これが腹立ちて解かぬをも、あやにくだつやうにて、ただ解きに解かせつ(今昔物語)、
さこそあやにくだちつれども、いとほしかりければ、装束を取りて急ぎ着て、馬に乗りて(仝上)、
とある、
あやにくだつ、
は、
いじわるくする、
意とある(佐藤謙三校注『今昔物語集』)。「あやにくだつ」は、
生憎だつ、
と当て、
人をいらだたせ、困らせるような態度をする、意地わるくふるまう(広辞苑)、
人の嫌がることをことさらにする(大辞林)、
身勝手なことをして人を困らせる、だだをこねる(大辞泉)、
強引なことをして他を困らせる、意地を張る(日本国語大辞典)、
他を困らせたがる、いたずら心が起こる(学研全訳古語辞典)、
憎らしく思われる振舞いをする(岩波古語辞典)、
などと、微妙にニュアンスが異なるが、用例は、同じ、
あなたこなたに住む人の子の四つ五つなるは、あやにくだちて、物とり散らしそこなふ(枕草子)、
についての意味なのが可笑しい。「あやにくだつ」は、
「あやにく」 + 接尾辞「だつ」、
で(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E3%81%82%E3%82%84%E3%81%AB%E3%81%8F%E3%81%A0%E3%81%A4)、
アヤニクは、憎む意、立つは、起こる、始まるの意(景色だつ、艶(えん)だつ)、憎む心の起こると云ふなり、アヤニクム心と云ふ語もあり、
とある(大言海)。単に、
困るようなこと、憎たらしいことをする、
というのではなく、
そういう気持ちが起こる、
という含意と思われる。
あやにく、
は、
生憎、
可憎、
と当て(大言海)、形容詞の、
あやにくしの語幹、
とある(仝上)が、
ニクシは憎しの語幹、
ともある(岩波古語辞典)。「あやにくし」の、
アヤは感嘆詞の嗟嘆(アヤ)なり、アナニクシと云ふも、嗟嘆(アナ)憎しなり、共に、語根のみにて、アヤニク、アナニクと、副詞に用ゐらる(大言海)、
てあり、「あやにく」は、
形容詞の嗟嘆(アヤ)憎しの語根(あやなし、あやな。あなかしこし、あなかしこ)、アナアヤニクとも云ふは、感動詞の重言なれども、下の語原は忘れられて云ふなり、アイニクと云ふは、後世語にて、音轉なり(此奴(こやつ)、こいつ。彼奴(あやつ)、あいつ)、
とも(大言海)、
アヤは感動詞、ニクは憎しの語幹、程度の程度の甚だしさとか、物事の潮時とかが、自分の思いを阻害して、憎らしく思われること、今の「あいにく」の古語、
とも(岩波古語辞典)、
「あや」は感動詞、「にく」は「にくし」の語幹)気持や予想に反して、好ましくないことが起こるさま。また、思うようにならないで好ましくなく感ずるさま(日本国語大辞典)、
とも、
「観智院本名義抄」では「咄」(意外な事態に驚いて発する声)の字が当てられているところから、一語の感動詞のように用いられ、やがて形容動詞に進んだとも見られる(精選版日本国語大辞典)、
ともあり、
出でんとするに、時雨(しぐれ)といふばかりにもあらず、あやにくにあるに、なほいでんとす(蜻蛉日記)、
と、
予期に反してまが悪いさま、おりあしく不都合だ、
の意や、
さらに見ではえあるまじくおぼえ給ふも、かへすがへすあやにくなる心なりや(源氏物語)、
と、
予期に反して思うにまかせないさま、思いどおりにならないで困る、
意や、
さらに知らぬよしを申ししに、あやにくにし給ひし(枕草子)、
と、
予期に反して程度のはなはだしいさま、はげしいさま、
の意や、
さらば人にけしき見せで、この御文奉るわざし給へといへばいでとて、取りて、あやにくに、かの部屋にいきてこれあけん、これあけん、いかでいかでといへば(落窪物語)、
と、
状態ややりかたが思いのほかであるさま、意地が悪い、
意で使うが(精選版日本国語大辞典)、類聚名義抄(11~12世紀)に、
咄、アヤニク、
字鏡(平安後期頃)に、
憎、阿也爾久、
江戸時代中期の国語辞典『和訓栞』(谷川士清)に、
杜詩に、生憎柳絮白於綿、遊仙窟二、可憎病鵠夜半驚人、コノ生憎、可憎ヲ、あやにくトモ、あなにくトモ訓めり、
とあるが、どの「あなにく」にも、
惜しまれぬ身だにも世にはあるものをあなあやにくの花の心や(山家集)、
のように、
いらだたしく、憎らしく思われる、
というように、
事態、
や、
事柄、
や
程度、
や
時機、、
や
進捗、
等々が、思うにまかせず、
憎たらしい、
という含意が含まれている。これは漢語からきたものらしく、漢語、
生憎(セイソウ)、
にも、
憎みを生ずる、
という意(大言海)があり、
生怕(ショウハク)、
と同義で、
ひどくにくたらしい、
意で、
ひどくにくらしい、
あやにく、
と訓じ(字源・漢字源)、
生憎帳額繍弧鸞(盧照鄰)、
と、
おりあしく、
意外に、
と、
今日の、
生憎(あいにく)、
と同義で使う(字源)。
あやにく、
から、
あいにく、
へと転訛は、
近世末から明治にかけて併用され、大正時代以降は、「あいにく」が一般化する、
とある(日本語源大辞典)
あやにくがる、
は、
(男に対して)あやにくがりつるほどこそ(女は)寒さも知らざりつれ(枕草子)、
と、
気持や状況にうまく合わなくて迷惑だ、
まったく憎らしく思っている様子をする、
思いどおりにならずに、いやがる、
と、
憎らしがる、
意であり、
あやにく心、
は、
いとけしからぬ御あやにくなりかし(源氏物語)、
と、
どうにもならず憎らしく思われる心
の意で、逆に、
意地を張って人を困らせようとする気持、
意地わるい心、
でも使う。
今日、「あやにく」が転訛して
あいにく、
と訓む、
生憎、
は、
予想と違ったり、目的と合わなかったりして、都合の悪いさま、
の意で用い、「と」を伴って、
あいにくと、
の場合も、
具合の悪いことに、
おりあしく、
の意で、「あやにく」の持っていた、
自分にどうにもならない事態、対手、時機、
等に切歯扼腕するような、
憎らしい、
という含意はなく、
あいにくの雨だ、
おあいにくさま、
あいにく都合が悪い、
等々、どちらかというと、
主体側の事情、
とあわない意味にシフトしているような気がする。
なお「あやにく」の語源については、上述の通り、
感嘆詞「あや」+形容詞「憎し」、
ないし、
「あやにくし」の語幹、
というのが通説になってるが、
副詞「あやに」との関係、
を指摘する説もある(日本語源大辞典)らしい。
あやに、
は、
感動詞「あや」に助詞「に」がついてできた語、
とされ、
言葉に表わせないほど、また、理解できないほどの感動をいう、
とあり(精選版日本国語大辞典)、
この御酒(みき)の御酒の阿夜邇(アヤニ)転楽(うただの)し(古事記)、
と、
なんとも不思議に、
言いようもなく、
わけもわからず、
の意の他に、
見まつればあやにゆゆしくかなしきろかも(鈴屋集)、
と、
むやみに、
むしょうに、
ひどく、
の意でも使い(仝上・岩波古語辞典)、「あや」は、
「あやし」「あやしぶ」などの「あや」と同源で、感動詞「あや」に基づく。上代にも既に程度の副詞としての用法が見えるが、時代が下るにつれて、「目もあやに」の形など固定化された修辞的な用法が主となる、
とある(仝上)。確かに、感嘆詞「あや」つながりでは、関係があるとは見えるが、
憎たらしい、
という含意は薄い。「あや」つながり以外にはつながるとは見えない気がする。
(「憎」 説文解字・漢 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%86%8Eより)
「憎(憎)」(慣用ゾウ、漢音呉音ソウ)は、
会意兼形声。曾(ソウ)は甑(こしき)の形で、層をなして何段も上にふかし器を載せたさま。憎は「心+音符曾」で、嫌な感じが層をなしてつのり、簡単にのぞけぬほどいやなこと、
とある(漢字源)。別に、
会意兼形声文字です(忄(心)+曽(曾))。「心臓」の象形(「心」の意味)と「蒸気を発するための器具の上に重ねた、こしき(米などを蒸す為の土器)から蒸気が発散している」象形(「重なる」の意味)から重なり積もる心、「にくしみ」を意味する「憎」という漢字が成り立ちました、
ともある(https://okjiten.jp/kanji1538.html)。
「生」(漢音セイ、呉音ショウ)は、「なま」で触れた。
参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95