それが賓頭盧(びんづる)こそ、いみじく験(げん)はおはしますなれとて(今昔物語)、
にある、
賓頭盧、
は、
十六羅漢の一つで、参詣すれば病をいやすといわれている、
とある(佐藤謙三校注『今昔物語集』)。
賓頭盧、
は、
Piṇḍola-bharadvāja(ピンドーラ・バーラドヴァージャ)の音写、
で、
名がピンドーラ、姓をバーラドヴァージャ、
は、
賓頭盧翻不動、字也、頗羅堕、姓也、木行集経翻重瞳(翻訳名義集)、
と、
賓頭盧頗羅堕(びんずるはらだ 「賓頭盧」は字、「頗羅堕」は姓)の略、
とあり(精選版日本国語大辞典)、漢訳では、賓頭盧頗羅堕(びんずるはらだ)の他、
賓頭盧跋羅堕闍(びんずるばらだじゃ)、
賓頭盧突羅闍(びんずるとらじゃ)、
賓度羅跋囉惰闍(びんどらばらだじゃ)、
等々とも音写し、略称して、
賓頭盧(尊者)、
と呼ばれる(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B3%93%E9%A0%AD%E7%9B%A7)。釈迦の弟子で、十六羅漢の第一、
獅子吼(ししく)第一、
と称されるほど(仝上)、
人々を教化し説得する能力が抜群、
であり、
神通に長じたが、みだりに神通を用いたため、仏に叱られて涅槃(ねはん)を許されず、仏の滅後も衆生を救い続ける、
とされる(精選版日本国語大辞典)。『雑阿含経(ぞうあごんきょう)』には、
賓度羅跋囉惰闍(賓頭盧(びんずる)が仏陀から世にとどまれと命ぜられた、
とみえ、『弥勒下生経(みろくげしょうきょう)』には、
大迦葉(だいかしょう)、屠鉢歎(どばったん)、賓頭盧、羅云(らうん)、
の四比丘(びく)が仏法の滅亡ののちに涅槃(ねはん)するよう命ぜられた、と記されている(日本大百科全書)。
末世の人に福を授ける役をもつ人、
として受け取られ、法会には食事などを供養する風習が生じ、中国では、彼の像を、
食堂(じきどう)、
に安置した。日本では、
一向小乗寺。置賓頭盧和尚以為上座(「山家学生式(818~19)」)、
西国諸小乗寺、以賓頭盧為上座(梵網経疏)、
と、
寺の本堂の外陣(げじん)、前縁、
などに安置し、俗に、
病人が自分の患部と同じその像の箇所をなでて、病気の快復を祈願した、
ところから、
なでぼとけ(撫(な)で仏)、
ともいい、
おびんずる、
おびんずるさま、
びんずり、
等々とも呼ぶ(仝上・日本大百科全書)。
(舌をだしているおびんづるさま https://www.zen-temple.com/zatugaku/binzuru/binzurutop.htmlより)
おびんずるさま、
は、
舌が出してる、
とされることについて、こんな逸話が載っている(https://www.zen-temple.com/zatugaku/binzuru/binzurutop.html)。
おびんずるさまは 毎日 熱心に修行に励んでましたが、困ったことにお酒が大好きでした。修行のあいまにお釈迦さまに隠れては、こっそりお酒を飲んでおりました。
しかし、ある日、お釈迦さまにお酒を飲んでることがばれてしまい怒られたそうです。
それで、「しまった」と思ったのかどうかは分かりませんが、舌を出したそうです、
と、
赤いお顔、
なのは、
お酒をのん飲んで赤い、
のか、
お釈迦さまに怒られて赤面してる、
のかは定かではない、とも(仝上)
病んでいる場所と同じ所をなでて治す、
という風習生まれたのはいつの頃かはっきりしないが、当初は、
紙でお賓頭盧さんをなで、その紙で自分の患部をなでていた、
という(http://tobifudo.jp/newmon/jinbutu/binzuru.html)。直接なでるようになったのは、
江戸時代中頃から、
のようである(仝上)。
なで仏、
の原型は、大唐西域記の瞿薩旦那国(くさたなこく)に登場し、
栴檀の木で造られた高さ6m程の仏像があり、たいへん霊験があって光明を放っていました。この仏像に患部と同じ場所に金箔を貼ると、すぐに病が治る、とされていた、
とある(仝上)。
(賓頭盧尊者像(東大寺大仏殿前) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B3%93%E9%A0%AD%E7%9B%A7より)
因みに、十六羅漢は、
仏の命を受けて、ながくこの世にとどまって、正法を守護するという一六人の阿羅漢、
をいい、「羅漢」は、
阿羅漢、
の意で、
サンスクリット語のアルハトarhatの主格形アルハンarhanにあたる音写語、
で、
尊敬を受けるに値する者、
の意。漢訳仏典では、
応供(おうぐ)、
あるいは、
応、
と訳す。仏教において、
究極の悟りを得て、尊敬し供養される人、
をいう。後世の部派仏教(小乗仏教)では、
仏弟子(声聞 しょうもん)の到達しうる最高の位、
をさし、仏とは区別され、大乗仏教においては、
阿羅漢は小乗の聖者をさし、大乗の求道者(菩薩ぼさつ)には及ばない、
とされた(日本大百科全書)。なお、十六羅漢の他、
五百羅漢、
が知られる。十六羅漢は、経典により名称に多少の差異があるが、
賓度羅跋羅惰闍(ひんどらばっらだじゃ)・迦諾迦跋蹉(かだくかばさ)・迦諾迦跋釐惰闍(かだくかばりだじゃ)・蘇頻陀(そびんだ)・諾距羅(なくら)・跋陀羅(ばだら)・迦理迦(かりか)・伐闍羅弗多羅(ばしゃらふったら)・戍博迦(じゅはか)・半託迦(はんだか 周梨槃特)・羅怙羅(らごら)・那伽犀那(なかさいな)・因掲陀(いんかだ)・伐那婆斯(ばなばし)・阿氏多(あした)・注荼半託迦(ちゅだはんだか)、
とされる(仝上・精選版日本国語大辞典)。
なお賓度羅跋羅堕闍尊者の形相は、
白眉皓首、岩窟に依り波瀾を見、両手に小宝塔を捧げ、中に仏像を安んず、
とある(http://www.arc.ritsumei.ac.jp/opengadaiwiki/index.php/%E5%8D%81%E5%85%AD%E7%BE%85%E6%BC%A2)。
(びんずるさん(善光寺) https://www.binzuru-ichi.com/history/binzuru-sama.htmlより)
参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95