唐衣たつ日は聞かじ朝露のおきてしゆけば消(け)ぬべきものを(古今和歌集)、
唐衣着つつなれにしつましあればはるばるきぬる旅をしぞおもふ(仝上)、
唐衣、
は、
韓衣、
とも当て(大辞林)、
からころも、
と訓ませ、近世以降、
からごろも、
とも訓み、
袖が大きく、裾はくるぶしまでとどき、日本の衣服のように褄前を重ねないで、上前、下前を深く合わせて着る、
という、
中国風の衣服、
の意で、転じて、
めずらしく美しい衣服をいうこともある、
とある(広辞苑)が、上述の引用歌もそうだが、
雁が音の来鳴(きな)きしなへに韓衣(からころも)立田の山は黄葉(もみ)ち初めたり(万葉集)
のように、
着(き)る、裁(た)つ、袖(そで)、裾(すそ)、紐(ひも)など、すべて衣服に関する語や、それらと同音または同音をもつ語、
にかかる枕詞として使われる(広辞苑)。訛って、
可良己呂武(カラコロム)裾(すそ)に取り付き泣く子らを置きてそ来ぬや母(おも)なしにして(万葉集)、
と、
「からころも(唐衣)」の上代東国方言、
ともなる(精選版日本国語大辞典)。
唐衣、
を、
からぎぬ、
と訓ませると(室町ごろまでは「からきぬ」)、
背子、
とも当て(大言海)、
唐風の衣、
の意で、
女官が正装するとき着用した短い上衣(仝上)、
とある(大辞林)が、
女子の朝服で上半身につける表衣(うわぎ)、
をいい(広辞苑・精選版日本国語大辞典)、
奈良時代の背子(ハイシ)の変化したもの、
で(大辞林)、
唐様(からよう)の丈(たけ)の短い胴着、
に、
幅の狭い広袖があり、襟を羽織のように折り返して上衣の上に着る。
とあり、
唐の御衣(おんぞ)、
ともいう(仝上)。一説に、カラは、
裳と対にして着用、
することからか、
幹・胴、
で、
胴衣(からころも)、
の意とも言う(岩波古語辞典)。
和名類聚抄(平安中期)に、
背子、形如半臂、無腰襴之袷衣也、婦人表衣、以錦為之、加良岐沼、
とある。
「衣冠束帯」で触れたように、「朝服」は、
は、参朝して事務に当たる一般官人が着用した衣服、
で、飛鳥時代から平安時代にかけて着用された装束を、特に、
朝服、
といい、唐風をそのままに採用したが、和風化に伴って変化した朝服を、
束帯(そくたい)、
という(有職故実図典・https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E6%9C%8D)。
(朝服 山川 日本史小辞典より)
平安時代以降は、公家の女子の正装であった晴装束とされるもので、
十二単(じゅうにひとえ)といわれる女房装束(にょうぼうしょうぞく)の最上層に重ねる、
ものとされる。奈良時代の女子朝服の衣の上に春・冬に着用した、
背子(はいし)、
は、袖(そで)のない、身丈の短いものであったが、平安時代中期以降、服装の長大化に伴って、袖幅の狭い袖をつけ、襟を外側へ折り返して裏側をみせる、
返し襟形式、
となった。さらに衣が大きく、身丈も裾(すそ)を引く長さとなって、夜着の袿衣(けいい)と形が同様となり、衣(きぬ)とも袿(うちき)ともよばれるようになると、その上に重ねて着る背子も、それにしたがって大きくなり、身丈がやや長く、身幅が二幅(ふたの)、袖幅は狭いが袖丈が長く、広袖形式で、唐衣と称されて、四季を通じて用いられた、
とある(日本大百科全書)。腰に着装する、
裳(も)、
とともに正装の象徴と考えられた(仝上)という。十二単を、
裳唐衣(もからぎぬ)装束、
と称するように、唐衣をつけることによって女房装束が正装となった(世界大百科事典)のであり、また数多い着装物の最上層衣であったために、平安時代においては、これには裳とともに刺繡や箔、ときには螺鈿(らでん)の置口(おきくち)などで相当はなやかな装飾がほどこされた(仝上)。形は、
短い袷(あわせ)仕立ての羽織のようなもの、
で、
前身が通常後身より少し長い。これを表着の上に着て、後ろに裳の大腰をあてて、これを小腰という紐で前で結ぶが、前身は通常裳の紐の上にかぶさって、帯を締めたように唐衣を上から押さえることはしない、
とある(仝上)。襟は、これが今日の羽織の襟のように着装したときには、
外へ折れかえる、
もので、ちょうど背の中央、うなじの下に当たるところに三角形に飛び出した部分がある。これを、
髪置(かみおき)、
と称するが、古い時代にはなかったようである(仝上)。その材質は、表地に、
錦(にしき)、二重(ふたえ)織物、浮(うき)織物、固(かた)織物、綾(あや)、平絹(ひらぎぬ)などのほか刺しゅうを施したものも用い、
裏地に、
菱文(ひしもん)の綾、平絹が使われた、
とある(日本大百科全書)。
からぎぬは短き衣とこそいはめ、されどそれは、もろこしの人のきるものなれば(枕草子)、
色ゆるされたる人々は、例の青色、赤色の唐衣に、地摺(ぢずり)の裳、上着はおしわたして蘇芳(すおう)の織物なり(紫式部日記)、
とあるが、表地の地文には、たとえば、
亀甲(きっこう)、三重襷(みえだすき)、花菱(はなびし)、小葵(こあおい)、
等々、正装の最上層のものとして、品格高く、端正な印象を与えるもを用いた。禁色の赤色、青色、錦や二重織物などの唐衣は、勅許を得た上﨟(じょうろう)(高位)の女房でなければ用いられなかった(仝上)とある。
(十二単 精選版日本国語大辞典より)
(女房装束 デジタル大辞泉より)
(唐衣(からぎぬ) 大辞林より)
(唐衣 日本大百科全書より)
参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
鈴木敬三『有職故実図典』(吉川弘文館)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95