佉羅陀山(からだせん)
我が身は罪業重くして、終(つい)には泥犂(奈利 ないり)へ入りなんず、入りぬべし、佉羅陀山(からだせん)なる地蔵こそ、毎日の暁(あかかつき)に、必ず来りて訪(と)ふたまへ(梁塵秘抄)、
の、
佉羅陀山(からだせん)、
は、
Kharādiya、
の訳語で、
佉羅多山、
とも当て、
きゃらだせん、
とも訓ます(精選版日本国語大辞典・デジタル…
生きるとは 位置を見つけることだ あるいは 位置を踏み出すことだ そして 位置をつくりだすことだ
位置は一生分だ 長い呻吟の果てに たどりついた位置だ その位置を さらにずらすことは 生涯を賭すことだ それでもなおその賭けに 釣り合う 未来はあるか