2024年02月20日

玉匣(たまくしげ)


夕月夜(ゆふづくよ)おぼつかなきを玉くしげふたみの浦はあけてこそ見め(古今和歌集)

玉くしげ、

は、

櫛などを入れる箱、

で、

蓋にかかる枕詞、

とある(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。

玉櫛笥、

とも当て、

たま、

は、接頭語、歌語として使われ、

をとめらが珠篋(たまくしげ)なる玉櫛の神さびけむも妹(いも)に逢はずあれば(万葉集)、
ふた方に言ひもてゆけば玉くしけ我が身離れぬかけごなりけり(源氏物語)、

など、

美称、

として使われ、

櫛(くし)などの化粧道具を入れる美しい箱、

の意(学研全訳古語辞典)で、

くしばこ、

ともいう、

くしげ、

の美称ということになる(広辞苑)が、

玉飾りのある櫛笥(くしげ)、

の意が転じて、

女の持つ手箱の美称、

となった(岩波古語辞典)ともあり、

たま、

は、

霊魂を意味し、神仙としての霊性とかかわりのある箱の意、

ともある(仝上)。

たま(魂・魄)」で触れたように、

「たま」は、

魂、
魄、
霊、

と当てるが、「たま(玉・珠)」で触れたように、

玉、
球、
珠、

とも当て、

球体・楕円体、またはそれに類した形のもの、

をいうが、もともと、

たま(玉・珠)、

は、

タマ(魂)と同根。人間を見守りたすける働きを持つ精霊の憑代となる、丸い石などの物体が原義、

とある(岩波古語辞典)。依り代の「たま(珠)」と依る「たま(魂)」というが同一視されたということであろうか。

呪術・装飾などに用いる美しい石、宝石、

であり、

特に真珠、

を指し、転じて、

美しいもの、
球形をしたもの、

と意味が広がったと見られる。

なお、形の丸については「まる」で触れたように、「まる」「まどか」という言葉が別にあり、

中世期までは「丸」は一般に「まろ」と読んだが、中世後期以降、「まる」が一般化した。それでも『万葉-二〇・四四一六』の防人歌には「丸寝」の意で「麻流禰」とあり、『塵袋-二〇』には「下臈は円(まろき)をばまるうてなんどと云ふ」とあるなど、方言や俗語としては「まる」が用いられていたようである。本来は、「球状のさま」という立体としての形状を指すことが多い、

とあり(日本語源大辞典)、更に、

平面としての「円形のさま」は、上代は「まと」、中古以降は加えて、「まどか」「まとか」が用いられた。「まと」「まどか」の使用が減る中世には、「丸」が平面の意をも表すことが多くなる、

と(仝上)、本来、

「まろ(丸)」は球状、
「まどか(円)」は平面の円形、

と使い分けていた。やがて、「まどか」の使用が減り、「まろ」は「まる」へと転訛した「まる」にとってかわられた。『岩波古語辞典』の「まろ」が球形であるのに対して、「まどか(まとか)」の項には、

ものの輪郭が真円であるさま。欠けた所なく円いさま、

とある。平面は、「円」であり、球形は、「丸」と表記していたということなのだろう。漢字をもたないときは、「まどか」と「まる」の区別が必要であったが、「円」「丸」で表記するようになれば、区別は次第に薄れていく。いずれも「まる」で済ませた。

とすると、本来「たま」は「魂」で、形を指さなかった。魂に形をイメージしなかったのではないか。それが、

丸い石、

を精霊の憑代とすることから、その憑代が「魂」となり、その石をも「たま」と呼んだことから、その形を「たま」と呼んだと、いうことのように思える。その「たま」は、単なる球形という意味以上に、特別の意味があったのではないか。

たま、

は、

魂、
でもあり、
依代、

でもある。何やら、

神の居る山そのものがご神体、

となったのに似ているように思われる。しかし憑代としての面影が消えて、形としては、「たま」は、「丸」とも「円」とも差のない「玉」となった。しかし、

掌中の珠、

とは言うが、

掌中の丸、

とは言わない。かすかにかつての含意の翳が残っている。

さて、そうした陰影のある「たま」の美称をもつ、

玉匣(たまくしげ)、

は、

枕詞、

に転じ、

くしげを開く、

意から、

吾が思ひを人に知るれや玉匣(たまくしげ)開きあけつと夢(いめ)にし見ゆる(万葉集)、

と、

「ひらく」「あく」に、

珠匣(たまくしげ)蘆城の河を今日見ては万代(よろづよ)までに忘らえめやも(万葉集)、

と、

「開(あく)」の「あ」と同音を含む地名「あしき」に、

かかり、

くしげの蓋(ふた)をする、

意から、

玉匣(たまくしげ)覆ふをやすみ明けていなば君が名はあれど吾が名し惜しも(万葉集)、

と、

「おほふ」に、

かかり、

くしげの蓋、

の意から、「ふた」と同音の、

ぬばたまの夜はふけぬらし多末久之気(タマクシゲ)二上山に月傾きぬ(万葉集)、

と、

地名「二上山」「二見」「二村山」、

ほととぎす鳴くや五月(さつき)のたまくしげ二声聞きて明くる夜もがな(新勅撰和歌集)、

と、

「二年(ふたとせ)」「二声」「二尋(ふたひろ)」「二つ」、

などを含む語にかかり、

くしげの身の、

意から、

玉匣(たまくしげ)みもろの山のさなかづらさ寝ずは遂にありかつましじ(万葉集)、

と、

「身」と同音を含む「三諸(みもろ)」「三室戸(みむろと)」「恨み」に、

かかる。一説に、くしげを開けて見る意で、「見」と同音を含む語にかかるともいう。また、

くしげの箱、

の意から、

たまくしげ箱の浦波立たぬ日は海を鏡と誰か見ざらん(土佐日記)、

と、

「箱」と同音または同音を含む地名「箱根」、または「箱」、

などにかかり、

たまくしげかけごに塵もすゑざりし二親ながらなき身とを知れ(金葉集)、

と、

くしげと縁の深いものとして「掛子(かけご)」にかかり、また、鏡と同音の地名「鏡の山」、

にかかり、

大切なもの、

の意で、

あきづはの袖振る妹を珠匣(たまくしげ)奥に思ふを見給へ吾が君(万葉集)、

と、

奥に思ふ、

にかかり、

くしげが美しい、

の意から、

玉匣かがやく国、苫枕(こもまくら)宝ある国(播磨風土記逸文)、

と、

「輝く」にかかる(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典)。

なお、

玉匣、

を、

ぎょっこう、

と読むと、漢語で、

宝玉で装飾した箱、

をいい、

玉手箱、
鏡箱(かがみばこ)、

ともいう(精選版日本国語大辞典)。

「匣」.gif


「匣」(漢音コウ、呉音ギョウ、慣用ゴウ)は、「」で触れたように、

会意兼形声。甲(コウ)は、ぴったりと蓋、または覆いのかぶさる意を含む。からだにかぶせるよろいを甲といい、水路にかぶせて流れを塞ぐ水門を閘(コウ)という。匣は、「匚(かごい)+音符甲」で、ふたをかぶせるはこ、

とある(漢字源)。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 04:32| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする