節季候の来れば風雅も師走哉(芭蕉)、
の、
節季候(せっきぞろ)、
は、
せきざうらふ、
せきぞろ、
ともいい、
節季(せっき)にて候、
の意(デジタル大辞泉)で、
歳末(普通は十二月下旬)、笠に歯朶を挿し顔を赤い布で覆った異装で家々を回り、数人で歌い踊って米銭を受ける物乞い、
とある(松尾芭蕉(雲英末雄・佐藤勝明訳註)『芭蕉全句集』)。「厄払」は、
大晦日や節分の夜、厄難を祓う詞を唱えて豆と銭を受ける物乞い、
である(仝上)。
(節季候(せっきぞろ)デジタル大辞泉より)
いわゆる、
門付け芸人、
で、12月の初めから27、8日ごろまで、
羊歯(しだ)の葉を挿した笠をかぶり、赤い布で顔をおおって目だけを出し、割り竹をたたきながら二、三人で組になって町家にはいり、
ああ節季候節季候、めでたいめでたい、
と唱えて囃(はや)して歩き、米銭をもらってまわったもの(日本国語大辞典)で、割竹で胸をたたいたので、
胸叩、
とも呼ばれた(https://kigosai.sub.jp/001/archives/17531)。のちには、
紙の頭巾(ずきん)に宝尽しの紙前垂れをし、四つ竹、小太鼓、拍子木などを鳴らし、女の三味線に合わせてにぎやかに囃して、
せきぞろ ほうほう 毎年毎年旦那のお庭へ飛び込めはねこめ、
などと唱えて歩いた(世界大百科事典)。
(節季候(職人尽絵詞) 日本大百科全書より)
簓ばかりでなく太鼓もたたいてやってきた、
という。元禄(げんろく)時代(1688~1704)から盛んに行われた、一種の、
物乞(ご)い、
で、
凶作の時代に多く出た、
とある(https://kigosai.sub.jp/001/archives/17531)。以前は三都にあったが、江戸時代末期には江戸の街だけとなった(日本大百科全書)という。折口信夫は、
山人、
が、
笠をつけみの(蓑)をまとい、山苞(やまづと)として削掛け(けずりかけ)などの棒や杖を所持して、宮廷の祭りには呪詞(いわいごと)を述べに来た、
とし、のちには村々を訪れて祝福を与えていく、
節季候(せきぞろ)などの遊芸、門付人ともなっていく、
としている(世界大百科事典)。
節季、
は、
日葡辞書(1603~04)に、
セッキ。トシノスエ、
とあり、
年の暮れ、
の意である。
(節季候 学研古語辞典より)
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コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
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