2023年12月21日

帷子雪


霰まじる帷子雪はこもんかな(芭蕉)、

の、

帷子雪(かたびらゆき)、

は、

薄くふりつもった雪、

をいう(広辞苑)が、一説に、

一片が薄くて大きな雪、

にもいう(大辞林・デジタル大辞泉)。

極々霰.jpg

(極々霰(ごくごくあられ) https://www.kimononobi.co.jp/SHOP/1200017.htmlより)

こもん、

は、

霰小紋、

のことで、

霰小紋(あられこもん・あられごもん)、

は、霰のような大小の白い斑の、

あられの模様の小紋、

のことで、

霰形の細かい文様を一面に染め出した、

染め物の模様の名称をいい(広辞苑)、近世では、

鮫(さめ)小紋などの規則正しく配列したものをいい、裃(かみしも)などに多く用いた、

とある(精選版日本国語大辞典)。

小紋、

は、古くは、

今宮、こもんの白き綾の御衣小紋かさね奉りて(宇津保物語)、

と、

錦、綾などで細かい模様を織り出したもの、

だが(仝上)、一説に、

種々の文様を、布帛の地一面に、細かく染め出したるものなるべし、

とあり(仝上・大言海)、後世、

布帛の地の種々の色に、星、或は、霰、其外の模様を、極めて細密に、白く染めだすもの、皆型染(カタゾメ)なり、

とある(仝上)。江戸後期の三都(京都・大阪・江戸)の風俗、事物を説明した類書(百科事典)『守貞謾稿』には、

小紋は、形染也、極細密のものにて、三都ともに、男子は、裃、必ず用之、夏の単衣織地、絽、絹、龍文(りゅうもん 太い糸で平織りにした絹織物。織り目は斜めで地は厚い。江戸時代には袴(はかま)や帯地などに用いた)の類、用之、

とある。

帷子(帷)」は、

几帳、帳(とばり)など懸けて隔てとした布、

の意もあるが、

裏をつけない衣服、

つまり、

ひとえもの、

の意でもあり、

袷(あわせ)でなく裂(きれ)の片方を意味し、帳(ちよう)の帷(い)や湯帷子(ゆかたびら)はその原義を示している、

とある(世界大百科事典)。

単衣(帷子).jpg

(単(ひとえ) 近世の単の図であり、横繁菱の文様が、表裏違っているように見えるが、これは表の文様は浮いており、裏が沈んでいるため4個のように見える。『有職故実図典』より)


「帷」 漢字.gif



「帷」(イ)は、

形声。「巾+音符淮(ワイ)の略体で、周囲に垂らす布。まるく取巻く意を含む。中国最古の字書『説文解字』(後漢・許慎)に、「旁(かたわら)にあるを帷という」とあり、わきを取り巻く意と解する、

とある(漢字源)。別に、

形声文字です(忄(心)+隹)。「心臓」の象形(「心」の意味)と「尾の短いずんぐりした小鳥」の象形(「小鳥」の意味だが、ここでは、「維(イ)」に通じ(「維」と同じ意味を持つようなって)、「つなぐ」の意味)から、「1つの事に心を繋ぎ止めて思う」、「よく考える」を意味する「惟」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji2278.html

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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2023年12月22日

節季候(せっきぞろ)


節季候の来れば風雅も師走哉(芭蕉)、

の、

節季候(せっきぞろ)、

は、

せきざうらふ、
せきぞろ、

ともいい、

節季(せっき)にて候、

の意(デジタル大辞泉)で、

歳末(普通は十二月下旬)、笠に歯朶を挿し顔を赤い布で覆った異装で家々を回り、数人で歌い踊って米銭を受ける物乞い、

とある(松尾芭蕉(雲英末雄・佐藤勝明訳註)『芭蕉全句集』)。「厄払」は、

大晦日や節分の夜、厄難を祓う詞を唱えて豆と銭を受ける物乞い、

である(仝上)。

節季候(せっきぞろ).jpg

(節季候(せっきぞろ)デジタル大辞泉より)

いわゆる、

門付け芸人、

で、12月の初めから27、8日ごろまで、

羊歯(しだ)の葉を挿した笠をかぶり、赤い布で顔をおおって目だけを出し、割り竹をたたきながら二、三人で組になって町家にはいり、

ああ節季候節季候、めでたいめでたい、

と唱えて囃(はや)して歩き、米銭をもらってまわったもの(日本国語大辞典)で、割竹で胸をたたいたので、

胸叩、

とも呼ばれたhttps://kigosai.sub.jp/001/archives/17531。のちには、

紙の頭巾(ずきん)に宝尽しの紙前垂れをし、四つ竹、小太鼓、拍子木などを鳴らし、女の三味線に合わせてにぎやかに囃して、

せきぞろ ほうほう 毎年毎年旦那のお庭へ飛び込めはねこめ、

などと唱えて歩いた(世界大百科事典)。

節季候(職人尽).jpg

(節季候(職人尽絵詞) 日本大百科全書より)

ばかりでなく太鼓もたたいてやってきた、

という。元禄(げんろく)時代(1688~1704)から盛んに行われた、一種の、

物乞(ご)い、

で、

凶作の時代に多く出た、

とあるhttps://kigosai.sub.jp/001/archives/17531。以前は三都にあったが、江戸時代末期には江戸の街だけとなった(日本大百科全書)という。折口信夫は、

山人、

が、

笠をつけみの(蓑)をまとい、山苞(やまづと)として削掛け(けずりかけ)などの棒や杖を所持して、宮廷の祭りには呪詞(いわいごと)を述べに来た、

とし、のちには村々を訪れて祝福を与えていく、

節季候(せきぞろ)などの遊芸、門付人ともなっていく、

としている(世界大百科事典)。

節季、

は、

日葡辞書(1603~04)に、

セッキ。トシノスエ、

とあり、

年の暮れ、

の意である。

節季候(学研全訳古語辞典).jpg

(節季候 学研古語辞典より)

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2023年12月23日

五器一具


此こゝろ推せよ花に五器一具(芭蕉)

の、

五器一具、

は、

一組の御器で、修行僧が携行する蓋の付いた椀、

であり(松尾芭蕉(雲英末雄・佐藤勝明訳註)『芭蕉全句集』)、

支考が奥羽行脚をするに際して、風雅の旅の心得を示した餞別吟、

とあり、

「花」は風雅の象徴、

で、支考の、

酒さへ呑ば馬鹿尽し候(五月七日付去来宛書簡)、

という一面への忠告でもあろう(仝上)と注記がある。芭蕉自身、

つくしのかたにまかりし比、頭陀に入し五器一具、難波津の旅亭に捨しを破らず、七とせの後、湖上の粟津迄送りければ、是をさへ過しかたをおもひ出して哀なりしまゝに、翁へ此事物語し侍りければ、

という前書きの後、

これや世の煤にそまらぬ古合子(ふるごふし)、

の句がある。

合子(ごうす・ごうし)、

も、

盒子、

とも当て、

蓋付きの器、

をいう(仝上)。

身と蓋(ふた)とを合わせる、

の意で、多くは、

いみじう穢き物。なめくぢ、えせ板敷のははき(帚)のすゑ、殿上の合子(枕草子)、

と、

扁球形で材質は陶磁器、漆器、金属器などで、香合(こうごう)、化粧品入、薬味入、印肉入、

などとある(精選版日本国語大辞典)が、和名類聚抄(平安中期)に、「合子」について、

唐式云、尚食局、漆器三年一換、供毎節料朱合等五年一換、今案、朱合(しゅあい)、俗所謂朱漆合子也、

とある。「穢き物」とされるわけだ。

合子.bmp

(合子 精選版日本国語大辞典より)

五器、

は、

御器、
合器、

とも当て(広辞苑・大言海)、

合子(がふし)の器、蓋つきの椀、

で(大言海)、

木製、陶製、金属製、

などがある(精選版日本国語大辞典)。

五器.jpg


その由来は、

合器(がふき)の約(狭布(ケフフ)、むふ。納言(なふごん)、なごん)(大言海)、
ゴキ(盒器)の義(俗語考)、

とあり、いずれも、

蓋つき、

の意からきているようだが。

「ごうき(合器)」の変化したもの、

とするには、

「合器」という語は見えず、「器」に接頭辞「御」を加えたものかと思われる、

とある(精選版日本国語大辞典・日本語源大辞典)。

御器、

は、漢籍では、

御器不以度(新書・輔佐)、

と、

天子の道具を言い、日本でも、

直広貮已上者、特賜御器膳幷衣装、極樂而罷(続日本紀)、

と、

皇室関係の人物のための器に対して用いられている(仝上)。しかし、

殿の御(み)ごきをなむ、一具賜へる(落窪物語)、

と、

五器、

に更に敬語接頭辞を加えた、

御ごき、

の例があり、早く普通語と理解されたようである(仝上・大言海)。中世以降には、

呉器、
五器、

と書かれた例が見え、やがて「ごき」は庶民の食器にも用いられるようになり、近世以降は、

修行僧の食器、

や、

今の閭に、御器下げて心がらの、非人仇討(近松・淀鯉出世瀧徳)、

と、

乞食が食物を乞うために持っている椀(わん)、

をいう(仝上)。ただ、現代方言では、単に、

椀、

を意味し、

ゴキブリ(ゴキカブリ)、

の、「ゴキ」も椀である(日本語源大辞典)とある。

なお、高麗茶碗(こうらいぢゃわん)の一つに、

呉器(ごき)、

があるが、

五器、

とも当て、禅寺で使う漆器の、

御器、

に形が似ているところからよばれたという(精選版日本国語大辞典)。高台は高く張りぎみで、その形色などの特徴によって、

大徳寺呉器、
一文字呉器、

など種々の名称がある(仝上)。

大徳寺呉器茶碗.jpg

(大徳寺呉器 https://turuta.jp/story/archives/19411より)

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

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2023年12月24日

した面(おもて)


月やその鉢木(はちのき)の日のした面(おもて)(芭蕉)、

の、

した面(おもて)、

は、

シテが面を付けず素顔で演じること、

をいう、

直面(ひたおもて)、

の訛言とされる(松尾芭蕉(雲英末雄・佐藤勝明訳註)『芭蕉全句集』)とある。

ひたおもて、

は、

ひためん、

の意である。

小面.jpg


直面、

は、

ちょくめん、

と訓ませると、

困難に直面する、

というような、

接に物事に対すること、
避けられないような状態で物事に出会うこと、

の意になるし、

じきめん、

と訓ませると、

御自身に御出なされませい、直面(ヂキメン)におわたしませふ(浮世草子「傾城仕送大臣(1703)」)、

と、

直接に面会すること、

の意となり、

ひたおもて、

と訓ませると、

ただかう殿上人のひたおもてにさしむかひ(「紫式部日記(1010頃)」)、

と、

ひたおもてなり、

という形容動詞で、

直接、顔を合わせてさし向かうこと、
覆いかくすところなく直接的であること、またそのさま、

の意で使う(学研全訳古語辞典・精選版日本国語大辞典)。ただ、

ひたおもて、

には、

ひためん(直面)、

の意があり、昔は、

直面(ひためん)、

は、

ひたおもて、

と訓ませ、

顔を隠さないでいること、

とされていた(https://nohmask21.com/hitamen.html)とある。世阿弥は、

ひためんこれ又、大事也(「風姿花伝(1400~02頃)」)、

と、

能を演ずるシテ、またはシテツレが、面をつけないこと、また、その役柄、

をいい(仝上)、

面をかけない場合でもかけた時と同じ心持で役を勤める

ことをいうhttps://db2.the-noh.com/jdic/2009/02/post_83.html。このため、

素顔の状態でも喜怒哀楽の表情を露骨に出すことはなく、面をかけた役との調和が図られている、

とある(仝上)。

白色尉(白式尉).jpg

(翁面(白色尉(白式尉)) https://www.nohgaku.or.jp/guide/%E8%83%BD%E3%81%AE%E9%9D%A2より)

素顔もまた面、

という考え方http://www.kamekawa-d.com/AON/article/%E7%9B%B4%E9%9D%A2%E3%81%A8%E3%81%AF/のようで、

文字通りの素顔で、歌舞伎役者のように厚化粧や隈取りを施すこともありませんし、顔や筋肉や目玉を派手に使う事も無く、全く能面そのものの如く、表情を動かさずに演技する事を要求されます、

とある(仝上)。直面を使用するのは、

およそ70歳にならないと難しい、

とされ、

その顔に刻まれた豊かな人生の経験、品格が積み重なってこそ、「直面」として使える、

とあるhttps://nohmask21.com/hitamen.html

直面物(ひためんもの)、

というと、

神や幽霊でない現実の男性の役、すなわち面を用いない役を主人公とする能、

で、

「鉢木」「安宅」など現在物に限られる、

とある(広辞苑・大辞林)。

「直」 漢字.gif



「直」 甲骨文字・殷.png

(「直」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%9B%B4より)


「直」 金文・西周.png

(「直」 金文・西周 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%9B%B4より)

「直」(漢音チョク、呉音ジキ)は、

会意。原字は「―(まっすぐ)+目」で、まっすぐ目を向けること、

とある(漢字源)。『中国最古の字書『説文解字』(後漢・許慎)では、

「十」+「目」+「𠃊」から構成される会意文字、

と説明されているが、これは誤った分析であるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%9B%B4とし、

会意。「|」(直線)+「目」から構成され、まっすぐな視線を象る。「まっすぐな」を意味する漢語{直 /*drək/}を表す字、

とある(仝上)。

「面」 漢字.gif


なお、「面」(漢音ベン、呉音メン)は、「面(おも)なし」で触れたように、

会意。「首(あたま)+外側をかこむ線」。頭の外側を線でかこんだその平面を表す、

とあり(漢字源)、

指事。𦣻(しゆ=首。あたま)と、それを包む線とにより、顔の意を表す(角川新字源)、
指事文字です。「人の頭部」の象形と「顔の輪郭をあらわす囲い」から、人の「かお・おもて」を意味する「面」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji541.html

も、漢字の造字法は、指事文字としているが、字源の解釈は同趣旨。別に、

仮面から目がのぞいている様を象る(白川静)、

との説https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%9D%A2もある。

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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2023年12月25日

布袋


物ほしや袋のうちの月と花(芭蕉)、

の、

袋、

は、

布袋の袋、

を指し、画賛句のようで、

布袋様の袋には月や花もあるはずで、何やら物ほしい気持ちになる、

と、注釈がある(松尾芭蕉(雲英末雄・佐藤勝明訳註)『芭蕉全句集』)。

布袋(葛飾北斎 ).jpg

(布袋(葛飾北斎) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%83%E8%A2%8Bより)

布袋(ほてい)、

は、

唐末・後梁の禅僧、名は契此(かいし、または釈を付けて釈契此(しゃくかいし)とも)、号は長汀子(ちょうていし)、

で(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%83%E8%A2%8B・広辞苑・大辞林)、

明州奉化県の岳林寺に名籍をもつだけで、嗣法を明かさず、居所を定めず、

といい(世界大百科事典)

容貌は福々しく、肥えた腹を露出し、日常生活用具を入れた袋を背負い杖を持って喜捨を求め市中を歩き、人の運命や天候を予知した、

という(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%83%E8%A2%8B・広辞苑・大辞林)。

布袋図( 歌川国芳 ).jpg

(『布袋図』(歌川国芳)  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%83%E8%A2%8Bより)

人々が与えるものは何でも布袋(ぬのぶくろ)に放り込んだことから、

布袋、

の名を得た(世界大百科事典)といい、後梁の貞明二年(916)に没したと伝えられる(精選版日本国語大辞典)。中国禅宗の諸祖における一種の異称の字典『禅林口実混名集』に、

布袋和尚、釋契此者、不詳氏族、形裁畏(腲脮(わいたい 肥えている)、蹙頞(しゅくあつ 顔をしかめる)皤腹(はふく 腹がふくれている)、常以杖荷布嚢入鄽、時號長汀子、布袋和尚、江浙閒畫其像焉、

とある。生前から、

神異の行跡が多く、分身の奇あり、一鉢千家の飯、孤身幾度の秋云々、その他、謎のような偈頌(げじゆ)が知られ、

て(世界大百科事典)、

弥勒の化身、

といわれ、鎌倉時代の説話集『十訓抄』に、

布袋和尚の十無益をかき給へる中に、文武不備、心高無益とあり、和尚は彌勒の化作なり、

とある。北宋代の禅宗灯史(伝承の歴史)『景徳伝灯録』(けいとくでんとうろく)に、布袋は死の間際に、

彌勒真彌勒 分身千百億(弥勒は真の弥勒にして分身千百億なり)
時時示時分 時人自不識(時時に時分を示すも時人は自ら識らず)

という名文を残したhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%83%E8%A2%8Bことも、弥勒菩薩の化身なのだという伝説を広める一因となったが広まったという(仝上)。

その円満の相は好画材として多く描かれ、日本では、室町時代後期には、

七福神

の一人として信仰されるようになり(広辞苑・大辞林)、真言三宝宗大本山清荒神清澄寺では三宝荒神の眷属とされるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%83%E8%A2%8B。ただ、七福神が確定するのは、

江戸後期、

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%83%E8%A2%8B、仙厓の『七福神画賛』には布袋が描かれているが福禄寿ではなく稲荷神が描かれている(仝上)、とある。

『日本七福神伝』の凡例によると、

國俗、以吉祥、辨才、多聞、大国四天、布袋和尚、南極老人、及吾国蛭子神、称七福神祭之、

となっており、『狂言七福神』では、

恵比須(蛭子)・大黒天・毘沙門天・弁財天・布袋・福祿寿・寿老人、

『七福神考』では、

えびす(夷、恵比須)、大黒天、毘沙門天(びしやもんてん)、布袋、福禄寿、寿老人、弁財天、

としているらしいhttp://koshigayahistory.org/274.pdfが、今日は、

えびす(夷、恵比須)、大黒天、毘沙門天、布袋(ほてい)、福禄寿、寿老人、弁財天、

で、近世には、

福禄寿と寿老人が同一神とされ、吉祥天もしくは猩々(しようじよう)が加えられていたこともある、

とある(世界大百科事典)。因みに、

南極老人(なんきょくろうじん)、

は、

南極老人星(カノープス りゅうこつ座α星)を神格化した道教の神、

で、

南極仙翁、
寿星、

ともいい、『西遊記』『封神演義』『白蛇伝』など小説や戯曲に神仙として登場することも多く、日本では七福神の福禄寿と寿老人のモデルだと言われるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E6%A5%B5%E8%80%81%E4%BA%BAとある。

七福神.jpg

(七福神 日本大百科全書より)

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
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2023年12月26日

からくれない


ちはやぶる神代もきかず竜田川から紅に水くくるとは(業平)、

の、

から紅、

は、

唐紅、
韓紅、

と当て、

朝鮮半島から渡来した紅の色、

と注記がある(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。

唐紅.jpeg



紅葉.jpeg


(韓からの)舶来の紅、

の意で、

濃い紅色、
深紅色、

であるが、この言葉の由来については、

韓からきた紅花の意。カラ(韓)紅の義(和訓栞)、
韓は借字か、カラは、赤(アカラ)の略にて、呉藍(ごあゐ)の鮮明なるを云ふならむ(大言海)、
カラクレナヰ(辛紅)の意(言元梯)、

と異説もある。

唐紅の鮮やかで濃い赤色を出すには、エジプト原産の「紅花(べにばな)」という花が使われます。外国から日本に入ってきた製法のため、外から渡来した意味をもつ「唐」をあて、「唐紅」になった、

ようでありhttps://biz.trans-suite.jp/89280

紅花には赤と黄色の色素が存在していますが、赤い色素だけを抽出し、それを用いて染めたもの、

が「韓紅」とありhttps://pex.jp/point_news/036b4d26fe05035c842e488311be28b2

何度も赤い染め液に浸すことによって、あざやかで濃い紅色(くれないいろ)になる、

とある(仝上)。日本に5世紀頃で、「呉(ご)」から伝わったため、当初は、

呉藍(くれのあい)、

と呼ばれていた(仝上)。だから、奈良時代には、

紅の八塩(くれないのやしお)、

とも呼ばれていた(仝上)。「八塩(やしほ)」は、

八入

とも当て、

何回も染汁に浸してよく染めること、
濃くよく染まること、

の意で、

やしほぞめ、

とも言う(広辞苑・仝上)。「八入」で触れたように、

や(八)、

は、

ヨ(四)と母音交替による倍数関係をなす語。ヤ(彌)・イヤ(彌)と同根、

とあり(岩波古語辞典)、「八」という数の意の他に、

無限の数量・程度を表す語(「八雲立つ出雲八重垣」)、

で、

もと、「大八洲(おほやしま)」「八岐大蛇(やまたのおろち)」などと使い、日本民族の神聖数であった、

とする(仝上)。ただ、

此語彌(いや)の約と云ふ人あれど、十の七八と云ふ意にて、「七重の膝を八重に折る」「七浦」「七瀬」「五百代小田」など、皆數多きを云ふ。八が彌ならば、是等の七、五百は、何の略とかせむ、

と(大言海)、「彌」説への反対説があり、

副詞の「いや」(縮約形の「や」もある)と同源との説も近世には見られるが、荻生徂徠は「随筆・南留別志(なるべし)」において、「ふたつはひとつの音の転ぜるなり、むつはみつの転ぜるなり。やつはよつの転ぜるなる、

としている(日本語源大辞典)ので、

ひとつ→ふたつ、
みつ→むつ、
よつ→やつ、

と、倍数と見るなら、語源を、

ヤ(彌)・イヤ(彌)と同根、

とするのは意味がなくなるのではないか。また、「七」との関係では、

古い伝承においては、好んで用いられる数(聖数)とそうでない数とがあり、日本神話、特に出雲系の神話では、

夜久毛(やくも)立つ出雲夜幣賀岐(ヤヘガキ)妻籠みに 夜幣賀岐作る 其の夜幣賀岐を(古事記)、

の「夜(ヤ)」のように「八」がしきりに用いられる。また、五や七も用いられるが、六や九はほとんどみられない、

とあり(日本語源大辞典)、「聖数」としての「八」の意がはっきりしてくる。「八入」には、そう見ると、ただ、多数回という以上の含意が込められているのかもしれない。

正確な回数を示すというのではなく、古代に聖数とされていた八に結びつけて、回数を多く重ねることに重点がある、

とある(岩波古語辞典)のはその意味だろう。

また、「しほ(入)」は、

一入再入(ひとしおふたしお)の紅よりもなほ深し(太平記)、

と使うが、その語源は、

潮合の意にて、染むる浅深の程合いに寄せて云ふ語かと云ふ、或は、しほる意にて、酒を造り、色に染むる汁の義かと云ふ、

としかない(大言海)。

潮合ひ、

とは、

潮水の差し引きの程、

つまり、

潮時、

の意である。染の「程合い」から来たというのは、真偽は別に、面白い気がする。ただ、

八潮をり(折)、

と、

幾度も繰り返して醸造した強烈な酒、

の意でも使われるので、それが「八入」の染からきたのかの、先後は判別がつかない。さらに、

八鹽折之紐小刀(古事記)、

と、

幾度も繰り返して、練り鍛ふ、

意でも使う(大言海)のは、メタファとして使われているとみていいのかもしれないが。

さて、「八入」は、染の回数の意から、やがて、

竹敷のうへかた山は紅(くれなゐ)の八入の色になりにけるかも(万葉集)、

と、

色が濃いこと、
程度が深く、濃厚であること、
また、その濃い色や深い程度、

の意でも使われ、さらに、

露霜染めし紅の八入の岡の下紅葉(太平記)、

と、

八塩岡、

と、紅葉の名所の意として使われ、「八入」は、

紅の八しほの岡の紅葉をばいかに染めよとなほしぐるらん(新勅撰和歌集)、

と、

紅葉、

の代名詞ともなり、さらに「八入」は、

見わたしの岡のやしほは散りすぎて長谷山にあらし吹くなり(新六帖)、

と、

紅葉の品種、

の名となり、

春の若葉、甚だ紅なれば名とし、多く庭際に植えて賞す。夏は葉青く変ず、樹大ならず、

とある(大言海)。

「唐」 漢字.gif

(「唐」 https://kakijun.jp/page/1031200.htmlより)

「唐」(漢音トウ、呉音ドウ)は、

会意。「口+庚(ぴんとはる)」で、もと、口を張って大言すること。その原義は「荒唐」という熟語に保存されたが、単独ではもっぱら国名に用いられる。「大きな国」の意を含めた国名である、

とあり(漢字源)、別に、

会意文字です(もと、庚+口)。「きねを両手で持ち上げつき固める」象形と「場所を表す」象形から、「つき固めた堤(堤防)」を意味する「唐」という漢字が成り立ちました。「塘(とう)」の原字である。また、「蕩(トウ)」に通じ(同じ読みを持つ「蕩」と同じ意味を持つようになって)、「大きな事を言う」という意味も表します、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji1413.htmlが、

形声。「口」+音符「庚 /*LANG/」、

とし、

会意文字と解釈する説があるが、根拠のない憶測に基づく誤った分析である、

とありhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%94%90

形声。口と、音符庚(カウ)→(タウ)(は省略形)とから成る。大言する意を表す。転じて、おおきい意に用いる、

とある(角川新字源)。

「韓」 漢字.gif


「韓」(漢音カン、呉音ガン)は、

会意兼形声。「韋(なめしがわ)+音符乾(カン 強い、大きいの略体)」

とある(漢字源)。別に、

形声。「韋」+音符「倝 /*KAN/」。「いげた」を意味する漢語{韓 /*gaan/}を表す字https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%9F%93

形声。韋と、音符倝(カン、ケン)(𠦝は省略形)とから成る。もと、国名を表した(角川新字源)、

会意兼形声文字です(倝+韋)。「長い旗ざお」の象形(「上に出るもの」の意味)と「ステップの方向が違う足の象形と場所を示す象形」(「群を抜いて優れている、取り囲む」の意味)から、「いげた(井戸の上に井の字形に組んだ木の囲い)」、群を抜いて優れているもの「かんこく(国名)」を意味する「韓」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji2116.html

等々ともある。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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2023年12月27日

まだし


五月来ば鳴きもふりなむほととぎすまだしきほどの声を聞かばや(古今和歌集)、

の、

まだしきほど、

は、

ほととぎすが本格的に鳴き始めないうちのまだ幼い声、

と注記がある(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。

まだし、

は、

未だし、

と当て、

まだその期に達しない、

意から、転じて、

なからまではあそばしたなるを末なんまだしきと宣(のたま)ふなる(蜻蛉日記)、

と、

まだ整わない、
まだ十分でない、

意で使い(広辞苑)、

琴・笛など習ふ、またさこそは、まだしきほどは、これがやうにいつしかとおぼゆらめ(枕草子)、

と、

未熟である、

意や(学研全訳古語辞典)、

この君はまだしきに、世の覚えいと過ぎて(源氏物語)、

と、

年齢などが十分でない、
幼い、

意となる(岩波古語辞典)。こうした用例から見ると、この由来は、

いまだし(未)の上略、待たしきの義(大言海)、
副詞まだ(未)の形容詞形(岩波古語辞典・角川古語辞典)、
副詞「いまだ」の形容詞化(デジタル大辞泉)、

などとあり、

未だ→まだ→まだし、

と転化した(日本語の語源)と見ていいのではないか。

いまだ(未)、

は、

事態が予想される段階に達しない意、

で(岩波古語辞典)、

妹(いも)が見し楝(あふち)の花は散りぬべしわが泣く涙いまだ乾(ひ)なくに(山上憶良)、

と、多く打消しを伴って、

まだ、

の意や、

妹(いも)が門(かど)入(い)り泉川(いづみがは)の常滑(とこなめ)にみ雪の残れりいまだ冬かも(柿本人麻呂)、

と、

依然として、
いまなお、

の意で使う(仝上)。

今、だにの略(大言海)、
今まだの約、或は、マダに接頭語のイのついたものか(日本古語大辞典=松岡静雄)、
イは発語、マツ(待)から出た語(日本釈名)、
イマト(今間所)の転(言元梯)、
イマナ(今無)の転(和語私臆鈔)、
イマタ(今無)の義(日本語源=賀茂百樹)、
今ナラヌ(名言通)、

などと諸説あり、

接頭語「い」と、名詞「間(ま)」と「だに」と同根の「だに」というが複合したもので、ほんのわずかの間でさえも、の意を表した、

とする説もある(日本語源大辞典)とするが、

それなら、

今、だに(大言海)、

と、

道だに、
夕だに、
声だに、

の助詞「だに」のついたものとする説の方がすっきりする。「だに」の意味は、

「~だけでも」の意で、否定の語と呼応する場合は「せめて…だけでもと願う。それも…ない」の意、

とある(岩波古語辞典)。

ただにと云ふを略したるなり(安斎随筆)、

を挙げ、

軽きを挙げて、餘の重きを言外に引証する意の語(サヘは、多きにつきて、それが上に添ふるもの、ダニは少なきをを挙げて示すもの)、

とする説(大言海)が説得力がある。

でも、
なりとも、

の意である。

いまだ、

は、平安時代に、「いまだ」から変化した、

まだ、

という語が和文専用語として用いられるようになり、

いまだ、

は、漢文訓読にもっぱら使われ、

否定との呼応が強く意識されるようになった、

とある(日本語源大辞典)。「いまだ」から転じた、

まだ、

は、

まだ帰らない、

というように、否定語を伴って、

一つの事態がその時点までになお実現していないさま、

を表し、

いままで……したことがない、
その時はなお……していない、

という意や、肯定表現に用いて、

未だ雨が降っている、

というように、

一つの状態がその時点において、猶継続するさま、

を表わし、

いまなお、……している、

意で使う(日本語源大辞典)。

まだし、

は、この、

まだ、

の、

(しく)・しから/しく・しかり/し/しき・しかる/しけれ/しかれ、

と活用する形容詞形(岩波古語辞典・角川古語辞典)となる。

「未」 漢字.gif

(「未」 https://kakijun.jp/page/0577200.htmlより)

「未」(漢音ミ、呉音ビ)は、

象形。木のまだ伸びきらない部分を描いたもので、まだ……していないの意を表す、

とある(漢字源)、同趣で、

象形。梢の若芽。「いまだ」の意は、音を仮借したものともhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%9C%AA

