一夏の間を勤めつつ、晝夜に信心怠らず、拘隣(くりむ)比丘ぞ最初には、諦理(たいり)を悟りて道成りし(梁塵秘抄)、
の、
拘隣比丘、
は、釋迦が成道後に鹿野苑(ろくやおん)で初めて行った説法を聞いて弟子となった、
五人の比丘(出家修行者)、
の一人である。その五人とは、
アージュニャータ・カウンディンニャ(梵語Ājñāta-kauṇḍinya、パーリ語Añña-kodañña阿若憍陳如、俱隣、拘隣)、
アシュヴァジット(梵語Aśvajit、パーリ語Assaji馬勝、阿説示)、
ヴァーシュパ(梵語Vāṣpa、パーリ語Vappa婆沙波、婆頗)、
マハーナーマン(梵語Mahānāman、パーリMahānāma摩訶那摩、摩訶男)、
とある(http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E4%BA%94%E6%AF%94%E4%B8%98)が、
阿若・憍陳如(あにゃ・きょうちんにょ、アジュニャータ・カウンディンニャ、アンニャーシ・コンダンニャ)、
阿説示(あせつじ、アッサジ)、
摩訶摩男(まかなまん、マハーナーマン)、
婆提梨迦(ばつだいりか、バドリカ、バッディヤ)、
婆敷(ばしふ、ヴァシュフ、ワッパ、ヴァッパ)
ともあり(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E6%AF%94%E4%B8%98)、微妙に違う。
ともかく、彼らは最初、釈尊と共に苦行を行じていた苦行仲間であるが、
苦行は真の道にあらずと考えて苦行を放棄し、釈尊を見捨て、ベナレス(バラナシ)に立ち去った人、
である。しかし、成道後の釈尊の説法を聞いて、
まずアージュニャータ・カウンディンニャが、続いて他の四人も悟りを開き、五人は釈尊の弟子となった、
とある(http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E4%BA%94%E6%AF%94%E4%B8%98)。『無量寿経』諸本の冒頭に、釈尊の弟子を列挙する最初に、彼らが登場する(仝上)とある。これで、出家者の集団、つまり、
仏教教団、
が成立し、
真理を悟った仏、仏が説いた法、その仏と法に基づいて修行する僧伽、
の、
三宝、
が誕生した(仝上)される。『今昔物語』巻五第29話には、
今昔、天竺の海辺の浜に、大なる魚、寄りたりけり。其の時に、山人の行き通ずる五人有りけり。此の大魚を見て寄て、魚の肉を切取て、五人して食てけり。其れを始として、世の人、御名聞き継て来て、此の魚の肉を切取て食てけり。其の魚と云は、今の釈迦仏に在ます。大魚の身と成て、山人の道行かむに、我が肉を与へむと也。今の仏と成給て後、先づ、其の魚の肉を切取て食せし五人を先に教化して、道を成じ給ふ成けり。所謂る、其の五人と云は、拘隣(憍陳如)・馬勝比丘・摩訶男・十力迦葉・拘利太子、此等也となむ、語り伝へたるとや、
と、この五人を、
拘隣(くりむ 憍陳如)、
馬勝比丘、
摩訶男、
十力迦葉、
拘利太子、
と記している。『法華文句』には、
俱隣(拘隣、阿若憍陳如 あにゃきょうじんにょ)、
頞鞞(あんぴ)、
跋提(ばっだい)、
十力迦葉(じゅうりきかしょう)、
拘利(くり)、
とあるので、今昔物語は、これに依ったものかもしれない。
拘隣(くりむ)比丘ぞ最初には、諦理(たいり)を悟りて、
と冒頭にあるのは、最初に悟りを開いた逸話による。
拘隣(くりむ)、
は、サンスクリット(梵)語の音写は、
阿若憍陳如(あにゃきょうじんにょ)、
で、
阿若俱隣(あにゃくりん)、
とも言い、釋迦の、
最初の弟子、
である。
シッダッタ太子が出家したのを知り、他の4人を促して同行したという。あるいは、太子が出家し尼連禅河(ネーランジャナー)の畔の山中で苦行する際、浄飯王の要請で仲間四人と共に随行した。しかるに釈迦は6年に及び苦行をしたが、これでは真の悟りを得ないと了知し、苦行林を出て河畔の地主・村長の娘・スジャーター(善生)による乳がゆの供養を食した。憍陳如たちはそれを見て太子は苦行に耐えられず修行をやめたと思い込み、波羅奈国(ヴァーラーナシー)の鹿野苑に去ってしまった、
とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E8%8B%A5%E3%83%BB%E6%86%8D%E9%99%B3%E5%A6%82)。
阿若・憍陳如、
は、
阿若多・憍陳如、阿若多・憍陳那、阿若・憍隣、阿若・拘隣、阿若・倶隣、
等々と音写され、
了本際、知本際、已知、解了、了教、無知、火器、
等々と訳し、
憍陳如、憍陳那、憍隣、拘隣、倶隣、
と略称される(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E8%8B%A5%E3%83%BB%E6%86%8D%E9%99%B3%E5%A6%82)。
阿説示(あせつじ)、
は、
阿湿貝、阿輸波祇、阿説多、
等々と音写し、
馬勝、馬師、馬星、馬宿、無勝、
等々と訳す(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E8%AA%AC%E7%A4%BA)。
摩訶摩男(まかなまん)、
は、
摩訶那摩、摩訶摩男、
等々と音写、
大名、
等々と訳す(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%91%A9%E8%A8%B6%E7%94%B7)。
婆提梨迦(ばつだいりか)、
は、
跋提梨迦、婆帝梨迦、跋陀羅、跋多婆、
等々と音写し、
跋提、婆提、跋直、
等々と略し、
小賢、賢善、有賢、仁賢、最勝、善勝、
等々と訳す(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A9%86%E6%8F%90%E6%A2%A8%E8%BF%A6)。
婆敷(ばしふ)、
は、
婆沙波、婆湿渡、婆婆、愛波、
等々とも音写し、
正語、気息、長気、禅気、涙出、起気、
等々と訳す(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A9%86%E6%95%B7)。
悟りを開いた後(成道)、ヴァーラーナスィー(波羅奈国)のサールナート(仙人堕処)鹿野苑(施鹿林)において、元の5人の修行仲間(五比丘)に初めて仏教の教義を説いた、
のを、
初転法輪(しょてんぽうりん)、
という(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%9D%E8%BB%A2%E6%B3%95%E8%BC%AA)が、釋迦は、この五人の前に、
アージーヴィカ教徒の修行者ウパカ、
に対して説法し、失敗したとされる(https://true-buddhism.com/founder/gobiku/)。ただ、後に、ウパカは、釈迦に帰依して出家したとされる(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%9D%E8%BB%A2%E6%B3%95%E8%BC%AA)らしいが。
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
ラベル:五人比丘