2023年09月11日

浄名居士


毘舎離(びさり)城に住(おう)せりし、淨名居士(こじ)の御室(みむろ)には、三萬二千の床立てて、それにぞや、十方の佛は居たまひし(梁塵秘抄)、

十方(じっぽう)、

は、「四句の偈」で触れたように、

東・西・南・北の四方、

と、

艮(うしとら=北東)、巽(たつみ=東南)、坤(ひつじさる=南西)、乾(いぬい=西北)の四隅(四維(しゆい・しい)とも)、

と、さらに、

上・下を合わせた称(精選版日本国語大辞典)をいい、

あらゆる方角、場所、

つまり、

あらゆる世界

の意で、

十方世界、

という。仏教で、

十方三世(じっぽうさんぜ)とは、

過去、現在、未来にわたるあらゆる時間とあらゆる空間、

を意味し、大乗仏教では、われわれの住む、

娑婆(しゃば)世界、

のほかに、十方に無量の世界、すなわち、

十方世界、

があり、そこには一世界に一仏の割合で三世にわたって無数の仏が出現すると説き(日本大百科全書)、

十方三世の諸仏、

という(仝上)。

維摩居士.jpg


浄名(じょうみょう)居士、

は、

Vimala-kīrtiビマラキールティ)の訳語、

「浄」は清浄、「名」は名声、

の意で、音訳、

維摩詰(ゆいまきつ)、
維摩羅詰、
毘摩羅詰利帝、

の意訳名、

浄名、
無垢称(むくしょう)、

とも漢訳される(仝上)。「居士」は、中国では、

学徳高くして仕官していない人(処士)、

をいうが、仏教では、

サンスクリット語のグリハ・パティgha-pati、

の訳、

迦羅越(からおつ)、
疑叨賀鉢底(げとうがぱってい)、

と音写し、

家主、
長者、
在家、

と訳す。また、

クラ・パティKula-pati(家族の長)、

の訳でもあり、

在家(ざいけ)の男子で仏教に帰依(きえ)して受戒し仏法を求める徳行ある者、

をいう。インドでは、とくに四姓のなかでは商工を業とする、

毘舎(バイシャVaiśya。第三の庶民階級)の富豪、

をいう(日本大百科全書)。『今昔物語』巻3第1話「天竺毗舎離城浄名居士語」で、

今昔、天竺の毗舎離((びしゃり)城の中に浄名居士と申す翁在ましけり。此の人の居給へる室は、広さ方丈也。而るに、其の室の内に、十方の諸仏来り集り給て、為に法を説き給へり。各、無量無数の菩薩、聖衆を引具し給て、彼の方丈の室に、各微妙に荘厳せる床を立てて、三万二千の仏、各其の床に坐し給て、法を説き給ふ。無量無数の聖衆、各皆随へり。
亦、居士も御まして、法を聞き給ふ。而るに、室の内に猶所有り。此れ、浄名居士の不思議の神通の力也。然れば、仏(釈迦)の、室をば、「十方の浄土に勝たる、甚深不思議の浄土也」と説き給ひけり。
亦、此の居士は、常に病の筵に臥して病給ふ。其の時に、文殊、居士の室に来り給て、居士に申し給はく、「我れ聞けば、居士、常に病の筵に臥して、悩給ふと。然らば、其れ何なる病ぞ」と。居士、答て宣はく、「我が病は、此れ一切の諸の衆生の煩悩を病也。我れ、更に外の病無し」と。文殊、此の事を聞き給て、歓喜して還り給ひぬ。
亦、居士、年八十有余に在して、行歩に安からずと云へども、「仏の法を説き給へる所に詣でむ」と思て、詣で給へり。其の道の間、四十里也。既に、居士、仏の御許に歩み詣で給て、仏に申して言さく、「我れ、年老て、歩みを運ぶに堪へずと云へども、法を聞かむが為めに、四十里の道を歩び詣たり。其の功徳は何許(いかばかり)ぞ」と。
仏、居士に答へて宣はく、「汝、法を聞むが為に来れり。其の功徳、無量無辺ならむ。汝が歩む足の跡との土を取りて、塵と成して、其の塵の数に随へて、一の塵に一劫を宛てて、其の罪を滅せむ。亦、命の永からむ事、其の塵と同じからむ。亦、仏に成らむ事、疑ひ無からむ。凡そ、此の功徳、量無し」と説き給ければ、居士、此の事を聞き給て、歓喜して還り給ひぬ。法を聞かむが為に詣でたる功徳、此の如き也となむ、語り伝へたるとや。

とあるように、維摩は、

バイシャーリーの富裕な在家(ざいけ)の仏教信者(居士)で、すでに菩薩(ぼさつ)としての実践を完成していた。釈迦が近くに滞在し説法をしていたが、彼は病にかかり参席できなかった。釈迦は弟子たちに見舞いに行くようにいったが、みんな維摩に議論を吹きかけられて負かされた経験があるため辞退した。結局智慧の優れた文殊菩薩が見舞いの代表となり、維摩の居室(方丈)を訪ね、病気の問題などを発端として仏教の真理について議論が闘わされる。そのとき、文殊は垢(よごれ)と浄(きよ)らかさは究極的に不二(ふに)、無言無説であるとことばで表現したのに、維摩は沈黙でもってそれを示したとされる、

とあり(日本大百科全書)、これを、

維摩の一黙、

という(仝上)とか。維摩は在家者でありながら、

空(くう)思想を実践する理想的な菩薩、

として、中国・日本の禅宗においてとくに重要視されている(仝上)。で、中国では、禅が盛んになると、

居士、

と称する人が増え、白居易などもその一人とされ、中国では、

仕官を求めない、
裕福、
無欲で徳を積む、
道を守り自ら悟る、

の4項目を満足する人を、

居士、

としたhttp://tobifudo.jp/newmon/name/koji.htmlとある。

木造維摩居士坐像.jpg

(木造維摩居士坐像(興福寺東金堂) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B6%AD%E6%91%A9%E5%B1%85%E5%A3%ABより)

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 03:31| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする