般若十六善神は、十六會(ゑ)をこそ守るなれ、もとより無漏(むろ)の法門は、中道にこそ通ふなれ(梁塵秘抄)、
の、
般若、
は、梵語、
prajñāの俗語形paññā、
の音写語(広辞苑)、
鉢羅若那、
の、
般は音、若は鉢の音便、
ともあり(大言海)
智慧・慧、
と訳し(広辞苑)、
あらゆる物事の本来のあり方を理解し、仏法の真実の姿をつかむ知性のはたらき、
最高の真理を認識する知恵、
の意(仝上・精選版日本国語大辞典)とするが、般若心経の註に、
般若者、梵語、此曰智慧、逐諸境界、心背眞、故不知无我、我即愚痴全體也、離愚痴謂智、有其方便謂慧、智者慧之體、慧者智之用也、衆生本来具足矣、
とあり、
智者慧之體、
慧者智之用、
と別けている。
三学・六波羅蜜の一つ、
である(広辞苑)。「三学(さんがく)」は、「禅定」で触れたように、
仏道修行者が修すべき三つの基本的な道、
つまり、
戒学(戒学は戒律を護持すること)、
定学(精神を集中して心を散乱させないこと)、
慧学(煩悩を離れ真実を知る智慧を獲得するように努めること)
をいう。この戒、定、慧の三学は互いに補い合って修すべきものであるとし、
戒あれば慧あり、慧あれば戒あり、
などという(仝上・ブリタニカ国際大百科事典)。この三学が、大乗仏教では、基本的実践道である六波羅蜜に発展する。「波羅蜜(はらみつ)」は、
サンスクリット語のパーラミター pāramitāの音写、
で、「六波羅蜜(ろくはらみつ)」は、
大乗仏教の求道者が実践すべき六種の完全な徳目、
布施波羅蜜(施しという完全な徳)、
持戒波羅蜜(戒律を守るという完全な徳)、
忍辱波羅蜜(にんにくはらみつ 忍耐という完全な徳)、
精進波羅蜜(努力を行うという完全な徳)、
禅定波羅蜜(精神統一という完全な徳)、
般若波羅蜜(仏教の究極目的である悟りの智慧という完全な徳)、
を指し、般若波羅蜜は、他の波羅蜜のよりどころとなるもの、とされる(仝上)。この、
般若波羅蜜、
の意である。「般若」には、他に、、
大般若経の略、
があり、冒頭引用の、
般若、
はこの意である。
般若経、
は、
智慧の完成(般若波羅蜜)を説く経典群の総称、
で、梵本・漢訳・蔵訳合わせて10系統以上、60種異常が現存する厖大な経典群であり、漢訳だけでも『正蔵』の般若部に四二部776巻が収められている。大乗仏教の先駆経典であり、
空・発菩提心・六波羅蜜などを説き、智慧の完成へ導く菩薩の実践が示されている、
とある(http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E8%88%AC%E8%8B%A5%E7%B5%8C)。
十六會、
とあるのは、
玄奘訳大般若経600巻をその内容などによって分けた16の分類、
を指し、
四処十六会(ししょじゅうろくえ)、
などと言い、
会は会座(えざ)のことで、大勢の人の集まりを意味し、四つの場所で16回に分けて説かれた、と言う意味になりますが、歴史的な史実ではありません、
とある(http://tobifudo.jp/newmon/okyo/shingy.html)。四処とは、
王舎城の鷲峯山(耆闍崛山)、
舎衛国の給孤独園、
他化自在天宮(「三界」の欲界六天の最上位)、
竹林精舎の白鷺池、
とされている(http://tobifudo.jp/newmon/okyo/shingy.html)。
(釈迦十六善神像(兵庫県立歴史博物館) 画面中央に釈迦如来と文珠・普賢の両脇侍菩薩、これらをとりまく十六善神に加え、大般若経の受持・伝来に関わったとされる法涌(ほうゆう)・常啼(じょうたい)の2菩薩、玄奘(げんじょう)三蔵、深沙(じんじゃ)大将を描き、最上方に天蓋(てんがい)を付す https://rekihaku.pref.hyogo.lg.jp/collection/selection/shaka/より)
般若十六善神(じゅうろくぜんしん)、
は、
十六尊の大般若経を守るとされる護法善神、
をいい、
十六大薬叉将、
十六夜叉神、
十六神王、
十六善神、
ともいい、一説によれば、十六善神は、
金剛界曼荼羅外金剛部院にある、護法薬叉の十六大護と同一、
とも、
四天王と十二神将(「薬師如来」で触れた)とを合わせたもの、
ともいわれる(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E5%85%AD%E5%96%84%E7%A5%9E)とある。
十六善神は、
16体の夜叉(やしゃ)神、
として、普通、釈迦、または釈迦三尊とともに描かれる場合が多く、また、正面に玄奘三蔵と深沙大将が左右対称で描かれる場合があり(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E5%85%AD%E5%96%84%E7%A5%9E)、
国土安穏、除災招福のため大般若経600巻を転読する大般若会(え)の本尊として懸用される、
とある(https://rekihaku.pref.hyogo.lg.jp/collection/selection/shaka/)。
(般若 広辞苑より)
最後に、「般若」は、能面のひとつとして、
2本の角、大きく裂けた口をもつ鬼女の面。女性の憤怒ふんぬと嫉妬しっととを表し、「葵上あおいのうえ」「道成寺」などに用いる、
般若面、
の意で使う(デジタル大辞泉)が、
このお面と、仏教用語の「般若」の間に直接的な関係はない、
とされる(https://mag.japaaan.com/archives/187362)。ただ、その由来には、
謡曲「葵の上」に、婦人の怨霊、人を悩ますを、僧祈りて、、経文(般若経)を唱ふ、祈りをこめられ、怨霊「あら恐ろしの般若聲や」と云ひて消ゆ。般若経に、菩薩の魔怨を摧伏することありと云ふ。般若聲は経文の聲なるを誤りて、怨霊の聲としたるか(山本北山『膳庵随筆』)、
とか、
十六善神は、般若経の守護神なれば云ふと云へど、男女の違いあり、
とか、
昔、或女房の、妬心深きを済度せむとして、般若坊と云ふ僧の打ちし面ありしよる起こる、其面、現に金春の家にありと。外面如菩薩、内心如夜叉の意を表せるかと云ふ、
等々の諸説ある(大言海)。江戸時代後期の随筆『嬉遊笑覧』(喜多村信節)に、
金春の家に、伝来の鬼女の古面、南都の般若坊の作と云ふ、
とある。
知恵の意の「般若」から、
般若の智水(ちすい)、
というと、
清澄な水にたとえて、聡明で事理に通じていることをいい、
般若の船(ふね)、
というと、
船にたとえて、迷いの此岸(しがん)からさとりの彼岸(ひがん)に導く般若(知慧)をいい、
般若声(こえ)、
というと、文字通り、
鬼女が発するような恐ろしい声、嫉妬に狂った声、
にもいうが、
知徳に満ちた仏の声、
や、
般若経を読誦する声。また、悪霊調伏の経文の声から、転じて、読経の声、
をいい(日本国語大辞典)。
般若面(づら)、
というと、
嫉妬に狂った女の顔をたとえて、般若の面に似た恐ろしい顔、
をいう(日本国語大辞典)。
(「般」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%88%ACより)
「般」(漢音ハン、呉音バン)は、
会意文字。左側の「舟」は「舟」の形ではない。「殳(動物の記号)+板の形」で、板(ハン)のように、平らに広げることをあらわす。のちに「舟+殳」の形に書くようになった、
とある(漢字源)。しかし、別に、
会意。舟と、殳(しゆ)(たたく)とから成る。舟べりを棒でたたいて、舟をめぐらせる意。ひいて「めぐる」意に用いる(角川新字源)、
会意文字です(舟+殳)。「渡し舟」の象形と「手に木のつえを持つ」象形から、大きな舟を動かす事を意味し、そこから、「はこぶ」を意味する「般」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji1222.html)、
ともある。
参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95