2023年05月16日

向腹(むかひばら)


我が子にも劣らず思ひて過ぎけるに、この向腹の乳母、心や惡しかりけむ(今昔物語)、

の、

向腹、

は、

正妻の子、

の意である(佐藤謙三校注『今昔物語集』)。

向腹、

を、

むかばら、

あるいは、転化して、

むかっぱら、

と訓ませると、「向っ腹」で触れたように、

むかっぱらが立つ、

とか、

むかっぱらを立てる、

と用いて、

わけもなく腹立たしく思う気持、

の意になる。

むかひばら、

と訓むと、

本妻の腹から生まれること、

また、

その子、

を言い、

むかいめばら、

ともいう(精選版日本国語大辞典)。

向かひ腹、

とも表記し、

当腹、
嫡腹、

とも当てる(デジタル大辞泉)。

嫡妻腹(むかひひめばら)なるより移れるかと云ふ、

とある(大言海)。

側女でなく、正妻が生んだこと(広辞苑)、
「むかいめ(嫡妻)」すなわち本妻の腹から生まれること。また、その子(日本国語大辞典)、
正妻から生まれること。また、その子(デジタル大辞泉)、

などというのが通常の辞書の意味だが、

先妻に対して今の妻の生めること、またその子、

とあり(大言海)、

當腹、

というのは、

先妻のと別ちて云ふ、

とある(仝上)ところを見ると、

現時点の正妻、

という含意なのだろうか。

なお、「向腹」は、後に、日葡辞書(1603~04)によると、

正妻と妾とが同時に懐胎すること、

の意で使われているようだ。

「向かふ」は、

対、

とも当て、

向き合ふの約、互いに正面に向き合う意、また、相手を目指して正面から進んでいく意(岩波古語辞典)、

で、

身交(みか)ふの義(大言海)、
ムキアフ(向合)の義(日本語原学=林甕臣)、

と、

対面する、

意で、

向かひ座、

というと、

向き合ってすわること、

向かい陣、

というと、

敵陣に向き合って構えた陣、

向かひ城

というと、

対(たいの)城、

つまり、

城攻めのとき、敵の城に相対して築く城、

をいうように、「向かふ」は、

対、

の意味を持っている。まさに、夫婦の、

対、

という含意になる。

「向」 漢字.gif

(「向」 https://kakijun.jp/page/0647200.htmlより)

「向」(漢音コウ、呉音キョウ)は、「背向(そがい)」で触れた。

「腹」 漢字.gif



「腹」 楚系簡帛文字)・戦国時代.png

(「腹」 楚系簡帛文字(簡帛は竹簡・木簡・帛書全てを指す)・戦国時代 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%85%B9より)

「腹」(フク)は、

会意兼形声。复(フク)は「ふくれた器+夂(足)」からなり、重複してふくれることを示す。往復の復の原字。腹はそれを音符とし、肉を加えた字で、腸がいくえにも重なってふくれたはら、

とある(漢字源)。別に、

形声文字です。「切った肉」の象形と「ふっくらした酒つぼの象形と下向きの足の象形」(「ひっくり返った酒をもとに戻す」の意味だが、ここでは、「包」に通じ「つつむ」の意味)から、内臓を包む肉体、「はら」を意味する「腹」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji279.html

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 03:22| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする