2023年08月01日

鐵圍山


勝れて高き山、須彌山耆闍崛山(せん)鐵圍山(てちゐせん)、五臺山、悉達(すだち)太子の六年行ふ檀特山(だんとくさん)、土山(どせん)黒山(こくせん)鷲峯山(ぶせん)(梁塵秘抄)、

とある、

悉達(すだち)太子、

の、

悉達(すだち)、

は、普通、

Siddhãrtha、

の音訳で、

しったたいし、

と訓ませ、

悉達多(しったるた)、

ともいい、

釈迦の出家前の名、

である。

耆闍崛山(ぎじゃくっせん)、

は、マガダ国の首都ラージャグリハ(王舎城)近くにある山、

Gṛdhrakūṭa(グリドラクータ)、

の音訳、

霊鷲山(りょうじゅせん)、
鷲峰山(じゅほうせん)、

と訳され、

釈迦が『観無量寿経』や『法華経』を説いたとされる山として知られる、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9C%8A%E9%B7%B2%E5%B1%B1。また、

五台山(ごだいさん)、

は、別名は、

清涼山、

中国にある古くからの霊山であり、

峨眉山(がびさん)、天台山、五台山、

あるいは、

五台山、峨眉山、普陀山(ふださん)、

を三大霊場といい、

五台山、峨眉山、普陀山、九華山(きゅうかざん)、

を四大霊場とし、

五台山は文殊菩薩、
峨眉山は普賢菩薩、
九華山はお地蔵様、
普陀山は観音様、

の住む聖地とされているhttp://tobifudo.jp/newmon/seichi/5daisan.htmlとある。また、

土山(どせん)、
黒山(こくせん)、

は、法華経に載っている山https://mukei-r.net/poem-ryouzin/ryouzin-hisyou-6.htmとある。

鐵圍山(てちゐせん)

は、

てついせん、

が転訛(連声)して、

てっちせん、
てちいせん、

とも訓ませ、

須彌山(しゅみせん)を中心とする四洲を囲む九山八海(くせんはっかい)の一番外側の、鉄でできた山、

をいう(広辞苑・精選版日本国語大辞典)が、一説に、

この外にさらに大鉄囲山があり、先の山との間に八大地獄があるといい、また三千世界おのおのを囲む山である、

ともいう(仝上)。

須弥山の概念図.jpg



須弥山から右半分.gif

(須弥山の右側断面図 http://tobifudo.jp/newmon/betusekai/uchu2.htmlより)

仏教の世界観で考える小宇宙の、

九山八海(くせんはっかい)

とは、

須彌山(しゅみせん)を中心とし、鉄囲山(てっちせん)を外囲とする、山、海の総称、

で、

中央の須彌山と外囲の鉄囲山と、その間にある持双山、持軸山、担木山、善見山、馬耳山、象鼻山、持辺山の七金山を数えて九山とし、九山の間にそれぞれ大海があるとする。海は七海が内海で、八功徳水をたたえ、第八海が外海で鹵水海(ろすいかい)、この中の四方に四大陸が浮かび、われわれはその南の大陸(南閻浮提)に住む、

という(仝上)。四大陸は、

須弥山に向かって東には半月形の毘提訶洲(びだいかしゅう、あるいは勝身洲)、南に三角形の贍部洲(南洲あるいは閻浮提)、西に満月形の牛貨洲(ごけしゅう)、北に方座形の倶盧洲(くるしゅう)、

がありhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A0%88%E5%BC%A5%E5%B1%B1、「贍部洲(せんぶしゅう)」は、インド亜大陸を示している、とされる(以上、「金輪際」で触れた)。

三千世界」で触れたように、

須弥山(しゅみせん)を中心に、その周りに四大州があり、さらにその周りに九山八海があるとされ、これを一つの、

小世界、

という。小世界は、下は風輪から、上は色(しき)界の初禅天(しょぜんてん 六欲天の上にある四禅天のひとつ)まで、左右の大きさは鉄囲山(てっちせん)の囲む範囲である。「小世界」の大きさは、

直径が太陽系程の大きさの円盤が3枚重なった上に、高さ約132万Kmの山が乗っています、

とあるhttp://tobifudo.jp/newmon/betusekai/uchu.html。この層は、

三輪(さんりん)、

と呼ばれ、

虚空(空中)に「風輪(ふうりん)」という丸い筒状の層が浮かんでいて、その上に「水輪(すいりん)」の筒、またその上に同じ太さの「金輪(こんりん)」という筒が乗っている。そして「金輪」の上は海で満たされており、その中心に7つの山脈を伴う須弥山がそびえ立ち、須弥山の東西南北には島(洲)が浮かんでいて、南の方角にある瞻部洲(せんぶしゅう)が我々の住む島、

http://www.tendai.or.jp/houwashuu/kiji.php?nid=90)、三つの円盤状の層からなっている。いちばん下には、

円盤状つまり輪形の周囲の長さが「無数」(というのは10の59乗に相当する単位)ヨージャナ(由旬(ゆじゅん 1ヨージャナは一説に約7キロメートル)で、厚さが160万ヨージャナの風輪が虚空(こくう)に浮かんでいる、

その上に、

同じ形の直径120万3450ヨージャナで、厚さ80万ヨージャナの水輪、

その上に、

同形の直径は水輪と同じであるが、厚さが32万ヨージャナの金でできている大地、

があり、その金輪の上に、

九山、八海、須弥四洲、

があるということになる(日本大百科全書)。そして、

「三千世界」は、

須弥山有八山、遶外有大鐵圍山、周廻圍繞、幷、一日月、晝夜回轉、照四天下、名一國土、積一千國土、名小千世界、積千箇小界、名中千世界、積一千中千世界、名大千世界、以三積千、故三千大千世界(『釋氏要覧(宋代)』)、

とあるように、一世界が1、000個集まったものを小千世界といい、小千世界が1、000個集まったものを中千世界といい、中千世界が1、000個集まったものを大千世界、

といい、それが、

三千世界、

つまり、

三千大千世界、

である(精選版日本国語大辞典)。

須弥山」は、

梵語Sumeruの音写(インド神話のメール山、スメール山、su-は「善」を意味する、美称の接頭辞)、

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A0%88%E5%BC%A5%E5%B1%B1

蘇迷盧(そめいろ)、
須弥留(しゅみる)、

とも表記、

ふつう、

しゅみせん、

と訓ませ、

妙高山、
妙光山、

と漢訳する(広辞苑)。

古代インドの世界観が仏教に取り入れられたもので、世界の中心にそびえるという高山、

とされ、この世界軸としての聖山は、

バラモン教、仏教、ジャイナ教、ヒンドゥー教にも共有されている、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A0%88%E5%BC%A5%E5%B1%B1

風輪・水輪・金輪と重なった上にあり、大海中にあり、高さは八万由旬(ユジユン 一由旬は四〇里、一説に約7キロメートル)。水に没している部分も八万由旬、縦・横もこれに等しく、金・銀・瑠璃(ルリ)・玻璃(ハリ)の四宝からなり、頂上は帝釈天(たいしゃくてん)が住む、

忉利天(とうりてん)、

で、頂上には善見城(ぜんけんじょう)や殊勝殿(しゅしょうでん)がある。

須弥山には甘露の雨が降っており、それによって須弥山に住む天たちは空腹を免れる、

とある(仝上)。

「鐵」  漢字.gif


「鐵(鉄)」(漢音テツ、呉音テチ)は、

会意文字。鐵は「金+切るしるし+呈(まっすぐ)」で、まっすぐに物を切り落とす鋭利な金属を表す。「鉄」は「金+音符失(シツ・テツ)」の形成文字、

とある(漢字源)。別に、

形声。「金」+音符「戜 /*LIK/」。「くろがね」を意味する漢語{鐵 /*hliik/}を表す字、

ともhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%90%B5

形声。金と、音符(テツ)とから成る。「くろがね」の意を表す。鉄は、もと、紩(ちつ)の別体字であるが、俗にの略字として用いられていた。教育用漢字はこれによる、

とも(角川新字源)、

会意兼形声文字です。「金属の象形とすっぽり覆うさまを表した文字と土地の神を祭る為に柱状に固めた土の象形」(土中に含まれる「金属」の意味)と「川のはんらんをせき止める為に建てられた良質の木の象形と握りの付いた柄の先端に刃のついた矛の象形(「災害を断ち切る器具」の意味)と口の象形と階段の象形(「突き出る」の意味)」(「大きな矛」の意味)から「てつ」を意味する「鐵」という漢字が成り立ちました、

ともhttps://okjiten.jp/kanji2817.htmlある。

「圍」 漢字.gif

(「圍」 https://kakijun.jp/page/9AA1200.htmlより)

「圍(囲)」(漢音イ、呉音エ)は、

会意兼形声。韋(イ)は、口印の周囲を、右足と左足が回っているさまを示す会意文字。圍は、「囗(かこむ)+音符韋(イ)」で、ぐるりと周囲をかこむこと。韋がからだにまきつけるなめし皮の意に転用されたため、圍がその原義をついだ、

とある(漢字源)。「囲」の使用は、日本では中世から見られるが、

「韋」の下部から「ヰ」という部分を抜き出して生じたものか、

ともあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%9B%B2。別に、

会意形声。囗と、韋(ヰ 周りをめぐる)とから成り、かこいの周りをめぐる意を表す。ひいて「かこむ」意に用いる、

とも(角川新字源)、

会意兼形声文字です(囗+韋)。「周辺を取り囲む線」の象形(「めぐらす」の意味)と「ステップの方向が違う足の象形と場所を示す文字」(「かこむ」の意味)から、「かこいめぐらす」を意味する「囲」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji630.html

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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2023年08月02日

霊鷲山」(りょうじゅせん)


勝れて高き山、大唐唐(だいたうたう)には五臺山、靈鷲山、日本國には白山(しらやま)、天台山、音にのみ聞く蓬莱山(ほうらいさん)こそ高き山(梁塵秘抄)、

の、

靈鷲山(りょうじゅせん)、

は、梵語、

Gdhrakaparvata、

の訳、

禿鷲の頂という山、

という意(原語のグリドラはハゲワシのこと)で、

耆闍崛山、此翻靈鷲、亦曰鷲頭(法華文句)、

とあるように、

この山のかたちが、空に斜めに突き出すようになっておりしかも頂上部がわずかに平らになっていてハゲワシの首から上の部分(頭)によく似た形をしているので、

山の頂が羽を拡げた鷲の形に見えるところから、

とも、

山形が鷲の頭に似るから、

とも、あるいは、

鷲が多くすむから、

ともいわれる(http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E8%80%86%E9%97%8D%E5%B4%9B%E5%B1%B1・ブリタニカ国際大百科事典)、

鷲峰山(じゅほうせん・じゅぶせん)、
鷲山(じゅせん)、
霊頭山、
鷲頭山、

などとも訳され、略記して、

霊山(りょうぜん)、

別に、

鷲(わし)の山、
鷲嶺、
鷲台、
鷲の峰、

和語では、

鷲のみ山、

等々とも呼ばれるが、梵語を、

耆闍崛多(ぎしやくつた)、

と音写されるため、山の音訳は、

耆闍崛山(ぎじゃくっせん)、

である(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9C%8A%E9%B7%B2%E5%B1%B1・日本国語大辞典・広辞苑)が、

姑栗陀羅矩詫(ぐりどらくーた)、

とも音写されるhttp://tobifudo.jp/newmon/seichi/ryoju.html

霊鷲山の山頂.jpg


インド古代マガダ国の主都王舎城を囲む五山の一つチャッター山の南面にある山、

で、

釈迦が法華経や無量寿経などを説いた所、

として著名である(仝上)。『無量寿経』上の序分に、

我れ聞ききかくの如きを。一時、仏、王舎城の耆闍崛山の中に住して、大比丘衆万二千人と俱なりき、

とあり、『観経』『大品般若経』『法華経』『金光明経』などの多くの大乗諸経典がこの山で説かれ(仝上)、

妙法蓮華經(卷第一序品第一)では、

如是我聞。一時佛住王舍城耆闍崛山、

妙法蓮華經如來壽量品(第十六)では、

時我及衆僧 倶出靈鷲山 我時語衆生……於阿僧祇劫 常在靈鷲山 及餘諸住處、

などとあるhttp://tobifudo.jp/newmon/seichi/ryoju.html

ビンビサーラ王が釈尊の説法を聞くために登ったとされる小路が今も用いられている、

とありhttp://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E8%80%86%E9%97%8D%E5%B4%9B%E5%B1%B1

灌木がとりまく中腹には、出家者が修行にはげんだ多くの洞窟が残る、

とある(仝上)。

現在は、

チャタ(Chata)山、

と呼ばれるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9C%8A%E9%B7%B2%E5%B1%B1

なお「蓬莱山」については「蓬莱」で触れた。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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2023年08月03日

方言周圏説


柳田國男『蝸牛考(かぎゅうこう)』を読む。

蝸牛考.jpg


本書は、実地調査から、日本の方言が、

九州のはしと東北のはしが似ている、

という直観から、仮説として、「蝸牛」という方言について、東北地方の北部と九州の西部で、

ナメクジ、

であり、東北と九州で、

ツブリ、

であり、関東や四国で、

カタツムリ、

であり、

中部や中国などで、

マイマイ、

で、近畿地方が、

デデムシ、

というように、京都を中心に同心円に分布することから、

方言周圏説(方言周圏論)、

として、蝸牛を表す言葉が、

「文化的中心地を中心に同心円状に分布する場合は、外側から内側に向けて順次変化してきた」(解説・柴田武)

と推定した。柳田は、

「もし日本がこのような細長い島でなかったなら、方言はおおよそ近畿をぶんまわしの中心として、段々に幾つかの圏を描いたことであろう。」

と述べ、仮説として、

方言周圏説(方言周圏論)、

を提起した。つまり、かつて文化的中心地であった京都では、古い順から、

ナメクジ→ツブリ→カタツムリ→マイマイ→デデムシ、

のように変化したことから、その時系列と比例して東西南北へ放射状に拡がったものと推定したものである。

方言周圏説 (2).jpg

(「蝸牛考」による蝸牛方言の周圏分布 本書解説より)

必ずしも、この仮説がすべてに妥当するわけでもないが、かつて中心地で流行ったものが、周辺で生き残っているという実感もあり、

方言周圏説、

あるいは、

方言領域連続の法則、

で解釈できる現象が、全国レベルでも地方レベルでも確認されている(前掲・柴田)というので、文化的な伝播の一つのパターンを示していることは確かのようだ。「アホ・バカ分布図」で触れた、「あほ」「ばか」の分布も、この説と重なるところがあるようだhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%9B%E3%83%BB%E3%83%90%E3%82%AB%E5%88%86%E5%B8%83%E5%9B%B3

しかし、読み終わってみると、本書の意図は、

方言周圏説、

の主張よりは、文化の堆積層を単純化してしまう、

方言匡正運動、

というような、一律の標準語化への警鐘に見えてくる。

なお、「カタツムリ」、「ナメクジ」については、触れたことがある。

また、柳田國男の『遠野物語・山の人生』、『妖怪談義』、『海上の道』、『一目小僧その他』、『桃太郎の誕生』、『不幸なる芸術・笑の本願』、『伝説・木思石語』、『海南小記』、『山島民譚集』、『口承文芸史・昔話と文学(柳田国男全集8)』、「妹の力」については別に触れた。

参考文献;
柳田國男『蝸牛考』(岩波文庫)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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2023年08月04日

咒師


天魔が八幡(やはた)に申(まう)すこと、頭(かしら)の髪こそ前世の報(ほう)にて生(を)いざらめ、そは生いずとも、絹葢(きぬがさ)長幣(ながぬさ)なども奉らん、咒師の松犬(まついぬ)とたたひせよ、しないたまへ(梁塵秘抄)、

の、

咒師(呪師)、

は、

じゅし、

とも、

しゅし、
すし、
ずし、

とも訓み、

大法会で、陀羅尼(だらに)を誦して加持祈祷をした法師、

をいい(広辞苑・精選版日本国語大辞典)、

呪禁(じゅごん)の師、

ともいう(仝上)、

仏教行事における僧侶の役名、

で、

旧年の罪障を懺悔(ざんげ)して穢れを払い、当年の安穏豊楽を祈願する古代からの伝統行事に、

悔過会(けかえ)、

があり、呪師はその悔過会において重要な位置を占める役柄で、密教的な局面あるいは神道的な局面などを宰領し、

法会の場への魔障の侵入を防ぎ、護法善神を勧請(かんじよう)して、法会の円満成就のための修法、

を行う(世界大百科事典)とある。

加持祈祷、

は、「加持」で触れたが、

陀羅尼(だらに)、

は、

サンスクリット語ダーラニーdhāraīの音写、

で、

陀憐尼(だりんに)、
陀隣尼(だりんに)、

とも書き、

保持すること、
保持するもの、

の意で、

総持、
能持(のうじ)、
能遮(のうしゃ)、

と意訳し、

能(よ)く総(すべ)ての物事を摂取して保持し、忘失させない念慧(ねんえ)の力、

をいい(日本大百科全書)、仏教において用いられる呪文の一種で、比較的長いものをいう。通常は意訳せず、

サンスクリット語原文を音読して唱える、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%80%E7%BE%85%E5%B0%BC。ダーラニーとは、

記憶して忘れない、

意味なので、本来は、

仏教修行者が覚えるべき教えや作法、

などを指したが、これが転じて、

暗記されるべき呪文、

と解釈され、一定の形式を満たす呪文を特に陀羅尼と呼ぶ様になった(仝上)。だから、

一種の記憶術、

であり、一つの事柄を記憶することによってあらゆる事柄を連想して忘れぬようにすることをいい、それは、

暗記して繰り返しとなえる事で雑念を払い、無念無想の境地に至る事、

を目的とし(仝上)、

種々な善法を能く持つから能持、
種々な悪法を能く遮するから能遮、

と称したもので、

術としての「陀羅尼」の形式が呪文を唱えることに似ているところから、呪文としての「真言」そのものと混同されるようになった、

とある(精選版日本国語大辞典)のは、原始仏教教団では、呪術は禁じられていたが、大乗仏教では経典のなかにも取入れられた。『孔雀明王経』『護諸童子陀羅尼経』などは呪文だけによる経典で、これらの呪文は、

真言 mantra、

といわれたから(日本大百科全書)だが、普通には、

長句のものを陀羅尼、
数句からなる短いものを真言(しんごん)、
一字二字などのものを種子(しゅじ)

と区別する(仝上)。この呪文語句が連呼相槌的表現をする言葉なのは、

これが本来無念無想の境地に至る事を目的としていたためで、具体的な意味のある言葉を使用すれば雑念を呼び起こしてしまうという発想が浮かぶ為にこうなった、

とする説が主流となっている(仝上)とか。その構成は、多く、

仏や三宝などに帰依する事を宣言する句で始まり、次に、タド・ヤター(「この尊の肝心の句を示せば以下の通り」の意味、「哆地夜他」(タニャター、トニヤト、トジトなどと訓む)と漢字音写)と続き、本文に入る。本文は、神や仏、菩薩や仏頂尊などへの呼びかけや賛嘆、願い事を意味する動詞の命令形等で、最後に成功を祈る聖句「スヴァーハー」(「薩婆訶」(ソワカ、ソモコなどと訓む)と漢字音写)で終わる、

とある(仝上)。

『大智度論(だいちどろん)』には、

聞持(もんじ)陀羅尼(耳に聞いたことすべてを忘れない)、
分別知(ふんべつち)陀羅尼(あらゆるものを正しく分別する)、
入音声(にゅうおんじょう)陀羅尼(あらゆる音声によっても左右されることがない)、

の三種の陀羅尼を説き、

略説すれば五百陀羅尼門、
広説すれば無量の陀羅尼門、

があり、『瑜伽師地論(ゆがしじろん)』は、

法陀羅尼、
義陀羅尼、
呪(じゅ)陀羅尼、
能得菩薩忍(のうとくぼさつにん)陀羅尼(忍)、

の四種陀羅尼があり、『総釈陀羅尼義讃(そうしゃくだらにぎさん)』には、

法持(ほうじ)、
義持(ぎじ)、
三摩地持(さんまじじ)、
文持(もんじ)、

の四種の持が説かれている(仝上)。しかし、日本における「陀羅尼」は、

原語の句を訳さずに漢字の音を写したまま読誦するが、中国を経たために発音が相当に変化し、また意味自体も不明なものが多い、

とある(精選版日本国語大辞典)。

咒師、

には、

法義が家の犬悪(わろ)し。亦、呪師有て、呪神に令打しむ(今昔物語)、

の、

加持祈祷をした僧侶(そうりょ)の勤める仏教上の呪師、

の意の他に、

人々相共遊東光寺、令走呪師(「左経記(1017)」)、
今夜猿楽見物許之見事者。於古今未有。就中咒師(「新猿楽記(1061~65頃)」)、

とある、

猿楽(さるがく)者の勤める呪師、

がある。前者は、

法呪師、

といわれ、

修正会(しゅしょうえ)、
修二会(しゅにえ)、

において道場の結界(けっかい)や香水・護摩などの密教的行法(ぎょうぼう)をつかさどる(日本大百科全書)が、後者は、

呪師猿楽(じゅしさるがく)、

といい、

法会のあとに、法呪師の行法の威力を一般参詣(さんけい)人に対して内容を分かりやすく、猿楽や田楽に近い形で演劇化して演じた者、

で、その演技は、

走り(呪師走)、

とよばれ、その曲は一手、二手と数えられる(仝上)。公家の日記などの諸記録を抜粋・編集した歴史書『百練抄』(鎌倉時代後期)に、

延応元年(1239)七月五日、今日法成寺咒師、参入吉田社、施曲五手也、依太閤御祈也、

とあり、10余手あったとされるが、今日知られている曲は、

剣手、
武者手、
大唐文殊手、
とりばみ、

などがある。この呪師は寺院に属し貴族の庇護を受け、華美な装束に兜をつけて、鼓の囃子(はやし)で鈴を振りながら舞った。平安時代には華やかであった呪師も、鎌倉時代に入ると漸次衰運の道をたどるようになった(仝上)とある。この咒師は、

のろんじ

ともいった(仝上・精選版日本国語大辞典)。本来、

役僧である法呪師が担当した鎮魔除魔的な役を、散所法師と呼ばれる役者が代演するようになり、それが芸能化した、

とあるhttps://www.arc.ritsumei.ac.jp/artwiki/index.php/%E5%91%AA%E5%B8%AB

東大寺二月堂の修二会.jpg

(東大寺二月堂の修二会 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%AE%E4%BA%8C%E4%BC%9Aより)

因みに、修正会(しゅしょうえ)は、

毎年正月の始めに3日ないし7日間にわたって、国家・皇室の安泰、五穀豊穣などを祈願する法会、

で、

修正月会、

略して、

修正、

ともいう。修正会には一つには、

《金光明経》《金光明最勝王経》による年始の仏事として恒例化したもの、

と、いま一つには、

767年(神護景雲1)正月の国分寺や官大寺における吉祥天悔過(けか)が年中行事化したもの、

とがある(世界大百科事典)。

修二会(しゅにえ)は、

修二月会(しゅにがつえ)、

単に、

修二月、

ともいい(仝上)、

毎年2月の初めに国家の安泰、有縁の人々の幸福を祈願する法会、

をいう。インド由来で、インドでは、建卯すなわち2月を歳首とすることが《宿曜経》にみえ、日本では年頭の法会を修正会、2月に祈修する法会を修二会と称した(仝上)という。

此月の一日よりもしくは三夜・五夜・七夜、山里の寺々の大なる行也。つくり花をいそぎ、名香をたき、仏の御前をかざり(三宝絵詞)、

とあるように、寺々で盛んに行われた。最も大規模なものは、

東大寺二月堂の修二会十一面観音悔過、

で、

お水取り、

の名称で親しまれている(仝上)し、薬師寺の修二会は、

花会式、

の通称で知られるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%AE%E4%BA%8C%E4%BC%9A

「呪」  漢字.gif

(「呪」 https://kakijun.jp/page/ju08200.htmlより)


「咒」 漢字.gif


「咒(呪)」(慣用ジュ、漢音シュウ、呉音シュ)は、

会意文字。「口+兄(大きい頭の人)」。もと、祝と同じで、人が神前で祈りの文句を唱えること。のち、祝は幸いを祈る場合に、呪は不孝を祈る場合に分用されるようになった、

とある(漢字源)。別に、

形声。口と、音符祝(シウ 兄は省略形)とから成る。「のろう」、転じて、まじないの意を表す、

とも(角川新字源)、

形声文字です(口+兄)。「口」の象形と「口の象形とひざまずく人の象形」(上に立って弟妹の世話をやく人、「兄」の意味を表すが、ここでは、「祝(シュウ)」に通じ(「祝」と同じ意味を持つようになって)、「祈る」の意味)から、「祈る」、「のろう」を意味する「呪」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji2123.html

「師」 漢字.gif

(「師」 https://kakijun.jp/page/1056200.htmlより)

「師」(シ)は、𠂤は、隊や堆(タイ)と同系のことばをあらわし、集団を示す。帀は、ぐるぐるまわること、あまねしの意を含む。師は、このふたつを合わせた字で、あまねく、人々を集めた大集団のこと。転じて、人々を集めて教える人、

とある(漢字源)。別に、

会意。帀(そう めぐる)と、𠂤(たい おか)とから成る。小高い丘を取り巻く、二千五百人から成る兵士の集団、ひいて、指導者の意を表す、

とも(角川新字源)、

会意兼形声文字です。「神に供える肉」の象形と「刃物」の象形から、敵を処罰する目的で、祭肉を供えて出発する軍隊を意味し、それが転じて(派生して・新しい意味が分かれ出て)、「軍隊」を意味する「師」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji893.html

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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2023年08月05日

引板(ひた)


心の澄むものは、秋は山田の庵(いを)毎に、鹿驚(おど)かすてふ引板(ひた)の聲、衣(ころも)しで打つ槌(つち)の音(梁塵秘抄)、

の、

引板、

は、

「ひきいた(引板)」の変化した語(精選版日本国語大辞典)、

で、

ヒキタの音便ヒイタの約(広辞苑)、

ともあるので、

ヒキイタ→ヒキタ→ヒイタ→ヒタ、

と転訛したもののようである。だから、

ひきいた、
ひきた、

とも訓む(仝上)。

衣手(ころもで)に水渋(みしぶ)つくまで植えし田を引板(ひきた)我れ延(は)へ守れる苦し(万葉集)、

と、

田や畑に張りわたして鳥などを追うためのしかけ、

で、

細い竹の管を板にぶらさげ、引けば鳴るようにしかけたもの、

をいい、

鳴子、

と同じで、

おどろかし、
とりおどし、

などともいう(精選版日本国語大辞典)が、また、竹筒などで水を引き入れたり、流水を利用して音を立てる、

ばったり、
ししおどし、

にもいう(仝上)。この、

引板(ひた)、

を鳴らすために引く縄、

を、

秋果つる引板の懸縄引き捨てて残る田面の庵のわびしさ(玉葉集)、

と、

引板の懸縄(ひたのかけなわ)、

という(広辞苑)。

鳴子。狩野常信.jpg

(鳴子(狩野常信「鳴子稲田雀図(部分)」) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%B4%E5%AD%90_(%E9%9F%B3%E5%85%B7)より)

鳴子(なるこ)、

も、

田畑が鳥獣に荒らされるのを防ぐためのしかけ、

であることは同じで、

小さき板に、小さき竹管を、糸にて掛けて連ねたるを、縄にて張り、(遠くから縄や綱を引けば、管、板に触れて、音を発するもの、

で(大言海・精選版日本国語大辞典)、また、

竹ざおの先につけ綱をつけたり、
棒の先に付けたり、

するものもあり、これは、

鳴竿(ナルサオ)、

といいhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%B4%E5%AD%90_(%E9%9F%B3%E5%85%B7)、人が手に持って追う。農家ではおもに、

子どもや老人がこの綱の一端を引いてこれを鳴らす役目にあたる、

とある(世界大百科事典)が、田畑に鳥が来たら鳴子を鳴らす人を、

鳴子守(なるこもり)、
鳴子引(なるこひき)、
鳴子番(なるこばん)、

といったhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%B4%E5%AD%90_(%E9%9F%B3%E5%85%B7)

鳴子.bmp

(鳴子 精選版日本国語大辞典より)

また、

隠居から鳴子を引けばたばこ盆(雑俳「たからの市(1705)」)、

と、

鳴子、

に似せて小さい板に竹筒や鈴などをつるし、綱を引くと鳴るしかけの、人を呼んだり合図を送ったりするもの、

にもいい、さらに、

鳴子(ナルコ)の音に神(しん)を飛し、一切(ひときり)遊びは対面の三方のごとく扱れ(洒落本「仕懸文庫(1791)」)、

と、

江戸、深川の岡場所で、舟着き場に置いて、客を乗せた舟が着くと茶屋へ合図のために鳴らしたもの、

についても、似た仕掛けなので、

鳴子、

と呼んだらしい(精選版日本国語大辞典)。

上述のように、「引板」は万葉集にも歌われているが、平安時代後期以降は、引板の操作などしたこともないような層が歌に詠むにあたって、

宿ちかき山田の引板(ひた)に手もかけで吹く秋風にまかせてぞ見る(後拾遺和歌集)、

と、

「引板」が風によって鳴らされているとすることに趣を感じて「引板」を「人が引かないのに鳴る=鳴子」と詠むことが増えてくるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%B4%E5%AD%90_(%E9%9F%B3%E5%85%B7)とある。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
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2023年08月06日

梓の真弓


武者を好まば小胡簶(こやなぐひ)、狩を好まば綾藺笠(あやゐがさ)、捲くり上げて、梓(あづさ)の真弓(まゆみ)を肩にかけ、軍(いくさ)遊をよ軍神(いくさがみ)(梁塵秘抄)、

の、

梓の真弓(あずさのまゆみ)、

は、

「真」は美称の接頭語、

で、

梓弓(あづさゆみ)、

の意である(精選版日本国語大辞典)。因みに、「胡簶」、「綾藺笠」については触れた。

梓弓、

は、

梓の木で作った丸木の弓、

で、

渡瀬に立てる阿豆佐由美(アヅサユミ)檀(まゆみ)い伐らむと心は思へど……そこに思ひ出愛(かな)しけくここに思ひ出い伐らずそ来る阿豆佐由美(アヅサユミ)檀(古事記)、

と、

上代、狩猟、神事などに用いられ、

あずさの弓、
あずさの真弓、

とも呼ばれた。のちに、

あずさみこ、

が、死霊や生霊を呼び寄せる時に鳴らす小さな弓、

の意となり、転じて、

あずさみこ、

をもいうようになった(仝上)。

巫女」で触れたように、「梓(あづさ)」は、

カバノキ科の落葉高木、

で、

古く呪力のある木とされた、

とあり(岩波古語辞典)、古代の「梓弓」の材料とされ、和名抄には、

梓、阿豆佐、楸(ひさぎ、きささげ)之属也、

とある。この「梓」には、古来、

キササゲ、
アカメガシワ、
オノオレ、
リンボク(ヒイラギガシ)

などの諸説があり一定しなかったが、白井光太郎による正倉院の梓弓の顕微鏡的調査の結果などから、

ミズメ(ヨグソミネバリ)、カバノキ科の落葉高木、

が通説となっている、とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A2%93。「梓弓」は、

古くは神事や出産などの際、魔除けに鳴らす弓(鳴弦)として使用された、

とありhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A2%93%E5%BC%93

梓弓の名に因りて、万葉集に、弓をアヅサとのみも詠めり、今も、神巫に、其辞残れり、直に、あづさみことも云へり、神を降ろすに、弓を以てするば和琴(わごと)の意味なり(和訓栞)、

と、

神降ろしに用いる、

が、

その頃はべりし巫女のありけるを召して、梓弓に、(死人の靈を)寄せさせ聞きにけり(伽・鼠草子)、

と、

梓の弓をはじきながら、死霊や生霊を呼び出して行う口寄せ、

をも行う(岩波古語辞典)。

あづさみこ

は、

小弓に張れる弦を叩きて、神降をし、死霊・生霊の口寄せをする、

といい、

髑髏(しゃれこうべ)を懐中し居るなり、これをアヅサとのみも云ひ、又、市子とも、縣巫(あがたみこ)とも云ふ、何れも賤しき女にて、賣淫をもしたりと云ふ、

とある(大言海)。「鳴弦」つまり「弦打ち」については触れた。

巫女」で触れたように、「巫女」は、

かんなぎ

ともいうが、

あがたみこ、
あづさみこ、
いちこ、

等々とも呼ぶものもある(大言海)。柳田國男や中山太郎の分類によると、

おおむね朝廷の巫(かんなぎ)系、

と、

民間の口寄せ系、

に分けられ、「巫(かんなぎ)系」巫女は、関東では、

ミコ、

京阪では、

イチコ、

といい、口寄せ系巫女は、

京阪では、

ミコ、

東京近辺では、

イチコ、
アズサミコ、

東北では、

イタコ、

と呼ばれる、とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%AB%E5%A5%B3。柳田は、「もともとこの二つの巫女は同一の物であったが、時代が下るにつれ神を携え神にせせられて各地をさまよう者と、宮に仕える者とに分かれた」とした(仝上)。

この原型となる「神に仕える女性」として、

邪馬台国の卑弥呼、
天照大神、
倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)、
倭姫命(やまとひめのみこと)、
神功(じんぐう)皇后、

等々を見ることができ、沖縄の、

のろ、
ゆた、

もそれである(日本大百科全書)。

朝廷の巫(かんなぎ)系である、

宮廷や神社に仕え、神職の下にあって祭典の奉仕や神楽をもっぱら行うもの、

には、

神祇官に仕える御巫(みかんなぎ)(大御巫、坐摩(いがすり)巫、御門(みかど)巫、生島(いくしま)巫)、
宮中内侍所(ないしどころ)の刀自(とじ)、
伊勢神宮の物忌(ものいみ)(子良(こら))、
大神(おおみわ)神社の宮能売(みやのめ)、
熱田神宮の惣(そう)ノ市(いち)、
松尾神社の斎子(いつきこ)、
鹿島神宮の物忌(ものいみ)、
厳島(いつくしま)神社の内侍(ないし)、
塩竈(しおがま)神社の若(わか)、
羽黒神社の女別当(おんなべっとう)、

等々があり、いずれも処女をこれにあてた、とされる(仝上)。

民間の口寄せ系である、

神霊や死霊の口寄せなどを営む呪術的祈祷師、

には、

市子(いちこ)、

という言葉が一般に用いられており、東北地方では、巫女のことを一般に「いたこ」といい、これらの巫女はほとんど盲目である。そのほか、

関東の梓(あずさ)巫女、
羽後(うご)の座頭嬶(ざとうかか)、
陸中の盲女僧、
常陸の笹帚(ささはた)き、

等々の称がある、とされる(仝上)。

「いちこ」は、

降巫(岩波古語辞典)、
市子(日本語源大辞典)、
巫子(仝上・江戸語大辞典)、
神巫(大言海)、

等々と当て、

巫女、

の意で、

イチは巫女をあらわす語、コは子、

とあり(岩波古語辞典)、「イチ」は、

和訓栞、イチ「神前に神楽をする女を、イチと云ふは、イツキの義にや、ツ、キ、反チなり」。斎巫(いつきこ)なり。松尾神社に斎子(いつきこ)あり、春日神社等に、斎女(イツキメ)あり、此語、口寄せする市子とは、全く異なり、

とあり(大言海)、

略してイチとのみも云ひ、一殿(イチドノ)とも云ふ、

とある(仝上)。あくまで、ここでは「いちこ」は、

巫女、

の意で、

神前に神楽する舞姫、神楽女(かぐらめ)、

の意とする。この「いちこ」のひとつに、

あづさみこ、

がある(岩波古語辞典)とされる。

なお、「梓弓」は、古くから枕詞として使われ、

弓の弦を引く、または張るところから「い」「いる」「ひく」「はる」、
弓の部分名称から「もと」「すえ」「つる」、
弓を引けば、弓の本と末とが寄るところから「よる」、
弓が反るところから「かえる」、
矢を射る音から「や」「おと」、

等々に冠せられる(精選版日本国語大辞典・日本大百科全書)。

なお、「弓」については、「弓矢」で触れた。

「梓」 漢字.gif


「梓」(シ)は、

会意兼形声。辛(シン)は、鋭い刃物の象形で、切る意を表わす。梓は「木+音符辛」で、刃物で切ったり刻んだりするのに適した木、

とある(漢字源)。別に、

会意兼形声文字です(木+宰の省略形)。「大地を覆う木」の象形と「入れ墨をする為の針」の象形(「祭事や宴会の為に調理する」の意味)から、「木材で各種の器具を作る職人、建具師」を意味する「梓」という漢字が成り立ちました。また、「あずさの木」、「版木(はんぎ)」の意味も表すようになりました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji324.html

「辛」 漢字.gif



「辛」 金文・殷.png

(「辛」 金文・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%BE%9Bより)

「辛」(シン)は、

象形。鋭い刃物で描いたもので、刃物でぴりっと刺すことを示す。転じて、刺すような痛い漢字の意、

とある(漢字源)。別に、

象形。罪人に入れずみをする針の形にかたどり、印をつける針の意を表す。転じて、つみの意に用いる。借りて、五味の一つや、十干(じつかん)の第八位に用いる、

とか(角川新字源)、

象形文字です。「入れ墨をする為の針」の象形から、「つらい」を意味する「辛」という漢字が成り立ちました、

などとあるhttps://okjiten.jp/kanji1655.htmlが、

刑罰や入墨に用いる道具を象る象形という説は別の「䇂」という文字との混同に由来する誤った分析で、本項の「辛」は刑罰や罪とは関係がない、

ともあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%BE%9B

「弓」 漢字.gif

(「弓」 https://kakijun.jp/page/0332200.htmlより)


「弓」 甲骨文字・殷.png

(「弓」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%BC%93より)

