神の家の小公達(こきんだち)は、八幡(やわた)の若宮熊野の若王子子守御前(こもりおまえ)、比叡(ひえ)には山王十禅師、賀茂には片岡貴船の大明神(梁塵秘抄)、
の、
山王十禅師(じゅうぜんじ)、
は、
日吉山王(ひえさんのう)七社権現の一つ、
であり、
国常立尊(くにとこたちのみこと)を権現と見ていう称、
とあり、
瓊々杵尊(ににぎのみこと)から数えて第十の神に当たり、
地蔵菩薩、
の垂迹(すいじゃく)とする(精選版日本国語大辞典)とある。
僧形あるいは童形の神、
とされた。現在は、
樹下神社、
と称し、祭神は、
鴨玉依姫(かもたまよりびめの)和魂(にぎたま)、
とある(仝上)。
瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を権現とみていう称、
ともある(デジタル大辞泉)のは、
国常立尊(くにのとこたちのみこと)、
から数えて第十の神にあたるからである。つまり、『日本書紀』本書によれば、天地開闢の最初に現れた
国常立尊(くにのとこたちのみこと)、
国狭槌尊(くにのさつちのみこと)、
豊斟渟尊(とよくむぬのみこと)、
泥土煮尊(ういじにのみこと)・沙土煮尊(すいじにのみこと)、
大戸之道尊(おおとのぢのみこと)・大苫辺尊(おおとまべのみこと)、
面足尊(おもだるのみこと)・惶根尊(かしこねのみこと)、
伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉冉尊(いざなみのみこと)、
の十一柱七代の神を、
神世七代、
とし、
天照大神(あまてらすおおみかみ)、
天忍穗耳尊(あめのおしほみみのみこと)、
瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)、
火折尊(ほのおりのみこと)、
鸕鶿草葺不合尊うがやふきあわせずのみこと)、
を、
地神五代(ちじんごだい)、
といい、
瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)
が、十代に当たるからである(日本書紀)。
瓊瓊杵尊、
火折尊、
鸕鶿草葺不合尊、
の3柱の神々を、
日向三代、
といい、
鸕鶿草葺不合尊
と
玉依姫命
の間に生まれたのが、
磐余彦尊(いわれびこのみこと)、
つまり、
神武天皇、
ということになる(日本書紀)。
ちなみに、
山王七社権現(さんのうしちしゃごんげん)は、現在、
本宮
一宮・西本宮(祭神 大己貴神 旧称・大宮法宿権現(大比叡) 本地釈迦如来)
二宮・東本宮(祭神 大山咋神 旧称・地主権現(小比叡) 本地薬師如来)
摂社
三宮・宇佐宮(祭神 田心姫神 旧称・聖真子(しょうしんじ)権現 本地阿弥陀如来)
四宮・牛尾神社(祭神 大山咋神荒魂 旧称八王子(やおうじ 牛尾)宮 本地千手観音)
五宮・白山姫神社(祭神 白山姫神 旧称客人(まろうど)権現 本地十一面観音)
六宮・樹下神社(祭神 鴨玉依姫命(大山咋神の妃) 旧称十禅師(じゅうぜんじ)権現 本地地蔵菩薩)
七宮・三宮神社(祭神 鴨玉依姫神荒魂 旧称三宮(みぐう)宮 本地普賢菩薩)
とある(http://tobifudo.jp/butuzo/san7sha/index.html)。
地蔵菩薩、
については、「六道能化」で触れたが、
はじめ三日の本尊には、来迎の阿彌陀の三尊、六道のうけの地蔵菩薩(曾我物語)、
われはかの入道(結城上野介入道道忠)が今度上洛せし時、鎧の袖に書きたりし六道能化(ろくどうのうげ)の主(あるじ)、地蔵薩埵にて候なり(太平記)、
などとある、
六道のうけ、
六道能化の主、
とあるのは、
六道衆生を能く教化する地蔵菩薩、
の意で、
六道能化、
自体が、
六道にあって衆生を教化する者、
の意、つまり、
地蔵菩薩の異称、
とされ(広辞苑)、
五濁(ごじょく)の悪世において救済活動を行う菩薩、
である。
地蔵菩薩(じぞうぼさつ)は、
忉利天(とうりてん、三十三天 須弥山の上にある)に在って釈迦仏の付属を受け、釈迦の入滅後、5億7600万年後か56億7000万年後に弥勒菩薩が出現するまでの間、現世に仏が不在となってしまうため、その間、六道すべての世界(地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人道・天道)に現れて衆生を救う菩薩、
であるとされる(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E8%94%B5%E8%8F%A9%E8%96%A9)。
「地蔵」は、
サンスクリット語クシティ・ガルバKiti-garbha、
の、
大地を母胎とするもの、
の意で、
一切衆生(いっさいしゅじょう)に仏性(ぶっしょう)があるという如来蔵(にょらいぞう)思想と関連し、大乗仏教の比較的後期に現れた、
とされ、『地蔵菩薩本願経(ほんがんきょう)』に、
仏になることを延期して、菩薩の状態にとどまり、衆生の罪苦の除去に携わることを本願とした、
とある。
(国宝・木造地蔵菩薩立像(法隆寺大宝蔵院) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E8%94%B5%E8%8F%A9%E8%96%A9より)
しばしば比丘(びく 修行者)の姿をとり、剃髪(ていはつ)し、錫杖(しゃくじょう)と宝珠(ほうしゅ)を持つ。天上から救済活動を行う他の仏、菩薩と違い、自ら六道を巡る菩薩、
である(日本大百科全書)。地蔵信仰は、
平安朝末から中世にかけて民間信仰として普及し、堂宇に祀(まつ)るだけでなく、道の辻、橋のたもとなどに石像を立てて祀るようになった、
とされ、今日民間における地蔵信仰では、
子育て地蔵、子安(こやす)地蔵、夜泣き地蔵、乳貰(もら)い地蔵、田植地蔵、鼻取り地蔵、いぼ取り地蔵(縛り地蔵)、雨降り地蔵、雨止(や)み地蔵、親子地蔵、腹帯地蔵、雨降地蔵、お初地蔵、とげぬき地蔵、勝軍地蔵、延命地蔵、
等々、何々地蔵とよばれるものが100以上にも及ぶといい(仝上)、各地にある、
六地蔵、
は、上述の六道の衆生を済度するというのに因み、六道のそれぞれにあって、典籍によって名称は異なるが、
檀陀(だんだ 地獄道を教化する)、
宝珠(ほうじゅ 餓鬼道を教化する)、
宝印(ほういん 畜生道を教化する)、
持地(じじ 阿修羅道を教化する)、
除蓋障(じょがいしょう 人間道を教化する)、
日光(にっこう 天道を教化する)、
の六種の地蔵をいう、とある(広辞苑・精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉)。
参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95