2024年01月03日

玉づさ


秋風に初雁が音ぞ聞こゆなる誰が玉づさをかけて来つらむ(古今和歌集)、

の、

たまづさ、

は、万葉集では、

たまづさの、

という形で、

使ひ、

にかかる枕詞であり、さらに、

使者そのもの、

の意味になったが、古今集から、

使者が携えてくる手紙、

の意となる(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)と注記がある。なお、

雁が手紙を運ぶ、

は、いわゆる

雁信、

の故事による(仝上)とある。

雁信、

は、

雁札(がんさつ)、

とも、

雁書、
雁文、
雁素(がんそ)、
かりのたより、

等々ともいい、

漢の蘇武(そぶ)が匈奴(きょうど)に捕えられたとき雁の足に手紙を付けて祖国に無事を知らせたという「漢書」蘇武伝の故事から、

音信の書、
手紙、

の意で使う(仝上・精選版日本国語大辞典)。

たまづさ、

は、

玉梓、
玉章、

とあてる。その由来は、

たまづさは飛翔(とぶつばさ)の略転(ハヤツバサ、ハヤブサ)。古事記、軽太子の御歌に、「阿麻陀牟(アマダム)、軽嬢女(かるのおとめ)」(雁にかけたり)、又「阿麻登夫(アマトブ)、鳥も使ぞ」(使は速く行くを主といれば、鳥を使いとあるなり)(大言海)、
タマツサ(賜従者)の義(言元梯)、
タマツタヘクサ(奇伝草)の義(柴門和語類集)、

等々の諸説もあるが、

タマアヅサ(玉梓)の略(万葉集類林・類聚名物考・円珠庵雑記・玉勝間・和訓栞)、

の説が大勢で、タマは美称、

で(広辞苑・小学館古語大辞典)、

梓の杖は使者の持ち物だった。古く文字のない社会では使者が伝言などを口で伝えたところから(岩波古語辞典)、
古代、手紙を梓の木などに結びつけて使者が持参したことから(広辞苑・大辞林)、

と、

梓、

の解釈には差があるが、

こもりくの泊瀬の山に神さびにいつきいますと玉梓(たまづさ)の人そ言ひつる(万葉集)、

とあるので、

便りを運ぶ使者の持つ梓(あずさ)の杖、

が、転じて、

その杖を持つ人、
使者、

の意となり、転じて、

秋風にはつかりがねぞきこゆなるたがたまづさをかけてきつらん(古今集)、

と、

手紙、書簡、便り、

また、

文章、

の意となり、さらに、後には、

日比秘蔵の猫の首玉に、こがるるとの玉章(タマヅサ)をむすび付おこしけるを(判記「役者二挺三味線(1702)」)、

と、

手紙の真中を捻(ひね)り結んだもの、

という、多く、

恋文、
艶書、

にいうようになる(精選版日本国語大辞典・大言海)。江戸後期の『嬉遊笑覧』には、

艶書をば、、文の真中をねじりて結ぶあり、俗に是を玉づさと云、

とある。さらに、形が結び文ににていることから、

カラスウリの種子、

さらに転じて、

からすうり(烏瓜)の異名

ともなる(仝上)。

カラスウリ.jpg


玉章豆腐(たまずさどうふ)、

というと、

豆腐を封書のように薄く細長く切って鉢の水に浮かべたもの、

玉章結び(たまずさむすび)、

というと、

吉弥結(きちやむすび)、

のことで、

延宝・元禄の頃の女形役者、上村吉弥の結びたるより名とす、

とあり(大言海)、

背にて二つ結びにして、其両端を、唐犬の耳を垂れたる如く垂らしおくもの、

とある(仝上)が、

大幅の長帯の桁目(くけめ 折ってある布と布を縫い合わす縫目)の角に鉛の重石を入れ、結んだ両端をだらりと垂らす、

がわかりやすい(岩波古語辞典)。

吉弥結び.bmp

(吉弥結び 「見返り美人図(菱川師宣)大辞泉より)

なお、「梓」は、「梓の真弓」で触れたように、

カバノキ科の落葉高木、

で、

古く呪力のある木とされた、

とあり(岩波古語辞典)、古代の「梓弓」の材料とされ、和名抄には、

梓、阿豆佐、楸(ひさぎ、きささげ)之属也、

とある。この「梓」には、古来、

キササゲ、
アカメガシワ、
オノオレ、
リンボク(ヒイラギガシ)

などの諸説があり一定しなかったが、白井光太郎氏による正倉院の梓弓の顕微鏡的調査の結果などから、

ミズメ(ヨグソミネバリ)、カバノキ科の落葉高木、

が通説となっている(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A2%93)とある。

「梓」 漢字.gif


「梓」(シ)は、「梓の真弓」で触れたように、

会意兼形声。辛(シン)は、鋭い刃物の象形で、切る意を表わす。梓は「木+音符辛」で、刃物で切ったり刻んだりするのに適した木、

とある(漢字源)。別に、

会意兼形声文字です(木+宰の省略形)。「大地を覆う木」の象形と「入れ墨をする為の針」の象形(「祭事や宴会の為に調理する」の意味)から、「木材で各種の器具を作る職人、建具師」を意味する「梓」という漢字が成り立ちました。また、「あずさの木」、「版木(はんぎ)」の意味も表すようになりました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji324.html

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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2024年01月04日

いなおほせ鳥


わが門にいなおほせ鳥の鳴くなへにけさ吹く風に雁は来にけり(古今和歌集)、
山田も(守)る秋の仮廬(かりいほ)に置く露はいなおほせ鳥の涙なりけり(仝上)、

の、

いなおほせ鳥、

は、

ももちどり(百千鳥)、
よぶこどり(喚子鳥)、

と並ぶ、いわゆる、

古今三鳥、

の一つとされるが、

秋の田にいる鳥、

らしいものの、古来不明とされる(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)とあり、中世にはその正体が秘伝扱いされた。

稲負ほせ鳥、

と当て、

稲の収穫を促す鳥という意味か、

ともあり(仝上)、上記の歌では、

雁の到来と同時期のもの、

として詠まれたり、

露がその涙、

に見立てられるので、比較的秋の早い時期の鳥か(仝上)と注記がある。。

いなおほせ鳥、

は、多く、

稲負鳥、

と当て、和名類聚抄(平安中期)にも、

稲負鳥、以奈於保世度里、

とあり、

此鳥、秋の末、稲の熟せし頃、昼夜、空中に飛び鳴きわたり、田の面に群がり来る、農民これに促されて、稲を刈り取るなり、

とある(大言海)。で、この由来を、

「いなおほせ」は、稍課(イナオホセ)の義、稲刈りを課(おほ)する(催促)鳥の意なり(大言海・南留別志・嚶々筆語・和訓栞・岩波古語辞典)、
稲を刈り背に負わせる意(百草露)、

とする説があるが、他も、

鳥の姿が稲を負っているに似ていることから(和訓栞)、
日本に稲の穂をもたらしたという言い伝えから(古今集注)、

と、「稲」に絡める説が大勢である。

鳥の他に、牛・馬とする説もあった、

とされ(岩波古語辞典)、

セキレイ、トキ、スズメ、クイナ、バン、タマシギ、

等々に当てる諸説がある(精選版日本国語大辞典)が、近世では、

セキレイ、

とするのが通説(仝上)とあり、大言海は、

黄鶺鴒(きせきれい)、

の古名とする。

キセキレイ(黄鶺鴒).jpg


鶺鴒」で触れたように、「セキレイ」は、古名、

鶺鴒(にはくなぶり)有りて、飛び来たりてその首(かしら)尾を揺(うごか)し(神代紀)、

と、「鶺鴒」を、

にわくなぶり、
にはくなふり、

と訓ませ、

庭くなぶり、

などと当てた(精選版日本国語大辞典)。和名類聚抄(平安中期)に、

鶺鴒、爾波久奈布里、

とあり、本草和名(ほんぞうわみょう)(918年編纂)にも、

鶺鴒、爾波久奈布利、

とあり、類聚名義抄(11~12世紀)には、

鶺鴒、ニハクナブリ、トツギヲシヘドリ

とある。だから、日本書紀には、「鶺鴒(にはくなふり)」の別訓として、

とつぎをしへとり、
つつなはせとり、
つつまなはしら、
とつきとり、

とある(日本書紀・兼方本訓)し、

ももしきの大宮人はうづらとり領巾(ひれ)取り掛けて鶺鴒(まなばしら)尾行き合へ(すそを引いていきかわしの意)(古事記)、

と、

まなばしら、

ともいい、また、

アノ鶺鴒を、にはくなぎ、庭たたき、戀教鳥(こひをしへどり)とも云ふ(近松門左衛門「日本振袖始」)、

と、

にはくなぎ、
戀教鳥(こひをしへどり)、

ともいい(大言海・デジタル大辞泉)、

胡鷰子(あめ)、鶺鴒(つつ)、千鳥、真鵐(ましとと 麻斯登登)何(な)ど開(さ)ける利目(とめ)(古事記)、

とある、

つつ、

も、セキレイの古名とされる(デジタル大辞泉・岩波古語辞典)。「鶺鴒」は、他にも、

イシナギ、
イモセドリ、
イシクナギ、
イシタタキ(石叩き・石敲き)、
ニワタタキ(庭叩き)、
ニワクナギ(鶺鴒、熟字訓)、
イワタタキ(岩叩き)、
イシクナギ(石婚ぎ)、
カワラスズメ(川原雀・河原雀)、
オシエドリ(教鳥)、
ツツナワセドリ(雁を意味することもある)、
ミチオシエドリ、
トツギオシエドリ(嫁教鳥)、
ツツ(鶺鴒)、
マナバシラ(鶺鴒)、
コイオシエドリ(恋教鳥)、
ニワクナブリ、

等々多くの異名を持つ(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%82%AD%E3%83%AC%E3%82%A4・精選版日本国語大辞典)。

主に水辺に住み、長い尾を上下に振る習性がある、

とされ、イシタタキなどの和名はその様子に由来する。人や車を先導するように飛ぶ様子がよく観察される(仝上)とある。この生態からみると、

いなおほせ鳥、

とは異なるような気がするのだが。

ハクセキレイ.jpg


なお、「くいな」、「千鳥」、「スズメ」、「しぎ」、「トキ」については触れた。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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2024年01月05日

あへなし


いとはやも鳴きぬる雁か白露の色どる木々ももみぢあへなくに(古今和歌集)、

の、

あふ、

は、

… しきる、
… しおおせる、

の意とある(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。

あへなし、

は、

敢へ無し、

とあてる形容詞で、語源は、

あふ(敢ふ)の連用形https://ja.wiktionary.org/wiki/%E3%81%82%E3%81%B8%E3%81%AA%E3%81%97

とも、

敢ふの名詞形(大言海)、

とも、

「あえ」は動詞「あう(敢)」の連用形の名詞化。こらえられないの意から(精選版日本国語大辞典)、

ともあるが、

あへなし、

は、

「合へ無し」の意、死・出家・失踪・焼失など、もはや取り返しのつかない結果に対して、手の打ちようもなく、がっくりした気持ちに言うことが多い、

とあり(岩波古語辞典)、

敢ふことなしの義、堪(こら)へずの義、力落(ちからおとし)するなり、

とある(大言海)のも同趣旨である。

(尼になって)みづから額髪をかきさぐりて、あへなく心ぼそければうちひそみぬかし(源氏物語)、

と、

(今になっては)どうしようもない、仕方がない、

意から、

前ざまへ強く引きたるに、うつぶしにまろびぬ。あへなきことかぎりもない(古今著聞集)、

と、

(対処しようにも)はりあいがない、あっけない、

意へ、さらに、

ここにて切られたらば、あへなく討たれたるぞと言はれんずる(義経記)、

と、

もろくはかない、

意へとスライドしていく(岩波古語辞典・学研国語大辞典)。このもとになった、

敢ふ、

は、類聚名義抄(11~12世紀)に、

肯、アフ、アヘテ、
敢、アヘテ、

とあり、

合ふと同根、事の成り行きを、相手・対象の動き・要求などに合わせる。転じて、ことを全うし、堪えきる、

とあり(岩波古語辞典)、

大船のゆくらゆくらに面影にもとな見えつつかく恋ひば老い付く我が身けだし堪へむかも(万葉集)、

と、

(事態に対処して)どうにかやりきる、
どうにかもちこたえる、

意から、

秋されば置く露霜にあへずして都の山は色づきぬらむ(万葉集)、

と、

こらえきる、

意となり、動詞連用形に続いて、

神なびにひもろき立てて斎へども人の心はまもりあへぬもの(万葉集)、

と、

……しきれる、

意や、

足玉(あしだま)も手玉(てだま)もゆらに織る服(はた)を君が御衣(みけし)に縫ひもあへむかも(万葉集)、

と、

すっかり……する、

意で使う。

「敢」 漢字.gif

(「敢」 https://kakijun.jp/page/1295200.htmlより)

「敢」(カン)は、

会意兼形声。甘は、口の中に含むことを表す会意文字で、拑(カン 封じこむ)と同系。敢は、古くは「手+手+/印(はらいのける)+音符甘(カン)」で、封じ込まれた状態を、思い切って手で払いのけること、

とある(漢字源)。別に、

形声。意符𠬪(ひよう 上下から手をさしだしたさま)と、音符古(コ)→(カム)とから成り、進んで取る意を表す。のち、敢の字形に変わり、借りて、おしきってする意に用いる、

とも(角川新字源)、

会意文字です(又+又+占の変形)。「口」の象形と「占いの為に亀の甲羅や牛の骨を焼いて得られた割れ目を無理矢理、両手で押し曲げた」象形から、道理に合わない事を「あえてする」を意味する「敢」という漢字が成り立ちました、

ともhttps://okjiten.jp/kanji1613.htmlある。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
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2024年01月06日

摺る


月草に衣はすらむ朝露にぬれてののちはうつろひぬとも (古今和歌集)、

の、

摺る、

は、

染料を塗った形木(かたぎ)を布にこすりつけて染めること、

で、

月草であなたの衣を摺(す)って染めましょう。たとえ朝露に濡れて帰った後は色うつろうとしても、

と注記がある(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。

する、

には、

摺る、

のほかに、

刷る、
擦る、
磨る、
摩る、
擂る、

等々と当てるが、いずれも、

「こする」の、コ音脱落による、

とある(日本語源広辞典)。

こする、

は、

コ(接頭語、擬音)+スル

で、

コシコシと摩擦する、

意で、

さする、
すれる、

も同源で、

何かの面に手を強く押し当てて前後左右に動かすこと、

とある(仝上)。

こ、

は、

小、

と当てる接頭語で、

小松、
小倅(こせがれ)、
小風、
小腰、
小手、
こざかしい、
こづらにくい、

ちいさいこと、
程度の少ないことを表す、
いささか、

の意で使う(岩波古語辞典・大言海)ので、

ちょっとする、

意の、「こ」がとれると、「ちょっと」の意が消えていくことになる。

擦る、
摩る、
磨る、

と当てるのは、

物と物とをこすり合わせる、

意なので、

こすって磨く、

意(岩波古語辞典)から、

味噌をする、

のように、

触れ合わせて細かく砕く、

で使う。この場合は、

擂る、

と当てる(デジタル大辞泉)。

摺る、
刷る、

と当てる場合は、

苗代(なはしろ)の小水葱(こなぎ)が花を衣(きぬ)に摺(す)りなるるまにまにあぜか愛(かな)しけ(万葉集)、

と、

(草木の汁などを)布にこすりつけて着色する、
布に木型を押し当てて、彩色したり、模様を染め出したりする、

意や、

版木を使って印刷する、

意だが、とくに、

摺る、

は、

仍て俄に上の句を摺り、下の句三字を改む、

というように、

草稿を抹消する、

意で使う(岩波古語辞典・デジタル大辞泉)。

「擦」 漢字.gif

(「擦」 https://kakijun.jp/page/1709200.htmlより)

「擦」(漢音サツ、呉音サチ)は、

会意兼形声。祭はもと「肉を水や酒で清めるさま+又(手)」からなる会意文字で、供え物に水をかけ、こすって清めるさま。察は「宀(やね、いえ)+音符祭」からなり、すみまできれいにすること。擦は「手+音符察」で、こすって汚れをとりさること、

とある(漢字源)。手でこすりあわせる意を表す(角川新字源)ともあり、別に、

会意兼形声文字です(扌(手)+察)。「5本の指のある手」の象形と「家屋(屋根)の象形といけにえの肉の象形と右手の象形と神にいけにえを捧げる台の象形」(「屋内で祭り神の心をはっきりさせる」の意味だが、ここでは、「物をする時の音の擬声語」)から、「する」、「さする」、「こする」を意味する「擦」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji1634.html

「摺」 漢字.gif


「摺」(①漢音呉音ショウ、②漢音呉音ロウ)は、

会意兼形声。習は、羽を重ねること。摺は「手+音符習」で、折り重ねること、

とあり(漢字源)、「たたむ」意は①、ひしぐ意は②の発音である。別に、

会意兼形声文字です(扌(手)+習)。「5本指のある手」の象形と「重なりあう羽の象形と口と呼気(息)の象形」(「繰り返し口にして学ぶ」、「重ねる」の意味)から「(手で)折りたたむ」を意味する「摺」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji2469.html

「刷」 漢字.gif

(「刷」 https://kakijun.jp/page/0823200.htmlより)

「刷」(漢音サツ、呉音セチ)は、

会意文字。左の旁は「尸(しり)+巾(ぬの)」の会意文字で、人が布で尻の汚れを拭き取る意を示す。刷はそれに刀を加えた字で、刀でさっと汚れをこすりとる意、

とある(漢字源)が、別に、
形声。刀と、音符㕞(セツ)→(サツ)(𡰯は省略形)とから成る。刀で平らにけずる、ひいて「はく」「する」意に用いる、

とも(角川新字源)、

会意兼形声文字です。「死んで手足を伸ばした人」の象形と「頭に巻く布きれにひもをつけて帯にさしこむ」象形(「布」の意味)と「刀」の象形から布や刃物でけがれたものを「取り除く」・「ぬぐう」を意味する「刷」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji691.html

「磨」 漢字.gif

(「磨」 https://kakijun.jp/page/1642200.htmlより)

「磨」(漢音ば、呉音マ)は、

会意兼形声。麻は「广(いえ)+麻の繊維をはぎとるさま」からなり、家の中で麻の繊維をはぎ取るさまを示す。そのさい、こすりあわせて繊維をこまかくわける。磨は「石+音符麻(こする)」で、石でこすること、

とある(漢字源)。別に、

形声。「石」+音符「麻 /*MAJ/」。「砥石」を意味する漢語{磨 /*maajs/}を表す字。もと「麻」が{磨}を表す字であったが、「石」を加えた。のち仮借して「みがく」を意味する漢語{磨 /*maaj/}に用いる、

ともhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%A3%A8

形声。石と、音符(バ)とから成る。ひきうす、転じて、けずりみがく意を表す、

とも(角川新字源)、

会意兼形声文字です(麻+石)。「切り立った崖の象形とあさの表皮をはぎとる象形」(「麻」の意味)と「崖の象形と崖の下に落ちている石の象形」(「石」の意味)で麻は表皮を水に浸してつぶして繊維をとる所から、「すりつぶす」、「すりつぶす為の石うす」を意味する「磨」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji2044.html

「摩」 漢字.gif

(「摩」 https://kakijun.jp/page/1538200.htmlより)

「摩」(漢億バ、呉音マ)は、

会意兼形声。麻(マ)は、すりもんで繊維をとるあさ。摩は「手+音符麻」で、手ですりもむこと、

とある(漢字源)。別に、

形声。「手」+音符「麻 /*MAJ/」。「こする」を意味する漢語{摩 /*maaj/}を表す字、

ともhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%91%A9

形声。手と、音符(麻 バ)とから成る。手ですり合わせて細かくする、ひいて、すりあう、こする意を表す、

とも(角川新字源)、

会意兼形声文字です(麻+手)。「切り立った崖の象形とあさの表皮をはぎとる象形」(「麻」の意味)と「5本の指のある手」の象形で、麻は表皮を水に浸してつぶして繊維をとる所から、「手ですりつぶす」を意味する「摩」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji2043.html

「擂」 漢字.gif


「擂」(ライ)は、

会意兼形声。雷は、電気が積み重なって、ごろごろと、重苦しい音を出すこと。磊(ライ 積み重なった石)と同系。擂は、「手+音符雷」で、ごろごろと雷のような音を立てて、または重い力を掛けて、こすったり、たたいたりすること、

とある(漢字源)。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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2024年01月07日

神奈備


神無月時雨もいまだ降らなくにかねてうつろふ神奈備の森(古今和歌集)、

の、

神奈備の森、

は、もともと普通名詞で、

神が降りる森、

の意で、各地にあるが、ここは、固有名詞とすれば、

竜田川に近い奈良県生駒郡斑鳩町の森、

とある(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。これは、

ちはやぶる神奈備山のもみぢ葉に思ひはかけじうつろふものを(古今和歌集)、

の、

神奈備山、

と同じである。

三室山.jpg

(三室(御室)山 https://www.pref.nara.jp/27378.htmより)

神奈備(かんなび)、

は、

神名火、
神名樋、
甘南備、

等々とも当て(岩波古語辞典・日本大百科全書)、

な、

は、連帯助詞で、

の、

の母音交替形、

で(仝上)、「神奈備」の由来については、

「かむなび」と表記。「かん」は「神」、「な」は「の」の意、「び」は「辺」と同じく「あたり」の意か(精選版日本国語大辞典)、
神(かん)の杜(もり)の約なる、カンナミの転(大言海)、
神の山の意。カムはカミ(神)の形容詞的屈折、ナはノ、ビはもり、むれなどという山の意の語が融合したミの音転(万葉集辞典=折口信夫)、
神嘗の意で、神をまつった所をいうか。また、カンノモリ(神社)の約であるカンナミの転か(和訓栞)、
カミナラビ(神双)の義(古今集注)、
カミノベ(神戸)の転、戸は家の義(延喜式詞解)、
朝鮮語で木をnamuというところから神木の義(国語学通論=金沢庄三郎)、
朝鮮語で山をモイというところから、カム(神)ノモイの約か(日本古語大辞典=松岡静雄)、

等々諸説あるが、

〈かんな〉を〈神の〉の意として〈び(備、火、樋)〉の原義を論じるものが多く、〈辺〉に通じる〈場所〉の意、

といった意味になり(世界大百科事典)、

神をまつる神聖な場所、
神のいらっしゃる場所、

の意と思われる。古代信仰では、

神は山や森に天降(あまくだ)るとされたので、降神、祭祀の場所である神聖な山や森、

をいうところからきている(精選版日本国語大辞典)。したがって、ひいては、

神社のあるところ、

という意にもなる(岩波古語辞典)。固有名詞ではないが、特に、

龍田、
飛鳥、
三輪、

が有名で、《延喜式》の出雲国造神賀詞(かむよごと)には、

大御和乃神奈備、
葛木乃鴨乃神奈備、
飛鳥乃神奈備、

とあり、万葉集にも、

三諸乃かんなび山、
かんなびの三諸(之)山(神)、
かんなびの伊波瀬(磐瀬)之社、

が見え、《出雲国風土記》にも、

意宇郡の神名樋野、
秋鹿郡の神名火山、
楯縫郡の神名樋山、
出雲郡の神名火山、

《延喜式》神名帳に、

かんなび神社、

《三代実録》に、

かんなび神、

等々があって、いずれも、

神体山そのものか神体山に関係ある神または神社、

をさしている(仝上・https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E5%A5%88%E5%82%99)。その山容が、

円錐(えんすい)形または笠(かさ)形の美しい姿をして目につきやすいので、神霊が宿るにふさわしいもの、

と考える(大場磐雄)説もある。

神奈備山、

は、

竜田川もみぢ葉流る神奈備の三室の山に時雨降るらし(古今和歌集)、
神奈備の三室の山を秋行けば錦たちきる心地こそすれ(仝上)。

と、

奈良県斑鳩(いかるが)町にある、

三室山(みむろやま)の異称、

であり、また、奈良県明日香村にある

三諸山(みもろやま)の異称、

でもある。

三輪山(みわやま)、

は、奈良県桜井市にあるなだらかな円錐形の山、

三諸山(みもろやま)、

ともいいhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E8%BC%AA%E5%B1%B1、大和国一宮・大神神社の神奈備(神体山)。大神神社は山を御神体とし、本殿がないhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E5%A5%88%E5%82%99

三輪山.jpg


参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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2024年01月08日

さす


同じ枝をわきて木の葉のうつろふは西こそ秋のはじめなりけれ(古今和歌集)、

の前文に、

貞観の御時、綾綺殿(りょうきでん)の前に梅の木ありけり。西の方にさせりける枝のもみぢはじめたりけるを、上にさぶらふをのこどものよみけるついでによめる、

にある、

西の方にさせりける枝、

の、

さす、

は、

枝を伸ばす、

とある(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。

さす」と当てる字は、

止す、
刺す、
挿す、
指す、
注す、
点す、
鎖す、
差す、
捺す、

等々とある(「令(為)す」という使役は別にしているが、大言海は、そのほか、「發す」「映す」「擎す(ささげる意)」を載せる)。文脈依存で、会話では「さす」で了解し合えても、文字になった時、意味が多重すぎる。で、漢字を借りて、使い分けたとみえる。しかし、「さす」は、連用形「さし」で、

差し招く、
差し出す、
差し迫る、

と、動詞に冠して、語勢を強めたり語調を整えたりするのに使われるが、その「さし」は、使い分けている「さす」の意味の翳をまとっているように見える。

さす、

は、最も古くは、

自然現象において活動力・生命力が直線的に発現し作用する意。ついで空間的・時間的な目標の一点の方向へ、直線的に運動・力・意向がはたらき、目標の内部に直入する意、

とある(岩波古語辞典)。で、

射す、
差す、

と当てる「さす」は、

自然現象において活動力が一方に向かってはたらく、

として、

光が射す、枝が伸びる、雲が立ち上る、色を帯びる、

等々といった意味があり(仝上)、

指す、
差す、

と当てる「さす」は、

一定の方向に向かって、直線的に運動をする、

として、

腕などを伸ばす、まっすぐに向かう、一点を示す、杯を出す、指定する、指摘する、

等々といった意味がある(仝上)。冒頭の、

枝を伸ばす、

は、

この、

指す、
差す、

に当たる、と思われる。

刺す、
挿す、

と当てる「さす」は、

先の鋭く尖ったもの、あるいは細く長いものを、真っ直ぐに一点に突き込む、

として、

針などをつきさす、針で縫い付ける、棹や棒を水や土の中に突き込む、長いものをまっすぐに入れる、はさんでつける、

等々といった意味がある。

鎖す、
閉す、

と当てる「さす」は、

棒状のものをさしこむ意から、ものの隙間に何かをはさみこんで動かないようにする、

として、

錠をおろす、ものをつっこみ閉じ込める、

といった意味がある(仝上)。

注す、
点す、

と当てる「さす」は、

異質なものをじかにそそぎ加えて変化を起こさせる、

として、

注ぎ入れる、火を点ずる、塗りつける、

といった意味がある(仝上)。

止す、

と当てる「さす」は、

鎖す意から、動詞連用形を承けて、

として、

途中まで~仕掛けてやめる、~しかける、

という意味がある。

こう見ると、「さす」の意味が多様過ぎるように見えるが、

何かが働きかける、

という意味から、それが、対象にどんな形に関わるかで、

刺す、

挿す、

注す、

に代わり、ついには、その瞬間の経過そのものを、

~しかけている、

という意味にまで広げた、と見れば、意味の外延の広がりが見えなくもない。語源を見ると、

「刺す」

「指す・差す・射す・挿す・注す」

と、項を分けている説もある(日本語源広辞典)が、結局、

刺す、

を原意としている。

刺す、

を、

表面を貫き、内部に異物が入る意です。または、その比喩的な意の刺す、螫す、挿す、注す、射す、差すが同語源です、

とある(仝上)。別に、

刺す・鎖す

差す・指す・射す、

と項を別にしつつ、

刺すと同源、

としている(日本語源大辞典)ものもあり、結局、

刺す、

に行きつく。では「刺す」の語源は何か。

サス(指)の義(言元梯・国語本義)、
指して突く意(大言海)、
間入の義。サは間の義を有する諸語の語根となる(国語の語幹とその分類=大島正健)、
物をさしこみ、さしたてる際の音から(国語溯原=大矢徹)、
進み出す義(日本語源=賀茂百樹)、
サカス(裂)の義(名言通)、
サはサキ(先)の義、スはスグ(直)の義(和句解)、

等々と諸説あるがはっきりしない。擬音語・擬態語が多い和語のことから考えると、

物をさしこみ、さしたてる際の音から、

というのは捨てがたい気もする。

さす、

を、

「指す」のほうは基本的に、方向や方角などを指し示す場合に使われます。将棋は駒を指で動かすので、「指す」の字があてられるのです、
「差す」は一般的に、細長い光などがすき間から入り込む様子を表します。もちろん、光だけではありません。「魔が差す」は、心のふとしたすき間からよこしまな考えが忍び込む、という意味です、
「挿す」は使い方が限定的で、おもに草花やかんざしなどに使われます。また、「挿し絵」のように何かの間にはさみこむ、さしいれるという意味があるようです、
「刺す」はわりと日常的に使われていますよね。言葉のニュアンスは「差す」よりも強く、細長くとがったもので何かを突き通す、という意味をもっています。「刺」のつくりはりっとうと言い、刃をもつ武器や道具を表す部首です。
このことからも、「刺す」は刃物を使って何かを突く、傷つけるという意味をもつこととがわかります、
「射す」は太陽の光や照明の明かりが入ってくること、
「注す」は水などの液体を容器に注ぐこと、
「点す」は目薬をつけることを表します、

と、意味の使い分けを整理しているhttp://xn--n8j9do164a.net/archives/4878.htmlが、単に、現時点での漢字の使い分けに従っているに過ぎない。漢字は、

「刺」は、朿(シ)の原字は、四方に鋭い刺の出た姿を描いた象形文字。「刺」は「刀+音符朿(とげ)」。刀で刺のようにさすこと。またちくりとさす針。朿は、束ではない。もともと名詞にはシ、動詞にはセキの音を用いたが、後に混用して多く、シの音を用いる、
「挿(插)」は、臿(ソウ)は「臼(うす)+干(きね)」からなり、うすのなかにきねの棒をさしこむさまを示す。のち、手を添えてその原義をあらわす、
「指」は、「手+音符旨」で、まっすぐに伸びて直線に物をさすゆびで、まっすぐに進む意を含む。旨(シ うまいごちそう)は、ここでは単なる音符にすぎない、
「差」は、左はそばから左手で支える意を含み、交叉(コウサ)の叉(ささえる)と同系。差は「穂の形+音符左」。穂を交差して支えると、上端はⅩ型となり、そろわない、そのじくざぐした姿を示す、
「注」は、「水+音符主」。主の字は、「ヽは、じっと燃え立つヽ灯火を描いた象形文字。主は、灯火が燭台の上でじっと燃えるさまを描いたもので、じっとひとところにとどまる意を含む」で、水が柱のように立って注ぐ意、
「点(點)」は、占は「卜(うらなう)+口」の会意文字で、占って特定の箇所を撰び決めること。點は「黒(くろい)+音符占」で、特定の箇所を占有した黒いしるしのこと。のち略して点と書く、
「鎖」は、右側の字(音サ)は、小さい意。鎖は素家を音符とし、金を加えた字で、小さい金輪を連ねたくさり、

といった由来があり、多く漢字の意味に依存して、「さす」を使い分けたように見える。

「差」 漢字.gif

(「差」 https://kakijun.jp/page/1054200.htmlより)

「差」 金文・西周.png

(「差」 金文・西周 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%B7%AEより)

「差」(①漢音サ、呉音シャ、②漢音呉音シ、③漢音サイ、呉音セ、慣用サ)は、

会意兼形声。左はそばから左手で支える意を含み、交叉(コウサ)の叉(ささえる)と同系。差は「穂の形+音符左」。穂を交差して支えると、上端はⅩ型となり、そろわない、そのじくざぐした姿を示す、

とある。「差異」のように「違い」の意の音は①、ちぐはぐの意の音は②、「差遣」のように「つかわす」意の音は③となる(漢字源)。また、

会意兼形声文字です。「ふぞろいの穂が出た稲」の象形と「左手」の象形と「握る所のあるのみ(鑿)又は、さしがね(工具)」の象形から、工具を持つ左手でふぞろいの穂が出た稲を刈り取るを意味し、そこから、「ふぞろい・ばらばら」を意味する「差」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji644.htmlが、

かつて「会意形声文字」と解釈する説があったが、根拠のない憶測に基づく誤った分析である、

とされhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%B7%AE

形声。「𠂹 (この部分の正確な由来は不明)」+音符「左 /*TSAJ/」、

とある(仝上)。別に、

会意。左(正しくない)と、𠂹(すい)(=垂。たれる)とから成り、ふぞろいなさま、ひいて、くいちがう意を表す。差は、その省略形、

とする説もある(角川新字源)。

「指」 漢字.gif

(「指」 https://kakijun.jp/page/0990200.htmlより)

「指」(シ)は、

形声。「手+音符旨」で、まっすぐに伸びて直線に物をさすゆびで、まっすぐに進む意を含む。旨(シ うまいごちそう)は、ここでは単なる音符にすぎない、

とある(漢字源・角川新字源)。別に、

会意兼形声文字です(扌(手)+旨)。「5本の指のある手」の象形と「さじの象形と口の象形」(「美味しい・旨い」の意味)から、美味しい物に手が伸びる事を意味し、それが転じて(派生して・新しい意味が分かれ出て)、「ゆび・ゆびさす」を意味する「指」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji489.html

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)
前田富祺編『日本語源大辞典』 (小学館)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)

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ラベル:さす 指す 差す
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2024年01月09日

つゆ


雨降れど露ももらじをかさとりの山はいかでかもみぢそめけむ(古今和歌集)、

の、

露ももらじ、

とある、

露、

は、

雨露の「露」と、「少し も… ない」の意の「つゆ」を掛ける、

とある(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。

つゆけし

で触れたように、

つゆ(露)、

は、

秋の野に都由(ツユ)負へる萩を手折らずてあたら盛りを過ぐしてむとか(万葉集)、

と、

大気中の水蒸気が冷えた物体に触れて凝結付着した水滴。夜間の放射冷却によって気温が氷点以上、露点以下になったとき生じる。また、雨の後に木草の葉などの上に残っている水滴、

をいう(精選版日本国語大辞典)が、それをメタファに、

わが袖は草の庵にあらねども暮るればつゆのやどりなりけり(伊勢物語)、

と、

涙、

の比喩に用い、また、「露」のはかなさから、

つゆの癖なき。かたち・心・ありさまにすぐれ、世に経る程、いささかのきずなき(枕草子)、

と、

はかないもの、わずかなこと、

の比喩に用い(仝上)、

つゆばかりの、
つゆほど、

等々と使う。つまり、

そんなこととはつゆ知らず、
つゆ疑わなかった、

等々と使う、

つゆ、

も、

露、

と当て(広辞苑・大言海)、下に打消の語を伴って、

少しも、
まったく、

の意で使うので、上述の、

露、

と掛けるのは自然のようなのである。

つまり、「露」のはかなさから、

はかないもの、わずかなこと、

の比喩に用い(仝上)、

ありさりて後も逢はむと思へこそつゆも継ぎつつ渡れ(万葉集)、

と、

露のようにはかない命、

の、

露の命、

とか、

つゆも忘らればこそあぢきなや(謡曲・松風)、

と、

ごくわずかな間、

の意の、

露の間、

とか、

露のようにはかない身の上、

の意の、

露の身、

とか、

露のようにはかないこの世、

の意の、

露の世、

等々といい、その流で、

つゆばかりの、
とか
つゆほど、

等々と、

物事の程度がわずかであるさま、

の意で、

つゆあしうもせば沈みやせんと思ふを(枕草子)、

と、

ちょっと、
わずかに、

の意で使い、さらに、その意味の流れから、反語的に、

いみじくみじかき夜のあけぬるに、つゆ寝ずなりぬ(枕草子)、

と、

否定表現を伴って、強い否定の気持を表わし、

全く、
全然、

の意で使うに至る流れである。

「露」 漢字.gif

(「露」 https://kakijun.jp/page/2103200.htmlより)

「露」(漢音ロ、呉音ル、慣用ロウ)は、「露けし」でふれたように、

形声。「雨+音符路」で、透明の意を含む。転じて、透明に透けて見えること、

とある(漢字源)。別に、

形声文字です(雨+路)。「雲から水滴が滴(したた)り落ちる」象形と「胴体の象形と立ち止まる足の象形と上から下へ向かう足の象形と口の象形」(人が歩き至る時の「みち」の意味だが、ここでは、「落」に通じ、「おちる」の意味から、落ちてきた雨を意味し、そこから、「つゆ(晴れた朝に草の上などに見られる水滴)」を意味する「露」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji340.html

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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2024年01月10日

ちはやぶる


ちはやぶる神の斎垣(いかき)には(這)ふくず(葛)も秋にはあへずうつろひにけり(古今和歌集)、

の、

斎垣、

は、

神域の清浄を保つ垣、

の意で、

瑞垣(みづがき)、

ともいい、

いかきと清音で訓む、

とある(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)が、

いがき、

とも訓ませ、

「い」は「斎み清めた神聖な」の意の接頭語、

で、

神社など、神聖な場所の周囲にめぐらした垣、

をいい、

みだりに越えてならないとされた、

とあり(精選版日本国語大辞典)、

玉垣 (たまがき)、

ともいう(デジタル大辞泉)。

ちはやぶる、

は、

「神」「わが大君」「氏」などにかかる枕詞、

で、

「ちはやぶる」「ちはやひと」は、勢いが激しい強大な「氏(うぢ)」の意から、同音の「宇治」にかかるようになったといわれる、

とある(日本国語大辞典)。また、

千の磐を破るとも解釈されたらしく「神」「我が大君」に、また、神の住む「斎(いつき)の宮」、神の名「別雷(わけいかづち)」、神と同音をもつ地名「金(かね)の岬」、ウヂ(勢い)の意と同音の「宇治」などにかかる、

ともある(岩波古語辞典)。

この歌では、

「力のある」という本来の意味がこもる、

とあり、

神の力をもってしても秋の力にはかなわない、と少し大げさな対比をしながら、万物がうつろう秋に感慨を抱く、

と注釈している(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。

ちはやぶる、

は、

落語では、知ったかぶりの御隠居が、

千早振る神代(かみよ)もきかず竜田川からくれないに水くくるとは、

という百人一首の歌の意味を八五郎に聞かれ、口から出まかせに、

竜田川という大関が千早という花魁(おいらん)に惚(ほ)れたが振られ、妹女郎の神代もいうことを聞かないので「千早ふる神代もきかず竜田川」。失望した竜田川は帰郷して豆腐屋になり、10年後、女乞食(こじき)が卯(う)の花(おから)をくれといったのでやろうとすると、それが千早のなれの果て。竜田川は怒っておからをやらず、恥じた千早が井戸へ身を投げて死んだので「からくれないに水くぐるとは」。八五郎が最後の「とは」の意味を聞くと、「とはは千早の本名だ」とサゲる、

と解釈しているのが有名だが、

ちはやぶる、

は、中世、

ちはやふる、
ちわやふる、

ともいい(日本国語大辞典)、

千早振る、

と当て(広辞苑)、その由来は、

チは風、ハヤは速、ブルは様子をする意(岩波古語辞典・広辞苑)、
動詞「ちはやぶ」の連体形に基づく(大辞林)、
「いちはやぶ(千早ぶ)」の変化。また、「ち」は「霊(ち)」で、「霊威あるさまである」の意とも(日本国語大辞典)、
「ち」は雷(いかづち)の「ち」と同じで「激しい雷光のような威力」を、「はや」は「速し」で「敏捷」を、接尾語の「ぶる」は「振る舞う」を意味するhttps://zatsuneta.com/archives/005742.html
最速(イチハヤブル)の約、勢鋭き意。神にも人にも、尊卑善惡ともに用ゐる。倭姫命世紀に、伊豆速布留神とあり、宇治に續くは、崎嶇(ウヂハヤシ)、迍邅(ウヂハヤシ)、うぢはやきと云ふに因る(大言海)、
イトハヤシ(甚早し)はイチハヤシ(逸早し)に転音し、さらに「敏速に振る舞う」という意でイチハヤブル(逸速振る)といったのが、チハヤブル(千早振る)に転音して「神」の枕詞になった。ふたたびこれを強調したイタモチハヤフル(甚も千早振る)はタモチハフ・タマチハフ(魂幸ふ)に転音して、「神」の枕詞になった、〈タマチハフ神もわれをば打棄(うつ)てこそ (万葉集) 〉(日本語の語源)、

等々諸説あるが、はっきりしない。意味からいうと、枕詞にも、

千磐破(ちはやぶる)人を和(やは)せとまつろわぬ国を治めと(万葉集)、

強暴な、
荒々しい、

という意から、

地名「宇治」にかかる。かかり方は、勢い激しく荒荒しい氏(うじ)の意で、「氏」と同音によるか。一説に、「いつ(稜威)」との類音による、

ものと、

ちはやぶる神の社(やしろ)しなかりせば春日(かすが)の野辺(のへ)に粟(あは)蒔(ま)かましを(万葉集)、

と、

勢いの強力で恐ろしい神、

の意で、「神」およびこれに類する語にかかり、

「神」また、「神」を含む「神世」「神無月」「現人神」などにかかる。「神」に縁の深いものを表す語、「斎垣」「天の岩戸」「玉の簾」などにかかる、

ものと、また、

特定の神の名、神社のある場所、

などにもかかるものがあり、さらに、

稜威(いつ)の、

意から、それと類音の地名「伊豆」にかかる、

ものがある(日本国語大辞典)とされる。もし「ちはやぶる」の由来が異なるのなら、上記の、

チハヤブル(千早振る)、

タマチハフ(魂幸ふ)、

説(日本語の語源)となるのだろうが。

なお、「からくれない(唐紅・韓紅)」については触れた。

「千」 漢字.gif

(「千」 https://kakijun.jp/page/0316200.htmlより)


「千」 甲骨文字・殷.png

(「千」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%8D%83

「千」(セン)は、

仮借。原字は人と同形だが、センということばはニンと縁がない。たぶん人の前進するさまから、進・晋(シン すすむ)の音を表わし、その音を借りて1000という数詞に当てた仮借字であろう。それに一印を加え、「一千」をあらわしたのが、千という字形となった。あるいはどんどん数え進んだ数の意か、

とある(漢字源)。別に、

形声。「一」(数)+音符「人 /*NIN/」[字源 1]。「1000」を意味する漢語{千 /*sniin/}を表す字、

ともhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%8D%83

形声。十(数の意)と、音符人(ジン)→(セン)とから成る。百の十倍の数の「せん」を表す、

とも(角川新字源)、

会意文字です(人+一)。「横から見た人」の象形(「人民、多くのもの」の意味)と「1本の横線」(「ひとつ」の意味)から、数の「せん」を意味する「千」という漢字が成り立ちました、

ともhttps://okjiten.jp/kanji134.htmlある。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)

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2024年01月11日

斎垣(いかき)


神の社のあたりをまかりける時に、斎垣のうちの紅葉を見てよめる、

と前文のある、

ちはやぶる神の斎垣には(這)ふくず(葛)も秋にはあへずうつろひにけり(古今和歌集)、

の、

斎垣、

は、「ちはやぶる」でも触れたように、

神域の清浄を保つ垣、

の意で、

瑞垣(みづがき)、

ともいい、

いかきと清音で訓む、

とある(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)が、

いがき、

とも訓ませ、

「い」は「斎み清めた神聖な」の意の接頭語、

で、

神社など、神聖な場所の周囲にめぐらした垣、

をいい、

みだりに越えてならないとされた、

とあり(精選版日本国語大辞典)、

玉垣 (たまがき)、

ともいう(デジタル大辞泉)。和名類聚抄(平安中期)に、

瑞籬、美豆加岐(ミヅカキ)、以賀岐(イガキ)、

とある。

イはイミ(斎・忌)のイに同じ(岩波古語辞典)、
イは斎(イ)む(忌(イ)む)の語根(齋(いつ)く、齋(いは)ふに同じ)、斎み浄めたる意、東雅(新井白石)、神祇「瑞垣、ミヅカキ、……イガキとも云ひしは、イとは、斎也」、斎串(イグシ)、斎杙(イグヒ)、斎籠(いこも)る、皆同義なり、斎(ユ)と通ず(壹岐、ゆき。的(イクハ)、ゆくは)、斎庭(ユニハ)、斎胤(ユダネ)(大言海)、
イミガキの略(万葉考)、

等々とあるところからも、

斎垣、

は、

忌垣、

とも当て(精選版日本国語大辞典)、

いみがき、

とも訓ませる。ただ、

斎垣(いみがき)、

と訓ませる場合、上記意のメタファからか、

兜の鉢の下縁にめぐらす金銅の飾り金物、

を指し、

多く、総覆輪(そうふくりん)の筋鉢(すじばち)の飾りとし、筋の間を八双(はっそう)形として猪目透(いのめすかし)を入れる、

とある(仝上)。なお、

斎垣、

は、

神社・寺院・墓地などに用いられる垣、

を指し、

特定の形式を指すものではない、

とあり(世界大百科事典)、多くの形式の垣が見られる(仝上)とある。

斎(とき)」で触れたように、「斎」は、

いつき、
ものいみ、

とも訓まし、総じて、

身を浄め、心を整える、

といった意味で、「斎」の字は、「い」と訓んで、

イミ(斎・忌)と同根。

で(岩波古語辞典)、神聖である意だが、複合語としてのみ、

「斎垣」「斎串」「斎杭」「斎槻」

等々と使い、さらに、

いつき、

と訓ませれば、

イツ(稜威 自然、神、天皇の威力)の派生語。神や天皇などの威勢・威光を畏怖して、汚さぬように潔斎して、これを護り奉仕する意。後に転じて主人の子を大切にして仕え育てる意、

で(岩波古語辞典)、それが特定されると、

斎宮(いつきのみや)、

の意となる。

いむ、

と訓ませると、「忌」とも当て、

神に仕えるために汚(けが)れを避けて謹慎する、

意と、

死・産・血などの汚れに触れた人が一定期間、神の祀(まつ)りや他人から遠ざかる、

意となり、さらに広がって、

方角・日取りその他、一般によくないとされている、

意へと広がる。

いわい、

と訓ませると、「祝」とも当て、やはり、

心身を清浄にして無事安全を祈り神をまつる、

意となる(仝上)。当然だが、

さい、

と訓ませれば、漢字「斎」の意と重なる。

「斎」 漢字.gif


「斎(齋)」(漢音サイ、呉音セ)は、「返さの日」、「斎(とき)」で触れたように、

会意兼形声。「示+音符齊(サイ・セイ きちんとそろえる)の略体」。祭りのために心身をきちんと整えること、

である(漢字源)。別に、

形声。示と、音符齊(セイ、サイ)とから成る。神を祭るとき、心身を清めととのえる意を表す。転じて、はなれやの意に用いる、

とも(角川新字源)、

会意兼形声文字です(斉+示)。「穀物の穂が伸びて生え揃っている」象形(「整える」の意味)と「神にいけにえを捧げる台」の象形(『祖先神』の意味)から、「心身を清め整えて神につかえる」、「物忌みする(飲食や行いをつつしんでけがれを去り、心身を清める)」を意味する「斎」という漢字が成り立ちました、

ともhttps://okjiten.jp/kanji1829.htmlある。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
田井信之『日本語の語源』(角川書店)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
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2024年01月12日

ははそ


秋霧は今朝はな立ちそ佐保山のははそのもみぢよにても見む(古今和歌集)、
佐保山のははその色はうすけれど秋は深くもなりにけるかな(仝上)、

の、

ははそ、

は、

柞、

と当て、



のことで(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)、

黄葉する、

とあり、

ははその色はうすけれど、

は、

黄葉するので、紅葉のように色が深くならない、

意で、

薄い、

の意ではなく、

深いの対、

とある(仝上)。

ははそ、

は、和名類聚抄(平安中期)に、

柞、波波曾(柞はイヌツゲなり)、

平安時代の漢和辞典『新撰字鏡』(898~901)に、

楢、堅木也、波波曾乃木、又奈良乃木、

平安後期の漢和辞書『字鏡』(じきょう)に、

楢、波波曾、

書言字考節用集(享保二(1717)年)に、

柞、ハハソ、ニシキギ、ユシ、ユス、

とある(大言海・岩波古語辞典)。なお、

ははそ、

は、訛って、

たとへばはうその木にふるい葉がしげったに又其あとに枝のやうに生ずると(「古活字本毛詩抄(17C前)」)、

ほうそ、
はうそ、

ともいう(精選版日本国語大辞典)。「ははそ」の由来については、

かしは(柏)に同じ(大言海)、
ブナ科の落葉喬木、ナラ、一説にナラやクヌギの総称(岩波古語辞典)、
コナラ・クヌギ・オオナラなどの総称(広辞苑)、
コナラなど、ブナ科コナラ属の植物の別名(大辞林)、
ミズナラなどのナラ類およびクヌギの総称(精選版日本国語大辞典)、
コナラの別名。古くは近似種のクヌギ・ミズナラなどを含めて呼んだらしい。また、誤ってカシワをいうこともある(デジタル大辞泉)、
コナラの古名とも、ナラ・クヌギ類の総称ともいう(日本大百科全書)、

等々、微妙に異なるが、どうやら、

楢、

らしい。

ナラ、

は、

楢、
柞、
枹、

等々と当て、

ブナ科(Quercoideae)コナラ亜科(Quercoideae)コナラ属(Quercus)コナラ亜属(subgenesis Quercus)のうち、落葉性の広葉樹の総称、

とありhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%83%A9、日本では、

クヌギ、
ナラガシワ、
ミズナラ、
シノニム、
カシワ、

等々があり、

イチイやシイなどを含めて呼ぶこともある(岩波古語辞典)とある。

ははそ、

の由来は、

葉葉添(ハハソヒ)の略(大言海・名言通)、
ハホソ(葉細)の義(言元梯)、

としかないが、どうもぴんとこない。

コナラの若葉.jpg


なお、

ははそ、

は、その語頭の二音が同音であるところから、

時ならぬははその紅葉散りにけりいかに木(コ)の下(モト)さびしかるらむ(拾遺集)、

と、

母(ハハ)の意、

にかけて用いられ(広辞苑・精選版日本国語大辞典)、

柞の森、

というと、

柞の木の生い茂っている森、

の意の他に、

母の意にかけて用いる(仝上)。

また、

柞、

を、

ゆしのき、

と訓ませると、

これやこのせんばんさんたの木由之乃支(ユシノキ)の盤むしかめの筒(とう)(催馬楽)、

と、

いすのき(柞)の古名、

となる(精選版日本国語大辞典)。

「柞」 漢字.gif



「柞」 金文・西周.png

(「柞」 金文・西周 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%9F%9Eより)

「柞」(漢音サク、呉音ザク)は、

会意兼形声。「木+音符乍(サ さっときる)」

とある(漢字源)。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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2024年01月13日

くぬぎ


荒陵(あらはか)の松林(はら)の南に当りて忽に両(ふたつ)の歴木(クヌキ)生ひたり(日本書紀)、

の、

くぬぎ、

は、

櫟、
橡、
櫪、
椚、
椢、

等々と当て(日本国語大辞典)、

ブナ科コナラ属の落葉高木、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%8C%E3%82%AE

樹皮からしみ出す樹液にはカブトムシなどの昆虫がよく集まり、実はドングリとよばれ、材は耐朽性が強く杭(くい)や神社の鳥居にも使われ、椚の字はここから由来する。木炭としては火もちがよく、シイタケ栽培の原木にもつかわれる(仝上・日本大百科全書)とある。古名は、

橡(つるばみ)の衣(ころも)は人(ひと)皆(みな)事(こと)なしと言ひし時より着(き)欲しく思ほゆ(万葉集)、
橡(つるばみ)の解(と)き洗ひ衣(きぬ)のあやしくもことに着欲しきこの夕(ゆふへ)かも(仝上)、

と、

ツルバミ(橡)、

といい、実の煎汁(せんじゅう)を衣服の染色に用いた(仝上)という。

クヌギ.jpg


「くぬぎ」は、別に、ツルバミのほか、

クノギ、
ハハソ、
ホウソ、
フシマキ、
カタギ、
フシクレボク、

などともよばれ(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%8C%E3%82%AE・日本国語大辞典)、漢字も、上記以外、

栩、椡、㓛刀、功刀、柞(ははそ)、

等々とも当てる。中国名は、

麻櫟、

と書く(仝上)とある。

くぬぎ

は、

到筑紫後國(シリノクニ)御木(ミケ)、有僵樹、長、九百七十丈、是樹者、歷木(クヌギ)也、天皇曰神木(アマシキキ)也、故、是國宣號御木國(景行紀)、
渡會の大河の邊の若歷木(万葉集)

とつかわれ、字鏡(平安後期頃)に、

櫟、櫪、久奴木、

とある。「くぬぎ」の由来は、上記景行紀によって、

クニキ(国木)の転、天皇が筑紫の道後で歷木(くぬぎ)と称する大木をご覧になり、その国を御木の国となづけられたとある。クヌギ(歷木)の旧称がクニキ(国木)に変わり、更に音転した(東雅・名言通・大言海)、

とするものもあるが、他に、

皮を煎じて染料とするところから、クヅニルキ(屑煎木)の義(名語記)、
葉がクリの葉に似ていてクリニギ(栗似木)の義(日本語原学=林甕臣)、
クノキ(食之木)の転。クは飲食の概念を表示する原語で、クヌギは食用の実を結ぶ槲斗科植物の総称だった(日本古語大辞典=松岡静雄)、
古く、火に焚く木をクノギといった。それが特定の燃料用木に限られるようになり、クヌギといわれたらしい(地名の研究=柳田国男)、
クは「栩」の音ku からで、字義は柞櫟。栩の木の義(日本語原考=与謝野寛)、
朝鮮語のkul(クリまたはクヌギ)に関係があるか(木の名の由来=深津正)、

等々とある(仝上)が、はっきりしない。

クヌギ 葉と実.jpg


厄介なのは、「くぬぎ」に当てる字は、「柞」だけでなく、

櫟 (イチイ)、
橡(トチ)、

と他の木にも当てていることだ。

クヌギの葉.jpg

(くぬぎの葉 日本大百科全書より)


「櫟」 漢字.gif


「櫟」(①漢音レキ、呉音リャク、②漢音呉音ロウ)は、

会意兼形声。「木+音符樂(ラク・レキ)。もと樂の字は、「まゆ二つ+白(どんぐり形の実)」からなり、野蚕が眉をつくる、クヌギの木。のち、樂が音楽・快楽の意に転用されたので、櫟の字で原義を表す、

とある(漢字源)。なお、「くぬぎ」の意は①の音、「こすってがりがり音を立てる」意の音は②になる(仝上)。

「橡」 漢字.gif


「橡」(漢音ショウ、呉音ゾウ)は、

形声。「木+音符象」、

とあり(漢字源)、「とち」の意も「くぬぎ」の意もある。

「櫪」 漢字.gif


「櫪」(漢音レキ、呉音リャク)は、

会意兼形声。「木+音符歷(レキ ならべる)」、

とある(漢字源)。

「椚」 漢字.gif


この字は、和製漢字。

会意。「木+門」。くぬぎは、ふるくは「くのき」ともいい、門が家の内外をくべつすることから、「区(門)の木」に当てた、

とある(漢字源)。

「椢」 漢字.gif

(「椢」 https://kakijun.jp/page/9E9A200.htmlより)

「椢」(カイ)は、「はこ」の意である。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

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2024年01月14日

ぬさ


竜田姫たむくる神のあればこそ秋の木の葉のぬさと散るらめ(古今和歌集)、
秋の山紅葉をぬさとたむくれば住むわれさへぞ旅心地する(仝上)、
神奈備の山を過ぎゆく秋なれば竜田川にぞぬさはたむくる(仝上)、

とある、

ぬさ、

は、

幣、

と当て、

布や帛を細かく切ったもので、旅人は、道の神の前でこれを撒く、

とある(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。

道の神、

とは、

道祖神、

のことである(仝上)。「道祖神」は、

さえの神

とも、訛って、

道陸神(どうろくじん)、

ともいい、

世のいはゆる道陸神(どうろくじん)と申すは、道祖神とも又は祖神とも云へり。(中略)和歌にはちぶりの神などよめり(百物語評判)、

と、

ちぶりの神

ともいう、

旅の安全を守る神、

であり、

行く今日も帰らぬ時も玉鉾のちぶりの神を祈れとぞ思ふ(鎌倉時代の歌学書『袖中抄(しゅうちゅうしょう)』)、

とある。

ぬさ

は、

幣、

と当て、

麻・木綿・帛または紙などでつくって、神に祈る時に供え、または祓(はらえ)にささげ持つもの、

の意で、

みてぐら、
にぎて、

ともいい、共に、

幣、

とも当てる。「ぬさ」は、

祈總(ねぎふさ)の約略なれと云ふ、總は麻なり、或は云ふ、抜麻(ぬきそ)の略轉かと(大言海)、

とあり、「ねぎふさ」に、

祈總(ねぎふさ)を当てるもの(国語の語根とその分類=大島正健・日本語源広辞典)、

抜麻(ねぎふさ)を当てるもの(雅言考)、

があり、「抜麻」を、

抜麻(ねぎあさ)と訓ませるもの(日本語源広辞典・河海抄・槻の落葉信濃漫録・名言通・和訓栞・本朝辞源=宇田甘冥)、

があり、その他、

ヌはなよらかに垂れる物の意。サはソ(麻)に通じる(神遊考)、
抜き出してささげる物の義(本朝辞源=宇田甘冥)、
ユウアサ(結麻)の略(関秘録)、

等々、その由来から、「ぬさ」が、元々、

神に祈る時に捧げる供え物、

の意であり、また、

祓(ハラエ)の料とするもの、

の意、古くは、

麻・木綿(ユウ)などを用い、のちには織った布や帛(はく)も用い、或は紙に代えても用いた、

とあり(大言海・精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉他)、

旅に出る時は、種々の絹布、麻、あるいは紙を四角に細かく切ってぬさぶくろに入れて持参し、道祖神の神前でまき散らしてたむけた、

とある(精選版日本国語大辞典)。後世、

紙を切って棒につけたものを用いるようになる、

とある(仝上)。ただ、

神に捧げる供物、

をいう「ぬさ」と、本来は、供物の意味をもたない、

しで(四手)、
みてぐら、

と混同が起こったと考えられている(精選版日本国語大辞典)。ただし、

ぬさ、

は、普通、

旅の途上で神に捧げる供物、

をいうのに対して、

みてぐら、

は必ずしも旅に関係しないという傾向が見られる(仝上)とある。

神に祈る時にささげる供え物、

である、

ぬさ、

は、

麻・木綿(ゆう)・紙、

等々で作り、後には、

織った布や帛(はく)、

も用いたが、旅に出る時は、

種々の絹布、麻、あるいは紙を四角に細かく切ってぬさぶくろに入れて持参し、道祖神の神前でまき散らしてたむけた、

とある(仝上)。このため、

みちの国の守平のこれみつの朝臣のくだるに、ぬさのすはまの鶴のはねにかける(貫之集)、

と、「ぬさ」は、

旅立ちの時のおくりもの、
餞別、
はなむけ、

の意ともなる(仝上)。

「幣」 漢字.gif

(「幣」 https://kakijun.jp/page/1517200.htmlより)

「幣」(漢音ヘイ、呉音ベ)は、「ぬさ」で触れたように、

会意兼形声。敝の左側は「巾(ぬの)+八印二つ」の会意文字で、八印は左右両側に分ける意を含む。切り分けた布のこと。敝(ヘイ)は、破って切り分ける意。幣は「巾(ぬの)+音符敝」で、所用に応じて左右にわけて垂らし、または、二枚に切り分けた布のこと、

とある(漢字源)。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

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2024年01月15日

行矣(さきくませ)


豊葦原(とよあしはら)の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂(みずほ)の国(くに)は、是(これ)吾(あ)が子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地(くに)なり。宜(よろ)しく爾(いまし)皇孫(すめみま)就(ゆ)きて治(し)らせ。行矣(さきくませ)。宝祚(あまつひつぎ)の隆(さか)えまさむこと、当(まさ)に天壌(あめつち)と窮(きはま)りなかるべし(日本書紀)、

の、

行矣(さきくませ)、

は、

お幸せに、
とか、
お元気で、

という意味らしいが、

さきく(幸く)、

は、

「さき(幸)」に、「けだしく」などの「く」と同じ副詞語尾「く」の付いたもの、

で、

御船(みふね)は泊てむ恙(つつみ)無く佐伎久(サキク)いまして早帰りませ(万葉集)、
楽浪(ささなみ)の志賀の辛崎さきくあれど大宮人の船待ちかねつ(仝上)、

などと、

さいわいに、
平穏無事に、
変わりなく、
つつがなく、
繫栄して、

等々、

旅立つ人の無事を祈っていう例が多い(日本国語大辞典)。

さきくませ、

の、

ませ、

は、助動詞、

まし、

の未然形、

動詞・助動詞の未然形を承け。奈良時代は、

未然形ませ、
終止形まし、
連体形まし、

しかなかったが、平安時代に入って、

已然形ましか、

が発達し、未然形に転用され(岩波古語辞典)、

ませ(ましか)・〇・まし・まし・ましか・〇、

と活用する(精選版日本国語大辞典)、

用言・助動詞の未然形に付く。推量の助動詞、

で(仝上)、その由来は、

将(ム)より轉ず(大言海)、
助動詞「む」の形容詞的な派生(精選版日本国語大辞典)、
推量の「む」から転成(mu+asi→asi)した(岩波古語辞典)、

とあり、中世以降の擬古文や歌で、

「む」とほぼ同じ推量や意志を表わすのに用いる、

とある(仝上)。

む、

は、

行かむ、
落ちむ、
受けめ、

と、

動作を未来に云ふ助動詞、

とある。

まし、

は、

動作を未然に計りて云ふ助動詞、稍、願ひ思ふ意を含めて用ゐるものもあり(大言海)、
現実には起らぬことや、事実と異なることを仮定し、仮想する意を表す。また仮定や空想の立つ種々の主観的な情意を表す。「……ませば(主として奈良時代)……まし」、「……ましかば(平安時代以降)……まし」と呼応することが多く、また仮定条件「……ましかば」を推量表現で結んだり、何らかの仮定条件を受けて、「……まし」で結ぶ表現もある(明解古語辞典)、

等々とあり、

現実の事態(A)に反した状況(非A)を想定し、「それ(非A)がもし成立したのだったら、これこれの事態(B)がおこったであろうに」と想像する気持ちを表明するものである、

とあり(岩波古語辞典)、

「らし」が現実の動かしがたい事実に直面して、それを受け入れ、肯定しながら、これは何か、これはなぜかと問うて推量するのに対して、「まし」は、動かしがたい目前の現実を心の中で拒否し、その現実の事態が無かった場面を想定し、かつそれを心の中で希求し願望し、その場合おこるであろう気分や状況を心の中に描いて述べるものである、

とある(仝上)。まさに、

さきくませ、

お元気で、

である。英語の、

Good luck!(I wish good luck to you)、

が近いのだろうか。

後世は、少しニュアンスが変わって、

けふ来ずはあすは雪とぞ降りなまし消えずはありとも花と見ましや(古今集)、

と、

仮定の条件句を作り、または仮定条件句と呼応して、現実でない事態を想像する。もし…であったら、…であろう、

の意で、

ませば…まし、ましかば…まし、せば…まし、

の類型となり、

ひとりのみ眺むるよりは女郎花(をみなへし)我が住む宿に植ゑて見ましを(古今集)、

と、

現実にない事態を想像し、それが現実でないことを惜しむ意を表わす、

となったり、

いかにせましと思しわづらひて(源氏物語)、

と、

その実現の不確かさを嘆き、また実行を思い迷う意を表わす、

意で、

…だろうか。…したらよかろうか、

と使う。「らし」と対照的な使い方となる。

「幸」 漢字.gif

(「幸」 https://kakijun.jp/page/0878200.htmlより)

「幸」(漢音コウ、呉音ギョウ)は、その異字体に、

𦍒(異体字)、 𠂷(古字)、𭎎(俗字)、

とあるがhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%B9%B8

象形。手にはめる手かせを描いたもので、もと手かせの意。手かせをはめられる危険を、危く逃れたこと。幸とは、もと刑や型と同系のことばで、報(仕返しの罰)や執(つかまえる)の字に含まれる。幸福の幸は、その範囲がややひろがったもの、

とあり(漢字源・https://okjiten.jp/kanji43.html)、別に、

会意。夭(よう)(土は変わった形。わかじに)と、屰(げき)(さかさま。は変わった形)とから成る。若死にしないでながらえることから、「さいわい」の意を表す。一説に、もと、手かせの象形で、危うく罰をのがれることから、「さいわい」の意を表すという(角川新字源)、

ともあるが、

『説文解字』では「屰」+「夭」と説明されているが、篆書の形を見ればわかるようにこれは誤った分析である。
手械(てかせ)を象る象形文字と解釈する説があるが、これは「幸」と「㚔」との混同による誤った分析である、

と、上記両説を否定し、

「犬」と「矢」の上下顛倒形とから構成されるが、その造字本義は不明、

とあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%B9%B8

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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2024年01月16日

しがらみ(柵)


山川に風のかけたるしがらみは流れもあへぬ紅葉なりけり(古今和歌集)、

の、

しがらみ、

は、

柵、
笧、

と当て、

川の流れをせき止める柵、

とある(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。

しがらみ.jpg

(しがらみ 広辞苑より)

川の流れをせきとめるため、杭(くい)を打ち渡し、竹・柴などを横にからませたもの、

である(学研古語辞典)。それをメタファに、

袖のしがらみせきあへぬまで……尽きせず思ひ聞こゆ(源氏物語)、

と、

物事をせき止めるもの、
引き止めるもの、
まとわりつくもの、
じゃまをするもの、

などの意で使う(日本国語大辞典)。

しがらみ、

は、動詞、

しがらむ、

の名詞形で、

しがらむ、

は、

飛火(とぶひ)が岳に萩の枝(え)をしがらみ散らしさを鹿は妻呼び響(とよ)む(万葉集)、
山遠き宿ならなくに秋萩をしがらん鹿の鳴きも来ぬかな(「貫之集(945頃)」)、

と、

からみつける、
まといつける、
からませる、

意だから、それをメタファに、

うらみんとすれどもかれがれの、かづらばかりぞ身にそひて、しがらむいまのわが心、せめておもひもなぐさむと(御伽草子「さいき(室町末)」)、

と、

からみつく、
からまる、
もつれる、
かかわりをもつ、

でも使うが、

涙川流るる跡はそれながらしがらみとむる面影ぞなき(「狭衣物語(1069~77頃)」)、

と、

しがらみを設ける、
しがらみを設けて、水流などをせき止める、

意でもあり、当然、

ひめ君も思ひ川、したゆくみづとかよへ共、さすが人目のしがらみて(浄瑠璃「十二段(1698頃)」)、

と、

さえぎり止める、
防ぎとめる、

意でも使う(精選版日本国語大辞典)。この由来は、

シは添えた語(万葉集類林)、
サ変動詞「す」と絡むの複合語、

と、からぐ(絡)と同根とされる、

巻きつく、

意の、

絡(搦)む、

からきているとする説があり、

水流をせき止めるために杭を打ち渡して、柴・竹などを結びつけることをセキカラム(塞き絡む)といった。セキ[s(ek)i]の縮約でシガラム(柵む)になり、その名詞形がシガラミ(柵)である、

とする(日本語の語源)し、

シキガラミ(繁絡)の約(大言海)、

も、同系統に思える。他の、

シバガラミ(柴搦)の義(名言通・和訓栞)、
シハカラキ(柴搦)の略転(言元梯)、
ヒシカラミ(菱搦)の上略(柴門和語類集)、
足からみの略(類聚名物考)、
イシカラミ(石籠)の義(日本釈名)、

も、やはり「からむ」と関わる。「からむ」を強調している意から見ると、

動作を行う、

意の、

シ(為)、

との複合語説が一番説得力がある気がする。

「柵」 漢字.gif


「柵」(漢音サク・サン、呉音シャク・セン)は、

会意兼形声。「木+音符册(サク 長短不揃いな木簡を並べた短冊)」。じくざぐした木のさく、

とある(漢字源)。別に、

形声。「木」+音符「冊 /*TSEK/」。「さく」を意味する漢語{柵 /*tshreek/}を表す字、

とも(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%9F%B5)

会意形声。木と、冊(サク)(木片を並べてとじた形)とから成る、

とも(角川新字源)、

会意兼形声文字です(木+冊)。「大地を覆う木」の象形と「文字を書きつける為に、ひもで編んだ札」の象形(「並べた札」の意味)から、「木や竹を編んで作った垣根(家や庭の区画を限るための囲いや仕切り)」を意味する「柵」という漢字が成り立ちました、

ともhttps://okjiten.jp/kanji2129.htmlある。

「笧」 漢字.gif


「笧」(サク)、

は、

文字を記すための細長い竹の札、

の意で、

冊、

と同義、

はかりごと、計画、

の意で、

策、

と同義https://kanji.jitenon.jp/kanjir/8793.htmlとある。

「柵」も、「笧」も、竹の「冊」とつながるようである。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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2024年01月17日

きよみ


風吹けば落つるもみぢ葉水きよみ散らぬ影さへ底に見えつつ(古今和歌集)、

の、

きよみ、

の、

「きよ」は形容詞「きよし」の語幹。「み」は理由を表す接尾語、

とあり(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)、

清いので、
けがれなく美しいので、
すがすがしいので、

という意味になる(精選版日本国語大辞典)。接尾語、

み、

は、

若の浦に潮満ち来れば潟(かた)を無み葦辺(あしへ)をさして鶴(たづ)鳴き渡る(万葉集)、
埼玉の津にをる舟の風をいた美綱は絶ゆとも言(こと)な絶えそね(萬葉集)、

と、

形容詞の語幹に添いて、「の故に」の意をなす(大言海)、
形容詞の語幹、および助動詞「べし」「ましじ」の語幹相当の部分に付いて、…が…なので。…が…だから、原因・理由を表す。多く、上に「名詞+を」を伴うが、「を」がない場合もある(学研全訳古語辞典)、

とある。形容詞、

きよし、

は、

汚らし、

の対で、氷のように冷たく冴えて、くっきり住んでいる意、清浄で汚れ・くもりがなく、余計な何物もない意。純粋、無垢で透明の意。類義語サヤケシは、氷のように冷たく冴えて、くっきり澄んでいる意、

とある(岩波古語辞典)。「きよい」で触れたように、

濁りがない、けがれがない、美しい、
くもっていない、あきらかである、
きもちがよい、さわやかである、
潔白である、いさぎよい、
残る所がない、あとかたがない、

といった意味の幅を持つ。

にごりがない→くもっていない→残る所もない→あとかたもない、

までは状態表現の外延としてわかる。

きもちがいい、

は、「濁りがない」という状態をメタファとした心情表現へと転じ、

潔白である、いさぎよい、

は、「濁りがない」という状態表現をメタファとした価値表現へと転じている、とみることができる。『大言海』を見ると、

穢れなし、清浄なり(きたなしの反)、
汚れなし、濁らず、
潔し、潔白なり、
残りなし、跡方なし、

と、「きよい(し)」の状態表現がクリアにわかる。つまり、

穢れや濁りがない、

という意味なのである。語源は、

生好(キヨ)の義(大言海)
キ(気・息・生)+ヨシ(佳・吉・好)(日本語源広辞典)、
気佳・気好・気吉の義(和句解・和語私臆鈔・国語溯原=大矢徹)、
息善の義(紫門和語類集)、
キヨは生、ヨは助語(大島正健)、
イキイロシ(生色如)の義(日本語原学)、
アカキ(炎)の意(紫門和語類集)、
キエシキ(消如)の意(紫門和語類集)、
アキイヨシ(明弥)の義(言元梯)、
キは切る音、切ったものは新しく初めとなることから(日本声母伝)、
キヨはカミイホ(神庵)、カミヤド(神宿)の反、またカミヤドセリの反(名語記)、

等々が上がっている。この中では、

「キ(気・息・生)+ヨシ(佳・吉・好)」説

気佳・気好・気吉の義、

とはほぼ重なる。「よし(佳・吉・好)」が、

息、
か、
気、
か、
生、
か、

いずれにしても、どうやら、「きよい(し)」は、状態表現ではなく、もともとが、

よし(佳・吉・好)、

という価値表現であったということになる。

清浄で汚れ・くもりがなく、余計な何物もない意、

なのは、その人の、

息、
か、
気、
か、
生、
か、

といえば、結局その人そのものにつながるように思える。

ものきよき御なからひなり(栄花物語)、

と、

ものきよし(物清し)、

だと、

なんとなくきれいである、
さっぱりしている、
また、
潔白である、

と価値表現なのも、理由があるのかもしれない。さらに、

きよし、

に、

気好、

と当てると、文明本節用集(室町中)によると、

気のいいこと、また、その人、
お人よし、

の意となり、

惟任の妹の御つまき死了。信長一段のきよし也(多聞院日記・天正九年(1581)八月二一日)、

と、

お気に入り、

の意になる。

「清」 漢字.gif


「清」(漢音セイ、呉音ショウ、唐音シン)は、

会意兼形声。青(セイ)は「生(芽ばえ)+井戸の中に清水のある姿」からなり、きよく澄んだことを示す。清は「水+音符青」で、きよらかに澄んだ水のこと、

とあり(漢字源)、呉音「ショウ」は、六根清浄(ショウジョウ)や清水(ショウズ)のような特殊な場合にしか用いない(仝上)とある。別に、

会意兼形声文字です(氵(水)+青(靑))。「流れる水」の象形と「草・木が地上に生じてきた象形(「青い草が生える」の意味)と井げた中の染料の象形(「井げたの中の染料(着色料)」の意味)」(「青くすみきる」の意味)から、水がよく「澄んでいる・きよい」を意味する「清」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji586.html

「浄」 漢字.gif


「浄」(漢音セイ、呉音ジョウ)は、

形声、「水+音符爭」で、爭(争)は原義には関係しない、

とある(漢字源)。別に、

形声。水と、音符爭(サウ、シヤウ)→(セイ、ジヤウ)とから成る。もと、魯(ろ)国にあった池の名。古くから、瀞(セイ、ジヤウ)の略字として用いられている。常用漢字は俗字による、

とも(角川新字源)、

会意兼形声文字です(氵(水)+争(爭))。「流れる水」の象形と「ある物を上下から手で引き合う象形と力強い腕の象形が変形した文字」(「力を入れて引き合う」の意味)から、力を入れて水を「清める」を意味する「浄」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji1938.html

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
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ラベル:きよみ
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2024年01月18日

さやけし


うつせみは数なき身なり山川のさやけき見つつ道を尋ねな(万葉集)、

の、

さやけし、

は、

きよらかな、

という意で、

分明、
亮、
寥、

と当てる(岩波古語辞典)とか、

明けし、
清けし、
爽けし、

と当てる(精選版日本国語大辞典)とある。類義語、

きよし、

との違いは、「きよみ」で触れたように、「きよし」は、

汚らし、

の対で、氷のように冷たく冴えて、くっきり住んでいる意、清浄で汚れ・くもりがなく、余計な何物もない意。純粋、無垢で透明の意。類義語サヤケシは、氷のように冷たく冴えて、くっきり澄んでいる意、

とある(岩波古語辞典)。「さやけし」は、

光・音などが澄んでいて、また明るくて、すがすがしいようす、

を表し、「きよし」も同様の意味を表すが、

さやけしは対象から受ける感じ、
きよしは対象そのもののようす、

をいうことが多い(学研全訳古語辞典)とある。だから、

さやけし、

は、

サユ(冴)と同根、

とあり(岩波古語辞典)、

冷たく、くっきりと澄んでいる意、視覚にも、聴覚にも使う、

とある(仝上)。

冴ゆ、

は、

さやか(分明・亮か)のサヤと同根、

とある(仝上)。

さや、

は、

清、

と当て、

あし原のしけしき小(を)屋に菅畳、いやさや敷きてわが二人寝し(古事記)、

と、

すがすがしいさま、

の意だが、やはり、

日の暮れに碓井の山を越ゆる日は背(せ)なのが袖もさや振らしつ(万葉集)

と、

ものが擦れ合って鳴るさま、

の意もある(岩波古語辞典)。

さやけし、

には、

冴えてはっきりしている、
くっきりと際立っている、

と、

さや(冴)、

の語感の意の他に、

霧立ち渡り夕されば雲居たなびき雲居なす心もしのに立つ霧の思ひ過さず行く水の音もさやけく(佐夜気久)万代に言ひ継ぎ行かむ川し絶えずは(万葉集)、

と、

音、声などがはっきりとしてさわやかである、
快い響きである、
耳に快く感じられる、

意もある(精選版日本国語大辞典)のだが、視覚の、

さやけし、

と、聴覚の、

さやけし、

を分けているのが、大言海で、

分明なり、
さやかなり、
あきらけし、

の意の、

さやけし、

は、

分明、

と当て、

分明(さやか)の、音の転じて活用せる語(速(すみやか)、すむやけし、明(あきらか)、あきらけし、静(しずか)、しずけし)、

とし、字鏡(平安後期頃)にも、

分明、佐也介之、明(あきら)介志、

とある。この意をメタファに、上記の万葉集の、

行く衣の音も佐夜気久、萬代に言ひ継ぎ行かむ、

と、

(名声が揚る意で)明白に立ちて、高し、

の意とするが、いまひとつ、

音立ちて、爽亮(さやか)なり、
響き冴えたり、

の意の、

さやけし、

は、

爽亮、

と当て、

爽亮(さやか)より轉ず、

とあり、古語拾遺の、

嗟佐夜憩(あなさやけ)、

の註に、

竹葉之聲也、

とあり、大言海は、

天鈿女命の、竹葉を振ひたる声を云ふ、

と補う。ただ、二つの、

さやけし、

は、音に由来する、

同じ語原、

とする(大言海)。しかし、大言海自身が、

さやか、

に、

分明、

と当てる「さやか」は、

サヤは、清(さや)なり、

とし、

あきからに、

の意であり、

爽亮、

と当てる「さやか」は、

サヤは、喧(さや)なり、

とし、

音立ちて、

の意とする。応神紀に、

琴、其音鏗鏘而(さやかにして)遠聴(くきこゆ)、

とあるのについて、契沖は、

日本紀に、爽亮を、サヤカと訓めり、萬葉集に、清の字を書けり、鏗鏘を、さやかと訓むは、金珠などの、さはやなる聲にて、別義なり、

としている。どうも、

分明、

の、

さやか、

と、

爽亮、

とは使い分けられていて、当然、本来、

さやけし、

も、視覚と聴覚は、別けて使っていたのではないか、という気がする。このことをみるのに、

さやけし、

の、

さや、

を探ってみると、思い当たるのは、「さわぐ」で、「さわぐ」は、

奈良時代にはサワクと清音。サワは擬態語。クはそれを動詞化する接尾語、

で、

サワ、

は、

さわさわ、

という擬態語と思われる。今日、「さわさわ」は、

爽々、

と当て、

さっぱりとして気持ちいいさま、
すらすら、

という擬態語と、

騒々、

と当て、

騒がしく音を立てるさま、
者などが軽く触れて鳴る音、
不安なさま、落ち着かないさま、

の擬音語とに分かれる。「擬音」としては、今日の語感では、

さわさわ、

は、

騒がしい、

というより、

軽く触れる、

という、どちらかというと心地よい語感である。むしろ、

騒がしい、

感じは、

ざわざわ、

というだろう。しかし、

古くは、騒々しい音を示す用法(現代語の「ざわざわ」に当たる)や、落ち着かない様子を示す用法(現代語の「そわそわ」に当たる)もあった。「口大(くちおお)のさわさわに(佐和佐和邇)引き寄せ上げて(ざわざわと騒いで引き上げて)」(古事記)。「さわさわ」の「さわ」は「騒ぐ」の「さわ」と同じものであり、古い段階で右のような用法を持っていた、

とある(擬音語・擬態語辞典)。「さわさわ」は、

音を云ふ語なり(喧喧(さやさや)と同趣)、サワを活用して、サワグとなる。サヰサヰ(潮さゐ)、サヱサヱとも云ふは音轉なり(聲(こゑ)、聲(こわ)だか。据え、すわる)、

とあり(大言海)、「さいさいし」が、

さわさわの、さゐさゐと転じ、音便に、サイサイとなりたるが、活用したる語、

と、「さわさわ」と関わり、

『万葉集』の「狭藍左謂(さゐさゐ)」、「佐恵佐恵(さゑさゑ)」などの「さゐ・さゑ」も「さわ」と語根を同じくするもので、母韻交替形である、

とある(日本語源大辞典)。因みに、

さやさや(喧喧)、

は、

サヤとのみも云ふ。重ねたる語。物の、相の、触るる音にて、喧(さや)ぐの語幹、

であり、

さやぐ(喧)、

と動詞化すると、

さわさわと音をたてる、

意となる。

さやさや、

は、

清清、

と当てると、

光の冴えたる意、

で、

さや(清)、

を重ねた語である。で、

さや(清)、

は、

沍(さ)ゆと通ず、

とあり、

沍(さ)ゆ、

は、

冴ゆ、

とも当て、

冷たい、
凍(冱)る、

いであり、それをメタファに、

(光や音が)冷たく澄む、

意でも使い、

さやか(爽亮)、

に繋がっていく(岩波古語辞典・大言海)。

どうも、由来から見ると、

さや、

は、聴覚的な、

音が立つ、

からきているようなのだが、漢字を当て分けたため、別由来のように見えるものの、もともと、聴覚的な、

音が立つ、

意にも、視覚的な、

際立つ、。

意にも使っていたものではないか、という気がしてならない。だから、

さやけし、

には、その二つの意味が合流し、

聴覚的、

視覚的、

の使い分けが残っているのではないか。

「爽」 漢字.gif

(「爽」 https://kakijun.jp/page/1129200.htmlより)


「爽」 甲骨文字・殷.png

(「爽」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%88%BDより)

「爽」(漢音ソウ、呉音ショウ)は、

会意。「大(人の姿)+両胸に×印」で、両側に分かれた乳房または入墨を示す。二つに分かれる意を含む、

とある(漢字源)。別に、

大とは両手を広げた人の姿。四つの「乂」は吹き通る旋風。人の周囲をそよ風が吹き通って「爽やか」、

ともhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%88%BD

会意。大と、(四つの「乂」り、い 美しい模様)とから成る。美しい、ひいて「あきらか」の意を表す、

とも(角川新字源)、

会意兼形声文字です(日+喪の省略形)。「太陽の象形と耳を立てた犬の象形と口の象形と人の死体に何か物を添えた象形」の省略形から、日はまだ出ていない明るくなり始めた、夜明けを意味し、そこから、「夜明け」を意味する「爽」という漢字が成り立ちました。また、「喪(ソウ)」に通じ(「喪」と同じ意味を持つようになって)、「滅びる」、「失う」、
「敗れる」、「損なう」の意味も表すようになりました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji2191.html

「亮」 漢字.gif

(「亮」 https://kakijun.jp/page/0903200.htmlより)

「亮」(漢音リョウ、呉音ロウ)は、

会意兼形声。「人+音符京(明るい)の略体」で、高くて明るいの意を含む。京は諒(リョウ はっきり)・涼(清らか)にも含まれ、そのさいリョウという音をあらわす、

とある(漢字源)。別に、

会意文字です(高の省略形+儿)。「高大の門の上の高い建物」の象形(「高い」の意味)と「ひざまずいた人」の象形から、「高い人」を意味し、そこから、「明らか」、「物事に明るい」を意味する「亮」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji1853.html

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

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ラベル:さやけし
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2024年01月19日

藤衣


ほにも出でぬ山田をもると藤衣いなばの露にぬれぬ日ぞなき(古今和歌集)、

の、

藤衣、

は、

藤の繊維で織った粗末な衣、

とある(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。

藤衣、

は、

ふじぎぬ(藤衣)、
ふじのころも(藤の衣)、

ともいい(広辞苑)、

藤蔓の皮の繊維にて織れる布の衣、

で、

織目が荒く、肌(はだ)ざわりが固く、じょうぶではあるが粗末なもの、

で(精選版日本国語大辞典)、古え、

賎民の着たる粗末なる服にて、

和栲(にぎたへ)、

に対し、

麁栲(あらたへ)、

という(大言海)とある。

和栲(にぎたへ)、

は、

和妙、

とも当て、平安時代になって濁り、以前は、

片手には木綿ゆふ取り持ち片手にはにきたへ奉まつり(万葉集)、

と清音で、

打って柔らかにした布、

をいい、

神に手向ける、

ものであった(岩波古語辞典)。

麁栲(あらたへ)、

は、

荒妙、
粗栲、

とも当て、

木の皮の繊維で織った、織目のごつごつした織物、

をいい、

藤蔓などの繊維で作った(デジタル大辞泉・仝上)。平安時代以降は、

麻織物、

を指した(仝上)。安斎随筆に、

望陁布、

として紫藤から作る衣類のことを述べ、樵などが着る、

とあるので、

藤衣、

は、近世頃まで実際にあったと考えられる(精選版日本国語大辞典)。

なお、

藤衣、

には、別に、

ふぢ衣はつるるいとはわび人の涙の玉の緒とぞなりける(古今和歌集)、

と、

麻の喪服、
または、
喪服、

の意味があり(広辞苑)、

縗衣、

とも当て、和名類聚抄(平安中期)に、

縗衣、不知古路毛、喪服也、

とある。もと、「織目のごつごつした織物」である藤衣を、

喪服として用いたからであろう、

とあり(精選版日本国語大辞典)、後、麻で作ったものをもいうようになる。中古の例は、

大部分が喪服をさしたものである、

とある(仝上)。木綿の伝わる中世末期までは植物性繊維として、藤衣は、アサ(麻)についで栲(たえ)などとともに庶民の間には広く行われていたが、喪服はもともと粗末なものを用いることをたてまえとしたので、庶民の衣服材料である麻布や藤布で作られた、

とある(世界大百科事典)。信長葬儀の模様を描いた、「惟任退治記」(大村由己)にも、

御輿の前轅(さきながえ)は池田古新輝政、これを舁(か)き、後轅(あとながえ)は羽柴於次丸秀勝これを舁く。御位牌、御太刀秀吉これを持す。かの不動國行なり。両行(りょうぎょう)に相連なる者三千余人、皆烏帽子・藤衣を着す、

とあり、室町末期にも葬儀に着用していたと思われる。なお、

藤衣、

は、

大君(おほきみ)の塩(しほ)焼く海人(あま)の藤衣(ふぢころも)なれはすれどもいやめづらしも(万葉集)、

と、

衣の織目の粗い意から「間遠に」、衣になれるという意から「なれる」、衣を織るという音から「折れる」をそれぞれ引き出す、

序詞、

として使われる(デジタル大辞泉・仝上)。ちなみに、

序詞(じょことば、じょし)、

とは、和歌に見られる修辞法で、

ある語句を引き出すために、音やイメージの上の連想からその前に冠する修辞のことば、

で、。枕詞(まくらことば)と同じ働きをするが、音数に制限がなく、

「足引の山鳥の尾のしだり尾の長々し夜をひとりかもねむ」のはじめの三句
「かくとだにえやは伊吹のさしも草さしも知らじな燃ゆる思ひを」のはじめの三句

等々、二句以上三、四句におよぶ(精選版日本国語大辞典)とある。

「藤」 漢字.gif

(「藤」 https://kakijun.jp/page/1801200.htmlより)

「藤」(漢音トウ、呉音ドウ)は、

会意兼形声。「艸+音符滕(トウ のぼる、よじれてのぼる)」、

とある(漢字源)。別に、

会意兼形声文字です(艸+滕)。「並び生えた草」の象形と「渡し舟の象形と上に向かって物を押し上げる象形と流れる水の象形」(「水がおどり上がる、湧き上がる」の意味)から、「つるが上によじ登る草」を意味する「藤」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji2100.html

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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2024年01月20日

ひつち


かれる田におふるひつちのほに出でぬは世を今さらにあきはてぬとか(古今和歌集)、

の、

ひつち、

は、

稲を刈り取ったあとの株から伸びる新芽、

とあり、

穂は出ない、

と注記がある(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。

ひつち、

は、

穭、
稲孫、

と当て、

ひつぢ(ひつじ)、
ひづち(ひずち)、

とも訓ませ、

おろかおひ(い)、
稲の二番生(ばえ)、
ままばえ、
再熟稲(さいじゅくとう)、
まごいね、

ともいい(精選版日本国語大辞典)、学術的には、

再生イネ、

といい、一般には、

二番穂、

とも呼ばれ、

穭稲(ひつじいね)、
穭生(ひつじばえ)、

等々ともいう、いわゆる、

ひこばえ

である。要は、稲刈りをした後の株に再生した稲で、

稲の蘖(ひこばえ)、

であるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A8%B2%E5%AD%AB。で、

稲刈りのあと穭が茂った田を、

穭田(ひつじだ)、

という(仝上)とある。

イネの稲孫.jpg


和名類聚抄(平安中期)には、

穭、比豆知、

類聚名義抄(11~12世紀)には、

穭、ヲロカオヒ、俗に云、ヒツチ、

とあるように、室町時代末期までは、

ひつち、

と清音であった(岩波古語辞典)。

ひこばえ」で触れたように、「ひつち」の由来は、

刈れる後の乾土(ヒツチ)より生ふれば名とするか(大言海)、
秣、ヒツチ、稲の再生して実なるを云、秋田をかり、水をおとして後、干土(ヒツチ)より出て、みのるものなればヒツチと云(日本釈名)、

とある(大言海)。

「穭」 漢字.gif


「穭」(ロ・リョ)は、

禾(のぎへん)+魯、

になるが、手元の漢和辞典には載らなかった。

「魯」 漢字.gif

(「魯」 https://kakijun.jp/page/ro15200.htmlより)

「魯」(漢音ロ、呉音ル)は、

会意兼形声。「魚(鈍い動物の代表)+曰(ものいう)」で、言行が魚のように大まかで間抜けであること、

とある(漢字源)。あるいは、

穭、

は、

おろかおひ、

の意味から作った「和製漢字」なのかもしれない。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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2024年01月21日

こく


見わたせば柳桜をこきまぜて都ぞ春の錦なりける(古今和歌集)、

の、

こく、

は、

枝から花や葉をもぎとること、

とあり(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)、

こきまぜて、

で、

もぎとった花や実をまぜあわせること、

とある(仝上)。万葉集には、

藤波(ふぢなみ)の花なつかしみ引き攀(よ)ぢて袖(そで)にこきれつ、

というように、

こきいれる、

を略した、

こきる、

が使われている(学研全訳古語辞典)。

こく、

は、

転く、
倒く、

と当てると、「こける(転・倒)」の文語形で、

ころぶ、

意で、

痩く、

と当てると、「こける(痩)」の文語形で、

痩せ痩ける、

というように、

やせ細る、

意で使う。

漏(く)くと通ずるか、

とする説(大言海)もあり、和訓栞は、

こける、

について、

仆るを云ふ、神代紀に、漏落を、クキオチと讀めり、コケとクキと通ぜり、

としている。類聚名義抄(11~12世紀)には、

擿(テキ)、コカス、コク、サル、ハラフ、ノゾク(擲に同じ)、

とある。

こく、

を、

放く、

と当てると、

屁をこく、

というように、

体外に出す、はなつ、ひる、

意で、和名類聚抄(平安中期)に、

霍乱、俗云之利(尻)与利久智(口)与利古久(こく)夜万比(病)、

とあり、そのメタファで、

言ひ放つ意から、言ふを卑しめて、

嘘をこく、

というように、

ぬかす、
ほざく、

意で使う。

こく、

を、

扱く、

と当てると、

細長い物などを片手で握って他の手で引く、
しごく、
また、
しごいて掻きおとす、
しごいて引き抜く、

といった意味になり、冒頭の引用の「こく」は、この、

扱く、

で、

もみぢばは袖にこき入れてもていなむ秋は限りと見む人のため(古今和歌集)、

などと使う(広辞苑)。類聚名義抄(11~12世紀)には、

揃、ムシル、こく、

とある。万葉集だと、

引き攀ぢて折らば散るべみ梅の花袖にこき入れつ染(し)まば染むとも、

と、

しごく、

意で使われている。この、

こく、

の由来については、

カク(掻)と通ず(掻雜(かきま)ず、こきまず)(大言海)、
しごくと同系語(柴門和語類集)、
コは細の義(国語本義)、

等々とあるが、日葡辞書(1603~04)に、

イネヲコク、また、コキヲトス、

とあり、意味の上からも、同じく、

扱く、

と当てる、

しごく、

との関係がある気がしてならない。中世以降、時に、

こぐ、

と濁音化することもある(日本国語大辞典)ので、なおさらである。

「扱」 漢字.gif

(「扱」 https://kakijun.jp/page/0688200.htmlより)

「扱」(漢音ソウ、呉音ショウ)は、

会意文字。及は、人の背に又(手)が届くさま。扱は「手+及」で、手が届いてものを処理すること、

とある(漢字源)。「扱」は、手で取り入れる意を表すが、日本では、「あつかう」意に用いる(角川新字源)。別に、

形声文字です(扌(手)+及)。「5本の指のある手」の象形と「人の象形と手の象形」(人に手が触れて「追いつく・およぶ」の意味だが、ここでは、「吸(キュウ)」に通じ(同じ読みを持つ「吸」と同じ意味を持つようになって)、「すいこむ」の意味)から、「手で引きこむ」を意味する「扱」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji1075.html

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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2024年01月22日

離(か)る


山里は冬ぞさびしさまさりける人目も草もかれぬと思へば(古今和歌集)、

の、

かる、

は、

離る、

と当てるが、

離る、

は、

ある、

と訓ませると、

散る、

とも当て、

アラ(粗)の動詞形、

で、

廿人の人の上りて侍れば、あれて寄りまうで来ず(竹取物語)、

と、

別れる、
散り散りになる、

意で、その外延で、

鮪(しび)突く海人(あま)よ其(し)が阿礼(アレ)ばうら恋(こほ)しけむ(古事記)、

と、

遠のく、
疎くなる、

となり、

さかる、

と訓ませると、

離(さ)くの自動詞形、

で、

大和をも遠く離りて岩が根の荒き島根に宿りする(万葉集)、

と、

へだたる、
遠ざかる、

意で、

はなる、

とよますと、

放る、

とも当て、

大君の命(みこと)畏み愛(うつく)しけ真子が手波奈利(ハナリ)島伝ひ行く(万葉集)、

と、

離れる、

意である(広辞苑・日本国語大辞典)。いずれも、

かる(離)、

と似た意味であるが、「離(か)る」は、

空間的・心理的に、密接な関係にある相手が疎遠になり、関係が絶える意、多く歌に使われ、「枯れ」と掛詞になる場合が多い。類義語アカルは散り散りになる意。ワカルは、一体になっているものごと・状態が、ある区切り目をもって別のものになる意、

と、使い分けられていたとある(岩波古語辞典)。

離(か)る、

は、

か(涸・枯)れると同源(広辞苑)、
切るると通ず(大言海)、

とある。

かる、


に当てるのは、

離る、

の他に、

刈る、
駆る、
枯る、
涸る、
嗄る、

等々とある。

涸る、
嗄る、
枯る、

は、意味からも、

水気がなくなる、

意と通じるのはわかる気がするが、他についても、「かる」で触れたように、

離る、

と繋がっていく。

刈る、

も、

切り離す、

意であり、

切る、伐(こ)るに通ず、

とあり(大言海)、

伐(こ)る、

は、類聚名義抄(11~12世紀)に、

伐、キル・コル

とあり、

離(か)る、

も、

切るるの義、

であり(大言海)つながっていく。さらに、

枯(涸・乾)る、

も、

カル(涸)と同根。水気がなくなってものの機能が弱り、正常に働かずに死ぬ意。類義語ヒ(干)は水分が自然に蒸発する意だけで、機能を問題にしない、

とあり(岩波古語辞典)、万葉集に、

耳無(みみなし)の池し恨めし吾妹子が来つつ潜(かづ)らば水は涸れなむ、

とある。こう見ると、

刈ればそのまま枯れるという意から、カル(枯)に通じる(和句解)、

涸る、

刈る、

はつながり、

離る、狩る、涸ると同源、

となる(日本語源広辞典)。

「離」 漢字.gif

(「離」 https://kakijun.jp/page/1916200.htmlより)

「離」(リ)は、

会意。離は「隹(とり)+大蛇の姿」で、もと、へびと鳥が組みつはなれつ争うことを示す。ただし、ふつうは麗(きれいにならぶ)に当て、二つくっつく、二つ別々になる意をあらわす、

とあり(漢字源)、また、

会意兼形声文字です(离+隹)。「頭に飾りをつけた獣」の象形と「尾の短いずんぐりした小鳥」の象形から、「チョウセンウグイス」の意味を表したが、「列・刺」に通じ(「列・刺」と同じ意味を持つようになって)、切れ目を入れて「はなす」を意味する「離」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji1304.htmlが、

会意文字と解釈する説があるが、誤った分析である。音韻形態が示すように実際には形声文字である、

とされhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%9B%A2

形声。「隹」+音符「离 /*RAJ/」。一種の鳥を指す漢語{離 /*raj/}を表す字。のち仮借して「はなれる」を意味する漢語{離 /*raj/}に用いる、

とか(仝上)、

形声。隹と、音符离(チ、リ)とから成る。こうらいうぐいすの意を表す。借りて「はなれる」意に用いる、

とされる(角川新字源)。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:離(か)る 散る
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