2023年11月01日

四華


釈迦の法華経説くはじめ、白毫(びゃくごう)光(ひかり)は月の如(ごと)、曼陀曼珠の華ふりて、大地も六種(むくさ)に動きけり(梁塵秘抄)、

の、

六種(むくさ)、

は、

我が果報をば天地の知れる也と。此く説給ふ時に、大地六種に震動し(今昔物語)、

とも使われ、

六種震動(ろくしゅしんどう)、

のことで、

如今此経、天雨四花、地有六種震動(「法華義疏(7C前)」)、

と、

大地が六とおりに震動すること、

で、

六種動、
六震、

ともいい、

地面の動揺や隆起をいう動・起・涌と、そのとき起こる音をいう覚(または撃)・震・吼との六種、

また、

地面が前後左右に上下することを六種に数える、

とあり、

仏が説法をする時の瑞相、

とする(精選版日本国語大辞典)。

曼陀曼珠の華ふりて、

とあるのは、妙法蓮華経序品第一に、仏陀が、

為諸菩薩説大乗経 名無量義 教菩薩法 仏所護念、

と、

諸の菩薩の為に大乗経の無量義・教菩薩法・仏所護念を説きおわった、

とき、

是時天雨曼陀羅華 摩訶曼陀羅華 曼殊沙華 摩訶曼殊沙華(是の時に天より曼陀羅華・摩訶曼陀羅華・曼殊沙華・摩訶曼殊沙華を雨らして)
而散仏上 及諸大衆(仏の上及び諸の大衆に散じ)

https://www.kosaiji.org/hokke/kaisetsu/hokekyo/1/01-2.htmあり、

曼陀羅華(まんだらけ 色が美しく芳香を放ち、見るものの心を悦ばせるという天界の花)
摩訶曼陀羅華(まかまんだらけ 摩訶は大きいという意味。大きな曼荼羅華)
曼殊沙華(まんじゅしゃけ この花を見るものを悪業から離れさせる、柔らかく白い天界の花)
摩訶曼殊沙華(まかまんじゅしゃけ 摩訶は大きいという意味。大きな曼殊沙華)

の、

四華(しけ)、

をいう(仝上)とある。これを、

雨華瑞(うけずい)、

といい、

此土六瑞((しどのろくずい)、

のひとつとされ、『法華経』が説かれる際に、

花が雨ふってくる瑞相、

とされる(仝上)。因みに、法要中にする、

散華、

という花びらに似せた紙を散じるのは、この意味である(仝上)。

法華経は、これに続いて、

普仏世界 六種震動

と、

六種震動、

をいうが、これも、

地動瑞(ちどうずい)、

といい、これも、

六瑞、

のひとつである。ついでに、

此土六瑞(しどのろくずい)、

の、「此土」は、此の世、つまり、

娑婆世界、

の意、「他土」は、このとき、佛が、白毫相の光を放って、

照らされた(此の世以外の)東方一万八千の世界、

でありhttp://gmate.org/V03/lib/comp_gosyo_210.cgi?a=cfbbbff0

それぞれ、

此土の六瑞、
他土の六瑞、

というらしい(https://piicats.net/shido.htm)。、此土六瑞の第一は、

為諸菩薩説大乗経 名無量義 教菩薩法 仏所護念(妙法蓮華経序品第一)、

の、

説法瑞(せっぽうずい)、

第二は、

仏説此経已 結跏趺坐 入於無量義処三昧 身心不動(仝上)、

の、

入定瑞(にゅうじょうずい 定は三昧(samadhi)のこと)、

第三は、上述の、

雨華瑞(うけずい)、

第四は、上述の、

地動瑞(ちどうずい)、

第五は、

爾時会中比丘 比丘尼 優婆塞 優婆夷 天 竜 夜叉 乾闥婆 阿修羅 迦楼羅 緊那羅 摩・羅伽 人非人 及諸小王 転輪聖王 是諸大衆 得未曾有 歓喜合掌 一心観仏(仝上)、

とある、

衆喜瑞(しゅうきずい その場にいたものたちが瑞相を喜んで一心に仏をみること)、

第六は、

爾時仏放眉間白毫相光 照東方万八千世界 靡不周遍 下至阿鼻地獄 上至阿迦尼・天(仝上)、

とある、白毫相光の、

放光瑞(ほうこうずい 釈尊の眉間から光が放たれ、東方一万八千の世界を普く照らし、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天の六道の世界を映しだした)、

をいうhttps://www.kosaiji.org/hokke/kaisetsu/hokekyo/1/01-2.htm。ちなみに、放光瑞で照らされ映し出された東方一万八千の世界の、

他土の六瑞、

は、

於此世界 尽見彼土 六趣衆生、

と、

見六趣瑞(六趣(その世界の六つのめでたい出来事の前兆)が釈尊の眉間から映し出されたを見る瑞)、

又見彼土 現在諸仏

と、

見諸仏瑞(諸仏を見る瑞)、

及聞諸仏 所説経法

と、

聞諸仏説法瑞(諸仏の説法を聞く瑞)、

并見彼諸比丘 比丘尼 優婆塞 優婆夷 諸修行得道者

と、

見四衆得道瑞(四衆(比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷)の修行し得道する者を見る瑞)、

復見諸菩薩摩訶薩 種種因縁 種種信解 種種相貌 行菩薩道

と、

見行瑞(種々の因縁・種々の信解・種々の相貌あって菩薩の道を行ずるを見る瑞)、

復見諸仏 般涅槃者 復見諸仏 般涅槃後 以仏舎利 起七宝塔

と、

見帰涅槃瑞(諸仏の般涅槃したもう者を見、復諸仏般涅槃の後、仏舎利を以て七宝塔を起つるを見る瑞)、

とされるhttps://www.kosaiji.org/hokke/kaisetsu/hokekyo/1/01-2.htm

マンダラゲ(曼陀羅華).jpg

(マンダラゲ(曼陀羅華)の異名をもつチョウセンアサガオ(朝鮮朝顔) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A7%E3%82%A6%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%82%A2%E3%82%B5%E3%82%AC%E3%82%AAより)

さて、瑞兆(ずいちょう)として天から降るという、

四華、

である、

曼陀羅華、
摩訶曼陀羅華、
曼殊沙華、
摩訶曼殊沙華、

は、

4種の蓮(はす)の花、

とされ、

白蓮華、
大白蓮華、
紅蓮華、
大紅蓮華、

に当てられているが、そのひとつ、

曼陀羅華(まんだらけ・まんだらげ)、

は、梵語、

Māndārava

の音写、

天妙華、
適意華、
悦意華、
白華、

などと訳す、

天上に咲くという芳香を放つ白い花、

だが(精選版日本国語大辞典)、『阿弥陀経』に、

昼夜六時に、曼陀羅華を雨ふらす、

とあり、

意に適う花や心を悦ばせる花といわれ、また様々な色に変化する花ともいわれる、

ともhttp://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E6%9B%BC%E9%99%80%E7%BE%85%E8%8F%AF、色が美しく芳香を放ち、見る者の心を喜ばせることから、

悦意華(えついか)、

ともよばれ(日本大百科全書)、四華の一つ、

白蓮華、

にあたる(精選版日本国語大辞典)とある。もとは、

サンゴ樹Erthrina Indica、

をさし、インドラ天Indra(東方を守護する天王)の五種樹木の一つとされた。日本では、

チョウセンアサガオ、

の別名になっている(仝上)。

摩訶曼陀羅華(まかまんだらけ)、

は、梵語、

mahā-māndārava、

の音訳、摩訶は、

大きい、

という意味で、

大きな曼陀羅華、

の意、

摩訶曼陀羅の花、

ともいい、

天上に咲くという芳香のある、大きな白い花、

で、四華の一つ、

大白蓮華、

にあたる(精選版日本国語大辞典)とされる。

曼殊沙華(まんじゅしゃげ)、

は、梵語、

manjusaka

の音訳、神々が下界へ意のままに雨のように降らせることから、

如意花(にょいか)、

ともよばれ、その純白の花(梵語マンジュシャカは「赤い」意ともいわれ、赤いとも言われる)を見る者は黒い悪業(あくごう)を離れるという(日本大百科全書)。日本では、彼岸(ひがん)のころに墓地などに咲く赤い、

ヒガンバナ、

の別名となった(仝上・精選版日本国語大辞典)。四華の一つ、

紅蓮華、

にあたる(精選版日本国語大辞典)とされる。

摩訶曼殊沙華(まかまんじゅしゃけ)、

は、

mahā-mañjūṣaka

の音訳、「摩訶」は大きいという意味なので、

大きな曼殊沙華、

になる。

天上に咲くという、大きな赤い(一説に白い)花。見るものの心を和らげるという天華、

で、四華の一つ、

大紅蓮華、

にあたる(精選版日本国語大辞典)。

曼珠沙華(マンジュシャゲ).jpg

曼珠沙華(マンジュシャゲ)の別名をもつヒガンバナ(彼岸花)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%82%AC%E3%83%B3%E3%83%90%E3%83%8Aより)

なお、

四華、

を、

しか、

と訓ませると、

早春に咲く四種類(梅、寒菊、水仙、蝋梅)の花、

の意や、

葬儀で使用される白い蓮花。または、その造花、

の意となる。この場合は、

しけ、

とも訓む。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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2023年11月02日

真如


積もれる罪は夜の霜、慈悲の光にたとへずば、行者の心をしづめつつ、実相真如を思ふべし(梁塵秘抄)、

の、

行者(ぎょうじゃ)、

は、

修行者、
行人(ぎょうにん)、

ともいい(「行人」を「こうじん」と訓むと、道を行く人の意になるが、これでも意味の範囲内にあるように思う)、

仏道を修行する人、

の意で、念仏の人を、

念仏行者、

真言を行ずる人を、

真言行者、

などという(精選版日本国語大辞典)。

真如(しんにょ)、

は、梵語

Tathatā、

の訳、原義は、

あるがままであること、
そのような状態、

という意味でhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E5%A6%82

一切存在の真実のすがた、
この世界の普遍的な真理、

の意(広辞苑・精選版日本国語大辞典)とされ、金剛経新註に、

不為曰真、不異曰如、

とある。『金剛般若経』では、

「真」とは真実、「如」とは如常、

の意味とし、

諸法の体性虚妄を離れて真実であるから真といい、常住であり不変不改であるから如と言う、

とされるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E5%A6%82。大般若経には、

常如其性、不虚妄、不變易、故名真如、

大乗仏教に属する論書『大乗起信論』(だいじょうきしんろん 六世紀半頃)には、

真如之體、離名字相、離心縁相、離言説相、故名離言真如、

明代の仏教書『大蔵法數』には、

真如者、乃真実無妄之理、

とある。これらを、

一切法のありのままのすがた。如々や如実、如などとも言われる。真実にして虚妄がないことを真といい、変わることなく常住することを如という。永遠に変わることのない真実は言葉などで示すことができないが、あえてそれを真如と称した、

とまとめているhttp://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E7%9C%9F%E5%A6%82のがわかりやすい。

真如は一切法の本性であり、万有の本体であり、如来の法身の自性でもある。人為的な判断や分別を通して認知されたすがたではなく、差別的な相を超えた無分別の立場で捉えられる絶対なるものである、

とし(仝上)、だから、

法、仏性、自性清浄心、如来蔵、法身、法界、法性、実相、実際、勝義、円成実性、涅槃、

などは真如の同義異語(同体異名)といえる(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E5%A6%82・仝上)とする。

上述の『大乗起信論』では、

依言真如(えごんしんにょ)、
と、
離言真如(りごんしんにょ)、

を立てる(広辞苑)とあり、

真如とは、本来、言葉で説明し尽くすことのできない、言葉を離れたものです。これを「離言真如」といいます。真如は言葉で表現できないのですが、言葉に依らねば、伝えることができないので、言葉で真如を表すしかありません。これを「依言真如(えごんしんにょ)」と言います、

とあるhttps://1kara.tulip-k.jp/buddhism/2016111246.html

仏の教えは文字やことばでは説明することも思い量ることもできないことを身をもって示したという、

維摩の一黙、雷の如し、

という逸話が、その間の事情を説明しているとされる。

いっさいの存在の本性である真如は、差別相を超えた絶対の一であるということを、

真如平等、

というが、

真如は一味平等であるが、この真如より染浄の縁にしたがって、一切万有の生滅の相が生ずるということ

を、

真如縁起、

といい、

如来蔵縁起、

ともいう(精選版日本国語大辞典)。

明月の光が闇を照らすように、真理が人の迷妄を破ること、

を、

真如の月、

といい、

煩悩が解け去ってあらわれてくる心の本体を月にたとえいう語、

であり、転じて、

一片の雲もない明月、

をもいう(仝上)。

万有の本体で、永久不変、平等無差別なもの、

を、

真如実相、

という(仝上)。

「真如」と「実相」は、同体のものに異なる立場から名づけたもの、

で、

涅槃、
身、
佛性、

も同義になる。冒頭引用の、

実相真如、

も、同義異語を並べて強調した形になる。

「眞」 漢字.gif

(「眞(真)」 https://kakijun.jp/page/shin10200.htmlより)

「眞」 中国最古の字書『説文解字』.png

(「眞」 中国最古の字書『説文解字』(後漢・許慎)・漢 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%9C%9Fより)

「眞(真)」(シン)は、

会意文字。「匕(さじ)+鼎(かなえ)」で、匙(さじ)で容器に物をみたすさまを示す。充填の填(欠け目なくいっぱいつめる)の原字。実はその語尾が入声に転じたことば、

とあり(漢字源)、

会意。匕(ひ)(さじ)と、鼎(てい)(かなえ)とから成り、さじでかなえに物をつめる意を表す。「塡(テン)」の原字。借りて、「まこと」の意に用いる(角川新字源)、

会意文字です(匕+鼎)。「さじ」の象形と「鼎(かなえ)-中国の土器」の象形から鼎に物を詰め、その中身が一杯になって「ほんもの・まこと」を意味する「真」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji505.html

等々と同趣旨が大勢だが、

形声。当初の字体は「𧴦」で、「貝」+音符「𠂈 /*TIN/」。「𧴦」にさらに音符「丁 /*TENG/」と羨符(意味を持たない装飾的な筆画)「八」を加えて「眞(真)」の字体となる。もと「めずらしい」を意味する漢語{珍 /*trin/}を表す字。のち仮借して「まこと」「本当」を意味する漢語{真 /*tin/}に用いる、

とありhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%9C%9F

甲骨文字や金文にある「匕」(さじ)+「鼎」からなる字と混同されることがあるが、この文字は「煮」の異体字で「真」とは別字である。「真」は「匕」とも「鼎」とも関係がない、

