土御門(つちみかど)と道祖(さへ)の大路との辺(ほとり)に、檜墻(ひがき)して押立門(おしたてもん)なる家有り(今昔物語)、
の、
押立門、
は、
二本の柱だけを立てて、扉を左右につけた手軽な門、
とある(広辞苑)。写真が見当たらないが、似たものに、
冠木門、
というのがある。「冠木門」は、
門や鳥居などで、左右の柱の上部を貫く横木、
つまり、
冠木(かぶき)、
要は、
貫(ぬき)
を、
二柱の上方に渡した屋根のない門、
をいい(広辞苑)、
衡門(こうもん)、
ともいい、古くは、
隠者の家、貧者の家に用いられた造り、
であるが、
諸大名の外門、
などにも用いられた(精選版日本国語大辞典)。ただ、
江戸時代には櫓門や楼門ではない平門を指していたが、明治以降は屋根を持たない門を指すことが多い、
とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%80)。「平門」とは、
ひらもん、
ひらかど、
と訓み、
二本の柱をたて、棟の低い平たい屋根をのせた門、
をいう(広辞苑)。
(冠木門 大辞林より)
(冠木門 広辞苑より)
この「冠木門」の、
冠木、
つまり、
貫、
のない門が、
押立門、
ということになり、「冠木門」よりなお一層粗末な門、ということになる。
「押し立て」は、
やおら抱きおろして戸はおしたてつ(源氏物語)、
豊国の鏡の山の石戸立て隠れにけらし待てど来まさず(万葉集)、
と、
戸を閉てる、
障子をたつ、
の、
閉じる、
閉める、
と、
押し閉める、
意の、
戸や屏風などを押しやってとざす、
意からきていると思われる(精選版日本国語大辞典)。
因みに、「櫓門(やぐらもん)」の「やぐら」は、は、「やぐら」で触れたように、
矢倉、
矢蔵、
兵庫、
等々と当て、「倉」で触れたように、文字通り、
兵庫、
は武器庫の意なので、
閑曠(いたずら)なる所に兵庫(やぐら)を起造(つく)り(幸徳紀)、
と、
武器を納めて置く倉、
の意と考えられ(広辞苑)、中世の城郭では専ら、
矢蔵、
矢倉、
と記され(西ケ谷恭弘『城郭』)、
飛道具武器である弓矢を常備していた蔵である。敵の来襲に即応できるように、塁上の角や入口に建てられた門上にその常備施設として作られたことに由来する、
とある(仝上)ので、臨戦態勢の中では、すぐに射かけられるように、高い所に「矢倉」が設置されたものと考えられる。だから、「やぐら」の意は、
四方を展望するために設けた高楼、
の意と(広辞苑)なり、
城郭建築では敵情視察または射撃のため城門・城壁の上に設けた、
という意に転じていき、「櫓門」は、
櫓門は、門の上に櫓を設けた、特に城に構えられる門の総称、
で、
二階門、
ともいう(デジタル大辞泉)。
(櫓門(京都府 舞鶴城) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%80より)
また、「楼門」は、
二階造りの門、
をいう(精選版日本国語大辞典)。だから、
二重門、
も本来は楼門といったが、二重の屋根のあるものとそうでないものがあるため現在は、下層に屋根のある門を、
二重門、
と呼び、下層に屋根のない二階造りの門を、
楼門、
と呼ぶ(精選版日本国語大辞典・https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%80)。
(「楼門」 精選版日本国語大辞典より)
(二重門(東福寺の三門) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E9%87%8D%E9%96%80より)
(「門」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%96%80より)
「門」(漢音ボン、呉音モン)は、
象形。左右二枚の扉を設けたもんの姿を描いたもので、やっと出入りできる程度に、狭く閉じている意を含む、
とある(漢字源)。
参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95