2023年04月15日
みぎ・ひだり
「馬手・弓手」で触れたように、「左手」は、
弓を持つ方の手、
で、
弓手(ゆんで)、
「右手」は、
手綱を持つ手、
で
馬(め)手、
と言う(大言海)。漢語「右」(漢音ユウ、呉音ウ)は、
戦国時代には右を尊んだことから、
拝為上卿、位在廉頗之右(拝シテ上卿ト為シ、位廉頗ノ右ニ在リ)(史記)、
と、「右」は、
上位、
を意味し(漢字源)、
かみ
と訓ませ、
たっとびて上座に置く、
意で、
尚、
と同義となる(字源)。
「左」は、
左遷、
というように、
卑しんで、
下位、
を意味し(漢字源)、
左道、
というように、
よこしま、
の意である(字源)。で、世界的にも、右を重んじる民族が多く、「右」は、
光・聖・男性・正しさ、
を意味し、一の腕のように呼ぶ言語がある。英語のrightも、「右」と「正しい」とを意味するし、「左」は、
闇・曲・俗・女性・汚れ、
を意味する民俗が多い(岩波古語辞典)。たとえば、
インド・ヨーロッパ語では、一般に右にあたることばは強、吉、正という意味を含み、左にあたることばは弱、不吉、邪という意味も含んでいる。……ラテン語のdexterも右という意味のほかに強とか幸運を意味し、左をさすsinisterは不吉をも意味する。これは不吉を意味する英語のsinisterやフランス語のsinistreの語源でもある。古代ギリシア語のδεξιςは右および幸運を意味し、ριζτερςやενυμοςおよびσκαιςは左とともに不吉も意味する。(中略)インドネシアにおいては一般に食事をするときは右手を用い、排泄(はいせつ)など不浄な目的には左手を使う習慣がある。イスラム教の及んでいないインドネシア諸族にも同様な観念がある。たとえばバリ島においても右手を尊び、左手を不浄視する習慣がある。バリ島民は、呪術(じゅじゅつ)を「右の呪術」と「左の呪術」とに分け、「右の呪術」は病気治療のための呪術であり、「左の呪術」は人を病気にするための呪術であり、右を善、左を悪としている、
などとある(日本大百科全書)。しかし、古代日本では、
ヒダリはミギより重んじられ、「左手の奥の手」といわれ、左大臣は右大臣より上位だった、
とある(仝上)。ただ、現在、日本各地の俗信には、
尚右の観念、
左を嫌い、
あるいは
左が呪力をもつ、
とする観念がみられ、
左巻き、
左前、
など悪い意味に用いられ、
左縄
は、普通とは逆に左へ撚(よ)って綯(な)った縄のことで、不運を意味するとともに、魔物の撃退に用いられることもある(仝上)ともある。
さて、その、
みぎ、
ひだり、
は何処から来たか。
「みぎ」の語源については、
持切(モチキリ)の約略、力強く持つに堪ふ意(大言海・名言通)
ニギの転、ニギはニギル(握る)の略。右手はよく物をニギル(握)ところから(広辞苑・日本釈名)、
刀の柄をニギリテ(握り手)といったのが、ミギリテ・ミギリ・ミギ(右)になった(日本語の語源)、
かばうようにして物を持つ手なので、「みふせぎ(身防)」の意味(日本語原学=林甕臣)、
といった諸説だが、
上達部(かんだちめ)は階のひだり・みぎりに皆別れてさぶらひ給ふ(「亭子院歌合(913)」)、
と、
ミギリ、
という言い方がある。
ヒダリの語形に合わせ、ミギにリを添えた、
とされるが、
にぎる、
が語源なら、もともと、
ひだり、
みぎり、
と語形が揃っていたことになる。たとえば、
右を古くは「みぎり(右り)」とも言いったが、「みぎり」が略され「みぎ」になったものか、「ひだり(左)」に合わせて「みぎ」を「みぎり」と言ったものか分かっていない、
とされる(語源由来辞典)のだから。類聚名義抄(11~12世紀)には、
右、ミキ、
と清音となっている例もあり、
上代、migiかmigïか未詳、
ともあり(岩波古語辞典)、「みぎ」の語源の特定は非常に難しい(https://skawa68.com/2022/09/16/post-92726/)ようだ。
「ひだり」は、
引垂(ひきたり)の略、力の怠(たゆ)く弱き意(大言海・名言通)、
太陽の輝く南を前面として、南面して東の方に当たるので、ヒ(日)ダ(出)り(方向)の意(岩波古語辞典)、
松明を持つ手という意で、ヒトリテ(火取り手)きが、ヒタリテ・ヒダリとなった(日本語の語源)、
ヒイタリ(日至)の義(柴門和語類集)、
ヒタタリ(直撓)の義(言元梯)、
ヒダはヒタ(直)の義(神代史の新研究=白鳥庫吉)、
端・へりの意のハタ・ヘタが転じた語か(広辞苑)、
等々の諸説があるが、「みき」が手とつながるのなら、「ひだり」も、手と絡めるのが自然なのきかもしれない。ただ、
日の出の方(ヒダリ)、
の説は、南を前面にした場合、東が左にあたるからではないかとするもので、「ひだり」尊重の考えと絡めていて、気になるところではある。たとえば、
陰陽道の「左=陽・右=陰」とも結びつく、
し、古事記で、
イザナギの左目から太陽神のアマテラスが、右目から月神のツクヨミが生まれた、
とされているのともつながる(http://www.asahi.com/special/kotoba/archive2015/danwa/2013072100002.html)。また、律令制度下で、
左大臣が右大臣よりも上位に置かれた、
のは、南向きに座る天皇から見て、左(日の昇る東側)に座る左大臣の方が、右(日の沈む西側)に座る右大臣よりも上とされたから、
という説もある(仝上)。
「そう(さう)なし」で触れたように、「右」(漢音ユウ、呉音ウ)は、
会意兼形声。又は、右手を描いた象形文字。右は、「口+音符又(右手)」で、かばうようにして物を持つ手、つまり右手のこと。その手で口をかばうことを意味する、
とある(漢字源)。
別に、
会意形声。口と、又(イウ 𠂇は変わった形。たすける)とから成る。ことばで援助することから、みちびく、「たすける」意を表す。のちに、又・佑(イウ)と区別して、「みぎ」の意に用いる、
とある(角川新字源)。更に、
会意兼形声文字です(口+又)。「右手」の象形(「右手」の意味)と「口」の象形(「祈りの言葉」の意味)から、「神の助け」、「みぎ」を意味する「右」という漢字が成り立ちました、
との解釈もある(https://okjiten.jp/kanji118.html)。
「左」(サ)は、
会意。「ひだり手+工(しごと)」で、工作物を右手に添えて支える手、
とある(漢字源)が、工と、ナ(サ)(=ひだり手)とから成り、工具を取るひだり手、ひいて、ひだり側の意を表す。また、左手は右手の働きを助けるので、「たすける」意に用いる(角川新字源)がわかりやすい。ただ、この字源は、金文時代の説明にはなっているが、甲骨文字を見ると、そのもとになって「手」を示している字があるはずで、その説明がない。「手」は、五本指の手首を描いたもので、この「左手」とは合わない。しかし、
「左」という字は、甲骨文字ではまるで左手を上に上げた形状をしている。甲骨文字の右の字と相反する。金文と小篆の「左」の字は、下に一個の「工」の字を増やしたものである。ここでの工の字は工具と見ることが出来る、
とあるので(https://asia-allinone.blogspot.com/2012/07/blog-post_5.html)、「手」を簡略化したものとみられる。
参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95