とある(仝上)。

「如」 漢字.gif

(「如」 https://kakijun.jp/page/0662200.htmlより)


「如」 甲骨文字・殷.png

(「如」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%A6%82より)

「如」(漢音ジョ、呉音ニョ)は、

会意兼形声。「口+音符女」。もと、しなやかにいう、柔和に従うの意。ただし、一般には、若とともに、近くもなく遠くもないものをさす指示詞に当てる。「A是B」とは、AはとりもなおさずBだの意で、近称の是を用い、「A如B(AはほぼBに同じ、似ている)」という不足不離の意を示すには中称の如を用いる。仮定の条件を指示する「如(もし)」も、現場にないものをさす働きの一用法である、

とある(漢字源)。別に、

形声。音符「女 /*NA/」+羨符「口」。「もし~なら」「~のような、ごとし」を意味する助詞の{如 /*na/}を表す字。もと「女」が仮借して{如}を表す字であったが、「口」(他の単語と区別するための符号)を加えた、

ともhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%A6%82

会意。女と、口(くち)とから成り、女が男のことばに従う、ひいて、したがう意を表す。借りて、助字に用いる、

とも(角川新字源)、

会意兼形声文字です(女+口)。「両手をしなやかに重ねひざまずく女性」の象形(「従順な女性」の意味)と「口」の象形(「神に祈る」の意味)から、「神に祈って従順になる」を意味する「如」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji1519.html

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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2023年11月03日

空寂


大品般若は春の水、罪障氷の解けぬれば、萬法空寂(くざく)の波立ちて、真如の岸にぞ寄せかくる(梁塵秘抄)、

の、

空寂、

は、

くうじゃく、

とも訓ませ、

万物は皆実体がなく空であるということ、

の意(広辞苑)で、また、

この世のものは有形、無形のいずれにかかわらず、その実体、自性はなく、空(くう)であるということ、

をさとって、

一切の煩悩、執着を離れた無心の境地、

をもいう(精選版日本国語大辞典)。「空」は、

この世の有形・無形の一切のものは、固定した実体がないこと、

「寂」は、

ひっそりと静かな意。煩悩や執着のない静寂なあり方が本性であること、

を意味する(新明解四字熟語辞典)。源信の『往生要集』に、

我所有三惡道、與彌陀佛萬徳、本來空寂、一體無礙(むげ)、

とある。転じて、広く、

ひっそりと寂しいさま、

の意でも使う(広辞苑)。

一庵空寂地、香火讀楞嚴(李俊民)、

とあり、「空寂」は、

寂寥、

と同義で使われている(字源)。

空寂、

を強調した、

空空寂寂(くうくうじゃくじゃく)、

という表現もあり、

執着や煩悩ぼんのうを除いた静かな心の境地、

の意であり、

空虚で静寂なさま、

の意の他、

何もない、

をメタファに、

無駄か。お前にゃ空々寂々だ(二葉亭四迷「あいびき」)、

と、

思慮や分別のないさま、

の意でも使う。

空空漠漠(くうくうばくばく)、
荒涼索漠、
四顧寥郭、

も同義語である(学研四字熟語辞典・四字熟語辞典)

「空」 漢字.gif


「空」(漢音コウ、呉音クウ)は、「空がらくる」で触れたように、

会意兼形声。工は、尽きぬく意を含む。「穴+音符工(コウ・クウ)」で、突き抜けて穴があき、中に何もないことを示す、

とある(漢字源)。転じて、「そら」の意を表す(角川新字源)。

「寂」 漢字.gif

(「寂」 https://kakijun.jp/page/1135200.htmlより)

「寂」(漢音セキ、呉音ジャク)は、

会意兼形声。叔(シュク)は、「つるのまいた豆のかたち+小+又(手)」の会意文字で、細く小さい意を含む。寂は「宀(いえ)+音符叔」で、家の中の人声が細くちいさくなったさまを示す、

とある(漢字源)。別に、

形声。宀と、音符叔(シユク)→(セキ)とから成る。ひっそりしている、「さびしい」意を表す(角川新字源)、

形声文字です(宀+叔)。「屋根・家屋」の象形と「枝のついている豆」の象形(「豆」の意味だが、ここでは、「弔」に通じ(「弔」と同じ意味を持つようになって)、「いたみあわれむ(かわいそうに思う)」の意味)と「右手」の象形から、屋内がいたましく「さびしい」を意味する「寂」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji1363.html

ともある。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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ラベル:空寂
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2023年11月04日

般若


般若十六善神は、十六會(ゑ)をこそ守るなれ、もとより無漏(むろ)の法門は、中道にこそ通ふなれ(梁塵秘抄)、

の、

般若、

は、梵語、

prajñāの俗語形paññā、

の音写語(広辞苑)、

鉢羅若那、

の、

般は音、若は鉢の音便、

ともあり(大言海)

智慧・慧、

と訳し(広辞苑)、

あらゆる物事の本来のあり方を理解し、仏法の真実の姿をつかむ知性のはたらき、
最高の真理を認識する知恵、

の意(仝上・精選版日本国語大辞典)とするが、般若心経の註に、

般若者、梵語、此曰智慧、逐諸境界、心背眞、故不知无我、我即愚痴全體也、離愚痴謂智、有其方便謂慧、智者慧之體、慧者智之用也、衆生本来具足矣、

とあり、

智者慧之體、
慧者智之用、

と別けている。

三学・六波羅蜜の一つ、

である(広辞苑)。「三学(さんがく)」は、「禅定」で触れたように、

仏道修行者が修すべき三つの基本的な道、

つまり、

戒学(戒学は戒律を護持すること)、
定学(精神を集中して心を散乱させないこと)、
慧学(煩悩を離れ真実を知る智慧を獲得するように努めること)

をいう。この戒、定、慧の三学は互いに補い合って修すべきものであるとし、

戒あれば慧あり、慧あれば戒あり、

などという(仝上・ブリタニカ国際大百科事典)。この三学が、大乗仏教では、基本的実践道である六波羅蜜に発展する。「波羅蜜(はらみつ)」は、

サンスクリット語のパーラミター pāramitāの音写、

で、「六波羅蜜(ろくはらみつ)」は、

大乗仏教の求道者が実践すべき六種の完全な徳目、

布施波羅蜜(施しという完全な徳)、
持戒波羅蜜(戒律を守るという完全な徳)、
忍辱波羅蜜(にんにくはらみつ 忍耐という完全な徳)、
精進波羅蜜(努力を行うという完全な徳)、
禅定波羅蜜(精神統一という完全な徳)、
般若波羅蜜(仏教の究極目的である悟りの智慧という完全な徳)、

を指し、般若波羅蜜は、他の波羅蜜のよりどころとなるもの、とされる(仝上)。この、

般若波羅蜜、

の意である。「般若」には、他に、、

大般若経の略、

があり、冒頭引用の、

般若、

はこの意である。

般若経、

は、

智慧の完成(般若波羅蜜)を説く経典群の総称、

で、梵本・漢訳・蔵訳合わせて10系統以上、60種異常が現存する厖大な経典群であり、漢訳だけでも『正蔵』の般若部に四二部776巻が収められている。大乗仏教の先駆経典であり、

空・発菩提心・六波羅蜜などを説き、智慧の完成へ導く菩薩の実践が示されている、

とあるhttp://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E8%88%AC%E8%8B%A5%E7%B5%8C

十六會、

とあるのは、

玄奘訳大般若経600巻をその内容などによって分けた16の分類、

を指し、

四処十六会(ししょじゅうろくえ)、

などと言い、

会は会座(えざ)のことで、大勢の人の集まりを意味し、四つの場所で16回に分けて説かれた、と言う意味になりますが、歴史的な史実ではありません、

とあるhttp://tobifudo.jp/newmon/okyo/shingy.html。四処とは、

王舎城の鷲峯山(耆闍崛山)、
舎衛国の給孤独園、
他化自在天宮(「三界」の欲界六天の最上位)、
竹林精舎の白鷺池、

とされているhttp://tobifudo.jp/newmon/okyo/shingy.html

釈迦十六善神像.jpg

(釈迦十六善神像(兵庫県立歴史博物館) 画面中央に釈迦如来と文珠・普賢の両脇侍菩薩、これらをとりまく十六善神に加え、大般若経の受持・伝来に関わったとされる法涌(ほうゆう)・常啼(じょうたい)の2菩薩、玄奘(げんじょう)三蔵、深沙(じんじゃ)大将を描き、最上方に天蓋(てんがい)を付す https://rekihaku.pref.hyogo.lg.jp/collection/selection/shaka/より)

般若十六善神(じゅうろくぜんしん)、

は、

十六尊の大般若経を守るとされる護法善神、

をいい、

十六大薬叉将、
十六夜叉神、
十六神王、
十六善神、

ともいい、一説によれば、十六善神は、

金剛界曼荼羅外金剛部院にある、護法薬叉の十六大護と同一、

とも、

四天王と十二神将(「薬師如来」で触れた)とを合わせたもの、

ともいわれるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E5%85%AD%E5%96%84%E7%A5%9Eとある。

十六善神は、

16体の夜叉(やしゃ)神、

として、普通、釈迦、または釈迦三尊とともに描かれる場合が多く、また、正面に玄奘三蔵と深沙大将が左右対称で描かれる場合がありhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E5%85%AD%E5%96%84%E7%A5%9E

国土安穏、除災招福のため大般若経600巻を転読する大般若会(え)の本尊として懸用される、

とあるhttps://rekihaku.pref.hyogo.lg.jp/collection/selection/shaka/

般若.jpg

(般若 広辞苑より)

最後に、「般若」は、能面のひとつとして、

2本の角、大きく裂けた口をもつ鬼女の面。女性の憤怒ふんぬと嫉妬しっととを表し、「葵上あおいのうえ」「道成寺」などに用いる、

般若面、

の意で使う(デジタル大辞泉)が、

このお面と、仏教用語の「般若」の間に直接的な関係はない、

とされるhttps://mag.japaaan.com/archives/187362。ただ、その由来には、

謡曲「葵の上」に、婦人の怨霊、人を悩ますを、僧祈りて、、経文(般若経)を唱ふ、祈りをこめられ、怨霊「あら恐ろしの般若聲や」と云ひて消ゆ。般若経に、菩薩の魔怨を摧伏することありと云ふ。般若聲は経文の聲なるを誤りて、怨霊の聲としたるか(山本北山『膳庵随筆』)、

とか、

十六善神は、般若経の守護神なれば云ふと云へど、男女の違いあり、

とか、

昔、或女房の、妬心深きを済度せむとして、般若坊と云ふ僧の打ちし面ありしよる起こる、其面、現に金春の家にありと。外面如菩薩、内心如夜叉の意を表せるかと云ふ、

等々の諸説ある(大言海)。江戸時代後期の随筆『嬉遊笑覧』(喜多村信節)に、

金春の家に、伝来の鬼女の古面、南都の般若坊の作と云ふ、

とある。

知恵の意の「般若」から、

般若の智水(ちすい)、

というと、

清澄な水にたとえて、聡明で事理に通じていることをいい、

般若の船(ふね)、

というと、

船にたとえて、迷いの此岸(しがん)からさとりの彼岸(ひがん)に導く般若(知慧)をいい、

般若声(こえ)、

というと、文字通り、

鬼女が発するような恐ろしい声、嫉妬に狂った声、

にもいうが、

知徳に満ちた仏の声、
や、
般若経を読誦する声。また、悪霊調伏の経文の声から、転じて、読経の声、

をいい(日本国語大辞典)。

般若面(づら)、

というと、

嫉妬に狂った女の顔をたとえて、般若の面に似た恐ろしい顔、

をいう(日本国語大辞典)。

「般」 漢字.gif



「般」 甲骨文字・殷.png

(「般」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%88%ACより)

「般」(漢音ハン、呉音バン)は、

会意文字。左側の「舟」は「舟」の形ではない。「殳(動物の記号)+板の形」で、板(ハン)のように、平らに広げることをあらわす。のちに「舟+殳」の形に書くようになった、

とある(漢字源)。しかし、別に、

会意。舟と、殳(しゆ)(たたく)とから成る。舟べりを棒でたたいて、舟をめぐらせる意。ひいて「めぐる」意に用いる(角川新字源)、

会意文字です(舟+殳)。「渡し舟」の象形と「手に木のつえを持つ」象形から、大きな舟を動かす事を意味し、そこから、「はこぶ」を意味する「般」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji1222.html

ともある。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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2023年11月05日

五人比丘


一夏の間を勤めつつ、晝夜に信心怠らず、拘隣(くりむ)比丘ぞ最初には、諦理(たいり)を悟りて道成りし(梁塵秘抄)、

の、

拘隣比丘、

は、釋迦が成道後に鹿野苑(ろくやおん)で初めて行った説法を聞いて弟子となった、

五人の比丘(出家修行者)、

の一人である。その五人とは、

アージュニャータ・カウンディンニャ(梵語Ājñāta-kauṇḍinya、パーリ語Añña-kodañña阿若憍陳如、俱隣、拘隣)、
アシュヴァジット(梵語Aśvajit、パーリ語Assaji馬勝、阿説示)、
ヴァーシュパ(梵語Vāṣpa、パーリ語Vappa婆沙波、婆頗)、
マハーナーマン(梵語Mahānāman、パーリMahānāma摩訶那摩、摩訶男)、

とあるhttp://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E4%BA%94%E6%AF%94%E4%B8%98が、

阿若・憍陳如(あにゃ・きょうちんにょ、アジュニャータ・カウンディンニャ、アンニャーシ・コンダンニャ)、
阿説示(あせつじ、アッサジ)、
摩訶摩男(まかなまん、マハーナーマン)、
婆提梨迦(ばつだいりか、バドリカ、バッディヤ)、
婆敷(ばしふ、ヴァシュフ、ワッパ、ヴァッパ)

ともありhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E6%AF%94%E4%B8%98、微妙に違う。

ともかく、彼らは最初、釈尊と共に苦行を行じていた苦行仲間であるが、

苦行は真の道にあらずと考えて苦行を放棄し、釈尊を見捨て、ベナレス(バラナシ)に立ち去った人、

である。しかし、成道後の釈尊の説法を聞いて、

まずアージュニャータ・カウンディンニャが、続いて他の四人も悟りを開き、五人は釈尊の弟子となった、

とあるhttp://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E4%BA%94%E6%AF%94%E4%B8%98。『無量寿経』諸本の冒頭に、釈尊の弟子を列挙する最初に、彼らが登場する(仝上)とある。これで、出家者の集団、つまり、

仏教教団、

が成立し、

真理を悟った仏、仏が説いた法、その仏と法に基づいて修行する僧伽

の、

三宝、

が誕生した(仝上)される。『今昔物語』巻五第29話には、

今昔、天竺の海辺の浜に、大なる魚、寄りたりけり。其の時に、山人の行き通ずる五人有りけり。此の大魚を見て寄て、魚の肉を切取て、五人して食てけり。其れを始として、世の人、御名聞き継て来て、此の魚の肉を切取て食てけり。其の魚と云は、今の釈迦仏に在ます。大魚の身と成て、山人の道行かむに、我が肉を与へむと也。今の仏と成給て後、先づ、其の魚の肉を切取て食せし五人を先に教化して、道を成じ給ふ成けり。所謂る、其の五人と云は、拘隣(憍陳如)・馬勝比丘・摩訶男・十力迦葉・拘利太子、此等也となむ、語り伝へたるとや、

と、この五人を、

拘隣(くりむ 憍陳如)、
馬勝比丘、
摩訶男、
十力迦葉、
拘利太子、

と記している。『法華文句』には、

俱隣(拘隣、阿若憍陳如 あにゃきょうじんにょ)、
頞鞞(あんぴ)、
跋提(ばっだい)、
十力迦葉(じゅうりきかしょう)、
拘利(くり)、

とあるので、今昔物語は、これに依ったものかもしれない。

拘隣(くりむ)比丘ぞ最初には、諦理(たいり)を悟りて、

と冒頭にあるのは、最初に悟りを開いた逸話による。

拘隣(くりむ)、

は、サンスクリット(梵)語の音写は、

阿若憍陳如(あにゃきょうじんにょ)、

で、

阿若俱隣(あにゃくりん)、

とも言い、釋迦の、

最初の弟子、

である。

シッダッタ太子が出家したのを知り、他の4人を促して同行したという。あるいは、太子が出家し尼連禅河(ネーランジャナー)の畔の山中で苦行する際、浄飯王の要請で仲間四人と共に随行した。しかるに釈迦は6年に及び苦行をしたが、これでは真の悟りを得ないと了知し、苦行林を出て河畔の地主・村長の娘・スジャーター(善生)による乳がゆの供養を食した。憍陳如たちはそれを見て太子は苦行に耐えられず修行をやめたと思い込み、波羅奈国(ヴァーラーナシー)の鹿野苑に去ってしまった、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E8%8B%A5%E3%83%BB%E6%86%8D%E9%99%B3%E5%A6%82

阿若・憍陳如、

は、

阿若多・憍陳如、阿若多・憍陳那、阿若・憍隣、阿若・拘隣、阿若・倶隣、

等々と音写され、

了本際、知本際、已知、解了、了教、無知、火器、

等々と訳し、

憍陳如、憍陳那、憍隣、拘隣、倶隣、

と略称されるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E8%8B%A5%E3%83%BB%E6%86%8D%E9%99%B3%E5%A6%82

阿説示(あせつじ)、

は、

阿湿貝、阿輸波祇、阿説多、

等々と音写し、

馬勝、馬師、馬星、馬宿、無勝、

等々と訳すhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E8%AA%AC%E7%A4%BA

摩訶摩男(まかなまん)、

は、

摩訶那摩、摩訶摩男、

等々と音写、

大名、

等々と訳すhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%91%A9%E8%A8%B6%E7%94%B7

婆提梨迦(ばつだいりか)、

は、

跋提梨迦、婆帝梨迦、跋陀羅、跋多婆、

等々と音写し、

跋提、婆提、跋直、

等々と略し、

小賢、賢善、有賢、仁賢、最勝、善勝、

等々と訳すhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A9%86%E6%8F%90%E6%A2%A8%E8%BF%A6

婆敷(ばしふ)、

は、

婆沙波、婆湿渡、婆婆、愛波、

等々とも音写し、

正語、気息、長気、禅気、涙出、起気、

等々と訳すhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A9%86%E6%95%B7

悟りを開いた後(成道)、ヴァーラーナスィー(波羅奈国)のサールナート(仙人堕処)鹿野苑(施鹿林)において、元の5人の修行仲間(五比丘)に初めて仏教の教義を説いた、

のを、

初転法輪(しょてんぽうりん)、

という(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%9D%E8%BB%A2%E6%B3%95%E8%BC%AA)が、釋迦は、この五人の前に、

アージーヴィカ教徒の修行者ウパカ、

に対して説法し、失敗したとされるhttps://true-buddhism.com/founder/gobiku/。ただ、後に、ウパカは、釈迦に帰依して出家したとされるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%9D%E8%BB%A2%E6%B3%95%E8%BC%AAらしいが。

五比丘.jpg


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ラベル:五人比丘
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2023年11月06日

三草二木


花嚴経は春の花、七所八會(ゑ)の苑(その)ごとに、法界唯心色深く、三草二木法(のり)ぞ説く(梁塵秘抄)。

の、

花嚴経(けごんきょう)、

は、

華厳経、

とも当て、大乗仏教の仏典の一つ、

大方広仏華厳経(だいほうこうぶつけごんきょう)、

のことで(精選版日本国語大辞典)、梵語、

Buddhāvataṃsaka-nāma-mahāvaipulya-sūtra(ブッダーヴァタンサカ・ナーマ・マハーヴァイプリヤ・スートラ)、

は、

大方広仏の、華で飾られた(アヴァタンサカ)教え、

の意で、

大方広仏、

つまり時間も空間も超越した絶対的な存在としての仏という存在について説いた創作経典、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%AF%E5%8E%B3%E7%B5%8C。元来は、

雑華経(ぞうけきょう、梵語Gaṇḍavyūha Sūtra、 ガンダヴィユーハ・スートラ)、

すなわち、

様々な華で飾られた・荘厳された(ガンダヴィユーハ)教え、

とも呼ばれていた、

インドで伝えられてきた様々な独立した仏典が、4世紀頃に中央アジア(西域)でまとめられたものである、

と推定されている(仝上)。

釈迦が悟りを開いて後二七日目に、海印三昧に入って毘盧遮那法界身(びるしゃなほっかいしん)を現じ、蓮華蔵世界に住して、文殊(もんじゅ)などすぐれた菩薩に対して仏の悟りの内容を示した、

もので、

一切の世界を毘盧遮那仏の顕現とし、どんな小さな微塵も全世界を映し、一瞬の中に永遠を含むと説き、一即一切、一切即一の世界観を展開している、

とある(精選版日本国語大辞典)。

西夏文字による華厳経.jpg

(西夏文字による華厳経 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%AF%E5%8E%B3%E7%B5%8Cより)

大日如来」で触れたように、密教においては大日如来と同一視される、

毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)、

は、梵語、

Vairocana(ヴァイローチャナ)、

の音訳、

で、

光明遍照(こうみょうへんじょう)、

を意味し(大言海)、

毘盧舎那仏、

とも表記され、略して、

盧遮那仏(るしゃなぶつ)、
遮那仏(しゃなぶつ)、

とも表されhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AF%98%E7%9B%A7%E9%81%AE%E9%82%A3%E4%BB%8F、華厳経において、

中心的な存在として扱われる尊格、

である。華厳経には、

東晉の仏駄跋陀羅訳の六十巻本(六十華厳経、旧訳華厳経とも)、
唐の実叉難陀訳の八十巻本(八十華厳経、新訳華厳経とも)、
唐の般若訳の四十巻本(四十華厳経、貞元経とも)、

の三つがある(精選版日本国語大辞典)。

七所八會、

は、

七処八会(しちしょはちえ)、

と表記し、華厳経の、

説法の場所と会座の数、

をいい、

釈迦は寂滅道場菩提樹下で正覚を成じて後、三七日(即ち21日間。ただし華厳宗では二七日即ち14日間とする)にわたって華厳経の説法をした、

とされているが、これが、7つの場所で合計8回行なわれたので、

七処八会、

という(http://gmate.org/V03/lib/comp_gosyo_210.cgi?a=bcb7bde8c8acb2f1)

釈尊が説法を行った場、

を、

会座(えざ)、

といい、転じて、

説法や法会の行われる場所や聴衆の座る席、

をいうが、経典の説かれる場所と会合とを区別する場合、説法の場所を、

処、

会合を、

会、

という(http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E4%BC%9A%E5%BA%A7)とある。『法華経』は、

霊鷲山と虚空との二処で三度説かれているから二処三会、

『六十華厳』(東晉の仏駄跋陀羅訳の六十巻本)は、

寂滅道場から重閣講堂までの七処で八度説かれているから七処八会、

『無量寿経』の会座は王舎城耆闍崛山(ぎじゃくっせん)、『阿弥陀経』は舎衛国祇樹給孤独園(ぎじゅきっこどくおん)、『観経』は王宮会(おうぐうえ)と耆闍会(ぎじゃえ)という二つの会座をもち、

一経二会、

といわれる(仝上)とある。

法界(ほっかい)、

は、梵語、

dharma-dhātu、

の訳(dhātuは本来「要素・成分」を意味する語だが、仏教用語としては、これに「界」や「性」の意味が付加された)、初期仏教では、

十八界、

の一つ、

あるいは、

六境、

のひとつ、

法境、

十二処、

のひとつ、

法処(ほっしょ)、

のことで、

意識の対象となるものすべてをいう、

とある(精選版日本国語大辞典)。しかし、大乗仏教ではと、

単なる意識の対象ではなく、宗教的な本源を意味する、

つまり、

この全宇宙の存在を法(真理)、

とみなし、

真如、

と同じ意味で使われるようになり(http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E6%B3%95%E7%95%8C・精選版日本国語大辞典)、華厳教学では、

事法界(相対・差別の現象界)、理法界(絶対・平等の実体界)、
理法界(絶対・平等の実体界)、
理事無礙法界(現象界と実体界が本来一如で差別のないこと)、
事事無礙法界(現象界と実体界が本来一如であるから、現象界の個々の事象も互いに差別はなく、相即無礙であること)、

という四種を立てて、世界のあり方を説明する(仝上)。したがって、「法界」は、

万物を包含する全世界・全宇宙、

の意味でも使用される(仝上)とある。

因みに、「六境」とは「六根五内」で触れたように、

六根(目、耳、鼻、舌、身、心)をよりどころとする六種の認識の作用、

すなわち、

六識(ろくしき 眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識)、

の総称、

つまり、

六界、

による認識のはたらきの六つの対象となる、

色境(色や形)、
声境(しょうきょう=言語や音声)、
香境(香り)、
味境(味)、
触境(そっきょう=堅さ・しめりけ・あたたかさなど)、
法境(意識の対象となる一切のものを含む。または上の五境を除いた残りの思想など)、

を、

六境(ろっきょう)、

という。

十二処(じゅうにしょ)、

は、

十二入、

ともいい、

六根と六境をあわせた一二の法、

のことをいいhttp://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E5%8D%81%E4%BA%8C%E5%87%A6

十八界(じゅうはっかい)、

は、

六根・六境・六識の一八種の法、

のことhttp://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E5%8D%81%E5%85%AB%E7%95%8C)をいう。

三草二木(さんそうにもく)、

は、「一味の雨」で触れたように、『法華経』薬草喩品の、

上草・中草・小草と大樹・小樹が等しく慈雨の潤沢を受けるように、機根の異なる衆生(しゅじょう)が等しく仏陀の教えを受けて悟りを開く、

のをたとえた語である(広辞苑)。また、

仏陀の教えはただ一つ、すなわち雨は同じであるが、それを受けて育つ植物が種々あるように、衆生の受け取り方はさまざまである、

のにたとえたともいう(精選版日本国語大辞典)。「三草」は、

上草・中草・下草の三、

「二木」は、

大樹・小樹、

を指す(仝上)。妙法蓮華経薬草喩品第五には、

譬如三千大千世界 山川渓谷土地(譬えば三千大千世界の山川・渓谷・土地に)
所生卉木叢林 及諸薬草 種類若干 名色各異(生いたる所の卉木・叢林及び諸の薬草、種類若干にして名色各異り)
密雲弥布。徧覆三千大千世界(密雲弥布して徧く三千大千世界に覆い)
一時等 (一時に等しくそそぐ)
其沢普洽 卉木叢林 及諸薬草(其の沢遍く卉木・叢林及び諸の薬草の)
小根小茎 小枝小葉 中根中茎 中枝中葉 大根大茎大枝大葉(小根・小茎・小枝・小葉・中根・中茎・中枝・中葉・大根・大茎・大枝・大葉に洽う)
諸樹大小 随上中下 各有所受(諸樹の大小、上中下に随って各受くる所あり)
一雲所雨。称其種性。而得生長。華果敷実(一雲の雨らす所、其の種性に称うて生長することを得て、華果敷け実なる)

とあるhttps://www.nichiren.or.jp/glossary/id156/。この、

三草二木の喩え、

は、「窮子」で触れたように、

法華七喩(ほっけしちゆ)、

の一つである。「七喩」とは、法華経に説く、

七つのたとえ話、

で、

法華七譬(しちひ)、

ともいい、三草二木(さんそうにもく)の他、

三車火宅(さんしゃかたく、譬喩品 「大白牛車(だいびゃくぎっしゃ)」で触れた)
長者窮子(ちょうじゃぐうじ、信解品 「窮子」で触れた)
化城宝処(けじょうほうしょ、化城喩品)
衣裏繋珠(えりけいじゅ、五百弟子受記品)
髻中明珠(けいちゅうみょうしゅ、安楽行品)
良医病子(ろういびょうし、如来寿量品)

があるhttp://www2.odn.ne.jp/nehan/page024.htmlhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95%E8%8F%AF%E4%B8%83%E5%96%A9

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2023年11月07日

五つの須弥


眉の間の白毫は、五つの須彌(しみ)をぞ集めたる、眼(まなこ)の間の青蓮は、四大海(しだいかい)をぞ湛へたる(梁塵秘抄)、

の、

白毫(びゃくごう)、

は、既にふれたように、

仏三十二相の一で、眉間の白毫(白い毛)は右旋して光明を発する、

といい(中島悦次校注『宇治拾遺物語』)、

眉間白毫相(みけんびゃくごうそう)、

と呼び(広辞苑)、

世閒眉閒有白毫相、右旋柔軟、如覩羅綿(兜羅綿)、鮮白光浄踰珂雪等(大般若経)、

と、

眉間にある右旋りの白い毛のかたまり、

であって、

眉間の白毫は、右に旋(めぐ)りて婉転して五須弥山の如し(眉間白毫、右旋婉転、如五須弥山)、

とあり(観無量寿経https://www.otani.ac.jp/yomu_page/b_yougo/nab3mq0000000reb.html)、

普段は巻き毛であり、伸ばすと1丈5尺(約4.5メートル)ある、

とされhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%99%BD%E6%AF%AB

釈迦牟尼佛、放大人相肉髻(にっけい)光明、及放眉間白毫相光、徧照東方八萬億那由他(なゆた)恆河沙(ごうがしゃ)等諸佛世界(法華経)、

と、

説法の前などに、仏はそこから一条の光を放ち、あまねく世界を照らす、

というhttps://www.otani.ac.jp/yomu_page/b_yougo/nab3mq0000000reb.html。また、

白毫者、表理顕明称白、教無繊隠為毫(嘉祥法華義疏)、

と、仏の眉間にある白い毛は、仏の教化を視覚的に表象したものとされ、

仏像では水晶などをはめてこれを表す、

とある(広辞苑)。初期の仏陀像にすでに、

小さい円形が眉間に浮彫りされている、

とある(日本大百科全書)。冒頭に、

五つの須彌(しみ)をぞ集めたる、

とあるのは、観無量寿経に、

間白毫、右旋婉転、如五須弥山、

にあるのに依る。

東大寺盧舎那仏像.jpg


この白毫の光明を観ずることで、

無量億劫(おっこう)の生死の罪が滅せられる、

と説かれるhttp://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E7%99%BD%E6%AF%ABとある。仏教美術では、「白毫」は、

如来と菩薩、

に付け、

明王、天部、童子、

などには付けないhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E6%AF%ABとされ、仏画では、

白い丸や渦巻き、

で表され、仏像では、

丸い膨らみ、

や、

水晶・真珠、

等々の宝石がはめ込まれる(仝上・広辞苑)。

冒頭の、

眼の間の青蓮、

とある、

青蓮(しょうれん)、

は、

眼晴青蓮あざやかに、面門頻婆うるはしく(「浄業和讚(995~1335)」)、

と使われ、

五茎の青蓮華を五百の金銭をもて買取して(「正法眼蔵(1231~53)」)、
菩薩目、如廣大青蓮華様(法華経)、

とある、

青蓮華(しょうれんげ)、

の略かと思われるが、

青色の蓮華、

の意だが、

仏・菩薩の目、

にたとえる(精選版日本国語大辞典)とある。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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2023年11月08日

龍樹


南(なむ)天竺の鐵塔を、龍樹や大士の開かずば、まことの御法(みのり)を如何(いか)にして、末の世までぞ弘めまし(梁塵秘抄)、

の、

大士

は、「不軽大士(ふきょうだいじ)」で触れたように、

だいし、
だいじ、

と訓ませ、梵語、

Mahāsattva、

の訳、

摩訶薩(まかさつ)、
摩訶薩埵(まかさった)、

と音写され、

すぐれた人、
偉大な人、
立派な人、

を意味しhttp://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E5%A4%A7%E5%A3%AB

大士、ダイシ、

とある「書言字考節用集(1717)」の註に、

法華文句、稱菩薩為大士、亦曰開士、出智度論、

とあり、また、

正士、

とも訳され、

菩薩の異称、

とされる(精選版日本国語大辞典・広辞苑)。特に『般若経』では、

自利利他のために菩提を求める姿勢が理想とされ、無執着(智慧)、輪廻を厭わない救済行・不住涅槃(方便)が尊重されhttp://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E5%A4%A7%E5%A3%AB、自利のために菩提を求める、

小乗仏教者、
あるいは、
外教者、

と区別するために、

菩薩大士、
菩薩摩訶薩、

と呼ばれる(仝上)とある。「菩薩」については「薩埵」で触れたが、自利よりも利他を優先させ、

菩薩乗、

ともいわれる大乗仏教では、

覚りを求める心を起こせば、あらゆる衆生が菩薩となることができる、

とし、

菩薩、

は覚りを求める心を起こし、さらに自分以外のあらゆる衆生を救い導き、覚りを開かせようと誓った存在であり、覚りと衆生をともに気にかける存在であるとする。だから、

大乗の菩薩、

は、観音菩薩など高位の菩薩が多数存在する。このような菩薩は仏になれるにもかかわらず、あらゆる衆生を救い導こうという誓いのもと、自ら地獄等の悪趣に赴き教化活動をなす(仝上)存在とされる。

龍樹(りゅうじゅ)、

は、梵語、

Nāgārjuna(ナーガールジュナ)、

漢訳名で、

150~250年頃の南インドのバラモン出身の僧。部派仏教から後に大乗仏教に転じ、空(くう)の思想を説いた、

とされる、

中観派の祖、

であり(広辞苑)、

龍猛(りゅうみょう)、

とも呼ばれるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BE%8D%E6%A8%B9とあるが、

龍猛(りゅうみょう)、

は、梵語

Nāgārjuna、

密教で、7世紀頃の祖の一人、

とされ、

真言密教では付法の第3祖、伝持の第1祖とする、

が、龍樹(りゅうじゅ)との混同が多く、実在の人物か疑問視される(広辞苑・大辞林)ともある。両人を別人とする説には、

古龍樹が中観の祖、
新龍樹が密教の祖、

とするものもある(仝上)が、中国・日本の諸宗はすべて竜樹の思想を承けているので、

八宗(はっしゅう)の祖、

と称され(広辞苑)、真言宗では、龍猛が、

付法の八祖、

大日如来(だいにちにょらい)→金剛薩埵(こんごうさった)→龍猛菩薩(りゅうみょうぼさつ)→龍智菩薩(りゅうちぼさつ)→金剛智三蔵(こんごうちさんぞう)→不空三蔵(ふくうさんぞう)→恵果阿闍梨(けいかあじゃり)→弘法大師)、

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BE%8D%E6%A8%B9

第三祖、

とされ、浄土真宗では、龍樹が、

七高僧(インドの龍樹・天親、中国の曇鸞・道綽・善導、日本の源信・源空)、

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%83%E9%AB%98%E5%83%A7

第一祖、

とされ、

龍樹菩薩、
龍樹大士、

と尊称される(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BE%8D%E6%A8%B9)とある。因みに、

中観派(ちゅうがんは)、

は、梵語、

Mādhyamika(マーディヤミカ)、

で、インド大乗仏教において、龍樹を祖師とする、

瑜伽行派(唯識派)と並ぶ二大学派のひとつでhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E8%A6%B3%E6%B4%BE

大乗仏教の基盤であり、般若経で強調された、

空の思想、

を哲学的に基礎づけ、後世の仏教思想全般に決定的影響を与えた(世界大百科事典)とされる。

中央の大きな人物が龍樹.jpg

(中央の大きな人物が龍樹 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BE%8D%E6%A8%B9より)

「中論」「十二門論」「大智度論」「十住毘婆沙論(じゅうじゅうびばしゃろん)」

等々の著書があるとされるが、「中論」では、冒頭で、

不生にして不滅、不常にして不断、不一にして不異、不来にして不出なる、よくこの因縁を説き、よく諸の戯論を滅する仏を、我諸説中の第一なりと稽首して礼す、

と、

不生不滅(ふしょうふめつ)、不常不断(ふじょうふだん)、不一不異(ふいつふい)、不来不出(ふらいふしゅつ)、

という8つの否定、

八不(はっぷ)、

を説き、

因縁所生の法、我即ちこれ空なりと説く、

とし、「大智度論」で、だから、

この法皆因縁和合より生ずるが故に無性なり、
無性なるが故に自性空なり、

と説き、

仏法の中には、諸法は畢竟空にしてまた断滅せず。生死相続すといえども、またこれ常ならず。無量阿僧祇劫の業因縁は過ぎ去るといえども、また能く果報を生じて滅せず。もし諸法すべて空ならば、この品(般若波羅蜜経往生品中に往生を説くべからず、いかんが智有る者、前後相違せん。もし死生の相は実有ならば、いかんが諸法は畢竟空なりと言わん。但諸法中の愛着、邪見、顛倒を除かんが為の故に畢竟空と説く。後世を破せんが為の故に説くにあらず。汝は天眼の明無きが故に後世を疑い、自ら罪悪に陥らんと欲す。この罪業の因縁を遮せんが故に、種々に往生を説く、

https://true-buddhism.com/history/nagarjuna/

不常不断、

をとく。

一切法は因縁によって生じたものだから我体・本体・実体と称すべきものがなく空しい(むなしい)こと、

と、

縁起

無自性(空)

が主張の根幹にあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A9%BA_(%E4%BB%8F%E6%95%99)。つまり、因果関係によって現象が現れているのであるから、それ自身で存在するという、

独立した不変の実体(=自性)、

はなく、すべての存在は、

無自性、

であり、

空、

であるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BE%8D%E6%A8%B9と。それを、

概念を離れた真実の世界(第一義諦、paramārtha satya)、
言語や概念によって認識された仮定の世界(世俗諦 、saṃvṛti-satya)、

という二つの真理に分けた(仝上)。

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
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2023年11月09日

恒沙(ごうしゃ)


法華経此のたび弘めむと、佛に申せど許されず、地より出でたる菩薩たち、其の數六萬恒沙(ごうしゃ)なり(梁塵秘抄)、

の、

恒沙、

は、

ごうじゃ、

とも訓ますが、

恒河沙(ごうがしゃ)、

の略、

恒河(ガンジス川)の砂、

の意で、

無限の数量のたとえ、

として使われ、

諸仏の数は、恒河沙のごとく多い、

といわれたりし、

恒河、

ともいう(精選版日本国語大辞典)。

インダス川.jpg


恒沙、

は、数の単位として、

10の52乗(一説に10の56乗)、

ともされる(デジタル大辞泉)。上述の引用の、

其の數六萬恒沙なり、

は、その意味のようである。ただ、

恒河沙を単位としてとらえるのは日本・中国においてであり、インド撰述の文献においては比喩として理解するのが妥当であろう、

ともあるhttp://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E6%81%92%E6%B2%B3%E6%B2%99

恒沙、

には、別に、

毎日恒沙の定に入(い)り、三途の扉を押しひらき、猛火の炎(ほのを)をかきわけて、地蔵のとこそ訪(と)ふたまへ(梁塵秘抄)、

と使われる。この場合は、天台宗で説く、

三惑、

の一つ、

塵沙(じんじゃ)の惑の異称、

のことではないかと思う。

無数の一々の事理に迷い、他の教化をさえぎる煩悩、

の意である(仝上)。

三惑(さんわく)、

は、連声(れんじょう)で、

さんなく、
さんまく、

とも訓ますが、天台大師智顗が、

一切の惑(迷い・煩悩)、

を三種に立て分けたもので、

見思惑(けんじわく=見惑と思惑)、
塵沙惑(じんじゃわく)、
無明惑(むみょうわく)、

を総称していう(精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉)。

見思惑、

は、

見惑と思惑のこと、

で、見惑は、

後天的に形成される思想・信条のうえでの迷い、

思惑は、

生まれながらにもつ感覚・感情の迷い、

をいい、

この見思惑を断じて声聞・縁覚の二乗の境地に至る、

とされるという(http://www.wikidharma.org/index.php/%E3%81%95%E3%82%93%E3%82%8F%E3%81%8F)

塵沙惑、

は、

菩薩が人々を教え導くのに障害となる無数の迷い。菩薩が衆生を教化するためには、無数の惑を断じなければならない故にこういう、

とある(仝上)。塵沙は無量無数の意である。

無明惑、

は、

仏法の根本の真理に暗い根源的な無知。別教では十二品、円教では四十二品に立て分けて、最後の一品を「元品の無明」とし、これを断ずれば成仏の境地を得るとしている、

とある(仝上)。

見思惑、

は、

声聞・縁覚・菩薩の三乗が共通して伏すべき迷いであるゆえに、

通惑、

ともいい、

塵沙・無明、

の二惑は別して菩薩のみが断ずる惑なので、

別惑、

ともいう(仝上)。小乗では、

見惑を断じて聖者となり、思惑を断じて阿羅漢果に達する、

としているが、大乗では、

菩薩のみがさらに塵沙・無明の二惑を次第に断じていくとする(仝上)。天台宗では、三惑は、

即空・即仮・即中、

円融三観によって断ずることができると説いているとある。

即空・即仮・即中、

については、円融三観で触れた。

上述の、

恒沙の定

とある、

定(じょう)、

は、

禅定」で触れたように、

もとsamādhi の訳語で、心を一つの対象に注いで、心の散乱をしずめること、

であり(精選版日本国語大辞典)。「定」と訳す、

Samādhi、

は、

三昧

とも訳されたりし、

如来。無礙力無畏禅定解脱三昧諸法皆深成就故。云広大甚深無量(法華義疏)、

と、

散乱する心を統一し、煩悩の境界を離れて、静かに真理を考えること、

である(岩波古語辞典)。

入定(にゅうじょう)三昧、

ともいう(大言海)。なお、

三惑、

には、

我に三不惑有り、酒・色・財なり(後漢書・楊秉伝)、

に由来する、

われに三惑あり、一には酒にまどひ、二は色にまどひ、三はたからにまどふ(「蒙求和歌(1204)」)、

と、

酒・色・財、

をも指す(精選版日本国語大辞典・字通)。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

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2023年11月10日

十惡五逆


弥陀の誓ひたのもしき、十惡五逆の人なれど、一たび御名(みな)を称(とな)ふれば、来迎引接(らいごういんぜう)疑はず(梁塵秘抄)、

の、

十惡五逆、

は、

業障(ごうしょう)」で触れたが、「五逆」(ごぎゃく)は、

五逆罪、

ともいい、仏教で説く、

五種の重罪、

ともいい、この五つの重罪を犯すと、もっとも恐ろしい無間地獄(むけんじごく)に落ちるので、

五無間業(ごむけんごう)、

ともいう。その数え方に諸説あるが、代表的なものは、

所謂五逆罪、是指殺父、殺母、殺阿羅漢、破和合僧、出佛身血。若犯其中之一、即墮無間地獄、

と(「和合僧」とは、僧衆によって構成される教団のこと。五人以上の僧が和合したものをいう)、

母を殺すこと、
父を殺すこと、
悟りを開いた聖者(阿羅漢)を殺すこと、
仏の身体を傷つけて出血させること(仏身を傷つけること)、
仏教教団を破壊し分裂させること(僧の和合を破ること)、

とされる。前二者は、

恩田(おんでん 恩に報いなければならないもの)に背き、

後三者は、

福田(ふくでん 福徳を生み出すもの)に背く、

もので、仏法をそしる謗法罪(ぼうほうざい)とともに、もっとも重い罪とされる(日本大百科全書・広辞苑)。

「十悪」(じゅうあく)は、

離為十悪(南斉書・高逸伝論)、

とあるように、

身、口、意の三業(さんごう)が作る十種の罪悪、

の意で、「十惡」は、

十惡業、

ともいい、

殺生(せっしょう)・偸盗(ちゅうとう)・邪淫(じゃいん)・妄語(もうご)・綺語(きご)・悪口(あっく)・両舌(りょうぜつ)・貪欲(とんよく)・瞋恚(しんに)・邪見(じゃけん または愚癡ぐち)、

をいい、

殺生(せっしょう)・偸盗(ちゅうとう)・邪淫(じゃいん)、

を、

一是殺人奪命、二是不與而取、包括盜竊、搶竊、三是邪淫、指於家室之外發生兩性關係、這三種都是行為、故稱為身惡、

とある、

身悪、

を、

身三(しんさん)、

といい、

妄語(もうご)・綺語(きご)・悪口(あっく)・両舌(りょうぜつ)、

を、

一是妄言、包括狂妄語、虛浮語、欺騙語等;二是兩舌、即挑撥離間、搬弄是非、造謠中傷等;三是惡口、指惡言惡語、粗暴語、出口傷人之語等;四是綺語、指髒話、雜穢語、粗話等。由於這四種都是出自口的語言行為、故稱為「口惡」、

とある、

口惡、

を、

口四(くし)、

といい、

貪欲(とんよく)・瞋恚(しんい)・邪見(じゃけん)、

を、

一是貪慾、指貪財、貪色、貪名、貪圖享受等各種貪慾;二是瞋恚、指的是憎惡、慍怒、仇恨和記恨等;三是邪見、指不信佛法、不信因果、並宣揚之、

とある、

意惡、

を、

意三(いさん)、

といい、

げに嘆けども人間の、身三・口四・意三の、十の道多かりき(謡曲・柏崎)、

と、

身三口四意三(しんさんくしいさん)、

という言い方をする(精選版日本国語大辞典・広辞苑)。この逆が、

十善(じゅうぜん)、

で、

十悪を犯さないこと、

で、

不殺生・不偸盗(ちゅうとう)・不邪淫・不妄語・不綺語(きご)・不悪口(あっく)・不両舌・不貪欲・不瞋恚(しんい)・不邪見、

といい、

十善業、
十善戒、
十善業道、

という(仝上)。また、

邪見、邪思維、邪語、邪業、邪命、邪精進(又叫邪方便)、邪念、邪定、

を、

八邪、

とする言い方もあるhttp://www.fodizi.tw/fojiaozhishi/3347.html

正道やその前段階である善根をさまたげる三つのさわり、

を、

三障(さんしょう)、

というが、それは、

煩悩障(ぼんのうしょう 貪欲、瞋恚(しんい)、愚痴(ぐち)などの煩悩)、
業障(ごうしょう 五逆、十悪などの行為)、
報障(異熟障すなわち地獄、餓鬼、畜生の苦報など)、

をいい、「四障」(ししょう)という言い方もあり、それは、

悟りを得るための四つの障害、

の意で、

仏法を信じない闡提(せんだい 闡提障)、
我見に執着する外道(外道障)、
生死の苦を恐れる声聞(声聞障)、
利他の慈悲心がない独覚(独覚障)、

の四つを言うが、一説に、

惑障(物に迷うこと=煩悩)、
業障(悪業のさわり)、
報障(悪業のむくい)、
見障(邪見)、

ともある。ついでに「五障」というのもあり、

修道上の五つの障害、

を指し、

煩悩障(煩悩(ぼんのう)のさわり)、
業障(ごつしよう 悪業のさわり)、
生障(しようしよう 前業によって悪環境に生まれたさわり)、
法障(ほつしよう 前生の縁によって善き師にあえず、仏法を聞きえないさわり)、
所知障(しよちしよう 正法を聞いても諸因縁によって般若波羅蜜(はんにやはらみつ)の修行ができないさわり)、

をいう(仝上・世界大百科事典)。ただ、信、勤、念、定、慧の五善根にとってさわりとなる、

欺、怠、瞋、恨、怨、

を五障ということもある(仝上)。こうした、

悪業(あくごう)によって生じた障害、

を、

悪業のさわり、

つまり、

業障(ごうしょう・ごっしょう)、

という。

「業」 漢字.gif

(「業」 https://kakijun.jp/page/1366200.htmlより)

「業」(漢音ギョウ、呉音ゴウ)は、「一業所感」で触れたように、

象形。ぎざぎざのとめ木のついた台を描いたもの。でこぼこがあってつかえる意を含み、すらりとはいかない仕事の意となる。厳(ガン いかつい)・岩(ごつごつしたいわ)などと縁が近い、

とある(漢字源)が、別に、

象形。楽器などをかけるぎざぎざのついた台を象る。苦労して仕事をするの意か、

ともhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%A5%AD

象形。かざりを付けた、楽器を掛けるための大きな台の形にかたどる。ひいて、文字を書く板、転じて、学びのわざ、仕事の意に用いる、

とも(角川新字源)、

象形文字です。「のこぎり状のぎざぎざの装飾を施した楽器を掛ける為の飾り板」の象形から「わざ・しごと・いた」を意味する「業」という漢字が成り立ちました、

ともありhttps://okjiten.jp/kanji474.html

ぎざぎざのとめ木のついた台、

が、

のこぎり状のぎざぎざの装飾を施した楽器を掛ける為の飾り板、

と特定されたものだということがわかる。

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2023年11月11日

浄飯王(じょうぼんのう)


釈迦牟尼佛は薩埵(さた)王子、彌勒文殊は十二の子、浄飯王(じゃうほん)王は最初の王、摩耶はむかしの夫人なり(梁塵秘抄)、

の、

浄飯王(じょうぼんおう・じょうぼんのう)、

は、梵語、

Śuddhodana(シュッドーダナ)、

の訳、

前6世紀ごろの中インドのヒマラヤ山麓にあった加毗羅衛 (かびらえ 迦毘羅かぴら) 国の城王、

で、

シャカ族の長、

であり、

釈迦牟尼 (しゃかむに) の父、

摩耶 (まや)、

は、その妃、つまり、

釈迦牟尼の生母、

で、

拘利 (くり) 族の王女、

である(広辞苑)。

さか仏、まやふ人と申ける、うみおきてうせたまひにけれは、てて上ほんわうと申す、ひとりやしなひて(「成尋母集(1073頃)」)、

とあるが、

摩耶夫人は釈迦を生んで7日後に亡くなったので、摩耶の妹である摩訶波闍波提をまた娶って、釈迦の乳母となった、

とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%84%E9%A3%AF%E7%8E%8B)

釈迦、

は、梵語、

Śākyamuni(シャーキャムニ)、

の音訳、

釈迦牟尼、

釈迦族の聖者、

の略である(世界大百科事典)。釈迦は、

一六歳頃に耶輸陀羅(ヤショーダラー梵語Yaśodhar)と結婚し、羅睺羅(ラーフラ梵語Rāhula)が生まれ、二九歳で出家し、三五歳で覚りを開き仏陀となり、その後、四五年間にわたり伝道の旅を続け、八〇歳で入滅した、

とされるhttp://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E9%87%88%E5%B0%8A

なお、浄飯王般涅槃経には、

浄飯王が病み、仏に見(まみ)えんことを欲すると、仏はナンダ、ラーフラ、アーナンダを率いて来て見舞い、浄飯王は死して四天王がその棺を担いだ、

とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%84%E9%A3%AF%E7%8E%8B)という。

釈迦族の王.jpg


今昔物語集巻2第1話 仏御父浄飯王死給時語に、その最後についての記述がある。

今昔、仏の御父、迦毗羅国の浄飯王、老に臨て、病を受て、日来を経る間、重く悩乱し給ふ事限無し。身を迫(せむ)る事、油を押すが如し。「今は限り」と思して、御子の釈迦仏・難陀・孫の羅睺羅・甥の阿難等を見ずして死なむ事を歎き給へり。

此の由を、仏の御許に告奉らむと為るに、仏の在ます所は舎衛国也。迦毗羅国より五十由旬の間なれば、使の行かむ程に、浄飯王は死給ぬべし。然れば、后・大臣等、此の事を思悩ぶ程に、仏は霊鷲山に在して、空に、父の大王の病に沈て、諸の人、此の事を歎き合へる事を知給て、難陀・阿難・羅睺羅等を引将て、浄飯王の宮に行き給ふ。

而る程に、浄飯王の宮、俄に朝日の光の差入たるが如く、金の光り隙無く照耀く。其の時に、浄飯王を始て若干の人、驚き怪しむ事限無し。大王も此の光に照されて、病の苦び忽ちに除て、身の楽び限無し。

暫く在て、仏、虚空より、難陀・阿難・羅睺羅等を引将て、来り給へり。先づ、大王、仏を見奉て、涙を流し給ふ事、雨の如し。合掌して喜給ふ事限無し。仏、父の御傍に在して、本経を説給ふに、大王、即ち阿那含果を得つ。大王、仏の御手を取て、我が御胸に曳寄せ給ふ時に、阿羅漢果を得給ぬ。其の後、暫く有て、大王の御命、絶畢(たえはて)給ひぬ。其の時に、城の内、上中下の人、皆哭き悲む事限無し。其の音、城を響かす。

其の後、忽ち七宝の棺(ひつぎ)を作て、大王の御身には香油を塗て、錦の衣を着せ奉りて、棺に入れ奉れり。失せ給ふ間には、御枕上に、仏・難陀、二人在します。御跡の方には、阿難・羅睺羅、二人候ひ給ふ。

かくて、葬送の時に、仏、末世の衆生の、父母の養育の恩を報いざらむ事を誡しめ給はむが為に、御棺を荷はむと為給ふ時に、大地震動し、世界安からず。然れば、諸の衆生、皆俄に踊り騒ぐ。水の上に有る船の、波に値へるが如し。其の時に、四天王、仏に申し請て、棺を荷ひ奉る。仏、此れを許して、荷はしめ給ふ。仏は香炉を取て、大王の前に歩み給ふ。

墓所は霊鷲山の上也。霊鷲山に入むと為るに、羅漢来て、海の辺りに流れ寄たる栴檀の木を拾ひ集めて、大王の御身を焼き奉る。空響かす。其の時に、仏、無常の文を説給て、焼き畢奉りつれば、舎利を拾ひ集めて、金の箱に入て、塔を立て、置き奉けりとなむ、語り伝へたるとや(https://yatanavi.org/text/k_konjaku/k_konjaku2-1)

冒頭の、

彌勒文殊は十二の子、

は、調べたが、よく分からない。ただ、十二という數から、

十二菩薩、

の意かと思うが、該当する(と勝手に想定した)のは、偽経とされる、唐代の、

『円覚経』(えんがくきょう)、

正式名称、

『大方広円覚修多羅了義経』(だいほうこうえんがくしゅたらりょうぎぎょう)、

で、

文殊師利、普賢、普眼、金剛蔵、弥勒、清浄慧、威徳自在、弁音、浄諸業障、普覚、円覚、賢善首、

の十二菩薩の為に如来が大円覚の妙理を説いた、

とあるhttps://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk1952/47/1/47_1_38/_pdf/-char/jaところの、十二の菩薩だが、どうなのだろう。

参考文献;
鎌田茂雄「円覚十二菩薩の形成」(https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk1952/47/1/47_1_38/_pdf/-char/ja)

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2023年11月12日

巫鳥(しとど)


常に消えぬ雪の島、螢こそ消えせぬ火はともせ、巫鳥(しとど)といへど濡れぬ鳥かな、一聲なれど千鳥とか(梁塵秘抄)、

の、

巫鳥(しとど)、

は、

鵐、

とも当て、

しととどり、

ともいい、古くは、

しとと、

と清音、

ホオジロ類の鳥、

で、

ホオジロの異称、

ともあるが、

ホオジロ・ホオアカ・アオジ・クロジなどの総称の古名、

とある(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)。

胡子鶺鴒(あめつつ) 千鳥ま斯登登(シトト)何(な)ど開(さ)ける利目(とめ)(古事記)、
巫鳥、此をば芝苔苔(しとと)といふ(日本書紀)、

等々と古くから知られている。

ホオジロ おす.jpg


巫鳥の字は、古語拾遺に、片巫(かたかうなぎ)に、志止止鳥と注せるに起こるか、あるいはかうないしとどなども云へり、

とある(大言海)が、

巫鳥、

の由来は、

その鳴き声から(名語記・和句解・言元梯)、
イシタタキ(石叩)の上略下略形(続上代特殊仮名音義=森重敏)、

ともある(日本語源大辞典)。ただ、鳴き声https://www.suntory.co.jp/eco/birds/encyclopedia/detail/1487.htmlは、地鳴きは、

チチッ チチッ、

と二声をだし(仝上)、さえずりは、独特で、

ピッピチュ・ピーチュー・ピリチュリチュー、

などと聞こえhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%82%AA%E3%82%B8%E3%83%AD、この鳴き声から、

一筆啓上仕候(いっぴつけいじょうつかまつりそうろう)
源平つつじ白つつじ、

などと、

聞きなし(聞き做し 鳥や動物の鳴き声を人の言葉や文字に置き換える)、

とされるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%82%AA%E3%82%B8%E3%83%ADので、どうも、

しとと、

という名の語感とは違う気がする。

ホオジロ メス.jpg


ホオジロ、

は、

頬白、黄道眉、画眉鳥、

とあて、

スズメ目ホオジロ科ホオジロ属、

に分類される、スズメとほぼ同じ大きさの鳥である(仝上)。

翅に、黒き縦の斑あり、脚、掌、黒く、眼に菊座の如き圏(わ)あり(大言海)、
目に菊座のような輪がある(岩波古語辞典)、

とあり、それが、

鵐目(しとどめ)、

の由来となっている。

鵐目(しとどめ)、

は、

刀の鞘の(提緒を通す)栗形、或いは、和琴、筝など、諸の器の、孔(通絃孔)ある處の縁に填むる金具の名、

で、

しとどの目の如し、

という(大言海)とあり、

日本刀の「頭」(柄(つか)を補強するために、その先端部に装着される金具)や「栗形」(くりがた 下緒(さげお)を通すために、日本刀の差表側の鞘口付近に付けられた穴のある突起物)にある、緒紐を通すための穴、

をいいhttps://www.touken-world.jp/word/equipment/page/5/その形状が「鵐」の目に似ていることから、この名称が付けられている(仝上)という。ただ、

金属、革、木などの製品にあけた穴のふちを飾る覆輪(ふくりん)、

を指す(精選版日本国語大辞典)との説もある。

菊座、

に似せているとすると、

甲冑・鞍・太刀・調度などを金・銀・錫 (すず) などで縁取りし、飾りや補強としたもの、

という、

覆輪(伏輪 ふくりん)、

が正確ではないか。オスだとわかりにくいが、ホオジロのメスをみると、確かに、菊座のような環が見える。

しとどめ.jpg



栗形.jpg


「鵐」 漢字.gif

(「鵐」 https://kakijun.jp/page/EA44200.htmlより)

「鵐」(漢音ブ、呉音ム)は、

鳥の名とあり、ふなしうづら、しとと、とある(漢字源)。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

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2023年11月13日

醫王


薬師醫王の浄土をば、瑠璃の浄土と名づけたり、十二の船を重ね得て、我ら衆生を渡いたまへ(梁塵秘抄)、

の、

瑠璃の浄土、

とは、「薬師如来」で触れたように、

阿弥陀如来の西方極楽浄土、

とならぶ浄土のひとつ、

薬師如来の東方浄瑠璃浄土、

で、東方にある薬師如来の浄土をいい、

大地は瑠璃、すべての建物・用具が七宝造りで、日光・月光をはじめ、無数の菩薩が住むという世界、

とされ(精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉)、

東方浄瑠璃国土、
瑠璃光土、

ともいう(大言海)。

十二の船、

は、「般若」で、

般若の船(ふね)、

を、

船にたとえて、迷いの此岸(しがん)からさとりの彼岸(ひがん)に導く般若(知慧)、

をいったように、薬師如来の、

十二の本願、

を船に譬えたものと思われる。薬師如来は、

菩薩としての修行時代に、

十二の本願、

を立て、それが達成されないかぎり仏にならないと誓った。その本願とは衆生の病気をなおして災難をしずめ、苦しみから救う、というもので、それが、

薬師如来、

の名の起源となった(仝上)。大乗仏教における信仰対象である如来の一尊で、かつては、現世利益を与える仏として、

朝観音・夕薬師、

といわれるほど庶民に信仰され(広辞苑)、民間では、

眼病などの治療に効験がある、

と信じられていた(日本大百科全書)。

薬師座像 行基・作(新薬師寺).jpg

(行基作・薬師座像(新薬師寺) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%96%AC%E5%B8%AB%E5%A6%82%E6%9D%A5より)

十二の本願(誓願・大願)、

は、

自身の光明照耀(こうみょうしょうよう)に依って、一切衆生をして三十二相八十随形(ずいぎょう)を具せしむるの願(衆生をことごとく薬師如来のごとくにすること)、
衆生の意に随うて光明を以て種々の事業を成弁せしむること(迷いの衆生をすべて開暁(かいぎょう)させること)、
衆生をして欠乏を感ぜしめず、無尽の受用を得せしむること(衆生の欲するものを得させること)、
邪道を行ずる者を誘引して皆な菩提道に入らしめ、大乗の悟りを開かしむること(衆生をすべて大乗に安立させること)、
衆生をして梵行を修して清浄なることを得、決して悪趣に堕せしめざること(三聚戒(さんじゅかい)を備えさせること)、
六根具足して醜陋(しゅうろう)ならず、身相端正(しんそうたんせい)にして諸の病苦なからしむること(いっさいの障害者に諸根を完具させること)、
諸病悉除(いっさいの衆生の病を除くこと)、
女(にょ)を転じて男(なん)と成し、丈夫の相を具して成仏せしむること(転女成男(てんにょじょうなん)させること)、
外道の邪見に捕らえられて居る者を正見に復(ふく)せしめ、無上菩提を得せしむること(正しい見解を備えさせること)、
もろもろの災難(さいなん)刑罰(けいばつ)を免れしめ、一切の憂苦を解脱せしむること(獄にある衆生を解脱(げだつ)させること)、
飢渇(きかつ)に悩まされ、食を求むる者には、飯食(ばんじき)を飽満せしめ、又、法味(ほうみ)を授けて安楽を得せしむること(飢渇(きかつ)の衆生に上食を得させること)、
所求満足の誓いで、衆生の欲するに任せて衣服珍宝等一切の宝荘厳(ほうしょうごん)を得せしめんとすること(衣服に事欠く衆生に妙衣を得させること)、

とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%96%AC%E5%B8%AB%E5%A6%82%E6%9D%A5・日本大百科全書)。このために、「薬師如来」は、

大醫王、
醫王善逝(いおうぜんぜい)、
醫王仏、

とも呼ばれ(仝上・ブリタニカ国際大百科事典)、

醫王、

というと、

薬師如来の異称、

ともされる。広い意味で、

醫王、

は、

仏や菩薩

を指し、阿含経典では、

釈尊、

を、

大医王、

と呼びhttp://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E5%8C%BB%E7%8E%8B、その四つの徳を、

一には善く病を知り、二には善く病源を知り、三には善く病の対治を知り、四には善く治病を知る、

とあり(仝上)、

医者が病人を救うように、仏が人々を救う、

たとえとして、そう呼ぶが、まさに、だからこそ、

薬師如来、

そのものをも指す、と思われる。薬師の十二誓願の第七に、

諸病悉除(いっさいの衆生の病を除くこと)、

とあることから、特に日本でこのように呼称されるようになった(仝上)という。

なお、

醫王山王(いおうさんのう)、

というと、

年来(としごろ)医王山王に首をかたぶけ奉て候身が(平家物語)、

と、

醫王、つまり、薬師如来の、山王はその垂迹(すいじゃく)、

をいい、特に、

比叡山延暦寺の根本中堂の本尊である薬師如来と、滋賀県大津市坂本にある日吉神社の日吉山王権現をさす、

とある(精選版日本国語大辞典)。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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2023年11月14日

郢曲(えいきょく)


今様・朗詠(うたい)、風俗・催馬楽なんど、ありがたき郢曲どもありけり(平家物語)、

とある、

郢曲(えいきょく)、

は、

客有歌於郢中者其始曰下里巴人、國中屬而和音數十人(宋玉、對楚王問)、

とある、

俗曲、

の意(字源)、

郢(エイ)、

は、

春秋時代、楚の都、淫風の盛んなりし地名、

で、今の、

湖北省江陵県の西北、

とあり(仝上)、

郢で、卑俗な歌曲が流行り、それを郢曲と称したことから、

俗曲の意、

だが、それを借りて、

梁塵秘抄の郢曲の詞こそ、また、あはれなる事は多かめれ。昔の人は、ただいかに言ひすてたることぐさも、皆いみじく聞こゆるにや(徒然草)、

と、

平安後期、神楽・催馬楽(さいばら)・風俗歌(ふぞくうた)・今様を含む)朗詠など歌い物の総称、

とあり(岩波古語辞典・大言海)、鎌倉時代には、

早歌(そうか)、

も含む(広辞苑)とあるが、平安初期には、

朗詠、催馬楽(さいばら)、神楽歌(かぐらうた)、風俗歌(ふぞくうた)など宮廷歌謡、

の総称であったが、平安中期には、

今様歌(いまよううた)、

末期からは、

神歌(かみうた)、足柄(あしがら)、片下(かたおろし)、古柳(こやなぎ)、沙羅林(さらのはやし)などの雑芸(ぞうげい)、

も包括し広義に及んだ(日本大百科全書)とあり、狭義には、

朗詠、

のみをさした(仝上)とある。また別に鎌倉時代の、

早歌(そうが 別名宴曲 えんきょく)を示すこともある(仝上)とある。上記「徒然草」に、

梁塵秘抄の郢曲の詞、

とあるのは当時の雑芸をさす(仝上)という。この、

郢曲、

という言い方は、

〈歌〉本位の、いわゆる旋律的に歌われる声曲、

を、多少謙譲の意味をこめて、ひらたく言うときに使う用語と思われる(仝上)とある。ただ、上記の時代に成立、発展した声曲であっても、

久米歌、東遊など祭祀用歌舞、
仏教儀式における声明(しようみよう)、
語り物の平曲、猿楽、

等々のように、歌以外のものと深くかかわった声曲は、含まれていない(世界大百科事典)とある。

平安末期成立の、

郢曲抄(えいきょくしょう)、

は、

神楽・催馬楽(さいばら)以下、今様・足柄・片下(かたおろし)・田歌などの謡い方、歌謡の由来などの雑記、

で、別名、

梁塵秘抄口伝集巻第11、

とされている(仝上)が、後白河法皇撰の、

本編10巻、
口伝集10巻、

とは異なり、

口伝集 巻11から巻第14、

は、もとは別の書であったと考えられ、

郢曲抄、

とも称されているのが本来の形のようである。

五節(ごせち)の殿上淵酔(てんじょうえんずい)で歌われた、

朗詠、今様、雑芸、

などをとくに、

五節間郢曲、

と称し、鎌倉時代の早歌と結んで貴族の宴席で愛好された(仝上)らしい。

梁塵秘抄口伝集.jpg


郢曲を伝承する家には敦実(あつざね)親王・源雅信(まさのぶ)を祖とする源家(げんけ)、藤原師長(もろなが)・源博雅を祖とする藤家(とうけ)の二家があったが、室町時代中期に藤家は断絶し、現在は源家の流れを汲む綾小路家がその命脈を保っている(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%83%A2%E6%9B%B2・日本大百科全書)という。

なお、「梁塵秘抄」については触れた。また「今様」については、馬場光子全訳注『梁塵秘抄口伝集』が詳しい。

「郢」 漢字.gif

(「郢」 https://kakijun.jp/page/E7B9200.htmlより)

「郢」(漢音エイ、呉音ヨウ)は、

形声。「邑+音符呈」、

とある(漢字源)。

春秋時代の楚の都、郢は享楽的な都であったという。そのため、「俗・みだら」の意に使われることがある(角川新字源)とある。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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2023年11月15日

甲乙(かんおつ)


其ふりつよからぬやうにして、聲のかすりなく、甲乙ただしく唱ものなり(梁塵秘抄口伝集巻11)、

の、

甲乙、

は、

こうおつ、

と訓ませると、

来十月、明年正月、四月節中、並甲乙日也(「小右記」和元年(1012)六月一六日)

と、

十干の甲と乙、

つまり、

きのえときのと、

の意であったり、

是以除普明国師之外、龍湫・性海・太清三大老、甲乙再住、或一月、或半月而各告退(「空華日用工夫略集(1387)」)、

と、

ものの順序、

をいい、

第一と第二、

の意であり、また、

甲乙つけがたい、

というように、

すぐれていることとおとっていること、

つまり、

優劣、
上下、

の意や、さらには、

甲乙人、

というように、

特定の物権などに無関係な第三者の総称、

として、

たれかれ、
某々、

の意や、

はや甲乙人ども乱れ入りけりと覚えて(太平記)、

と、

名をあげるまでもない者、
一般の人、

つまり、

凡下(ぼんげ)、

の意で使うが、

かんおつ、

と訓ませると、

甲乙の位のただしきも息也(「曲附次第(1423頃)」)、

と、

邦楽で高音と低音、

つまり、

甲(かん)と乙(おつ)、

の意となる。

かるめる、

つまり、邦楽で、

(法華経を讀合ふ)弁慶がかうの聲、御曹司の乙の聲、人違へて、二の巻、半巻ばかりぞ讀まれたり(義経記)、

と、

高い調子の「かる」と低い調子の「める」、

の意で、

上下、

とも当て(デジタル大辞泉)、

音階音より音が上がることまたは上げること(かる)と、下がることまたは下げること(める)、

の意で、

かりめり、
めりかり、

という言い方もする。

甲、

を、

かん、

と訓ませるのは、音便で、

夾纈(カフケチ)、法師が、和名抄(931~38年)に、加宇介知、保宇之とあれば、甲(カフ)も、夙くより、カウと発音せしこと知るべし、そのカウの、カンとなしたるなり、庚申(カウシン)を、カンシンと云ひ、強盗(ガウタウ)を、ガンダウと云ふ例にて、甲乙(カフオツ)をも、カンオツと云ひしなり、

とあり(大言海)、

かふおつ、

とも訓ませる(仝上)とある。

甲は聲の始め也、……一調子高きを、甲の音とす。乙は、聲の終り也、……三調子下がるを、乙の音とす(竹豐故事)、

とあり、この「甲(かん)」は、

甲處(かんどころ)、
甲走った聲、

という言い方に残っている。

「甲」 漢字.gif

(「甲」 https://kakijun.jp/page/0592200.htmlより)


「甲」 甲骨文字・殷.png

(「甲」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%94%B2より)

「甲」(漢音コウ、慣用カン、呉音キョウ)は、

多数の説があるが、いずれも憶測の域を出ず、定説は無い、

とありhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%94%B2

かつて金文の形を根拠に亀の甲羅と解釈する説があったが、原字は十字形であるため、これは誤った分析である。甲骨文字の形を見ればわかるように、「龜」とは全く異なる形をしている、

とある(仝上)。しかし、

象形。もと、鱗を描いた象形文字。のち、たねをとりまいた堅い殻を描いた象形文字。被せる意を含む(漢字源)、

象形。よろいの形にかたどる。「よろい」の意を表す。借りて、十干(じつかん)の第一位に用いる(角川新字源)、

象形文字です。「尾をひいた亀の甲羅」の象形から「甲羅」、「殻」を意味する「甲」という漢字が成り立ちました。(借りて、「きのえ(木の兄)(十干の第一位)」の意味も表すようになりましたhttps://okjiten.jp/kanji1653.html

等々と諸説がある。

「乙」 漢字.gif

(「乙」 https://kakijun.jp/page/0102200.htmlより)


「乙」 金文・殷.png

(「乙」 金文・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%B9%99より)

「乙」(漢音イツ、呉音オツ・オチ)は、

指事。つかえ曲がって止まることを示す。軋(アツ 車輪で上から下へ押さえる)や乞(キツ 息がつまる)などに音符として含まれる、

とある(漢字源)が、別に、

へらとして用いた獣の骨を象る、

とか(白川静説https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%B9%99)、

象形。草木が曲がりくねって芽生えるさまにかたどる、

とか(角川新字源)、

象形文字です。「ジグザグなもの」の象形から、物事がスムーズに進まないさま・種から出た芽が地上に出ようとして曲がりくねった状態を表し、そこから、「まがる」、「かがまる」、「きのと」を意味する「乙」という漢字が成り立ちました、

とかhttps://okjiten.jp/kanji1506.htmlあるが、十干(じつかん)の第二位に用いるうちに、原義が忘れられたhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%B9%99ようである。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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2023年11月16日

平調(ひょうじょう)


急なる音を一段にめらして、一絲と立をき、平調の時はめぐりを合はせて(梁塵秘抄口伝集11巻)、

の、

めらせして、

は、

甲乙」で触れたように、

かるめる、

の、

める、

ではないか。つまり、

音が下がる、

意で、

かるめる、

は、邦楽で、

(法華経を讀合ふ)弁慶がかうの聲、御曹司の乙の聲、人違へて、二の巻、半巻ばかりぞ讀まれたり(義経記)、

と、

高い調子の「かる」と低い調子の「める」、

の意で、

上下、
甲乙(かんおつ)、

とも当て(デジタル大辞泉)、

音階音より音が上がることまたは上げること(かる)と、下がることまたは下げること(める)、

の意で、

かりめり、
めりかり、

という言い方もする。

平調、

は、

へいちょう、

と訓ますと、

唯美くしてゐるばかりでは余り平調(ヘイテウ)で面白くない(内田魯庵「文学者となる法」)、

と、

穏やかな調子、平常の状態、
また、
安定し落ち着いていること、

の意で使うが、

漢代には、俗楽(清商三調、相和楽など)の音階で、唐の俗楽二十八調の制定で、調名となった、

という、

中国音楽の調名の一つ、

で、日本の雅楽の、

六調子・十二律の一つ、

である、

平調、

のもとになるもの、

をいうが、また、

唐には、平調を用る。金は宝成故也(「わらんべ草(1660)」)、

と、

中国の調弦法の一つ、

で、

わが国の三味線の本調子に当たり、中国の音階名では、最低弦(一の糸)から、合(ほう)・四(すい)・六(りゅう)の調子、

の意でも使う。日本の雅楽の、

六調子・十二律の一つ、

である、

平調、

は、

ひょうじょう、

と訓ませ、

奥深かに箏の音少許聞ゆ、律に被立て平調の音なり(今昔物語)、

と、

雅楽十二律の音名の一つ。基音である壱越(いちこつ)から三番目の音。中国十二律の大簇(たいそう)、西洋音楽のホ音に相当する、

とあり、また、

箏の琴は中の細緒の堪へがたきこそ所せけれとて、ひょうてふにおし下して調べ給ふ(源氏物語)、

と、

雅楽の六調子の一つ。平調の音を主音、すなわち宮音とする調子、

とある(精選版日本国語大辞典)。

十二律については、「十二調子」(じゅうにちょうし)は、

十二律の俗称、

で、「十二律」は、『前漢志』や『呂氏春秋(りょししゅんじゅう)』には、

4000年前黄帝の代に、伶倫(れいりん)が命を受け昆崙山(こんろんざん)の竹でつくった、

とあるが、中国では、

黄鐘(こうしょう)を基音、

として、

黄鐘(こうしょう)を三分損一して林鐘(りんしょう)、次に益一して太簇(たいそく)、

と、以下同様にして得て、

黄鐘(こうしょう)、大呂(たいりょ)、太簇(たいそく)、夾鐘(きょうしょう)、姑洗(こせん)、仲呂(ちゅうりょ)、蕤賓(すいひん)、林鐘(りんしょう)、夷則(いそく)、南呂(なんりょ)、無射(ぶえき)、応鐘(おうしょう)、

となる。前漢の京房(けいぼう)はこれを反復して、

六十律、

南朝宋の銭楽之(せんらくし)は、

三百六十律、

を求めた(仝上)という。日本では天平七年(735)吉備真備が『楽書要録』で伝えたのち、平安時代後期より雅楽調名に基づいて、

壱越(いちこつ)、断金(たんぎん)、平調(ひょうじょう)、勝絶(しょうせつ)、下無(しもむ)、双調(そうじょう)、鳧鐘(ふしょう)、黄鐘(おうしき)、鸞鏡(らんけい)、盤渉(ばんしき)、神仙(しんせん)、上無(かみむ)、

の名称が決められた(仝上)。ただ、中国では、

標準音の絶対音高が時代によって異なるので、律名をそのまま絶対的な音名ということはできない、

ようだが、日本独自の、

十二律、
十二調子、

は、

壱越 (いちこつ)がほぼ洋楽のニ音に相当し、以下、順に半音ずつ高くなっていくので、律名は音名といってもさしつかえない、

とある(ブリタニカ国際大百科事典)。しかし、

雅楽や声明、

を除けば、この12の律名はあまり用いられず、普通は、もっと実用的な、

一本(地歌・箏曲・長唄・豊後系浄瑠璃などでは黄鐘〈おうしき〉イ音、義太夫節では壱越ニ音)、
二本(変ロ音または嬰ニ音)、
三本(ロ音またはホ音)、

という名称が使われている(仝上)。

六調子(ろくちょうし・りくちょうし)、

は、

壱越(いちこつ)調・平(ひょう)調・双調・黄鐘(おうしき)調・盤渉(ばんしき)調・太食(たいしき)調、

をいう(仝上)。

壱越(いちこつ)、

は、

十二律の基音(第1律)で、洋楽のd(ニ音)とほぼ同じ高さの音、

で、雅楽でこの音を主音とする調子を、

壱越調、

といい、日本に伝来したとき、調の主音は、

壱越(いちこつ ニ)、平調(ひようぢよう ホ)、双調(そうぢよう ト)、黄鐘(おうしき イ)、盤渉(ばんしき ロ)、

の五つであり、

壱越は唐の古律の太簇(たいそう)であるが、俗律の黄鐘(こうしよう)とも考えられたので、日本ではこれを基準音とみなし、これを宮として以下4声を順次並べて徴調の五声音程の新五声(徴・羽・宮・商・角を宮・商・角・徴・羽と呼びかえたもの)を生じた、

とある(世界大百科事典)。「五声」については、「十二調子」で触れた。

「平」 漢字.gif

(「平」 https://kakijun.jp/page/hira200.htmlより)


「平」 金文・西周.png

(「平」 金文・西周 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%B9%B3より)

「平」(漢音ヘイ、呉音ビョウ、慣用ヒョウ)は、

象形。浮草が水面にたいらに浮かんだ姿を描いたもの。萍(へい 浮草)の原字。また、下から上昇する息が一線の平面につかえた姿とも言う、

とある(漢字源)。借りて「ひらたい」、たいらにするの意に用いる(角川新字源)。

「調」 漢字.gif



「調」(漢音チョウ、呉音ジョウ)は、「調楽」で触れた。

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2023年11月17日

白拍子(しらびょうし)


今様の會終夜ありて候、亂舞、猿楽、白拍子、品々しつくしき(梁塵秘抄口伝集10巻)、

とある、

白拍子(しらびょうし)、

は、

もとは雅楽の拍子の名で、笏拍子だけで等しい間隔で奏される拍の連続に当てて歌い奏する歌舞の名称、後に、白い水干に烏帽子姿で今様・短歌体歌謡等を歌いかつ舞う遊女が成立、その芸能の呼称ともなり、独自長歌謡を生む。仁和三年(1168)に平時忠らの今様の会のあとで乱舞して水白拍子を歌った(異本口伝集)記事もあり、宮廷をはじめとして寺社の延年でも行われた。楽器は、鼓・銅拍子など、

とある(馬場光子全訳注『梁塵秘抄口伝集』)。因みに、

延年(えんねん)、

は、

寺院において大法会の後に僧侶や稚児によって演じられた日本の芸能。単独の芸能ではなく、舞楽や散楽、台詞のやりとりのある風流、郷土色の強い歌舞音曲や、猿楽、白拍子、小歌など、貴族的芸能と庶民的芸能が雑多に混じり合ったものの総称、

とあり、

平安時代中頃より行われたと言われている。能の原型である猿楽との関連は深く、互いに影響を与えあったのは間違いない、

ともあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BB%B6%E5%B9%B4

白拍子.jpg

(白拍子 学研古語辞典より)

笏拍子(しゃくびょうし)、

は、

神楽(カグラ)・催馬楽(サイバラ)などで拍子をとるための楽器。初め二枚の笏を用いたが、のち笏を縦にまん中で二つに割った形となった。主唱者が両手に持ち、打ち鳴らして用いる、

とある(大辞林)。

主な歌い手がこれを打ち合わせて拍子をとる、

という(日本国語大辞典)。

笏拍子.bmp

(笏拍子 大辞林より)

白拍子、

は、雅楽の、

拍子、

の名で、

笏拍子(サクハウシ)のこと、

とある(大言海)。

神楽に用ゐて節をなすもの、

で、

形、笏の如く、二枚相撃ちて、音を発す、……俗に、

シャクビャウシ、

というとある(仝上)。和名類聚抄(平安中期)に、

拍子、俗云、百誦、拍板楽器名也、

とある。

おとどは、さくはうしおどろおどろしからず、打鳴らしたまひて(源氏物語)、

と、打楽器で、

普通の拍子、
または、
伴奏を伴わない、

意のようである(岩波古語辞典)。のちに、雜藝(ぞうげい・さづげい)で、

当世風の即興的な歌舞、

の名となり、さらに、

その舞を得意とした雜藝の専業者の呼称、

としても使われるようになる(仝上)。「雜藝」は、

平安後期から鎌倉時代にかけて流行した歌謡の総称、

で、催馬楽(さいばら)など古典的、貴族的なものに対して、

今様(いまよう)・沙羅林(さらりん)・法文歌・神歌など民間から出たもの、

をいう(デジタル大辞泉)。「梁塵秘抄」に収録されている歌謡が代表的。

白拍子、

の舞手は、初期には、男性によって演じられたが、院政・鎌倉時代には女性に限るようになり、

水干・烏帽子、白鞘巻をさした男装で、今様を歌いながら舞を舞った、

とあり(広辞苑・大言海・岩波古語辞典)、伴奏には、

扇拍子・鼓拍子、

を用い、

鼓、時には笛・銅鈸子(どびょうし)、

も用い、後に早歌(そうか)・曲舞(くせまい)などの生まれる素地となり(広辞苑)、曲舞を通して能楽にも影響を与え、女舞・女猿楽・女歌舞伎に芸系を伝え(大辞林)、能の『道成寺』にも取り入れられ、その命脈は歌舞伎舞踊(『京鹿子娘道成寺(きょうがのこむすめどうじょうじ)』など)にも受け継がれた(日本大百科全書)とある。

たとへばその頃都に聞へたる白拍子上手、祇王、祇女とておととい(姉妹)刀自(とじ)と云ふ白拍子が女なり(平家物語)、

と、

白拍子、シラビャウシ、妓女也(室町末期の節用集「伊京集」)、

とあるように、

遊女という身分の低さにもかかわらず、貴族階級の間で絶大な人気があった、

とある(仝上)。

白拍子姿の静御前(葛飾北斎).jpg

(白拍子姿の静御前(葛飾北斎肉筆畫) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E6%8B%8D%E5%AD%90より)

鳥羽院の頃に、島の千歳、和歌の前、二人の遊女、舞始めたりと云ふ(平家物語)、

とも、或いは、

通憲入道(みちのり 信西入道)、作りて、磯の禅師に舞はしめた(徒然草)、

ともある(大言海・日本大百科全書)。源義経の妾とされる、

静御前(しずかごぜん)、

は磯の禅師の娘とされているし、平清盛(きよもり)寵愛の、

祇王(ぎおう)・祇女(ぎじょ)・仏御前(ほとけごぜん)・千手(せんじゅ)、

後鳥羽天皇寵姫、

亀菊(かめぎく)、

等々の名はいずれも白拍子の名手として知られている(仝上)。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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2023年11月18日

示現


神社に参りて今様歌ひて、示現かぶること度々なる(梁塵秘抄口伝集第10巻)、

の、

示現(じげん)、

は、仏語、

為衆生故、示現八相、随縁在厳浄国土、転妙法輪度諸衆生(「往生要集(984~85)」)、

と、

仏菩薩が衆生救済のために、種々に身を変えてこの世に現われること、

をいい(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)、

現化(げんげ)、

ともいい(仝上)、「観音勢至」で触れたように、観音は、

衆生の求めに応じて種々に姿を変える

とされ、

観音の普門示現(ふもんじげん)、

といい、法華経「観世音菩薩普門品第二十五」(観音経)には、

衆生、困厄を被りて、無量の苦、身に逼(せま)らんに、観音の妙智の力は、能く世間の苦を救う。(観音は)神通力を具足し、広く智の方便を修して、十方の諸(もろもろ)の国土に。刹として身を現ぜざることなし。種々の諸の悪趣。地獄・鬼・畜生。生・老・病・死の苦は、以て漸く悉く滅せしむ、

と(観音経・普門品偈文)、

観世音菩薩はあまねく衆生を救うために相手に応じて「仏身」「声聞(しょうもん)身」「梵王身」など、33の姿に変身する、

と説かれておりhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A6%B3%E9%9F%B3%E8%8F%A9%E8%96%A9

三十三観音、

といい、その

三十三身、

は、「三十四身」で触れたように、

三十三種の異形(いぎょう)、

といい、すなわち、

辟支仏(びゃくしぶつ)・声聞(しょうもん)・梵王・帝釈・自在天・大自在天・天大将軍・毘沙門天・小王・長者・居士(こじ)・宰官(さいかん)・婆羅門(ばらもん)・比丘・比丘尼・優婆塞(うばそく)・優婆夷(うばい)・長者婦女・居士婦女・宰官婦女・婆羅門婦女・童男・童女・天・龍・夜叉・乾闥婆(けんだつば)・阿修羅・迦楼羅(かるら)・緊那羅(きんなら)・摩睺羅迦(まごらか)・執金剛、

をいう(精選版日本国語大辞典)。西国三十三所の観音霊場はその例になるが、その形の異なるに従い、

千手(せんじゅ)、十一面、如意輪(にょいりん)、准胝(じゅんてい)、馬頭(ばとう)、聖(しょう)、

を、

六観音、

不空羂索(ふくうけんさく・ふくうけんじゃく)、

を含めて、

七観音、

というなど様々の異称がある(マイペディア)。

示現、

は、

佛菩薩が衆生を救うために種々の姿に身を変えてこの世に出現する、

意をメタファに、

観音に祈り申しける夜の夢に、……と見て、夢覚ぬ。何なる示現にか有らむと恠(怪)み思て(今昔物語)、

と、

神仏が霊験を示し現わすこと、
夢の中に化身となって現われ、告知すること、

の意でも使う(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典)。

示現、

に似た言葉に、

応作

があり、

応化(おうげ・おうけ)、

と同義で、

応現(おうげん)、

ともいい、

仏・菩薩が衆生を救うためにいろいろに姿を変えて出現すること、

とある(広辞苑)が、

応現の働(精選版日本国語大辞典)、
応現、変化の謂い(大言海)、

の意とあるので、

阿彌陀仏五濁(ごぢょく)の凡愚をあはれみて、釈迦牟尼仏としめしてぞ、迦耶城(かやじゃ)には応現する(「三帖和讚」(1248~60頃)・諸経讃)、
舟より道に下れば老公見えず。其舟忽に失せぬ。乃ち疑はくは、観音の応化なることを(「霊異記(810~824)」)、

などと、

仏、菩薩などが衆生に応じた姿を現わす、その働き、

という意味がわかりやすいように思える(精選版日本国語大辞典)。

示現、

が、

仏菩薩が衆生救済のために、種々に身を変えてこの世に現われること、

という、

出現、

を言うとすると、

応作、

は、

仏菩薩などが衆生に応じた姿を現わす、その働き、、

という、

作用、

のことを指し、微妙に異なるように思える。

「示」 漢字.gif



「示」 甲骨文字・殷 .png

(「示」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%A4%BAより)

「示」(①漢音シ、呉音ジ、②漢音キ、呉音ギ)は、

象形。神霊の降下してくる祭壇を描いたもの。そこに神々の心が示されるので、しめすの意となった、後、ネ印に書かれ、神社、祇など、神や祭りに関することをあらわす(①の発音は、指示、顕示、訓示等々の、「示す」意、②の発音は、神示(神祇)と、地の神、祭壇に祀る神の意、となる)、

とある(漢字源)。

象形。先祖の神主(位牌)を象るhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%A4%BA

象形。祭事で、神の座に立てて神を招くための木の台の形にかたどる。もと、神を祭る意を表した。借りて、「しめす」意に用いる(角川新字源)、

象形文字です。「神にいけにえをささげる台」の象形から、「祖先の神」を意味する「示」という漢字が成り立ちました。また、「指(シ)」に通じ(同じ読みを持つ「指」と同じ意味を持つようになって)、「しめす」の意味も表すようになりましたhttps://okjiten.jp/kanji821.html

も同趣旨。

「現」 漢字.gif


「現」(漢音ケン、呉音ゲン)は、

会意兼形声。「玉+音符見」で、玉が見えることを示す。見は「みる」「みえる」を意味したが、特に「みえる」の意味をあらわすため、現の字が作られた、

とある(漢字源)。別に、

形声。玉と、音符見(ケン、ゲン)とから成る。玉の光沢があらわれ出る、ひいて、「あらわれる」意を表す(角川新字源)、

会意兼形声文字です(王(玉)+見)。「3つの玉を縦のひもで貫き通した」象形(「玉」の意味)と「大きな目と人の象形」(「見る」の意味)から、玉の光があらわれる事を意味し、そこから、「あらわれる」を意味する「現」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji865.html)、

とあるが、ただ、

形声。「玉」+音符「見 /*KEN/」。「玉の光」を意味する漢語{現 /*geens/}を表す字。のち仮借して「あらわれる」を意味する漢語{現 /*geens/}に用いる。かつて「会意形声文字」と解釈する説があったが、根拠のない憶測に基づく誤った分析である、

とあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%8F%BE

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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2023年11月19日

伽陀(かだ)


この所僧中伽陀の音ヲ別、一句ごとに畢也(梁塵秘抄口伝集11)、

の、

伽陀、

は、

偈陀、

とも表記し、梵語

gāthā、

の音写、

偈(げ)、

に同じ(広辞苑)とあり、

偈、

も、梵語、

Gāthā、

の音写、これを、

伽陀、

とも音写する(広辞苑)。漢語では、

頌(じゅ)、

あるいは、

讃(さん)、

とも翻訳され(仝上・精選版日本国語大辞典)、

仏典のなかで、仏の教えや仏・菩薩の徳をたたえるのに韻文の形式で述べたもの、

をいい、

偈頌(げじゅ)、
諷誦(ふじゅ)、

ともいう(仝上)。梵語、

Gāthā、

は、原意は、

歌、

で、梵語(サンスクリット語)のシラブル(音節)の数や長短などを要素とする韻文、

を指すhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%BD%E9%99%80。古来インド人は、詩を好む民族で、仏典においても、

詩句でもって思想・感情を表現するもの、

が多くこれが漢語では、

三言四言あるいは五言などの四区よりなる詩句で訳出された(日本大百科全書)。だから、

伽陀、

は、

四句づつなることが多ければ、

四句(しく)、

とも云ふ、

とあり(大言海)、

四句の偈

は、

要偈(ようげ)、
伝法要偈(でんぼうようげ)、

ともいう(精選版日本国語大辞典)。「四句の偈」は、

四句の文(しくのもん)、

ともいい、「雪山偈(せっせんげ)」(「是生滅法」で触れた)である、

諸行無常、
是生滅法、
生滅滅已、
寂滅為楽、

といった、

四句からなる偈の文句、

をいう(精選版日本国語大辞典)。これに対して散文部分を、

長行、

という(精選版日本国語大辞典・https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%81%88)とある。

漢語では、三言四言あるいは五言などの四句よりなる詩句で訳出され、たとえば、七仏通戒偈(しちぶつつうかいげ)で、

諸悪莫作(しょあくまくさ)、
諸善(しょぜん 衆善)奉行(ぶぎょう)、
自浄其意(じじょうごい)、
是諸仏教(ぜしょぶっきょう)、

とか、法身偈(ほっしんげ)で、

諸法従縁生(しょほうじゅうえんしょう)、
如来説是因(にょらいせつぜいん)、
是法従縁滅(ぜほうじゅうえんめつ)、
是大沙門説(ぜだいしゃもんせつ)、

と共に、「雪山偈」(「是生滅法」で触れた)も仏教の根本思想を簡潔に表現したもの(日本大百科全書)とされる。

『法華経』方便品第二の一部.jpg

(『法華経』方便品第二の一部(3行目までは「長行」、4行目からは1句5字の「偈」) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%81%88より)

伽陀、

つまり、

偈、

は、

声明(しょうみょう)の一つ、

とされ、声明では各種法要などで法要の趣旨に合った偈に、

定型の旋律をつけて唱える、

http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E4%BC%BD%E9%99%80

早はや上げ、早下げなどの伽陀独特の特徴的な旋律がある、

とある(仝上)。伽陀は、

法要の開始部分(前伽陀 ぜんかだ)と終結部分(後伽陀 ごかだ)とに唱える、

とある(仝上)。

声明、

は、

古代インドの五明(ごみょう)の一、

で、

文字・音韻・語法などを研究する学問、

を意味するが、

仏教の経文を朗唱する声楽の総称、

をいい、

言葉をもって仏を供養し讃歎することから抑揚をつけて行われた、

とありhttp://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E5%A3%B0%E6%98%8E、インドに起こり、中国を経て日本に伝来し、。中国では、

経唄(きょうばい)、梵唄、梵讃、唄匿(ばいのく)、梵音、

等々と呼ばれ(仝上)、日本では、天平勝宝四年(七五二)の東大寺大仏開眼供養会で四箇法要が行われ、

梵唄(ぼんばい)、

が唱えられたようである。法要儀式に応じて種々の別を生じ、また宗派によってその歌唱法が相違するが、平安時代に帰国僧によってもたらされた(仝上)、

天台声明と真言声明、

が声明の母体となっている(精選版日本国語大辞典)とある。

声明の曲節、

は、

平曲・謡曲・浄瑠璃・浪花節・民謡、

などに大きな影響を与えた(仝上)とされる。因みに、

五明(ごみょう)、

は、インドにおける五つの学問の分類で、

五明処、

ともいい、

①内明処(自宗の教えを明確にする学問、すなわち教理学)
②因明処(論理によって真偽を明確にする学問、すなわち論理学)
③声明処(言葉の使用法を明確にする学問、すなわち言語学や文法学)
④医方明処(病を治すための学問、すなわち医学や薬学)
⑤工業明処(工巧明ともいう。建築や技術に関する学問、すなわち工学や芸術)、

とされhttp://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E4%BA%94%E6%98%8E、この五つは、

仏教徒の五明、

であり、外道(仏教以外の諸宗)では、②~⑤は同じで①が符印明とされるもの、また③~⑤までは同じで①・②がそれぞれ符印明・呪術明とされるものがある(仝上)とある。

なお、

伽陀、

は、広義には、上述の通り、

韻文体の歌謡、漢文の詩句、偈文など、

をいうが、狭義には、原始経典を分類した、

九分教(くぶきょう)、
十二部経(じゅうにぶんきょう)、

などの一つをさし、

経文の一段、または全体の終わりにある韻文体の詩句、

をいう(精選版日本国語大辞典)とされる。

十二分教、

は、

(1)契経(教説を直接散文で述べたもの) 、
(2)応頌(散文の教説の内容を韻文で重説したもの)、
(3)諷頌(最初から独立して韻文で述べたもの)、
(4)因縁 (経や律の由来を述べたもの)、
(5)本事(仏弟子の過去世の行為を述べたもの)、
(6)本生(仏の過去世の修行を述べたもの)、
(7)希法(仏の神秘的なことや功徳を嘆じたもの)、
(8)譬喩(教説を譬喩で述べたもの)、
(9)論議(教説を解説したもの)、
(10)自説(質問なしに仏がみずから進んで教説を述べたもの)、
(11)方広 (広く深い意味を述べたもの)、
(12)記別(仏弟子の未来について証言を述べたもの)、

と(日本大百科全書)、仏教の経典の形態を形式、内容から12種に分類したものをいうが、九種の分類法である、

九部経、

がより古い形態とされているが、その九種については諸説あり、

戒律制定の事情を述べるニダーナ(因縁(いんねん)物語)、
過去仏の世のできごとを物語るアバダーナ(過去世物語)、
解釈説明の形式ウパデーシャ(釈論)、

を加えたものとする(仝上)他、

因縁 諸経の因縁を説くもの、
譬喩 譬え話となるべき過去の物語
論議 教法、

あるいは、

譬喩(教説を譬喩で述べたもの)、
論議(教説を解説したもの)、
自説(質問なしに仏がみずから進んで教説を述べたもの)、

を加えたもの(http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E5%8D%81%E4%BA%8C%E5%88%86%E6%95%99・ブリタニカ国際大百科事典)等々諸説ある。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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2023年11月20日


拍子をうつとて、笏のさへ舞をばなをしもつめて拍子をとり、刻笏の音にさへよと打に(梁塵秘抄口伝11)、

の、

笏(しゃく)、

は、

さく、

とも訓まし、

束帯着用の際、右手に持って威儀を整えた板片、

である(広辞苑)。唐制の、

手板(しゅはん)、

にならい、もとは、

裏に紙片を貼り、備忘のため儀式次第などを書き記した、

とある(仝上)。今日では、衣冠・狩衣・浄衣などにも用いる(仝上)。(「衣冠」は「宿直」で、「束帯」は「したうず」で、「狩衣」は「水干」で触れた。「浄衣」は、神事・祭祀・法会など宗教的な儀式の際に着用され、仏教(僧侶の僧衣)や神道(神職の神事服)をさす)。令制では、

初令天下百姓右襟、職事主典已上把笏。其五位以上牙笏。散位亦聴把笏。六位已下木笏(養老三年(719)二月乙巳)、

と、

五位以上は牙笏(げしゃく)、

と規定されたが、象牙(ぞうげ)の入手が困難なため、平安時代になると牙笏は礼服のみに用いられ、延喜式では、

聴五位已上、通用白木笏(大同四年(809)五月)

白木、

が許容され、以後礼服以外はすべて一位(いちい)・柊(ひいらぎ)・桜・榊(さかき)・杉などの木製となった(仝上)とある。長さは、

1尺3〜5寸、幅上2寸2〜3分、下1寸5分、厚さ2〜3分、

形は、

天皇は上下ともほぼ方形、臣下は上円下方として上が丸みを帯び、下部がしだいに幅狭くなり端が方形、

を例とした(日本大百科全書)とある。なお、神職は装束に関係なく木笏を常用(仝上)という。

笏.bmp

(笏 精選版日本国語大辞典より)

なお、引用の笏は、「白拍子」で触れた、

笏拍子(しゃくびょうし・さくほうし)、

の意かと思われ、

神楽(かぐら)歌・催馬楽(さいばら)などで、主唱者が拍子を取る打楽器、

で、

初め二枚の笏を用いたが、のち笏を縦にまん中で二つに割った形となった。主唱者が両手に持ち、打ち鳴らして用いる、

とある(大辞林)。歌舞伎囃子や能「道明寺」の特殊演出などにも転用された(広辞苑)とある。

「笏」 漢字.gif


「笏」(漢音コツ、呉音コチ、慣用シャク)は、

形声、「竹+音符勿(モツ)」、

で(漢字源)、日本で、前述のように、

シャクと訓むのは、コツが「骨」に通じるのを忌み、また日本で用いた笏の長さが、ほぼ一尺だったので、「尺」の音を借りたもの、

とある(漢字源・広辞苑)。なお、

笏を納める袋、

は、

笏袋(しゃくぶくろ)、

といい、

保存用で錦の類を用い、裏をつけて作る、

とある(精選版日本国語大辞典)。

笏取り直す、

というと、

あわてて笏を持ち直す。転じて、はっと気がついて姿勢を改め、威儀を正す、

意、

笏紙(しゃくがみ・しゃくし)

というと、

古く、朝廷で公事を行う時、

忽忘(こつぼう)、

に備え(大言海)、公卿が備忘のために儀式の次第などを書いて、笏の裏に貼りつけた紙、

をいい、

笏の木、

は、

笏の素材とされたため、いちい(一位)の異名、

である(精選版日本国語大辞典)。

「勿」 漢字.gif


「勿」 甲骨文字・殷.png

(「勿」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%8B%BFより)

「勿」(漢音ブツ、呉音モチ)は、

象形。さまざま色の吹き流しの旗を描いたもの。色が乱れてよく分からない意を示す。転じて、広く「ない」という否定詞となり、「そういう事がないように」という禁止のことばとなった、

とあるが、別に、

象形。弓のつるが切れたさまにかたどる。弓のつるを鳴らして魔よけを行うことから、否定・禁止の助字に用いる、

とも(角川新字源)、

象形文字です。「弓の弦(つる)をはじいて、払い清める」象形から、借りて(同じ読みの部分に当て字として使って)、「禁止。~してはいけない。~するな。」を意味する「勿」という漢字が成り立ちました、

ともhttps://okjiten.jp/kanji2378.html

象形。刀で物を二つに切るさまを象る。「きる」を意味する漢語{刎 /*mənʔ/}を表す字。のち仮借して否定の副詞{勿 /*mət/}に用いる、

ともあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%8B%BF。言葉の意味の流れからは、

魔除けの弦鳴らし→禁止、

がすんなり通る気がするのだが。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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