遊女(あそびめ)の好むもの。雜藝鼓(つづみ)、小端舟(こはしぶね)、簦(おほがさ)翳(かざし)艫取女(ともとりめ)、男の愛祈る百大夫(梁塵秘抄)、
の、
百大夫、
は、
百太夫、
とも表記し(世界大百科事典)、
ひゃくだゆう、
とも(広辞苑・精選版日本国語大辞典・日本人名辞典)、
ひゃくたいぶ、
とも(大言海)訓ませ(「大夫」についてはは触れた)、
道祖神の1神、
ともいわれ(日本人名大辞典+Plus)、
摂津国西宮の夷(えびす)社(西宮神社)の末社百太夫社、
が有名で、
正月に木製の神体の顔に白粉(おしろい)をぬる、
とあり(仝上)、平安時代は、遊女が、
恋愛神、
として、また近世は傀儡師(くぐつし)が、
祖神、
として祭った神である(広辞苑・精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉)。
百太夫、
は地位の低い小祠の神で、遊女が尊崇したのは、その、
求愛神、
和合神、
としての属性によるとみられる(世界大百科事典)とある。
百太夫社、
は末社の形で諸社に付属し、ほかに京都の八坂(やさか)神社などにもまつられ(日本人名大辞典+Plus)、
百神、
白太夫(はくだゆう)、
というのも同じ神と思われる(世界大百科事典)とあるが、
北野天満宮の第一の末社に白太夫(しらだゆう)があるが、字が似ていることや「はくだゆう」と読むと「ひゃくだゆう」に音が似ていることから百太夫と混同されることが多い。白太夫は各地の天満宮に祀られる。一説には、菅原道真の従者であった外宮祀官・渡会春彦を祀るという、
ともあり(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BE%E5%A4%AA%E5%A4%AB)、由来が異なるようだ。
「傀儡子」で触れたように、
平安後期の『傀儡子記』(大江匡房 おおえのまさふさ)に、
傀儡子、定居なく、其妻女ども、旅客に色を売り、父、母、夫、知りて誡めず、
とあるように、
集団で各地を漂泊し、男は狩猟をし、人形回しや曲芸、幻術などを演じ、女は歌をうたい、売春も行った、
が、平安期には雑芸を演じて盛んに各地を渡り歩いたが、中世以降、土着して農民化したほか、摂津西宮などの神社の散所民(労務を提供する代わりに年貢が免除された浮浪生活者)となり、夷(えびす)人形を回し歩く、
えびす舞(えびすまわし)、
えびすかき(夷舁)、
となった(マイペディア・日本大百科全書)。
(西宮傀儡師(摂津名所図会) 絵に添えて、「西宮傀儡師は末社百太夫神を租とす。むかし漢高祖平城を囲まれし時、陳平計をめぐらし、木を刻みて美人を作り城上に立てて敵将単于君を詐る。これ傀儡のはじまりなり」とがある。首から下げた箱の中から猫のような小動物の人形を出すことから江戸では別名「山猫」とも呼ばれた
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%82%80%E5%84%A1%E5%AD%90より)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%82%80%E5%84%A1%E5%AD%90より)
『摂津名所図会』の、
西宮傀儡師、
には、
西宮傀儡師は末社百太夫神を租とす。むかし漢高祖平城を囲まれし時、陳平計をめぐらし、木を刻みて美人を作り城上に立てて敵将単于君を詐る。これ傀儡のはじまりなり、
と説明がある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%82%80%E5%84%A1%E5%AD%90)。西宮神社の周辺は「えびす信仰」を諸国に広めたという傀儡師たちが住んでいた(仝上)。平安後期の『遊女記』(大江匡房)には、
南則住吉、西則広田、以之為祈徴嬖之処、殊事百大夫、道祖神一名也、人別刻期之、数及百千、
とある。
百大夫神社、
は、元は、
境外散所村、
にあったものが、天保十年(1839)に夷神社境内に遷座した、
とされ(https://nishinomiya-style.jp/glossary/hyakutayujinja)、その一月五日を記念して、
人形に見たてた五色の団子を特別にお供えします、
とある(仝上)。
なお、「傀儡子」については触れた。道祖神については、「ちぶりの神」、「さえの神」、「庚申待」で触れた。
参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95