石塚

柳田國男『増補 山島民譚集』を読む。 本書は、 『甲寅叢書』の一冊として大正三年七月に刊行、 され、 七冊の続編が予定、 され、 長者ノ栄華、 長者没落、 朝日夕日、 黄金ノ雞、 椀貸塚、 隠里、 打出ノ小槌、 道(衢)ノ神、 石生長、 石誕生、 硯の水、 の続刊が予告されていたが、刊行されずに終わったといういわく付きの書…

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一緡

二岩の団三郎が相川の玄伯などに贈った一緡の錢は、使ひ残しの一文が再び元の一緡になると云ふ(山島民譚集)、 の、 一緡、 は、 ひとさし、 と訓むが、 いちびん、 と訓む漢語である。 (「緡」 https://kakijun.jp/page/bnmn15200.htmlより) 「緡」(漢音ビン、呉音ミン)は、 会意兼形声。暋(ビン)は…

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よむ

ヨムという我々の動詞はか算(かぞ)えること、また暗誦することをも意味していた(柳田國男「口承文芸史考」)、 とある、 よむ、 は、 読む、 詠む、 訓む、 誦む、 等々とあてる(広辞苑)。 「よむ」は、 一つずつ順次数えあげていくのが原義。類義語カゾフは指を折って計算する意、 とあり(岩波古語辞典)、 ぬばたまの夜渡る月を幾夜経(ふ…

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正法・像法・末法

一体、善悪の因果や吉凶得失の法は仏教の経典や他の書物に記されている。釈迦一代の教えの分を見ると、三つの時期に分けられる。一つは正法(しょうぼう)五百年、二つは像(ぞう)法千年、三つは末法万年である。釈迦が入滅して以来、延暦六年丁卯(787)まで千七百二十二年すぎた。正像の二つの時期がすぎて末法にはいった(「霊異記」下巻・序)、 とある、 正法(しょうぼう・しょうほう)、 像法(…

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脇士(きょうじ)

本堂の東側の脇士(きょうじ)の観音像の首が、理由もないのに切れて落ちた(霊異記)、 の、 脇士、 は、 仏の左右に侍る菩薩を脇士という、 とある(景戒(原田敏明・高橋貢訳)『日本霊異記』)。「三尊」で触れたように、 中央に立つ尊像を、 中尊(ちゅうそん)、 左右に従っているのを、 脇士、 というが、 挟み侍る、 意で(大…

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結節点

ハリー・スタック・サリヴァン(阿部大樹編訳)『個性という幻想』を読む。 本書は、編訳者が、 初出出典に基づいて 新しく訳出した日本語版オリジナルの論集、 である(編訳者まえがき)。 「ウォール街大暴落の後、サリヴァンが臨床から離れて、その代わりに徴兵選抜、戦時プロパガンダ、そして国際政治に携わるようになった頃に書かれたものから特に重要なものを選んで収録した。『…

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修多羅(すたら)

聖武天皇の世に、大安寺の修多羅(すたら)分の錢三十貫を借りて、越前の敦賀の港に行って物を買った(霊異記)、 とある、 修多羅、 は、 経典の意、 とある(景戒(原田敏明・高橋貢訳)『日本霊異記』)。 『東大寺要録』巻七に、修多羅供(すたらく)事の条があり、『続日本紀(しょくにほんぎ)』天平元年(729)閏五月二十日の詔を引用して説明している。大安寺、薬師寺…

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摂像(しょうぞう)

その山寺に執金剛(しつこんごう)神の摂像(しょうぞう)があった(霊異記)、 とある、 摂像、 は、 芯に木や針金で骨組みを作り、その上に塑土(そど)をつけて肉付けした像、 とある(景戒(原田敏明・高橋貢訳)『日本霊異記』)。 粘土をひねって作った像、 つまり、 塑像(そぞう)、 のことで、 摂像、 は、また、 せつぞう、…

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執金剛神(しつこんごうじん)

その山寺に執金剛神(しつこんごうじん)の摂像があった。行者は神像の脛に縄をかけて引き、昼も夜も休まなかった(霊異記)、 とある、 執金剛神、 は、 しつこんごうじん、 のほか、 しゅうこんごうじん、 しっこんごうじん、 しゅっこんごうじん、 とも訓み、 しゅうこんごう、 ともいう(精選版日本国語大辞典)。 執金剛神、 とは…

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優婆夷・優婆塞

利苅(とかり)の優婆夷(うばい)は河内国の人である。姓が利苅村主(とかりのすぐり)であるので字(あざな)とした(霊異記)、 とある、 優婆夷、 は、 仏道を修行している俗人の女性、 とある(景戒(原田敏明・高橋貢訳)『日本霊異記』)。 在家の女性仏教信者、 である。対する、在家の男性仏教信者は、 優婆塞(うばそく)、 という。 …

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五趣

我、身を受くること唯五尺余有りとは、五尺とは五趣の因果なり(霊異記)、 の、 五趣、 については、 五趣とは、地獄・餓鬼・畜生・人間・天上のこと、ここは前世で五趣をへめぐっている間になした行為が因となって、この世で五尺の身を受けたことをいう、 と注記がある(景戒(原田敏明・高橋貢訳)『日本霊異記』)。 五趣、 は、 五悪趣(ごあくしゅ)の略、 …

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大白牛車(だいびゃくごしゃ)

白米を捧げて乞食に献じるとは、大白牛車(だいびゃくぎっしゃ)を得を得むが為に、願を発し、仏を造り大乗経典を写し、真心をもって善因を行うことである(霊異記)、 にある、 大白牛車、 は、 法華経の譬喩品(ひゆほん)にある故事。大きな白い牛が引く、宝物で飾ってある車のことで、仏道の喩えとして出している、 とある(景戒(原田敏明・高橋貢訳)『日本霊異記』)。 大…

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千手の呪(まじない)

千手の呪(まじない)を持っている者を打って、死の報いを得た話(霊異記)、 の、 千手の呪(まじない)、 は、 呪とは陀羅尼のこと、ここは千手陀羅尼經の陀羅尼を指す、 とある(景戒(原田敏明・高橋貢訳)『日本霊異記』)。『梁塵秘抄』(第二巻陀羅尼品)にも、 ゆめゆめ如何にも毀(そし)るなよ、一乗法華の受持者をば、薬王勇施(ゆせ)多聞持國十羅刹の、陀羅尼を説い…

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日摩尼手(にちまにしゅ)

千手観音を信仰し、日摩尼手(にちまにしゅ)をたたえ、眼が見えるように祈った(霊異記)、 にある、 日摩尼手、 は、 千手観音の多くの手の中で、日摩尼(日精摩尼ともいう)の玉を持つ手をいう。日摩尼の玉は一切の闇を除くと信じられていた、 とある(景戒(原田敏明・高橋貢訳)『日本霊異記』)。 日摩尼(にちまに)、 の、摩尼は、 maṇi、 日宮…

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兜率天

弥勒菩薩が兜率天にいて、願いに応じて現れた(霊異記)、 とある、 兜率天、 とは、 仏教に六欲天の第四なり、須弥山の頂上十二万由旬に在り、摩尼宝殿又兜率天宮なる宮殿あり、無量の諸天之に住し、内院には弥勒ありて説法す、 という(画題辞典)。 六欲天の中下の三天は慾情に沈み、上の二天は浮逸多し、唯この天のみ浮沈の中間に在りて喜事遊樂多しと説かる、之を画けるもの…

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打出の太刀

打出(うちで)の太刀をはきて、節黒の胡簶(やなぐい 矢を入れ、右腰につけて携帯する道具)の、雁股(かりまた)に幷(ならび)に征矢(そや 戦闘に用いる矢。狩矢・的矢などに対していう)四十ばかりをさしたるを負ひたり(今昔物語)、 の、 打出の太刀、 は、 金銀を延べて飾った太刀、 と注記があり(佐藤謙三校注『今昔物語集』)、 節黒、 は、 矢柄(が…

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胡簶(やなぐい)

鎧、甲、胡簶(やなぐひ)、よき馬に鞍置きて、打出の太刀などを、各取り出さむと賭けてけり(今昔物語)、 にある、 胡簶(やなぐひ)、 は、 矢を入れ、右腰につけて携帯する道具、 で、 胡籙、 とも当て、 ころく、 とも訓ませ、奈良時代から使用され、 矢と矢を盛る箙(えびら 矢をさし入れて腰に付ける箱形の容納具)とを合わせて完備した物の…

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馬手・弓手

其の呼ぶ聲を弓手(ゆんで)ざまになして、火を火串(ほぐし 松明を固定させるための串)にかけていけば、……本(もと)の如く、馬手(めて)になして火を手に取りて行く時には、必ず呼びけり(今昔物語)、 の、 弓手、 は、 弓を取る手、左手、つまり、弓を射る時の正面になる、 とあり(佐藤謙三校注『今昔物語集』)、 馬手、 は、 馬の手綱を取る手、右手、…

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うちまき

うちまきの米を多(おほ)らかにかいつかみてうち投げたりければ、此の渡る者ども、さと散りて失せにけり。……されば、幼き兒どもの邊には、必ずうちまきをすべきことなりとぞ(今昔物語)、 とある、 うちまき、 は、 まよけの為に子供の枕もと等に米をまくのをいう。又その米をもいう、 とある(佐藤謙三校注『今昔物語集』)。 (うちまき 精選版日本国語大辞典より) …

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詠(なが)む

こぼれてにほふ花櫻かなと詠(なが)めれば、其の聲を院聞かせ給ひて(今昔物語)、 花を見る毎に、常にかく詠めけるなめりとぞ人疑ひける(仝上)、 などとある、 詠む、 は、 声を長くひく、また、声を長くひいて詩歌をうたう、 つまり、 真日中に、聲を挙げてながめけむ、まことに怖るべき事なりかし(仝上)、 と、 詩歌を吟詠する、 意で(広辞苑・…

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