2023年05月26日
矢庭
走りで逃げて去にけり。然れば、四人は矢庭に射殺したりけり。今一人は四五町ばかり逃げ去りて(今昔物語)、
とある、
矢庭、
は、
矢を射る場所。矢のとどく距離、近い所。時間では、即座に、ただちにの意となる。この場合は原義に近い使い方ではないか。「四五町ばかり」は、もはや矢庭ではない、
と注記がある(佐藤謙三校注『今昔物語集』)。
矢庭、
は、
矢場、
とも当て(岩波古語辞典)、「矢場(やには)」は、
さんざんに射給へば、矢庭に鎧武者十騎許り射落さる(平家物語)、
と、
矢を射る場所、又は、射たる其場、
の意で(大言海)、
やにはに、
と副詞として使う場合、
ヤニハは矢場にて、其場を去らせずと、戦場に云ふより起こりたる語かという、
とある(仝上)。
(矢を射ている)その場で、時間もかけないで一気に事を行うさまを表す語、
ともある(日本語源大辞典)。同趣旨たが、
矢を射たその庭に、
の意(日本語源広辞典)ともある。しかし、
イヤニハカニ(彌俄に)は「イ」「カ」を落として、ヤニハニ(矢庭)になった、
と、語音転訛からとする説(日本語の語源)もある。
正直のところ、
矢を射る場所、あるいは、矢を射ているその場、
の意から、
即座に、
ただちに、
と意味が転化したのはわかりにくいが、もともと、
夜明けたれば逃ぐる者もらはに見えつるに、蠅だにふるまはさず、或いは矢庭に射臥せ(今昔物語)、
と、
その場で矢を射た、
あるいは、
矢を射たその場、
の意から、
究竟の者ども、五六人やにはに切り給ふ(義経記)、
と、
時間もかけないで一気に事を行なうさまを表わす語、
として、
直ちに、
たちどころに、
と、時間的に、
即座、
に転じ、それが、
南原にいたち一つはしり出たり。見付けしを幸に、やにはに棒をふりあげ、打殺さんとしけるを(咄本「醒睡笑(1628)」)
と、
いきなり、
突然、
だしぬけに、
に転じ、さらに、
女の泣声がお絹だと分ったから、矢庭に合の襖を開けて飛び込んだ(森田草平「煤煙(1909)」)、
と、
前後の見境もなく直ちに、または、しゃにむに事を行なうさまを表わす語、
に転じたという流れになるようだ(岩波古語辞典・日本国語大辞典)。
なお、「矢」(シ)は、「征矢」で触れたように、
象形。やじりのついたやの形にかたどり、武器の「や」の意を表す、
とある(角川新字源)。
「庭」(漢音テイ、呉音ジョウ)は、
会意兼形声。廷(テイ)の右側の字(テイ)は、壬(ジン)とは別字。挺(テイ まっすぐ)の原字で、人がまっすぐ伸ばして立つときの、すねの部分を示した字。廷はそれに廴印(横に伸ばす)をつけ、まっすぐ平らに伸びた所を示す。庭は「广(いえ)+音符廷」で、屋敷の中の平らにまっすぐ伸ばした場所、つまり中庭のこと。もと廷と書いた、
とある(漢字源)。別に、
会意形声。广と、(テイ 宮殿内の中庭)とから成る。宮中の意を表す、
とも(角川新字源)、
会意兼形声文字です(广+廷)。「屋根」の象形と「階段(宮殿)の前から突き出たにわ」の象形から「にわ」を意味する「庭」という漢字が成り立ちました、
ともある(https://okjiten.jp/kanji522.html)。
参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95