釈迦の月は隠れにき。慈氏の朝日はまだ遥かなり、そのほど長夜の闇(くら)きをば、法華経のみこそ照らいたまへ(梁塵秘抄)
の、
慈氏、
とは、
捨身他世、昇於天上、見慈氏尊、得三菩提(「大日本国法華経験記(1040~44)」)、
と、
慈氏尊、
とも、
正念にして慈氏菩薩を念じ奉り給ふ間(今昔物語)、
と、
慈氏菩薩、
ともいい、梵語、
Maitreya(マイトレーヤ)、
の訳、梵語、
Maitrī、
慈しみ、
を語源とし(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%A5%E5%8B%92%E8%8F%A9%E8%96%A9)、
慈悲深い、
の意であり、
Maitreya、
音写、
彌勒、
つまり、
彌勒菩薩の異称、
である(精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉)。別に、
クシャーナ朝下で用いられた言語でミイロはイランの太陽神ミスラMithraに由来し、したがってベーダの契約神ミトラMitraと関連する。インド仏教徒はMiiroをMitraに還元し、mitraが友を意味し、派生語maitreyaが〈友情ある〉を意味することから、弥勒を〈慈氏〉(Maitreyaの意訳語)ととらえたものと思われる、
ともある(世界大百科事典)。
今為彌勒雖無可慊。為文殊有妨。猶不欲顕彼時答問(「法華義疏(7C前)」)、
と、
彌勒、
ともいい、
彌勒慈尊、
彌勒天、
彌勒龍樹、
という呼び方もする(精選版日本国語大辞典)。
(彌勒菩薩 精選版日本国語大辞典より)
「彌勒」は、「出世」で触れたように、
釈迦牟尼仏に次いで仏になると約束された菩薩、
で、
於是衆生。歴年累月。蒙教修行。漸漸益解。至下於王城始発中大乗機上、称会如来出世之大意(法華義疏)、
と、
兜率天(とそつてん)に住し、釈尊入滅後56億7千万年後この世に下生(げしょう)して、龍華三会(りゅうげさんね)の説法によって釈尊の救いに洩れた衆生をことごとく済度するために出世する(衆生済度のため世界に出現する)、
未来仏、
とされる(広辞苑)。
下生のときにはすでに釈迦仏の代りとなっているので菩薩ではなく仏となっており、そのために、
将来仏、
当来仏、
とも呼ばれる(ブリタニカ国際大百科事典)。
「兜率天」は、かつて釈迦がここにいて、ここから下界へ下ったが、
六欲天の第四なり、須弥山の頂上十二万由旬に在り、摩尼宝殿又兜率天宮なる宮殿あり、無量の諸天之に住(画題辞典)、
し、
内外二院あり(広辞苑)、内院は、
将来仏となるべき菩薩が最後の生を過ごし、現在は弥勒(みろく)菩薩が住む、
とされ、
弥勒はここに在して説法し閻浮提に下生成仏する時の来るのを待っている、
とされている(仝上)。日本ではここに四十九院があるという。外院は、
天人の住所、
である(広辞苑)。
六欲天の第四、
というのは、
欲界(kāma‐dhātu)、
色界(rūpa‐dhātu)、
無色界(ārūpa‐dhātu)、
の三種に分類した、
三界、
のひとつである「欲界」が、
他化自在天(たけじざいてん) 欲界の最高位。六欲天の第6天、天魔波旬の住処、
化楽天(けらくてん、楽変化天 らくへんげてん)六欲天の第5天。この天に住む者は、自己の対境(五境)を変化して娯楽の境とする、
兜率天(とそつてん、覩史多天 としたてん) 六欲天の第4天。須弥山の頂上、12由旬の処にある、
夜摩天(やまてん、焔摩天 えんまてん) 六欲天の第3天。時に随って快楽を受くる世界、
忉利天(とうりてん 三十三天 さんじゅうさんてん)六欲天の第2天。須弥山の頂上、閻浮提の上、8万由旬の処にある。帝釈天のいる場所、
四大王衆天(しだいおうしゅてん、四天王の住む場所) 六欲天の第1天。持国天・増長天・広目天・多聞天の四天王がいる場所、
からなる(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AD%E6%AC%B2%E5%A4%A9・精選版日本国語大辞典)、六欲天の、
第四天、
である。
「兜率天」は、
夜摩天の上にあり、この天に在るもの五欲の境に対し、喜事多く、聚集して遊楽す、故に喜楽集とも訳し、又兜卒天宮とは、此の兜率天にある摩尼宝殿をいふ、また三世法界宮ともいふ、この天に内院外院の二あり、外院は定寿四千歳にして内院にはその寿に限なく火水風の二災もこれを壊すこと能はざる浄土である、この内院にまた四十九院あり、補処の菩薩は弥勒説法院に居す、余の諸天には内院の浄土なく兜率には内院の浄土ありと『七帖見聞』に説かれている、
とあり(仏教辞林)、この天の一昼夜は、
人界の四百歳に当たる、
という(精選版日本国語大辞典)。この天は、
下部の四天王、忉利天、夜摩天三つの天が欲情に沈み、
また反対に、
上部の化楽天・他化自在天の二天に浮逸の心が多い、
のに対して、
沈に非ず、浮に非ず、色・声・香・味・触の五欲の楽において喜足の心を生ずる、
故に、弥勒などの、
補処の菩薩、
の止住する処となる(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%9C%E7%8E%87%E5%A4%A9)。七宝で飾られた四九重の宝宮があるとされる、
兜率天の内院(ないいん)、
は、
一生補処(いっしょうふしょ)の位、
にある菩薩が住むとされ、かつて釈迦もこの世に現れる前世に住し(釈迦はここから降下して摩耶夫人の胎内に宿り、生誕したとされている)、今は弥勒菩薩が住し、法を説く(仝上)とされ、日本では古くよりこの内院を、
彌勒菩薩の浄土、
つまり、
兜率浄土、
と見てきた(仝上・ブリタニカ国際大百科事典)。因みに、上記の、
補処(ふしょ)、
とは、
一度だけ生死の迷いの世界に縛られるが、次の世には仏となることが約束された菩薩の位、
をいい(精選版日本国語大辞典)、
補処の彌勒、
というように、特に、
彌勒菩薩、
にいう(仝上)。
なお、弥勒の兜率天での寿命が、
4000年、
とされ、兜率天の1日は地上の、
400年、
に匹敵するという説から、下生までに、
4000年×12ヶ月×30日×400年=5億7600万年かかるという計算になるはずだか、後代、
5億7600万年、
が、
56億7000万年、
に入れ替わったと考えられている(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%A5%E5%8B%92%E8%8F%A9%E8%96%A9)。
弥勒菩薩を本尊とする信仰である、
弥勒信仰(みろくしんこう)、
は、死後、
弥勒の住む兜率天(とそつてん)へ往生しようとする上生(じょうしょう)思想、
と、
仏滅後、
五六億七千万年ののち、再び弥勒がこの世に現れ、釈迦の説法にもれた衆生を救うという下生(げしょう)思想、
の二種の信仰から成り、
インドに始まり、日本には推古朝に伝来し、奈良・平安時代には貴族の間で上生思想が、戦国末期の東国では下生思想が特に栄えた、
とある(大辞林)。その、
弥勒菩薩が兜率天(とそつてん)から天降って人間世界に現れ、衆生(しゅじよう)を救うという未来の世、
を、
弥勒の世、
といい、釈迦入滅後、五六億七千万年後の、弥勒菩薩がこの世に現れ、竜華樹の下で衆生教化の説法をする時を、
弥勒竜華の朝(みろくりゅうげのあした)、
といい(広辞苑・大辞林)、そのとき、
華林園の竜華樹下で説法するという会座、
を、
竜華会(りゅうげえ)、
といい、3回にわたって行うので、
竜華三会(りゅうげさんえ・りゅうげさんね)、
弥勒三会(みろくさんえ・みろくさんね)、
という(仝上)。「三会」については触れた。
弥勒菩薩の住する浄土は、
兜率天(とそつてん)、
だが、
阿弥陀仏の西方極楽浄土、
と共に浄土思想の二大潮流をなしている。
参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95