耆闍崛山(ぎじゃくっせん)
浄飯王帚を持ち、耆(き)闍崛山(せん)には聖者(そうじゃ)居りとかやな、五臺山の深きより、一乗となつて出でたまふ(梁塵秘抄)、
の、
耆闍崛山、
は、
きじゃくっせん、
とも訓ませ、
サンスクリット語 Gṛdhrakūṭa、
の音写
祇闍崛山、
とも移されるが、
霊鷲山(りょうじゅせん)、
鷲峰山(じゅほうせん・じゅぶせん)、
…
生きるとは 位置を見つけることだ あるいは 位置を踏み出すことだ そして 位置をつくりだすことだ
位置は一生分だ 長い呻吟の果てに たどりついた位置だ その位置を さらにずらすことは 生涯を賭すことだ それでもなおその賭けに 釣り合う 未来はあるか