「弓」(漢音キュウ、呉音ク・クウ)は、

象形。弓の形を描いたもの。曲線をなす意を含む、

とある(漢字源)

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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2023年08月07日

遣戸


山の調(しらめ)は櫻人、海の調は波の音、又嶋廻(めぐ)るよな、巫女(きね)が集ひは中の宮、嚴粧(けさう)遣戸(やりど)は此處(ここ)ぞかし(梁塵秘抄)、

の、

嚴粧遣戸(けさうやりど)、

の、

嚴粧、

は、

化粧、

の意のようで、

嚴粧遣戸、

で、

きれいに飾った遣戸、

の意らしいhttp://false.la.coocan.jp/garden/kuden/kuden0-1.html。ただ、

化粧、

には、

化粧垂木(けしょうだるき)、
化粧木舞(けしょうこまい)、

のように、

軒下や室内にあらわれている、

という意もあるが。

また、

櫻人、
波の音、

は、

催馬楽の一曲、

を指すようである(仝上)。

調(しらめ)、

は、

マ行下二段活用の動詞「調む」の連用形、あるいは連用形が名詞化したもの、

で、

調む、

は、

秋の名残を惜しみ、琵琶を調めて(平家物語)、

と、

調べる、

に同じで、

演奏する、

意である(精選版日本国語大辞典)。

遣戸.bmp

(遣戸 精選版日本国語大辞典より)

遣戸、

は、

鴨居(かもい)と敷居(しきい)との溝にはめて、横に引いて開閉する戸、

のことで、いわゆる、

引き戸、

のことである。

開戸(ひらきど)に対す、送り遣りて開く故に云ふ、

とある(大言海)ので、

妻戸(つまど)、

の対である(学研全訳古語辞典)。ただ、寝殿造の外周建具は、扉の部分の、

妻戸(つまど)、

を除くと、大半は、

蔀戸(しとみど)、

であった。「蔀」については、「半蔀(はじとみ)」で触れた。

妻戸.bmp

(妻戸 精選版日本国語大辞典より)


蔀.bmp

(蔀 精選版日本国語大辞典より)

遣戸、

は、

平安時代の寝殿造で初めて用いられ、室町時代に入って書院造に多用された、

とあり(日本大百科全書)、引違いのものは、

違いの遣戸、

ともよばれた。また、遣戸のみでは室内が暗くなるので、

鴨居、敷居の樋端(ひばた 溝のへり)を三本溝とし、外側に板戸2枚、内側に障子を入れて明かり取りとした、

とあり、板戸で横に桟を何段にも入れて板押さえとしたものを、

舞良戸(まいらど)、

という(仝上)とある。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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2023年08月08日

私選句


松尾芭蕉『奥の細道 俳諧紀行文集』『幻住庵の記・嵯峨日記』を読む。

芭蕉・奥の細道.jpg


死後の『笈日記』を除いた、

奥の細道、
野ざらし紀行、
鹿島紀行、
笈の小文、
更科紀行、
幻住庵の記
嵯峨日記、

など、紀行文、日記を中心に見たので、初期の、

古池や蛙飛びこむ水のおと、

名月や池をめぐりて夜もすがら、

といった名句もないし、晩年の、

此道や行人なしに龝の暮、

旅に病で夢は枯野をかけ廻る、

という句もないが、地の文との関係や、そのときの場所、人との関係の深い句ははぶき、独立して味わえるもののみを、勝手な好みで選びとってみた。書評に代えた、私選・芭蕉句集である。

ただ、昔『奥の細道』を読んだとき、

田一枚うゑてたちさるやなぎかな、

の句にある、時間経過を一瞬で表現する句に圧倒された記憶がある。今回も同じで、これが最も好きな句だ。

「奥の細道」からは、

行く春や鳥啼き魚の目は泪
あらたふと青葉若葉の日の光
野を横に馬引きむけよほととぎす
田一枚植ゑて立ちさる柳かな
夏草や兵どもが夢の跡
五月雨の降りのこしてや光堂
閑さや岩にしみ入る蝉の声
蚤虱馬の尿(しと)する枕もと
五月雨をあつめて早し最上川
雲の峰幾つくづれて月の山
暑き日を海にいれたり最上川
象潟(きさがた)や雨に西施がねぶの花
荒海や佐渡に横たふ天の河
一家(ひとつや)に遊女もねたり萩と月
塚も動け我が泣く声は秋の風
あかあかと日は難面(つれなく)も秋の風
むざんやな甲(かぶと)の下のきりぎりす
終宵(よもすがら)秋風きくや裏の山
名月や北国(ほくこく)日和(びより)さだめなき
波の間や小貝にまじる萩の塵

『野ざらし紀行』からは、

野ざらしを心に風のしむ身かな
道のべの木槿は馬にくはれけり
馬に寝て残夢月遠し茶の煙
三十日月(みそか)なし千とせの杉を抱く嵐
蘭の香や蝶の翅(つばさ)にたきものす
蔦植ゑて竹四五本のあらし哉
露とくとくこころみに浮世すすがばや
曙やしら魚白き事一寸
草枕犬も時雨(しぐ)るるか夜の声
海くれて鴨の声ほのかに白し
水とりや氷(こほり)の僧の沓(くつ)の音
山路来て何やらゆかしすみれ草(ぐさ)

『鹿島紀行』からは、

月はやし梢(こずゑ)は雨を持(もち)ながら

『笈の小文』からは、

旅人と我が名よばれん初しぐれ
星崎の闇を見よとや啼く千鳥
冬の日や馬上に氷る影法師
枯芝やややかげらふの一二寸
何の木の花とはしらず匂哉
神垣(かんがき)やおもひもかけず涅槃像
猶みたし花に明け行く神の顔
雲雀より空にやすらふ峠哉
ほろほろと山吹ちるか滝の音
行く春にわかの浦にて追付きたり
蛸壺やはかなき夢を夏の月

『更科紀行』からは、

あの中に蒔絵書たし宿の月
かけはしやいのちをからむ蔦かづら
ひよろひよろと猶露けしやをみなへし
身にしみて大根からし秋の風
月影や四門四宗も只ひとつ

『嵯峨日記』からは、

嵐山藪の茂りや風の筋
ほととぎす大竹藪をもる月夜
うき我をさびしからせよかんこどり
手をうてば木魂(こだま)に明(あく)る夏の月

を選んでみた。

芭蕉・幻住庵の記・嵯峨日記.jpg


参考文献;
山本健吉『芭蕉・その鑑賞と批評』(新潮社)
松尾芭蕉『奥の細道 俳諧紀行文集』(Kindle版)
松尾芭蕉『幻住庵の記・嵯峨日記』(Kindle版)

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2023年08月09日

舎利


淡路はあな尊(たうと)、北には播磨の書冩をまもらへて、西には文殊師利、南え南海補陀落(ふだらく)の山(せん)に向ひたり、東(ひんがし)は難波の天王寺に、舎利(さり)まだおはします(梁塵秘抄)、

の、

舎利、

は、

しゃり、

とも訓み、

サンスクリット語シャリーラśarīra、

の音訳、原義は、

身体、

のことであるが、転じて、

遺骨、

とくに、

仏陀(ぶっだ 釈迦)の遺骨、

をさし、

仏舎利、
仏骨、

という(精選版日本国語大辞典・日本大百科全書)。骨崇拝は先史時代よりあったが、仏教で舎利崇拝がおこったのは、

仏陀がクシナガラで入滅し、その遺体が火葬に付され、遺骨と灰が仏陀ゆかりの八つの土地に分納され、塔が建立され供養されて以来のこと、

とされる(仝上)。アショカ王は、上記八つの仏塔のうち七つを開けて舎利を分け、インド各地に多数の仏塔を建てたと伝わる(仝上)。わが国でも舎利供養のための法会(ほうえ)が行われた(日本書紀)が、1898年(明治31)ネパールにおいて、仏陀の遺骨とみられるものが発掘されて仏教諸国に分与され、日本では名古屋市覚王山の日泰(にったい)寺に安置奉祀(ほうし)されている(仝上)とある。舎利を安置する塔を、

舎利塔、

舎利を納めておく堂宇を、

舎利殿、

という(仝上)。法華経に、

佛滅度後、供養舎利、

翻譯名義集(南宋代の梵漢辞典)に、

佛舎利、椎撃不破、弟子舎利、椎試即砕也、

とある。

佛舎利を衛りて百国の王帰国する図 (2).jpg

(佛舎利を衛りて百国の王帰国する図(葛飾北斎『釈迦御一代記図会』) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8F%E8%88%8E%E5%88%A9より)

和名類聚抄(平安中期)に、

舎利、法華経云、以佛舎利、起七宝塔、

類聚名義抄(11~12世紀)に、

御所遺骨分、通名舎利、

とある。

なお、

舎利、

は、

米粒、

また、

白飯、

を指して用いたりするのは、

仏舎利が米粒に似ていること、

によっており、近世から例が見え始める。ただし、仏舎利と米粒とを結び付ける例は中国唐代に既に見られ、日本でも空海撰「秘蔵記」に、

天竺呼米粒為舎利。仏舎利亦似米粒。是故曰舎利、

とあるが、これらは、梵語の、

米śāli、

と、

身体śarīra、

との混同に依るらしい(精選版日本国語大辞典)とある。

「舎」 漢字.gif

(「舎」 https://kakijun.jp/page/0812200.htmlより)

内舎人」で触れたように、「舎(舎)」(シャ)は、

会意兼形声。余の原字は、土を伸ばすスコップのさま。舎は「口(ある場所)+音符余」で、手足を伸ばす場所。つまり、休み所や宿舎のこと、

とある(漢字源)。別に、

形声。音符「余 /*LA/」+羨符「口」(他の字と区別するための記号)、

ともhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%88%8D

象形。口(垣根の形)と、(建物の形)と、亼(しゆう)(集の古字)とから成り、「やどる」、ひいて「おく」意を表す、

とも(角川新字源)、

会意兼形声文字です(余+口)。「先の鋭い除草具」の象形(「自由に伸びる」の意味)と「ある場所を示す文字」から、心身をのびやかにして、「泊まる(やどる)」、「建物」、「ゆるす」を意味する「舎」という漢字が成り立ちました、

ともありhttps://okjiten.jp/kanji841.html、微妙に解釈が異なる。

「利」 漢字.gif

(「利」 https://kakijun.jp/page/0732200.htmlより)


「利」 甲骨文字・殷.png

(「利」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%88%A9より)

「利」(リ)は、

会意文字。「禾(いね)+刀」。稲束を鋭い刃物でさっと切ることを示す。一説に、畑をすいて水はけや通風をよくすることをあらわし、刀はここではすきを示す。すらりと通り、支障がない意を含む。転じて、刃がすらりと通る(よく切れる)、事が都合よく運ぶ意となる、

とある(漢字源)。

会意。「禾 (穀物)」+「刀」で、穀物を鋭い刃物で収穫するさまを象る。「するどい」を意味する漢語{利 /*rits/}および「もうけ」を意味する漢語{利 /*rits/}を表す字https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%88%A9

は、前者、

会意。刀と、禾(か いね)とから成り、すきで田畑を耕作する意を表す。「犂(リ すき)」の原字。ひいて、収益のあること、また、すきのするどいことから「するどい」意に用いる(角川新字源)、

会意文字です(禾+刂(刀))。「穂先がたれかかる稲」の象形と「鋭い刃物」の象形から、稲を栽培し、鋭い刃物(すき)で土を耕す事を意味し、それが転じて(派生して・新しい意味が分かれ出て)、「するどい」・農耕に「役立つ」を意味する「利」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji592.html

は後者の説を採っている。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:舎利 仏舎利 仏骨
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2023年08月10日

もくれんじ


聖(ひじり)の好む物、木の節(ふし)鹿角(わざづの)鹿の皮、蓑笠錫杖木欒子(もくれんじ)、火打笥(け)岩屋の苔の衣(梁塵秘抄)、

の、

木欒子(もくれんじ)、

は、

もくげんじ(欒樹・木槵子)、

の別称、

ムクロジ科の落葉高木、

で、

中国原産、寺院などに栽植。高さ10メートル以下、葉は羽状複葉。夏、黄色の小花を大きな花序につけ、長楕円形の蒴果(さくか)を結ぶ。球形の種子は数珠玉に用い、また、花を眼薬や黄色染料とする、

とある(岩波古語辞典・広辞苑)

センダンバノボダイジュ、
ムクレニシ、
ムクレンジノキ、
モクレンジュ、
モクレンジ(木欒樹)、
ムクロジュ(無患子・木穂子)、

ともいい、古名、

ムクレジ(牟久礼之)、
ムクレニ(牟久礼邇)、
ムクレニシ、

とあり(大言海・https://gkzplant.sakura.ne.jp/mokuhon/syousai/magyou/mo/mokurennju.html)、漢名、

欒華、
欒樹、
木欒子、

である(仝上・精選版日本国語大辞典)。色葉字類抄(平安末期)に、

欒、モクレンシ、木槵子、モク(ク)ェンシ、可用念珠木名、

とある。和名ムクロジは、モクゲンジの漢名、

木欒子、

を誤用し、その字音に由来していると言われる(仝上・大言海)が、

モクゲンジ(無患子・木穂子)、

が、

ムクロジの漢名、

無患子、

の誤用(日本語源大辞典・牧野新日本植物図鑑・精選版日本国語大辞典)ともある。いずれにせよ、

木欒子(もくれんじ)、

つまり、

欒樹・木槵子(もくげんじ)、

が、

むくろじ(無患子)、

を、誤称したことに間違いはない。

ムクロジ/むくろじ/無患子.jpg


ムクロジの実.jpg

(ムクロジの実 仝上)

ムクロジの黒い種子は、正月の羽根突きの玉や数珠になる (2).jpg

(ムクロジの黒い種子は、正月の羽根突きの玉や数珠になる 仝上)

ムクロジ、

は、

漢名無患子の音の転(名言通)、
ムクレニシ(木欒子)の誤りの誤用(大言海)、

という転訛とは別に、

ムクロジが家にあると病を知らないとして「無患子」(むくろし)と呼ばれるようになった、
実のなる様子を「ツブナリ」と表現し、これが転訛した、
種子が黒いため「実黒地(みくろじ)」が転訛した、

等々の説があるhttps://www.uekipedia.jp/%E8%90%BD%E8%91%89%E5%BA%83%E8%91%89%E6%A8%B9が、どうも漢語との関係から見ると、後付けの説のようである。。

「欒」 漢字.gif



「欒」 中国最古の字書『説文解字』.png

(「欒」 中国最古の字書『説文解字』(後漢・許慎)・漢 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%AC%92より)

「欒」(ラン)は、

会意兼形声。䜌は、むつれるを含む。欒はそれを音符とし、木を添えた字、

とある(漢字源)。

むくろじ科の落葉小高木。種子は球形でかたく、数珠につかわれる、

とあり、

もくげんじ、

とも(仝上)とある。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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2023年08月11日

八大童子


大峯(おほみね)通るには、佛法修行する僧ゐたり、唯一人、若や子守は頭(かうべ)を撫でたまひ、八大童子は身を護る(梁塵秘抄)、

の、

八大童子、

は、

不動八大童子(ふどうはちだいどうじ)、
八大金剛童子(はちだいこんごうどうじ)、

とも呼ばれ、

不動明王に随従する8種の尊像を童子形に造形化したもの、

をいい、

不動明王の種字「唅(かん=hāṃ)」字より発生し、四智(金剛智、灌頂智、蓮華智、羯磨智)と四波羅蜜(金剛波羅蜜、宝波羅蜜、法波羅蜜、業波羅蜜)を具現化した八尊、

ともあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E5%A4%A7%E7%AB%A5%E5%AD%90。「種子(しゅじ)」、は、密教において、、

仏尊を象徴する一音節の呪文(真言)、

で、「加持」で触れたように、普通には、

長句のものを陀羅尼、
数句からなる短いものを真言(しんごん)、
一字二字などのものを種子(しゅじ)

と区別する(日本大百科全書)。

密教では、「八大童子」を、

慧光(えこう)童子、
慧喜(えき)童子、
阿耨達(あくた・あのくた)童子、
持徳(指徳)(しとく)童子、
烏俱婆伽(うぐばか)童子、
清浄比丘(しようじようびく)、
矜羯羅(こんがら)童子、
制吒迦(せいたか)童子、

のを八人の童子いう(精選版日本国語大辞典)が、修験道では、

除魔・後世・慈悲・悪除・剣光・香精・検増・虚空、

の八童子をいう(仝上)とある。中国で撰述された偽経、

聖無動尊一字出生八大童子秘要法品、

に記された諸尊である(世界大百科事典)とある。このうち

矜羯羅(Kiṃkara 随順・奴隷と漢訳)、
制吒迦(Ceṭaka 福聚勝者と漢訳)、

の2童子が、

不動明王の両脇侍、

とされることが多い(世界大百科事典)とあり、

不動明王二童子像、

または、

不動三尊像、

と言い、三尊形式の場合、不動明王の右(向かって左)に、

制吒迦童子、

左(向かって右)に、

矜羯羅童子を配置しhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8D%E5%8B%95%E6%98%8E%E7%8E%8B

矜羯羅童子、

は童顔で、合掌して一心に不動明王を見上げる姿に表されるものが多く、

制吒迦童子、

は対照的に、金剛杵(こんごうしょ)と金剛棒(いずれも武器)を手にしていたずら小僧のように表現されたものが多い(仝上)とある。

不動明王.jpg

(不動明王(国宝・醍醐寺蔵) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8D%E5%8B%95%E6%98%8E%E7%8E%8Bより)

脇士」には、不動明王には制多迦・衿迦羅の二童子が配されるが、薬師如来では、

日光・月光二菩薩、

あるいは

薬王・薬上菩薩、

が脇侍とされ、

般若菩薩には、

梵天・帝釈の二天、

が配される。釈迦像に脇侍を付す例は、すでに、インドの、

マトゥラーの石彫像以来認められる、

という(世界大百科事典)。

不動明王②.bmp

(不動明王 精選版日本国語大辞典より)

不動明王、

は、ヒンドゥー教のシバ神の異名で、

アチャラナータAcalanāta、

といい、漢音で、

阿遮羅嚢他(あしゃらのうた)、

とあてる。アチャラは、

動かない、

ナータは、

守護者、

を意味し、

揺るぎなき守護者、

の意味となるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8D%E5%8B%95%E6%98%8E%E7%8E%8B。大日如来(だいにちにょらい)の命を受けて、

忿怒(ふんぬ)相に化身(けしん)したとされる像、

で、その姿は、

不動、如来使、持慧力羂索、頂髻垂左肩、一目而諦観、威忿怒身猛炎、安住在盤石、面門水波相、充満童子形(大日経)、

不動明王、如来使者、作童子形、右持大慧刀印、左持羂索、頂有莎髻、屈髪垂在左肩、細閉左目、以下歯噛右邊上脣、其左邊下脣稍翻外出、額有皺紋、猶如水波相、坐於石上、其身卑而充満肥盛、作奮怒之勢、極忿之形、是其密印幖幟相也(仝上)、

と、

片目あるいは両目を見開き、牙を出し、下の歯で上唇を噛む忿怒相を示し、頭の頂には七髻(けい)があり、左肩には弁髪の一端を垂らし、左手に羂索(けんさく)、右手に利剣をとり、大火炎を背負って大磐石座の上に坐す、

形である(ブリタニカ国際大百科事典)。なお、「羂索(けんさく・けんじゃく)」については「弁才天」で触れたように、仏菩薩の、衆生を救い取る働きを象徴するもので、色糸を撚り合わせた索の一端に鐶、他の一端に独鈷(どっこ)の半形をつけたものである。

不動明王は、密教では、

行者に給仕して菩提(ぼだい)心をおこさせ悪を降し、衆生(しゅじょう)を守る、

とされ(日本大百科全書)、

五大明王、
八大明王、

では中央に位置する主尊となる(仝上)。

五大明王(ごだいみょうおう)、

は、

密教特有の尊格である明王のうち、中心的役割を担う5名の明王を組み合わせたものである。本来は別個の尊格として起こった明王たちが、中心となる不動明王を元にして配置されたものである、

とありhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E5%A4%A7%E6%98%8E%E7%8E%8B

不動明王を中央として、東西南北におのおの降三世(ごうざんぜ)・軍荼利(ぐんだり)・大威徳(だいいとく)・金剛夜叉(こんごうやしゃ)の四大明王を配置した一組一体からなる明王部の尊形、

である(日本大百科全書)。

五大尊、

ともいい、いずれも忿怒の形相を表わすので、

五忿怒、

ともいう(仝上・精選版日本国語大辞典)。

五大明王.jpg

(五大明王 中央は大日大聖不動明王、右下から時計回りに降三世夜叉明王、軍荼利夜叉明王、大威徳夜叉明王、金剛夜叉明王 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E5%A4%A7%E6%98%8E%E7%8E%8Bより)

八大明王(はちだいみょうおう)、

は、八方守護をつかさどる、

八体の明王、

で、

八大菩薩の変現したもの、

をいい、

降三世(金剛手菩薩)・大威徳(妙吉祥菩薩)・大笑(虚空蔵菩薩)・大輪(慈氏菩薩)・馬頭(観自在菩薩)・無能勝(地蔵菩薩)・不動(除蓋障菩薩)・歩擲(ぶちゃく 普賢菩薩)、

の明王となる(仝上 五大明王、八大明王についてはhttp://butuzou.jpn.org/b-world/buddha/html/bmyoou.htmlに詳しい)。

不動明王、

は、

密教の根本尊である、

大日如来の化身、

と見なされ、

お不動さん、

の名で親しまれ、

大日大聖不動明王(だいにちだいしょうふどうみょうおう)、
無動明王、
無動尊、
不動尊、

などとも呼ばれるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8D%E5%8B%95%E6%98%8E%E7%8E%8B

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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2023年08月12日

能化


天台大師は能化の主(す)、眉は八字に生(お)いわかれ、法(のり)の使(つかひ)に世に出(い)でて、殆ど佛(ほとけ)に近かりき(梁塵秘抄)、

の、

能化(のうげ・のうけ)、

は、「六道能化」で触れたように、

能く化すということ、

で、

「化」は教える、指導する、

という意味で、

我及諸子若不時出。必為所焼者。我譬能化仏、諸子譬所化衆生(法華義疏)、

と、師として、

他を教化できる者、

の意だが、主として、衆生(しゅじよう)を教化する、

仏・菩薩、

をさす(広辞苑・精選版日本国語大辞典)。

教化されるほう、つまり一切衆生(いっさいしゅじょう)は、

衆生世閒即所化機、智正覺世閒即能化主(華厳玄談)、

と、

所化(しょけ)、

という(大辞林)。「能化」は、転じて、

雖為本寺住山、不労所学者、不可許能化事(「御当家令条・関東真言宗古義諸法度(1609)」)、

と、

一宗派の長老・学頭、

などを称し、真言宗では一山の総主、真宗では本願寺派で学頭職をいい(精選版日本国語大辞典)、西本願寺では、門主・良如の時代に僧侶の教育機関である学寮(後に学林)が設けられ、その学長として能化職が置かれ、学生は所化(しょけ)と呼ばれたhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%83%BD%E5%8C%96とある。

さらに派生して、

その郡や村県にちっとも学の方の材ある者をばすすめて京えのぼせて学問所の能化(ノウケ)や物をひろう知た博士先生に付て学問させたぞ(「玉塵抄(1563)」)、

と、

特にすぐれた僧。寺院、宗派の指導者、

をも指し、もっと一般化して、

能化(ノウケ)の姉女郎寄掛て聴聞あり(浮世草子「傾城禁短気(1711)」)、

と、

他をよく導く者、指導者、

をも指すに至る(仝上)。

「能」 漢字.gif



「能」 甲骨文字・殷.png

(「能」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%83%BDより)

「能」(①漢音ドウ、呉音ノウ・ノ、②漢音ダイ、呉音ナイ、慣用タイ)は、

会意兼形声。ム(イ 以)は、力を出して働くことを示す。能は「肉+かめの足+音符ム」で、かめや、くまのようにねばり強い力を備えて働くことを表す、

とあり(漢字源)、「非不能也(能ハザルニアラザルナリ)」と、「あたう」「欲物事をなしうる力や体力があってできる」「たえうる」という意味、「有能」「技能」「才能」の「琴を遣りうる力」の意味、「能弁」のやり手、達者の意などでは①の音、寒キニ能フ、というような「たえる」意では②の音、となる(仝上)。別に、

象形。熊またはそれに似た動物を象る。ある種の動物を指す漢語{能 /*nəə/}を表す字。のち仮借して「できる」を意味する漢語{能 /*nəəng/}に用いる、

とありhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%83%BD

説文解字では「肉」や「㠯」に従うと解釈されているが、甲骨文字や金文の形を見ればわかるように、これは誤った分析である、

とする(仝上)。象形説は、

象形。毛をさかだて、大きな口をあけておそいかかるけものの形にかたどり、くまの意を表す。借りて「あたう」意に用いる、

とも(角川新字源)、

象形文字です。「尾をふりあげ大きな口を開けた熊(くま)」の象形から熊の意味を表しましたが、借りて(同じ読みの部分に当て字として使って)、「ある動作をする事ができる」、「能力」を意味する「能」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji805.html

「化」 漢字.gif

(「化」 https://kakijun.jp/page/0412200.htmlより)