象形。木の枝がしげっているさまにかたどる。借りて「いまだ」の意に、また、十二支の第八位に用いる(角川新字源)、

象形文字です。「大地を覆う木に若い枝が生えた」象形から「若い」・「小さい」・「いまだ」・「まだ」を意味する「未」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji709.html

とある。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

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ラベル:まだし 未だし
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2023年12月28日

つゆけし


一人寝る床は草葉にあらねども秋来る宵はつゆけかりけり(古今和歌集)、

の、

つゆけし、

は、

露に濡れることから転じて多く涙に濡れることをいう、

と注記がある(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。

つゆけし、

は、

露けし、

と当て、

けし、

は、

のどけし、
さやけし、
あきらけし、

等々と、

体言などに付いてク活用の形容詞を作り、その性質や状態を表わす接尾語、

で(精選版日本国語大辞典)、文字通り、

露にぬれてしっとりしている、
露に濡れて湿気が多い、

意(大辞林・デジタル大辞泉)だが、それをメタファに、

若宮の、いとおぼつかなく、つゆけき中に過ぐし給(たま)ふも(源氏物語)、

と、

涙がちである、

意を込めて使う(学研全訳古語辞典・広辞苑)。

葉の上の露.jpg

(葉の上の露 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9C%B2より)

つゆ(露)、

は、

秋の野に都由(ツユ)負へる萩を手折らずてあたら盛りを過ぐしてむとか(万葉集)、

と、

大気中の水蒸気が冷えた物体に触れて凝結付着した水滴。夜間の放射冷却によって気温が氷点以上、露点以下になったとき生じる。また、雨の後に木草の葉などの上に残っている水滴、

をいう(精選版日本国語大辞典)が、それをメタファに、

わが袖は草の庵にあらねども暮るればつゆのやどりなりけり(伊勢物語)、

と、

涙、

の比喩に用い、また、「露」のはかなさから、

つゆの癖なき。かたち・心・ありさまにすぐれ、世に経る程、いささかのきずなき(枕草子)、

と、

はかないもの、わずかなこと、

の比喩に用い(仝上)、

つゆばかりの、
つゆほど、

等々と使う。その垂れるメタファからか、

狩衣、水干などの袖をくくる緒の垂れた端、

を言い、

狩衣、水干、直垂などの袖括(そでぐくり)の端の、袖の端に余りて垂るるもの、

即ち、

袖の下、三四寸下ぐ、略して、袖先ばかりにもつく、

とあり(大言海)、その使用には、

その露を結びて肩にかく、

とある(仝上)。また、一般には、

留め紐や緒の先端の垂れ下った部分、

をもいう(仝上)。

狩衣.gif


さらに、太刀の、

頭に下ぐる、金銀の錘、

にもいい(大言海)、

豆板銀(まめいたぎん)、
小玉銀(こだまぎん)、

とも呼ばれる、江戸時代に丁銀に対する少額貨幣として流通した銀塊、

小粒銀(こつぶぎん)、

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B1%86%E6%9D%BF%E9%8A%80

豆のような形、


から、「つゆ」と呼ばれた(大言海・岩波古語辞典)。

文政豆板銀.jpg


和名類聚抄(平安中期)に、

露、豆由、

とある、この「つゆ」の語源は、

つゆ、

と訓ませる、

汁、

つまり、

しる、

煮出し汁、

と同じとする(大言海)説や、

粒齋(ツブユ)の義(大言海・箋注和名抄・名言通・言葉の根しらべの=鈴木潔子・日本語源=賀茂百樹)、
ツは丸い意、ユはただよわしの意(槙のいた屋)、
ツイエルの意(和句解・和語私臆鈔)、

等々あるが、「つぶら」で触れたように、「つぶら」は、

粒、

と関わるとされ、「ツブ」は、

ツブラ(円)の義、

とされ、「粒」は、

円いもの、

とほぼ同じと見なしたらしいのである。そして、その「つぶ」は、

丸、
粒、

とあて(岩波古語辞典)、

ツブシ(腿)・ツブリ・ツブラ(円)・ツブサニと同根、

とある。「くるぶし」で触れたように、「くるぶし」は、

つぶふし、

で載り、

ツブ(粒)フシ(節)の意、

とある(仝上)。和名類聚抄(平安中期)は、

「踝、豆不奈岐(つぶなぎ)、俗云豆布布之(つぶふし)」

とあるので、

つぶふし、
つぶなぎ、

が古称で、その箇所(くるぶし)を、「粒」という外見ではなく、回転する「くるる」(樞)の機能に着目した名づけに転じて、「くるぶし」となった。

こうした流れをみると、

粒、

は、

丸いもの、

の意だと考えられ、この音韻変化が可能かどうかはわからないが、

つぶ(tubu)→つゆ(tuyu)、

とストレートに転訛したと思いたいのだが。

まどか」、「まる(丸・円)」、「つぶら」については触れた。

「露」 漢字.gif

(「露」 https://kakijun.jp/page/2103200.htmlより)


「露」 説文解字.png

(「露」 中国最古の字書『説文解字』(後漢・許慎)  https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%9C%B2より)

「露」(漢音ロ、呉音ル、慣用ロウ)は、

形声。「雨+音符路」で、透明の意を含む。転じて、透明に透けて見えること、

とある(漢字源)。別に、

形声文字です(雨+路)。「雲から水滴が滴(したた)り落ちる」象形と「胴体の象形と立ち止まる足の象形と上から下へ向かう足の象形と口の象形」(人が歩き至る時の「みち」の意味だが、ここでは、「落」に通じ、「おちる」の意味から、落ちてきた雨を意味し、そこから、「つゆ(晴れた朝に草の上などに見られる水滴)」を意味する「露」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji340.html

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

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2023年12月29日

やつる


君しのぶ草にやつるるふるさとはまつ虫の音ぞかなしかりける(古今和歌集)、

の、

やつる、

は、

俏る、
窶る、

等々と当てる(学研全訳古語辞典)が、

忍草がはびこり荒れ果てた様子に、詠み手の女のやつれた様子を重ねる、

と注記(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)があり、ここでは、

やつるは、

荒れて、依然と変わってしまう、

という意で使われている。

やつる、

の原義は、

人の容姿、着物などが前とは変わって地味な、目立たない様子になる意、以前と打って変わって荒れ果て、落ちぶれ、衰弱している意、

のようで(岩波古語辞典)、

いといたうやつれ給(たま)へれど、しるき御さまなれば(源氏物語)、
いと忍びてただ舎人二人召継としてやつれ給ひて(竹取物語)、

などと、

目立たなくなる、
みすぼらしくなる、
粗末になる、
簡素になる、

といった意味で、

状、悪くなる、事殺(そ)ぎたる、衣類の麁末になる、

という含意(大言海)と、

いと若かりしほどを見しに、太り黒みてやつれたれば(源氏物語)、

と、

衰える、
見ばえがしなくなる、

の意があり(学研全訳古語辞典)、今日の、

長い間の病気ですっかりやつれた、

というような使い方をする、「やつれる」の持っている、

痩せ衰える、

という意味はなく、上例のように、中古には、

「太る」と「やつる」が矛盾なく同時に用いられてさえいる、

とある(仝上)。しかし、

人の形容のおとろふ、

つまり、

憔悴、

の意(大言海)なので、そこから、

瘦せ衰える、

に意味がシフトしてもおかしくはない。大言海は、この意味の語源を、

痩せ連るルの義、

とし、前者の語源を、

破(ヤ)れ連るル義、

と、分けて考えているが、他に、

痩するの義(言元梯)、
ヤセツカレアルル(痩労荒)の義(日本語原学=林甕臣)、

等々、どうも、

痩せる、

と関わらせる説が多い。やつる、

の他動詞が、

やつし

で、「やつし」で触れたように、

やつれて見えるようにする、

という意だが、江戸時代、既に、

容姿を美しくつくる、粉飾する、

の意味で使われており、現代、

「窶す(やつす)」とは、おめかししたり、おしゃれに着飾ることをいうのです、

https://www.osaka-info.jp/ja/model/osakaben/html/0027.html、成人式で着飾るのを指すしている。

現代風の「やつれる(寠れる)」は、

やつるの下二段活用、

で、

やせ細る、みすぼらしくなる、

という意味になる。本来は、

肉体的な痩せ細る、

という意味を、メタファとして、

みすぼらしい、

とし、さらに、

崩す、

と、それを拡大していったという含意の広がりの果てに、

化粧、

と行くのは、

意識的に身をやつす、

という意味の転化が挟まって、その意味の変化がよくわかる。

やせ細る→みすぼらしくする→身をやつす→形を変える→崩す→めかす→化粧、

という大筋が見えてくるので、「やつる」に、

痩せ衰える、

意味はなかったとしても、

日以襤褸而(やつれて)憂之曰、吾已貧矣(神代紀)、

と、

外見の劣化、

を指していたのに違いはなく、そこから、

みすぼらしい、
荒れる、

と変化したと見ていいのではないか。

「窶」 漢字.gif


「寠」(漢音ク、呉音グ)は、

会意兼形声。「穴(あな)+音符婁(ル ちぢまる)」

とある(漢字源)。「まずしさで縮こまっている」意である。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

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ラベル:やつる 俏る 窶る
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2023年12月30日

なへに


ひぐらしの鳴きつるなへに日は暮れぬと思ふは山の陰にぞありける(古今和歌集)、

の、

なへに、

は、

…するとともに、
…するにつれて、

の意で、歌は、

ひぐらしが鳴いたとともに、その名のとおり日が暮れたと思ったら、山の陰なのだった、

という意になる(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。奥義抄(1135‐44頃)に、

なへ、からになと云ふ心也、

とある。この「からに」は、

「と」「たちまち」、

などの意をいうものであろう(精選版日本国語大辞典)とある。

なへに、

は、

接続助詞「なへ」に格助詞「に」の付いたもの、

で、

今朝の朝明(あさけ)雁(かり)が音(ね)寒く聞きし奈倍(ナヘ)野辺の浅茅そ色付きにける(万葉集)、

と、

なへ、

とも使い、

ナは連体助詞、ヘはウヘ(上)のウの脱落形、ウヘにはものに直接接触する意があるので、ナヘは、「……の上」の意から時間的に同時・連続の意を表すようになった、

と(岩波古語辞典)、

活用語の連体形を受け、ある事態と同時に、他の事態の存することを示す上代語、

で(精選版日本国語大辞典)、

…とともに、
…にあわせて、
…するちょうどその時に、

の意となる(精選版日本国語大辞典)。『大言海』には、

なべ、
なべに、

と載るのは、この語は、万葉仮名で、

奈倍、

とか、

もみぢばのちりぬる奈倍爾に玉梓(たまづさ)の使を見れば會ひし日おもほゆ(万葉集)、

と、

奈倍爾、

と表記されていたためか、

長らくナベと訓まれてきちたが、万葉仮名の研究から、奈良時代にはナヘと清音であったとされるようになった、

ため(岩波古語辞典)である。

「なへ」の万葉仮名には「倍」「戸」が用いられているので、下二段活用動詞「並ぶ」または「並む」の連用形が語源で、したがって「なべ」と第二音節を濁音にみる、

説であった(精選版日本国語大辞典が、

葦邊なる萩の葉さやぎ秋風の吹來る苗爾鳫鳴きわたる(万葉集)、

と、「なへ」に、

苗、

の字が用いられているところから、第二音節は清音であると考えられるようになっている(仝上)とある。

柔田津に舟乗りせむと聞きし苗(なへ)なにかも君が見え来ざるらむ、

の例は、

その時にして、しかも、
…のに、

という語感が伴う(仝上)とあるが、「葦邊なる……」の歌も、そういう含意で読めなくもない。

上代には、

なへ、

とも、

なへに、

の形でも用いられたが、中古以後は、

なへに、

の形のみとなる(仝上)とある。

「上」 漢字.gif

(「上」 https://kakijun.jp/page/0303200.htmlより)

「上」 甲骨文字・殷.png

(「上」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%B8%8Aより)

「上」 金文・春秋時代.png

(「上」 金文・春秋時代 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%B8%8Aより)

「上」(漢音ショウ。呉音ジョウ)は、

指事(形で表すことが難しい物事を点画の組み合わせによって表して作られた文字)。ものが下敷きの上にのっていることを示す。うえ、上にのる意を示す。下のの字の反対の形、

とある(漢字源)。別に、

指事。「下」の字とは逆に、高さの基準の横線の上に短い一線(のちに縦線となり、縦線と点とを合わせた形となる)を書いて、ものの上方、また「あげる」意を表す、

とも(角川新字源・https://okjiten.jp/kanji116.html)ある。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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2023年12月31日

わぶ


秋の夜は露こそことに寒からし草むらごとに虫のわぶれば(古今和歌集)、

の、

わぶ、

は、

虫がつらそうに鳴いている、

と注釈される(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。

侘ぶ、

と当て、

うらわぶ(心佗)の略、

とあり(大言海)、「わぶ」に当てる字について、

四種に書すが、義自ら異なり、その別を辨へむ、

として、

詫は、『玉篇(ぎょくへん、ごくへん)』(南北朝時代に編纂された部首別漢字字典)「誇也」、『集韻(しゅういん)』(宋代の漢字を韻によって分類した韻書)「誑也」、
詑は、『玉篇』「輕也、欺罔也」、
託は、『増韻』(南宋代に増注した『増修互注礼部韻略』(『増韻』と略称)「委也、信任也」、『玉篇』「憑依也」、
侘は、「離騒」(楚の屈原の作と伝わる楚辞の代表作)注「侘、立也、傺、住也、言憂思失意、住立而不能前也」

と見える(仝上)とある。当てる漢字の差異はともかくとして、和語、

わぶ、

は、

失意・失望・困惑の情を態度・動作に表す意、

で(岩波古語辞典)、

吾(あれ)無しとなわびわが背子ほととぎす鳴かむ五月は玉を貫(ぬ)かさね(万葉集)、

と、

気落ちして切ない、
気が抜けるようである、

意や、冒頭の、

秋の夜はつゆこそことにさむからしくさむらごとに虫のわぶれば、

の、

思うようにならないでうらめしく思う、
つらがって嘆く、
心細く思う、

意や、

舟帰る。この間に雨降りぬ。いとわびし(土佐日記)、

と、

身にこたえる、
やりきれない、

意や、

童(わらはべ)の名は例のやうなるはわびしとて、虫の名をなむつけ給ひたりける(堤中納言物語)、

と、

おもしろくない、

意や、

上りて、つい居て休むほどに、奥の方より人來ちたる音す。あなわびし人の有りける所をと思ふに(今昔物語)、

と、

困ったことだ、
当惑する、

意や、

あるは、昨日(きのふ)は栄えおごりて、時を失ひ、世にわび、親しかりしも疎(うと)くなり(古今集・仮名序)、

と、

落ちぶれる、
貧乏になる、
まずしくなる、

意や、さらに、

身ひとつばかりわびしからで過ぐしけり(宇治拾遺物語)、

と、

貧乏である、

意で使う(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典・学研国語大辞典)が、

詫ぶ、

と当て、

困惑する、

意の外延になるのか、

わび申す由聞かせ参らせよと宣ひければ(今鏡)、

と、

困惑した様子をして過失などの許しを求める、
あやまる、

意でも使う(仝上)。さらに、その延長で、

他の動詞の連用形に付いて、

やよやまて山郭公ことづてんわれ世の中にすみわびぬとよ(古今和歌集)、

と、

その動作や行為をなかなかしきれないで困る、

の意を表わし、

…しあぐむ。、

意で使う(仝上)。日葡辞書(1603~04)には、

ヒトヲ タヅネ vaburu(ワブル)、……Machivaburu(マチワブル)、

と載る。

なお、「わび」については「わび・さび」で触れた。

「侘」 漢字.gif

(「侘」 https://kakijun.jp/page/ta08200.htmlより)

「侘」(漢音タ、呉音チャ)は、

会意兼形声。「人+音符宅(タク じっととまる)」、

とある(漢字源)。「たちどまる」「がっかりしてたちつくす」意で、貧困のさまを表す言葉に使う、とある。我が国では、「わび・さび」の「わび」に当てて使う。

「詫」 漢字.gif


「詫」(漢音タ、呉音チャ)は、

形声。「言+音符宅」、

で、「いぶかる」「おどろきあやしむ」意で、「詑」(あざむく)は別字、とある。別に、

形声。「言」+音符「宅 /*TAK/」。「おごる」を意味する漢語{詫 /*thraaks/}を表す字https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%A9%AB

形声文字です(言+宅)。「取っ手のある刃物の象形と口の象形」(「(つつし(慎・謹)んで)言う」の意味)と「屋根・屋の象形と寛(くつろ)ぐ人の象形」(「人が伸びやかにして、寛(くつろ)ぐ家屋」の意味だが、ここでは「託」に通じ(「託」と同じ意味を持つようになって)、「頼む」の意味、「侘」に通じ、「寂しく思う」の意味)から「かこつ」、「わびる」を
意味する「詫」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji2736.html

ともある。

「詑」 漢字.gif

(「詑」 https://kakijun.jp/page/da12200.htmlより)

「詑」(漢音タ、呉音ダ)は、

形声。「言+音符它(タ)」。「あざむく」意で、「詫」(いぶかる)は別字、とある(漢字源)。

「佗」 漢字.gif

(「佗」 https://kakijun.jp/page/ta07200.htmlより)

「佗」(漢音タ、呉音ダ)は、

会意兼形声。它(タ)は、蛇を描いた象形文字。蛇の害を受けるような変事の意から、見慣れない意となり、六朝時代からのち、よその人、他人、かれの意となる。佗は「人+音符它(タ)」。它で代用することが多い、

とある(漢字源)。「他」と同義で、「ほかの」「よその」の意で使う。別に、

会意兼形声文字です(人+也・它)。「横から見た人」の象形と「へび」の象形(「蛇(へび)、人類でない変わったもの」の意味)から、「見知らない人、たにん」を意味する「他」という漢字が成り立ちました、

とあるhttps://okjiten.jp/kanji248.html

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
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ラベル:わぶ 侘ぶ 詫ぶ
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