この所僧中伽陀の音ヲ別、一句ごとに畢也(梁塵秘抄口伝集11)、
の、
伽陀、
は、
偈陀、
とも表記し、梵語
gāthā、
の音写、
偈(げ)、
に同じ(広辞苑)とあり、
偈、
も、梵語、
Gāthā、
の音写、これを、
伽陀、
とも音写する(広辞苑)。漢語では、
頌(じゅ)、
あるいは、
讃(さん)、
とも翻訳され(仝上・精選版日本国語大辞典)、
仏典のなかで、仏の教えや仏・菩薩の徳をたたえるのに韻文の形式で述べたもの、
をいい、
偈頌(げじゅ)、
諷誦(ふじゅ)、
ともいう(仝上)。梵語、
Gāthā、
は、原意は、
歌、
で、梵語(サンスクリット語)のシラブル(音節)の数や長短などを要素とする韻文、
を指す(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%BD%E9%99%80)。古来インド人は、詩を好む民族で、仏典においても、
詩句でもって思想・感情を表現するもの、
が多くこれが漢語では、
三言四言あるいは五言などの四区よりなる詩句で訳出された(日本大百科全書)。だから、
伽陀、
は、
四句づつなることが多ければ、
四句(しく)、
とも云ふ、
とあり(大言海)、
四句の偈、
は、
要偈(ようげ)、
伝法要偈(でんぼうようげ)、
ともいう(精選版日本国語大辞典)。「四句の偈」は、
四句の文(しくのもん)、
ともいい、「雪山偈(せっせんげ)」(「是生滅法」で触れた)である、
諸行無常、
是生滅法、
生滅滅已、
寂滅為楽、
といった、
四句からなる偈の文句、
をいう(精選版日本国語大辞典)。これに対して散文部分を、
長行、
という(精選版日本国語大辞典・https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%81%88)とある。
漢語では、三言四言あるいは五言などの四句よりなる詩句で訳出され、たとえば、七仏通戒偈(しちぶつつうかいげ)で、
諸悪莫作(しょあくまくさ)、
諸善(しょぜん 衆善)奉行(ぶぎょう)、
自浄其意(じじょうごい)、
是諸仏教(ぜしょぶっきょう)、
とか、法身偈(ほっしんげ)で、
諸法従縁生(しょほうじゅうえんしょう)、
如来説是因(にょらいせつぜいん)、
是法従縁滅(ぜほうじゅうえんめつ)、
是大沙門説(ぜだいしゃもんせつ)、
と共に、「雪山偈」(「是生滅法」で触れた)も仏教の根本思想を簡潔に表現したもの(日本大百科全書)とされる。
(『法華経』方便品第二の一部(3行目までは「長行」、4行目からは1句5字の「偈」) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%81%88より)
伽陀、
つまり、
偈、
は、
声明(しょうみょう)の一つ、
とされ、声明では各種法要などで法要の趣旨に合った偈に、
定型の旋律をつけて唱える、
が(http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E4%BC%BD%E9%99%80)、
早はや上げ、早下げなどの伽陀独特の特徴的な旋律がある、
とある(仝上)。伽陀は、
法要の開始部分(前伽陀 ぜんかだ)と終結部分(後伽陀 ごかだ)とに唱える、
とある(仝上)。
声明、
は、
古代インドの五明(ごみょう)の一、
で、
文字・音韻・語法などを研究する学問、
を意味するが、
仏教の経文を朗唱する声楽の総称、
をいい、
言葉をもって仏を供養し讃歎することから抑揚をつけて行われた、
とあり(http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E5%A3%B0%E6%98%8E)、インドに起こり、中国を経て日本に伝来し、。中国では、
経唄(きょうばい)、梵唄、梵讃、唄匿(ばいのく)、梵音、
等々と呼ばれ(仝上)、日本では、天平勝宝四年(七五二)の東大寺大仏開眼供養会で四箇法要が行われ、
梵唄(ぼんばい)、
が唱えられたようである。法要儀式に応じて種々の別を生じ、また宗派によってその歌唱法が相違するが、平安時代に帰国僧によってもたらされた(仝上)、
天台声明と真言声明、
が声明の母体となっている(精選版日本国語大辞典)とある。
声明の曲節、
は、
平曲・謡曲・浄瑠璃・浪花節・民謡、
などに大きな影響を与えた(仝上)とされる。因みに、
五明(ごみょう)、
は、インドにおける五つの学問の分類で、
五明処、
ともいい、
①内明処(自宗の教えを明確にする学問、すなわち教理学)
②因明処(論理によって真偽を明確にする学問、すなわち論理学)
③声明処(言葉の使用法を明確にする学問、すなわち言語学や文法学)
④医方明処(病を治すための学問、すなわち医学や薬学)
⑤工業明処(工巧明ともいう。建築や技術に関する学問、すなわち工学や芸術)、
とされ(http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E4%BA%94%E6%98%8E)、この五つは、
仏教徒の五明、
であり、外道(仏教以外の諸宗)では、②~⑤は同じで①が符印明とされるもの、また③~⑤までは同じで①・②がそれぞれ符印明・呪術明とされるものがある(仝上)とある。
なお、
伽陀、
は、広義には、上述の通り、
韻文体の歌謡、漢文の詩句、偈文など、
をいうが、狭義には、原始経典を分類した、
九分教(くぶきょう)、
十二部経(じゅうにぶんきょう)、
などの一つをさし、
経文の一段、または全体の終わりにある韻文体の詩句、
をいう(精選版日本国語大辞典)とされる。
十二分教、
は、
(1)契経(教説を直接散文で述べたもの) 、
(2)応頌(散文の教説の内容を韻文で重説したもの)、
(3)諷頌(最初から独立して韻文で述べたもの)、
(4)因縁 (経や律の由来を述べたもの)、
(5)本事(仏弟子の過去世の行為を述べたもの)、
(6)本生(仏の過去世の修行を述べたもの)、
(7)希法(仏の神秘的なことや功徳を嘆じたもの)、
(8)譬喩(教説を譬喩で述べたもの)、
(9)論議(教説を解説したもの)、
(10)自説(質問なしに仏がみずから進んで教説を述べたもの)、
(11)方広 (広く深い意味を述べたもの)、
(12)記別(仏弟子の未来について証言を述べたもの)、
と(日本大百科全書)、仏教の経典の形態を形式、内容から12種に分類したものをいうが、九種の分類法である、
九部経、
がより古い形態とされているが、その九種については諸説あり、
戒律制定の事情を述べるニダーナ(因縁(いんねん)物語)、
過去仏の世のできごとを物語るアバダーナ(過去世物語)、
解釈説明の形式ウパデーシャ(釈論)、
を加えたものとする(仝上)他、
因縁 諸経の因縁を説くもの、
譬喩 譬え話となるべき過去の物語
論議 教法、
あるいは、
譬喩(教説を譬喩で述べたもの)、
論議(教説を解説したもの)、
自説(質問なしに仏がみずから進んで教説を述べたもの)、
を加えたもの(http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E5%8D%81%E4%BA%8C%E5%88%86%E6%95%99・ブリタニカ国際大百科事典)等々諸説ある。
参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95