2024年02月07日
貌鳥(かほどり)
朝ゐでに来鳴く貌鳥汝(な)れだにも君に恋ふれや時終(を)へず鳴く(万葉集)、
貌鳥の間なくしば鳴く春の野の草根の繁き恋もするかも(万葉集)、
の、
かほ鳥、
は、
顔鳥、
貌鳥、
容鳥、
等々と当てる(広辞苑)。
かほ鳥の聲も聞きしに通ふやと繁みをわけて今日ぞたづぬる(源氏物語)、
と、「万葉集」「源氏物語」に登場するが、何の鳥かは分っていないようである。
かおよどり、
ともいい(広辞苑)、
古くは清音、カホと鳴く鳥の意から、カッコウのことという。一説に、美しい春の鳥(広辞苑)、
今のカッコウとも、春鳴く美しい鳥ともいう(大辞林)
古くは「かおとり」、カッコウその他諸説があるが、実体不明(大辞泉)、
カホと鳴く声から出た名かという、後に誤ってカワセミをさすという(岩波古語辞典)、
かわせみ(翡翠)のことでヒスイ、ショウビンともよばれる(https://manyuraku.exblog.jp/10737173/)、
等々諸説ある。大言海は、
容花(かほばな)と同義、
とし、
美しき鳥の称、
つまり、
容好鳥(かほよどり)、
とする。
かほばな、
は、
容花、
貌花、
と当て、
カホとは容姿(スガタ)の義、
とし、
容好花(かほよばな)、
ともいい、
すがたの美しき花の義、容(かほ)が花とも云ふ、……美麗なる人を、容人(カタチビト)と云ふが如し、容鳥(かほどり)も同じ、
とする(大言海)。このように、中古以後、おおむね、「かおどり」の語義を、
かおばな、
と同じく、
容姿の美しい鳥、
と考えているが、
雉(きじ)の雄、
鴛鴦(おしどり)、
翡翠(かわせみ)、
雲雀(ひばり)、
梟(ふくろう)、
鴟鵂(みみずく)、
蚊母鳥(よたか)、
虎鶫(とらつぐみ)、
青鳩(あおばと)、
河烏(かわがらす)、
郭公(かっこう)、
等々、様々なものに当てている(精選版日本国語大辞典)。
しかし、「かお」は、
表面に表し、外部にはっきり突き出すように見せるもの。類義語オモテは正面・社会的体面の意。カタチは顔の輪郭を主にした言い方、
とあり(岩波古語辞典)、
気表(ケホ)の転、人の気の表(ホ)に出でて見ゆる意と云ふ、
カホ(形秀)の義(和訓栞)、
カは外、ホはあらわるる事につける語(和句解)、
カは上の儀、ホカ(外)で、表面の意(国語の語根とその分類=大島正健)、
と、いわゆる、
顔面、
顔つき、
表面、
ではなく、
表面にあって見えるもの、
を指す。大言海は、それが転じて、
容(かほ)の転、身体の表示には、顔が第一なれば、移れるか、
とする。つまり、
表面、
という意のメタファで顔と使われた、という感じになる。「かんばせ」は、
顔・容、
と当て、
カオバセの転、
とされる(広辞苑)が、
顔つき、容貌、
という状態表現の意から、
体面、面目、
という価値表現へと転じている。
こころばせ、
が、
心馳の義。心の動きの状を云ふ。こころざしに同じ。類推して、顔様(かんばせ)、腰支(こしばせ)など云ふ語あり。かほつき、こしつきにて、こころばせも、こころつきなり、
とあるように、
心の向かうこと、心ばえ、こころざし、
という意味になる。「心ばえ」の「映え」がもと「延へ」で、外に伸ばすこと。つまり、心のはたらきを外におしおよぼしていくこと。そこから、ある対象を気づかう「思いやり」や、性格が外に表れた「気立て」の意となる。特に、心の持ち方が良い場合だけにいう、という意味であった。
は(馳)せ、
は、
心+馳せ(日本語源広辞典)、
で、「心の動き」を言う状態表現から、
心のゆきとどくこと、たしなみのあること、
といった価値表現へと転ずる。日本語源大辞典は、
性格や性質にもとづいた心の働き、人格を示すような心の動き、才覚、気転の程を示すような心の動き、
と意味を載せる。
心が先へと走る、
という心の状態、働きが、
先へ先へと気(配慮)が回る、
と、そのもたらす効果というか、価値を指すように転じたというのがよく見て取れる。「心ばえ」は、
その性格がおのずと外へ出る、
と言っているのに対して、「心ばせ」は、
その振る舞いが外へ出ている、
ということだろうか。
かんばせ、
は、そういう様子だと言っていることになる。その意味でいうと、
かほ(顔)、
は、
姿形、
と当てる「なりすがた」の意と、
顔、
と当てて、「顔面」の意とに分けている。「顔」で提喩的に、その人全体を表現する、という意味になる。
もともと「顔」自体に、「顔面」の意以外に、
体面、
という意味を持っているが、「かんばせ」と言ったとき、「顔」で何かの代表を提喩するように、
そのひとそのものの、
提喩でもある使い方になっているのではあるまいか。その意味で、
貌鳥、
には、
単に外面の美しさだけではない、内から映えるような、
というような価値を表現をしていたのではないか、という気がする。
「貌」(①漢音ボウ、呉音ミョウ、②漢音バク、呉音マク)は、
会意兼形声。「豸(けもの)+音符皃(ボウ あたまと足のある人の姿)で、人や動物のあらましの姿をあらわす、
とあり(漢字源)、「外貌」というように「かたち」の意は、①の音、「おぼろげなさま」の意は②の音となる(仝上)。同じく、
会意兼形声文字です(豸+皃)。「獣が背を丸くして獲物に襲いかかろうとする」象形(「模様のはっきりした豹」の意味)と「頭が空白の人」の象形(「外から見た、かたち」の意味)から、「かたち(顔つき(容貌)、姿、ありさま、外観、振る舞い、動作、飾り)」を意味する「貌」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji2164.html)、
も、会意兼形声文字とするが、
かつて「会意形声文字」と解釈する説があったが、根拠のない憶測に基づく誤った分析である、
とされ(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%B2%8C)、
形声。「豸」+音符「皃 /*MEW/」、
とするもの(仝上)、
本字は、象形で、人が仮面をかぶったさまにかたどる。貌は、会意形声で、豸と、皃(バウ)とから成る。「皃」の後にできた字、
とするもの(角川新字源)がある。
参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95