広言は声色悪しからず、歌ひ過ちせず。節はうるせく似するところあり。心敏く聞き取ることもありて、いかさまにも上手にてこそ(梁塵秘抄口伝集)、
の、
うるせし、
は、
たくみだ、
上手だ、
の意とある(馬場光子全訳注『梁塵秘抄口伝集』)。
平安時代から鎌倉時代にかけて用いられた日常語の一つ。高知方言などにのこる、
もの(広辞苑)で、
機敏、
と当てるものもあり(大言海)、
ウルサシと同根、相手の技術が巧みで、こちらの気持が締め付けられるように感じる意、
とある(岩波古語辞典)。
帝、いとうるせかりしものの帰りまうで来たれること、とよろこび給て(宇津保物語)、
と、
知的にすぐれて賢い、
よく気がつく、
頭の回転が速い、
とか、ものの処理が速いとかの敏捷さをさす場合が多いのが原義で(精選版日本国語大辞典)、
宮(女三の宮)の御琴の音は、いとうるせくなりにけりな(源氏物語)、
と、
技芸でも書や楽器の演奏など、知力の働きを要するもの、
について用いられ(仝上)、
(演奏などの)手口、技巧が達者で見事だ、
巧者だ、
の意で使う(仝上・岩波古語辞典)。さらに、それを敷衍したように、
才かしこく心ばへもうるせかりければ(宇治拾遺物語)、
と、
立派で申し分ない、
意で使う(岩波古語辞典)。
うるせし、
は、
心狭(うらせ)しの転か(心愛(うらは)し、可愛(うるは)し。いぶせしと云ふ語もあり)(大言海)、
うるはしきの中略(安斎随筆・日本語源=賀茂百樹)、
などの説があり、
うるさしと同源、
とされ(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典・広辞苑)、
古写本では「うるさし」とある本文もあり、「うるせし」「うるさし」の区別は難しい、
とあり(岩波古語辞典)、
技芸でも書や楽器の演奏など、知力の働きを要するものについて用いられている。ただ、機敏・細心といった性格は極端に走れば繫雑といった否定的な面も生じてくる。あるいは、「うるさし」と交錯混用された時点では肯定的なニュアンスで用いられたか。やがて「うるさし」の勢力に押されて、吸収されていった、
とある(日本語源大辞典)。
うるさし、
は、
煩し、
と当てるが(デジタル大辞泉)、
ウルはウラ(心)の転、サシは狭しの意で、心持が狭く閉鎖的になる意が原義、
とあり(岩波古語辞典)、
やかましい物音やしつこい仕業など、わかりきった行為や音が何度も繰り返されることに対して、応じるのが面倒で、それをやめてもらいたいくらいに感じる意。転じて、相手のすきがない行為に困ったものと思いながら、一目置いた気持ちでいる、
とある(仝上)。平安時代、
禰宜の大夫がうしろ見つかうまつりて、いとうるさくて候ひし宿りにまかせて(大鏡)、
と、
行き届いて完全であるさま、
をいい、
織女(たなばた)の手にも劣るまじく、その方も具して、うるさくなむはべりし(源氏物語)、
と、
技芸がすぐれている、
意でも使い、また、
その度が過ぎて、反発されたり敬遠されたりする、
意でも使う(岩波古語辞典・デジタル大辞泉・日本語源大辞典)が、類聚名義抄(11~12世紀)は、
悩、ウルサシ、
と訓ませており、
相手のすきのない行為や状態に接して心に圧迫を感じて一目置くものの、一方で敬遠したくなる感情をいう、
とあり(日本語源大辞典)、
うるせしの転(ふせぐ、ふさぐ)、敏捷(うるせ)きに過ぐるは、煩わしくなる意より移りたるなるべし、
とある(大言海)。そこから、
二人臥しぬるのちに、いみじう呼ぶ人のあるをうるさしなど言ひ合はせて寝たるやうにてあれば(枕草子)、
これを弾く人よからずとかいふ難をつけてうるさきままに、今はをさをさ伝ふる人なしとか(源氏物語)、
なとと、平安末期から、
ものが多くつきまとってむ煩わしい、
うっとうしい、
面倒で嫌だ、
などという意でも用いられ、近代には、
~するとうるさい、
という形で、
面倒だ、
厄介だ、
の意で用いられ、現代では、
隣の声がうるさい、
と、
物音が大きすぎて耳障りである、
やかましい、
意や、
規則がうるさい、
ワインにはなかなかうるさい、
と、
注文や主張や批評などが多すぎてわずらわしく感じられる、
細かくて、口やかましい、
意や、
蠅がうるさくつきまとう、
この写真はバックがうるさい、
と、
どこまでもつきまとって、邪魔でわずらわしい、
また、
ものがたくさんありすぎて不愉快なさま、
にもいう(デジタル大辞泉)。現代の、この、
うるさい、
語感と、
うるせし、
とは、どうも語感が重ならないが、
うるさし、
は、
音などがやかましく、わずらわしい。原義は、何らかの刺激によって心が乱れ、閉塞状態になる意、
で、
ウラ(心)の母音交替形ウルに、形容詞サシ(狭し)がついたもの、
うるせし、
は、
ウル+セシ(サシの母音交替形)、
で、両者を無関係とする意見もあるが、
ウルセシはプラスの刺激による心の閉塞状態と解すればよい(暮らしのことば語源辞典)、
うるさいは「技芸がすぐれている」といった意味でも用いられ、細かいところまで気づくという点では(「うるせし」と)意味が近い(語源由来辞典)、
と、両者を同源とするのが大勢のようだ。ただ、
うるさい、
の語源には、
形容詞ウレタシは「なげかわしい」「いとわしい」という意で、ウレハシ(憂はし)と同義語である。〈むぐら生ひて荒れたる宿のウレタキは〉(伊勢物語)。ウレタシはさらに、「レ」が母交[eu]をとげてウルタシになり、「タ」の子交[ts]でウルサシ(煩さし)・ウルサイ(五月蠅い)になった。〈問はぬもつらし(苦しい)、問ふもウルサシ〉(伊勢物語)、
との異説がある。しかし、
うるはし、
と
うるさし、
の意味の乖離に疑問である。
なお、中世に、「うるさし」に、
右流佐死、
と表記する例があるが、これについては、平安時代(院政期)の説話集『江談抄』(ごうだんしょう 水言抄)に、
世以英雄之人称右流佐死、其詞有由緒、昔菅家為右府、時平為左府、共人望也、其後右府有事被流、左府薨逝、故時人称有人望之者号右流佐死……、
とある由(日本語源大辞典)。しかし、これはこじつけではないか。
また、
うるさし、
に、
五月蠅し、
とあてることについては、
五月蠅、
狭蠅、
とあて、
さばへ、
とよます。これについて、
サはサツキ(五月)のサと同根、神稲の意(岩波古語辞典)、
サはサミダレ・サツキの五月の意(古典文学大系)、
サバヘは、多蠅(サバハヘ)の約(河原(カハハラ)、カハラ)、あるいは、喧噪(サバ)メクの、サバ蠅ならむか(大言海)、
サワグのサが発語になったものか(国語の語根とその分類=大島正健)、
などとあり、語源ははっきりしないが、
陰暦五月、田植頃の群がりさわぐはえの称、
とあり(岩波古語辞典・大言海)、
群蠅の、湧き出て、聲立てて飛び騒ぐ、煩わしき意に云ふ、ウルサシと云ふ語に五月蠅の字を宛つることあるも、この意なり、
とある(大言海)。ただ、蠅の群るは夏の五月に限らない(仝上)のだが。順徳天皇の歌論書『八雲御抄(やくもみしょう)に、
蠅、さはへなす、五月のはへと書けり、悪(わろ)き物也、
とある。
(「煩」 簡牘(かんどく)文字(「簡」は竹の札、「牘」は木の札に書いた)・戦国時代 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%85%A9より)
「煩」(漢音ハン、呉音ボン)は、
会意文字。「火+頁(あたま)」で、火のもえるように頭がいらいらすること、
とある(漢字源)。別に、
会意。頁と、火(熱)とから成り、熱があって頭痛がする、ひいて、なやむ意を表す、
とも(角川新字源)、
会意文字です(火+頁)。「燃え立つ炎」の象形と「人の頭部を強調した」象形から、悩みで熱が出て頭痛がするさまを表し、そこから、「わずらう」を意味する「煩」という漢字が成り立ちました、
ともある(https://okjiten.jp/kanji1465.html)。
参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95