2023年12月19日

紙子


ためつけて雪見にまかるかみこ哉(芭蕉)、



かみこ、

は、

紙子、

と当て、

和紙で作り柿渋を塗った防寒用の安価な着物。もとは律宗の僧侶が用いたもので、老人や風流人に好まれたほか、浪人の代名詞ともなった、

とある(松尾芭蕉(雲英末雄・佐藤勝明訳註)『芭蕉全句集』)。

紙衣で触れたように、

かみこ、
かみころも、
かみきぬ、

などと訓む、

紙衣、

と同じである。

紙子.jpg

(紙衣 広辞苑より)

紙衣は、

紙製の衣服、

の意で、

生漉(きすき・きずき 楮(こうぞ)、三椏(みつまた)、雁皮(がんぴ)などを用い、他の物をまぜないで、紙を漉くこと)の腰が強い、

とされる(日本大百科全書)、

かみこ紙と云ふ一種の白き紙、

を(大言海)、糊(のり)で張り合わせ、着物仕立てにした、

保温用の衣服、

で(広辞苑・岩波古語辞典)、

紙を糊で張り合わせて、その上に柿渋を引いたりするため、紙自体がこわばりやすいので、これを柔らかくするために、張り合わせたあと、渋を引いてから天日で乾燥させ、そのあと手でよくもんで夜干しをする。翌日また干して、夕刻に取り込み、再度もむ。これを何回か繰り返して、こわばらないように仕上げ、

て(日本大百科全書)、

渋の臭みを去ってつくった

とある(広辞苑)。もとは、

律宗の僧が用いた、

が、後には一般の貧しいものの、

防寒用、

となり、元禄(1688〜1704)の頃には、

肩・襟などに金襴・緞子などをもちい、種々の染込みなどをした贅沢品も作られ、

遊里などでも流行した(広辞苑・岩波古語辞典)、とある。糊は、

江戸時代にはワラビの根からとったものであり、現在はこんにゃく糊を使用する、

とある(日本大百科全書)。

渋を用いずして白き、

を、

白紙子、

といい、

破れやすい部分には別に、

火打(ひうち)、

という三角形の紙を貼る(大言海)、とある。古代から用いられた僧衣の伝統を引いて今日も、奈良・東大寺の二月堂の修二会(しゅにえ)の際に着用されている(日本大百科全書)。

紙子四十八枚、

という言葉がある。「紙衣」は、

胴の前後に二十枚、左右の袖に四枚、裏に二十四枚の紙を用いて作る、

からである(岩波古語辞典)。もっとも、

身上は紙子四十八枚ばらばらとなつて(西鶴織留)、

というように、紙子を着る貧しさをいう喩えとして言うのだが。

さて、「紙衣」は、漢語で、

しい、

と訓ませると、

紙の衣、死者に用いる、

とあり(字通)、宋史・棲真伝に、

食はざること一月、~十二月二日を以て、紙衣を衣(き)て磚塕(せんたふ)に臥して卒(しゆつ)す。~歳久しきに及んで、形生けるが如し。衆始めてき、傳へて以て尸解(しかい 仙化の一、人がいったん死んだのちに生返り、他の離れた土地で仙人になること)と爲す、

とある(仝上)。ために、古く、

紙衣、

を、訛って、

しえ、

といったhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%99%E8%A1%A3らしい。

「かみこ」は、

紙衣(かみころも)の略か、紙小袖(かみこそで)の略か、

とあり(大言海)、古くは、

かみぎぬ、

といい、中世末から、

かみこ、

と呼ぶようになった(日本語源大辞典)。

古へ、麻布なりしに起こる(大言海)、

という、

布子(ぬのこ)、

綿の入った、

綿子(わたこ)、

などのように「こ」は愛称(日本語源大辞典)と思われる。

紙衣」は、戦国時代になると、

戦陣の衣料として陣羽織、胴服などに作られた、

とあり(世界大百科事典)、

秀吉公、白紙子の御羽折、紅梅の裏御襟(続武家閑談)、

と、豊臣秀吉の小田原出陣の際には、

駿河宇津山にて馬の沓の切れたのを見た石垣忠左衛門という者が沓を献じたところ、秀吉手ずから紙衣の羽織を賜わった、

とあり(一話一言)、必ずしも貧者のみのものではなかったが、

綴り詫びたる素紙子(すがみこ)や、垢に冷たきひとへ物に(宿直草)、

と、

近世以降、安価なところから貧しい人々の間で用いられたもののようである。「素紙子」は、

すかみこ、

とも訓ませ、

柿渋を引かないで作った安価な紙子、

で(デジタル大辞泉)、

白紙子、

ともいい、

安価なところから貧乏人が用いた(精選版日本国語大辞典)。

紙子を仕立てるのに用いる紙、

を、

紙子紙(かみこがみ)、

というが、

白く厚くすいた腰の強い上質の和紙、

で(精選版日本国語大辞典)、

柿渋を引き、揉んで柔らかにしたつぎあわせの厚紙、

である(広辞苑)。

紙衾(かみぶすま・かみふすま)、

というと、

紙子作った粗末な夜具、

で、

槌(う)ちたる藁を綿に充(あ)て、紙を外被(かは)として、蒲団に製せるもの、

で(大言海)。別に、

天徳寺(てんとくじ)、

ともいうが、江戸時代、

江戸西窪、天徳寺門前にて、売りたれば名とす、

とある(仝上)。

日向ぼこりを、天道ぼこりと云ひし如く、日の暖なるを、天徳寺と云ふ、寺にかけて、戯として云ひしかと云ふ。紙衾は隠語とす。戯とは、どうしだもんだ、広徳寺の門だの類、

とある(仝上)。幕末の守貞謾稿には、

天徳寺、江戸困民、及武家奴僕、夏紙張を用ふ者、秋に至りて賣之、是にわらしべを納れて周りを縫ひ、衾として再び賣之、困民奴僕等、賈之て布團に代りて、寒風を禦ぐ也、……享保前は是を賣歩行く、享保以来廃して、今は見世店に賣るのみ、

とある。確かに、

紙子賣、

が居て、

引賣りやもみぢの錦紙子賣(誘心集)、
時なるを紙子賣る聲初時雨(柳亭筆記)、

などと、

初冬の頃、市中を売りて歩くを業とする者、

が居た。また、

紙子頭巾(かみこずきん)、

は、

紙子紙(かみこがみ)で作った頭巾、

で、防寒用であったが、浪人などが多く使用した(精選版日本国語大辞典)。

紙子浪人、

というと、

紙子1枚の貧乏浪人、

をさす(広辞苑)。

紙子羽織(かみこばおり)、

は、紙子の羽織。金襴や緞子などを施した奢侈品もあったが、多くは、

安物で貧乏人が着用した、

とある(仝上)。紙子で作った羽織は、

世之介初雪の朝、紙衣羽織に了佐極の手鑑(好色一代男)、

と、

紙子羽織(かみこばおり)、

という(広辞苑)。なお、「紙子」には、

紙子着て川立ち、
紙子着て川へ陥(はま)る、

などと、

無謀なことのたとえ、

としていう諺もある。また、貧乏なさまのたとえに、

紙子の火打ち膝(ひざ)の皿(さら)、

という言い方もあり、

「火打」は、紙子の袖の付け根のほころびやすい部分にあてる火打金の形をしたもの。「膝の皿」は、貧乏のさまをいう「向脛(むこうずね)から火が出る」の句から、「火打」の「火」と頭韻を合わせていい続けたもの、

という(精選版日本国語大辞典)。

紙子臭い(かんこくさい)、

は、

カミコクサイの音便、

で、

紙・布などのこげるにおいがする、

いで、

こげくさい、きなくさい、

と同義である。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
簡野道明『字源』(角川書店)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 04:58| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする