2023年04月01日

味煎


何ぞ湯涌すぞと見れば、此の水と見ゆるは味煎(みせん)なりけり(今昔物語)、

とある、

味煎、

は、

甘味料、あまづら(植物)から取った汁をにつめる、

と注記がある(佐藤謙三校注『今昔物語集』)。

未煎、
蜜煎、

とも当て(大言海)、字鏡(平安後期頃)に、

未煎、ミセン(甘葛)、

とあり、

あまづらせん(甘葛煎)に同じ、

とあり(仝上)、

あてなるもの 薄色に白襲(しらがさね)の汗衫(かざみ)。かりのこ。削り氷にあまづら入れて、新しき鋺(かなまり)に入れたる。水晶の数珠。藤の花。梅の花に雪の降りかかりたる。いみじう美しき児(ちご)の、いちごなど食ひたる(枕草子)、

と、

あまづら、

とも言った(仝上)。

アマヅラ、

の、

ツラ、

は、

蔓なり、

とある。「つら」は、

連(つら)の義、

で、

今、つる(蔓)と云ふ、

とあり(仝上)、

甘蔓(あまづる)の意、

とある(岩波古語辞典)。

アマヅル.jpg


「甘葛煎」は、「甘茶」で触れたように、

アマヅル、
アマヅラ、

という、ブドウ科のつる性の植物から、

春若芽の出る前にそのツルを採って煎じ詰めて用いた(たべもの語源辞典)。

甘茶」には何種類かあるが、

甘葛煎、

も、

甘茶、

といった(大言海・たべもの語源辞典)。

「味煎」は、中世後期に砂糖の輸入がはじまり、近世になってその国内生産が増大するとともに、位置をゆずって消滅した(世界大百科事典)。

「甘葛」は、

アマチャヅル、

のこととする説があるが、「甘茶」で触れたように、

アマチャヅル、

は、

ウリ科、

の多年草で、これから、

甘茶、

をつくり、

ツルアマチャ、
アマカヅラ、

というが、別物である。

『甘葛考』(藤原清香).jpg

(甘葛 (『甘葛考』(藤原清香) 清香が甘葛の原料と考えた野生ブドウのスケッチ https://outreach.bluebacks.jp/project/home/20

また、今日、

アマヅル、

という、

男葡萄、

の名のある、

ブドウ科ブドウ属、学名Vitis saccharifera、

https://matsue-hana.com/hana/otokobudou.html、「アマヅラ」とも呼ばれた古くからある「アマヅル」とは別のようだが、

一般的にはブドウ科のツル性植物(ツタ(蔦)など)のことを指しているといわれる。一方で、アマチャヅルのことを指すという説もあり、どの植物かは明かではない、

とありhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%9E%E3%83%85%E3%83%A9、どの植物を指すかはっきりしない(仝上)という。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
清水桂一『たべもの語源辞典』(東京堂出版)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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2023年04月02日

経営(けいめい)


坊主の僧、思ひかけずと云ひて、経営(けいめい)す。然れども湯ありげもなし(今昔物語)、
俎(まないた)五六ばかり竝べて様々の魚鳥を造り、経営す(仝上)、

とある、

経営、

は、

何かと設備する、接待する、

意とある(佐藤謙三校注『今昔物語集』)。「経営」は、普通、

けいえい、

と訓み、今日、

会社を経営する、
経営が行き詰まる、

などと

継続的・計画的に事業を遂行すること、

特に、

会社・商業など経済的活動を運営すること、また、そのための組織、

の意で使う(広辞苑)が、「経営(けいえい)」は漢語で、

家屋をはかりいとなむ、

意で、

経始霊臺、經之營之(詩経・大雅)、

と使う、

経始(けいし)、

と同義で、

家屋を建て始める、

意で、

經、

は、
地を測量する、

意とあり(字源)、

經は、縄張なり、營は、其向背を正すなり、

ともある(大言海)。「縄張」は、

縄を張って境界を定める、

つまり、

建築の敷地に縄を張って建物の位置を定める、

意であり、

経始(ケイシ)、

と同義となる(大辞林)。

その意味で、原義は、上記の、

経始霊臺、經之營之、庶民攻之、不日成之(詩経・大雅)、

と、

営むこと、
造り構ふること、
基を定めて物事を取立つること、

の意になる(大言海)。そこから転じて、

欲経営天下、混一諸侯(戦国策)、

と、

事を計(はから)ふこと、

の意で使う(大言海)。日本でも、

仏殿・法堂……不日の経営事成て、奇麗の粧ひ交へたり(太平記)、

と、

なわを張り、土台をすえて建物をつくること、

の意や、それをメタファに、

御即位の大礼は、四海の経営にて(太平記)、

物事のおおもとを定めて事業を行なうこと、

特に、

政治、公的な儀式について、その運営を計画し実行すること、

の意や、

多日の経営をむなしうして片時の灰燼となりはてぬ(平家物語)、

と、

力を尽くして物事を営むこと、

さらには、上記の、

房主(ぼうず)の僧、思ひ懸けずと云ひて経営す、

と、

あれこれと世話や準備をすること、
忙しく奔走すること、

の意や、

傅(めのと)達経営して養ひ君もてなすとて(とはずがたり)、

と、

行事の準備・人の接待などのために奔走すること、
事をなしとげるために考え、実行すること、

の意で使う(広辞苑・日本国語大辞典)。「奔走する」意からの派生か、

弓場殿方人々走経営、……有火(御堂関白記)、

と、

意外な事などに出会って急ぎあわてること、

の意で使うが、「接待などのために奔走する」意と、「急ぎあわてる」意で使うとき、

けいめい、

と訓ませる(精選版日本国語大辞典)とある。さらに、「あれこれ工夫し考える」意の派生からか、

面白く経営したる詩也(中華若木詩抄)、



工夫して詩文などを作ること、

の意や、「考えめぐる」意の派生か、

諸国経営(ケイエイ)して(医者談義)、

と、

めぐりあるく、

意で使ったりする(仝上)。

この意味の流れからは、今日の、

継続的・計画的に事業を遂行すること、特に、会社・商業など経済的活動を運営すること、

の意は、「経営」の意の外延にあるといえる。

「經」 漢字.gif

(「經(経)」 https://kakijun.jp/page/E353200.htmlより)

「經(経)」(漢音ケイ、呉音キョウ、唐音キン)は、

会意兼形声。巠(ケイ)は、上の枠から下の台へ縦糸をまっすぐに張り通したさまを描いた象形文字。經は、それを音符とし、糸篇を添えて、たていとの意を明示した字、

とある(漢字源)が、

形声。もと「巠」が「經」を表す字であったが、糸偏を加えた、

ともhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%B6%93#%E5%AD%97%E6%BA%90

形声。織機のたて糸、ひいて、すじみち、おさめる意を表す、

とも(角川新字源)、

会意兼形声文字です(糸+圣(坙))。「より糸」の象形と「はた織りの縦糸」の象形から「たていと」、「たて」を意味する「経」という漢字が成り立ちました、

ともhttps://okjiten.jp/kanji745.htmlある。

「營」 漢字.gif

(「營」 https://kakijun.jp/page/9A7A200.htmlより)

「營(営)」(漢音エイ、呉音ヨウ)は、

会意兼形声。營の上部は、炎が周囲をとりまくこと。營はそれを音符とし、宮(連なった建物)を加えた字で、周囲をたいまつで取巻いた陣屋のこと、

とある(漢字源)。別に、

形声。意符宮(宮殿。呂は省略形)と、音符熒(ケイ→エイ 𤇾は省略形)とから成る。周囲に土を盛り上げた住居の意を表す。転じて「いとなむ」意に用いる、

とも(角川新字源)、

会意兼形声文字です(熒の省略形+宮)。「燃え立つ炎」の象形(「夜の陣中にめぐらすかがり火」の意味)と「建物の中の部屋が連なった」象形(「部屋の多い家屋」の意味)から、周囲にかがり火をめぐらせた「屋敷」を意味する
「営」という漢字が成り立ちました、

ともhttps://okjiten.jp/kanji829.htmlある。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
簡野道明『字源』(角川書店)

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2023年04月03日

恪勤


其の時一の人の御許に恪勤(かくごん)になむ候ひける(今昔物語)、

とある、

恪勤(かくごん)、

は、

侍、家人、

とある(佐藤謙三校注『今昔物語集』)。

「恪勤」は、

かっきん、
かくご、

などとも訓ませ、「ごん」は、

「勤」の呉音、

で(精選版日本国語大辞典)、

かくご、

は、

カクゴンの転、

で(岩波古語辞典)、

「かくごん」の撥音「ん」の無表記、

とある(大辞林・大辞泉)。

恪勤、

は、漢語で、

カッキン、

と発音、

朝夕恪勤、守以淳徳、奉以忠信(國語)、

とあるように、

つつしみてつとめる、

意であり、本来、

然纔行一二、不能悉行、良由諸司怠慢不存恪勤、遂使名宛員数空廃政事(続日本紀)

と、

任務に忠実なこ、
怠ることなく勤めること、

つまり、

精勤、

の意であり(精選版日本国語大辞典)、

かくごん、
かくご、
かっきん、

などと訓ませた(仝上・https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%81%AA%E5%8B%A4)。この、

任務や職務などをまじめに勤めること、

が、

令制では、官人の勤務評定の際、最も重要な項目の一つとされた、

ためか、平安時代、

凡称侍者、親王大臣以下恪勤之名也(職原抄)、

とあるように、

小一条院の御みやたちの御めのとのおとこにて、院の恪勤してさぶらひ給、いとかしこし(大鏡)、

と、

院、親王家、摂関家、大臣家、門跡などに仕えて宿直や雑役を勤仕する侍、

また、

その侍として仕えること、

の意に転じ(精選版日本国語大辞典・世界大百科事典)、

恪勤者(かくごしゃ)、

ともいわれ、

かくごん、

とも、

かくご、

とも訛った(精選版日本国語大辞典・広辞苑・https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%81%AA%E5%8B%A4)。さらに、武家でも、鎌倉幕府の職制が公家を模したためこの役も設置され、室町幕府にも受けつがれ、

権門高家の武士共、いつしか、諸庭奉行人と成り、或は軽軒香車の後(しりへ)に走り、或は青侍(せいし)挌勤(カクコ)の前に跪(ひざま)づく(太平記)、

と、

侍所に属して、宿直や行列の先走りなど、幕府内部の雑役に従事した小役、

で、のちに、

御末衆(おすえしゅう)、

と呼ばれ(仝上)、

恪勤侍(かくごのさむらい)、

などともいい(仝上・日本国語大辞典)、

かくごん、
かくご、

と訓ませた(仝上・https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%81%AA%E5%8B%A4)。同じ御所に仕える侍の中でも、将軍に近侍して警衛にあたった上級武士は、

番衆、

と呼ばれ、雑役にあたる下級の侍を、

恪勤、

と呼んだ(世界大百科事典)。

「恪」 漢字.gif


「恪」(カク)は、

会意兼形声。各(カク)は「口(かたいもの)+夊(あし)」の会意文字で、足がかたい物につかえて止まること、恪は「心+音符各」で、心がかたくかどばってつかえること、

とあり(漢字源)、「恪勤(カッキン)」の、つつしむ、堅苦しい意である。

「勤」 漢字.gif



「勤」 漢字.gif

(「勤」 https://kakijun.jp/page/1210200.htmlより)

「勤(勤)」(漢音キン、呉音ゴン)は、

会意兼形声。堇(キン)は、「廿(動物の頭)+火+土」の会意文字で、燃やした動物の頭骨のように熱気で乾いた土のこと。水気を出し尽して、こなごなになる意を含む。勤は、それを音符とし力を加えた字で、細かい所まで力を出し尽して余力がないこと。それから、こまめに働く意をあらわす、

とある(漢字源)。別に、

会意形声。「力」+音符「堇」。「堇」は「革」を下から火で炙り乾かす様、「乾」や「艱」と同系。余力がなくなるまで力を出し尽くして働く、

ともhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%8B%A4

会意兼形声文字です(菫+力)。「腰に玉を帯びた人(腰に帯びた玉の色から黄色の意味)と土地の神を祭る為に柱状に固めた土」の象形(「黄色の粘土」の意味)と「力強い腕」の象形から、力を込めて粘土をねりこむ事を意味し、そこから、「つとめる」を意味する「勤」という漢字が成り立ちました、

ともhttps://okjiten.jp/kanji1021.htmlある。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

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2023年04月04日

通天の犀


それを取りて開きて見れば、通天(つうてん)の犀(さい)の角のえもいはでめでたき帯あり(今昔物語)、

にある、

通天の犀、

は、

通天のさいの角のかざりのある帯、

とあり(佐藤謙三校注『今昔物語集』)、

延喜式(治部省)によると通天のさいはその角に光があって天に通じ、雞が見て驚くという、

とある(仝上)。

是は明月に当て光を含める犀の角か、不然海底に生るなる珊瑚樹の枝かなんど思て、手に提て大神宮へ参たりける(太平記)、

が引用されているが、

薬用にされ珍重された、

としかない(兵藤裕己校注『太平記』)。「通天の犀」については載るものが少ないが、

サイの一種、

をいい、また、

犀(サイ)ノ 角ガ通天犀ナレバナニカゴザロフヲヲビニシマショフ(「交隣須知(18C中)」)、

と、

その角。角は鋭く、長さは中国尺で一尺(約24.12センチメートル)以上もあり、よく水をはじく。帯の飾りや薬として用いられ、

通天犀(つうてんさい)、
通天、

ともいう(精選版日本国語大辞典)とある。別に、

水犀(すいさい、みずさい)、

ともいい、

幻獣の一種、

とありhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B4%E7%8A%80

その姿は体は馬、牛の四肢と尻尾を持ち、背中には亀の甲羅があり、額に巨大な角を持っている。その角には高い妖力がある、

とされ、

水を張った容器に入れたら水が真っ二つに別れる、
その角で火を起こせば数千里離れた場所からでも見える程に輝く炎が立つ、
その角で杯を作れば毒酒でも毒を浄化できる、

などの言い伝えがある(仝上)ともある。

霊獣・犀(サイ).jpg

(霊獣・犀(サイ) http://www.photo-make.jp/hm_2/sai_toubu.htmlより)


犀(さい)北野天満宮.jpg

(犀(北野天満宮三光門・蟇股) http://www.syo-kazari.net/sosyoku/dobutsu/sai/sai1.htmlより)

通天の犀、

は、寺社の建築装飾で欄間や蟇股(かえるまた)によく見られ、

境界を守るやら火災よけ、

とするらしい。東照宮建物の部位ごとに漆・彩色・金具の仕様を詳細に記載した『御宮並脇堂社結構書』(宝暦結構書)によると、

昔より水犀や通天犀と呼ばれ、建築や絵画・工芸品などに使われていた犀が、いつの間にか変形して体形は鹿に、背中には亀の甲羅を背負い、一角を持つ、体には風車紋、脚は細く偶諦である姿に変わった。犀は我が国で生まれた霊獣である、

とあるhttp://www.photo-make.jp/hm_2/sai_toubu.html

海馬、

といわれたり、

天鹿(てんろく)、

といわれたりするhttp://www.syo-kazari.net/sosyoku/dobutsu/sai/sai1.htmlともある。また、

霊犀(れいさい)、

ともいい、

心有霊犀一点通(李商隠・無題詩)、

とあるのが、

心と心が一筋通いあうのを、霊力があるとされる通天犀の角の、根元から先端まで通う白い筋にたとえた、

こと(デジタル大辞泉)から、あるいは、また、

犀の角は中心に穴ありて両方に相通ず、

こと(字源)から、

人の意志の疎通投合する(仝上)、
互いの意志が通じあう(デジタル大辞泉)、

意で使う。

通天御帯(つうてんぎょたい)、

という言葉があり、

通天犀にて飾りし天子の帯、

とある(字源)。ただ、これと、

獻象牙犀角瑇瑁(タイマイ)(御漢書)、

とある、

薬用とする、

犀角(さいかく)、

とは別のもののようである(字源)。

インドサイ.jpg

(鎧のような皮膚と、頭部の角を持つインドサイ https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%82%A4より)

水犀(すいさい)、

とは、

夫差衣水犀之甲者(越語)、

とあり、

水に住む犀の一種、

とある(仝上)。

ただ、水犀の口伝から、現実のサイと混同され、

アジアに分布する犀が角を目当てに乱獲された、

とありhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B4%E7%8A%80、現在サイは、アフリカ大陸の東部と南部(シロサイ、クロサイ)を除くと、

インド北部からネパール南部(インドサイ)、
マレーシアとインドネシアの限られた地域(ジャワサイ、スマトラサイ)、

にのみ分布しているhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%82%A4

「犀」 漢字.gif


「犀」(漢音セイ、呉音サイ)は、

会意文字。「牛+尾」。ただし、本字は、「尸+辛」で、牙がするどいこと、

とある(漢字源)が、意味がよく分からない。他は、

形声。牛と、音符尾(ビ→セイ)とから成る(角川新字源)、

会意文字です(尾+牛)。「獣の尻の象形を変形したものと毛の生えているさまを表した象形」(「毛のあるしっぽ」の意味)と「角のある牛」の象形から、「角としっぽを持つ動物、サイ」を意味する「犀」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji2585.html)、

と、「牛+尾」説を採る。

参考文献;
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

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2023年04月05日

をこづる


怖ろしく思ゆれば、妻にをこづり問へども、物云はばやとは思ひたる気色ながら云ふともなし(今昔物語)、

の、

をこづる、

は、

だまして誘うのを言う、

とある(佐藤謙三校注『今昔物語集』)。

をこづる、

は、

誘る、

と当て、通常、類聚名義抄(11~12世紀)に、

誘、ヲコツル、コシラフ、サソフ、アザムク、カドフ、

とあり、色葉字類抄(1177~81)に、

誘、ヲコツル、

とあるように、

をこつる、

と清音で、

機る、

とも当て(大言海)、類聚名義抄(11~12世紀)に、

機、ワカツル、オコツリ、

とあり、

ワカツルの母音交替形、

とある(岩波古語辞典)ので、

をこづる、

を、

招(ヲキ)釣るの転かと云ふ、

という(大言海)のは如何か。むしろ、

機巧(わかつり)と通ずるか、

のほう(仝上)が妥当に思える。

を(お)こつる

は、

あやにくがりすまひ給(たま)へど、よろづにをこつり、祈りをさへして、教へ聞こえさするに(大鏡)、

と、

利を与えて、だましさそう、

意や、

こなたに入り給ひて姫君を遊ばしをこつり聞こへ給ひて(浜松中納言)、

と、

だましすかす、
機嫌をとる、

意で使う(岩波古語辞典・学研国語大辞典)。ただ、仮名遣いは、

をこつる、

か、

おこつるか、

かは不明(デジタル大辞泉)とある。

わかつる、

は、

機巧る、
誘る、

と当て、

をこつる(機・誘)の母音交替形、

とあり、

断見の愚癡のひとを誘(わかつり)誑(たぼろ)かすなり(地蔵十輪経元慶点)、

と、

あやつり動かす、

転じて、

巧言を以て人を欺き誘う、

また、

御機嫌をとる、
とり入る、
だます、

意で使い(日本国語大辞典)、やはり、

わかづる、

とも濁るようだ(大言海)が、名詞で、

譬へば、機関(わかつり)の如くして業(ごふ)によりて転す(西大寺本最勝王経平安初期点)、

と、

機巧、
機、

とも当て、

からくり、
物をあやつり動かすしかけ、

の意で使う、

わかつり、

がある(広辞苑・日本国語大辞典・岩波古語辞典)。

わかつる(機)の名詞化、

とある(日本国語大辞典)が、和名類聚抄(平安中期)に、

機、機巧之處、和加豆利、

類聚名義抄(11~12世紀)に、

機、オコツリ、

とあるように、逆に、

わかつる、
をこつる、

が、

ワカツリ、
ヲコツリ、

の動詞化なのかもしれない。とすると、

招(ヲキ)釣る、
別(ワカ)釣る、

を語源とし、

わかつり、

は、

機(ハタ)のあやつる處、

とする説(大言海)が、逆に注目される気がする。

「誘」 漢字.gif


「誘」(漢音ユウ、呉音ユ)は、

会意兼形声。「事+音符秀(先に立つ)」。自分が先に立って、あとの人をことばでさそいこむこと、

とある(漢字源)が、別に、

「誘」は「羊+久+ムという漢字」の新字、

とし、

形声文字です。「羊の首」の象形と「横たわる人の背後から灸をする」象形(灸の原字だが、転じて(派生して・新しい意味が分かれ出て)、「時間が長い」の意味)と「小さく取り囲む」象形(「小さく取り囲む」の意味)から、羊を長い時間をかけて取り囲む事を意味し、そこから、「人や動物を時間をかけてある場所・状態にさそい導く」を意味する「誘」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji1682.html

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

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2023年04月06日

雑色


己は甲斐殿の雑色(ざふしき)某丸と申す者に候ふ。殿のおはしけるを知り給へずして(今昔物語)、

の、

雑色、

は、

ざっしょく、

と訓むと、

種々まじった色、また、さまざまな色、

をいい、

ざっしき、

と訓ますと、

さまざまの種類、

の意で、

ぞうしき、

とも訓んだが、

雑色田(ざっしきでん)、

というと、平安時代に、

種々の費用にあてられた田地、放生田・采女田・節婦田・警固田、

等々をいい、

ぞうしきでん、

とも訓ませた(広辞苑)。

雑色官稲(ざっしきかんとう)、

というと、奈良時代に、

国郡で種々の費用にあてるために出挙(すいこ 稲や財物を貸しつけて利息を取る)した稲、

で、

正税稲(しょうぜいとう)・公廨稲(くげとう)以外の郡稲・駅起稲(えききとう)・官奴婢食料稲・救急料稲、

等々の、

雑稲(ざっとう)、

をいい、

ぞうしきかんとう、

とも訓ませた(仝上)。

ぞうしき、

と訓ますと、

雑多な色、雑多なもの、

の意から、

雑色ノ色ノ字ハ、品ノ字ノ意ニテ、雑食ト云フガ如シ、雑役ヲ勤ムル人品を云フナリ、

とある(安斎随筆)。

雑色(ザツショク)、

は、漢語で、

免諸伎作屯牧雑色徒隷之徒、為白戸(北史・斉文宣紀)、

と、

奴隷、

の意である(字源)。

連行される大納言.jpg

(連行される大納言(伴大納言絵詞) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%B4%E5%A4%A7%E7%B4%8D%E8%A8%80%E7%B5%B5%E8%A9%9Eより)

雑色、

とは本来、

種別の多いことおよび正系以外の脇役にあるもの、

を意味し、そうした傍系にある一群の人々を、

雑色人(ぞうしきにん)、

あるいは、

雑色(ぞうしき)、

とよんだ。古代の律令(りつりょう)制に始まり、

諸司雑色人、

といって、朝廷の官人や有位者の下にあって、

雑使に従う使部(しぶ・つかいのよぼろ)、宮廷の諸門の守衛、殿舎の清掃・管理・修理、乗輿(じょうよ)の調進、供御(くご)の食物の調理、水氷の供進などにあたる伴部(ばんぶ・とものみやつこ)、

等々の職種があった。それより身分が低く、

宮廷工房で生産にあたる品部(しなべ)・雑戸(ざっこ)、

も、

雑色、

に含める解釈もあり、各官司で、

写書、造紙、造筆、造墨、彩色、音楽などに従う諸生・諸手、

も、

雑色、

とよばれ、また、

造寺司のもとの各所の下級官人、仏工、画師、鋳工、鉄工、木工、瓦(かわら)工、

等々の工人も、

雑色、

に含まれる(日本大百科全書)とあり、

一般の農民=白丁(はくてい)とは区別され、属吏としての身分をもち、また官位を有するものもあり、課役を免除された(仝上)とあり、

下級の諸種の身分と職掌、

を表し、

供に侍(さぶら)ざうしき、三人ばかり、物も履かで、走るめる(枕草子)、

というような、

小者(コモノ)、
下男(シモヲトコ)、
僕隷(ぼくれい)、

を指す(大言海)。だから、古代には、「雑色」と括っても、

四等官の正規の官人に対する準官人、
農耕を本業とする思想によって末業の工芸民、
諸司に分属して専門技術に従う伴部や使部、

等々、その場所と立場に応じて異なった内容をもっていた(世界大百科事典)。

ただ、こうした律令制下での、

諸司の品部(しなべ)および使部(しぶ)、雑戸(ざつこ)、

の総称から、

蔵人所(くろうどどころ)に属する下級職員(下級の官人であるが、名誉職で、公卿の子弟や諸大夫が任じられ、本員数8人。代々蔵人に転ずる)、

や、平安時代以後

院司・東宮・摂関家などで雑役・走使いに任じた無位の職、

まで幅広く、一般に、

雑役に従う召使、

にもいうようになる(広辞苑・日本国語大辞典)。つまり、雑色の概念は拡大され、

諸国雑色人、

といって、国衙(こくが)や郡家で、上記に準じた身分のもの、

諸家雑色人、

として貴族の家務に従う従者にも適用され、また、

蔵人所(くろうどどころ)をはじめ政府の諸所が成立すると、

蔵人所雑色、

のような特殊なものも現れるようになる(日本大百科全書)。

武家社会になっても、武家の従者が、

雑色、

とよばれるのは、主として、

諸家雑色人、

の系譜を継ぎ、鎌倉幕府・室町幕府に所属する、

番衆(ばんしゅう)、

で、

雑役に従事する者、

を指す(岩波古語辞典)。

番衆、

とは、

番を編成して宿直警固にあたる者、

をいい、

営中に宿直勤番し、営内外の警衛その他雑務を掌ったもの、

の総称、

番方、

ともいい(精選版日本国語大辞典)、

狭義においては幕府に詰めて将軍及び御所の警固にあたる者、

を指す(仝上)。室町時代、

禁裏、仙洞御所に宿直勤番して警衛にあたった公家衆、

や、

封建領主や権力者の館、寺院などの警固にあたった郷民、門徒、

のこともいった(仝上)。戦国時代、

大名の城・館に宿直勤番して警衛にあたった武士、

を指し、江戸幕府では、職名となり、

江戸城をはじめ、大坂城、二条城、駿府城などの要害地の守備、および将軍の警衛にあたったもの、

の総称、

で、

番方、大番、書院番、小姓組、新番および小十人組、

の五種があった(精選版日本国語大辞典)。

室町時代から江戸時代にかけての、

雑色、

は、

京都所司代に属して雑役に当たった者、

をいい、

行政・警察・司法の補助をし、行幸啓(ぎょうこうけい)の先駆け、祇園会の警固、要人の警固、布告の伝達などの雑役に当たった町役人、

をいい(岩波古語辞典)、

四座雑色(しざのぞうしき)、

があり、

四条室町辻で京都を4分割して各方面(方内(ほうだい)という)を上雑色とよばれた五十嵐(北西)・荻野(北東)・松村(南西)・松尾(南東)の4家が統轄した、

ので四座の名がある(マイペディア)。

「雜」 漢字.gif

(「雜(雑)」 https://kakijun.jp/page/zatsu18200.htmlより)

「雜(雑)」(慣用ザツ・ゾウ、漢音ソウ、呉音ゾウ)は、「雑談」で触れたように、

会意兼形声。木印の上は衣の変形、雜は、襍とも書き、「衣+音符集」で、ぼろぎれを寄せ集めた衣のこと、

とある(漢字源)。混ぜ合わせることを意味する、ともあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%9B%9C。別に、

形声。意符衣(ころも)と、音符集(シフ→サフ)とから成る。いろいろのいろどりの糸を集めて、衣を作る意を表す。ひいて「まじる」意に用いる、

とも(角川新字源)、

会意兼形声文字です(衣+集)。「衣服のえりもと」の象形(「衣服」の意味)と「鳥が木に集まる」象形(「あつまる」の意味)から、衣服の色彩などの多種のあつまりを意味し、そこから、「まじり」を意味する「雑」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji875.html

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

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2023年04月07日

ひきめ


頼光、辭(いな)び申し煩ひて、御弓を取りて、ひきめをつがへて亦申すやう、力の候はばこそ仕り候はめ、かく遠き物は、ひきめは重く候ふ。征矢してこそ射候へ(今昔物語)、

とある(「征矢」は触れた)、

ひきめ、

は、

蟇目、
引目、
曳目、
響矢、

と当て(広辞苑・日本大百科全書)、

射放つと音響が生ずるよう、矢の先端付近の鏃の根元に位置するように鏑が取り付けられた矢、

である、

鏑矢(かぶらや)、

の一種で、

蟇目鏑(ひきめかぶら)、

ともいい、「鏑矢」は、

戦場における合図として合戦開始等の通知、

などに用いられ、

鏑(かぶら)、
蟇目(ひきめ)、
神頭(じんとう)、

があるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8F%91%E7%9F%A2とされるが、「鏑」と「蟇目」は、

大きさによって違いがあり、大きいものをヒキメといい小さいものをカブラという、

と故実にあるように、もともと同類のものであったようである(日本大百科全書)。因みに、

神頭(じんとう)、

というのが、鏑矢と間違われるが、

矢頭、

とも書き、鏑とは別物で、外見が鏑と似ているちため混同されがちである。古くから存在し、鏑に良く似ているが、中身が刳り貫かれておらず、また大きさも鏑より小さく、

鏃の代わりに矢に取り付け、射あてるものを傷を付けないよう、もしくは射砕く目的で使用される、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8F%91%E7%9F%A2

蟇目は、

朴(ほお)・桐などで作った、紡錘形の先端をそいだ形の木製の大形の鏑(かぶら)、また、それをつけた矢、

をいい(広辞苑・大辞林)、

鏑矢の鏃に似て長く、凡そ、四寸許り、圍(かこ)み五寸、五孔、或いは六孔、

とある(大言海)が、

正式な造りは四つ穴で、これを、

四目(しめ)、

と呼ぶhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8F%91%E7%9F%A2とある。

鏃(やじり)をつけず、犬追物(いぬおうもの)・笠懸(かさがけ)などで射る物に傷をつけない、

ために用い、これを矢の先端に取り付けた矢を放つと、

穴に空気が流入する事で笛のように音が鳴り、鋭い音を発する(仝上)。この音が、

邪を払い場を清める、

とされているので、妖魔を降伏(ごうぶく)するとし、

降魔(ごうま)の法、

に用いられ(仝上)、古代より、

宿直(とのい)蟇目、
屋越(やごし)蟇目、
誕生蟇目
犬射蟇目(いぬいひきめ)、
笠懸蟇目、
産所蟇目(さんじょひきめ)、

などの式法が整備されてきて(日本大百科全書)、今日でも、

蟇目の儀、

は弓道の最高のものとして行われている(日本大百科全書)とある。

犬射蟇目、

は特に長大につくり、

笠懸蟇目、

は、目の上にひしぎ目を入れて用いた。また、破邪のための、

産所蟇目、

は白木のまま用いるのを例とした(日本国語大辞典)。

御産の蟇目射るには、白き大口直垂にて射べし、白べりの畳一畳出すべし、それにむかばきをかけて射べし、……射る数は、女子には、一手射べし、男には三かいな可射(今川大雙紙)、

というように、

弓術の道に、蟇目の矢を射ることと、弦打ちする(鳴弦(メイゲン)と云ふ)こととにて、共に其發聲にて邪気を退くと云ふ。産屋などにて行ふ、

とある(大言海)。因みに、「鳴弦」は、

弦打(つるうち)、

ともいい、

弓矢の威徳による破邪の法、

で、後世になるとわざわざ高い音を響かせる引目(蟇目)という鏑矢(かぶらや)を用いて射る法も生じた。平安時代においては、生誕儀礼としての湯殿始(ゆどのはじめ)の、

読書(とくしよ)鳴弦の儀、

という、

宮中で皇子誕生後七日の間、御湯殿の儀式の際に湯殿の外で漢籍の前途奉祝の文を読み、弓の弦を引き鳴らす儀式、

として行われたのをはじめ、出産時、夜中の警護、不吉な場合、病気のおりなどに行われ、また天皇の日常の入浴に際しても行われた(世界大百科事典)とある。

「蟇目」の語源には、

「響き目」の義(貞丈雑記・古今要覧稿・和訓栞・大言海・広辞苑・大辞林)、
その形がヒキガエルの目に似ているから(名語記・本朝軍器考・類聚名物考)、
その孔が蟇の目に似ているから(大辞林・大言海)、

とあるが、この矢の特徴から見れば、

響き目の略、

とする(日本語源大辞典)のが妥当なのではないか。

蟇目.jpg

(蟇目 広辞苑より)


アズマヒキガエル.jpg


諸所の神社で行われる鏑矢(かぶらや)を射て邪を除く神事を、

蟇目の神事(しんじ)、

といい、蟇目を射て妖魔を退散させる役目の番衆を、

蟇目の当番、

妖魔を降伏させるために、弓に蟇目の矢をつがえて射る作法を、

蟇目の法(ほう)、

といい、貴人の出産や病気のときに、妖魔を退散させ邪気を払うために蟇目を射る役の人を、

蟇目役、

などといった(日本国語大辞典)。

小笠原流 蟇目の儀・大的式.jpg

(新春除魔神事「小笠原流 蟇目の儀・大的式」(大宮八幡宮) https://www.ohmiya-hachimangu.or.jp/596より)

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

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2023年04月08日

おほけなし


暗くなる程に、此の太郎介が宿したる所に行きて、おほけなく伺ひけるに(今昔物語)、

の、

おほけなし、

は、

大胆にも、

と注記がある(佐藤謙三校注『今昔物語集』)。

「おほけなし」は、

あながちに有るまじくおおほけなき心ちなどはさらに物し給はず(源氏物語)、
おほけなく憂(う)き世の民におほふかなわが立つ杣(そま)にすみぞめの袖(そで)(千載集)、

と、

身の程知らずである、
身の程をわきまえず、

の意や、

おほけなくいかなる御仲らひにかありけむ(源氏物語)、

と、

(歳など)似合わしくない、

意で使う(岩波古語辞典)が、

身分、能力、年齢などから考えて、心・態度・ふるまいがふさわしくなく、出過ぎているさま、分不相応、

というのが原義のようである(日本語源大辞典)。そこから、

大将殿の、宣ふらむ状(さま)に、おほけなくとも、などかは思ひ絶たざらまし(源氏物語)、
おほけなくも琉球(りうきう)国の世子と仰がれ(椿説弓張月)、

と、

おそれ多い、

意(学研全訳古語辞典)など、どちらかというと相手に対する主体の、

劣位を表す、

価値表現から、逆に、その埒を破ることで、

(小男が親の仇討をしようと)おほけなく伺ひけるに……やはら寄りて喉笛を掻き切りて(今昔物語)、

と、

果敢である、
不敵、

というように、主体の価値表現が180度ひっくり返った意味でも使われる。

恐れ多い相手、

だから、

身の程知らず、
分不相応、

だが、にもかかわらず、踏み出すことで、

果敢、
大胆、

へと価値表現が転換した、というように。

そう考えると、「おほけなし」の語源は、

大気甚(おほけな)しの義、大胆なりの意、

とある(大言海)のは、いささか腑に落ちない。「おほけ」は、

大気、

と当て、

あなおほけなること莫言(ない)ひそ、様にも似ず、いまいまし(宇治拾遺物語)、

と、

大いなること、
大胆、

の意だが、

身の程知らず、
恐れおおい、

の含意からは遠い。また、

オフケナシ(負気無)の義(言元梯・名言通・和訓栞)、

も、

「負ふ気甚(な)し」の意という説があるが、古くは「おふけなし」という本文はない、

とあり(岩波古語辞典)、退けられる。また、

覚悟も無しということで、覚束なきという義(燕居雑話)、
アフケナシ(仰気無)の義(柴門和語類集)、

も、

大胆、
果敢、

の意から考えられた語源説のように見え、

恐れおおい、
身の程知らず、

の含意からは程遠い気がする。また、

「おほ」はいいかげんに、だいたいにの意の「おほに」の「おほ」と同じものであろう。「け」は気の意の体言(講談社古語辞典)、

も、ちょっとずれている違う気がする。憶説だが、単純に、

おほき・なし、

なのではないか、という気がする。

おほきなし→おおけなし、

と転訛したのではないか、と。

おほき、

は、

すくな(少・小)の対、

で、

もとオホシ(大・多)の連体形として、分量の大きいこと、さらに、質がすぐれ、正式、第一位であることをあらわした。また、オホキニとして、程度の甚だしさもいった。平安時代に入ってオホシの形は数の多さだけに用い、量の大きさ、偉大などの意はオホキニ・オホキナルの形で表し、正式・第一位の意は、オホキ・オホイで接頭語のように使った、

とある(岩波古語辞典)ので、あるいは、

オホキニナシ→オホキナシ、

の転訛もあり得る。もちろん憶説に過ぎないが、

「おおけ」は分不相応に大きい意、「なし」は甚だしいの意か、

との説(広辞苑)もある。この場合、

なし、

は、

甚し、

と当てる、

痛しの略なる、甚(た)しに通ず、

とある「なし」で、

苛(いら)なし、
荒けなし、
思つかなし、
はしたなし、

等々、

他語に接して、接続詞の如くに用ゐる語、

とある(大言海)のは、

状態を表す語についてク活用の形容詞をつくり、程度の甚だしい意を表わす、

語で、

うつなし、
いらなし、
おぎろなし、

など、

実に……である、
甚だ……である、

意を表わすとする(岩波古語辞典)のと同じである。

「大」 漢字.gif

(「大」 https://kakijun.jp/page/0321200.htmlより)

「大」(漢音タイ・タ、呉音ダイ・ダ)は、「大樹」で触れたように、

象形。人間が手足を広げて、大の字に立った姿を描いたもので、おおきく、たっぷりとゆとりがある意。達(タツ ゆとりがある)はその入声(ニッショウ つまり音)に当たる、

とある(漢字源)。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

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ラベル:おほけなし
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2023年04月09日

股寄(ももよせ)


(源)宛(あたる)、馬より落つるやうにして矢に違えば、太刀の股寄(ももよせ)に當りぬ(今昔物語)、

にある、

股寄、

は、

太刀のさやの峰のほうにかぶせた金具、

とあり(佐藤謙三校注『今昔物語集』)、

「あまおほひ」とも言う、

とある(仝上)。

太刀の各部位.jpg

(太刀の各部位 図説日本甲冑武具事典より)

「股寄」は、後に、

雨覆(あまおおい)、

ともいうようになる(図説日本甲冑武具事典)が、

太刀の鞘さやの拵(こしらえ)で、棟方(むねがた)を保護するために、鞘口から鞘の中ほどまでつけた覆輪(ふくりん)の金具、

を言い、股寄の逆に、

鞘尻の刃方(はがた)に伏せて装着した筋金、

つまり、

太刀の鞘尻(さやじり)の刃の方に伏せた短い覆輪(ふくりん)、

を、

芝引(しばびき)、

という(広辞苑・精選版日本国語大辞典)。

「覆輪(ふくりん)」というのは、

伏輪、

とも当て、

へりぐり、
綾裏、

ともいい(大言海)、

刀の鐔(つば)や馬の鞍(くら)、天目茶碗(てんもくぢゃわん)など種々の器物の周縁を金属(鍍金 ときん 鍍銀)の類で細長く覆って損壊に備え、あわせて装飾を兼ねたもの、

をいう(日本大百科全書)。鍍金を用いたものを、

金覆輪、
または、
黄覆輪(きぶくりん)、

鍍銀を用いたものを、

銀覆輪
または、
白(しろ)覆輪、

とう(仝上)。また女性の衣服の袖口(そでぐち)などを、別布で細く縁どったものを、

袖覆輪、

といい、歌舞伎の衣装にも、袖口に織物、朱珍、繍(ぬい)などの、模様の異なる布地をつけたものがある(仝上)とある。甲冑(かっちゅう)・太刀なども、金・銀・錫すずなどで縁取りし、飾りや補強とした(デジタル大辞泉)。

なお、「かたな」、「太刀」で触れたように、「太刀(たち)」は、

太刀(たち)とは、日本刀のうち刃長がおおむね2尺(約60cm)以上で、太刀緒を用いて腰から下げるかたちで佩用(はいよう)するもの、

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E5%88%80

腰に佩くもの、

を指す。腰に差すのは、

打刀(うちがたな)、

と言われ、打刀は、

主に馬上合戦用の太刀とは違い、主に徒戦(かちいくさ:徒歩で行う戦闘)用に作られた刀剣、

とされる(仝上)。馬上では薙刀などの長物より扱いやすいため、南北朝期~室町期(戦国期除く)には騎馬武者(打物騎兵)の主力武器としても利用されたらしいが、騎馬での戦いでは、

打撃効果、

が重視され、「斬る物」より「打つ物」であったという。そして、腰に佩く形式は地上での移動に邪魔なため、戦国時代には打刀にとって代わられた、

とある(仝上)。打刀(うちがたな)、

は、

反りは「京反り」といって、刀身中央でもっとも反った形で、腰に直接帯びたときに抜きやすい反り方である。長さも、成人男性の腕の長さに合わせたものであり、やはり抜きやすいように工夫されている、

とありhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%93%E5%88%80、やはり、これも、

太刀と短刀の中間の様式を持つ刀剣であり、太刀と同じく「打つ」という機能を持った斬撃主体の刀剣である、

という(仝上)。ちなみに、

「通常 30cmまでの刀を短刀、それ以上 60cmまでを脇差、60cm以上のものを打刀または太刀と呼ぶ。打刀は刃を上に向けて腰に差し、太刀は刃を下に向けて腰に吊る。室町時代中期以降、太刀は実戦に用いられることが少い、

とある(ブリタニカ国際大百科事典)。「太刀」と「打刀」の区別は、例外があるが、「茎(なかご)」(刀剣の、柄つかの内部に入る部分)の銘の位置で見分ける。

太刀銘.jpg

刀銘.jpg

(例外はあるが、佩いた状態での表(体の外側に向く方)を「佩表(はきおもて)」と呼び、銘は、茎(なかご 刀身の柄(つか)の中に入れられている部分)の「表」に入れるという原則があるので、「佩表」に刀工の名が刻まれていれば太刀、刃を上にしたときの茎の左側を「差表(さしおもて)」と呼び、こちらに刀工の銘があれば打刀と判断する 
https://www.hyogo-c.ed.jp/~rekihaku-bo/historystation/rekihaku-meet/seminar/bugu-kacchuu/tk_intro1.html より)

参考文献;
笠間良彦『図説日本甲冑武具事典』(柏書房)

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2023年04月10日

除目の大間


公(おほやけ)の御政をよきも悪しきもよく知りて、除目(じもく)あらむずる時には、先づ國のあまた開きたるを(今昔物語)、

の、

除目(じもく)、

とは、普通、

「除」は官に任命する、「目」は目録にしるす(日本国語大辞典)、
官に除し、目録に記す意(大言海)、
「除」は旧官を除去して新官につくの意。「目」は目録に記すこと(旺文社日本史事典)、
除は旧官を除いて新官に就任するの意、目は新官に就任する人名を書き連ねた目録の意(世界大百科事典)、

などとあるが、

「除」は宮中の階段、階段を昇る意から、官を拝すること。「目」は書、任間の書の意(岩波古語辞典)、

意ともある。確かに、「除」には、「きだはし(階段)」の意があるが、敍(叙)と同義とある(字源)ので、「新たに官に拝する」、つまり「新官に就く」意になる。前者でいいのではないか。また、

除書(じょしょ)、

ともいう。本来は、

任官、

といい、官職任命の政務をいい、

官に任ずることを除(じょ)といい、もとの官を去って新しい官につく、

意となる(日本大百科全書)。

除目(じょもく)、

は、

拝官曰除、除書曰除目(品字箋)、

と漢語で、

官に任じたる報告書、

の意で、

除書(じょしょ)、

ともいう(字源)が、我が国では、「除目」「除書」ともに、

任官の行事、

つまり、

大臣以外の臣の官位を進級せしむる公事、

をいった(仝上)。いわば、

諸司・諸国の主典(さかん)以上の官を任ずる儀式、

で、

公卿(くぎょう)が集まって約三日間清涼殿の天皇の前で行い、摂政の時はその直廬(ちょくろ 休息・宿泊・私的な会合などに用いる個室)で行うのを例とする、

とある(広辞苑)。律令官職制度では、在京諸官司の官人を、

内官(ないかん)または京官、

地方在勤のものを、

外官(げかん)、

また武器を携帯しないものを、

文官、

携帯するものを、

武官、

とし、文官の人事は式部省、武官の人事は兵部省でつかさどり、いずれも欠員が生じたときは、直ちに後任者を補任するたてまえであった(世界大百科事典)。

除目は、

定例春秋二回、

で、春は、正月十一日より十三日まで、諸國司を召して、外官(国司などの地方官)を任命するので、

県召(あがためし)の除目、

といい、第一夜は、

四所籍(ししょのしゃく)といって内豎所(ないじゅどころ)などに勤める下級の職員の年労(勤続年数)の多い者や、年給(ねんきゅう 天皇、院、宮、公卿などに毎年給せられる推挙権)による申請者を諸国の掾(じょう)、目(さかん)に任ずることから始めて、上位の任官に進め、

第二夜には、

外記(げき)、史、式部、民部の丞(じょう)、左右衛門尉(じょう)など重要な官司の実務官を任ずる顕官挙(けんかんのきょ)なども行われ、

第三夜では、

受領(ずりょう)や公卿の任官に及ぶ、

とある(日本大百科全書)。

秋は、大臣以外の京官を任命する(元は三月三日前に行うべきを、後に秋となった)ので、

司召(つかさめし)の除目、

といい、

一夜が原則であった、

とある(日本大百科全書)。

春秋除目のほか、

臨時除目(小(こ)除目)、
女官除目、
坊官除目、
一分召除目、

なども行われた(日本国語大辞典)。なお、大臣は、別に、

大臣召(だいじんめし)、

という儀式で天皇の宣命(せんみょう)によって任ぜられ、除目では任官されない(日本大百科全書)。

除目の作法は先例尊重の非常に繁雑なもので、公家(くげ)政治が実質を失っても朝廷の儀式として近世まで存続した(仝上)という。その煩瑣な儀式の次第は大江匡房(おおえのまさふさ)の『江家次第(ごうけしだい)』が特に詳しい(仝上)とある。

人皆聞きて、所望叶ひたりける人は、除目の後朝(ごてう)には、この大君のもとに行きてなむほめける(今昔物語)、

の、

除目の後朝、

とは、

春のあがためし(地方官任命)の最後の日の朝、

つまり、三日三晩行われる除目のあけた、

四日目の朝、

を指している(佐藤謙三校注『今昔物語集』)。

無下に故なくは読み給はじと、心にくく思ひて、除目の大間(おほま)、殿上にひらきたるやうに、皆人押しひらひて見騒ぐに(今昔物語)、

の、

大間、

とは、

大間書(おほまがき)の略、

で、

除目(じもく)に用いる文書、

つまり、

任官の対象となる闕官(けっかん 欠員)の職名の官職の名称とその候補者を列記した名簿のこと、

で、

原紙を作成のために欠員の官職名を列記する際に予め候補者の位階氏姓名を記入する(入眼 じゅがん)を行うための空白(間)が大きく開けられていたことから、

大間書、

もしくは、

大間、

と呼ばれたhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%96%93%E6%9B%B8

除目に先立って外記(げき 律令制において朝廷組織の最高機関・太政官に属した職の一つである。四等官の中の主典(さかん)に相当する)が原紙を作成し、神祇官・太政官から八省及びその被官、弾正台・京職・鋳銭使・諸国国司及び大宰府(五畿七道順)・衛府・馬寮・兵庫寮・鎮守府までの欠員の官職(四等官及び品官)が一覧として記される。除目の銓擬(せんぎ)によって人事が決定された後に執筆(しゅひつ)を担当する大臣が空白部分に候補者の位階氏姓名及び年給などの注記を記入する入眼を行って大間書の最後に日付を書き加えて天皇の奏覧を受ける。その後、別に任じられた清書(きよがき)の上卿が白か黄色の紙に清書を行った、

とある(仝上・世界大百科事典)。

大臣置笏取大間、開之繰置座右(江家次第・除目・大間書)、

とあるように、「大間」は、

と多くは巻物になっており、除目のとき、天皇の前で執筆の大臣がこれを繰り、任ずべき人々の名前を読み上げて順次書き加え、終るとその奥に月日を記入、

夜前大間文等入櫃云云申文、大間書乍筥被置御円座前(後二条師通記(寛治五年(1091)正月二七日)、

と、

天皇の奏覧を経て、これを清書し上卿(しょうけい) に渡した、

とある(ブリタニカ国際大百科事典)。なお、

大間書は天皇の奏覧を受ける前に除目に参加した他の公卿の確認を行うことや、清書の終わった大間書は執筆した大臣が持ち帰ることが許されていた、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%96%93%E6%9B%B8

「年給」とは、

年料給分の略、

で、律令財政の苦しくなった平安初期に、経済生活が窮乏してきた皇族のために考案された、皇室の、

売官・売位制度、

で、皇族・貴族に官職・位階の推薦権を与え、推薦者が被推薦者から報酬を取る。売官を、

年官、

売位を、

年爵(ねんしゃく)、

といった。毎年、叙位、除目のとき、

天皇以下公卿以上はその身分に従って、一定の官位に一定の人員を申請する権利をもった。叙位、任官希望者はその申請権をもつ者に、叙料、任料を差出して官位を得る、

というものである(ブリタニカ国際大百科事典・マイペディア)。給主の地位に従って内給(天皇)・院宮給・親王給・公卿給・典侍給などの別がある(仝上)。

毎年所定の官職に所定の人数を申任する権利を与えて収入を得させるのが、

年官、

であり、

所定の人数の叙爵を申請する権利を与えて収入を得させるのが、

年爵、

で、給主は、

官や爵(位)を望む者を募り、申請して叙任し、そのかわりに任料、叙料を徴収して個人の得分とする。このように年給は、官や爵を一種の持ち株として個人に給(たま)わったものであるから、官職位階が公然と利権視され、政治の乱れを激しくした(世界大百科事典)とされる。

