2023年07月21日

鳥瑟(うしつ)


毗沙利(びしゃり)國の観音は、今は鳥瑟(うしつ)も見えじかし、入りぬらん、聖徳太子の九輪(くりん)は、光も變(かは)らで今ひをつあり(梁塵秘抄)、

の、

鳥瑟、

は、

烏瑟膩沙(うしちにしゃ)、

の略で、

梵語uṣṇīṣa、

の音訳、

うしち、
うしつ、
うすつ、
うしつにしゃ、
うちにしゃ、

ともいい、

仏頂、

とも訳し(精選版日本国語大辞典)、

肉髻(にくけい)、

つまり、

仏の三十二相の一つ。仏の頭頂にある、髻(もとどり)のように突起した肉塊、

をいい、

釈尊の三十二相(三十二相八十種好)の特徴の一つで、一般の如来形にも超人的なものの象徴として表わされる、

とある(仝上)。「三十二相」て触れたように、

肉髻(にくけい)、

は、

三十二相の三十一番目、

頂髻相(ちょうけいそう) 頭の頂の肉が隆起して髻(もとどり)の形を成している、

とある。

肉髻.bmp

(肉髻 精選版日本国語大辞典より)

肉髻(にくけい)の中にあって、誰も見ることのできない頂点、

を、

無見頂相(むけんちょうそう)、

といい、

仏の八十随形好(ずいぎょうごう)の一つ。

とされる(広辞苑)。

烏瑟膩沙(うしちにしゃ)、

は、翻譯名義集(南宋代の梵漢辞典)に、

烏瑟膩沙、此云佛頂、頂骨湧起、自然成髻、故名肉髻、

とある。

三十二相」でふれたように、

如来変化之身、具此三十二相、以表法身衆徳圓極、人天中尊、衆聖之王也(「大蔵法數(だいぞうほっす)」)、

と、

仏がそなえているという32のすぐれた姿・形、

すなわち、

手過膝(手が膝より長い)、
身金色
眉間白豪(はくごう)
頂髻(ちょうけい)相(頭頂に隆起がある)

という意味であるが、転じて、

三十二相足らひたる、いつきしき姫にてありける(御伽草子「文正草子」)、

と、

女性の容貌・風姿の一切の美相、

の意味になる(広辞苑)。

仏像.jpg

(仏像 広辞苑より)

釈迦如来の身体に具したる、異常なる表象(しるし)

は、

三十二大人(だいにん)相、
三十二大丈夫(だいじょうふ)相、
三十二大士(だいじ)相、
大人相、
四八(しはち)相、

等々ともいう(日本大百科全書)。また、

三十二相八十随形好(ずいぎょうこう)

あるいは、

三十二相八十種好(はちじっしゅごう)、

あるいは、

八十随形好(はちじゅうずいぎょうこう)、

とも言い、仏の身体に備わっている特徴として、

見てすぐに分かる三十二相と、微細な特徴である八十種好を併せたもの、

で、両者をあわせて、

相好(そうごう)

という(仝上)。

三十二相の一で、眉間の白毫(白い毛)は右旋して光明を発するという。「白毫」については触れた。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
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2023年07月22日

葉腕(くぼて)・葉手(ひらて)


吉田野に神祭る、天魔(てま)は八幡(やはた)に葉椀(くぼて)さし、葉手(ひらて)とか、賀茂の御手洗(みたらし)に精進して、空には風こそさいさか程は取れ(梁塵秘抄)、

の、

葉椀(くぼて)、
葉手(ひらて)、

は、

柏(かしわ)の葉を使った容器で、

葉椀.bmp

(窪手 精選版日本国語大辞典より)

葉椀(くぼて)、

は、

窪手、

とも当て、

クボ、

は、

窪、
凹、

と当て(岩波古語辞典)、

其の窪きをいい(大言海)

神前に供える物を入れる器。カシワの葉を幾枚も合わせ竹の針でさし綴って、凹んだ盤(さら)のように作ったもの、

をいい(広辞苑)、

神山のかしはのくぼてさしながらおひなをるみなさかへともがな(相模集)、

と、

柏の窪手(かしわのくぼて)、

という言い方もする(精選版日本国語大辞典)。

葉手.bmp

(葉手 精選版日本国語大辞典より)

葉手(ひらて)、

は、

枚手、
葉盤、

とも当て、

ひらすき(枚次)、

ともいい、

ヒラはヒラ(平)と同根、

で(岩波古語辞典)、

大嘗会(だいじょうえ)などの時、菜菓などを盛って神に供えた器。数枚の柏の葉を並べ、竹のひごなどでさしとじて円く平たく作ったもの

をいい(精選版日本国語大辞典)、後世ではその形の土器かわらけをいい、木製・陶製もある。

」で触れたように、「かしわ」には、樹木の葉の意味の他に、

食物や酒を盛った木の葉、また、食器、

の意がある。

多くカシワの葉を使ったからいう、

とあり(広辞苑)、

大御酒のかしはを握(と)らしめて、

と古事記にある。「カシワ」を容器とするものに、

くぼて(葉碗・窪手)、
ひらで(葉盤・枚手)、

があり、和名類聚抄(平安中期)に、

葉手、平良天、葉椀、九保天、

とある。ために、

葉、此れをば箇始婆(かしは)といふ(仁徳紀)、

とあり、仁徳紀に、

葉、此れをば箇始婆(かしは)といふ、

とある。で、「葉」を、

かしわ、

とも訓ます(岩波古語辞典)。

膳夫(かしわで)」で触れたことだが、

膳夫(かしはで)、

は、

カシハの葉を食器に使ったことによる。テは手・人の意(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典・大辞林・日本語源広辞典)、
カシハは炊葉、テはシロ(料)の意で、ト(事・物)の転呼、カシハの料という意(日本古語大辞典=松岡静雄)、
カシハデ(葉人)の義(大言海)、

とあり、

カシハ、

は、

カシワ(柏・槲)、

の意である。「柏餅」触れたように、

たべものを盛る葉には、

ツバキ・サクラ・カキ・タチバナ・ササ、

などがあるが、代表的なのが、

カシワ、

であった(たべもの語源辞典)ので、「柏餅」の、

カシワの葉に糯米(昔は糯米を飯としていた)を入れて蒸したのは、古代のたべものの姿を現している、

ともいえる(仝上)。

こうみると、

くぼて、
ひらで、
かしわで、

の、

テ、

は、

くぼへ(凹瓮)、
ひらへ(平瓮)、

とする説(言元梯)もあるが、

瓮(オウ)、

は、和名類聚抄(平安中期)に、

甕、毛太井(もたひ)、

とあり、

甕(オウ)は瓮と同義(漢字源)とあり、

水や酒を入れる器、

なので、少しずれそうだ。

手、

と当てている通り、

テは手で捧げるところから(東雅)、
テは取り持つところから(日本語源=賀茂百樹)、

とあるように、

テ(手)、

自体、

トリ(取・執)の約轉(古事記伝・和訓集説・菊池俗語考・大言海・日本語源=賀茂百樹)、

と、動作からきているようなので、

テは手・人の意(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典・大辞林・日本語源広辞典)、

というのが妥当な気がする。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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2023年07月23日

重波(しきなみ)


南(なん)宮の御前(おまへ)に朝日さし、兒(ちご)の御前に夕日さし、松原如来の御前には、官位(つかさ)昇進(まさり)の重波(しきなみ)ぞ立つ(梁塵秘抄)、

の、

重波、

は、

頻浪、

とも当て、

次から次へとしきりに打ちよせる波、

をいい、字鏡(平安後期頃)に、

波浪相重、志支奈美、

とあるが、転じて、

頻並、
敷並、

とあてる、

しきなみにつどひたる車なれば、出づべきかたもなし(枕草子)、

と、

絶え間なく続くさま、
たてつづけ、

という意で使い(広辞苑)、

しきなみなり(頻並みなり)、

は、

あとからあとから続いている、

意で(学研全訳古語辞典)、

頻浪(しきなみ)を打つ、

というと、

和泉・河内の早馬敷並を打つて(太平記)、

と、

しきりである、

意で使う(広辞苑)。ちなみに、

しきなみぐさ(頻浪草)、

というと、

すすき、

の異称である(仝上)。

なお、上記の、

南(なん)宮、
兒(ちご)、
松原如来、

とあるのは、摂津国武庫郡(西宮市大社町)の、式内社、

広田神社、

の、

摂社、
末社、

で、十巻本の伊呂波字類抄(平安末期)に、

広田  五所大明神 本身阿弥陀 在摂津国
矢洲大明神  観音  南宮  阿弥陀 
夷  毘沙門 エビス  児宮  地蔵 
三郎殿  不動明王  一童  普賢 
内王子  観音    松原  大日 
百大夫  文殊    竃殿  二所

とあるhttp://www.lares.dti.ne.jp/~hisadome/honji/files/HIROTA.html

「頻」 漢字.gif

(「頻」 https://kakijun.jp/page/1745200.htmlより)


「瀕」 漢字.gif


「頻」(漢音ヒン、呉音ビン)は、

会意文字。「頁(あたま)+渉(水をわたる)の略体」で、水ぎわぎりぎりにせまること、

とあり(漢字源)、

会意。頁と、涉(しよう=渉。𣥿は変わった形。步は省略形。水をわたる)とから成り、川をわたる人が顔にしわを寄せる、ひそめる意を表す。もと、瀕(ヒン)に同じ。借りて「しきりに」の意に用いる、

とも(角川新字源)、

会意文字です(もと、渉(涉)+頁)。「流れる水の象形(のちに省略)と左右の足跡の象形」(「水の中を歩く、渡る」の意味)と「人の頭部を強調した」象形(「かしら」の意味)から、水の先端「水辺」、「岸」を意味する「頻」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji1877.htmlが、別に、「頻」は、

「瀕」の略体。のち仮借して「しきりに」を意味する漢語{頻 /*bin/}に用いる、

とありhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%A0%BB、「瀕」は、

原字は「水」+「步」から構成される会意文字で、水際を歩くさまを象る。西周時代に「頁」を加えて「瀕」の字体となる。「水辺」を意味する漢語{瀕 /*pin/}を表す字。『説文解字』では「頁」+「涉」と分析されているが、これは誤った分析である。甲骨文字や金文の形を見ればわかるように「涉」とは関係がない、

と、上記の、

「頁」+「涉」説、

を一蹴しているhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%80%95

「重」 漢字.gif


「重」(漢音チョウ、呉音ジュウ)は、

会意兼形声。東(トウ)は、心棒がつきぬけた袋を描いた象形文字で、つきとおすの意を含む。重は「人が土の上にたったさま+音符東」で、人体のおもみが↓型につきぬけて、地上の一点にかかることをしめす、

とある(漢字源)。別に、

象形。荷物(音符「東 /*TONG/」を兼ねる)を背負った人物を象る。「おもい」を意味する漢語{重 /*drongɁ/}を表す字。のち仮借して「かさねる」を意味する漢語{重 /*drong/}にも用いる、

ともhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%87%8D

会意形声。人と、東(トウ→チヨウ ふくろ)とから成り、人がおもいふくろを負う、ひいて「おもい」、また、「かさねる」意を表す、

とも(角川新字源)、

会意兼形声文字です(壬+東)。「人が立っている」象形と「重い袋の両端をくくった」象形から(人が)重い袋を持って耐える、すなわち「おもい」を意味する「重」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji503.html。なお、「東」(漢音トウ、呉音ツウ)は、「東司(とうす)」で触れた。

「浪」 漢字.gif



「浪」 中国最古の字書『説文解字』.png

(「浪」 中国最古の字書『説文解字』(後漢・許慎)・漢 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%B5%AAより)

「浪」(漢音呉音ロウもー、唐音ラン)は、

会意兼形声。良は◉(穀物)を水でといてきれいにするさま。清らかに澄んだ意を含む。粮(リョウ きれいな米)の原字。浪は「水+音符良」で、清らかに流れる水のこと、

とある(漢字源)。別に、

形声。水と、音符良(リヤウ)→(ラウ)とから成る。もと、川の名。のち、借りて「なみ」の意に用いる

とも(角川新字源)、

会意兼形声文字です(氵(水)+良)。「流れる水」の象形(「水」の意味)と「穀物の中から特に良いものだけを選び出すための器具の象形」(「良い」の意味だが、ここでは、「ザーザーと、うねる波を表す擬態語」)から、「なみ」を意味する「浪」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji1512.html

「波」  漢字.gif


「波」(ハ)は、

会意兼形声。皮は「頭のついた動物のかわ+又(手)」の会意文字で、皮衣を手でななめに引き寄せて被るさま。波は「水+音符皮」で、水面がななめにかぶさるなみ、

とある(漢字源)。別に、

会意兼形声文字です(氵(水)+皮)。「流れる水の象形」と「獣の皮を手ではぎとる象形」(「毛皮」の意味)から、毛皮のようになみうつ水、「なみ」を意味する「波」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji405.html

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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2023年07月24日

阿耨(あのく)菩提


歸命頂禮大権現、今日(けふ)より我等を捨てずして、生々世々に擁護(おうご)して、阿耨(あのく)菩提成したまへ(梁塵秘抄)、

の、

阿耨(あのく)菩提、

は、サンスクリット語、

アヌッタラー(無上の)・サムヤク(正しい、完全な)・サンボーディ(悟り)、

の意の、

anuttarā samyak-sabodhi、

の音写、

佛説是普門品時、衆中八萬四千衆、皆発無等等阿耨多羅三藐三菩提心(法華経)、

とある、

阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみやくさんぼだい)、

の略、

阿は無、耨多羅は上、三は正、藐は等、三は正、菩提は悟り(大日経)、

と、

仏の仏たるゆえんである、このうえなく正しい完全なる悟りの智慧(ちえ)のこと、

を言い、

縁覚(えんがく 仏の教えによらずに独力で十二因縁を悟り、それを他人に説かない聖者)、
声聞(しょうもん 仏の教説に従って修行しても自己の解脱のみを目的とする出家の聖者)、

がそれぞれ得る悟りの智慧のなかで、

此三菩薩必定阿耨多羅三藐三菩提不退無上智道(顕戒論(820))

と、

仏の菩提(ぼだい)は、このうえない究極のものを示す、

とされ(日本大百科全書)、

無上正等正覚(むじょうしょうとうしょうがく)、
無上正真道(しょうしんどう)、
無上正遍知(しょうへんち)、

などと訳される(仝上・精選版日本国語大辞典)。

大乗仏教では、

声聞乗(声聞のための教え)を縁覚(えんがく 独覚(どっかく))乗、

を二乗と称し、

菩薩(ぼさつ)乗、

を、三乗とするが、このうち二乗を小乗として貶称(へんしょう)し、声聞は仏の教えを聞いて修行しても自己の悟りだけしか考えない人々であると批判し(仝上)、

小乗の声聞の菩提、
と、
縁覚の菩提、

は執着や煩悩を滅尽しているけれども、真の菩提ということはできず、大乗の仏と菩薩の菩提のみが、

阿耨多羅三藐(あのくたらさんみやく)三菩提(anuttarasamyak‐saṃbodhi)、

であるとしている(仝上)。

菩提(ぼだい)、

は、サンスクリット語、

ボーディbodhi、

の音写。ボーディは、

ブッドフbudh(目覚める)、

からつくられた名詞で、

真理に対する目覚め、すなわち悟りを表し、その悟りを得る知恵を含む、

とされ、その最高が、

阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)、

であり、

最高の理想的な悟り、

の意で、この語は、仏教の理想である、

ニルバーナnirvāa(涅槃(ねはん))、

と同一視され、のちニルバーナが死をさすようになると、それらが混合して、

菩提を弔う、

といい、

死者の冥福(めいふく)を祈る、

意味となった(仝上)。

法華経(妙法蓮華経(みょうほうれんげきょう))、

については、「法華経五の巻」で触れたが、

法華経のサンスクリット語の原題の逐語訳は、

正しい・法・白蓮・経、

で、

白蓮華のように最も優れた正しい教え、

の意であるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95%E8%8F%AF%E7%B5%8C

白い蓮の花.jpg


ところで、「耨多羅三藐(あのくたらさんみやく)三菩提」の「阿耨」を取った、

阿耨観音(あのくかんのん)、

というのがあり、

三十三観音の一尊、

で、

妙法蓮華経の一節、

或漂流巨海/竜魚諸鬼難/念彼観音力/波浪不能没(=大海を漂流しているときに龍や魚や鬼による難があっても、彼の観音の力を念ずれば、波でさえその者を侵すことができない)、

に対応する仏尊とされる。「阿耨」という尊名は、

阿那婆達多竜王の住む「阿耨達池(あのくだっち)」と呼ばれる池の名前から。岩上に立てた右膝を両手で抱える形で坐し滝を眺める姿で描かれる、

とあるhttps://shimma.info/amp/item_anokukannon.html

阿耨観音(あのくかんのん) (2).jpg

(阿耨観音(あのくかんのん)(「増補諸宗 佛像図彙」(土佐秀信)) https://shimma.info/amp/item_anokukannon.htmlより)

三十三観音、

は、観音が衆生済度のために三三体に姿を変えると説く経説(法華経普門品)に付会して、

三十三応現身(さんじゅうさんおうげんしん)、

と、俗信の観音を三三に整理したもので、

楊柳(ようりゅう)、龍頭(りゅうず)、持経(じきょう)、円光、遊戯(ゆげ)、白衣(びゃくえ)、蓮臥(れんが)、滝見(たきみ)、施薬(せやく)、魚籃(ぎょらん)、徳王、水月(すいげつ)、一葉、青頸(しょうきょう)、威徳(いとく)、延命、衆宝(しゅほう)、岩戸(いわと)、能静(のうじょう)、阿耨(あのく)、阿麽提(あまだい)、葉衣(ようえ)、瑠璃、多羅尊(たらそん)、蛤蜊(はまぐり)、六時、普悲(ふひ)、馬郎婦(めろうふ)、合掌、一如(いちにょ)、不二、持蓮、灑水(しゃすい)、

の三三体をいう(精選版日本国語大辞典)。三十三感応像については「仏像図彙(土佐秀信)」http://rokumeibunko.com/butsuzo/bosatsubu/b01901_sanjusankannon.htmlに詳しい。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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2023年07月25日

摩訶迦羅天(まかからてん)


仏法及(きゅう)文殊とか、多聞(たもん)摩迦羅(まから)天、山王(さんのう)及(きゅう)傳教大師、、慈覚環(じかくぐゑん)如来(梁塵秘抄)、

の、

摩迦羅(まから)天、

は、

摩訶迦羅天(まかからてん)、

の謂いかと思う。

摩訶迦羅天(まかからてん)、

の、

摩訶迦羅(まかから)、

は、

Mahākālaの音訳、

まかきゃらてん、

ともいい(精選版日本国語大辞典)、

マカは大、キャラは黒の義、

で(大言海)、

テン、

は、

天者如雜心釋、有光明、故名之為天(大乗義章)、

と、

梵語、提婆(Deva)、又素羅(Sura)、光明の義、

で(仝上)、転じて、

帝釈天、毘沙門天、辨財天、四天王、三十三天の類の如く、

一切の鬼神(神)を天といい(仝上)、

摩訶迦羅天(まかからてん)、

は、

大黒天、

のことである(精選版日本国語大辞典)。

大黒天(マハーカーラ) (2).jpg

(大黒天(マハーカーラ) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%BB%92%E5%A4%A9より)

大黒天、

は、サンスクリット語の、

マハーカーラMahākāla、

の訳で、

摩訶迦羅(まかから)、

と音写。

マハーカーラ、

は、

偉大な黒い神、偉大な時間(=破壊者)、

を意味する(日本大百科全書)。元来、

ヒンドゥー教の主神の一つ、

で、青黒い身体をもつ破壊神としての、

シバ神(大自在天)、

の別名で、それが仏教に入って護法神となり、

毘盧遮那(びるしゃな)、
または、
摩醯首羅天(まけいしゅらてん)、

の化身という(精選版日本国語大辞典)。

“マハー”は大(もしくは偉大なる)、“カーラ”とは時あるいは黒(暗黒、闇黒)、

を意味し、

偉大なる暗黒(闇黒)の神、

なので、

大黒天、

と名づけられたhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%BB%92%E5%A4%A9。その名の通り、青黒い身体に憤怒相をした神である。

摩醯首羅(まげいしゆら 大自在天)の化身で戦闘の神、

で、大日経疏においては、

毘盧遮那(びるしやな)仏の化身、

で、

灰を身体に塗り、荒野の中にいて荼枳尼(だきに)を降伏させる忿怒(ふんぬ)神である、

と説く(世界大百科事典)。

密教では、

青黒色、三面三目六臂、逆髪の忿怒形、

で、胎蔵界曼荼羅外院北方に配する(精選版日本国語大辞典)。

七福神の一つ、

である。

天部と言われる仏教の守護神達の一人、

で、

軍神・戦闘神、富貴爵禄の神、

とされた(仝上)が、中国においてマハーカーラの3つの性格のうち、財福を強調して祀られたものが、日本に伝えられた(仝上)。

大黒天.bmp

(大黒天 精選版日本国語大辞典より)

中国南部では、

床几(しょうぎ)に腰を掛け金袋を持つ姿、

で、

西方諸大寺處、或於食厨柱側、、或在大庫門前、彫木表形、或二尺三尺為神王状、坐把全嚢、却踞小床、脚垂地、毎将油拭、黒色為/形、號曰莫訶歌羅、即大黒神也(南海寄歸傳)、

と、

諸寺の厨房(ちゅうぼう)に祀(まつ)られた。わが国の大黒天はこの系統で、最澄によってもたらされ、天台宗の寺院を中心に祀られたのがその始まりといわれる(日本大百科全書)。

最澄は、

毘沙門天・弁才天と合体した三面大黒、

を比叡山延暦寺の台所の守護神として祀り、後に大国主神と習合した。

三面大黒天(摩訶迦羅天).jpg

(三面大黒天(摩訶迦羅天) 円泉寺 https://www.ensenji.or.jp/blog/1614/より)

その後、台所の守護神から福の神としての色彩を強め、七福神の一つとなり、頭巾(ずきん)をかぶり左肩に大袋を背負い、右手に小槌(こづち)を持って米俵を踏まえるといった現在みられる姿になり、

商売繁盛を願う商家、
田の神として農家、

においても信仰を集め、音韻や容姿の類似から大国主命(おおくにぬしのみこと)と重ねて受け入れられたことが大きな要因で、

福徳や財宝を与える神、

とされ、その像は、

狩衣のような服を着て、まるく低いくくり頭巾をかぶり、左肩に大きな袋を背負い、右手には打出の小槌を持ち、米俵の上にいる、

で、

大国主命を本地とする説が行なわれ、甲子の日をその祭日とし、二股大根をそなえる習慣がある(精選版日本国語大辞典)。

大黒さん、
大黒さま、
大黒天神、

などとして親しまれている(仝上・https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%BB%92%E5%A4%A9)。

神田明神の大黒天像.jpg

(大黒天像(神田明神) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%BB%92%E5%A4%A9より)

なお、「七福神」については触れた。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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2023年07月26日

如来


十万佛神集まりて、寶塔扉(とぼそ)を押し開き、如来滅後の末の世に、法華を説きおき給ひしぞ(梁塵秘抄)、

の、

如来、

は、

梵語tathāgata(多陀阿伽陀)、

の訳、

かくの如く行ける人、

すなわち、

修行を完成し、悟りを開いた人、

の意。のちに、

かくの如く来れる人、

すなわち、

真理の世界から衆生(しゅじょう)救済のために迷界に来た人、

と解し、

如来、

と訳す(広辞苑)。

梵語 Tathāgata、

の語構成を、

tathā(「如」と訳され、真理・ありのままを表す)



āgata(「来る」の意のアーガムāgamの過去完了「来た」)

の合成と解して、

如来、

と訳されたが、

Tathā



gata(「行く」の意のガムgamの過去完了「去った」)、

の合成とも解され、その際には、

如去(にょきょ)、

の訳となる(チベット訳はこのほうをとっている)ということのようである(日本大百科全書・精選版日本国語大辞典)。で、

如去(にょこ)、

ともいう、

仏の尊称、

である、

仏十号(ぶつじゅうごう)、

の一つである(仝上)。釈迦には、仏陀であることを意味する、

阿羅漢、
辟支仏、
如来、

等正覚などいくつもの尊称があるが、そのうちとくに、

十号(じゅうごう、 epithets for the Buddha)、

という、10の名号がよく知られている、つまり、

如来 tathāgata 真実に達した者、人格完成者、
応供(おうぐ) arhat 尊敬を受けるに値する者、阿羅漢。
正遍知(しょうへんち) samyaksambuddha 正しく悟った者、
明行足(みょうぎょうそく) vidyācaraṇasaṃpanna 知恵と行いの完成者、
善逝(ぜんぜい) sugata よく到達した者、しあわせな人、
世間解(せけんげ) lokavid 世間を知る者、
無上士(むじょうし) anuttara このうえなき者、
調御丈夫(じょうごじょうぶ) puruṣadamyasārathi 教化すべき人を教化する御者、
天人師(てんにんし) śāstā devamanuṣyānāṃ 天や人に対する教師、
仏世尊(ぶつせそん) buddho bhagavān 真理を悟った者、尊き人、

で、「仏世尊」を「仏」と「世尊」に分ければ十一号となる(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E5%8F%B7・ブリタニカ国際大百科事典)。

真如(真理)から来て衆生(しゅじょう)を導く、

意の「如来」は、

修行完成者、

の意で一般諸宗教を通じての呼称であったが、後に、

仏陀、

の呼称となり、更に大乗仏教では、

薬師如来、
大日如来、
阿弥陀如来、

のように諸仏の称ともなった(仝上)。

仏陀(ぶっだ)、

は、梵語、

ブッダBuddha、

の音写。

Buddha、

は、

budh(目覚める)を語源とし、

目覚めた人、
覚者、

すなわち

真理、本質、実相を悟った人、

を表し、もとは普通名詞であり、インドでは諸宗教を通じて使われたことばだが、ゴータマ・シッダールタはその一人で、それが仏教を創始した、

釈迦(しゃか)、

である。釈尊ゴータマもみずから悟ったので仏陀といいのちゴータマ・ブッダとなり、ゴータマの教えの最重要点が悟りであったこともあり、特に彼が仏陀の名を専有できたのであろう(ブリタニカ国際大百科事典)とある。

だから、当初は、

教祖の人格、

を表わすものであったが、入滅後は法としての精神が語り継がれ、彼の神格化が行われた。またのちには慈悲の面が特に強調されたこともあり、特に、

釈迦如来、

をさすことが多い(日本大百科全書・精選版日本国語大辞典・ブリタニカ国際大百科事典)。

なお、中国では、

浮図(ふと)、

などと音写し、それが日本に「ふと」として伝わり、これに「け」を加えて、やがて、

ほとけ、

となった(仝上)とある。

仏、

は、

仏陀の略、

ではなく、伝来の過程でBuddhaがBudとなったものらしい。唐以降は仏陀の音写が広まったとある(仝上)。

ブッダ像.jpg

(ブッダ像(サールナート考古博物館) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%88%E8%BF%A6より)

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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2023年07月27日

青山(せいざん)


種田山頭火『種田山頭火全集』を読む。

種田山頭火全集.jpg


種田山頭火、

については、名前ばかりで、自由律俳句の代表として、

分け入つても分け入つても青い山

ぐらいしか知らないし、俳句についての知識があるわけではないので、単純に、心に惹かれた句をピックアップしてみた。ただ、

句集らしい、

草木塔(「鉢の子」「其中一人」「行乞途上」「山行水行」「旅から旅へ」「雑草風景」「柿の葉」「銃後」「孤寒」「旅心」「鴉」所収)、

の、

完成稿、

ではなく、

草庵日記、
行乞(ぎょうこつ)記、
其中(ごちゅう)日記、
四国遍路日記、
道中記、
旅日記、

といった、日記、旅行記、雑感といったものを中心に、そこに載っている彼の句を拾い上げてみた。俳句に詳しいわけではないので、

面白い、
とか、
気になる、
とか、
惹かれる、
とか、
身につまされる、
とか、
何かのメタファに思える、

といった、まったくの個人的、感覚的な選択基準で選びとった。下手な書評を書くより、それ自身が山頭火評であり、私的山頭火句集になっているのではないか。

ただ、彼の句の特徴から、たとえば、日記中に、

降りみ降らずみ、寝たり起きたり。

とか、

青い風、涼しい風、吹きぬける風。

とあるように、地の文なのか、句なのか、区別のつかないものも、勝手に、

句、

として拾っている。また、本書に掲載されている順に拾っているので、後の所で、改作されているものもあるが、最初に載せられたものを拾っている。多いようだが、これでも、四分の一以下だと思う。

このみちやいくたりゆきしわれはけふゆく
あの雲がおとした雨か濡れてゐる
われとわれに声かけてまた歩き出す
行手けふも高い山が立つてゐる
ふりかへらない道をいそぐ
もぎのこされた柿の実のいよいよ赤く
さんざしぐれの山越えてまた山
ゆきゆきて倒れるまでの道の草
しぐるゝや道は一すぢ
いちにちわれとわが足音を聴きつゝ歩む
あんたのことを考へつゞけて歩きつゞけて
歩いても眺めても知らない顔ばかり
地図 一枚捨てゝ心かろく去る
背中の夕日が物を思はせる
みんな活きてゆく音たてゝゐる
大木に腰かけて旅の空
大金持の大樅の木が威張つてゐる
降るもよからう雨がふる
落葉うづたかく御仏ゐます
うらゝかな今日の米だけはある
さうろうとしてけふもくれたか
山道わからなくなつたところ石地蔵尊
明日は明日のことにして寝ませうよ
水のんでこの憂欝のやりどころなし
あるけばあるけば木の葉ちるちる
のぼりくだりの道の草枯れ
降 つたり照つたり死場所をさがす
酔へば人がなつかしうなつて出てゆく
あんな夢を見たけさのほがらか
鐘が鳴る師走の鐘が鳴りわたる
ぐるりとまはつてまたひとりになる
今年も今夜かぎりの雨となり
水仙ひらかうとするしづけさにをる
いやな夢見た朝の爪をきる
灯が一つあつて別れてゆく
食べるもの食べつくしてひとり
また降りだしてひとりである
ほころびを縫ふほどにしぐれる
雪の夕べをつゝましう生きてゐる
雪もよひ、飯が焦げついた
ぬかるみをきてぬかるみをかへる
霙ふるポストへ投げこんだ無心状
ひとり住むことにもなれてあたゝかく
冷やかに明けてくる霽れてくる
ひとりにはなりきれない空を見あげる
ひとりはなれてぬかるみをふむ
どこやらで鴉なく道は遠い
うしろ姿のしぐれてゆくか
越えてゆく山また山は冬の山
遠く近く波音のしぐれてくる
暮れて松風の宿に草鞋ぬぐ
たゞにしぐれて柑子おちたるまゝならん
山へ空へ摩訶般若波羅密多心経
黒髪の長さを潮風にまかし
山路きて独りごというてゐた
牛は重荷を負はされて鈴はりんりん
明けてくる山の灯の消えてゆく
きのふは風けふは雪あすも歩かう
ふるさとの山なみ見える雪ふる
このさみしさや遠山の雪
山ふかくなり大きい雪がふつてきた
四ッ手網さむざむと引きあげてある
焼跡のしづかにも雪のふりつもる
すべて昨日のそれらとおなじ
草餅のふるさとの香をいたゞく
笠へぽつとり椿だつた
まッぱだかを太陽にのぞかれる
忘れようとするその顔の泣いてゐる
いつ咲いたさくらまで登つてゐる
花ぐもりのいちにち石をきざむばかり
さくらさくらさくさくらちるさくら
麦田花菜田長い長い汽車が通る
ひさびさきて波音のさくら花ざかり
けふもいちにち風をあるいてきた
どうやら霽れてくれさうな草の花
そつけなく別れてゆく草の道
梅若葉柿若葉そして何若葉
明日は明日の事にして寝るばかり
ここにも畑があつて葱坊主
何が何やらみんな咲いてゐる
雀よ雀よ御主人のおかへりだ
ひとりとなつてトンネルをぬける
あるけばきんぽうげすわればきんぽうげ
衣がへ虱もいつしよに捨てる
露でびつしより汗でびつしより
あざみあざやかにあさのあめあがり
うつむいて石ころばかり
沖から白帆の霽れてくる
星も見えない旅をつゞけてゐる
襁褓干しかけてある茱萸(グミ)も花持つ
葉桜となつて水に影ある
青草に寝ころんで青空がある
こんやの宿も燕を泊めてゐる
ふるさとの夜となれば蛙の合唱
ふるさとの言葉のなかにすわる
けふは霰にたゝかれてゐる
波音のお念仏がきこえる
旅のつかれの夕月が出てゐる
焼芋をつゝんでくれた号外も読む
ボタ山へ月見草咲きつゞき
ほつかり眼ざめて山ほとゝぎす
山へ空へ摩訶般若波羅密多心経
青草に寝ころべば青空がある
ばたり落ちてきて虫が考へてゐる
旅のつかれの夕月がほつかり
どこまでも咲いてゐる花の名は知らない
おとなりが鳴ればこちらも鳴る真昼十二時
おしめ影する白い花赤い花
柿の葉柿の実そよがうともしない
どうでもこゝにおちつきたい夕月
あるだけの酒のんで寝る月夜
吠えてきて尾をふる犬とあるく
樹かげすゞしく石にてふてふ
家をめぐつてどくだみの花
しめやかな山とおもへば墓がある
いつまで生きよう庵を結んで
食べるものもなくなつた今日の朝焼
水田青空に植ゑつけてゆく
人の声して山の青さよ
こゝもそこもどくだみの花ざかり
梅雨晴れの山がちゞまり青田がかさなり
うまい水の流れるところ花うつぎ
山薊いちりんの風がでた
水のほとり石をつみかさねては
霽れて暑い石仏ならんでおはす
夏めいた灯かげ月かげを掃く
障子に箒の影も更けて
のぼりつくして石ほとけ
雨にあけて燕の子もどつてゐる
何でこんなにさみしい風ふく
どうやら晴れさうな青柿しづか
そゝくさ別れて山の青葉へ橋を渡る
なぐさまないこゝろを山のみどりへはなつ
何だかなつかしうなるくちなしさいて
くもりおもたくおのれの体臭
梅雨あかり、ぱつと花のひらきたる
おちつかない朝の時計のとまつてる
夕焼うつくしい旅路もをはり
今夜も千鳥がなく、虫がなく
蜩のなくところからひきかへす
夜どほし浴泉があるのうせんかつら
山のいちにち蟻もあるいてゐる
このみちや合歓の咲きつゞき
つきあたつて蔦がからまる石仏
紫陽花もをはりの色の曇つてゐる
いちりん咲いてゐててふてふ
虫のゆききのしみじみ生きてゐる
押売が村から村へ雲の峰
星が光りすぎる雨が近いさうな
どうしてもねむれない夜の爪をきる
何と涼しい南無大師遍照金剛
石にとんぼはまひるのゆめみる
昼寝ふかい村から村へのうせんかづら
星あかりをあふれくる水をすくふ
おもひでの草のこみちをお墓まで
別れてからもう九日の月が出てゐる
あてもない空からころげてきた木の実
一人となればつくつくぼうし
稲妻する過去を清算しやうとする
三日月、遠いところをおもふ
まがつた風景そのなかをゆく
枯れようとして朝顔の白さ二つ
日照雨ぬれてあんたのところまで
夕焼、めをとふたりでどこへゆく
曇り日の時計かつちりあつてゐる
夜あけの星がこまかい雨をこぼしてゐる
鳴くかよこほろぎ私も眠れない
月がある、あるけばあるく影の濃く
斬られても斬られても曼珠沙華
月見草もおもひでの花をひらき
線路がひかるヤレコノドツコイシヨ
わがまゝきまゝな旅の雨にはぬれてゆく
ずんぶりぬれて青葉のわたし
南天のしづくが蕗の葉の音
晴れるより雲雀はうたふ道のなつかしや
ぬれるだけぬれてゆくきんぽうげ
あけたてもぎくしやくとふさいでゐる
によこりと筍こまかい雨ふる
青葉に青葉がふたつのかげ
草へ脚を投げだせばてふてふ
もう明けさうな窓あけて青葉
山ふところの花の白さに蜂がゐる
わかれきて峠となればふりかへり
風のてふてふのゆくへを見おくる
こゝろすなほに御飯がふいた
から梅雨の蟻の行列どこまでつづく
てふてふうらからおもてへひらひら
ほつかり朝月のある風景がから梅雨
線路まつすぐヤレコノドツコイシヨ
朝露しとゞ、行きたい方へ行く
夜明けの月があるきりぎりす
夏草の、いつ道をまちがへた
これからまた峠路となるほとゝぎす
梅雨あかり私があるく蝶がとぶ
けふもいちにち誰も来なかつた螢
降つたり照つたり何事もなくて暮れ
花にもあいたかてふてふもつれつつ
みんな去んでしまへば水音
さびしさはここまできてもきりぎりす
合歓の花おもひでが夢のやうに
蜩よ、私は私の寝床を持つてゐる
ながれをさかのぼりきて南無観世音菩薩
おのが影のまつすぐなるを踏んでゆく
遠雷すふるさとのこひしく
雷鳴が追つかけてくる山を越える
山のあなたへお日様見送つて御飯にする
ひらいてゆれてゐる鬼百合のほこり
風が吹きとほすまへもうしろも青葉
日ざかりのながれで洗ふは旅のふんどし
いろいろの事が考へられる螢とぶ
あの山こえて雷鳴が私もこえる
けふまでは生きてきたへそをなでつつ
やつぱりお留守でのうせんかづら
草から追はれて雨のてふてふどこへゆく
あぶら蝉やたらに人が恋ひしうて
いぬころぐさいぬころぐさと風ふく
みんなたつしやでかぼちやのはなも
炎天、蟻が大きな獲物をはこぶ
暮れてまだ働らいてゐる夕月
まうへに陽がある道ながし
まうへに月を感じつゝ寝る
はぶさう葉をとぢてゐる満月のひかり
昼寝覚めてどちらを見ても山
おのが影をまへに暑い道をいそぐ
近道の近道があるをみなへし
こゝから下りとなる石仏
きのふの酔がまだ残つてゐるつくつくぼうし
いなびかり別れて遠い人をおもふ
とりとめもなく考へてゐる日照雨
昇る陽を吸うてゐる南無妙法蓮華経
朝の鐘の谷から谷へ澄みわたるなり
夕鴉鳴きかはしてはさびしうする
旅のつかれもほつかりと夕月
波音の霽れてくるつくつくぼうし
うらもおもても秋かげの木の実草の実
月が落ちる山から風が鳴りだした
たゞあるく落葉ちりしいてゐるみち
ふるさとは松かげすゞしくつくつくぼうし
いまし昇る秋の日へ摩訶般若波羅密多心経
すわれば風がある秋の雑草
なんでもない道がつゞいて曼珠沙華
百舌鳥がするどくふりさうでふらない空
すゞしくぬれて街から街へ山の夕立
空ふかうちぎれては秋の雲
はてしない旅もをはりの桐の花
やつと糸が通つた針の感触
また一人となり秋ふかむみち
道がわかれて誰かきさうなもので山あざみ
かたまつて曼珠沙華のいよいよ赤く
柚子をもぐ朝雲の晴れてゆく
死をまへに、やぶれたる足袋をぬぐ
いつのまにやら月は落ちてる闇がしみじみ
一つ家に一人寝て観る草に月
移つてきてお彼岸花の花ざかり
ひとりで酔へばこうろぎこうろぎ
みほとけのかげわたしのかげの夜をまもる
寝るよりほかない月を見てゐる
しぐれて冴える月に見おくる
近眼と老眼とこんがらがつて秋寒く
わたしひとりのけふのをはりのしぐれてき
あてもなくあるけば月がついてくる
さみしさへしぶい茶をそゝぐ
みほとけのかげにぬかづくもののかげ
秋のすがたのふりかかつてはゆく
誰かきさうな空からこぼれる枇杷の花
こゝにかうしてみほとけのかげわたしのかげ
すくうてはのむ秋もをはりの水のいろ
お地蔵さまのお手のお花が小春日
茶の花や身にちかく冬のきてゐる
酔 へばいろいろの声がきこえる冬雨
冬ぐもり、いやな手紙をだしてきたぬかるみ
霜にはつきり靴形つけてゆく
いそいでくる足音の冴えかえる
ほいなく別れてきて雪の藪柑子
どうすることもできない矛盾を風が吹く
つい嘘をいつてしまつて寒いぬかるみ
何だか物足らない別れで、どこかの鐘が鳴る
水底青めば春ちかし
ひつそりとしてぺんぺん草の花ざかり
かうしてここにわたしのかげ
落ちては落ちては藪椿いつまでも咲く
春の野の汽鑵車がさかさまで走る
寝ころべば昼月もある空
釣瓶の水がこぼれるなつめの実
おもひではあまずつぱいなつめの実
山へのぼれば山すみれ藪をあるけば藪柑子
うつろなこゝろへ晴れて風ふく
春ふかい石に字がある南無阿弥陀仏
何もかも過去となつてしまつた菜の花ざかり
大空をわたりゆく鳥へ寝ころんでゐる
どうにもならない矛盾が炎天
其中一人として炎天
木かげ涼しくて石仏おはす
このさびしさは山のどこから枯れた風
昼はみそさゞい、夜はふくらうの月が出 た
雪のあかるさが家いつぱいのしづけさ
墓石に帽子をのせ南無阿弥陀仏
なにもかも雑炊としてあたゝかく
誰もゐない筧の水のあふれる落葉
汽笛(フネ)とならんであるく早春の白波
あんたとわたしをつないで雨ふる渡船
また逢へようボタ山の月が晴れてきた
みんな酔うてシクラメンの赤いの白いの
風がふくひとりゆく山に入るみちで
死ねる薬はふところにある日向ぼつこ
遠山の雪のひかるや旅立つとする
山から暮れておもたく背負うてもどる
そこらに冬がのこつてゐる千両万両
ゆふべはゆふべの鐘が鳴る山はおだやかで
つゝましく大根煮る火のよう燃える
曇り日のひたきしきりに啼いて暮れる
生きてゐるもののあはれがぬかるみのなか
猫柳どうにかかうにか暮らせるけれど
春めけば知らない小鳥のきておこす
この道しかない春の雪ふる
うれしいたよりもかなしいたよりも春の雪ふる
こんやはこゝで涸れてゐる水
春の波の照つたり曇つたりするこゝろ
枯草あたゝかうつもる話がなんぼでも
船窓(マド)から二つ、をとことをなごの顔である
みんな去んでしまへば赤い月
病んでしづかな白い花のちる
あれもこれもほうれん草も咲いてゐる
五月の空をまうへに感じつつ寝床
てふてふつるまうとするくもり
おもひではそれからそれへ蕗をむぎつつ
どうやらあるけて見あげる雲が初夏
雑草咲くや捨つべきものは捨てゝしまうて
葱坊主、わたしにもうれしいことがある
木の芽草の芽いそがしい旅の雨ふる
もう秋風の、腹立つてゐるかまきり
寝床までまともにうらから夕日
病めば考へなほすことが、風鈴のしきりに鳴る
ひらかうとする花がのぞいた草の中から
うちの藪よその藪みんなうごいてゆふべ
いやな薬も飲んではゐるが初夏の微風
湯があふれる憂欝がとけてながれる(改作)
月夜の蛙がなく米をとぐ
おもひでは山越えてまた山のみどり
白うつづいてどこかに月のある夜 みち
寝苦しい月夜で啼いたはほととぎす
悔いることばかり夏となる
いつでも死ねる草が咲いたり実つたり
暮れてふきつのる風を聴いてゐる
霽れててふてふ二つとなり三つとなり
死なうとおもふに、なんとてふてふひらひらする
歩いても歩いても草ばかり
酔ざめはくちなしの花のあまりあざやか
山から山がのぞいて梅雨晴れ
いま落ちる陽の、風鈴の鳴る
かうしてながらへて蝉が鳴きだした
ともかくもけふまでは生きて夏草のなか
ぽとりぽとり青柿が落ちるなり
雨を待つ風鈴のしきりに鳴る
炎天のはてもなく蟻の行列
きのふのいかりをおさへつけては田の草をとる
ここを死場所として草はしげるまゝに
あすはかへらうさくらがちるちつてくる
宵月ほつかりとある若竹のさき
山あをあをと死んでゆく
けさも雨ふる鏡をぬぐふ
ゆふなぎしめやかにとんでゐるてふねてゐるてふ
ちんぽこもおそそもあふれる湯かな(千人風呂)
草の青さをしみじみ生き伸びてゐる
こゝにわたしがつくつくぼうしがいちにち
しんかんとして熟柿はおちる
秋風の腹たててゐるかまきりで
なんとなくなつかしいもののかげが月あかり
てふてふひらりと萩をくぐつて青空 へ
南天の実のいろづくもうそさむい朝
あかるくするどく百舌鳥はてつぺんに
ゆふかぜのお地蔵さまのおててに木の実
米をとぐ手のひえびえと秋
草も木もうち捨ててあるところ茶の花
かうまでからだがおとろへた草のたけ
なんぼう考へてもおんなじことの落葉をあるく
考へつつ歩きつつふつと赤のはからすうり
ああいへばかうなる朝がきて別れる
出かけようとする月はもう出てゐる
枯れるものは枯れてゆく草の実の赤く
しんみりする日の身のまはりかたづける
ほつかり覚めてまうへの月を感じてゐる
ことしもをはりの憂欝のひげを剃る
こちらがあゆめばあちらもうごく小春雲
あのみちのどこへゆく冬山こえて
ふと眼がさめて枯草の鳴るはしぐれてゐるか
雑草よこだはりなく私も生きてゐる
おもひでがそれからそれへ晩酌一本
あの人も死んださうな、ふるさとの寒空
ほつと夕日のとゞくところで赤い草の実
かうして生きてゐる湯豆腐ふいた
山から水が春の音たてて流れだしてきた
雪あかりわれとわが死相をゑがく
ぬくうてあるけば椿ぽたぽた
なんとけさの鶯のへたくそうた
悔いることばかりひよどりはないてくれても
あてなくあるくてふてふあとになりさきになり
てふてふもつれつつ草から空 へ
風の夜の更けてゆく私も虫もぢつとして
雑草に夜明けの月があるしづけさ
おちてしまへば蟻地獄の蟻である
赤いのはざくろの花のさみだるる
どうやら霽れさうな草の葉のそよぐそよぐ
それからそれへ考へることの、ふくろうのなきうつる
あなたがきてくれるころの風鈴しきり鳴る
蛙よわたしも寝ないで考へてゐる
ちつともねむれなかつた朝月のとがりやう
朝ぐもり海 へ出てゆく暑い雲
おもひおくことはないゆふべ芋の葉ひらひら
草によこたはる胸ふかく何か巣くうて鳴くやうな
月のあかるさがうらもおもてもきりぎりす
木かげ水かげわたくしのかげ
すすき穂にでて悲しい日がまたちかづく
秋風の、水音の、石をみがく
竹の葉のすなほにそよぐこゝろを見つめる
てふてふもつれつつかげひなた
こゝろ澄ませばみんな鳴きかはしてゐる虫
おのれにこもればまへもうしろもまんぢゆさけ
くもりしづけく柿の葉のちる音も
てふてふひらひらとんできて萩の咲いてゐる
燃えつくしたるこゝろさびしく曼珠沙華
百舌鳥が鋭くなつてアンテナのてつぺん
足もとからてふてふが魂のやうに
夜のふかうして花のいよいよ匂ふ
燃えつくしたる曼珠沙華さみしく(改作)
考へてゐる身にかく百舌鳥のするどく
のぼる月の、竹の葉のかすかにゆらぐ
明日のあてはない松虫鈴虫
更けるほどに月の木の葉のふりしきる
ひつそりとおだやかな味噌汁煮える
酔ひざめの風のかなしく吹きぬける(改作)
生きてはゐられない雲の流れゆく
ことしもこゝにけふぎりの米五升
けふは誰か来てくれさうな昼月がある
てふてふ一つ渦潮のまんなかに
軒からぶらりと蓑虫の秋風
酒飲めば涙ながるるおろかな秋ぞ
けさはけさのほうれんさうのおしたし
霜の大根ぬいてきてお汁ができた
毒ありて活く生命にや河豚汁
雪あしたあるだけの米を粥にしてをく
お山のぼりくだり何かおとしたやうな
しぐるるあしあとをたどりゆく
歩るくほかない秋の雨ふりつのる
秋ふかく分け入るほどはあざみの花
旅で果てることもほんに秋空
岩ばしる水がたたへて青さ禊する
水はみな瀧となり秋ふかし
蝋涙いつとなく長い秋も更けて
松はみな枝垂れて南無観世音
分け入つても分け入つても青い山
しとどに濡れてこれは道しるべの石
生死の中の雪ふりしきる
この旅、果もない旅のつくつくぼうし
笠にとんぼをとまらせてあるく
しぐるるや死なないでゐる
百舌鳥啼いて身の捨てどころなし
どうしようもないわたしが歩いてゐる
捨てきれない荷物のおもさまへうし ろ
あの雲がおとした雨にぬれてゐる
いただいて足りて一人の箸をおく
ひつそりかんとしてぺんぺん草の花ざかり
ぬいてもぬいても草の執着をぬく
あるけばきんぽうげすわればきんぽうげ
ほととぎすあすはあの山こえて行かう
日ざかりのお地蔵さまの顔がにこにこ
ここにかうしてわたしをおいてゐる冬夜
山から山がのぞいて梅雨晴れ
この道しかない春の雪ふる
残された二つ三つが熟柿となる雲のゆきき
てふてふひらひらいらかをこえた
吹きぬける秋風の吹きぬけるままに
しぐれしたしうお墓を洗つていつた
しみじみ生かされてゐることがほころび縫ふとき
しぐるるやあるだけの御飯よう炊けた
其中(ごちゅう)一人いつも一人の草萌ゆる
人に逢はなくなりてより山のてふてふ
ここを墓場とし曼珠沙華燃ゆる
けふのよろこびは山また山の芽ぶく色
どこで倒れてもよい山うぐひす
後になり先になり梅にほふ
花ぐもりの富士が見えたりかくれたり
うらうら石仏もねむさうな
何かさみしく死んでしまへととぶとんぼ
ひよいと月が出てゐた富士のむかうから
遠くなり近くなる水音の一人
行き暮れてほの白くからたちの花
衣かへて心いれかへて旅もあらためて
あるけばかつこういそげばかつこう
ゆふ風さわがしくわたしも旅人
その手の下にいのちさみしい虫として
ほんにお山 はしづかなふくろう
雨ふりそゝぐ窓がらすのおぼろおぼろに
道しるべ倒れたまゝの山しぐれ
山国の山ふところで昼寝する
草ぼうぼうとしてこのみちのつゞくなり
みちばたの石に腰かけ南無虚空蔵如来
お姿たふとくも大杉そそり立つ
くもりおもたくつひのわかれか
あなたを待つとてまんまるい月の
ふりかへる山のすがたの見えたり見えなかつたり
むつかしい因数分解の、赤い何の芽
誰を待つとてゆふべは萩のしきりにこぼれ
はてもない旅のつくつくぼうし
けふはけふの道のたんぽぽさいた
六十にして落ちつけないこゝろ海をわたる

種田山頭火の写真.png


取り上げた句数は結構多いようだが、これでも、全体の四分の一以下、それでも、いくつかのこだわりの表現、こだわりのフレーズが、繰り返し出てきて、句作のパターンが浮き上がってくるのが面白い。

参考文献;
種田山頭火『種田山頭火全集』(新日本文学電子大系第61巻)(芙蓉文庫)Kindle版)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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2023年07月28日

箆(の)


鷲の本白を、くわうたいくわうの箆(の)に矧ぎて、宮の御前を押開き、無道(ふとう)射させんとぞ思ふ(梁塵秘抄)、

の、

箆、

は、和名類聚抄(平安中期)に、

箆、乃、箭竹名也、

とあり、

ヤダケの古名、

であるが、「やだけ」は、

矢竹、
箭竹、

と当て、

篠の類、形、雌竹に似て細く、葉は、ちまきざさ(粽笹)の如し、高さ、丈に過ぎず、幹、強くして、節の閒長く、多く矢の幹に作る、

とある(大言海)、

矢に用いる竹、

の意から、

矢に用いる竹の部分、

のため、

矢柄(やがら)、

の意となり、

箆、

も、

馬の額を箆深に射させて(平家物語)、

と、

矢柄(やがら)、

の意で使い、
箆、一名のだけ、一名やだけ、一名やのたけは漢名を菌簬、一名筓箭、一名箭幹竹といふ、

と(古今要覧稿)、

やだけ、

箆、

はほぼ同義となっている(広辞苑・大言海)。「矢柄」は、

矢幹、
簳、

とも当て、

矢の幹、

つまり、

鏃(やじり)と矢羽根を除いた部分、

をいい、普通は、

篠竹(しのだけ)で作る(デジタル大辞泉)。これも。

篦、

と同義でも使い、

矢篦、

ともいう(仝上)。

やだけ.jpg

(やだけ 広辞苑より)

なお、

本白、

とは、

矢羽根の名、

で、

褐色で根元の方が白いもの、

をいう(精選版日本国語大辞典)。

本白.bmp

(本白 精選版日本国語大辞典より)

侍(さぶらひ)藤五君(ぎみ)、めしし弓矯(ゆだめ)はなどとはぬ、弓矯も箆矯(のだめ)も持ちながら、讃岐の松山へ入(い)りにしは(梁塵秘抄)、

の、

弓矯(ゆだめ・ゆみだめ)、

は、

檠、

とも当て、和名類聚抄(平安中期)に、

檠、又は擏、由美大米、所以正弓弩也、

とあり、

弓の弾力を強くするために、弓幹(ゆがら)を曲げてそらせること、

あるいは、また、

曲がっている弓の材を、真っすぐに改めること、

の意で(精選版日本国語大辞典)、また、

そのために用いる道具、

をもいう(精選版日本国語大辞典)。

箆矯、

は、

箆撓、
箆揉、

とも当て、

弓の箆を撓(た)めて、曲がりなどを直す、

意から、

箆を撓めて、弓を張れる如き形、

をもいう(大言海)。また、

矢竹の曲がったのを撓め直す道具、

をもいい(岩波古語辞典)、

細い木に筋かいに溝を彫り、その中に箆を入れて直す、

ので、

すじかい、

ともいう(仝上・大言海)。

篦(の)の位置.jpg

(箆の位置 デジタル大辞泉)

箆、

の由来は、

矢のノリ(度)の意(和訓栞・大言海)、
直であるところから、ナヲ(直)の反(名語記・日本釈名)、
箭の古訓ノリの略(古今要覧稿)、

とあるがはっきりしない(日本語源大辞典)。なお、

箆、

を、

へら、

と訓むと、

箆を使う、

というように、

竹・木・象牙・金属などを細長く平らに削り、先端をやや尖らせた道具、

をいい、

折り目・しるしをつけ、または漆・糊を練ったり塗ったりするのに用いる、

ものを指す(デジタル大辞泉)。

なお、「矢」については、「弓矢」で、「矧ぐ」についても触れた。

「篦」 漢字.gif



「箆」 漢字.gif


「箆」(漢音ヘイ、呉音ハイ、慣用ヒ)は、

会意兼形声。下部の字(ヒ・ヘイ)は、びっしりと並ぶ意を含む。箆はそれを音符として、竹を加えた、

とあり(漢字源)、「竹ぐし」の意で、

へら、

の、

の意で使うのはわが国だけである。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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2023年07月29日

みさご


海におかしき歌枕、磯邊の松原琴(まつばらきん)を弾き、調(しら)めつつ沖の波は磯に来て鼓打てば、雎鳩(みさご)濱千鳥、舞い傾(こだ)れて遊ぶなり(梁塵秘抄)

の、

傾(こだ)る、

は、

薪(たきぎ)樵(こ)る鎌倉山の許太流(コダル)木をまつと汝が言はば恋ひつつやあらむ(万葉集)、

とあり、

こ垂る、

とも当て(岩波古語辞典)、

「木垂る」で樹木の枝葉が繁茂して垂れ下がる、

意、また一説に、

「木足る」で、枝葉が充足している(繁茂している)、

意ともあり(精選版日本国語大辞典)、

重みでだらりとなる、
しなだれ下がる、

意で(仝上)、そこから転じて、

緊張がゆるんで姿勢がたるむ、

意でも使う。上記の、

舞い傾(こだ)れて遊ぶなり、

は、

この意味のようである(岩波古語辞典)。のちには、さらに転じて、

あのつらでこだれちゃあ、掃き溜めの地震、雪隠へ落っこちた雷、といふつらだらう(洒落本「辰巳婦言」)、

と、

泣きしおれる、
泣く、

意でも使うが、これは、もと、

人形浄瑠璃の社会の隠語、

という(デジタル大辞泉)。

みさご、

は、

鶚、
雎鳩、
鵃、
魚鷹、

などと当てhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%82%B5%E3%82%B4、鳥綱タカ目ミサゴ科ミサゴ属の、

トビとほぼ同大のタカ、

で、海辺や湖岸に住み、

全長約55センチ。尾は短めで、翼は長め。背面は暗褐色で、下面は白色。翼の下面には暗褐色の模様が出ます。空中の一点に羽ばたきながら留まり、水面を探し、獲物を見つけると急降下し、足を伸ばして水中へ飛びこみ、魚類を捕らえます。捕らえた魚は小さければ片足で運び、大きいものは手拭を絞るように握り、魚の頭を先にして縦にして運びます

とありhttps://www.suntory.co.jp/eco/birds/encyclopedia/detail/1496.html

捕らえた魚を岩陰の巣に積んでおく習性、

があり、その魚を、

みさご酢、

といって珍重する(岩波古語辞典)とある。

鹽、醤を加へずして食ふべく、味、人の作れる酢の如し、

とある(大言海)。和名類聚抄(平安中期)に、

雎鳩、美佐古、

天治字鏡(平安中期)に、

雎、雎鳩也、彌左古、又、萬奈柱、雎(上同)、

とある。

雎鳩(しょきゅう)、
州鳥(すどり)、

ともいい、魚を好んで食べることから別名、

ウオタカ(魚鷹)、

ともhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%82%B5%E3%82%B4いい、垂直離着陸能力をもつ、

オスプレイ、

は、

みさご、

の意味である。

雎鳩(しょきゅう)、

は漢語であるが、

關關雎鳩、在河之洲、窈窕淑女、君子好逑(詩経)、

と、

雌雄仲が良いこと、
や、
淑徳ある婦女、

に喩えられるともある(岩波古語辞典・大言海)。

ミサゴ.jpg


ミサゴ、

の由来は、

水探(ミサゴ)の義か(大言海)、
水サグルの意(日本釈名)、
ミヅサガシ(水捜)の義(名言通)、
ミサク・ミサゴ(水探)の義(言元梯)、
ウミサグリドリ(海捜鳥)の義(日本語原学=林甕臣)、
ミサグの転、ミサグはミヅサハカスの反(名語記)、
水沙の際にいるところから、ミサゴ(水沙児)の義(東雅)、
ミッシャコ(水𪋞鴣)の義(日本語原学=林甕臣)、

と、何れも、その生態から音を当てているが、はっきりしない(日本語源大辞典)。

「鶚」 漢字.gif

(「鶚」 https://kakijun.jp/page/EA4C200.htmlより)

