2024年02月27日
心もしのに
淡海(あふみ)の海夕浪千鳥(ゆふなみちどり)汝(な)が鳴けば心もしのにいにしへ思(おも)ほゆ(万葉集)、
の、
心もしのに、
は、
心が萎(しを)れて、
の意とある(斎藤茂吉「万葉秀歌」)。
しの、
は、
草や藻などが風や波などになびきしなうさまをいう、
とある(精選版日本国語大辞典)ので、
心もしなうばかりに、
心もぐったりして、
という意になるが、
心もうちひしがれて、
心もしおれるように、
のほうが(学研全訳古語辞典)ぴったりくる気がする。ときに、
しのに、
を
しぬに、
とするのは、上記の、
淡海の海夕浪千鳥汝が鳴けば情毛思努爾(こころモシノニ)古(いにしへ)思ほゆ、
の万葉仮名、
情毛思努爾(こころモシノニ)、
の、
努、
などを、
ヌと読み誤ってつくられた語、
とある(岩波古語辞典)。鎌倉時代の歌学書『袖中抄(しゅうちゅうしょう)』に、
しぬぬれてとは、之怒怒と書きてしとどぬれてともよみ、又しぬぬにぬれてともよめり、
とある。
しのに、
は、
秋の穂(ほ)をしのに押しなべ置く露(つゆ)の消(け)かもしなまし恋ひつつあらずは(万葉集)、
と、文字通り、
(露などで)しっとりと濡れて、草木のしおれなびくさま、
の意(広辞苑・精選版日本国語大辞典)で、それをメタファに、上記のように、
淡海(あふみ)の海夕浪千鳥(ゆふなみちどり)汝(な)が鳴けば心もしのにいにしへ思(おも)ほゆ(万葉集)、
と、
心のしおれるさまなどを表わす語、
として、
しおれて、
しっとり、しみじみした気分になって、
ぐったりと、
といった意味で使う(仝上)。中世以降になると、
しのに、
は、
あふことはかたのの里のささの庵(いほ)しのに露散る夜半(よは)の床かな(新古今和歌集)、
と、
しげく、
しきりに、
の意で使うようになる(岩波古語辞典・学研国語大辞典)。
しのに、
と似た、
聞きつやと君が問はせるほととぎすしののに濡れて此(こ)ゆ鳴き渡る(万葉集)、
と、
びっしょりと濡れるさまを表わす語、
で、
ぐっしょりと、
しとどに、
しっとりと、
の意味の、
しののに、
がある。これも、
朝霧に之努努爾(シノノニ)濡れて呼子鳥三船の山ゆ鳴き渡る見ゆ(万葉集)、
とある、
努、
を、
ぬ、
と読み誤って、
しぬぬに、
とつくる(岩波古語辞典)とある。ただ、
しのに、
を、
しぬにの転、
とし、
撓(しな)ひ靡きて、
とする(大言海)説もある。その場合、
しぬに、
は、
撓ふの意、
とする。しかし、
撓(しな)ふ、
は、
しなやかな曲線を示す意。類義語撓むは加えられた力を跳ね返す力を中に持ちながらも、押されて曲がる意、
とあり、
生気を失ってうちしおれる、
意の、
萎(しな)ゆ、
は、
しおれる、
で別語ともあり(岩波古語辞典)、どうも意味からは、
撓ふ、
ではなく、
萎ゆ、
らしいが、「こころもしのに」の、打ちひしがれている感じは、
撓ふ、
にも思える。
「つゆ」については触れた。
参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95