「除」 漢字.gif

(「除」 https://kakijun.jp/page/1084200.htmlより)


「除」 説文解字・漢.png

(「除」 説文解字・漢 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%99%A4より)

「除」(漢音チョ、呉音ジョ、慣用ジ)は、

会意兼形声。余(ヨ)は「スコップ+八印(左右に開く)」の会意文字で、スコップやこてで土や雪を左右に押しのけることを示す。除は「阜(土盛り)+音符余」で、じゃまになる土を押しのけること。押しのばす意を含む、

とある(漢字源)。別に、

会意形声。「阜」+音符「余」。「余」は農具で土をかき分ける様。土をかき分けて除く、

ともhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%99%A4

形声。阜と、音符余(ヨ→チヨ)とから成る。建物の階段の意を表す。転じて「のぞく」意に用いる、

とも(角川新字源)、

会意兼形声文字です(阝+余)。「段のついた土山」の象形(「段のある高地」の意味)と「先の鋭い除草具」の象形(「伸びる、のぞく」の意味)から、「祭壇に伸びる階段」、「のぞく」を意味する「除」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji990.html。漢字では、

現在の官職を取り去るのを「開除」、
簡易を授けるのを「除授」、
任官することを「除官」、

という(漢字源・字源)とある。

なお、「目」(漢音ボク、呉音モク)は、「尻目」で触れた。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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2023年04月11日

昔話の通時性と共時性


柳田國男『口承文芸史・昔話と文学(柳田国男全集8)』を読む。

柳田國男全集8.jpg


本書は、

口承文芸史考、
昔話と文学、
昔話覚書、

が収められている。この三篇は、

昔話研究への入門、あるいは最も基本的なテキスト、

と目されている(解説・野村純一)らしい。

口承文芸史考、

では、文字に書かれた「文芸」に対する文芸としての、

口承文芸、

を説き、自身の昔話分類案を提起して、

「自分は昔話が二つのかなりちがった種類に、大別し得られると思っている。その一つは西洋人のいう本格説話、これを私はかりに完成昔話と呼ぶつもりである。通例主人公の生い立ちをもって始まるものであるが、それが少しずつ省略せられるようになっても、なお結末があらゆる願望の充足、あらゆる障害の解除に帰着することだけは変わらない。言わばある非凡なる一人の伝記、もしくはある一門の鼻祖の由来を、説くかと思われる形を具えたものである。これに対してある時の一つの出来事、またはある一人の若干の挙動のみを、取り立てて話題にしたものを、笑話はもとより古風な鳥獣草木譚までも引きくるめて、私はこれを派生説話、もしくは不完形昔話とでもいおうかと思っている。双方がともに昔話であるわけは、話者の相手に知らせたいと念ずる単一の目的、核とも名づくべきものがそれぞれにふくまれているだけでなく、外形はすべてムカシムカシをもって起こり、コレバッカリ等の句をもって結ばれている点が同じだからである。」

と記している(口承文芸考)。

昔話の分類柳田國男案.jpg

(「昔話分類案」(柳田國男案「その一・その二を解説者が合体させたもの) 本書より)

昔話と文学、

では、昔話の、

神話のひこばえ、

として、

神話→(伝説)→昔話→(笑話)→童話、

と退縮していく中で、

竹取翁、
竹取爺、
花咲爺、
猿地蔵、
カチカチ山、
藁しべ長者と蜂、
うつぼ舟、
蛤女房・魚女房、
笛吹き爺、
笑われ聟、
はてなし話、

と、上代から中世までたどりながら、

「交通往来の最も想像しにくい遠隔の土地に、偶然とは言えない一致」(昔話と文学)、

が見出される、

通時性、

と同時に、例えば、

「我々の『竹取物語』が、必ずこの羽衣説話のいずれかの段階を。足場にして立っている」(仝上)、

というような、昔話の、

出自と系譜、

を質していく。

昔話覚書、

では、昔話の、諸民族の説話との、たとえば、

「糠福米服や姥皮の話のごとくに、そっくりそのままをどこの国でも、それぞれに自分の言葉の芸術としてもてはやしている」(昔話覚書)、

というような、

「二つ以上の懸け離れた民族の間に、どうしてこのような一致または類似があるのかを、考えてみようとした」(仝上)、

という

共時性、

を考証している。

こうした柳田國男の仮説に満ちた論考を、今日どうなっているかはわからないが、

「現今の昔話研究の方向とはいささか傾向を異にする」(解説)、

という方向が、柳田がいつも再三言っているように、横文字を縦文字に移し替えるだけのような、西洋の学説の丸移しでないことを祈るのみである。

なお、柳田國男の『遠野物語・山の人生』、『妖怪談義』、『海上の道』、『一目小僧その他』、『桃太郎の誕生』、『不幸なる芸術・笑の本願』、『伝説・木思石語』、『海南小記』、『山島民譚集』については別に触れた。

参考文献;
柳田國男『口承文芸史・昔話と文学(柳田国男全集8)』(ちくま文庫)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
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2023年04月12日

和琴(わごん)


匡衡を呼びて、女房とも和琴(わごん)を差し出して(今昔物語)、

にある、

和琴、

は、

日本の弦楽器、

で、

形は筝(こと)に似て、本の方が狭く、六絃、右手に爪(琴軋(ことさき 長さ7センチほどの鼈甲製の撥)を持って掻き鳴らし、左手は指先ではじく、

とあり(岩波古語辞典・大辞林)、色葉字類抄(平安末期)には、

倭琴、ワコン、

とある。

胴は桐製で全長190㎝前後、幅は本(もと 頭部)が約15cm、末(すえ 尾部)が約24cmであるが、古代のものははるかに小型。琴柱(ことじ)は楓の二股の小枝をそのまま利用、

とあり(広辞苑)。

尾端に櫛の歯型の切れ込みが 5ヵ所あり、それによって生じた6部分に分かれた凸部を、

弰頭(はずがしら)、

という。それより中央寄りに通弦孔が6個あり、本につけた横木にも通弦孔が6個ある。弰頭にかけた葦津緒(あしづお 白、黄、浅黄、薄萌葱の 4色のより糸)に弦を連結する、

もので(ブリタニカ国際大百科事典・世界大百科事典)、日本固有の楽器とされ、宮廷などで神楽(かぐら)歌・東遊(あずまあそび)・久米歌・大歌などの伴奏に用いる(仝上)。

東琴(あずづまごと)、
大和琴(やまとごと)、
六弦琴、

ともいう(仝上)。「筝(こと)」については「篳篥」(ひちりき)で触れたが、

箏の琴(しやうのこと)、

とよばれ(シヤウは呉音、サウノコトとも)、

十三絃琴、

である(岩波古語辞典)。「琴(きん)」の字を当てることもあるが、「箏」は、

琴、

とは別の楽器で、最大の違いは、箏は柱(じ)と呼ばれる可動式の支柱で弦の音程を調節するのに対し、琴は柱が無く、弦を押さえる場所で音程を決める、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AE%8F。雅楽で用いる「筝」は、

楽箏(「がくごと」または「がくそう」)、

呼ばれる(仝上)。枕草子、源氏物語、平家物語等では、

そう(箏)、
そう(箏)のこと、
きん(琴)のこと、
わごと(和琴)のこと、

などと呼ばれていた(仝上)とある。

和琴2 (2).jpg

(和琴 大辞林より)


和琴.jpg

(和琴 今日の和琴は箏に似て、桐材の胴(槽)には、6本の絹弦が張られ、尾部は葦津緒(あしづお)と呼ばれる4色の絹の編みひもで止められ、柱には楓の枝の二股が、自然のままの形状を活かして取り入れられている https://www2.ntj.jac.go.jp/dglib/contents/learn/edc6/edc_new/html/104_wagon.htmlより)

「和琴(わごん)」は、その祖形を、

古代の日本にまで遡る、

とされるhttps://www.musashino-music.ac.jp/guide/facilities/museum/web_museum/0078、数少ない、

日本固有の楽器、

で、古代の日本には、

コト・フエ・ツヅミ・スズ・ヌリデ(銅鐸)、

等々の楽器が存在していたが、「コト」は神聖な楽器として特別な存在であった。コトは、

男性によって使用され、王位継承のシンボルでもあり、神事で用いられる祭器、

でもあった(仝上)。

なお、現在日本でよく知られる、

箏、

は大陸からの渡来楽器が基で、和琴とは起源や系統が異なる。 なお、和琴の起源は神代紀の、

天沼琴(あめのぬごと)、

で、

天石窟(あめのいわや)前で天香弓六張をならべ弦を叩いて音を調べた、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%92%8C%E7%90%B4

琴を弾く男性埴輪.jpg

(琴を弾く男性埴輪 琴は刻みが4弦分あるが板の上に弦が5本粘土で貼付けられていた痕跡が残っているhttps://www.miho.jp/booth/html/artcon/00005856.htmより)

平安時代は貴族の男女の遊びの場で楽器演奏や歌の伴奏に盛んに使われたが、貴族の没落とともに衰退し、現在では皇室関係の儀式、宮中雅楽演奏、神社・寺院の法要など、おもに神道(しんとう)系雅楽演奏の、ごく限られた場でのみかろうじてその存在を保っている(日本大百科全書)が、今日に伝わる和琴は、日本古来のコトを土台にして、奈良時代に伝来した外国のコトの影響を受けて改造されたものとみられている(仝上)。

『源氏物語』では、古代中国の士君子の倫理性を担った琴に対して、日本伝来の遊楽を楽しむ和琴が対比され、

琴は礼楽中心の楽器、
和琴は自由な発想を持った楽器、

として描かれたhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%92%8C%E7%90%B4

江戸時代の和琴.jpg

(江戸時代の和琴 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%92%8C%E7%90%B4より)

「箏(そう・しやう)」「笙」「篳篥」などについては、「篳篥」(ひちりき)で触れた。

「琴」 漢字.gif


「琴」(漢音キン、呉音ゴン)は、

会意兼形声。「ことの形+音符今(ふくむ、中にこもる)」。胴を密封して、中に音がこもることから命名した、

とある(漢字源)。

象形で、琴柱(ことじ)を立てた「こと」の胴体の断面の形にかたどる。のち、さらに音符今(キム)が加えられた、

とも(角川新字源)、

象形文字です。「横から見た琴」の象形から「こと」を意味する「琴」という漢字が成り立ちました。のちに「吟」に通じる音符の「今」を付けて、現在の「琴」という漢字が成り立ちました、

ともhttps://okjiten.jp/kanji1315.html

形声。音符は今。その上部は琴の糸を張りわたした形。古い字形は琴の形の全体をあらわす象形の字であったが、のち糸の部分だけを残し、その音を示す今をそえて琴の字形となった、

とも(白川静『常用字解』)ある。

「琴」は、古くは、

五弦、

だったというが、東周のころから、

七絃、

で(漢字源)、

絃をおさえて音を調節し、右手で詰めをはめずにひく、

とある(仝上)。のち、

胡琴(コキン)、月琴、

など、

「こと」の総称、

となり、西洋楽器の、

提琴(バイオリン)、
風琴(オルガン)、

等々にも用いるようになった(仝上)。なお、「琴」と似た字に、

瑟(漢音シツ、呉音シチ)、

があるが、「瑟」は、

由之瑟、奚為於丘之門(論語 由ノ瑟、ナンスレゾ丘ノ門ニオイテセン)、

と、

おおごと、

で、古くは、

五十絃、

のち、

二十五絃、
十九絃、
十五絃、

などになった。

妻子奸合、如鼓琴瑟(小雅)、

と、

琴瑟、

は、

おおごととこと、

の意で、

琴と瑟とを弾じてその音がよく合う、

意から、転じて、

夫婦相和して睦まじいたとえ、

に使う(字源・漢字源)。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

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2023年04月13日

覓(ま)ぐ


速須佐之男命(はやすさのをのみこと)、宮つくるべき所を出雲の国にまぎ給ひき(古事記)、
やしま國、妻麻岐(まぎ)かねて、遠遠し、越の國に(仝上)、

とある、

覓ぐ、

は、

求ぐ、

とも当て、

追いもとめる、
さがしもとめる、

意である(広辞苑)。

まぐ、

の語源については、

目(マ)の活用、香(か)ぐ、輪ぐと同趣(大言海)、
目で尋ねる意で、目來の義(日本語源=賀茂百樹)、
マ(枉)げて求める意(国語の語根とその分類=大島正健)、
モチ(持)タクの義(名言通)、

といった諸説があるが、意味から見て、

目(マ)の活用、

というのが妥当なのだろう。この、

覓ぐ、

と似た意味で、

娶(マイデ)其國婦而所生也(応神紀)、

と、

婚、

と当てる、

まぐ、
まく、

がある(大言海)。色葉字類抄(1177~81)に、

婚、メマグ、

類聚名義抄(11~12世紀)に、

娉、婚、メマグ、マグ、

字鏡集(鎌倉時代)に、

婚、娵、嫁、マグ、

とある。

女に遭合(あ)う、
婚す、

の意で、

くなぐ(婚ぐ)、
くなきがひす(婚合 クナギ(婚)アフ(合)の約)、
つままぎす、
つまどひす、
よばひす、
よばひ、

と同義(大言海)とあるので、

まぐはひす(目合ふ)、

のように、

目と目を見合わせて心を通じる、

という意もあるが、この場合も含め、

吾(あれ)、汝(いまし)にまぐはひせむと欲(おも)ふ(古事記)、

と、

性交、

の意である。この「まぐ」は、

メダク(女抱く)が、メグ[m(ed)a]の縮約で、マク(媾く)・マグ(媾ぐ)になった。……結婚・交接のことをマグアヒ(媾ぐ合ひ)という。〈この天の御柱を行きめぐりてみと(クミドの略。 夫婦の寝所)のマグアヒせむ〉(古事記)は結婚のことで、……〈さまざまに語らひ契りてマグアヒをなさんとすれば〉(古今著聞集)は男女の交接のことである、

とある(日本語の語源)ように、

覓ぐ、

婚ぐ、

は由来を異にするようである。

「覓」 漢字.gif

(「覓」 https://kakijun.jp/page/E64B200.htmlより)

「覓」(漢音ベキ、呉音ミャク)は、

会意兼形声。覓の原字は、「目+音符脈の右側の字(細い)」。目を補足して、ものを見定めようとすること。覓は「見+爪」からなる俗字、

とあり(漢字源)、

遂教方士殷勤覓(ツヒニ方士ヲシテ殷勤ニ覓メシム)(白居易)、

と、

もとめる、
さがしもとめる、

意である。「覓ぐ」も、「目」と関わらせるのが妥当な所以である。「まぐ」に当てる、

覓、
と、
求、

の違いは、漢字では、

求は、乞也、索也と註す、なき物を、有るやうにほしがり求め、又はさがし求むる義にて、意広し、求友・求遺書の類、

覓は、さがし求むるなり、捜索の義、是猶欲登山者、渉舟航而覓路(晉書)、

とある(字源)。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)

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2023年04月14日

左券


今のうちに一通り堺目を立てて、他日の左券とするのである(柳田國男『口承文芸史考』)、

にある、

左券、

は、

左契、

に同義で、

左験、

ともいう(字源)。

契(ケイ)も、券(ケン)も、割符なり、

とある(大言海)が、

昔、木の札に約束事を書き、手の印形を押した。それを二つに割って、甲乙がその片方はずつを保存し、照らし合わせて証拠とするものを符(わりふ)といい、紐で巻いて保存するものを、「券」という、

ともある(漢字源)。ともかく、

二分した割符(わりふ)の半片、

をいい(広辞苑)、

契約を二枚の札に書し、之を分かち、一を左契とし、一を右契とす、他日引合わせて証拠とす、

とあり(字源)、

自分の手許に留めておく方、

左契、

といい、相手に渡す方を、

右契、

とする(広辞苑)、

とあり(仝上)、転じて、

約束の証拠、

の意で使う(仝上)。出典は、

和大怨必有餘怨(大怨(たいえん)を和するも必ず余怨(よえん)あり)
安可以爲善(安(な)んぞ以って善と為(な)すべけんや)
是以聖人(是(ここ)を以って聖人は)
執左契左契(左契(さけい)を執(と)りて)
而不責於人(人に責めず)
有徳司契(徳有るものは契(けい)を司(つかさど)り)
無徳司徹(徳無きものは徹(てつ 取り立てること)を司る)
天道無親(天道は親(しん)無く)
常與善人(常に善人に与(くみ)す)(老子)

の、

左契、

からきている。

「左契」は「契」すなわち手形として用いる割符の左半分。証文を木札に書き、二つに割って左の半分を債権者、右の半分を債務者がもつ、

とある(福永光司訳注『老子』)。『礼記』曲禮に、

粟(ぞく)を獻ずる者は右契を執る、

とあり、『史記』田敬仲完世家に、

公常執左券、以責于秦韓、此其善於公、而惡張子多資矣、

ともある(仝上・字源・大言海)。

有徳司契(徳有るものは契(けい)を司(つかさど)り)
無徳司徹(徳無きものは徹を司る)

は、

俚言的な成語、

らしく(福永光司訳注『老子』)、

農民の収穫を現物で取り立てる「徹(てつ)の税法」、

と、

現物を離れて信用で取引する「契(けい)の税法」、

を対比している(仝上)。

粟(ぞく)を獻ずる者は右契を執る、

という『礼記』の記述は、その意味であろうか。

不責於人

とは、

相手(債務者)に厳しく督促しない、

意で

いつかは返済してもらい、長い目で見れば埋め合わせがつくことに信頼する、

意とあり(仝上)、

天道無親
常與善人

の、

天の理法の悠久な裁きに対する信頼と対応する、

とある(仝上)。

「券」 漢字.gif

(「券」 https://kakijun.jp/page/0821200.htmlより)

「券」(漢音ケン、呉音コン)は、

会意兼形声。原字は「釆(開いたてのひら)+両手」の会意文字で、拳(指をまいてにぎる)の原字でもある。券は、それに刀を加えたもので、開いた手をにぎることをあらわし、ひもで巻いて保存する手形。手形の文句を、小刀で木札に刻んだので、刀を加えた、

とある(漢字源)。別に、

形声。刀と、音符𢍏(クヱ 𠔉は変わった形)とから成る。むかし、二つの木片に刻み目をつけ、刻み目が合うことを契約の証拠とした。割り符、ひいて、証拠書類の意を表す、

とも(角川新字源)、

会意兼形声文字です。「種を散りまく象形と両手の象形」(「まく」の意味)と「刀」の象形から、刃物で木片にきざみ目をつけ約束したものを2つに割って両者がそれぞれひもで巻いて後日の証拠とする「割符(わりふ)」、「手形」を意味する「券」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji846.html

「契」 漢字.gif


(「契」 https://kakijun.jp/page/0934200.htmlより)

「契」 漢字.gif


「契(契)」(漢音ケイ・ケツ・セツ、呉音ケ・ケチ・セチ)は、

会意。上部は棒(丨)に彡印の刻み目をつけたさまに刀を加えた字で、刃で刻み目をいれること。契は、もとそれに大(大の字に立つ人の姿)を合わせて、商の始祖セツをあらわしたが、のち上部の字のかわりに用いた、

とある(漢字源)が、「ちぎる」「約束」「割符」の意味の場合、「契拠」というように「ケイ・ケ」と訓み、「きざむ」という意の場合、「ケツ・ケチ」と訓み、商の始祖の場合、「セツ・セチ」と訓む(仝上)。

別に、

会意兼形声文字です(丰+刀+大)。「刻み付ける」象形と「刀」の象形と「両手両足を伸びやかにした人」の象形から、人の肌や骨に符号に刻み付ける事を意味し、そこから、「きざむ」、「ちぎる(約束する)」、「しるし」を意味する「契」という漢字が成り立ちました、

とあるhttps://okjiten.jp/kanji1638.html

なお、「左」については「そうなし」で触れた。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)
福永光司訳注『老子』(朝日文庫)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
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ラベル:左券 左契 左験 割符
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2023年04月15日

みぎ・ひだり


馬手・弓手」で触れたように、「左手」は、

弓を持つ方の手、

で、

弓手(ゆんで)、

「右手」は、

手綱を持つ手、



馬(め)手、

と言う(大言海)。漢語「右」(漢音ユウ、呉音ウ)は、

戦国時代には右を尊んだことから、

拝為上卿、位在廉頗之右(拝シテ上卿ト為シ、位廉頗ノ右ニ在リ)(史記)、

と、「右」は、

上位、

を意味し(漢字源)、

かみ

と訓ませ、

たっとびて上座に置く、

意で、

尚、

と同義となる(字源)。

「左」は、

左遷、

というように、

卑しんで、

下位、

を意味し(漢字源)、

左道、

というように、

よこしま、

の意である(字源)。で、世界的にも、右を重んじる民族が多く、「右」は、

光・聖・男性・正しさ、

を意味し、一の腕のように呼ぶ言語がある。英語のrightも、「右」と「正しい」とを意味するし、「左」は、

闇・曲・俗・女性・汚れ、

を意味する民俗が多い(岩波古語辞典)。たとえば、

インド・ヨーロッパ語では、一般に右にあたることばは強、吉、正という意味を含み、左にあたることばは弱、不吉、邪という意味も含んでいる。……ラテン語のdexterも右という意味のほかに強とか幸運を意味し、左をさすsinisterは不吉をも意味する。これは不吉を意味する英語のsinisterやフランス語のsinistreの語源でもある。古代ギリシア語のδεξιςは右および幸運を意味し、ριζτερςやενυμοςおよびσκαιςは左とともに不吉も意味する。(中略)インドネシアにおいては一般に食事をするときは右手を用い、排泄(はいせつ)など不浄な目的には左手を使う習慣がある。イスラム教の及んでいないインドネシア諸族にも同様な観念がある。たとえばバリ島においても右手を尊び、左手を不浄視する習慣がある。バリ島民は、呪術(じゅじゅつ)を「右の呪術」と「左の呪術」とに分け、「右の呪術」は病気治療のための呪術であり、「左の呪術」は人を病気にするための呪術であり、右を善、左を悪としている、

などとある(日本大百科全書)。しかし、古代日本では、

ヒダリはミギより重んじられ、「左手の奥の手」といわれ、左大臣は右大臣より上位だった、

とある(仝上)。ただ、現在、日本各地の俗信には、

尚右の観念、
左を嫌い、
あるいは
左が呪力をもつ、

とする観念がみられ、

左巻き、
左前、

など悪い意味に用いられ、

左縄

は、普通とは逆に左へ撚(よ)って綯(な)った縄のことで、不運を意味するとともに、魔物の撃退に用いられることもある(仝上)ともある。

さて、その、

みぎ、
ひだり、

は何処から来たか。

「みぎ」の語源については、

持切(モチキリ)の約略、力強く持つに堪ふ意(大言海・名言通)
ニギの転、ニギはニギル(握る)の略。右手はよく物をニギル(握)ところから(広辞苑・日本釈名)、
刀の柄をニギリテ(握り手)といったのが、ミギリテ・ミギリ・ミギ(右)になった(日本語の語源)、
かばうようにして物を持つ手なので、「みふせぎ(身防)」の意味(日本語原学=林甕臣)、

といった諸説だが、

上達部(かんだちめ)は階のひだり・みぎりに皆別れてさぶらひ給ふ(「亭子院歌合(913)」)、

と、

ミギリ、

という言い方がある。

ヒダリの語形に合わせ、ミギにリを添えた、

とされるが、

にぎる、

が語源なら、もともと、

ひだり、
みぎり、

と語形が揃っていたことになる。たとえば、

右を古くは「みぎり(右り)」とも言いったが、「みぎり」が略され「みぎ」になったものか、「ひだり(左)」に合わせて「みぎ」を「みぎり」と言ったものか分かっていない、

とされる(語源由来辞典)のだから。類聚名義抄(11~12世紀)には、

右、ミキ、

と清音となっている例もあり、

上代、migiかmigïか未詳、

ともあり(岩波古語辞典)、「みぎ」の語源の特定は非常に難しいhttps://skawa68.com/2022/09/16/post-92726/ようだ。

「ひだり」は、

引垂(ひきたり)の略、力の怠(たゆ)く弱き意(大言海・名言通)、
太陽の輝く南を前面として、南面して東の方に当たるので、ヒ(日)ダ(出)り(方向)の意(岩波古語辞典)、
松明を持つ手という意で、ヒトリテ(火取り手)きが、ヒタリテ・ヒダリとなった(日本語の語源)、
ヒイタリ(日至)の義(柴門和語類集)、
ヒタタリ(直撓)の義(言元梯)、
ヒダはヒタ(直)の義(神代史の新研究=白鳥庫吉)、
端・へりの意のハタ・ヘタが転じた語か(広辞苑)、

等々の諸説があるが、「みき」が手とつながるのなら、「ひだり」も、手と絡めるのが自然なのきかもしれない。ただ、

日の出の方(ヒダリ)、

の説は、南を前面にした場合、東が左にあたるからではないかとするもので、「ひだり」尊重の考えと絡めていて、気になるところではある。たとえば、

陰陽道の「左=陽・右=陰」とも結びつく、

し、古事記で、

イザナギの左目から太陽神のアマテラスが、右目から月神のツクヨミが生まれた、

とされているのともつながるhttp://www.asahi.com/special/kotoba/archive2015/danwa/2013072100002.html。また、律令制度下で、

左大臣が右大臣よりも上位に置かれた、

のは、南向きに座る天皇から見て、左(日の昇る東側)に座る左大臣の方が、右(日の沈む西側)に座る右大臣よりも上とされたから、

という説もある(仝上)。

「右」 漢字.gif

(「右」 https://kakijun.jp/page/migi200.htmlより)

そう(さう)なし」で触れたように、「右」(漢音ユウ、呉音ウ)は、

会意兼形声。又は、右手を描いた象形文字。右は、「口+音符又(右手)」で、かばうようにして物を持つ手、つまり右手のこと。その手で口をかばうことを意味する、

とある(漢字源)。

別に、

会意形声。口と、又(イウ 𠂇は変わった形。たすける)とから成る。ことばで援助することから、みちびく、「たすける」意を表す。のちに、又・佑(イウ)と区別して、「みぎ」の意に用いる、

とある(角川新字源)。更に、

会意兼形声文字です(口+又)。「右手」の象形(「右手」の意味)と「口」の象形(「祈りの言葉」の意味)から、「神の助け」、「みぎ」を意味する「右」という漢字が成り立ちました、

との解釈もあるhttps://okjiten.jp/kanji118.html

「左」 漢字.gif


「左」(サ)は、

会意。「ひだり手+工(しごと)」で、工作物を右手に添えて支える手、

とある(漢字源)が、工と、ナ(サ)(=ひだり手)とから成り、工具を取るひだり手、ひいて、ひだり側の意を表す。また、左手は右手の働きを助けるので、「たすける」意に用いる(角川新字源)がわかりやすい。ただ、この字源は、金文時代の説明にはなっているが、甲骨文字を見ると、そのもとになって「手」を示している字があるはずで、その説明がない。「手」は、五本指の手首を描いたもので、この「左手」とは合わない。しかし、

「左」という字は、甲骨文字ではまるで左手を上に上げた形状をしている。甲骨文字の右の字と相反する。金文と小篆の「左」の字は、下に一個の「工」の字を増やしたものである。ここでの工の字は工具と見ることが出来る、

とあるのでhttps://asia-allinone.blogspot.com/2012/07/blog-post_5.html、「手」を簡略化したものとみられる。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)

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2023年04月16日

樵(こ)る


斧取りて丹生の檜山の木こり来て筏に作り真楫(まかじ)貫き礒漕ぎ廻つつ島伝ひ見れども飽かずみ吉野の瀧もとどろに落つる白波(万葉集)、

の、

こる、

は、

樵る、
伐る、

と当て、類聚名義抄(11~12世紀)に、

伐、キル・コル、

とあり、

枝を切ること、
また、
株を残して立木を切る、

意とある(岩波古語辞典)。

樵る、

は、また、

蒭(くさかり)樵(きこ)ること莫なかれ(天武紀)、

と、

きこる、

とも訓ませ、

木伐(こ)る、

の意で、

山林の木を切る、
薪を伐り採る、

意である(広辞苑)

「樵(こ)る」は、

木(コ キ(木の古形)、木の葉、木立など複合語に残る)を活用させた語(雲る、宿る)、或は、、伐(キ)るの転か(黄金(キガネ)、こがね)(大言海)、
「かる(刈)」の交替形、また、「きる(切)」とも関係がある(日本国語大辞典)、

などとあり、類聚名義抄(11~12世紀)の、

伐、キル・コル、

からみると、

伐(キ)る、
切る、

か、

刈(か)る、

の音韻転換の可能性が高い。

樵(きこり)、
木伐(きこり)、

樵(きこ)る、

の名詞形である。

「樵」 漢字.gif


「樵」(漢音ショウ、呉音ジョウ)は、

会意兼形声。「木+音符焦(ショウ もやす、こがす)」で、燃料にするたきぎ、

とあり(漢字源)、

たきぎ、
きこる、
きこり、

の意もある。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

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2023年04月17日

けうとし


守、聞きていはく、汝はけうとく人にもあらざりける者のこころかな(今昔物語)、

の、

けうとし、

は、

気疎し、

と当て、

このさるまじき御中の違ひにたれば、ここをもけうとくおぼすにやあらむ(蜻蛉日記)、

と、

気に入らず離れていたい、また、気持が離れてしまっている、疎遠だ、

と(広辞苑)、

感じからして疎遠だ、の意が原意、

とある(岩波古語辞典)。

ケは接頭語(大言海)、

とあり、

「対象に対する自身の関係の薄さ」を意味する「疎し」に、「何となく・・・の感じ」の意の「気」を付けて婉曲化した語。やがてその原義の「疎ましさ」の語感が失われ、連用形「けうとく」の形で「(良かれ悪しかれ)程度が甚だしい」を表わす用法も生じた、

ともあるhttps://fusaugatari.com/sample/1500voca/kyoutoshi2620/。「け」は、

気、

と当て、接頭語、

カ(気)、

の転である(岩波古語辞典)。「か」は、

天(あめ)なる日売(ひめ)菅原(すがはら)の草な刈りそね蜷(みな)の腸(わた)か黒(ぐろ)き髪にあくた(芥)し付くも(万葉集)、

というように、

ノドカ・ユタカ・ナダラカ・アキラカ・サヤカ・ニコヤカなど、接尾語のカと同根、

で(仝上)、

か青、
か細し、
か弱し、

等々、

目で見た物の色や性質などを表す形容詞の上につき、見た目に……のさまが感じられるという意を表わす、

とある(仝上)。接尾語「か」も、母韻変化で、

あきらけし、
さやけし、

など、「ケ」となり、さらに、

さむげ、

と、「ゲ」に転じている。

この接頭語「け」は、

ほの=仄、
なま=生、
もの=物、

と同様、

はっきりしないけど、何となく・・・っぽい、

の感覚を表現しているhttps://fusaugatari.com/sample/1500voca/kyoutoshi2620/、日本語独特の語感である。で、

けうとし、

は、

(なんとなく)疎ましい、
(なんとなく)厭わしい、

という感覚になる(大言海)。そこから転じて、

愕然、

と当て(仝上)、

けうとくもなりにける所かな。さりとも、鬼なども、我をば見許してむ(源氏物語)、

と(学研全訳古語辞典)、

気味が悪い、
人気(ひとけ)がなくて寂しい、

あるいは、

聞くもけうとき物怪の、人を亡(うしな)ひしありさま(謡曲「夕顔」)、

と、

怖ろし、
驚くべし、

の意でも使い(大言海)、

妻恋ふ声もけうとき野ら寝かな(時勢粧)、

と、

興醒め、

の意にも転じる(岩波古語辞典)。

この「けうとし」は、

今年いかなるにか、大風吹き、地震(なゐ)などさへ振りて、いとけうとましき事のみあれば(栄花物語)、

と、

けうとまし、

とも転化し、近世初期以降、

けうとし、

は、

Qiôtoi(キョウトイ)ウマ(驚きやすい馬)、
Qiôtoi(キョウトイ)ヒト(不意の出来事に驚き走り回る人)、

と(「日葡辞書(1603~04)」)、

きゃうとい(きょうとい)、

と発音した(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)。

なお、「気」については、「」で、中国絵画における、気の表現については、宇佐美文理『中国絵画入門』で触れた。

「氣」 漢字.gif

(「氣」 https://kakijun.jp/page/ke10200.htmlより)


「氣」 簡牘文字・戦国時代.png

(「氣」 簡牘文字・戦国時代 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%B0%A3より)


「氣」 簡牘文字・戦国時代2.png

(「氣」 簡牘文字・戦国時代 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%B0%A3より)

「氣(気)」(漢音キ、呉音ケ)は、

会意兼形声。气(キ)は、いきが屈曲しながら出てくるさま。氣は「米+音符气」で、米をふかすときに出る蒸気のこと、

とある(漢字源)が、

形声。意符米(こめ)と、音符气(キ)とから成る。食物・まぐさなどを他人に贈る意を表す。「餼(キ)」の原字。転じて、气の意に用いられる、

ともあり(角川新字源)、

「氣」は「餼」の本字、

としhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%B0%A3

隸変後、「氣」は「气」の代用字、

ともある(仝上)。「隸変」とは、

漢代初期に中国語の表記が篆書体から隷書体に移行すると共に、書きやすくするためにある字の絵画的形態の省略や付け加え、変形を行う過程を通じて紀元前第2世紀の間に時とともに起った自然で漸進的で体系的な漢字の簡略化を指す、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9A%B7%E5%A4%89。また、

会意兼形声文字です(米+气)。「湧き上がる雲」の象形(「湧き上がる上昇気流」の意味)と「穀物の穂の枝の部分とその実」の象形(「米粒のように小さい物」の意味)から「蒸気・水蒸気」を意味する「気」という漢字が成り立ちました、

とする説もあるhttps://okjiten.jp/kanji98.html

「疎」 漢字.gif



「踈」 漢字.gif

(「踈」(「疎」の俗字) https://kakijun.jp/page/E6F1200.htmlより)


「疏」 漢字.gif

(「疏」 https://kakijun.jp/page/so12200.htmlより)

「疎(踈)」(漢音ソ、呉音ショ)は、

会意兼形声。疋(ショ)は、あしのことで、左と右と離れて別々にあい対する足。間をあけて離れる意を含む。疎は「束(たば)+音符疋」で、たばねて合したものを、一つずつ別々に離して、間をあけること、

とあり(漢字源)、

疏と同じ、
踈は異字体、

とあり、「疏水」と、「とおす」意、「上疏」と「一条ずつわけて意見をのべた上奏文」の意、「中疏」と「難しい文句を、ときわけて意味を通した解説」の意で使うときに、「疎」ではなく「疏」を使うとあり(仝上)、「疏」(漢音ソ、呉音ショ)は、

会意兼形声。「流(すらすらとながす)の略体+音符疋(ショ)」、

とある。別に、「疎」は、

「疏」の異体字。「㐬」の筆画が「束」の形に変わった字体、

とありhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%96%8E、「疏」は、

形声。「㐬 (流の省略形)」+音符「疋 /*TSA/」。「(水流や道などが)とおる」を意味する漢語、

とあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%96%8F#%E5%AD%97%E6%BA%90

また、「疎」は、

疏(ソ)の俗字、

とし、「疏」は、

会意。疋と、㐬(とつ 子どもが生まれる)とから成る。子どもが生まれることから、「とおる」意を表す、

とあり(角川新字源)、別に、

「疏」は「疎」の旧字、

とし、「疎」と「疏」を、別由来として、「疏」の成り立ちは、

会意兼形声文字です。「人の胴体の象形と立ち止まる足の象形」(「足」の意味)と「子が羊水と共に急に生れ出る象形」(「流れる」の意味)から、足のように二すじに分かれて流れ通じる事を意味し、そこから、「通る」、「空間ができて距離が遠くなる」を意味する「疏」という漢字が成り立ちました、

と、「疎」の成り立ちは、

形声文字です(疋+束)。「人の胴体の象形と立ち止まる足の象形」(「足」の意味だが、ここでは、「疏(ソ)」に通じ(同じ読みを持つ「疏」と同じ意味を持つようになって)、「離す」の意味)と「たきぎを束ねた」象形(「束ねる」の意味)から、「束ねたものを離す」を意味する「疎」という漢字が成り立ちました

と説くものもあるhttps://okjiten.jp/kanji1968.html

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

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ラベル:けうとし 気疎し
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2023年04月18日

むつまじ


形、有様より始めて、心ばへをかしければ、女御これをむつまじき者にしてあはれに思ひたれば(今昔物語)、



むつまじ、

は、

睦まじ、

と当て、古くは、

むつまし、

と清音、動詞、

むつむ(睦)の形容詞化、

とあり(精選版日本国語大辞典)、

血縁あるもの、夫婦の関係にあるものの間に、馴れ合い、甘える感情がある意、広くは身内のように感じている人々や使用人に対する親しみの気持にも多く使う。類義語シタシは、本来必ずしも血縁などの無い人の間に、親密な関係、近しい気分のある意。室町時代からムツマジと濁音にも言う、