「鶚」(ガク)は、

会意兼形声。「鳥+音符咢(ガク ガクガクトかどがたつ、あごが鋭い)、

とある(漢字源)。「みさご」の意である。

「雎」 漢字.gif

(「雎」 https://kakijun.jp/page/E8B1200.htmlより)

「雎」(漢音ショ、呉音ソ)は、

会意兼形声。「隹(とり)+音符且(ショ)」

とあり(漢字源)、「雎鳩」(しょきゅう)で、「みさご」の意である。

「鳩」 漢字.gif



「鳩」 中国最古の字書『説文解字』.png

(「鳩」 中国最古の字書『説文解字』(後漢・許慎)・漢 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%B3%A9より)

「鳩」(漢音キュウ、呉音ク)は、

形声。「鳥+音符九」。ひと所にあつまって、群れをなす鳥。ひきしめあつめる意を含む、

とある(漢字源)が、別に、

会意兼形声文字です(九+鳥)。「屈曲(折れ曲がって)して尽きる」象形(数の尽き極(きわ)まった「九(きゅう)」の意味だが、ここでは「はとの鳴き声(クウクウ)の擬声語」)と「鳥」の象形から「はと」を意味する「鳩」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji2800.html

「鵃」 漢字.gif


「鵃」(チョウ、トウ)は、

「鶻鵃(こっちょう)」は、鳥の名。ハトに似た鳥の意(この場合、チョウの音)、「鵃䑠(ちょうりょう)」は、船体が細長く、足の速い船の意(この場合、トウの音)、とあるhttps://kanji.jitenon.jp/kanjio/7125.html

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
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2023年07月30日

綾羅(りょうら)


唐(もろこし)唐(たう)なる唐(とう)の竹、佳(よ)し節(ふし)二(ふた)節切(ふしき)りこめて、萬(よろず)の綾羅(れうら)に巻きこめて、一宮にぞ奉る(梁塵秘抄)。

の、

綾羅、

は、

あやぎぬとうすぎぬ、

で、転じて、

美しい衣服、

の意ともなる(精選版日本国語大辞典)。

羅綾、

ともいう。

綾羅、

は、

童僕餘梁肉、婢妾蹈綾羅(張華)、

と、漢語で、

河北則羅綾紬紗鳳翮葦席(玉海)、

と、

羅綾、

も同じ、

皆得服綾錦羅綺紈素金銀飾鏤之物(魏史・夏侯尚傳)、

と、

羅綺、

も、

うすぎぬとあやぎぬ、

の意である(字源)。「綺」も、「綾」と同じく、

あやぎぬ、

の意である。で、

綾羅、

は、

薄い綾ぎぬ、

の意になる(字通)。

「綾」 漢字.gif

(「綾」 https://kakijun.jp/page/1490200.htmlより)

「綾」(漢音呉音リョウ、唐音リン)は、「綾藺笠(あやゐがさ)」で触れたように、

会意兼形声。夌(リョウ)は「陸(山地)の略体+夂(人間の足)」の会意文字で、足に筋肉の筋をたてて、力んで山を登ること。筋目を閉てる意を含む。綾はそれを音符とし、糸を加えた字で、筋目の立った織り方をした絹、

とある(漢字源)。別に、

形声文字です(糸+夌)。「より糸」の象形と「片足を上げた人の象形と下向きの足の象形」(「高い地を越える」の意味だが、ここでは、「凌(りょう)」に通じ(同じ読みを持つ「凌」と同じ意味を持つようになって)、「盛り上がった氷」の意味)から、織物に盛り上がった「氷のような模様が織り込まれた物(あや)」を意味する「綾」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji1125.html

「羅」 漢字.gif

(「羅」 https://kakijun.jp/page/1906200.htmlより)

「羅」(ラ)は、

会意文字。「网(あみ)+維(ひも、つなぐ)」

とある(漢字源)。あみを張りめぐらす意を表である(角川新字源)。別に、

形声。「糸」+音符「䍜 /*RAJ/」。「あみ」を意味する漢語{羅 /*raaj/}を表す字。もと「网」が{羅}を表す字であったが、「隹」を加えて「䍜」となり、さらに「糸」を加えて「羅」となった、

ともhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%BE%85

会意文字です(罒(网)+維)。「網」の象形と「より糸の象形と尾の短いずんぐりした小鳥と木の棒を手にした象形(のちに省略)」(「鳥をつなぐ」、「一定の道筋につなぎ止める」の意味)から、「鳥を捕える網」を意味する「羅」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji2007.html

参考文献;
簡野道明『字源』(角川書店)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
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2023年07月31日

百大夫


遊女(あそびめ)の好むもの。雜藝鼓(つづみ)、小端舟(こはしぶね)、簦(おほがさ)翳(かざし)艫取女(ともとりめ)、男の愛祈る百大夫(梁塵秘抄)、

の、

百大夫、

は、

百太夫、

とも表記し(世界大百科事典)、

ひゃくだゆう、

とも(広辞苑・精選版日本国語大辞典・日本人名辞典)、

ひゃくたいぶ、

とも(大言海)訓ませ(「大夫」についてはは触れた)、

道祖神の1神、

ともいわれ(日本人名大辞典+Plus)、

摂津国西宮の夷(えびす)社(西宮神社)の末社百太夫社、

が有名で、

正月に木製の神体の顔に白粉(おしろい)をぬる、

とあり(仝上)、平安時代は、遊女が、

恋愛神、

として、また近世は傀儡師(くぐつし)が、

祖神、

として祭った神である(広辞苑・精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉)。

百太夫、

は地位の低い小祠の神で、遊女が尊崇したのは、その、

求愛神、
和合神、

としての属性によるとみられる(世界大百科事典)とある。

百太夫社、

は末社の形で諸社に付属し、ほかに京都の八坂(やさか)神社などにもまつられ(日本人名大辞典+Plus)、

百神、
白太夫(はくだゆう)、

というのも同じ神と思われる(世界大百科事典)とあるが、

北野天満宮の第一の末社に白太夫(しらだゆう)があるが、字が似ていることや「はくだゆう」と読むと「ひゃくだゆう」に音が似ていることから百太夫と混同されることが多い。白太夫は各地の天満宮に祀られる。一説には、菅原道真の従者であった外宮祀官・渡会春彦を祀るという、

ともありhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BE%E5%A4%AA%E5%A4%AB、由来が異なるようだ。

傀儡子」で触れたように、

平安後期の『傀儡子記』(大江匡房 おおえのまさふさ)に、

傀儡子、定居なく、其妻女ども、旅客に色を売り、父、母、夫、知りて誡めず、

とあるように、

集団で各地を漂泊し、男は狩猟をし、人形回しや曲芸、幻術などを演じ、女は歌をうたい、売春も行った、

が、平安期には雑芸を演じて盛んに各地を渡り歩いたが、中世以降、土着して農民化したほか、摂津西宮などの神社の散所民(労務を提供する代わりに年貢が免除された浮浪生活者)となり、夷(えびす)人形を回し歩く、

えびす舞(えびすまわし)、
えびすかき(夷舁)、

となった(マイペディア・日本大百科全書)。

西宮傀儡師.jpg

(西宮傀儡師(摂津名所図会) 絵に添えて、「西宮傀儡師は末社百太夫神を租とす。むかし漢高祖平城を囲まれし時、陳平計をめぐらし、木を刻みて美人を作り城上に立てて敵将単于君を詐る。これ傀儡のはじまりなり」とがある。首から下げた箱の中から猫のような小動物の人形を出すことから江戸では別名「山猫」とも呼ばれた 
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%82%80%E5%84%A1%E5%AD%90より)

『摂津名所図会』の、

西宮傀儡師、

には、

西宮傀儡師は末社百太夫神を租とす。むかし漢高祖平城を囲まれし時、陳平計をめぐらし、木を刻みて美人を作り城上に立てて敵将単于君を詐る。これ傀儡のはじまりなり、

と説明があるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%82%80%E5%84%A1%E5%AD%90。西宮神社の周辺は「えびす信仰」を諸国に広めたという傀儡師たちが住んでいた(仝上)。平安後期の『遊女記』(大江匡房)には、

南則住吉、西則広田、以之為祈徴嬖之処、殊事百大夫、道祖神一名也、人別刻期之、数及百千、

とある。

百太夫神社.jpeg


百大夫神社、

は、元は、

境外散所村、

にあったものが、天保十年(1839)に夷神社境内に遷座した、

とされhttps://nishinomiya-style.jp/glossary/hyakutayujinja、その一月五日を記念して、

人形に見たてた五色の団子を特別にお供えします、

とある(仝上)。

なお、「傀儡子」については触れた。道祖神については、「ちぶりの神」、「さえの神」、「庚申待」で触れた。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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