髪をば後(うしろ)ざまに結ひて、烏帽子もせぬ者の、落蹲(らくそん)と云ふ麻衣のうにてあれば(今昔物語)、
の、
落蹲、
は、
高麗樂のひとつ、
で、
納蘇利(なそり)ともいう、
とある(佐藤謙三校注『今昔物語集』)。「納蘇利」は、
納曾利、
とも当て、正確には、
《納曾利》通常為雙人舞、單人獨舞時又稱為《落蹲》、
とあり(https://www2.ntj.jac.go.jp/dglib/contents/learn/edc22/sakuhin/bugaku/s12.html)、和名類聚抄(平安中期)には、
高麗楽曲、納蘇利、
とある、
舞楽の右舞で、二人舞の納蘇利(なそり)の一人舞、
をいう(精選版日本国語大辞典)。別名は、
落蹲、
とするのはその意味である(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%8D%E6%9B%BD%E5%88%A9)。ただ、奈良の南都楽所では一般とは逆に一人舞の場合は曲名を「納曽利」、二人舞の場合は「落蹲」と呼ぶ(仝上)らしい。
双龍舞、
ともいう(仝上)のは、
二匹の龍が楽しげに遊び戯れる様子を表したもの、
とも(仝上)、
雌雄二頭の竜が戯れながら天に昇る姿を舞にした、
とも(日本大百科全書)言われ、
童舞(わらわまい 舞楽で、子どもの舞う舞)、
として舞われることもあるからである(仝上)。「納曾利」は、
高麗(こま)楽の高麗壱越(いちこつ)調(雅楽の六調子の一つ。壱越の音、すなわち洋楽音名の「ニ」の音(D)を主音とした音階)、
で(世界大百科事典・精選版日本国語大辞典)、
走舞(はしりまい)、
に属し、
右方で、二人の舞手は背中合わせで大きな輪を描いたり、互いに斜め方向に飛び離れたり舞台上を活発に動く、
二人舞(一人舞のときにが『落蹲(らくそん)』)、
で(日本大百科全書)、古くから、
『陵王』の答舞(とうぶ 先に演じる左舞の対となる右舞)として、頻繁に演じられてきました。平安時代には競馬の勝者に賭物が与えられる賭弓(のりゆみ)、相撲の節会(せちえ 季節の節目に行われる宴)で舞われ、左方が勝つと『陵王』が、右方が勝つと『納曽利』が舞われたといわれています、
とある(https://www2.ntj.jac.go.jp/dglib/contents/learn/edc22/sakuhin/bugaku/s12.html)。「相撲の節会」あるいは「相撲節(すまいのせち)」については「最手(ほて)」、「相撲」については、「すまふ」で触れた。
因みに、「右舞(うまい・うぶ)」
とは、
右方の舞」(うほうのまい)、
右の舞、
ともいい、
舞楽の右方(うほう)の舞。古代朝鮮系の舞踊とその音楽。舞人は舞台後方の向かって右から出入りし、装束は緑、青、黄系統の色を用いる、
とあり(精選版日本国語大辞典)、対するのが、
左舞(さまい・さぶ)、
で、
左方の舞、
舞楽の左方の舞。中国、インド系の舞楽。舞人は赤・紅系統の色の装束を着け、舞台向かって左の通路から出入する、
とある(仝上)。一人舞の場合は曲名を、
落蹲(らくそん)、
と言うのは、
一人舞の場合、舞人が舞台中央で蹲(うずくま)る舞容があるためである、
とされる(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%8D%E6%9B%BD%E5%88%A9)。二人舞のときは、
金青色の舞楽面、
を、一人舞のときは、
紺青色の龍頭を模した牙のある舞楽面、
を着け(仝上)、装束は、
袍に竜唐織紋のある毛縁の裲襠、指貫・大口・腰帯・糸鞋を着け、竜を模した吊顎面と緑色金襴の牟子(むし)で頭部を覆い、右手に銀色の桴(ばち 細い棒のこと)を持つ
とある(http://heian.cocolog-nifty.com/genji/2006/07/post_4538.html)。ただし、童舞の場合は、
面、牟子を着けず、童髪に天冠、
を着ける(仝上)。
一人舞を落蹲、二人舞を納蘇利と呼ぶ、
とされているが、
納蘇利、らくそんといふべし(大神基政(おおがのもとまさ)の楽書『龍鳴抄』)、
とあり(http://youyukai.com/epi/ban6.html)、
日暮れかかるほどに、高麗の乱声して、「落蹲」舞ひ出でたるほど、なほ常の目馴れぬ舞のさまなれば、舞ひ果つるほどに、権中納言、衛門督下りて、「入綾」をほのかに舞ひて(源氏物語)、
落蹲は二人して膝踏みて舞ひたる(枕草子)、
殿の君達二所は童にて舞ひたまふ。高松殿の御腹の巌君は納蘇利舞ひたまふ。殿の上の御腹の田鶴君陵王舞ひたまふ(栄花物語)、
と、少なくとも平安中期までは舞人の人数による呼び分けはなかった(http://heian.cocolog-nifty.com/genji/2006/07/post_4538.html)との見方があり、
落蹲、納曽利の名は昔、舞の人数に関係なく併用して使われていた、
のではないかとも言われる(http://youyukai.com/epi/ban6.html)。
(納曽利、陵王の図 両脇のあいた闕腋の袍に毛総飾りのついた裲襠装束で舞う。左の二人が納曽利(納蘇利)、右が陵王(蘭陵王・羅陵王)(『舞楽絵巻』) 日本大百科全書より)
なお、舞楽には、
番舞(つがひまい)、
あるいは、
番の舞、
つがい、
と言って、
左右の舞から舞姿の様式、装束の形式が同数のものを一曲ずつ組み合わせてひと番(つがい)にしたもの、
がある(精選版日本国語大辞典)。代表的なのが、上述した、
右方、納曽利(落蹲)、
左方、陵王、
である。
右方の、
納曾利、
と対をなす、番舞(つがいまい)の、左方(さほう)の、
陵王、
という曲は、別名、
蘭陵王入陣曲、
短縮して、
陵王、
といい、
左方(唐楽)に属する壱越調(いちこつちょう)の一人舞、
で、元は沙陀調(さだちょう 雅楽の調子の一。壱越を主音とする呂(りょ)調で、のちに壱越調に編入)であったが日本で壱越調に転調した、
とあり、
華麗に装飾された仮面を被る勇壮な走舞、
である(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%98%AD%E9%99%B5%E7%8E%8B_%28%E9%9B%85%E6%A5%BD%29・デジタル大辞泉)。答舞が、
納曽利(なそり)、
になる。
管絃演奏時には、
蘭陵王、
舞楽演奏時には、
陵王と表す(仝上)とある。
(「蘭陵王」の舞楽面(真清田神社所蔵)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%98%AD%E9%99%B5%E7%8E%8B_%28%E9%9B%85%E6%A5%BD%29より)
北斉の蘭陵武王・高長恭の逸話にちなんだ曲目、
で、
眉目秀麗な名将であった蘭陵王が優しげな美貌を獰猛な仮面に隠して戦に挑み見事大勝したため、兵たちが喜んでその勇姿を歌に歌ったのが曲の由来とされている(仝上)。
装束は、
龍頭を模した舞楽面を着け、金色の桴(ばち 細い棒のこと)、
を携え、
緋色の紗地に窠紋(「窠」は鳥の巣の意、数個の円弧形をつなぎ合わせた中に、唐花や花菱などを入れたもの)の刺繍をした袍を用い、その上に毛縁の裲襠(りょうとう)と呼ばれる袖の無い貫頭衣を着装し、金帯を締める、
とある(仝上)。
(舞楽「大々神楽」の「陵王」(大人面舞一人)(越後一宮彌彦神社の妻戸大神例祭) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%98%AD%E9%99%B5%E7%8E%8B_%28%E9%9B%85%E6%A5%BD%29より)
参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95