「化」(漢音カ、呉音ケ)は「化生」で触れたように、

左は倒れた人、右は座った人、または、左は正常に立った人、右は妙なポーズに体位を変えた人、いずれも両者を合わせて、姿を変えることを示した会意文字、

とある(漢字源)が、別に、

会意。亻(人の立ち姿)+𠤎(体をかがめた姿、又は、死体)で、人の状態が変わることを意味する、

とかhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%8C%96

会意形声。人と、𠤎(クワ 人がひっくり返ったさま)とから成り、人が形を変える、ひいて「かわる」意を表す。のちに𠤎(か)が独立して、の古字とされた、

とか(角川新字源)、

指事文字です。「横から見た人の象形」と「横から見た人を点対称(反転)させた人の象形」から「人の変化・死にさま」、「かわる」を意味する「化」という漢字が成り立ちました、

とかhttps://okjiten.jp/kanji386.htmlとある。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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2023年08月13日

一乗


娑婆に須臾(しばし)も宿れるは、一乗聴くこそあはれなれ、嬉しけれ、や、人身再び受け難(がた)し、法華経に今一度、いかでか参り會はむ(梁塵秘抄)、

の、

一乗、

は、サンスクリット語、

エーカ・ヤーナeka-yāna(一つの乗り物)、

の訳語、

「一」は唯一無二の義、
「乗」は乗物、

の意、

開闡一乗法、導諸群生、令速成菩提(法華経)、

と、

乗物の舟車などにて、如来の教法、衆生を載運して、生死を去らしむる、

とあり(大言海)、乗(乗り物)は、

人々を乗せて仏教の悟りに赴かせる教え、

をたとえていったもので、

真の教えはただ一つであり、その教えによってすべてのものが等しく仏になる、

と説くことをいう(精選版日本国語大辞典・日本大百科全書)とある。「声聞」で触れたように、

悟りに至るに3種の方法、

には、

声聞乗(しょうもんじょう 仏弟子の乗り物)、
縁覚乗(えんがくじょう ひとりで覚(さと)った者の乗り物)、
菩薩乗(ぼさつじょう 大乗の求道(ぐどう)者の乗り物)、

の三つがあり、

三乗、

といい、『法華経』では、この三乗は、

一乗(仏乗ともいう)、

に導くための方便(ほうべん)にすぎず、究極的にはすべて真実なる一乗に帰す、

と説き(仝上)、

三乗方便・一乗真実、

といい、それを、

一乗の法、

といい、主として、

法華経、

をさす(仝上)。

声聞」で触れたように、

声聞、

は、

梵語śrāvaka(シュラーヴァカ)、

の訳語、

声を聞くもの、

の意で、

釈迦の説法する声を聞いて悟る弟子、

である(精選版日本国語大辞典)のに対して、

縁覚(えんがく)、

は、

梵語pratyeka-buddhaの訳語、

で、

各自にさとった者、

の意、

独覚(どっかく)、

とも訳し、

仏の教えによらず、師なく、自ら独りで覚り、他に教えを説こうとしない孤高の聖者、

をいう(仝上・日本大百科全書)。

菩薩、

は、

サンスクリット語ボーディサットバbodhisattva、

の音訳、

菩提薩埵(ぼだいさった)、

の省略語であり、

bodhi(菩提、悟り)+sattva(薩埵、人)、

より、

悟りを求める人、

の意であり、元来は、

釈尊の成道(じょうどう)以前の修行の姿、

をさしている(仝上)とされる(「薩埵」については触れた)。つまり、部派仏教(小乗)では、

菩薩はつねに単数で示され、成仏(じょうぶつ)以前の修行中の釈尊、

だけを意味する。そして他の修行者は、

釈尊の説いた四諦(したい)などの法を修習して「阿羅漢(あらかん)」になることを目標にした(仝上)。

阿羅漢、

とは、

サンスクリット語アルハトarhatのアルハンarhanの音写語、

で、

尊敬を受けるに値する者、

の意。

究極の悟りを得て、尊敬し供養される人、

をいう。部派仏教(小乗仏教)では、

仏弟子(声聞)の到達しうる最高の位、

をさし、仏とは区別して使い、これ以上学修すべきものがないので、

無学(むがく)、

ともいう(仝上)。ただ、大乗仏教では、

個人的な解脱を目的とする者、

とみなされ、

声聞、
独覚(縁覚)、

を並べて、二乗・小乗として貶しており、

悟りに至るに3種の方法、

である、

三乗、

を、

声聞乗(しょうもんじょう 教えを聞いて初めて悟る声聞 小乗)、
縁覚乗(えんがくじょう 自ら悟るが人に教えない縁覚 中乗)、
菩薩乗(ぼさつじょう 一切衆生のために仏道を実践する菩薩 大乗)、

とし、大乗仏教では、

菩薩、

を、

修行を経た未来に仏になる者、

の意で用いている。

悟りを求め修行するとともに、他の者も悟りに到達させようと努める者、

また、仏の後継者としての、

観世音、
彌勒、
地蔵、

等々をさすようになっている(精選版日本国語大辞典)。で、大乗仏教では、「阿羅漢」も、

小乗の聖者をさし、大乗の求道者(菩薩)には及ばない、

とされた。

なお、法華経については、「法華経五の巻」で触れた。

「乘」 漢字.gif



「乗」 漢字.gif

(「乗」 https://kakijun.jp/page/0910200.htmlより)


「乘」 甲骨文字・殷.png

(「乘」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%B9%98より)

「乘(乗)」(漢音ショウ、呉音ジョウ)は、

会意文字。「人+舛(左右の足の部分)+木」で、人が両足で木の上にのぼった姿を示す。剩(ジョウ 剰 水準より上にのほける→あまり)の音符となる、

とある(漢字源)。別に、

会意。人が樹上に乗るさまを象る[字源 1]。「のる」「のぼる」を意味する漢語{乘 /*ləŋ/}を表す字、

ともhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%B9%98

会意文字です(大+舛+木)。「両手両足を開いた人」の象形と「両足を開いた」象形と「木」の象形から、木にはりつけになってのせられた人を意味し、そこから、「のる」を意味する「乗」という漢字が成り立ちました、

ともhttps://okjiten.jp/kanji188.htmlある。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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2023年08月14日

沙竭羅王(しゃがらおう)


龍女が佛(ほとけ)に成ることは、文殊のこしらへとこそ聞け、さぞ申す、沙竭羅王(しゃがらわう)の宮を出でて、變成男子として終(つい)には成佛道(梁塵秘抄)、

文殊の海(かい)に入(い)りしには、沙竭羅王波をやめ、龍女が南に行(ゆ)きしかば、無垢や世界にも月澄めり(仝上)、

の、

沙竭羅王(しゃがらおう)、

は、

沙羯羅王、

とも当て、

沙伽羅龍王、

とも、

しゃかつら、
しゃかちら、
しゃがら、

ともいい(精選版日本国語大辞典)、

八大竜王の娑伽羅(しゃから)、

の別の呼び名、

とあるhttps://naming-dic.com/wa/word/62270957

「沙伽羅」は、

Śāgara、

の音訳。「沙伽羅」の他、

娑羯羅、
沙竭、
沙羯羅、
娑伽羅、

などと当てている(精選版日本国語大辞典)。

八大龍王の一つ、

で、

観音二十八部衆の一つ、

であり、

護法の龍神、

また、

降雨の龍神、

として、

請雨法のおりの本尊、

とされる(仝上)。

沙竭羅竜王像.jpg

(沙竭羅龍王(浅草寺 頭部に龍を頂いている) https://4travel.jp/travelogue/10587532より)

八大龍王(はちだいりゅうおう)、

は、

八龍王、
八大龍神、

ともいい(大言海)、

有八龍王、難陀龍王、跋難陀、娑伽羅竜王、和修吉龍王、徳叉迦龍王、阿那婆達多龍王、摩那斯龍王、優鉢羅龍王等、各與若干百千眷属俱ト説ケリ(法華経・序品)、

と、

難陀(なんだ)・跋難陀(ばつなんだ)・娑伽羅(しゃがら)・和修吉(わしゅきつ)・徳叉迦(とくしゃか)・阿那婆達多(あなばだった)・摩那斯(まなし)・優鉢羅(うはつら)、

の八龍王をさす(仝上・精選版日本国語大辞典)。

娑伽羅龍王、

は、

海や雨をつかさどる、

とされることから、

時により過ぐれば民の歎きなり八大龍王雨やめ給へ(金槐集)、

と、

航海の守護神、

雨乞いの本尊、

とされる(仝上)。

沙羯羅像(右)左は畢婆迦羅像.jpg

(沙羯羅像(右)。畢婆迦羅像(左)(興福寺蔵) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E5%A4%A7%E7%AB%9C%E7%8E%8Bより)

竜族の八王、

は、

霊鷲山にて十六羅漢を始め、諸天、諸菩薩と共に、水中の主である八大竜王も幾千万億の眷属の竜達とともに釈迦の教えに耳を傾けた。釈迦は「妙法蓮華経」の第二十五 観世音菩薩普門品に遺されているように「観音菩薩の御働き」を説いた。その結果、「覚り」を超える「阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい、原語Anuttara samyaksaMbodhi)、無上正等正覚(むじょうしょうとうしょうがく)」を得て、護法の神となるに至った、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E5%A4%A7%E7%AB%9C%E7%8E%8B。この八大龍王、

は、

天龍八部衆、

に所属するとされるが、

八部衆
竜神八部、

ともいう、

仏教を守護する異形の神々、

で、

天(天部)、竜(竜神・竜王)、夜叉(やしゃ 勇健暴悪で空中を飛行する)、乾闥婆(けんだつば 香(こう)を食い、音楽を奏す)、阿修羅(あしゅら)、迦楼羅(かるら 金翅鳥で竜を食う)、緊那羅(きんなら 角のある歌神)、摩睺羅迦(まごらか 蛇の神)、

の8神をいう(精選版日本国語大辞典)。「迦楼羅」については「迦楼羅炎」で触れた。

竜宮」で触れたが、

爾時、文殊師利、坐千葉蓮花、大如車輪、俱來菩薩、亦坐寶蓮華、従於大海、婆竭羅龍宮、自然湧出、住虚空中(妙法蓮華経・提婆達多品)、

とあるように、

大海の底に娑竭羅(しやから)竜王の宮殿があって、縦広8万由旬(ゆうじゆん 1由旬は帝王1日の行軍里程)もあり、七重の宮牆(きゆうしよう)、欄楣(らんび)などはみな七宝をもって飾られている(長阿含経)、

とか、

海上に白銀、瑠璃、黄金の諸竜宮があって、毒蛇大竜がこれを守護しており、竜王がここに住み珍宝が多い(賢愚因縁経)、

などと説く(大言海・世界大百科事典)、

娑竭羅龍王(しゃからりゅうおう)の娘(第三王女)、

は、

善女(如)龍王、

と呼ばれ、

その年わずか八歳の竜少女、

とあり(妙法蓮華経・提婆達多品)、文殊師利菩薩はこの竜女は悟りを開いたと語るも、

智積菩薩はこれに対し、お釈迦様のように長く難行苦行をし功徳を積んだならともかく、僅か8つの女の子が仏の悟りを成就するとは信じられないと語った。また釈迦の弟子の舎利弗も、女が仏になれるわけがないと語った。

のに、

竜女はその場で法華経の力により即身成仏し、それまで否定されていた女子供でも動物でも成仏ができることを身をもって実証した、

とあるhttps://www.wdic.org/w/CUL/%E5%A8%91%E7%AB%AD%E7%BE%85%E9%BE%8D%E7%8E%8B%E3%80%82%E5%A5%B3

なお、

二十八部衆(にじゅうはちぶしゅう)、

は、

千手観音の眷属、

で、東西南北と上下に各四部、北東・東南・北西・西南に各一部ずつが配されており、合計で二十八部衆となる。

娑伽羅龍王(さがらりゅうおう)、

は、27番目に数えられているhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E5%8D%81%E5%85%AB%E9%83%A8%E8%A1%86

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
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2023年08月15日

頭陀


法華経持(たも)てばおのづから、戒香(かいかう)涼しく身に匂ひ、経には是名持戒、行頭陀者(づださ)と説いたれば、佛(ほとけ)の道には障(さわり)あらじ(梁塵秘抄)、

