吉田野に神祭る、天魔(てま)は八幡(やはた)に葉椀(くぼて)さし、葉手(ひらて)とか、賀茂の御手洗(みたらし)に精進して、空には風こそさいさか程は取れ(梁塵秘抄)、
の、
葉椀(くぼて)、
葉手(ひらて)、
は、
柏(かしわ)の葉を使った容器で、
(窪手 精選版日本国語大辞典より)
葉椀(くぼて)、
は、
窪手、
とも当て、
クボ、
は、
窪、
凹、
と当て(岩波古語辞典)、
其の窪きをいい(大言海)
神前に供える物を入れる器。カシワの葉を幾枚も合わせ竹の針でさし綴って、凹んだ盤(さら)のように作ったもの、
をいい(広辞苑)、
神山のかしはのくぼてさしながらおひなをるみなさかへともがな(相模集)、
と、
柏の窪手(かしわのくぼて)、
という言い方もする(精選版日本国語大辞典)。
(葉手 精選版日本国語大辞典より)
葉手(ひらて)、
は、
枚手、
葉盤、
とも当て、
ひらすき(枚次)、
ともいい、
ヒラはヒラ(平)と同根、
で(岩波古語辞典)、
大嘗会(だいじょうえ)などの時、菜菓などを盛って神に供えた器。数枚の柏の葉を並べ、竹のひごなどでさしとじて円く平たく作ったもの
をいい(精選版日本国語大辞典)、後世ではその形の土器かわらけをいい、木製・陶製もある。
「柏」で触れたように、「かしわ」には、樹木の葉の意味の他に、
食物や酒を盛った木の葉、また、食器、
の意がある。
多くカシワの葉を使ったからいう、
とあり(広辞苑)、
大御酒のかしはを握(と)らしめて、
と古事記にある。「カシワ」を容器とするものに、
くぼて(葉碗・窪手)、
ひらで(葉盤・枚手)、
があり、和名類聚抄(平安中期)に、
葉手、平良天、葉椀、九保天、
とある。ために、
葉、此れをば箇始婆(かしは)といふ(仁徳紀)、
とあり、仁徳紀に、
葉、此れをば箇始婆(かしは)といふ、
とある。で、「葉」を、
かしわ、
とも訓ます(岩波古語辞典)。
「膳夫(かしわで)」で触れたことだが、
膳夫(かしはで)、
は、
カシハの葉を食器に使ったことによる。テは手・人の意(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典・大辞林・日本語源広辞典)、
カシハは炊葉、テはシロ(料)の意で、ト(事・物)の転呼、カシハの料という意(日本古語大辞典=松岡静雄)、
カシハデ(葉人)の義(大言海)、
とあり、
カシハ、
は、
カシワ(柏・槲)、
の意である。「柏餅」触れたように、
たべものを盛る葉には、
ツバキ・サクラ・カキ・タチバナ・ササ、
などがあるが、代表的なのが、
カシワ、
であった(たべもの語源辞典)ので、「柏餅」の、
カシワの葉に糯米(昔は糯米を飯としていた)を入れて蒸したのは、古代のたべものの姿を現している、
ともいえる(仝上)。
こうみると、
くぼて、
ひらで、
かしわで、
の、
テ、
は、
くぼへ(凹瓮)、
ひらへ(平瓮)、
とする説(言元梯)もあるが、
瓮(オウ)、
は、和名類聚抄(平安中期)に、
甕、毛太井(もたひ)、
とあり、
甕(オウ)は瓮と同義(漢字源)とあり、
水や酒を入れる器、
なので、少しずれそうだ。
手、
と当てている通り、
テは手で捧げるところから(東雅)、
テは取り持つところから(日本語源=賀茂百樹)、
とあるように、
テ(手)、
自体、
トリ(取・執)の約轉(古事記伝・和訓集説・菊池俗語考・大言海・日本語源=賀茂百樹)、
と、動作からきているようなので、
テは手・人の意(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典・大辞林・日本語源広辞典)、
というのが妥当な気がする。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95