とある(岩波古語辞典)。だから、

兄弟(はらから)などのやうにむつましき程なるも無くて、いとさうざうしくなむ(源氏物語)、

と、

血縁の関係にあって気持ちがよく通じる、

意や、それを喩えとして、

我、国異(あたしくに)と雖も、心、断金(ムツマシキ)に在り(日本書紀)、

と、

間柄、気持のつながり、交わりなどが、隔てなく親密である、親しい、

意や、

人より先に参り給ひしかば、むつましくあはれなる方の御思ひは、殊に物語し給ふめれど(源氏物語)、

と、

夫婦関係にあって、馴れ甘え打ち解けた感情である、

意や、

春宮の御方は、実の母君よりも、この御方をばむつましきものに頼み聞え給へり(源氏物語)、

と、

血縁同様の親愛の情を感じる、

意で使い(仝上)、それを敷衍して、

是に陳蔡方(さま)に衛に睦(むつま)し(春秋経伝集)、

と、

仲がよい、

意でも使う(仝上)。

動詞「むつむ」は、

むつび、

と同じで、

むつ+接尾語ぶ、

とあり(精選版日本国語大辞典)、

血縁あるもの、夫婦の関係にあるものとして、馴れ親しむ振舞いをする意、広くは身内のものとしての態度で振舞う意、

とある(岩波古語辞典)。

接尾語「ぶ」は、

荒ぶ、
うつくしぶ、
宮ぶ、
都ぶ、
神(かむ)ぶ、

のように、

名詞または形容詞の語幹について上二段活用の動詞を作り、そのようなふるまいをする、または、そういう様子であることをはっきり示す意をあらわす、

とある(岩波古語辞典)。で、名詞「むつ(睦)」は、

ここに親(むつ)神ろぎ神神ろみの命(みこと)の宣はく(祝詞)、

と(仝上)、

親、

ともあて、

血縁関係・夫婦関係にある者同士が、馴れ親しみ合っている状態、

を意味し(仝上)、

むつぶ、
むつまし、

のほか、

むつごと(睦言)、
むつたま(親魂)、
すめむつ(皇睦)、

など、名詞に熟して用いられる(精選版日本国語大辞典)。なお、

此の師子の縁覚の聖の木の下に居たる時を見て、日日に来て喜びむつれて、経を誦み(「観智院本三宝絵(984)」)、

と、睦(むつ)の動詞化、

むつ(睦)る、

もある。

また、動詞「むつむ」の名詞形、

とし玉をいたう又々申うけ〈蝉吟〉
師弟のむつみ長く久しき〈芭蕉〉(俳諧・芭蕉桃青翁御正伝記(1841)貞徳翁十三回忌追善俳諧)、

と、

むつみ(睦)、

という使い方もあり(仝上)、

また「むつまし」に関連して、

むつまじがる
むつまじげ
むつまじさ
むつましむ
むつまやかに、

といった言い方もある(仝上・大言海)。

「睦」 漢字.gif

(「睦」 https://kakijun.jp/page/1399200.htmlより)

「睦」(漢音ボク、呉音モク)は、

会意兼形声。坴(リク→ボク)は土がもりもりと集まったさま。陸の原字。睦はそれを音符とし、目を加えた字で、多くの者が仲良く集まること、

とある(漢字源・角川新字源)。別に、

形声文字です(目+坴)。「人の目」の象形と「高い土盛りをした場所」の象形(「高い土盛りをした場所」の意味を表すが、ここでは、「穆(ボク)」に通じ(「穆」と同じ意味を持つようになって)、「やわらぐ」の意味)から、目が穏やかの意味を表し、そこから、「親しくする」、「むつまじい」を意味する「睦」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji2053.html

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95


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2023年04月19日

たつき


食物より始めて馬鍬、辛鋤(からすき)、鎌、鍬、斧、たつきなど云ふ物に至るまで、家の具を船に取り入れて(今昔物語)、

にある、

たつき、

は、

大きい刃の広い斧、

とある(佐藤謙三校注『今昔物語集』)。因みに、「辛鋤」は、

牛にかけて耕すのに使う、

とあり(仝上)、「犂牛(りぎゅう)」で触れた、

唐鋤、

と当てる、

柄が曲がっていて刃が広く、日本ではウシ、ウマに引かせて耕す犂(すき)、

をいい、

牛鍬(うしぐわ)、

ともいい(精選版日本国語大辞典)、古墳時代後期に、中国から朝鮮半島を経て由来したものである。

たつき、

は、

鐇、

と当て、

たつぎ、

ともいう、

木を伐採するのに用いる刃はばの広い大きな手斧(おの)、

で(デジタル大辞泉)、

木材を竪に切るもの(横に切るを、ヨキという)、

とある(大言海)。

たつげ、
はびろ、

ともいう(大言海)。和名類聚抄(平安中期)に、

鐇、多都岐、廣刃斧也、

とある。

斧.jpg

(斧 デジタル大辞泉より)

「よき」は、

木こりは恐ろしや、荒けき姿に鎌を持ち、斧(よき)を提げ(梁塵秘抄)、

と、

斧、

と当て、

小形のおの、

つまり、

小斧(こおの)、

(岩波古語辞典)とある。和名類聚抄(平安中期)に、

斧、與岐、

字鏡(平安後期頃)に、

鉿、鋌也、與支、

とある。「たつき」は、

立削(タツゲ)の転にて、竪に我が方へ削る意かと云ふ、

とあり(大言海)、「よき」は、

横切(よこきり)の約、鐇(タツギ)に対す、

とある(仝上)。

鉞かつぎ熊に跨る金太郎.jpg

(鉞かつぎ熊に跨る金太郎(鳥居清長/清長) https://ch.kanagawa-museum.jp/dm/ukiyoe/kanagawa/meisyo/d_meisyo17.html

「たつき」の画像は、あまり見当たらないが、童謡の、

まさかりかついだ金太郎、熊に跨りお馬の稽古、

の、

まさかり、

は、

はびろ、

とも呼ばれたhttps://dic.pixiv.net/a/%E9%89%9Eとあり、ふるくは、

鐇(たつき)、

と呼び、兵器や刑具に用いられたhttps://www.hand-made-home.com/daikudougu/pageindices/index44.html#page=45、とある。なお、出土品から見たむ斧の分類は、https://www.hand-made-home.com/daikudougu/pageindices/index44.html#page=45に詳しい。それによると、

鉞型、

は、

肩を持つ刃幅広い斧で、伐採や木材を斫はつる場合などに用いる、

とあり、

与岐型、

は、

頭部より刃の方がやや幅広く、袋部の下から撫肩で広がっている。刃は蛤刃のように外に張り出した円弧を描いている。大型、中型、小型があり、伐木、薪割など、さまざまな用途に用いる万能的な斧、

とある。

なお、「方便」とあてる「たつき」については触れた。

「鐇」 漢字.gif

(「鐇」 https://kakijun.jp/page/E85F200.htmlより)

「鐇」(漢音ハン、呉音ボン)は、

木を削る、

ちょうな、

の意とある(漢字源)。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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2023年04月20日

牽牛子(けにごし)


牽牛子(けにごし)の花を見ると云ふ心を、中将かくなむ、あさがほをなにはかなしと思ひけむ人をも花はさこそみるらめ、と(今昔物語)、

にある、

牽牛子(けにごし)、

は、

アサガオの異称、

で(広辞苑)、

アサガオの中国名を、ケニは牽の字音(ken)の後に母音iを添えて、日本風にした形、ゴは牛の呉音、

とあり(岩波古語辞典)、

けんごし、

ともいう(広辞苑)のは、iを添えないだけのことのようだ。

牽牛子(ケヌゴシ)の転、

とある(大言海)のも転訛の一つなのだと思われる。漢語では、

牽牛、

は、

ケンギュウ、

と訓み、

アサガオ、

は、

牽牛花(ケンギュウカ)、

とあり、類聚名義抄(11~12世紀)に、

蕣(キバチス)、アサガホ、

とあるように、

蕣花(しゅんか)、

ともいう(字源)が、これは、

むくげ、

をさす(デジタル大辞泉)。このことは、後述する。

和名類聚抄(平安中期)には、

牽牛子、阿佐加保、

とある。

朝顔.jpg



朝顔の種.jpg


牽牛子は、アサガオを意味する「牽牛」の、

種子

をいう。漢方で、

味苦寒、有毒。気を下し、脚満、水腫を療治し、風毒を除き、小便を利す(「名医別録(1〜3世紀頃)」)、

とされ、漢方薬に用いる生薬としては、

アサガオの種子を乾燥させ粉末にしたもの、

で、

強い下剤作用がある。利尿剤としても用いられる。強い下剤である牽牛子丸、牽牛散に含まれる。下剤作用が強いので、注意が必要、

とある(漢方薬・生薬・栄養成分がわかる事典)。

「牽牛子」の名の由来は、

古代中国においてアサガオの種子は牛と取引されるほど高価な薬だった、
謝礼として牛を牽(ひ)いて来たという逸話に由来する、
アサガオの花を牛車に積んで売り歩いた、

等々の諸説があるhttps://www.fukudaryu.co.jp/sozai2/kengoshiHP.pdfが、中国六朝時代の医学者・科学者、陶弘景(456~536)は、

この薬は農民の間で使用が始まったもので、人々はこの薬を交易するために牛を牽いて出かけたので牽牛子という、

と述べているhttps://www.uchidawakanyaku.co.jp/kampo/tamatebako/shoyaku.html?page=107し、宋代(1100年)の本草書『證類本草(しょうるいほんぞう)』にも、

此薬始出田野人、牽牛易薬、故以名之、

とある。

「朝顔」は、「あさがほ」で触れたように、

桔梗、

にも、

木槿、

にも、

呼ばれたが、

木槿も牽牛子(漢方、朝顔の種)も後の外来ものなれば、万葉集に詠まるべきなし、

と(大言海)し、

桔梗、

の意であった、とされる。今日の「あさがお」は、

奈良時代末期に遣唐使がその種子を薬として持ち帰ったものが初めとされる。アサガオの種の芽になる部分には下剤の作用がある成分がたくさん含まれており、漢名では「牽牛子(けにごし、けんごし)と呼ばれ、奈良時代、平安時代には薬用植物として扱われていた、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%B5%E3%82%AC%E3%82%AAが、

遣唐使が初めてその種を持ち帰ったのは、奈良時代末期ではなく、平安時代であるとする説もある。この場合、古く万葉集などで「朝顔」と呼ばれているものは、本種でなく、キキョウあるいはムクゲを指しているとされる、

としている(仝上)。平安初期の新撰字鏡も、

桔梗、阿佐加保(あさがほ)、

とし、岩波古語辞典も、「朝顔」が、万葉集で歌われているのは、

桔梗、

の意で、輸入された、ムクゲが美しかったので、それ以前にキキョウにつけられていた「あさがほ」という名を奪った、とする。名義抄(11世紀末から12世紀頃)には、その後、平安時代に中国から渡来した、その実を薬用にした牽牛子(けにごし)が、ムクゲよりも美しかったので、「あさがほ」の名を奪った、

と(岩波古語辞典)ある。「桔梗」、「ムクゲ」については触れた。

中国では、牽牛子の原植物としてアサガオを当てるが、前述の陶弘景は、

花の形は扁豆のようで、黄色く、子は小さな房を作る、

と記し、アサガオとは異なるとしたものの、唐代の本草書『新修本草(しんしゅうほんぞう)』では、

花はヒルガオに似ており、碧色で、黄色ではなく扁豆にも似ていない。人々は原植物を秘密にしていて、陶氏は実物を見ることなく誤った情報を書き広めたのだ、

とし、宋代『開宝本草』では、

蔓性であること、子には黄色い殻が有り、実は黒いこと、

とし、北宋『図経本草』でも、

葉は三尖角で、8月に結実し毬のように白皮に包まれ、中には4〜5個の子があり、蕎麦大で、白黒の二種がある、

としておりhttps://www.uchidawakanyaku.co.jp/kampo/tamatebako/shoyaku.html?page=107、牽牛子がアサガオであったことは間違いなさそうである。

種皮の色によって区別され、白いものを、

白丑(はくちゅう)・白牽牛子、

黒いものを、

黒丑(こくちゅう)・黒牽牛子、

といいhttps://www.fukudaryu.co.jp/sozai2/kengoshiHP.pdf、両者の効能は変わらないが、古くは白種子を尊み、今日では黒種子の方がよく用いられている(仝上)、とある。元代の医師、朱震亨(しゅしんこう)は、

牽牛は火に属して善く走るものだが、黒い色は水に属し、白い色は金に属するものであって、病形と証とともに実して脹満せず、大便の秘せぬものでないかぎりは軽々しく用いていはいけない。その駆逐する作用でもって虚を惹起する。先哲は深く戒めている、

というhttps://www.uchidawakanyaku.co.jp/kampo/tamatebako/shoyaku.html?page=107

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
簡野道明『字源』(角川書店)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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