の、

是名持戒、
行頭陀者、

は、

法華経見宝塔品第十一の偈文、

であり、

此経難持
若暫持者
我即歓喜
諸仏亦然
如是之人
諸仏所歎
是則勇猛
是則精進
是名持戒
行頭陀者
則為疾得
無上仏道

云々とつづくhttp://www.kujhoji.or.jp/youten/sub14_2_09.htm

是戒を持ち 
頭陀を行ずる者と名く、

ということらしい(仝上)。

乞食」、「斗藪(とそう)」で触れたように、「頭陀(ずだ・づだ)」は、

梵語ドゥータ(dhūta)、

の音写、

洗い流すこと、
除き去ること、

が原意(本大百科全書)、

頭陀者、漢言抖擻、謂抖擻煩悩離諸滞着(四分律行事鈔)、

と、

抖擻(とそう)、

と訳し(抖擻はふるい落とす意)、

払い除くの意、

で、

頭陀此應訛也、正言杜多、譯云洮汰、言大灑也、舊云抖擻、一義也(玄應音義)、

と、玄奘(げんじょう)は、

杜多、

と当てた(仝上・大言海)。「頭陀」は、

頭陀支(ずだし)、
頭陀行(ずだぎょう)、

とも呼ばれ、

衣食住に対する欲求などの煩悩を取り除く、

意味でhttps://www.jstage.jst.go.jp/article/jeb1947/1980/129/1980_129_L88/_pdf/-char/ja

世尊爾時以此因縁集比丘僧、為諸比丘随順説法、無数方便讃歎頭陀端嚴少欲知足楽出離者(四分律)、

と、仏陀も頭陀行をすることを賞賛していた、とある(仝上)。上記、「十二頭陀」(じゅうにずだ)とは、

仏道修行者が守るべき衣食住に関する一二の基本的規律、

で、

衲衣(納衣 のうえ 人が捨てたぼろを縫って作った袈裟)・但三衣・常乞食・不作余食(次第乞食)・一坐食・一揣食・住阿蘭若処(あらんにゃ)・塚間坐・樹下坐・露地坐・随坐(または中後不飲漿)・常坐不臥の十二項目(顕戒論)、

とされる(精選版日本国語大辞典)が、

十二または十三の実践項目、

とし、

糞掃衣(ふんぞうえ 捨てられた布片を綴りあわせて作られた衣を着用する)、
但三衣(たんざんえ 三衣一鉢(さんえいっぱつ)、大衣・上衣・中着衣の三衣のみを着用する)、
持毳衣(じぜいえ 毛織物で作った衣のみを保持する)、
常乞食(じょうこつじき 托鉢乞食のみによって食物を得る)、
次第(しだい)乞食(行乞時には貧富好悪を選別せず、順次に行乞する)、
一食法(一日一食のみ食する)、
節量食(食を少なく、過食をしない)、
時後不食(食事の後で再び食事・飲み物を摂ってはいけない)、
阿蘭若住(あらんにゃじゅう 人里離れたところを住所とする)、
樹下坐(じゅげざ 樹の下を住所とする)、
露地坐(ろじざ 常に屋外を住所とする)、
塚間住(ちょうけんじゅう 塚墓つまり墓所の中やその近くを住所とする)、
随得敷具(ずいとくしきぐ 与えられたいかなる臥坐具(がざぐ)・住所も厭わず享受する)、
常坐不臥(じょうざふが 常に坐して横臥しない)、

などを挙げているhttp://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E9%A0%AD%E9%99%80。「頭陀支(ずだし)」は、

パーリ(上座部仏教)系では13支、
大乗系では12支、

を立てるとあり(日本大百科全書)、諸部派・大乗の文献で項目や配列に若干の相違があるようである(仝上)。

因みに、頭陀の修行者が常に携行する持ち物を、

頭陀十八物(ずだのじゅうはちもつ)、

といい、持ち物を入れるために首に掛ける袋を、

頭陀袋(ずだぶくろ)、

という(仝上)。これが転じて、死装束の一つとして、

首にかけて、死出の旅路の用具を入れる袋、

つまり、

僧侶の姿になぞらえて浄衣(経帷子きょうかたびら)を着せた遺体に、六文銭などを入れて首に掛ける。三衣袋(さんねぶくろ)と称して、血脈を入れることがある、

を頭陀袋と呼ぶ(仝上・広辞苑)。

ラオス・ルアンパバーンでの僧侶の托鉢.jpg

(ラオス・ルアンパバーンでの僧侶の托鉢 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%98%E9%89%A2より)

頭陀行(ずだぎょう)、

は、

乞食行(こつじきぎょう)、
行乞(ぎょうこつ)、

ともいうが、

托鉢(たくはつ、サンスクリットpindapata)

である。

信者の家々を巡り、生活に必要な最低限の食糧などを乞う(門付け)街を歩きながら(連行)又は街の辻に立つ(辻立ち)により、信者に功徳を積ませる修行、

となるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%98%E9%89%A2

「陀」 漢字.gif

(「陀」 https://kakijun.jp/page/da08200.htmlより)

「陀」(漢音タ、呉音ダ)は、

会意兼形声。「阜+音符它(タ 長くのびる)」、

とある(漢字源・角川新字源)。別に、

会意兼形声文字です(阝+它)。「段のついた土の山」の象形と「蛇(へび)」の象形(「蛇」の意味)から「蛇のように曲がりくねった険しい崖」を意味する「陀」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji2777.html

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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2023年08月16日

持戒


法華経持(たも)てばおのづから、戒香(かいかう)涼しく身に匂ひ、経には是名持戒、行頭陀者(づださ)と説いたれば、佛(ほとけ)の道には障(さわり)あらじ(梁塵秘抄)、

の、

持戒、

は、

持律、

ともいい、

仏教の戒律を堅く守ること、

である(精選版日本国語大辞典)。

智慧によって欲望を制御して、悪を行わないように自覚的に実践すること、

である(ブリタニカ国際大百科事典)。「四衆」で触れたように、世俗人が実践すべき戒としては、

不殺生、
不邪淫、
不偸盗、
不妄語、
不飲酒、

の、

五戒、

があるが、出家者(比丘、比丘尼)は、『四分律』で、

男性の修行者は250戒、女性は348戒、

あるとされる(精選版日本国語大辞典)。ただ、「戒」は、

サンスクリット語のシーラśīla、

の訳語で、

自ら心に誓って順守する、

徳目であるとされる(日本大百科全書)が、「シーラ」は、

習慣性、

を意味し、

自分にとって良い習慣を身につける、

というのが持戒の意味https://www.nichiren.or.jp/glossary/id57/とある。これによって悟りの彼岸に至ることを、

持戒波羅蜜、

という(百科事典マイペディア)とある。

六波羅蜜、

のひとつである。「六波羅蜜」については、「禅定」で触れたが、

波羅蜜(はらみつ)、

は、

サンスクリット語のパーラミター pāramitāの音写、

で、「六波羅蜜(ろくはらみつ)」は、

大乗仏教の求道者が実践すべき六種の完全な徳目、

布施波羅蜜(施しという完全な徳)、
持戒波羅蜜(戒律を守るという完全な徳)、
忍辱波羅蜜(にんにくはらみつ 忍耐という完全な徳)、
精進波羅蜜(努力を行うという完全な徳)、
禅定波羅蜜(精神統一という完全な徳)、
般若波羅蜜(仏教の究極目的である悟りの智慧という完全な徳)、

を指し、般若波羅蜜は、他の波羅蜜のよりどころとなるもの、とされる(仝上)。

持戒の対語が、

破戒、

である。なお、

戒香(かいこう)、

は、

持戒の人の徳が四方に影響することを、香の遠く匂うのにたとえた語、

である(広辞苑・精選版日本国語大辞典)。

「戒」 漢字.gif


「戒」 金文・西周.png

(「戒」 金文・西周 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%88%92より)

「戒」(漢音カイ、呉音ケ)は、

会意文字。「戈(ほこ)+両手」で、武器を手に持ち、用心して備えることを示す。張りつめて用心する意を含む、

とある(漢字源・角川新字源)。別に、

会意文字です(廾+戈)。「左右の手」の象形と「矛(ほこ)」の象形から、武器を両手にして「いましめる」を意味する「戒」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji1287.html

参考文献;
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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ラベル:持戒 持律 五戒
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2023年08月17日

作禮而去(さらいにこ)


法華経八巻(やまき)は一部なり、拡げて見たればあな尊(たうと)、文字毎に、序品第一より受學無學作禮而去(さらいにこ)に至るまで、讀む人聞くもの皆佛(梁塵秘抄)、

の、

作禮而去(さらいにこ)、

は、

法華経普賢菩薩勧発品第二十八、阿弥陀経等の経典の末尾にある句、

で、

礼(らい)を作(な)して去りにき、

と、

仏の説教が終わって聴衆が会場を退出するとき、教えに感謝し、仏に一斉に礼をして立ち去ること、

を意味する(広辞苑・https://www.kanjipedia.jp/kotoba/0002564500他)。仏教の経典は、

如是我聞も(是くの如ごとくく我聞きけり)、

に始まり、

作礼而去、

の語で終わるのが通例という。

法華経序品第一は、

如是我聞。一時。仏住。王舎城。耆闍崛山中、

と始まり(耆闍崛山(ぎしゃくせん)は霊鷲山(りょうじゅせん)のこと)、

法華経第二十八、普賢品の最後は、

佛説是經時
普賢等諸菩薩
舍利弗等諸聲聞
及諸天龍人非人等
一切大會皆大歡喜
受持佛語作禮而去、

でおわるhttps://www.kosaiji.org/hokke/kaisetsu/hokekyo/8/28.htm

受學無學、

は、

法華経第九の、

授学無学人記品、

を指しているhttps://www.kosaiji.org/hokke/kaisetsu/hokekyo/4/09.htm

白い蓮の花.jpg

(法華経 白蓮のように最も優れた正しい教え https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95%E8%8F%AF%E7%B5%8Cより)

法華経五の巻」で触れたように、法華経は、サンスクリット原典を、

サッダルマ・プンダリーカ・スートラSaddharmapundarīka-sūtra、

といい、

妙法蓮華経(みょうほうれんげきょう)の略称、

だが、原題は、

「サッ」(sad)は「正しい」「不思議な」「優れた」、「ダルマ」(dharma)は「法」、「プンダリーカ」(puṇḍarīka)は「清浄な白い蓮華」、「スートラ」(sūtra)は「たて糸:経」の意、

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95%E8%8F%AF%E7%B5%8C

白蓮華のごとき正しい教え、

の意となる(世界大百科事典)。

この漢訳は、

竺法護(じくほうご)訳『正(しょう)法華経』10巻(286)、
鳩摩羅什(くまらじゅう)訳『妙法蓮華経(みょうほうれんげきょう)』7巻(406)、
闍那崛多(じゃなくった)他訳『添品(てんぼん)妙法蓮華経』7巻(601)、

三種が存在する。『妙法蓮華経(みょうほうれんげきょう)』が最も有名で、通常は同訳をさす。詩や譬喩・象徴を主とした文学的な表現で、一乗の立場を明らかにし、永遠の仏を説く(日本大百科全書)とある。

ただ、現行の『妙法蓮華経』は「提婆達多品(だいばだったぼん)」を加えているが、羅什訳原本にも他書にもなく、それを除くと、すべてのテキストが27章からなる(仝上)とある。

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
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2023年08月18日

妙見大悲者


妙見(めうけん)大悲者は、北の北にぞおはします。衆生願(ねがひ)を満(み)てむとて、空には星とぞ見えたまふ(梁塵秘抄)、

の、

大悲者(だいひしゃ・だいひさ)、

は、

大慈悲者の意で、諸仏菩薩、特に観世音菩薩の称、

とあり(精選版日本国語大辞典・広辞苑)、

妙見大悲者、

は、

妙見菩薩(みょうけんぼさつ・めうけんぼさつ)、

である。

妙見菩薩、

の、

妙見、

は、

Su-dṛṣṭiの訳、

で、

優れた視力、

の意で、

善悪や真理をよく見通す者、

とされhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A6%99%E8%A6%8B%E8%8F%A9%E8%96%A9

北極星または北斗七星を神格化した菩薩、

で、

尊星(そんしょう)王、
妙見尊星王、
北辰(ほくしん)菩薩、
北斗妙見菩薩、

ともいう(https://www.reihokan.or.jp/syuzohin/hotoke/bosatsu/myoken.html・日本大百科全書)。インドで発祥した菩薩信仰が、中国で、

道教の北極星・北斗七星信仰と習合、

し、仏教の天部の一つとして日本に伝来したhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A6%99%E8%A6%8B%E8%8F%A9%E8%96%A9とされ、

国土を守り、災難を除去し、敵を退け、または人の寿命を延ばす福徳ある尊像、

とされる(日本大百科全書)。古来、

人間の一生は天文と関係していると考えられ、北半球では北斗七星がその中心とみなされていた。これは、北斗七星が人の善悪の行為をみて、これによって禍福を分け、死生を決めるものという、道教の思想から出たものと混交したものらしい、

とある(仝上)。

「菩薩」は、「薩埵」で触れたが、本来、

ボーディ・サットヴァ(梵語 bodhisattva)、

の音写で、

菩提を求める衆生、

の意で、

十界(じっかい 迷いと悟りの両界を分けたもの。迷界での地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界・人間界・天上界と、悟界における声聞界・縁覚界・菩薩界・仏界の称。あわせて六凡四聖(ろくぼんししょう)とも)、

では上位である、

四聖(仏・菩薩・縁覚・声聞)、

の一つだが、妙見菩薩は他のインド由来の菩薩とは異なり、中国の星宿思想から北極星を神格化したものであることから、形式上の名称は菩薩でありながら実質は、

大黒天や毘沙門天・弁才天と同じ天部、

に分類され(仝上)、

妙見菩薩は名前こそ「菩薩」ですが、事相(じそう・実践上の儀式)においては天部として扱われ、その点では特殊なほとけといえます、

とあるhttps://www.reihokan.or.jp/syuzohin/hotoke/bosatsu/myoken.html

「天部」というのは、仏教の尊像の4区分、

如来、菩薩、明王、天、

の第4番目にあたり、

諸天部、

ともいい、

インド古来の神が天と訳されて仏教に取入れられ、護法神となったもの、

で、

貴顕天部と武人天部、

があり、前者は、

梵天王、帝釈天、吉祥天、弁財天、伎芸天、鬼子母神(訶梨帝母)、大黒天、

後者は、

毘沙門天(多聞天)などの四天王や仁王、韋駄天、深沙大将、八部衆、十二神将、二十八部衆、

等々である(精選版日本国語大辞典・ブリタニカ国際大百科事典)。

妙見は、仏教では、

七仏八菩薩諸説陀羅尼神呪経(妙見神呪経 晋代失訳)、

に組み込まれhttps://www.ensenji.or.jp/contents/category/believe/

我北辰菩薩名曰妙見。今欲說神呪擁護諸國土。所作甚奇特故名曰妙見。處於閻浮提。眾星中最勝。神仙中之仙。菩薩之大將。光目諸菩薩。曠濟諸群生(我れ、北辰菩薩にして名づけて妙見と曰ふ。今、神呪を説きて諸の国土を擁護せんと欲す。所作甚だ奇特なり、故に名づけて妙見と曰ふ。閻浮提に処し、衆星中の最勝、神仙中の仙、菩薩の大将、諸菩薩の光目たり。広く諸群生を済ふ)

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A6%99%E8%A6%8B%E8%8F%A9%E8%96%A9

妙見菩薩は、北極星を神格化したものなので、

よく物を見、善悪を記録するとされる、

ため「妙見」の名があるとされ、

眼病治療、

を祈願するほか、常に北の空にあり、航海における道標ともなった北極星の化身ということもあり、

航海の安全、

を祈願したり、

国土を擁護して災いを除き、敵を退け、人の福寿を増す菩薩とされるhttps://www.reihokan.or.jp/syuzohin/hotoke/bosatsu/myoken.html。妙見菩薩を本尊とする、

尊星王法という修法、

は天台宗寺門派において最大の秘法とされる(仝上)とある。

妙見菩薩.jpg

(日輪・月輪・紀籍・筆を持つ四臂の尊星王(妙見) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A6%99%E8%A6%8B%E8%8F%A9%E8%96%A9より)


二臂の妙見菩薩.jpg


その姿は変化に富み、

二臂や四臂で龍や亀に乗るもの、
手のひらの上や蓮(はす)の上に北斗七星を置くもの、

の他、

俗形束帯像、
童子・童女形像、

もある(仝上)が、

一面四臂で二手に日と月とを捧(ささ)げ、二手に筆と紀籍(鬼籍)を持ち、青竜の上に乗る、

のが代表とされる(日本大百科全書)とある。

「妙」 漢字.gif

(「妙」 https://kakijun.jp/page/0768200.htmlより)

「妙」(漢音ビョウ、呉音ミョウ)は、

会意文字。少は「小+ノ(けずる)」の会意文字で、小さく削ることをあらわす。妙は「女+少」で、女性の小柄で細く、なんとなく美しい姿を示す。細く小さい意を含む、

とある(漢字源)。別に、

会意形声。女と、少(セウ→ベウ わかい)とから成り、年若い女、ひいて、美しい意を表す。また、杪(ベウ)・眇(ベウ)に通じて、かすかの意に用いる、

とも(角川新字源)、

会意兼形声文字です(女+少)。「両手をしなびやかに重ね、ひざまずく女性」の象形と「小さい点」の象形(「まれ・わずか」の意味)から、奥床しい女性(深みと品位がある女性)を意味し、そこから、「美しい」、「不思議ではかりしれない」を意味する「妙」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji1122.html

参考文献;
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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2023年08月19日

降魔の相


不動明王恐ろしや、怒(いか)れる姿に劔(けん)を持ち、索(さく)を下げ、後に火焔燃え上(のぼ)るとかやな、前には悪魔寄せじとて、降魔(がま)の相(さう)(梁塵秘抄)、

の、

降魔(がま)の相(そう)、

は、

がうまの相、

の、

がうまの転、

で、

ごうまの相、

とも訓み、

第六天の魔王、成道を妨げし時も、尺尊、一指をあげて、魔を降し、龍女成仏せし時も、陁羅尼(陀羅尼 だらに)をえつつ、甚深の秘蔵を悟りて、後、正覚を成りき(鎌倉時代の歌論「野守鏡」)、

と(「第六天の魔王」は、「天魔波旬」、「陀羅尼」は「加持」で触れた)、

釈迦が悟りを開こうとした時、欲界の第六天が悪魔の姿になって行なった妨害を降伏させた、そのときの姿をいう、

とあり(デジタル大辞泉)、

釈迦八相、

のひとつである(広辞苑)。そこから転じて、広く、

悪魔を降伏する相、

の意でも使い、例えば、

不動明王が悪魔を降伏させる時のような忿怒(ふんぬ)の形相(ぎょうそう)、

にもいう(仝上)。

降魔、

とは、

悪魔(煩悩の義)を降伏すること、

とあり(大言海)、

悪魔は身心を擾乱し、善法を障礙し、勝事を破壊し、智慧の命を奪うもの、之れを類別しては、三魔、四魔、十魔等の説あるも、要するに、心内の煩悩、心外の天魔、相応じて、修行者を逼迫するものなり、故に、仏道修行者は、必ずや禅定に住し、智慧力を以て之を対治、降伏して、亦、逼ることなからしめざるべからず、佛菩薩は衆生化益の為に、亦、定慧(禅定と智慧)の力を以て、之を降伏す、不動明王所持の劔の如きは、降魔の劔と称せらる、此れ降魔の相を標したるものなり、而して、釈迦仏、成道に當りての悪魔降伏の状は、最も壮烈を極め、八相成道の一相に數へたり、

とある(仝上)ように、

釈迦八相、

は、

釈尊の生涯における八つの主要な出来事のこと、

をいい、

八相成道(じょうどう)、
八相示現、
八相作仏(さぶつ)、

ともいうが、一般に、

降兜率(ごうとそつ 兜率天から下ったこと)、
託胎(母胎に入ったこと)、
降誕(母胎から出生したこと)、
出家、
降魔(ごうま 菩提樹下で悪魔を降伏させたこと)、
成道(じょうどう 悟りを得たこと)、
転法輪(てんぽうりん 説法・教化したこと)、
入滅(にゅうめつ 涅槃に入ったこと)、

の称とされる(精選版日本国語大辞典)が、

①処天宮 釈尊となるべき菩薩が自分の生まれるべき国や家族を観察したこと、
②入胎。托胎ともいい、白象となった菩薩が摩耶夫人の右脇より母胎に宿ったこと、
③現生。誕生のことで、摩耶夫人の右脇から生まれた菩薩が、七歩あゆみ「天上天下唯我独尊」と宣言したこと、
④出家。二九歳でこの世の善を求めて出家し、愛馬カンタカに乗り城を出て、修行生活に入ったこと、
⑤降魔。覚りを得る前に訪れた悪魔を征服したこと、
⑥成道。三五歳で正覚を得て、仏陀となったこと、
⑦初転法輪。サールナートで五比丘に説法をしたこと、
⑧入滅処。入滅のことで、八〇歳でクシナガラの沙羅双樹のもとで般涅槃したこと、

としたりhttp://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E5%85%AB%E7%9B%B8%E6%88%90%E9%81%93

①昇兜率、
②退来入胎、
③住胎中、
④出生、
⑤出家、
⑥成仏道、
⑦転法輪、
⑧般涅槃、

の八相(大乗義章)としたり(この場合、降魔がない)、八相として示される出来事には諸説あり(仝上)、

①昇兜率天、
②来下入胎、
③住胎、
④出生、
⑤童子相、
⑥娉妻相、
⑦出家相、
⑧成仏道相、
⑨転法輪相、
⑩般涅槃相、

の十相とするもの(無量寿経義疏)もある(仝上)。ただ、

八相成道、

といった場合、

特に成道を重視したものといえよう。仏はこれらを示すことで衆生を教化すると考えられている、

ということになる(仝上)。

ブッダ像.jpg


成道(じょうどう)、

とは、

道すなわち悟りを完成する、

意で、

悟りを開いて仏と成る、

ことであるから、

成仏、

と同じ意味であり、

得仏(とくぶつ)、
成正覚(じょうしょうがく)、

ともいう(日本大百科全書)。釈尊(しゃくそん)は、

35歳のときにブッダガヤの菩提樹(ぼだいじゅ)の下で覚(さと)り(無上正等覚、無上菩提)を開いてブッダ(覚者)となった、

と伝えられ、これを中国・日本では一般に成道とよぶ(仝上)とある。

なお、

釈尊の生涯から八場面を取り上げて図像化したもの、

を、

釈迦八相図、

と呼び、そこでは、主として、

誕生、成道、初転法輪、涅槃、の四相は必ず組み合わされ、それに前後の事跡を付加して増幅する、

とあるhttp://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E9%87%88%E8%BF%A6%E5%85%AB%E7%9B%B8%E5%9B%B3

また、

四魔(しま)、

とは、

人心を迷わせ死に至らせる四つのもの、

で、五蘊(ごうん)を、

五蘊魔(五陰魔また陰魔)、

煩悩を、

煩悩魔(ぼんのうま)、

死そのものを、

死魔、

死を克服しようとするものを妨げるものを、

天魔(他化自在天子魔)、

と呼んだもの(精選版日本国語大辞典・大言海)とある。

釈迦八相図 (2).jpg


参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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2023年08月20日

佉羅陀山(からだせん)


我が身は罪業重くして、終(つい)には泥犂(奈利 ないり)へ入りなんず、入りぬべし、佉羅陀山(からだせん)なる地蔵こそ、毎日の暁(あかかつき)に、必ず来りて訪(と)ふたまへ(梁塵秘抄)、

の、

佉羅陀山(からだせん)、

は、

Kharādiya、

の訳語で、

佉羅多山、

とも当て、

きゃらだせん、

とも訓ます(精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉)、

七金山、

の一つ。須彌山に近い山で、地蔵菩薩の住む所といわれる(仝上)。

須弥山の周囲.jpg


七金山(しちこんせん・しちこんぜん)、

は、須彌山(しゅみせん)を中心として、そのまわりをめぐっているといわれる、

七つの黄金でできた山、

を言い、

持双(じそう)山・持軸(じじく)山・檐木(えんぼく)山・善見(ぜんけん)山・馬耳(ばじ)山・象耳山(ぞうじ)・尼民達羅山(にみんだつら)、

を指す(仝上・https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A0%88%E5%BC%A5%E5%B1%B1)。別に、

持双山・持軸山・檐木山・善見山・馬耳山・障礙山・持地山(精選版日本国語大辞典)、

持双山・持軸山・檐木山・善見山・馬耳山・象鼻山・持辺山(デジタル大辞泉・広辞苑)、

ともあるのは、音訳のためかと思われる。

各山の間は、

淡水の香水海、

によって隔てられている(仝上)という。「須弥山」、「鐵圍山」で触れたように、須彌山(しゅみせん)を中心とし、鉄囲山(てっちせん)を外囲とし、の間にある、

持双山・持軸山・檐木山・善見山・馬耳山・象耳山・尼民達羅山、

の、

七金山を数えて、

九山、

とし、九山の間にそれぞれ大海があり、海は

七海が内海、

で、八功徳水をたたえ、

第八海が外海、

で、

鹵水(ろすい)海、

これらを、

九山八海(くせんはっかい)、

という(仝上)。この中の四方、東には、

半月形の毘提訶洲(びだいかしゅう、勝身洲)、

南に、

三角形の贍部洲(南洲あるいは閻浮提)、

西に、

満月形の牛貨洲(ごけしゅう)、

北に、

方座形の倶盧洲(くるしゅう)、

の四大陸が浮かび、南に位置する贍部洲(せんぶしゅう)は我々が住んでいる世界とされる(仝上)。

三千世界」、「須弥山」、「鐵圍山」については触れた。

須弥山図.jpg


参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
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書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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