熊野へ参らむと思へども、徒歩(かち)より参れば道遠し、すぐれて山きびし、馬(むま)にて参れば苦(く)行にならず、空より参らむ羽(はね)たべ若王子(梁塵秘抄)、
の、
若王子(にゃくおうじ)、
は、
熊野の十二所権現の一つ。十一面観音の垂迹(すいじゃく)といわれる、
とある(日本国語大辞典)。『長秋記』長承三年(1134)の記事で、
若宮(わかみや)、
とあるのが本来の呼称らしいが、平安末期の『梁塵秘抄』には、
若王子、
とある(世界大百科事典)。平安中期から中世を通して繁栄した、
紀伊国の熊野三山(本宮(ほんぐう)、新宮(しんぐう)、那智(なち)の熊野三社)、
に祀(まつ)られた、
熊野十二所権現(くまのじゅうにしょごんげん)の一つ、
とされ、「若王子」、「若宮」のほか、
若一王子権現(にゃくいちおうじごんげん)、
若宮王子(わかみやおうじ)、
若女一王子(にゃくにょいちおうじ)、
などとも称し、三山ともその発祥を異にするらしいが、平安中期頃から神仏習合を表す本地垂迹(ほんじすいじゃく)説により、
本宮は家津御子神(けつみこのかみ 本地は阿弥陀如来)、
新宮は速玉大神(はやたまのおおかみ 本地は薬師如来)、
那智は牟須美神(むすびのかみ 本地は千手観音)、
の、
熊野三所権現、
と本地仏が祀られた(日本大百科全書)。平安後期までには、
若王子(本地は十一面観音)、
を中心とする、
五所王子(ごしょおうじ)、
と、一万眷属を含む、
四所宮(ししょみや)、
の、
熊野十二所権現、
が成立したとされる(仝上)。つまり、
三所権現、
が、
証誠殿(本地阿彌陀)・新宮(本地薬師)・那智(本地千手観音)、
五所王子、
が、
小守の宮(本地聖観音)・児の宮(本地如意輪観音)・聖の宮(本地龍樹)・禅師の宮(本地地蔵)・若王子(本地十一面観音)、
四所明神が、
一万の宮(本地普賢)または十万の宮(本地文殊)・勧請十五所(本地釈迦牟尼)・飛行夜叉(本地不動)・米持金剛童子(毘沙門天)、
の一二の権現を、
十二所権現(じゅうにしょごんげん)、
という(精選版日本国語大辞典)。
室町時代の意義分類体の辞書『下學集』には、
熊野権現、證誠殿、本地阿弥陀、両所権現者、薬師観音、若一王子者、施畏大士(だいじ)、號曰日本第一霊験熊野三所権現、
とある。
若王子、
は、三所権現に次ぐ位置を占め、
五所王子の第一、
に置かれ、
本宮・新宮では第四殿、
那智では第五殿、
に祀られる(仝上)。祭神は、
天照大神、
または、
伊邪那岐命、
で、
十一面観音の垂迹(すいじゃく)、
といわれる(精選版日本国語大辞典)。
(十一面観音(心覚撰『別尊雑記』(平安時代)より https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E4%B8%80%E9%9D%A2%E8%A6%B3%E9%9F%B3より)
また、京都から熊野への参詣路である、
熊野街道、
のうち、
窪津(くぼつ、大阪市中央区)から熊野三山までの各拝所、
に、
若王子
または
若一王子、
が配され、中世後期までには熊野九十九王子(熊野王子)と総称されるようになった(仝上)とある。
(若王子神社 広辞苑より)
若王子、
というと、京都市左京区にある神社、
若王子(にゃくおうじ・にゃこうじ)神社、
を指したりするが、これは、
後白河天皇が京都白川に熊野三所権現を勧請(かんじょう)した際、那智(なち)の分社として建立した。祭神は天照大神・伊弉諾尊、
とあり(広辞苑)、
白川熊野、
とよばれ、全国の具足屋の信仰をあつめ(日本人名大辞典+Plus)、
若王寺、
とも記された(世界大百科事典)。
熊野三山、
は、
熊野三所権現、
三熊野、
ともいい、熊野に鎮座する、
熊野本宮(ほんぐう)大社(旧称は熊野坐(にます)神社、通称は本宮)、
熊野速玉(はやたま)大社(旧称は熊野早玉神社、通称は新宮)、
熊野那智(なち)大社(旧称は飛滝権現(ひろうごんげん)、熊野夫須美(ふすみ)神社、熊野那智神社、通称は那智山)、
の総称、中古、
僧徒の掌る所となり、盛んに、本地垂迹説を唱へて、本宮を證誠殿(しょうじやうでん)と称し、新宮を両所権現と称し、那智と併せて、熊野三所権現、また熊野(ゆや)権現と称す、後に、末社の神、若王子、禅師宮、聖宮、兒宮、子守宮など、凡そ、九所を加へて十二所権現とす、熊野より出す、牛王(ゴワウ)寶印と云ふもの、名高し、
とある(大言海)。「牛王」については触れた。
(熊野那智大社の牛王宝印(烏牛王、「おからすさん」などともいわれる。熊野神の使令であるカラスを配したこの護符は、古来、熊野権現の信仰を伝える) 日本大百科全書より)
平安初期に新宮・本宮を中心に修験(しゅげん)道場が開かれ、延喜(えんぎ)年間(901~23)にさらに那智が加えられ、この3社が知られ、11世紀末の永保(えいほう)・応徳(おうとく)年間(1081~87)ころ、
熊野三山、
の呼称が一般となり、
本宮の本地阿弥陀如来、
新宮の本地薬師如来、
那智の本地観音菩薩、
を一体とした
熊野信仰、
が発達した(日本大百科全書)とある。
熊野三山の主祭神、
は、本宮の主神は、
家都御子大神(けつみこのおおかみ)、
家都美御子大神(けつみみこのおおかみ)、
とも言い、
素戔嗚尊、
に当てられており、新宮の主神は、
熊野速玉大神(くまのはやたまのおおかみ)と熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)の2神、
熊野速玉大神、
は、
伊邪那岐、
に当てられ、那智の主神は、
熊野夫須美(ふすみ)大神、
で、
伊弉冉尊
に当てられている(マイペディア・ https://www.mikumano.net/nyumon/kami.html)。
なお、補陀落で触れたように、三山は、本地垂迹思想により、阿弥陀浄土と信じられ、妣(はは)の国、常世(とこよ)の国への通路とも、また補陀落(ふだらく)浄土(観音浄土)とも信じられた(仝上)。
(熊野速玉大社(くまのはやたまたいしゃ) https://www.shinguu.jp/kumanokodo1より)
(熊野本宮大社(くまのほんぐうたいしゃ) https://www.shinguu.jp/kumanokodo1より)
(熊野那智大社(くまのなちたいしゃ) https://www.shinguu.jp/kumanokodo1より)
参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
乾克己他編『日本伝奇伝説大辞典』(角川書店)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95