講は発起できなかった(仝上)とある。

江戸時代には、主として関西では、

頼母子、

関東では、

無尽と称される傾向があり、その仕組みは、概略、

①発起人である講親(こおうや)が、仲間である講中(こうちゅう)を募集して一つの講を結成。
②講運営の円滑化のため、掟や定めを作成、
③月一回ないし年一回、会合を開き、一口あたり(一人一口と限らない)の掛け金を持ち寄る、
④初回は講親が、第二回以降後は、抽せん・くじ引きまたは入札によって、講中が各回の掛け金獲得。
⑤全口が掛け金を取得したときをもって満会と称し、講を解散する、

となりhttps://komonjyo.net/life/mujin.html、落札者は、

入札(いれふだ、にゅうさつ)やくじ引きに再び参加する権利を失いますが、掛け金を納める義務は負います。これは講に対する債務の弁済にあたるところから、落札した者に質物の差し入れ、また落札によって受ける金銭の利子支払いを求められ、

決め方は、

抽せん、
と、
入札、

とがあり、

抽せん・くじ引きは関東、入札は関西に多い、

とされ、入札の場合は、

資金を欲するものが低い入札価格をつければ落札者になりえる、

が、余り低い入札価格では結果的に高利資金となってしまい互助の意味がなくなる(仝上)。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 04:56| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする