2023年05月21日

構ふ


醫師もこれを聞きて泣きぬ。さて云ひやう、此の事を聞くに、實にあさまし、己構へむと云ひて(今昔物語)、

の、

構ふ、

は、

方法を考える、

と注記がある(佐藤謙三校注『今昔物語集』)。

構ふ、

については、

カム(噛)アフ(合)の約、かみあわせる意(岩波古語辞典)、
カは構くの語根、マフは、設け成す意(見まふ、為(しまふ)、立ちまふ)(大言海)、

の二説しか載らないが、

構く、

は、

絡く、

とも当て、

大君の八重の組籬(くみがき)かかめども汝(な)を有ましじみかかぬ組籬(日本書紀)

と、

構え作る、
組み作る、
編み成す、

意である(大言海)。この、

構く、

は、

懸くと同源、

とあり、

懸く、

は、

舁く、
とも、
掻く、
とも、
書く、

とも同源で、「かく(書)」で触れたように、

書く・描く・画くは、全て「掻く(かく)に由来する。かつては、土・木・石などを引っ掻き、痕をつけて記号を記したことから、「かく」が文字や絵などを記す意味となった、

もので(語源由来辞典)、「掻く」は、

爪を立て物の表面に食い込ませてひっかいたり、絃に爪の先をひっかけて弾いたりする意。「懸く」と起源的に同一。動作の類似から、後に「書く」の意に用いる、

とあり(岩波古語辞典)、「懸く」は、

物の端を対象の一点にくっつけ、そこに食い込ませて、その物の重みを委ねる意。「掻く」と起源的に同一。「掻く」との意味上の分岐に伴って、四段活用から下二段活用「懸く」に移った。既に奈良時代に、四段・下二段の併用がある、

とする(仝上)。つまり、漢字がなければ、

書く、
も、
掻く、
も、
懸く、

掛く、
も、
舁く、
も、
構く、

区別なく、「かく」であり、

手指の動作に伴う、

幅広い意味があることになる。

構ふ、

は、そう見ると、上述語源説の、

カム(噛)アフ(合)の約、かみあわせる意(岩波古語辞典)、
カは構くの語根、マフは、設け成す意(大言海)、

を合わせて、

カは構く、アフ(合)、

と、

構く、

を少し強め、単純な、

構く、

の動作を進め、

長き世の語りにしつつ後人の偲ひにせむとたまぼこ(玉桙)の道の邊(へ)近く磐構へ造れる冢(万葉集)、

と、

組み立て作る、
結構、

と(大言海)、「構く」の動作を進捗させた言い方なのではないか。字鏡(平安後期頃)に、

材、用也、加万夫、

とある。それをメタファに、

樏(かじき)はく越の山路の旅すらも雪にしづまぬ身をかまふとか(夫木集)、

と、

身構え、
身支度す、

の意に、さらに、

いかにかまへて、ただ心やすく迎へとりて(源氏物語)、

と、

思慮・工夫・注意・用心などあれこれ組み立て集中する、

と、

心構え、

の意で用い、

このかまふる事を知らずして、その教へに随ひて(今昔物語)、

と、

企てる、
たくらむ、

意でも使う(岩波古語辞典・大言海)。この他動詞が、

心にかまへてする意より、四段自動の生じたるものか、下二段他動のいろふ(彩色)に対して、四段自動のいろふ(艶)、いろふ(綺)のあるがごときか、

という(大言海)、

多く打消しの表現を伴って用いる、

「構ふ」の自動詞形が生じ、

世間は何といふともかまはず、再々見舞うてくれい(狂言・居杭)、
私にかまわないで先に行ってください、

などと、

関わる、
関与する、
かかづらう、
携わる、

意や、

小車にかまふ辺りの木を伐りて(六吟百韻)、
我等が鼻が高いによつて、こなたの下尾垂さげおだれへかまひまして出入りに難儀をしまする(西鶴織留)、
費用がかかってもかまいませんか、

などと、

差し支える、
さしさわる、

意で使い、さらに、転じて、

たづさはりて禁ずる意、

から、

すでに市川の苗字を削られ芝居もかまはるべき程のことなり(風来六部集・飛だ噂の評)、

と、

強く干渉して、一定の場所での居住などを禁止する、
追放する、

意などでも使う(広辞苑・大言海)。

構ひ、

と名詞形だと、江戸時代、

日本半分かまはれにけり(俳諧・物種集)、

と、

一定地域から追放し、立入を禁止する刑、

を指す(広辞苑)。

「構」 漢字.gif


「構」(漢音コウ、呉音ク)は、

会意兼形声。冓(コウ)は、むこうとこちらに同じように木を組んでたてたさま。向こう側のものは逆に書いてある。構は「木+音符冓」で、木をうまく組んで、前後平均するように組み立てること、

とある(漢字源)。別に、

形声。木と、音符冓(コウ)とから成る。木を組み合わせて家屋などをつくる、ひいて「かまえる」意を表す、

とも(角川新字源)、

形声文字です(木+冓)。「大地を覆う木」の象形と「かがり火をたく時に用いるかごを上下に組み合わせた」象形(「組み合わせる」の意味)から、「木を組み合わせる」、「かまえる」を意味する「構」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji789.html

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:構ふ
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2023年05月22日

賓頭盧(びんづる)


それが賓頭盧(びんづる)こそ、いみじく験(げん)はおはしますなれとて(今昔物語)、

にある、

賓頭盧、

は、

十六羅漢の一つで、参詣すれば病をいやすといわれている、

とある(佐藤謙三校注『今昔物語集』)。

賓頭盧、

は、

Piṇḍola-bharadvāja(ピンドーラ・バーラドヴァージャ)の音写、

で、

名がピンドーラ、姓をバーラドヴァージャ、

は、

賓頭盧翻不動、字也、頗羅堕、姓也、木行集経翻重瞳(翻訳名義集)、

と、

賓頭盧頗羅堕(びんずるはらだ 「賓頭盧」は字、「頗羅堕」は姓)の略、

とあり(精選版日本国語大辞典)、漢訳では、賓頭盧頗羅堕(びんずるはらだ)の他、

賓頭盧跋羅堕闍(びんずるばらだじゃ)、
賓頭盧突羅闍(びんずるとらじゃ)、
賓度羅跋囉惰闍(びんどらばらだじゃ)、

等々とも音写し、略称して、

賓頭盧(尊者)、

と呼ばれるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B3%93%E9%A0%AD%E7%9B%A7。釈迦の弟子で、十六羅漢の第一、

獅子吼(ししく)第一、

と称されるほど(仝上)、

人々を教化し説得する能力が抜群、

であり、

神通に長じたが、みだりに神通を用いたため、仏に叱られて涅槃(ねはん)を許されず、仏の滅後も衆生を救い続ける、

とされる(精選版日本国語大辞典)。『雑阿含経(ぞうあごんきょう)』には、

賓度羅跋囉惰闍(賓頭盧(びんずる)が仏陀から世にとどまれと命ぜられた、

とみえ、『弥勒下生経(みろくげしょうきょう)』には、

大迦葉(だいかしょう)、屠鉢歎(どばったん)、賓頭盧、羅云(らうん)、

の四比丘(びく)が仏法の滅亡ののちに涅槃(ねはん)するよう命ぜられた、と記されている(日本大百科全書)。

賓頭盧尊者.jpg


末世の人に福を授ける役をもつ人、

として受け取られ、法会には食事などを供養する風習が生じ、中国では、彼の像を、

食堂(じきどう)、

に安置した。日本では、

一向小乗寺。置賓頭盧和尚以為上座(「山家学生式(818~19)」)、
西国諸小乗寺、以賓頭盧為上座(梵網経疏)、

と、

寺の本堂の外陣(げじん)、前縁、

などに安置し、俗に、

病人が自分の患部と同じその像の箇所をなでて、病気の快復を祈願した、

ところから、

なでぼとけ(撫(な)で仏)、

ともいい、

おびんずる、
おびんずるさま、
びんずり、

等々とも呼ぶ(仝上・日本大百科全書)。

舌をだしているおびんずるさま.jpg

(舌をだしているおびんづるさま https://www.zen-temple.com/zatugaku/binzuru/binzurutop.htmlより)

おびんずるさま、

は、

舌が出してる、

とされることについて、こんな逸話が載っているhttps://www.zen-temple.com/zatugaku/binzuru/binzurutop.html

おびんずるさまは 毎日 熱心に修行に励んでましたが、困ったことにお酒が大好きでした。修行のあいまにお釈迦さまに隠れては、こっそりお酒を飲んでおりました。
しかし、ある日、お釈迦さまにお酒を飲んでることがばれてしまい怒られたそうです。
それで、「しまった」と思ったのかどうかは分かりませんが、舌を出したそうです、

と、

赤いお顔、

なのは、

お酒をのん飲んで赤い、

のか、

お釈迦さまに怒られて赤面してる、

のかは定かではない、とも(仝上)

病んでいる場所と同じ所をなでて治す、

という風習生まれたのはいつの頃かはっきりしないが、当初は、

紙でお賓頭盧さんをなで、その紙で自分の患部をなでていた、

というhttp://tobifudo.jp/newmon/jinbutu/binzuru.html。直接なでるようになったのは、

江戸時代中頃から、

のようである(仝上)。

なで仏、

の原型は、大唐西域記の瞿薩旦那国(くさたなこく)に登場し、

栴檀の木で造られた高さ6m程の仏像があり、たいへん霊験があって光明を放っていました。この仏像に患部と同じ場所に金箔を貼ると、すぐに病が治る、とされていた、

とある(仝上)。

賓頭盧尊者像(東大寺大仏殿前).jpg

(賓頭盧尊者像(東大寺大仏殿前) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B3%93%E9%A0%AD%E7%9B%A7より)

因みに、十六羅漢は、

仏の命を受けて、ながくこの世にとどまって、正法を守護するという一六人の阿羅漢、

をいい、「羅漢」は、

阿羅漢、

の意で、

サンスクリット語のアルハトarhatの主格形アルハンarhanにあたる音写語、

で、

尊敬を受けるに値する者、

の意。漢訳仏典では、

応供(おうぐ)、
あるいは、
応、

と訳す。仏教において、

究極の悟りを得て、尊敬し供養される人、

をいう。後世の部派仏教(小乗仏教)では、

仏弟子(声聞 しょうもん)の到達しうる最高の位、

をさし、仏とは区別され、大乗仏教においては、

阿羅漢は小乗の聖者をさし、大乗の求道者(菩薩ぼさつ)には及ばない、

とされた(日本大百科全書)。なお、十六羅漢の他、

五百羅漢、

が知られる。十六羅漢は、経典により名称に多少の差異があるが、

賓度羅跋羅惰闍(ひんどらばっらだじゃ)・迦諾迦跋蹉(かだくかばさ)・迦諾迦跋釐惰闍(かだくかばりだじゃ)・蘇頻陀(そびんだ)・諾距羅(なくら)・跋陀羅(ばだら)・迦理迦(かりか)・伐闍羅弗多羅(ばしゃらふったら)・戍博迦(じゅはか)・半託迦(はんだか 周梨槃特)・羅怙羅(らごら)・那伽犀那(なかさいな)・因掲陀(いんかだ)・伐那婆斯(ばなばし)・阿氏多(あした)・注荼半託迦(ちゅだはんだか)、

とされる(仝上・精選版日本国語大辞典)。

なお賓度羅跋羅堕闍尊者の形相は、

白眉皓首、岩窟に依り波瀾を見、両手に小宝塔を捧げ、中に仏像を安んず、

とあるhttp://www.arc.ritsumei.ac.jp/opengadaiwiki/index.php/%E5%8D%81%E5%85%AD%E7%BE%85%E6%BC%A2

びんずるさま(善光寺).jpg

(びんずるさん(善光寺) https://www.binzuru-ichi.com/history/binzuru-sama.htmlより)

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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2023年05月23日

あやにくだつ


これが腹立ちて解かぬをも、あやにくだつやうにて、ただ解きに解かせつ(今昔物語)、
さこそあやにくだちつれども、いとほしかりければ、装束を取りて急ぎ着て、馬に乗りて(仝上)、

とある、

あやにくだつ、

は、

いじわるくする、

意とある(佐藤謙三校注『今昔物語集』)。「あやにくだつ」は、

生憎だつ、

と当て、

人をいらだたせ、困らせるような態度をする、意地わるくふるまう(広辞苑)、
人の嫌がることをことさらにする(大辞林)、
身勝手なことをして人を困らせる、だだをこねる(大辞泉)、
強引なことをして他を困らせる、意地を張る(日本国語大辞典)、
他を困らせたがる、いたずら心が起こる(学研全訳古語辞典)、
憎らしく思われる振舞いをする(岩波古語辞典)、

などと、微妙にニュアンスが異なるが、用例は、同じ、

あなたこなたに住む人の子の四つ五つなるは、あやにくだちて、物とり散らしそこなふ(枕草子)、

についての意味なのが可笑しい。「あやにくだつ」は、

「あやにく」 + 接尾辞「だつ」、

https://ja.wiktionary.org/wiki/%E3%81%82%E3%82%84%E3%81%AB%E3%81%8F%E3%81%A0%E3%81%A4

アヤニクは、憎む意、立つは、起こる、始まるの意(景色だつ、艶(えん)だつ)、憎む心の起こると云ふなり、アヤニクム心と云ふ語もあり、

とある(大言海)。単に、

困るようなこと、憎たらしいことをする、

というのではなく、

そういう気持ちが起こる、

という含意と思われる。

あやにく、

は、

生憎、
可憎、

と当て(大言海)、形容詞の、

あやにくしの語幹、

とある(仝上)が、

ニクシは憎しの語幹、

ともある(岩波古語辞典)。「あやにくし」の、

アヤは感嘆詞の嗟嘆(アヤ)なり、アナニクシと云ふも、嗟嘆(アナ)憎しなり、共に、語根のみにて、アヤニク、アナニクと、副詞に用ゐらる(大言海)、

てあり、「あやにく」は、

形容詞の嗟嘆(アヤ)憎しの語根(あやなし、あやな。あなかしこし、あなかしこ)、アナアヤニクとも云ふは、感動詞の重言なれども、下の語原は忘れられて云ふなり、アイニクと云ふは、後世語にて、音轉なり(此奴(こやつ)、こいつ。彼奴(あやつ)、あいつ)、

とも(大言海)、

アヤは感動詞、ニクは憎しの語幹、程度の程度の甚だしさとか、物事の潮時とかが、自分の思いを阻害して、憎らしく思われること、今の「あいにく」の古語、

とも(岩波古語辞典)、

「あや」は感動詞、「にく」は「にくし」の語幹)気持や予想に反して、好ましくないことが起こるさま。また、思うようにならないで好ましくなく感ずるさま(日本国語大辞典)、

とも、

「観智院本名義抄」では「咄」(意外な事態に驚いて発する声)の字が当てられているところから、一語の感動詞のように用いられ、やがて形容動詞に進んだとも見られる(精選版日本国語大辞典)、

ともあり、

出でんとするに、時雨(しぐれ)といふばかりにもあらず、あやにくにあるに、なほいでんとす(蜻蛉日記)、

と、

予期に反してまが悪いさま、おりあしく不都合だ、

の意や、

さらに見ではえあるまじくおぼえ給ふも、かへすがへすあやにくなる心なりや(源氏物語)、

と、

予期に反して思うにまかせないさま、思いどおりにならないで困る、

意や、

さらに知らぬよしを申ししに、あやにくにし給ひし(枕草子)、

と、

予期に反して程度のはなはだしいさま、はげしいさま、

の意や、

さらば人にけしき見せで、この御文奉るわざし給へといへばいでとて、取りて、あやにくに、かの部屋にいきてこれあけん、これあけん、いかでいかでといへば(落窪物語)、

と、

状態ややりかたが思いのほかであるさま、意地が悪い、

意で使うが(精選版日本国語大辞典)、類聚名義抄(11~12世紀)に、

咄、アヤニク、

字鏡(平安後期頃)に、

憎、阿也爾久、

江戸時代中期の国語辞典『和訓栞』(谷川士清)に、

杜詩に、生憎柳絮白於綿、遊仙窟二、可憎病鵠夜半驚人、コノ生憎、可憎ヲ、あやにくトモ、あなにくトモ訓めり、

とあるが、どの「あなにく」にも、

惜しまれぬ身だにも世にはあるものをあなあやにくの花の心や(山家集)、

のように、

いらだたしく、憎らしく思われる、

というように、

事態、
や、
事柄、

程度、

時機、、

進捗、

等々が、思うにまかせず、

憎たらしい、

という含意が含まれている。これは漢語からきたものらしく、漢語、

生憎(セイソウ)、

にも、

憎みを生ずる、

という意(大言海)があり、

生怕(ショウハク)、

と同義で、

ひどくにくたらしい、

意で、

ひどくにくらしい、
あやにく、

と訓じ(字源・漢字源)、

生憎帳額繍弧鸞(盧照鄰)、

と、

おりあしく、
意外に、

と、

今日の、

生憎(あいにく)、

と同義で使う(字源)。

あやにく、

から、

あいにく、

へと転訛は、

近世末から明治にかけて併用され、大正時代以降は、「あいにく」が一般化する、

とある(日本語源大辞典)

あやにくがる、

は、

(男に対して)あやにくがりつるほどこそ(女は)寒さも知らざりつれ(枕草子)、

と、

気持や状況にうまく合わなくて迷惑だ、
まったく憎らしく思っている様子をする、
思いどおりにならずに、いやがる、

と、

憎らしがる、

意であり、

あやにく心、

は、

いとけしからぬ御あやにくなりかし(源氏物語)、

と、

どうにもならず憎らしく思われる心

の意で、逆に、

意地を張って人を困らせようとする気持、
意地わるい心、

でも使う。

今日、「あやにく」が転訛して

あいにく、

と訓む、

生憎、

は、

予想と違ったり、目的と合わなかったりして、都合の悪いさま、

の意で用い、「と」を伴って、

あいにくと、

の場合も、

具合の悪いことに、
おりあしく、

の意で、「あやにく」の持っていた、

自分にどうにもならない事態、対手、時機、

等に切歯扼腕するような、

憎らしい、

という含意はなく、

あいにくの雨だ、
おあいにくさま、
あいにく都合が悪い、

等々、どちらかというと、

主体側の事情、

とあわない意味にシフトしているような気がする。

なお「あやにく」の語源については、上述の通り、

感嘆詞「あや」+形容詞「憎し」、
ないし、
「あやにくし」の語幹、

というのが通説になってるが、

副詞「あやに」との関係、

を指摘する説もある(日本語源大辞典)らしい。

あやに、

は、

感動詞「あや」に助詞「に」がついてできた語、

とされ、

言葉に表わせないほど、また、理解できないほどの感動をいう、

とあり(精選版日本国語大辞典)、

この御酒(みき)の御酒の阿夜邇(アヤニ)転楽(うただの)し(古事記)、

と、

なんとも不思議に、
言いようもなく、
わけもわからず、

の意の他に、

見まつればあやにゆゆしくかなしきろかも(鈴屋集)、

と、

むやみに、
むしょうに、
ひどく、

の意でも使い(仝上・岩波古語辞典)、「あや」は、

「あやし」「あやしぶ」などの「あや」と同源で、感動詞「あや」に基づく。上代にも既に程度の副詞としての用法が見えるが、時代が下るにつれて、「目もあやに」の形など固定化された修辞的な用法が主となる、

とある(仝上)。確かに、感嘆詞「あや」つながりでは、関係があるとは見えるが、

憎たらしい、

という含意は薄い。「あや」つながり以外にはつながるとは見えない気がする。

「憎」 漢字.gif



「憎」 漢字.gif

(「憎」 https://kakijun.jp/page/1434200.htmlより)

「憎」 説文解字・漢.png

(「憎」 説文解字・漢 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%86%8Eより)

「憎(憎)」(慣用ゾウ、漢音呉音ソウ)は、

会意兼形声。曾(ソウ)は甑(こしき)の形で、層をなして何段も上にふかし器を載せたさま。憎は「心+音符曾」で、嫌な感じが層をなしてつのり、簡単にのぞけぬほどいやなこと、

とある(漢字源)。別に、

会意兼形声文字です(忄(心)+曽(曾))。「心臓」の象形(「心」の意味)と「蒸気を発するための器具の上に重ねた、こしき(米などを蒸す為の土器)から蒸気が発散している」象形(「重なる」の意味)から重なり積もる心、「にくしみ」を意味する「憎」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji1538.html

「生」(漢音セイ、呉音ショウ)は、「なま」で触れた。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

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2023年05月24日

御許


隠れて見候つれば、内より御許(おもと)だちたる女出で来て、男の候つると語らひて(今昔物語)、

とある、

御許、

は、

宮廷の女房などを呼ぶときの敬称。相当の身分の女性の意味、

とある(佐藤謙三校注『今昔物語集』)。

御許、

は、

みもと、

と訓ませると、

仏世尊の所(ミモト)(「地蔵十輪経元慶七年点(883)」)、

と、

「み」は接頭語、

で、

神仏や天皇など、貴人のいる所。また、そのそば近くを尊んでいう語、

である(精選版日本国語大辞典)が、転じて、

誰ぞこの仲人たてて美毛(ミモ)とのかたち消息し訪ひに来るやさきむだちや(「催馬楽(七世紀後~八世紀)」)、

と、

相手を敬って呼ぶ語、

として、

あなた、
おもと、

の意で使い(広辞苑)、

御許に候はばやと、

と、

女性が手紙の脇付に用いる、

こともある(デジタル大辞泉)。

おんもと、

と訓ませる場合も、「みもと」と同じく、

「おん」は接頭語、

で(精選版日本国語大辞典)、

宮の御もとへ、あいなく心憂くて参り給はず(源氏物語)、

と、

貴人の居所、
貴人のそば、

の意で、

おもと、
みもと、

ともいい、多く、

おんもとに、
おんもとへ、

の形で、

おそばまで、

の意で、

脇づけ あて名の傍(そば)へは、人により処(ところ)により、御前(おんまへ)に、御許(オンモト)に、人々申給へ……など書くべし(樋口一葉「通俗書簡文(1896)」)、

と、

手紙の脇付けに書く語として、主として女性が用いる(精選版日本国語大辞典)。ちなみに、「脇付け」とは、

侍史(じし)、
机下(きか)、
御中、
尊下(そんか)、
膝下(しっか)、

など、

書状の宛名の左下に書き添えて敬意を表す語、

で、女性は、

御前(に)、
御もと(に)、

などをよく使う(広辞苑)。

おもと、

と訓ませる場合も、

「お」は接頭語、

とある(精選版日本国語大辞典)が、

オホ(大)モト(許)の約、

ともある(岩波古語辞典)。後者なら、「みもと」と「おもと」では、その由来が異なることになる。「おもと」も、

入鹿、御座(オモト)に転(まろ)び就きて、叩頭(の)むで曰(まう)さく(日本書紀)、

と、

天皇や貴人の御座所を敬っていう語、

であるが、

見る人いだきうつくしみて、親はありや、いざわが子にといへば、いな、おもとおはすとて更に聞かず(宇津保物語)、

と、

天皇や貴人の御座所に仕える、

おもと人、

の意から

女性、特に女房を親しみ敬って呼ぶ語、

の意で用いる。上述の、

御許(おもと)だちたる女、

はその意味である。

おもと(御許)人、

は、

宮の家司・別当・御許人など職事定まりけり(紫式部日記)、

と、

天皇など貴人の御側近く仕える女官、
侍女、

を指す(広辞苑)が、もとは、

侍従、
陪従、

とも当て、

令制で、中務省の官人。天皇に近侍して護衛し、その用をつとめる従五位下相当官、

を指していた(精選版日本国語大辞典)。

また、「おもと」は、

三の君の御方に、典侍(すけ)の君、大夫(たいふ)のおもと、下仕まろやとて、いと清げなる物の(落窪物語)、

と、

「~のおもと」の形で、

女房などの名前、または職名の下につけて呼ぶ敬称、

としても用い、

ゆゆしきわざする御許(おもと)かな、いとほしげに(今昔物語)、
何を賭けべからん。正頼、娘ひとり賭けん。をもとには何をか賭け給はんずる(宇津保物語)、

と、

対称、

で、多く、

女性に対して敬愛の気持から用いる、

とある(広辞苑)。その「おもと」には、

代名詞「あ」「わ」と結び付いた、

あがおもと、
わがおもと、

という形、さらに転訛して、

さてこそよ、和御許(わおもと)、面に毛ある者は物の恩知る者かは(今昔物語)、

と、

我御許、
吾御許、

とも当てる、

わおもと、

もある(デジタル大辞泉)。

なお、「御許」を、

おゆるし、

と訓ませると、

おさかづきはいただきますが、御酒は今のじゃ、おゆるしおゆるししたが(洒落本「聖遊廓(1757)」)、

と、

「お」は接頭語、「おゆるしなされ」「おゆるしあれ」などの略、

で、

許してほしいと頼むときに言うことば、

ごめん下さい、
お許し下さい、

の意で(精選版日本国語大辞典)、

もし、おゆるしと襖を少しあけて(洒落本「色深睡夢(1826)」)、

と、

他の人のいる部屋などにはいるときに言うことば、

ごめん、

の意である(仝上)。また、

ごゆるされ、

と訓ませると、

「ご」は接頭語、

で、

ヲモキ トガノ goyurusare(ゴユルサレ)ヲコムルベキヲンワビコト(「バレト写本(1591)」)、

と、

御赦免、

の意に、また、

おれさへまだ手も通さぬものを、女郎買にでも行なら借もしよふが、とふらいには、ごゆるされだ(咄本「今歳咄(1773)」)、

と、

拒否する気持を表わす語、御免、

の意でも使う(仝上)。

「御」 漢字.gif

(「御」 https://kakijun.jp/page/1251200.htmlより)

「御」(漢音ギョ、呉音ゴ)は、

会意兼形声。原字は「午(キネ)+卩(人)」の会意文字で、堅い物をきねでついて柔らかくするさま。御はそれに止(足)と彳(行く)を加えた字で、馬を穏やかにならして行かせることを示す。つきならす意から、でこぼこや阻害する部分を調整してうまくおさめる意となる、

とある(漢字源)。別に、

会意形声。もとは音符「午(きね>杵)」に「卩(人)」を加えた形で、人が杵で土をつき固めならす様を意味。のちに「彳」と「止(足)」を加え、馬を馴らし進ませることを意味した、

ともhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%BE%A1

会意。彳と、卸(しや)(車を止めて馬を車からはずす)とから成る。馬をあやつる人の意、

とも(角川新字源)、

会意兼形声文字です(辵+午+卩)。「十字路の左半分の象形と立ち止まる足の象形」(「行く」の意味)と「きねの形をした神体」の象形と「ひざまずく人」の象形から、「神の前に進み出てひざまずき、神を迎える」を意味する「御」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji1246.html

「許」 漢字.gif


「許」(漢音キョ、呉音コ)は、

会意兼形声。午(ゴ)は、上下を動かしてつくきね(杵)を描いた象形文字。許は「言(いう)+音符午」で、上下にずれや幅をもたせて、まあこれでよしといってゆるすこと、

とある(漢字源)。別に、

形声。言と、音符午(ゴ)→(キヨ)とから成る。相手のことばに同意して聞き入れる、「ゆるす」意を表す、

とも(角川新字源)、

会意兼形声文字です(言+午)。「取っ手のある刃物の象形と口の象形」(「(つつしんで)言う」の意味)と「きね(餅つき・脱穀に使用する道具)の形をした神体」の象形から、神に祈って、「ゆるされる」、「ゆるす」を意味する「許」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji784.html

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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2023年05月25日

放免


鉾(ほこ)を取りたる放免(はうめん)の、蔵の戸の許に近く立ちたるを、蔵の戸のはざまより、盗人、此の放免を招き寄す(今昔物語)、

の、

放免、

は、

はうべん、

ともいい(「べん」は「免」の漢音)、

平安・鎌倉時代、検非違使庁の下で犯人捜査などに従事した下部(しもべ)、刑期終了後に放免された罪人をこれに使用した、

のでいう(岩波古語辞典)。

犯罪に通じており、追捕に便利だからおかれた、

らしく(広辞苑)、

法便、

とも当てる(仝上)。

放免.bmp

(放免 精選版日本国語大辞典より)

獄の邊に住む放免(はうめん)どもあまた相議して、強盗にて□が家に入らむと思ひけるに

とあるのは、

元来が囚人だったのでやはり悪人がいたのであろう、

とあり(佐藤謙三校注『今昔物語集』)、摂関期の右大臣藤原実資(ふじわらのさねすけ)の日記『小右記(しょうゆうき)』長和(ちょうわ)三年(1014)4月21日条に、

狼藉(ろうぜき)を行い、看督長(かどのおさ)らとともに京中を横行し市女笠(いちめがさ)を切るなどの行為があった、

とあり、権中納言源師時(1077~1136)の日記『長秋記(ちょうしゅうき)』大治(だいじ)四年(1129)12月6日条にも、

追捕の間に放免が東大寺聖宝僧正五師子(ごしし)の如意(にょい)を盗取した、

とある(日本大百科全書)。

放免(はうめん)、

は、

無罪放免(唐書)、

というように、

放ち許す、

意の漢語で、わが国でも、

無論公私、皆従放免(「続日本紀」養老四(720)年)、
あやまりなきよしをゆうぜられ、放免にあづからば(平家物語)、

と、

ゆるすこと、
あるいは、
義務を免除し、あるいは処罰することをやめ、あるいは怒りを解くこと、

の意や、

其為人凶悪衆庶共知者。不須放免(「延喜式(927)」)、

と、

身体の拘束を解き、行動の自由を回復させること、

の意でも使うが、検非違使庁(けびいしちよう)が、

釈放された罪人、

を、雑用等々に用いたことから固有名詞としても使われた。

放免絵図.jpg

(放免 中央に、髭面で巨大な棒を持ち、藍染の上着と錦繍の袴で正装した放免が2人描かれている(法然上人絵伝) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%BE%E5%85%8Dより)

その職務内容は、

野盗・山賊等の追跡・逮捕、獄囚に対する拷訊、
流罪人の配所への護送、死体の処理、

等々で、厳密には、

走り使い、

を職務とする、

走下部(はしりしもべ)、

と、

罪人の罪をゆるして、その代償に犯罪人の探索や密告収集活動に従事させた、

放免、

に分けられる(世界大百科事典)。彼らの容姿は、

当時は一般的でなかった口髭、顎鬚を伸ばし、特殊な祭礼や一部の女子にしか許されていなかった「綾羅(りょうら)錦繍(きんしゅう)」、「摺衣(すりごろも 文様を彫り込んだ木版の上に布を置き、これに山藍の葉を摺り付けて作る技法の衣)」と呼ばれる模様の付いた衣服を身につけた、

とありhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%BE%E5%85%8D、この模様については、

贓物(盗んで得た財物の意)出来するところの物を染め摺り文を成した衣袴、

で、また、

七曲がりの自然木の鉾、

を持つ、

とある(仝上)。彼らは、賀茂の祭に従う時、

「綾羅(りょうら)」(あやぎぬとうすぎぬ)、「錦繍(きんしゅう)」(刺繍をした着物)を着、上に花など、種々の飾り物を着る習ひあり、これを風流(ふりゅう)と云ふ、後の邌物(ねりもの)の如し、これを放免のつけ物など云ふ、

とあり(大言海)、その華美な服装は、

新制で過差(過度に華美なこと)禁断の対象になったりしたが、院政期の説話集『江談抄』によれば、その、

放免の華美な服装は贓物(ぞうぶつ 盗品)を着用したものであった、

という(仝上・日本大百科全書)。「放免のつけ物」は、

放免の付物、

と当て、

建治(けんじ)・弘安(こうあん)の比(ころ)は、祭の日の放免(ほうべん)の付物(つけもの)に、異様(ことよう)なる紺の布五六反にて馬をつくりて、尾髪(おかみ)には灯火(とうしみ)をして、蜘蛛のい描きたる水干につけて、歌の心など言ひわたりしこと、常に見及び侍りしなども、興ありてしたる心地にてこそ侍りしか、

とある(枕草子)ように、

賀茂祭の日、着用する水干につけた、花鳥などの作りもの、

をいう(広辞苑)。

邌物(ねりもの)、

は、

練物、

とも当て、

祭礼の時などにねり行く踊屋台・仮装行列または山車だしの類、その他種々の飾り物の称、

であり(大言海・広辞苑)、「風流」で触れた。

「放」 漢字.gif


「放」(ホウ)は、

会意兼形声。方は、両側に柄の伸びたすきを描いた象形文字。放は「攴(動詞の記号)+音符方」で、両側に伸ばすこと。緊張やそくばくを解いて、上下左右に自由に伸ばすこと、

とある(漢字源)。別に、

会意兼形声文字です(方+攵(攴))。「柄のある農具:すき」の象形(「左右に広がる」の意味)と竹や木の枝を手にする象形(「強制する、わける」の意味)から左右に「広げる」、「はなす」を意味する「放」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji539.html

「免」 漢字.gif

(「免」 https://kakijun.jp/page/0817200.htmlより)

「免」(漢音ベン、呉音メン)は、

会意文字。免の原字ば、女性がももを開いてしゃがみ、狭い産道からやっと胎児が抜け出るさまを示す。上は人の形、中は両もも、下の儿印は、体内から出る羊水、分娩の娩の原字で、やっと抜け出る、逃れ出る意を含む、

とある(漢字源)。異説として、

冠を被った姿を象った様子(『冕』の原字)、

とするものhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%85%8Dがある。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
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2023年05月26日

矢庭


走りで逃げて去にけり。然れば、四人は矢庭に射殺したりけり。今一人は四五町ばかり逃げ去りて(今昔物語)、

とある、

矢庭、

は、

矢を射る場所。矢のとどく距離、近い所。時間では、即座に、ただちにの意となる。この場合は原義に近い使い方ではないか。「四五町ばかり」は、もはや矢庭ではない、

と注記がある(佐藤謙三校注『今昔物語集』)。

矢庭、

は、

矢場、

とも当て(岩波古語辞典)、「矢場(やには)」は、

さんざんに射給へば、矢庭に鎧武者十騎許り射落さる(平家物語)、

と、

矢を射る場所、又は、射たる其場、

の意で(大言海)、

やにはに、

と副詞として使う場合、

ヤニハは矢場にて、其場を去らせずと、戦場に云ふより起こりたる語かという、

とある(仝上)。

(矢を射ている)その場で、時間もかけないで一気に事を行うさまを表す語、

ともある(日本語源大辞典)。同趣旨たが、

矢を射たその庭に、

の意(日本語源広辞典)ともある。しかし、

イヤニハカニ(彌俄に)は「イ」「カ」を落として、ヤニハニ(矢庭)になった、

と、語音転訛からとする説(日本語の語源)もある。

正直のところ、

矢を射る場所、あるいは、矢を射ているその場、

の意から、

即座に、
ただちに、

と意味が転化したのはわかりにくいが、もともと、

夜明けたれば逃ぐる者もらはに見えつるに、蠅だにふるまはさず、或いは矢庭に射臥せ(今昔物語)、

と、

その場で矢を射た、
あるいは、
矢を射たその場、

の意から、

究竟の者ども、五六人やにはに切り給ふ(義経記)、

と、

時間もかけないで一気に事を行なうさまを表わす語、

として、

直ちに、
たちどころに、

と、時間的に、

即座、

に転じ、それが、

南原にいたち一つはしり出たり。見付けしを幸に、やにはに棒をふりあげ、打殺さんとしけるを(咄本「醒睡笑(1628)」)

と、

いきなり、
突然、
だしぬけに、

に転じ、さらに、

女の泣声がお絹だと分ったから、矢庭に合の襖を開けて飛び込んだ(森田草平「煤煙(1909)」)、

と、
前後の見境もなく直ちに、または、しゃにむに事を行なうさまを表わす語、

に転じたという流れになるようだ(岩波古語辞典・日本国語大辞典)。

なお、「矢」(シ)は、「征矢」で触れたように、

象形。やじりのついたやの形にかたどり、武器の「や」の意を表す、

とある(角川新字源)。

「庭」 漢字.gif

(「庭」 https://kakijun.jp/page/1061200.htmlより)

「庭」(漢音テイ、呉音ジョウ)は、

会意兼形声。廷(テイ)の右側の字(テイ)は、壬(ジン)とは別字。挺(テイ まっすぐ)の原字で、人がまっすぐ伸ばして立つときの、すねの部分を示した字。廷はそれに廴印(横に伸ばす)をつけ、まっすぐ平らに伸びた所を示す。庭は「广(いえ)+音符廷」で、屋敷の中の平らにまっすぐ伸ばした場所、つまり中庭のこと。もと廷と書いた、

とある(漢字源)。別に、

会意形声。广と、(テイ 宮殿内の中庭)とから成る。宮中の意を表す、

とも(角川新字源)、

会意兼形声文字です(广+廷)。「屋根」の象形と「階段(宮殿)の前から突き出たにわ」の象形から「にわ」を意味する「庭」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji522.html

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
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2023年05月27日

落蹲(らくそん)


髪をば後(うしろ)ざまに結ひて、烏帽子もせぬ者の、落蹲(らくそん)と云ふ麻衣のうにてあれば(今昔物語)、

の、

落蹲、

は、

高麗樂のひとつ、

で、

納蘇利(なそり)ともいう、

とある(佐藤謙三校注『今昔物語集』)。「納蘇利」は、

納曾利、

とも当て、正確には、

《納曾利》通常為雙人舞、單人獨舞時又稱為《落蹲》、

とありhttps://www2.ntj.jac.go.jp/dglib/contents/learn/edc22/sakuhin/bugaku/s12.html、和名類聚抄(平安中期)には、

高麗楽曲、納蘇利、

とある、

舞楽の右舞で、二人舞の納蘇利(なそり)の一人舞、

をいう(精選版日本国語大辞典)。別名は、

落蹲、

とするのはその意味であるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%8D%E6%9B%BD%E5%88%A9。ただ、奈良の南都楽所では一般とは逆に一人舞の場合は曲名を「納曽利」、二人舞の場合は「落蹲」と呼ぶ(仝上)らしい。

落蹲面具呈青綠色.jpg


双龍舞、

ともいう(仝上)のは、

二匹の龍が楽しげに遊び戯れる様子を表したもの、

とも(仝上)、

雌雄二頭の竜が戯れながら天に昇る姿を舞にした、

とも(日本大百科全書)言われ、

童舞(わらわまい 舞楽で、子どもの舞う舞)、

として舞われることもあるからである(仝上)。「納曾利」は、

高麗(こま)楽の高麗壱越(いちこつ)調(雅楽の六調子の一つ。壱越の音、すなわち洋楽音名の「ニ」の音(D)を主音とした音階)、

で(世界大百科事典・精選版日本国語大辞典)、

走舞(はしりまい)、

に属し、

右方で、二人の舞手は背中合わせで大きな輪を描いたり、互いに斜め方向に飛び離れたり舞台上を活発に動く、

二人舞(一人舞のときにが『落蹲(らくそん)』)、

で(日本大百科全書)、古くから、

『陵王』の答舞(とうぶ 先に演じる左舞の対となる右舞)として、頻繁に演じられてきました。平安時代には競馬の勝者に賭物が与えられる賭弓(のりゆみ)、相撲の節会(せちえ 季節の節目に行われる宴)で舞われ、左方が勝つと『陵王』が、右方が勝つと『納曽利』が舞われたといわれています、

とあるhttps://www2.ntj.jac.go.jp/dglib/contents/learn/edc22/sakuhin/bugaku/s12.html。「相撲の節会」あるいは「相撲節(すまいのせち)」については「最手(ほて)」、「相撲」については、「すまふ」で触れた。

因みに、「右舞(うまい・うぶ)」

とは、

右方の舞」(うほうのまい)、
右の舞、

ともいい、

舞楽の右方(うほう)の舞。古代朝鮮系の舞踊とその音楽。舞人は舞台後方の向かって右から出入りし、装束は緑、青、黄系統の色を用いる、

とあり(精選版日本国語大辞典)、対するのが、

左舞(さまい・さぶ)、

で、

左方の舞、

舞楽の左方の舞。中国、インド系の舞楽。舞人は赤・紅系統の色の装束を着け、舞台向かって左の通路から出入する、

とある(仝上)。一人舞の場合は曲名を、

落蹲(らくそん)、

と言うのは、

一人舞の場合、舞人が舞台中央で蹲(うずくま)る舞容があるためである、

とされるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%8D%E6%9B%BD%E5%88%A9。二人舞のときは、

金青色の舞楽面、

を、一人舞のときは、

紺青色の龍頭を模した牙のある舞楽面、

を着け(仝上)、装束は、

袍に竜唐織紋のある毛縁の裲襠、指貫・大口・腰帯・糸鞋を着け、竜を模した吊顎面と緑色金襴の牟子(むし)で頭部を覆い、右手に銀色の桴(ばち 細い棒のこと)を持つ

とあるhttp://heian.cocolog-nifty.com/genji/2006/07/post_4538.html。ただし、童舞の場合は、

面、牟子を着けず、童髪に天冠、

を着ける(仝上)。

納曽利.jpg


一人舞を落蹲、二人舞を納蘇利と呼ぶ、

とされているが、

納蘇利、らくそんといふべし(大神基政(おおがのもとまさ)の楽書『龍鳴抄』)、

とありhttp://youyukai.com/epi/ban6.html

日暮れかかるほどに、高麗の乱声して、「落蹲」舞ひ出でたるほど、なほ常の目馴れぬ舞のさまなれば、舞ひ果つるほどに、権中納言、衛門督下りて、「入綾」をほのかに舞ひて(源氏物語)、
落蹲は二人して膝踏みて舞ひたる(枕草子)、
殿の君達二所は童にて舞ひたまふ。高松殿の御腹の巌君は納蘇利舞ひたまふ。殿の上の御腹の田鶴君陵王舞ひたまふ(栄花物語)、

と、少なくとも平安中期までは舞人の人数による呼び分けはなかったhttp://heian.cocolog-nifty.com/genji/2006/07/post_4538.htmlとの見方があり、

落蹲、納曽利の名は昔、舞の人数に関係なく併用して使われていた、

のではないかとも言われるhttp://youyukai.com/epi/ban6.html

納曽利、陵王の図.jpg

(納曽利、陵王の図 両脇のあいた闕腋の袍に毛総飾りのついた裲襠装束で舞う。左の二人が納曽利(納蘇利)、右が陵王(蘭陵王・羅陵王)(『舞楽絵巻』) 日本大百科全書より)

なお、舞楽には、

番舞(つがひまい)、

あるいは、

番の舞、
つがい、

と言って、

左右の舞から舞姿の様式、装束の形式が同数のものを一曲ずつ組み合わせてひと番(つがい)にしたもの、

がある(精選版日本国語大辞典)。代表的なのが、上述した、

右方、納曽利(落蹲)、
左方、陵王、

である。

右方の、

納曾利、

と対をなす、番舞(つがいまい)の、左方(さほう)の、

陵王、

という曲は、別名、

蘭陵王入陣曲、

短縮して、

陵王、

といい、

左方(唐楽)に属する壱越調(いちこつちょう)の一人舞、

で、元は沙陀調(さだちょう 雅楽の調子の一。壱越を主音とする呂(りょ)調で、のちに壱越調に編入)であったが日本で壱越調に転調した、

とあり、

華麗に装飾された仮面を被る勇壮な走舞、

である(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%98%AD%E9%99%B5%E7%8E%8B_%28%E9%9B%85%E6%A5%BD%29・デジタル大辞泉)。答舞が、

納曽利(なそり)、

になる。

管絃演奏時には、

蘭陵王、

舞楽演奏時には、

陵王と表す(仝上)とある。

蘭陵王の舞楽面.jpg

(「蘭陵王」の舞楽面(真清田神社所蔵)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%98%AD%E9%99%B5%E7%8E%8B_%28%E9%9B%85%E6%A5%BD%29より)

北斉の蘭陵武王・高長恭の逸話にちなんだ曲目、

で、

眉目秀麗な名将であった蘭陵王が優しげな美貌を獰猛な仮面に隠して戦に挑み見事大勝したため、兵たちが喜んでその勇姿を歌に歌ったのが曲の由来とされている(仝上)。

装束は、

龍頭を模した舞楽面を着け、金色の桴(ばち 細い棒のこと)、

を携え、

緋色の紗地に窠紋(「窠」は鳥の巣の意、数個の円弧形をつなぎ合わせた中に、唐花や花菱などを入れたもの)の刺繍をした袍を用い、その上に毛縁の裲襠(りょうとう)と呼ばれる袖の無い貫頭衣を着装し、金帯を締める、

とある(仝上)。

舞楽「大々神楽」の「陵王」(大人面舞一人).jpg

(舞楽「大々神楽」の「陵王」(大人面舞一人)(越後一宮彌彦神社の妻戸大神例祭) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%98%AD%E9%99%B5%E7%8E%8B_%28%E9%9B%85%E6%A5%BD%29より)

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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2023年05月28日

弦打ち


此れより蓼中(たでなか)の御門に行きて、忍びやかに弦打(つるう)ちをせよ(今昔物語)、

の、

弦打ち、

とは、

弓のつるを引いてならす、一つの合図。悪魔祓いにもした、

とある(佐藤謙三校注『今昔物語集』)。

弦打ち、

は、

矢をつがえずに、張った弦を手で強く引き鳴らすこと、

をいい(岩波古語辞典・日本大百科全書)、

空弾弓弦(カラユミツルウチス)於海浜上(雄略紀)、

と、

矢を放たず、弦音のみせしめて、敵を欺き、油断に乗じて射ること、

を意味する(大言海)が、

弓に矢をつがえずに、弓弦(ゆづる)だけを引いて放し、ビュンと鳴らすことによって、妖魔(ようま)を驚かせ退散させる呪法、

として行われ、

弓弦(ゆづる)打ち、
ゆみならし、

とも、

鳴弦(めいげん)、

ともいう。

「鳴弦」(めいげん)

自体は、

雁落逐鳴弦(楊師道)、

と、

漢語で、

弓弦を鳴らす、

意味だが、我が国では、

御湯たびたびまゐりて、つるうちしつつ、こわづくりゐ給へるに、(出産あり、赤児が)いがいがと泣く(宇津保物語)、
紙燭さして参れ、随身もつるうちして絶えず声づくれと仰せよ、人離れたる所に心とけて寝ぬるものか(源氏物語)、

などと、

殿上人が入浴、病気、出産、雷鳴などの際に、その発する音によって物怪を払うために行い、妖怪、悪魔を驚かし、邪気、穢(けがれ)を祓(はら)うために行う、

という、

弓矢の威徳による破邪の呪法、

をいう(仝上)。また、

それをする役の人、

をもいう(精選版日本国語大辞典)。平安時代においては、

生誕儀礼としての湯殿始(ゆどのはじめ)の読書(とくしよ)鳴弦の儀、

として行われたのをはじめ、出産時、夜中の警護、不吉な場合、病気のおりなどに行われ、また天皇の日常の入浴に際しても行われ(世界大百科事典)、天皇の入浴の際には、

蔵人(くろうど)が御湯殿(おゆどの)の外に候(こう)して行い、滝口の武士の名対面(なだいめん)の際にも行われたが、皇子誕生の際の鳴弦はもっとも盛んであり、のちには貴族社会より波及して、鎌倉・室町幕府将軍家の子女誕生のおりなどにも行われた、

とある(日本大百科全書)。後世になると、

わざわざ高い音を響かせる引目(蟇目 ひきめ)という鏑矢(かぶらや)を用いて射る法も生じた、

とあり(世界大百科事典)、鏑矢を用いた儀礼は、「蟇目」で触れたように、

蟇目の儀(ひきめのぎ)、

と呼ばれる。

鳴弦.bmp

(鳴弦 精選版日本国語大辞典より)

因みに、名対面(なだいめん)とは、

名謁、

とも書き、

名謁(みょうえつ・なだめし)、

とも訓ませ、

大内裏の宿直者、または、行幸行啓・御幸供奉の親王・公卿を点呼し、それぞれに特定の形式で名のらせること、

をいい(精選版日本国語大辞典)、

宿直の場合おおむね亥の刻を定刻とするが、左近衛は亥・子両刻、右近衛は丑・寅両刻の巡回の度ごとに、行幸行啓・御幸ではおおむね還御の際に行なう、

とある(仝上)。なお、近衛の宿直者の場合はもっぱら、

宿直申(とのいもうし)、

と称し、滝口の宿直者の場合は、

宿直申、
問籍(もんじゃく)、

ともいい、その他の所々の宿直者の場合は「問籍」ともいう。

巫女」で触れたように、弦打ちをする、弓は、

梓弓、

というが、

アズサの木で作った丸木の弓、

で、

古くは神事や出産などの際、魔除けに鳴らす弓(鳴弦)として使用された、

とありhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A2%93%E5%BC%93

梓弓の名に因りて、万葉集に、弓をアヅサとのみも詠めり、今も、神巫に、其辞残れり、直に、あづさみことも云へり、神を降ろすに、弓を以てするは和琴(やまとごと)の意味なり(和訓栞)、

と、

神降ろしに用いる、

が、

その頃はべりし巫女のありけるを召して、梓弓に、(死人の靈を)寄せさせ聞きにけり(伽・鼠草子)、

と、

梓の弓をはじきながら、死霊や生霊を呼び出して行う口寄せ、

をも行う(岩波古語辞典)。

鳴弦の儀.jpg


今日でも、

鳴弦の儀、

が、

弦打の儀(つるうちのぎ)、

とも呼ばれ、節分の日などに、神社で行われている。

なお、「弓」については、「弓矢」で触れた。

「弦」 漢字.gif

(「弦」 https://kakijun.jp/page/0884200.htmlより)

「弦」(漢音ケン、語音ゲン)は、

会意兼形声。玄(幺(細い糸)+-印)は、一線の上に細い糸の端がのぞいた姿で、糸の細いこと。弦は「弓+音符玄」で、弓の細い糸。のち楽器につけた細い糸は、絃とも書いた、

とある(漢字源)。別に、

会意。弓と、𢆯(べき 細い絹いとを張った形で、糸(べき)の古字。玄は変わった形)とから成る。弓に張ったつるの意を表す、

とも(角川新字源)、

会意兼形声文字です(弓+玄)。「弓」の象形と「両端が引っ張られた糸」の象形から、「弓づる」を意味する「弦」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji1648.html

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
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2023年05月29日

半蔀(はじとみ)


半蔀(はじとみ)のありけるより、鼠鳴(ねずな)きを出して手をさし出でて招きければ、男寄りて(今昔物語)、

とある、

半蔀、

は、

上半分を外へ揚げるようにし、下ははめこみになった蔀、

をいい(広辞苑)、

こじとみ(小蔀)、

ともいう。「蔀(しとみ)」は、「妻戸」で触れたように、

柱の間に入れる建具の一つ、

で、

板の両面あるいは一面に格子を組んで作る。上下二枚のうち上を長押(なげし)から釣り、上にはねあげて開くようにした半蔀(はじとみ)が多いが、一枚になっているものもある。寝殿造りに多く、神社、仏閣にも用いる、

とある(精選版日本国語大辞典)。柱間全部を一枚の蔀とする場合もあるが、重すぎて開閉が困難なので、上下二枚に分けて〈半蔀(はじとみ)〉とするのが普通だった。これは、

上半分(上蔀)を長押から釣り下げ、あける時ははねあげて先端を垂木から下げられた金具にかけ、下半分(下蔀)は柱に打ちつけられた寄(よせ)に掛金でとめておき、あるいは取りはずして柱間全部をあけはなつこともできた、

とある(世界大百科事典)。

蔀.bmp

(蔀 精選版日本国語大辞典より)

和名類聚抄(931~38年)に、

蔀、之度美、覆暖障光者也、

とあるように、

檐(ひさし)の日覆(ひおほひ)、日除に用ゐる戸、

で(大言海)、その釣り上ぐべく作れるを、

上蔀(あげじとみ)、
釣蔀(つりじとみ)、

ともいう(仝上)。

もともとは、

是の日に、雨下(ふ)りて、潦水(いさらみつ)庭に溢(いはめ)り。席障子(むしろシトミ)を以て鞍作か屍(かはね)に覆(おほ)ふ(日本書紀)、

と、

光や風雨をさえぎるもの、

といった意味であったようだ(精選版日本国語大辞典)。

だから、その語源としては、

シは雨風、トミは止(とめ)の転(大言海)、
シトミ(風止)の義(筆の御霊)、
シトミ(湿止)の義か(志不可起)、
シトム(下止)の義か(東雅・名言通・和訓栞)、
外を見るためにあけるから、ヒトミ(他見)の義(俗語考)、
ヒトメ(日止)の義(言元梯)、
ソトモ(外面)の転(和語私臆鈔)、

等々諸説あるが、

シ、

は、

し(風)な戸の風の天の八重雲を吹き放つ事の如く(祝詞)、
吹撥之気、化為神、號曰級長戸邊(しなとべ)命(神代紀)、

と、

風の古名、

で(大言海)、

多く複合語になった例だけ見える、

が(岩波古語辞典)、

荒風(あらし)、
廻風(つむじ)、
風巻(しまき)、

の「シ」(仝上)、さらに、

やませ

の「セ」も、

シの転訛、

であり、その「シ」が転じて、

東風(コチ)、
速風(ハヤチ)、

と、「チ」、またその「チ」が、

疾風(ハヤテ)、

と、「テ」へと転じるが、やはり、

シは雨風、トミは止(とめ)の転(大言海)、

と見るのが妥当のようである。

法隆寺聖霊院の蔀と明障子.jpg

(法隆寺聖霊院の蔀と明障子 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%94%80より)

「半蔀」と関係して、

半蔀車(はじとみぐるま)、

というのがある(広辞苑)。

網代車(あじろぐるま)の一種。物見を引き戸にしないで半蔀としてあるもの、

で、

摂政・関白・大臣・大将の乗用、

とし、時に、

上皇や高僧・上女房、

などが使用することもあった(精選版日本国語大辞典)とある。「網代車」とは、

牛車(ぎっしゃ)の一種。竹、檜皮(ひわだ)などを薄く細く削り、交差させながら編んだの網代を、車箱の屋形の表面に張ったもの、

で、

屋形の構造、物見の大小、表面の文様などに別があり、殿上人以上の公家が、家格、職掌に応じて使い分けた、

とある(仝上)。

半蔀車.jpg

(半蔀車 広辞苑より)

半蔀車.bmp

(半蔀車 精選版日本国語大辞典)

「物見」とは、

牛車の網代(あじろ)による八葉(はちよう)や文(もん)の車の左右の立板に設けた窓、

で、前袖から後袖まで開いているのを、

長物見、

半分のものを、

切物見、

といい、そこに設けられた戸を、

物見板、

という(仝上)。これは、駕籠や輿などについてもいう(仝上)とある。

網代車(あじろぐるま)の物見窓を引き戸にしないで、

半蔀、

としてあるものが、

半蔀車、

となる(仝上)

棒蔀車(ぼうしとみのくるま)、

ともいう。

なお、

半蔀、

という、内藤藤左衛門作の、

能楽の曲名、

があり、『源氏物語』の「夕顔」の巻により、

京都紫野雲林院の僧が立花供養をしていると、一人の女が来て夕顔の花をささげる。やがて五条あたりの者とだけいって名もあかさずに消える。そこで僧が五条あたりに行くと、夕顔の花の咲いている家から半蔀を押し上げて女が現われ、むかし光源氏が夕顔の花の縁で夕顔の上と契りを結んだことなどを語り、舞を舞って半蔀の陰に姿を消す、

という筋である(仝上)。

「蔀」 漢字.gif


「蔀」(漢音ホウ、呉音ブ)は、

会意兼形声。「艸+音符部(ホウ ぴたりと当てる)」で、明かり窓にぴたりとあてがうムシロ、

とあり(漢字源)、

席障子(むしろシトミ)、

の用例が、原義に近かったことが分かるが、

日光や風雨を遮るための戸、

の意味でも使われる(仝上)。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

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2023年05月30日

さし縄


旅籠(はたご)に多く人のさし縄(なは)ども取り集めて結び継ぎて、それそれと下しつ。縄の尻もなく下したる程に(今昔物語)、

の、

さし縄、

は、

差縄、
指縄、

と当て、

さしづな(差綱)、
小口縄(こぐちなわ)、

ともいい、

馬をつなぐ縄、

とある(佐藤謙三校注『今昔物語集』)。

乗馬の口につけて曳く縄、

とあり(大言海)、古くは、

調布を縒り合わせて用ゐたり、

後世になるは、

麻布二筋を綯ひて作る。太さ、大指のほどなり、

とある(大言海)。

馬鞚、

ともいうとある(仝上)。飾抄(かざりしょう 鎌倉時代)には、

差綱(サシヅナ)、祭使、種々緂(だん)村濃(むらご)、或、打交、……公卿、師差縄(もろさしなわ)、四位以下、片差縄、

とある。師差縄(もろさしなわ)は、

「祇園御霊会也……馬〈黒糟毛、予馬也〉、移〈鋂羈、如公卿也〉、以諸差綱張口(「山槐記」治承三年(1179)六月一四日)、

にある、

諸差綱、

とあるのと同じで、

もろ、

は、

諸、

とあて、「もろ手」の「もろ」で、

ふたつ、
両方の、

の意味である(広辞苑)。

差綱、、
差縄、

は、

馬の頭から轡(くつわ)にかけてつけるもので、手綱に添えて用いる。索馬(ひきうま)には(くちとり)が左右からつかんで引く。軍陣には手綱の補助として四緒手(しおで 鞍の前輪(まえわ)と後輪(しずわ)の左右の四ヶ所につけた、金物の輪を入れたひも)にかける(精選版日本国語大辞典)。付け方に、

諸(もろ)差縄、

と、

片(かた)差縄とがあり、

麻縄、または紺・白・浅葱(あさぎ)の撚紐を用いる、

とある(仝上)。

さし縄 (2).jpg

(さし縄 (平安時代の馬装) 図説日本甲冑武具事典より)

「さし縄」の「さし」は、「さす」で触れたように、「さす」と当てる字は、

止す、
刺す、
挿す、
指す、
注す、
点す、
鎖す、
差す、
捺す、

等々とある

「さす」は、連用形「さし」で、

差し招く、
差し出す、
差し迫る、

と、動詞に冠して、語勢を強めたり語調を整えたりするのに使われるが、その「さし」は、使い分けている「さす」の意味の翳をまとっているように見える。

「さす」は、について、『岩波古語辞典』は、

最も古くは、自然現象において活動力・生命力が直線的に発現し作用する意。ついで空間的・時間的な目標の一点の方向へ、直線的に運動・力・意向がはたらき、目標の内部に直入する意、

とある(岩波古語辞典)。で、

射す・差す、

は、、

自然現象において活動力が一方に向かってはたらく、

として、光が射す、枝が伸びる、雲が立ち上る、色を帯びる等々といった意味を挙げる。また、

指す・差す、

は、

一定の方向に向かって、直線的に運動をする、

として、腕などを伸ばす、まっすぐに向かう、一点を示す、杯を出す、指定する、指摘する等々といった意味を挙げる。ここでの、

さし縄、

の意は、

曳く、

という意味からも、この意の、

さす、

かと思われる。

なお「さし縄」に、「緡縄」とあてる「錢緡」については、「一緡」で触れた。

「縄」 漢字.gif

(「縄」 https://kakijun.jp/page/1580200.htmlより)


「繩」 漢字.gif


「縄」(漢音ショウ、呉音ジョウ)は、

会意。「糸+黽(とかげ)」で、トカゲのように長いなわ、

とある(漢字源)。別に、

会意兼形声文字です(糸+蠅の省略形)。「より糸」の象形と「腹のふくらんだ、はえ」の象形で、なわのよりをかけた部分が、ふくらんだ腹のような所から、「なわ」を意味する「縄」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji1799.html

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
笠間良彦『図録日本の甲冑武具事典』(柏書房)

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2023年05月31日

綾藺笠(あやゐがさ)


顔少し面長にて、色白くて、形つきづきしく、綾藺笠(あやゐがさ)をも着せながらあるに(今昔物語)、

の、

綾藺笠、

とは、

藺草(いぐさ)を綾の組織にならって編み、裏に絹をはった笠。中央に突出部がある。武士の狩装束で、遠行または流鏑馬やぶさめ用、

とあり(広辞苑・日本国語大辞典)、

あやがさ、
藺笠、

ともいう(仝上・大言海)。「狩衣」については「水干」で触れた。

綾藺笠.jpg

(綾藺笠 広辞苑より)


綾藺笠2.bmp

(綾藺笠 大辞林より)

中央の突出部は、

巾子形(こじがた)、

といい、髻(もとどり)を入れる。その根元のところから、藍革(あいかわ)と赤革の風帯を数条垂らして飾りとする(日本国語大辞典・大言海)。「巾子」については触れた。

綾藺笠、

の名は、

笠の裏に綾(経糸(たていと)に緯糸(よこいと)を斜めにかけて模様を折り出した絹)を貼る、

故の名で(大言海)、

この時代武士は、綾藺笠を、女子は大型の浅い菅の、

市女(いちめ)笠、

を広く着用した。また女子では、日よけ雨よけを兼ねた垂衣(たれぎぬ)や、外出用で顔を隠す、

被衣(かづき)、

なども行われた(世界大百科事典)。「市女笠(いちめがさ)」は「つぼ折」で触れた。

綾藺笠.bmp

(綾藺笠 精選版日本国語大辞典より)


流鏑馬の射手の狩装束.jpg

(流鏑馬の射手の狩装束 (『流鏑馬絵巻』 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%81%E9%8F%91%E9%A6%ACより)

流鏑馬」については触れた。

「綾」 漢字.gif

(「綾」 https://kakijun.jp/page/1490200.htmlより)


「綾」(漢音呉音リョウ、唐音リン)は、

会意兼形声。夌(リョウ)は「陸(山地)の略体+夂(人間の足)」の会意文字で、足に筋肉の筋をたてて、力んで山を登ること。筋目を閉てる意を含む。綾はそれを音符とし、糸を加えた字で、筋目の立った織り方をした絹、

とある(漢字源)。別に、

形声文字です(糸+夌)。「より糸」の象形と「片足を上げた人の象形と下向きの足の象形」(「高い地を越える」の意味だが、ここでは、「凌(りょう)」に通じ(同じ読みを持つ「凌」と同じ意味を持つようになって)、「盛り上がった氷」の意味)から、織物に盛り上がった「氷のような模様が織り込まれた物(あや)」を意味する「綾」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji1125.html

「藺」 漢字.gif

(「藺」 https://kakijun.jp/page/E561200.htmlより)


「藺」 簡牘(かんどく)文字.png

(「藺」 簡牘(かんどく)文字(「簡」は竹の札、「牘」は木の札に書いた)・戦国時代 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%97%BAより)

「藺」(リン)は、

形声。下部の字が恩を表す、

戸しか載らない(漢字源)。藺草(いぐさ)の意であるが、藺蓆(リンセキ)は、むしろの意である。

「笠」 漢字.gif



「笠」 説文解字・漢.png

(「笠」 説文解字・漢 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%AC%A0より)

「笠」(リュウ)は、

会意兼形声。「竹+音符立(高さを揃えて立てる)」。平衡を保って頭上にたてかけるかさ、

とある(漢字源)が、別に、

会意兼形声文字です(竹+立)。「竹」の象形(「竹」の意味)と「一線の上に立つ人」の象形(「立つ」の意味)から、柄がなくて安定していて、置けばそのまま立つ「かさ(頭にかぶり、雨や日光をさける物)」を意味する「笠」という漢字が成り立ちました、

とあるhttps://okjiten.jp/kanji2220.html

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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