諾楽の京の越田の池の南、蓼原の里の中の蓼原堂に、薬師如来の木像在り(日本霊異記)、
の、
薬師如来(やくしにょらい)、
は、
薬師瑠璃光如来、
薬師瑠璃光仏、
薬師仏、
薬師、
善逝(ぜんせい)、
ともいい、
東方の浄瑠璃世界の教主、
とされ、薬師経(薬師瑠璃光如来本願功徳経)に、
彼世尊薬師瑠璃光如来、本行菩薩道時、發十二大願、令諸有情所求皆得、
と、菩薩であったとき、
12の大願、
を発して成就し、
衆生(しゅじょう)の病苦を救い、無明の痼疾(こしつ)を癒すという如来、
である(広辞苑)。
日光菩薩、
月光(がっこう)菩薩、
を脇侍として三尊をなし、
十二神将、
を眷属(けんぞく)とする(仝上)。「如来」については触れた。
十二神将(じゅうにしんしょう)、
は、「深沙大王」で触れたように、
十二薬叉大将(じゅうにやくしゃだいしょう)、
十二神王、
ともいい、
薬師如来の名号を聞いて仏教に帰依し、薬師経を受持する者や読誦する者を守護し、願いを遂げさせるという12の大将、
で、
薬師如来(やくしにょらい)の12の眷属(けんぞく または分身)で、8万4000あるうちの上首に位置する、
とされ(日本大百科全書)、その出現のようすは、
薬師如来の12の大願に順応して現れる、
といい、
宮毘羅(くびら)、
伐折羅(ばさら)、
迷企羅(めいきら)、
安底羅(あんちら)、
摩儞羅(まにら)、
珊底羅(さんちら)、
因陀羅(いんだら)、
婆夷羅(ばいら)、
摩虎羅(まこら)、
真達羅(しんだら)、
招杜羅(しょうとら)、
毘羯羅(びから)
の大将で、いずれも憤怒形で、名称は『薬師経』に、身色や持ち物は『七仏本願経儀軌供養法(しちぶつほんがんきょうぎきくようほう)』に基づく(仝上)という。梵語では、例えば、
伐折羅、
は、
ヴァジュローマハーヤクシャセーナパティ、
であり、
ヴァジュラ(という神格の)偉大なヤクシャの軍の主、すなわち大夜叉将軍=神将、
と意訳される。元々は、
夜叉であったが、仏と仏法の真理に降伏し善神となって仏と信者を守護する、
とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E4%BA%8C%E7%A5%9E%E5%B0%86・精選版日本国語大辞典)。
薬師如来、
の像は、
左手に薬壺または宝珠を持ち、右手に施無畏(せむい)の印を結ぶ、
のを通例とし(精選版日本国語大辞典)、古くは通常の、
如来形(にょらいぎょう)、
に造られた(広辞苑)、とある。
菩薩形(ぼさつぎょう)、
が、
釈迦の出家以前の姿が基本にあるので、インドの当時の貴族の形容、
で(精選版日本国語大辞典)、
胸、腕、頭が多くの装飾品、
で飾られている(https://seihou8.sakura.ne.jp/art/kouza/002.html)のに対して、
如来形(にょらいぎょう)、
は、
悟りに至った釈迦の姿を基本、
としてつくられ、如来の特徴である、
仏相三十二相八十種、
にそった表現がされる(https://seihou8.sakura.ne.jp/art/kouza/001.html)。本来は、釈迦仏に限られていたが、やがて過去仏や千仏の思想を生み、大乗仏教では、
阿弥陀、阿閦(あしゆく)、薬師、毘盧遮那(びるしやな)、大日(だいにち)、
等々の仏陀(如来ともいう)が考え出されていく(世界大百科事典)。なお、
仏相三十二相八十種、
は、「鳥瑟」、「白毫」でも触れた。
東方の浄瑠璃(じょうるり)世界の仏、
とされる、
薬師如来、
は、サンスクリット語、
バイシャジュヤグルBhaiajyaguru、
の訳、正確には、
薬師瑠璃光如来(にょらい)、
といい、
大医王、
医王善逝(いおうぜんぜい)、
とも呼ばれる(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%96%AC%E5%B8%AB%E5%A6%82%E6%9D%A5・日本大百科全書・ブリタニカ国際大百科事典)。菩薩としての修行時代に、
12の本願、
を立て、それが達成されないかぎり仏にならないと誓った。その本願とは衆生の病気をなおして災難をしずめ、苦しみから救う、というもので、それが、
薬師如来、
の名の起源となった(仝上)。大乗仏教における信仰対象である如来の一尊で、かつては、現世利益を与える仏として、
朝観音・夕薬師、
といわれるほど庶民に信仰され(広辞苑)、民間では、
眼病などの治療に効験がある、
と信じられていた(日本大百科全書)。
十二の本願(誓願・大願)、
は、
自身の光明照耀(こうみょうしょうよう)に依って、一切衆生をして三十二相八十随形(ずいぎょう)を具せしむるの願(衆生をことごとく薬師如来のごとくにすること)、
衆生の意に随うて光明を以て種々の事業を成弁せしむること(迷いの衆生をすべて開暁(かいぎょう)させること)、
衆生をして欠乏を感ぜしめず、無尽の受用を得せしむること(衆生の欲するものを得させること)、
邪道を行ずる者を誘引して皆な菩提道に入らしめ、大乗の悟りを開かしむること(衆生をすべて大乗に安立させること)、
衆生をして梵行を修して清浄なることを得、決して悪趣に堕せしめざること(三聚戒(さんじゅかい)を備えさせること)、
六根具足して醜陋(しゅうろう)ならず、身相端正(しんそうたんせい)にして諸の病苦なからしむること(いっさいの障害者に諸根を完具させること)、
諸病悉除(いっさいの衆生の病を除くこと)、
女(にょ)を転じて男(なん)と成し、丈夫の相を具して成仏せしむること(転女成男(てんにょじょうなん)させること)、
外道の邪見に捕らえられて居る者を正見に復(ふく)せしめ、無上菩提を得せしむること(正しい見解を備えさせること)、
もろもろの災難(さいなん)刑罰(けいばつ)を免れしめ、一切の憂苦を解脱せしむること(獄にある衆生を解脱(げだつ)させること)、
飢渇(きかつ)に悩まされ、食を求むる者には、飯食(ばんじき)を飽満せしめ、又、法味(ほうみ)を授けて安楽を得せしむること(飢渇(きかつ)の衆生に上食を得させること)、
所求満足の誓いで、衆生の欲するに任せて衣服珍宝等一切の宝荘厳(ほうしょうごん)を得せしめんとすること(衣服に事欠く衆生に妙衣を得させること)、
とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%96%AC%E5%B8%AB%E5%A6%82%E6%9D%A5・日本大百科全書)。なお、
三聚戒、
は、
三聚浄戒(さんじゅじょうかい)、
三聚、
ともいい、
大乗仏教の菩薩が受け、守る3種の戒、
で、
仏の定めた戒を守って悪を防ぐ摂律儀(しょうりつぎ)戒、
自己のために進んで善を行う摂善法(しょうぜんぼう)戒、
世の人を教え導き、利他に尽くす摂衆生(しょうしゅじょう)戒(饒益有情(にょうやくうじょう)戒)、
をいう(マイペディア)。
東方浄瑠璃国土、
は、
瑠璃光土、
ともいい(大言海)、
阿弥陀如来の西方極楽浄土、
とならぶ浄土のひとつ、
薬師如来の東方浄瑠璃浄土、
で、東方にある薬師如来の浄土をいい、
大地は瑠璃、すべての建物・用具が七宝造りで、日光・月光をはじめ、無数の菩薩が住むという世界、
とされる(精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉)。
浄土、
は、漢訳の無量寿経の、
清浄国土、
を縮めた語とされ、サンスクリットの、
仏国土を意味する、
buddha‐kṣetra、
の訳語とされ(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%84%E5%9C%9F)、大乗仏教において、
一切の煩悩やけがれを離れ、五濁や地獄・餓鬼・畜生の三悪趣が無く、仏や菩薩が住む清浄な国土のこと、
をさす(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%84%E5%9C%9F)。
七仏功徳経(薬師瑠璃光七佛本願功徳経』(七仏薬師経))には、
東方浄瑠璃国土の七仏、
とあり、
七仏薬師、
ともいい、「薬師琉璃光七仏本願功徳経」および「薬師琉璃光如来本願功徳経」に説く、
善称名吉祥王如来、
宝月智厳光音自在王如来、
金色宝光妙行成就如来、
無憂最勝吉祥如来、
法海雷音如来、
法海勝慧遊戯神通如来、
薬師瑠璃光如来(薬師如来)、
の総称(精選版日本国語大辞典)だが、この七仏は、
薬師の異名、
とする説と、それぞれ別の仏とする説がある(精選版日本国語大辞典)。なお、
七仏薬師、
というと、薬師如来をまつる京都付近の七カ寺、すなわち、
祇園の観慶寺、
八幡の護国寺、
太秦(うずまさ)の広隆寺、
蓼倉の法雲寺、
延暦寺、
珍皇寺、
平等寺、
をも指す(広辞苑)。古くは、
観慶寺と珍重寺に代わり、東寺と法界寺が加わっていた、
とある(精選版日本国語大辞典)。
(木造薬師如来立像(元興寺蔵)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%96%AC%E5%B8%AB%E5%A6%82%E6%9D%A5より)
参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95