2024年03月01日
めどに削り花
花の木にあらざらめども咲きにけりふりにしこのみなるときもがな(古今和歌集)、
の、前文に、
めどに削り花させりけるをよませたまひける、
とある、
めど、
は、
萩の一種、
削り花は、
木を削って造った造花、
をいい、
めどに削り花、
とは、古今伝授の、
三木(さんぼく)、
のひとつ、
めどに造化を挿す、
とは、
どのような情景かはっきりしないが、めどは茎を占いの筮竹に用いたので、それに造花を挿したものか、初二句とも意味が通じる、
とある(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。
古今伝授(こきんでんじゅ)の三種の木は、「をがたまの木」で触れたように、
をがたまの木、
めどにけづり花、
かはな草、
をいうが、他に、
をがたまの木、
さがりごけ、
かはな草、
とも、
相生(あいおい)の松、
めどにけづり花、
をがたまの木、
とも、
をがたまの木、
とし木、
めど木、
ともあり、諸説があって一定しない(精選版日本国語大辞典)。また、古今伝授で、解釈上の秘伝とされた、
三種の草、
というのもあり、異伝があるが、
めどにけずりばな、
かわなぐさ、
さがりごけ、
をさし、「さがりごけ」のかわりに「おがたまの木」を入れた三木とも関連深い(仝上)とある。
めどにけづりばな、
は、
蓍に削り花、
と当て、
蓍(めど)、
は、
蓍萩(めどはぎ)、
を指し、和名類聚抄(平安中期)に、
蓍、女止(めど)、以其茎為筮者也、
とあり、字鏡(平安後期頃)に、
蓍、蒿、女留、
とある。
めどはぎ、
は、
マメ科ハギ属の小低木状の多年草。草地・路傍に普通。茎は直立して高さ1メートル、葉は小型で細長い3小葉から成る。夏、紫条のある白色の小蝶形花をつける。茎を筮めどきに用いた。若芽は食用、利尿・解熱剤、
とあり、
メドギ、
メドグサ、
ともいい、和名は、
萩に似ている、
ことにより、漢名は、
鉄掃帚、
とある(広辞苑・精選版日本国語大辞典)。日本では、
道端によく見かける雑草である。萩の仲間ではあるが、細かい葉が密生し、いわゆる萩とは印象を異にする。ひょろりと立ち、枝分かれして束状になった姿は独特で、一目見れば遠くからでも区別できる。細長い箒のようでもある、
とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%83%89%E3%83%8F%E3%82%AE)。
めどき、
は、
蓍、
筮木、
と当て、
蓍(めど)で作った、
のでこの名があり、
亀の卜(うら)、易の蓍などにて疑わしき事を勘(かんが)ふべきなり(尚書抄)、
と、
易で占筮(せんぜい)に用いる五〇本の細い棒のこと、
をいう。はじめ蓍萩(めどはぎ)の茎を用いたが、後には多く竹で作るようになったので、普通には筮竹(ぜいちく)という(精選版日本国語大辞典)。この、
蓍、
が、
目途、
目処、
とあてる、
目当て、
の意の、
めど、
の由来である。
蓍萩の茎で作った「めどき」という細い棒を占いに用いたことから目的の意が生じたか、
とある(日本語源大辞典)。
削り花、
は、
古への木綿花(ゆふばな)にして、後世のけづりかけと云ふ、是なり、
とあり(大言海)、
丸木を削りかけて、花の形に作れるもの、
で、多く、
十二月の御仏名(みぶつみょう)に供へらるるものに云ふ(生花なきときなればなり)。翌朝、これを奉るを、馬道(めだう)などに挿して、御遊びあそばしなどす、
とある(仝上)。ちなみに、
馬道(めだう)
は、
殿舎と殿舎の間をつなぐために縦に厚板を敷き渡した簡単な通路、
をいい、後には、
長廊下の称、
となる(精選版日本国語大辞典)。また、
御仏名、
は、
仏名会(ぶつみょうえ)、
といい、古くは、
陰暦一二月一五日より、後には一九日より三日間、禁中および諸寺院で仏名経を誦し、三世十方の諸仏の名号を唱えて罪障を懺悔する法会、
をいい(仝上)、
「過去」「現在」「未来」の三世にわたる諸仏のみ名を称えて、さまざまな罪や知らず知らずのうちに作ってしまった罪業などを懺悔(さんげ)し、滅罪生善を祈る法要、
で(https://www.chion-in.or.jp/event/event/1495/)、奈良時代に初めて宮中でつとめられ、平安時代には宮中での恒例行事となり、その後、各地に広まり、寺院などでもつとめられるようになった(仝上)とある。
「蓍」(シ)は、
会意兼形声。「艸+音符耆(シ 年を経て、実質がつまった)」
とある(漢字源)。「めどはぎ」の意であり、「めどき」の意である。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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2024年03月02日
かはな草
うばたまの夢になにかはなぐさまむうつつにだにもあかぬ心を(古今和歌集)
で、
なにかはなぐさまむ、
に、
かはなぐさ、
を詠みこんでいる。その、
かはなぐさ、
は、
川菜草、
と当て、
古くから、水苔をかはなと訓む。川にはえる藻類であろう、
とあり、
古今伝授の三木のひとつ、
とされる(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。古今伝授(こきんでんじゅ)の三種の木は、「をがたまの木」で触れたように、
をがたまの木、
めどにけづり花、
かはな草、
をいうが、他に、
をがたまの木、
さがりごけ、
かはな草、
とも、
相生(あいおい)の松、
めどにけづり花、
をがたまの木、
とも、
をがたまの木、
とし木、
めど木、
ともあり、諸説があって一定しない(精選版日本国語大辞典)。また、古今伝授で、解釈上の秘伝とされた、
三種の草、
というのもあり、異伝があるが、
めどにけずりばな、
かわなぐさ、
さがりごけ、
をさし、「さがりごけ」のかわりに「おがたまの木」を入れた三木とも関連深い(仝上)とある。
川菜草(かわなぐさ)、
は、
かわな、
ともいい、
淡水産の藻類の古称、
とあり(精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉)、
カワモズク、
をさす(デジタル大辞泉)とする。
かはな、
に、
水苔、
と当て、
川栄の義、
とする大言海も、
かはあをのり、
かはもづく、
とする。
かわもずく、
は、
川水雲、
と当て、
カワモズク科の紅藻。水のきれいな川や池に生え、長さ約10センチで糸状に分枝し、柔らかい。酢の物などにする、
とあり(デジタル大辞泉)、
形、色、あをのりに似て、流水の石上に生ず、
とある(大言海)。
カハアヲノリ、
カハノリ、
ともいう(仝上)。
世界各地の湧泉からの小川や灌漑用水路などの流水中にみられるカエルの卵塊のようなカワモズク科の淡水産の紅藻、
で、
体は節をもつ中軸と、節から出る輪生枝とからなり、それらの周囲には多量の寒天物質が分泌されるので、体は寒天質の数珠の形状となる。カワモズク属には種類数が多く、種の同定は容易でない。分類には、輪生枝の発達の程度、囊果(のうか)の位置、受精毛の形、雌雄異株か同株かなどが主な形質となる、
とあり(世界大百科事典)、代表的な種に、
カワモズクB.moniliforme Roth、
アオカワモズクB.virgatum Sirodot
ヒメカワモズクB.gallaei Sirodot、
等々がある(仝上)。
ただ、異説もあり、
かはなぐさ、
は、
かはほね、
の意とする(岩波古語辞典)。
かはほね、
は、いま、
コウホネ、
といい、
水草の一種、
とある(仝上)本草和名(918頃)に、
骨蓬、和名加波保禰、
とあり、『梁塵秘抄(1179頃)』に、
聖の好むもの……さては池に宿る蓮の蔤(はい)、根芹根蓴菜、牛蒡(ごんばう)かはほね独活(うど)蕨土筆(つくし)、
とある。
こうほね、
は、
スイレン科の多年草、
で、いわゆる、
水草、
の一種で、日当たりのよい池沼や小川に自生する。
水底を這う根茎が骨のような色形であり、あたかも動物の背骨が横たわっているよう見えるため、コウホネあるいはセンコツ(川骨)と名付けられた、
とある(https://www.uekipedia.jp/%E5%B1%B1%E9%87%8E%E8%8D%89-%E3%82%AB%E8%A1%8C-1/%E3%82%B3%E3%82%A6%E3%83%9B%E3%83%8D/)。別名は、
カワホネ、
カワバス、
ヤマバス、
ホネヨモギ、
カワト、
カッパネ、
カッポンバナ、
タイコブチ、
等々(仝上)。
開花は夏で、光沢のある黄色い花が、水中から拳を突き上げたように咲く。花は直径3センチほどのお椀型で、花びらのように見える5枚の萼片と多数の雄しべが目立つ、
とある(仝上)。この、
かはなな=かはほね説、
は、定家の説らしく、
かはな草の 「かはな」は 「川菜」ではなく 「河花」の意味である。「かはな」だけでは言いにくいので、それに草をつけて、かはな草と言ったのである。かはな草は川苔のことではなく、実は河骨(こうほね:スイレン科の多年草)のことである。蓮(はす)を別とすれば、水草の中で爽やかなものといえば河骨をおいて他にはない、
との紹介(「和歌秘伝鈔(1941 飯田季治)」)もある(http://www.milord-club.com/Kokin/uta0449.htm)らしいが、和名類聚抄(931~38年)には、
水苔、一名、河苔、加波奈、
と、
水苔、
としている。倭名抄が、
水苔、
としているのだから、それを、
かはもづく
や
かはほね、
とする根拠がよく分からない。、
ミズゴケ、
は、
ミズゴケ科に分類され、ミズゴケ目を構成する。茎と葉の区別のある茎葉体であるが、独特の構造をもつ。軸は木質化し、主軸はほぼ上に伸びるが、放射状に側面方向に枝を出す。葉は軸の回りに密生する。葉の細胞には、大型で光合成を行わない空洞になった細胞(透明細胞または貯水細胞)と小型で葉緑体を持ち光合成を行う細胞(葉緑細胞)が交互に並んでいる。この透明細胞には表面に穴があって、内部に多量の水を蓄えられるようになっている、
とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%82%BA%E3%82%B4%E3%82%B1%E5%B1%9E)。
葉に水を蓄える細胞が多数あるため、乾燥させれば多孔質の軽くて弾力のある素材となり、木綿の2倍以上の吸水力を持ち、水を吸わせれば水もちがよく、隙間が多いので空気の通りがよい、
ことから、古くから、
脱脂綿の代用、
として用いられ、青銅器時代から治療薬として用いられてきた(仝上)。ミズゴケの中にいるペニシリウムなどの微生物が治療を促進している(仝上)という。
参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
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2024年03月03日
うばたまの
うばたまの我が黒髪を引きぬらし乱れてなほも恋ひ渡るかも(万葉集)、
うばたまの夢になにかはなぐさまんうつつにだにもあかぬ心を(古今和歌集)、
の、
うばたまの、
は、「夢」にかかる枕詞(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)とある。この、
うばたまの、
は、
奴婆多麻能(ヌバタマノ)黒き御衣(みけし)をま具(つぶさ)に取り装(よそ)ひ(古事記・歌謡)
和妙(にきたへ)の衣(ころも)寒(さむ)らに烏玉乃(ぬばたまの)髪(かみ)は乱(みだ)れて国(くに)問(と)へど(万葉集)、
の、
「ぬばたまの」の転、
とある(岩波古語辞典)。
ヌバタマが、mubatama→nbatama→mbatamaと発音されるようになり、最初のmの音がuと混同され「うばたま」と表記された形、
とあり(岩波古語辞典)、
ぬばたまの実が黒いところから、黒色やそれに関連した「黒駒」「黒馬」「黒髪」「大黒」などにかかる枕詞、
である(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)、この、
ぬばたまの、
は、中古、
恋ひ死ねとするわざならしむばたまの夜はすがらに夢に見えつつ(古今和歌集)、
いとせめて恋しきときはむばたまの夜の衣をかへしてぞ着る(仝上)、
むばたまの闇のうつつはさだかなる夢にいくらもまさらざりけり(仝上)、
と、
むばたまの、
という形で使われることが多い(精選版日本国語大辞典)。これは、
「うば」を平安時代以後、普通にmbaと発音したので、それを仮名で書いたもの、
とある(岩波古語辞典)。この中古の初・中期の形は、のち、
うばたまの、
ともなるが、表記の上では後世まで引き継がれる(精選版日本国語大辞典)とある。つまり、
ぬばたまの→むばたまの→うばたてまの、
と表記が転じたもので、同じ意味になり、当てる漢字が異なるものがある。
うばたまの、
は、
烏羽玉の、
と当て(広辞苑・岩波古語辞典)、
ぬばたまの、
は、
射干玉、
と当てる(大言海・広辞苑・精選版日本国語大辞典)。これは、
野羽玉(ヌバタマ)の義。射干(カラスアフギ)の實にて、野にありて、其葉、羽の如く、實園く黒ければ云ふと云ふ、
とある(大言海)。
ぬばたま、
は、「万葉」では仮名書きのほか、
射干玉、
野干玉、
夜干玉、
烏玉、
烏珠、
といった表記が見られ、
黒い珠、
の意、または、
ヒオウギの実、
をいう(大辞林)というが、未詳とされる(仝上)。『本草和名(ほんぞうわみょう)』(918年編纂)には、
射干……一名烏扇……和名加良須阿布岐、
とあり、和名類聚抄(931~38年)には、
狐……射干也、関中呼為野干、語訛也、
ともあり、「射干」と「野干」は通じるようである(精選版日本国語大辞典)とあり、「万葉」の「野干玉」の表記は烏扇(檜扇)という植物の黒い実に結びついたものと考えられる、
とある(精選版日本国語大辞典)。なお「野干」については触れた。
ぬばたま、
の語源については、
射干(やかん ヒオウギの漢名)の実は野に生じ、黒い玉のようであるところからヌマタマ(野真玉)の義(冠辞考)、
射干の葉は羽のようであり、その実は丸く黒いところからヌバタマ(野羽玉)の義(古事記伝・雅言考・大言海)、
ヌはオニの原語アヌ(幽鬼)から、バタマはマタマ(真魂)の転呼(日本古語大辞典=松岡静雄)、
等々あり、
烏扇の実の名がすなわち「ぬばたま」の語源であると考える説、
「ぬば」は元来は黒い色を表わす語であったと考える説、
とが有力とされ、後者の場合、
沼→泥→黒、
という意味的連環を想定し、
白玉が特に真珠を意味するように、黒い玉の意味の語が烏扇の実と二次的に結びついた、
とする(精選版日本国語大辞典)が、少し無理筋ではないか。やはり「檜扇」説が妥当なのではないか。
ヒオウギ(檜扇、学名:Iris domestica)、
は、
アヤメ科アヤメ属の多年草、
で
山野の草地や海岸に自生する多年草、
である。
高さは60~120センチメートル程度。葉は長く扇状に広がり、宮廷人が持つ檜扇に似ていることから命名され、
別名、
烏扇(からすおうぎ)、
とも呼称される(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%82%AA%E3%82%A6%E3%82%AE)。
花は8月ごろに咲き、直径は5 - 6センチメートル程度。花被片はオレンジ色で赤い斑点があり、放射状に開く。午前中に咲き、夕方にはしぼむ一日花である。種子は4ミリメートル程度で黒く艶がある(仝上)。
(ヒオウギの黒い種子 仝上)
枕詞の、
ぬばたまの、
うばたまの、
むばたまの、
は、ほぼ同義の枕詞だが、微妙にかかる詞に差がある。
うばたまの、
は、烏羽玉が黒いところから、
「くろ(黒)」にかかり、さらに「やみ(闇)」「よる(夜)」「ゆうべ(夕)」「かみ(髪)」「ゆめ(夢)」などにかかる。
ぬばたまの、
も、ぬばたまの実が黒いところから、黒色やそれに関連した語にかかり、上述の、
奴婆多麻能(ヌバタマノ) 黒き御衣(みけし)を ま具(つぶさ)に 取り装(よそ)ひ(古事記)、
のように、「黒し」および「黒駒」「黒馬」「黒髪」「大黒」などにかかり、さらに、
いにしへに妹(いも)と吾が見し黒玉之(ぬばたまの)黒牛潟を見ればさぶしも(万葉集)、
と、「黒」を含む地名「黒髪山」「黒牛潟」にかかり、
にきたへの 衣(ころも)寒らに 烏玉乃(ぬばたまノ) 髪は乱れて(万葉集)、
と、髪は黒いところから、「髪」にかかり、
野干玉能(ぬばたまノ)昨夜(きそ)は帰しつ今宵さへ吾れを帰すな道の長手(ながて)を(万葉集)、
奴婆多麻乃(ヌバタマノ)夜(よ)は更けぬらしたまくしげ二上山(ふたがみやま)に月傾きぬ(仝上)、
と、夜に関する語、「夜(よる・よ)」およびその複合語「夜霧」「夜床」「夜渡る」「一夜」に、また、「昨夜(きそ)」「夕へ」「今宵(こよひ)」などにかかり、
相ひ思はず君はあるらし黒玉(ぬばたまの)夢(いめ)にも見えずうけひて寝(ぬ)れど(万葉集)、
と、夜のものである「月」や「夢(いめ)」にかかり、
奴婆多麻能(ヌバタマノ)妹(いも)が干すべくあらなくに我が衣手(ころもで)を濡れていかにせむ(万葉集)、
と、黒髪を持つ妹の意でかかる。また、夢(いめ)と妹(いも)が類音であるところから、「妹(いも)」にかかる(精選版日本国語大辞典)。
中古使われることの多い、
むばたまの、
は、
むばたまの我が黒髪やかはるらん鏡のかげに降れる白雪(古今和歌集)、
と、ぬばたまは色が黒いところから、「黒」または「黒」を含む語にかかり、
むは玉の髪は白けて恥かしく市にて生(む)める子をぞ悲しぶ(「天元四年斉敏君達謎合(981)」)、
と、髪は黒いところから、「髪」にかかり、
いとせめて恋しき時はむばたまの夜の衣を返してぞきる(古今和歌集)、
と、黒に関係のある「夜」や「闇」にかかり、
むは玉の夢のうきはしあはれなと人めをよきて恋わたるらん(宝治百首)、
と、
夜のものである「夢」にかかる(精選版日本国語大辞典)。
ぬばたまの、
の転訛、
うばたまの、
は、冒頭の、
うばたまの夢になにかはなぐさまんうつつにだにもあかぬ心を(古今和歌集)、
烏羽黒(ウバタマ)の髪の落(おち)( 浮世草子「好色一代女」)、
と、
烏羽が黒いところから、「くろ(黒)」にかかり、さらに「やみ(闇)」「よる(夜)」「ゆうべ(夕)」「かみ(髪)」「ゆめ(夢)」などにかかる(仝上)。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
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2024年03月04日
きりぎりす
秋はきぬ今や籬(まがき)のきりぎりす夜な夜な鳴かむ風の寒さに(古今和歌集)
とある、
きりぎりす、
は、
こおろぎの古称、
とある(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。
きりぎりす、
は、
蟋蟀、
螽斯、
と当て、
コオロギの古称、
であるが、
こおろぎ(こほろぎ)、
は、
蟋蟀、
と当て、
暮月夜 心毛思努爾 白露乃 置此庭爾 蟋蟀鳴毛(夕月夜(ゆふづくよ)心もしのに白露の置くこの庭に蟋蟀(こほろぎ)鳴くも)(万葉集)、
と、古くは、
秋鳴く虫の総称、
で(広辞苑・精選版日本国語大辞典・日本語源大辞典)、
マツムシ・スズムシ・キリギリス、コオロギ、
等々すべてをいい(岩波古語辞典)、中国でも、
秋鳴く虫、
を、
蟋蟀(しつしゆつ)、
と総称した(仝上)が、
蟋蟀在堂、歳聿其莫、今我不樂、日月其除(蟋蟀、堂に在り歳聿(ここ)に其れ(く)れぬ 今我樂しまずんば 日其れ除(さ)らん)(詩経・唐風)
とある場合、
こおろぎ、
を指すともある(字通)。
(コオロギの一種、マダラスズ デジタル大辞泉より)
ただ、秋鳴く虫の中で、特に、
こおろぎ、
を指す場合は、
きりぎりす、
といった。
むざんやな甲(かぶと)の下のきりぎりす(芭蕉)、
も、
こおろぎ、
である。古くは、
促織(はたおりめ)蜻(コホロギ)蟋蟀(きりぎりす)……古にこほろぎといひ、今はいとどといふ者也(東雅)、
と、
いとど、
あるいは、
ちちろむしよる吹風やさむからしふくればいとどよはるこゑかな ちちろむしとはきりぎりすを云也(古今打聞(「1438頃)」)、
と、
ちちろむし、
ともいった(精選版日本国語大辞典)。和名類聚抄(平安中期)に、
蟋蟀、一名蛬(こおろぎ)、木里木里須、
天治字鏡(平安中期)に、
蟋蟀、支利支利須、
とある。中世になって、
こうろぎ、
という表記も見られるようになる(精選版日本国語大辞典)ようである。
きりぎりす(蟋蟀)、
の名の由来は、
鳴き声に基づく語か。スは鳥や虫など飛ぶものにいう語(広辞苑)、
鳴声から(言元梯・名言通・柴門和語類集・音幻論=幸田露伴)、
キリキリは鳴く声の聞きしなりと云ふ、スは、蟲、鳥につくる語、ほととぎす、みみず(大言海)、
と、擬声語由来というところのようである。ちなみに、
こおろぎ、
も、
古く「古保呂岐」と書かれ、黒い木を意味したもののようで、コオロギの黒褐色の体色と関連させてその名となった(日本大百科全書)、
とする説もあるが、
コホロとなく虫の意(箋注和名抄・日本古語大辞典=松岡静雄)、
と、擬声語のようである。
コオロギ(蟋蟀、蛬、蛩、蛼)、
は、
昆虫綱バッタ目(直翅目)キリギリス亜目(剣弁亜目)コオロギ上科またはコオロギ科またはコオロギ亜科に属する昆虫の総称、
であり、別名には、
しっそつ・しっしつ・しっしゅつ、
があり、日本ではコオロギ科のうちコオロギ亜科に属する、
エンマコオロギ、ミツカドコオロギ、オカメコオロギ、ツヅレサセコオロギ、
等々が代表的な種類となる(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%82%AA%E3%83%AD%E3%82%AE)。
キリギリス(螽蟖、螽斯、蛬)、
は、
バッタ目キリギリス科キリギリス属、
に分類される昆虫のうち、日本の本州から九州地方に分布する種群、
ヒガシキリギリス、
ニシキリギリス、
の総称である(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B9)。
こおろぎ、
は、
直翅目コオロギ上科Grylloideaに属する昆虫を呼ぶときに用いる通俗的な呼名、
で、ケラの仲間になる。コオロギ類は、キリギリス類やバッタ類とともに直翅目を構成する主要な群で、とくにキリギリス類に類縁が近い、
が、
キリギリス類は体型が縦に平たく、主として樹上生活に適応しているが、コオロギ類は、エンマコオロギで代表されるように、体型が背腹に平たくなり、地表生活に適応している。色彩も地表面の色に近い、褐色ないし黒褐色系の色彩が主流を占めている、
とある(世界大百科事典)。
「蟋」(漢音シツ、呉音シチ)は、
形声。「虫+音符悉(シツ)」羽をさっさっとさせる音をまねした擬声語、
とある(漢字源)。
「蟀」(シュツ)は、
「蟋蟀」(シッシュツ)で、
こおろぎ、または、キリギリスを指す(漢字源・字源)。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
2024年03月05日
くたに
散りぬればのちは芥(あくた)になる花を思ひ知らずもまどふてふかな(古今和歌集)
は、
芥(あくた)になる花、
に、
くたに
を詠みこんでいる(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。
くたに、
は、
苦丹、
と当て、
竜胆
や
牡丹
とされる(仝上)。
卯の花の垣根ことさらにしわたして、昔おぼゆる花橘、撫子(なでしこ)、薔薇(さうび)、苦丹などやうの花草々を植ゑて、春秋の木草、そのなかにうち混ぜたり(源氏物語)、
とある、
くたに、
は、
くだに、
とも言い、
苦胆、
とも当て、貝原益軒編纂の『大和本草(1708)』にも、
龍膽、和名リンドウ、一名くたにと云ふ、
とあり、
リンドウの異称、
とされるが、一説に、
ボタンの異称、
ともあって未詳とされる(広辞苑・精選版日本国語大辞典・大辞林)。
リンドウ(竜胆)、
は、
リンドウ科リンドウ属の多年生植物、
で、別名、
イヤミグサ、
古くは、
えやみぐさ(疫病草、瘧草)、
とも呼ばれた(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%89%E3%82%A6)。
山野に生え、高さ20~60センチ。葉は先のとがった楕円形で3本の脈が目立ち、対生する。秋、青紫色の鐘状の花を数個上向きに開く、
とある(デジタル大辞泉)。同科には、
ハルリンドウ・ミヤマリンドウ・センブリ、
等々も含まれる(仝上)。
りゅうたん、
と訓むと、漢方で健胃薬などに用いる、
リンドウの根および根茎、
を指す(仝上)。和名、
リンドウ、
は、漢名の、
竜胆(龍胆りゅうたん)の音読み、
に由来し、中国では代表的な苦味で古くから知られる熊胆(くまのい)よりも、さらに苦いという意味で「竜胆」と名付けられた、
とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%89%E3%82%A6)。
ボタン(牡丹)、
は、
ボタン科ボタン属の落葉小低木、
または、
ボタン属の総称、
とあり、原産の中国名も、
牡丹、
別名は、
富貴草・富貴花・百花王・花王・花神・花中の王・百花の王・天香国色・名取草・深見草・二十日草(廿日草)・忘れ草・鎧草・ぼうたん・ぼうたんぐさ、
等々多数ある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%82%BF%E3%83%B3_%28%E6%A4%8D%E7%89%A9%29)が、「深見草」で触れた。
(「苦」 中国最古の字書『説文解字』(後漢・許慎)・漢 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%8B%A6より)
「苦」(漢音コ、呉音ク)は、
会意兼形声。古は、かたい頭骨を描いた象形文字で、かたくかわいたの意を含む。苦は「艸+音符古」で、口がこわばってつばがでない感じがする、つまり、にがい味のする植物のこと、
とある(漢字源)。別に、
形声。「艸」+音符「古 /*KA/」。「苦菜」を意味する漢語{苦 /*khaaʔs/}および「にがい」を意味する漢語{苦 /*khaaʔ/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%8B%A6)、
形声。艸と、音符古(コ)とから成る。にがな、ひいて「にがい」、転じて「くるしい」意を表す(角川新字源)、
会意兼形声文字です(艸+古)。「並び生えた草」の象形と「固いかぶと(兜)」の象形(「固い」の意味)から、固い草⇒にがい草を意味し、さらに転じて(派生して・新しい意味が分かれ出て)「にがい・くるしい」を意味する「苦」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji262.html)、
と、ほぼ同趣旨の、「にがい植物」を指している。
(「丹」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%B8%B9より)
「丹」(タン)は、
会意文字。土中に掘った井型の枠の中から、あかい丹砂があらわれでるさまをしめすもので、あかい物があらわれでることをあらわす。旃(セン 赤い旗)の音符となる、
とある(漢字源)。
会意。「井」+「丶」、木枠で囲んだ穴(丹井)から赤い丹砂が掘り出される様(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%B8%B9)、
象形。採掘坑からほりだされた丹砂(朱色の鉱物)の形にかたどる。丹砂、ひいて、あかい色や顔料の意を表す(角川新字源)、
象形文字です。「丹砂(水銀と硫黄が化合した赤色の鉱石)を採掘する井戸」の象形から、「丹砂」、「赤色の土」、「濃い赤色」を意味する「丹」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji1213.html)、
も、ほぼ同趣旨である。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
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2024年03月06日
ささがに
白露を玉にぬくとやささがにの花にも葉にも糸をみな綜(へ)し(古今和歌集)
の、
ささがにの、
は、
蜘蛛にかかる枕詞、
で、平安時代は、
ささがに、
は、
蜘蛛そのもの、
をいう(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)とある。
ささがにの、
は、奈良時代の、
わが背子が來べき宵なりささがねの蜘蛛のおこなひ今宵著(しる)しも(日本書紀)、
とある、
ささがねの、
の転(岩波古語辞典)とあり、
ささがね、
は、一説に、
笹の根の意(仝上)、
「笹が根」「細小蟹」「泥(ささ)蟹」などの意(精選版日本国語大辞典)、
で、
枕詞ではない、
とある(仝上)。この「ささがに」の古形、
ささがね、
が使われている、
我が背子が来べき宵なり佐瑳餓泥(ササガネ)の蜘蛛の行なひ今宵著(しるし)しも、
が、
上代の唯一例、
とされ(精選版日本国語大辞典)、これが、古今集で、
衣通姫(そとおりひめ)の独りゐて帝(允恭天皇)を恋ひ奉りて、
という詞書とともに、
我が背子が来べき宵也ささがにのくものふるまひかねてしるしも(古今和歌集)、
と、
ささがに、
とした。これは、
形が小さいカニに似ているところから(岩波古語辞典)、
音の類似から「ささ蟹」と解し(精選版日本国語大辞典)、
佐瑳餓泥(ささがに 山名)の區茂(雲)とあるを、読み違へて、古今集の歌に、雲を蜘蛛と解し、ササガニを、小さき蟹と解し、蜘蛛の枕詞にのやうに用ゐ、転じては、蜘蛛の事とし、又、允恭紀の歌意に、詩経の疏なる、観客の意をも取り成して、意中の人の來ることにも云ふべきやうにもなりし語なり(大言海)、
などの経緯らしく、これによって、
枕詞、
の形として伝えられ、中古以降は、
ささがに、
は、
細小蟹、
細蟹、
笹蟹、
等々と当て(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)、もとの意味にこだわることなく、
蜘蛛の異称、
とされ、
待ち人が訪れ来る前兆を人に示す、
といわれた(学研全訳古語辞典)。また、
風吹けばまづぞ乱るる色かはる浅茅が露にかかるささがに(源氏物語)、
と、
くもの糸、
くもの網(い)、
の意となる(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典)。上記、大言海の、
詩経の疏なる、観客の意をも取り成して、
とは、『詩経』豳風・東山篇に、
蠨蛸(アシタカグモ)、在戸、
とあり、疏に、
謂之喜母、此蟲來著人衣、當有観客至有喜
とあることを指す。因みに、
ささがにひめ(細蟹姫)、
というと、
秋さし姫 たき物姫 ささかにひめ……已上七は七夕七ひめの名也(「藻塩草(1513頃)」)、
と、
蜘蛛はよく糸をかけること、
にちなんで、
たなばたひめ、
織女星、
の異称とされる(精選版日本国語大辞典・広辞苑)。
枕詞としての
ささがにの、
は、上述の、
我が背子が来べき宵也ささがにのくものふるまひかねてしるしも(古今和歌集)、
と、
蜘蛛(くも)、
にかかる以外に、
思ひやる我が衣手はささがにのくもらぬ空に雨のみぞ降る(後拾遺和歌集)、
と、
「蜘蛛」と同音の語または同音を含む「蜘蛛手(くもで)」「雲」「曇る」などにかかり、
絶えねばと思ふも悲しささがにのいとはれながらかかるちぎりは(風雅和歌集)、
と、
蜘蛛の糸というところから、「糸」および「糸」と同音または同音を含む副詞「いと」や動詞「いとふ(厭)」などにかかり、
ささがにのいづこともなく吹く風はかくてあまたになりぞすらしも(蜻蛉日記)、
と、
蜘蛛の「い」(巣・網の意)というところから同音を語頭に含む「いかさま」「いかなり」「いづこ」「命」「今」などにかかる(精選版日本国語大辞典)。
なお、書紀・允恭紀の、、
わが背子が來べき宵なりささがねの蜘蛛のおこなひ今宵著(しる)しも、
は、万葉仮名で、
和餓勢故餓 勾倍枳予臂奈利 佐瑳餓泥能 区茂能於虚奈比 虚予比辞流辞毛、
については、鎌倉時代中期に著わされた『日本書紀』の注釈書『釋日本紀(しゃくにほんぎ)』では、
佐瑳餓泥、私記曰、山名也、区茂能於虚奈比、雲乃於支天(オキテ)也(御歌は、山の雲のたたずまひを見て、君の來ますべき象兆としたまひしなり、雲の動静に因りて、事の象兆とせしこと多し、古事記(神武)に、伊須気余理比賣の、御子の危難あらむを暗示したまひし御歌「佐韋川よ雲立ちわたり畝傍山木の葉さやぎぬ風吹かむとす」)、天武紀、伊賀の横河にて、「有黒雲、廣十余丈、経天、時、天皇異之、則挙燭親秉式、占曰、天下両分之祥也」、
とあり、
蜘蛛、
ではなく、
雲、
であったとしている(大言海)。
「蟹」(漢音カイ、呉音ゲ)は、
会意兼形声。「虫+音符解(別々に分解する)」。からだの各部分がばらばらに分解するかに、
とある(漢字源)。別に、
会意兼形声文字です(虫+解)。 「頭が大きくてグロテスクな、まむし」の象形(「虫」、「動物」の意味)と「刀の象形と中が空になっている固い角(つの)の象形と角のある牛の象形」(「刀で牛を裂く」、「ばらばらになる」の意味)から足がすぐにばらばらになる動物「かに」を意味する「蟹・蠏」という漢字が成り立ちました、
ともある(https://okjiten.jp/kanji2724.html)。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
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2024年03月07日
綜(ふ)
白露を玉にぬくとやささがにの花にも葉にも糸をみな綜(へ)し(古今和歌集)
の、
糸をみな綜(へ)し、
に、
をみなへし、
を詠みこんでいる(仝上)が、
へ(綜)、
は、終止形、
綜(ふ)、
で、
縦糸を機(はた)にかけて、織れるようにすること、
とある(仝上)。和名類聚抄(931~38年)には、
綜、和名閉(へ)、機縷持絲交者也、
とある、
綜(ふ)、
は、
縦糸(たていと)を整えて織機にかける(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E3%81%B5)、
とあるが、
経(たていと)を引きのばして機(はた)織り機にかける、織るために経をのばし整える(精選版日本国語大辞典)、
経糸(たていと)を一本ずつ順次、機にかける、経糸布の長さに伸ばして、そろえる(岩波古語辞典)、
経絲を引き延(は)へて織るに供す(大言海)、
織る長さにそろえて機 (はた) にかける(大辞泉)、
とあるのが分かりやすい。
綜(ふ)、
は、
語幹(語幹無し) 未然形(へ)連用形(へ)終止形(ふ)連体形(ふる)已然形(ふれ)命令形(へよ)
の、
ハ行下二段活用、
である(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E3%81%B5)。意味から見ると、
経(ふ)と同根、
という(岩波古語辞典)のはよく分かる。
経(ふ)、
は、
歷、
とも当て、色葉字類抄(1177~81)に、
経、フ、歴、フ、
とあり、
語幹(語幹無し) 未然形(へ)連用形(へ)終止形(ふ)連体形(ふる)已然形(ふれ)命令形(へよ)
の、
ハ行下二段活用、
で、綜(ふ)と同じで、
場所とか日月とかを順次、欠かすことなく経過していく、
意で、
あらたまの年経(ふ)るまでに白栲(しろたえ)の衣も干さず朝夕にありつる君は(万葉集)、
と、
めぐる日・月・年・時を、一区切りずつわたっていく、
つまり、
時が来てまた、去っていく、
時間が過ぎていく、
経過する、
意で使い、それを主体側に置き換えれば、
貧しくへても、猶昔よかりし時の心ながら、世の常のことも知らず(伊勢物語)
日月を送る、
歳月を送る、
時を過ごす、
意になり、それを空間に転用すると、
黒崎の松原をへていく(土佐日記)、
と、
地点を次々に通っていく、
意や、それをメタファに、
同二年に太政大臣に上る。左右を経(へ)ずしてこの位に至る事(源平盛衰記)、
と、
ある段階を通る、
ある地位や段階を経験する、
意や、
左右をへずして内大臣より太政大臣従一位へあがる(平家物語)、
と、
所定の手続をふむ、
他の人の認可などを求めてその過程を通る、
意でも使う(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)。
経(ふ)、
という一般的な用例を、
綜(ふ)、
の特殊用例に収斂したのか、その逆に、
綜(ふ)、
の特殊用例を、
経(ふ)、
と一般化したのかははっきりしないが、漢字で当て分けるまでは、
経(ふ)に通ず、或は云ふ、延(はふ)るの略、
とある(大言海)ので、共通して、
延ばす、
という意味であったことだけは確かである。
「綜」(漢音ソウ、呉音ソ)は、
会意兼形声。「糸+音符宗(ソウ たてに通す)」、
とあり(漢字源)、
縦糸を上下させて、横糸の杼(ヒ)の通る道をつくるための、機織の道具、
とあり、
綜絖(そうこう)、
といい、
一枚の綜絖に貼られた縦糸は一斉に上下する、
とある(仝上)。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
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2024年03月08日
ふりはへて
ふりはへていざ故里(ふるさと)の花見むと來しをにほひぞうつろひにける(古今和歌集)
の、
ふりはへて、
は、
振り延へて、
とあて、
ふりはえ(振り延え)、
と同じで、
わざわざ、
ことさら、
という意になる(広辞苑)。これは、動詞、
ふりはふ(振延)、
を、
ふりはへて、
の形で、副詞的に用いるもの(精選版日本国語大辞典)で、
ふりはふ、
は、
フリは人目を引くような動作、ハフは遠くへ這わせる、
意とある(岩波古語辞典)。この、
はふ、
は、
「心ばえ」の、
心延え、
(心の動きを)敷きのばす、
意味と同じで(大言海・岩波古語辞典)、「心延え」は、
心映え、
とも書くが、
映え、
はもと、
延へ、
で、
延ふ、
は、
這ふ、
の他動詞形、
外に伸ばすこと、
つまり、
心のはたらきを外におしおよぼしていくこと、
になる(岩波古語辞典)。で、
ふりはふ、
は、
ことさらに物事をする、
わざわざする、
意で使い、多く、
ゆくての御ことは、なほざりにも思ひ給へなされしを、ふりはへさせ給へるに、聞こえさせむかたなくなむ。まだ難波津をだに、はかばかしう続け侍らざめれば、かひなくなむ(源氏物語)、
と、
困難なことをあえてする、
遠路わざわざ行く、
等々の意に用いる(精選版日本国語大辞典)とある。
「延」(エン)は、
会意文字。「止(あし)+廴(ひく)+ノ印(のばす)」で、長く引きのばして進むこと、
とある(漢字源)。別に、会意文字ながら、
会意。「彳(道路)」+「止 (人の足)」で、長い道のりを連想させる。「のびる」を意味する漢語{延 /*lan/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%BB%B6)、
会意文字です(廴+正)。「十字路の左半分を取り出しさらにそれをのばした」象形と「国や村の象形と立ち止まる足の象形」(「まっすぐ進む」の意味)から、道がまっすぐ「のびる」を意味する「延」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji1012.html)、
と、構成を異にするが、
形声。意符㢟(てん)(原形は𢓊。ゆく、うつる)と、音符𠂆(エイ)→(エン)とから成る。遠くまで歩く、ひいて、「のびる」意を表す(角川新字源)、
と形声文字とする説もある。
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2024年03月09日
しをに
ふりはへていざ故里(ふるさと)の花見むと來しをにほひぞうつろひにける(古今和歌集)
で、
來しをにほひぞ、
と、
しをに、
を詠みこんでいる(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。
しをに
は、
紫苑、
紫菀、
と当て、
おにのしこぐさ、
おもいぐさ、
ともいい、
しをに、
というのは、字音(漢名である)、
しをん(紫苑)、
の転ではあるが、
しをん(紫苑)、
の、
nの後に母音iを加えてniとしたもの、
で、
エニ(縁)、
ゼニ(錢)、
の類(岩波古語辞典)とある。
キク科の多年草、
で、日本では、中国地方と九州の山地の草原に自生、
高さ一~二メートル。根ぎわに束生する葉は長楕円形で基部は柄に流れ、長さ約三〇センチメートル、茎につく葉は上部へ行くに従って無柄となり、披針形から線形となる。いずれもまばらに粗毛があり、縁に鋭い鋸歯(きょし)がある。茎は上部で多く分枝して、秋に、径約三センチメートルの淡紫色の頭花を多数つける。中心の管状花は黄色。冠毛は白色、
とある(精選版日本国語大辞典)。根は、煎(せん)じて鎮咳(ちんがい)薬に用いる(仝上)ともある。ただ、花の黄色なるものがあり、
黄苑、
といい、葉の小さく柔らかにして、花の白きを、
小紫苑、
姫紫苑、
という(大言海)ともある。
紫苑、
の花の色から、
八九人ばかり、朽葉の唐衣、薄色の裳に、しをん、萩など、をかしうて居並(ゐな)みたりつるかな(枕草子)、
と、
紫苑色(しおんいろ)、
の意でも使われ、
紫苑の花のような色、
つまり、
くすんだ青紫、
である(デジタル大辞泉)。また、
襲(かさね)の色目、
という、位色(いしょく)に関係ない、
公家男女の下着や私服の地質に、季節による配色を考慮して生じた表地と裏地の襲の色と、衣服数枚を重ねた場合の袖、襟、裾口などに見られる色合、
の、
紫苑(しおん)の襲色目、
は、
表は薄紫、裏は青。また、表は紫、裏は蘇芳(すおう)。秋に着用、
とある(大辞林)。
(紫苑色 デジタル大辞泉より)
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
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2024年03月10日
やまし
ほととぎす峰の雲にやまじりにしあれど聞けど見るよしもなき(古今和歌集)
の、
雲にやまじり、
で、
やまし、
を詠みこんでいる(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。
やまし、
は、
ユリ科の多年草、
で、
「知母」「花菅」の異称、
とある(仝上)。
やまし、
は、
やまじ、
ともいい、
ハナスゲの別名(大辞林)、
野草ハナスゲの異称(岩波古語辞典)、
はなすげ(花菅)」の古名(精選版日本国語大辞典)、
などとあり、類聚名義抄(11~12世紀)に、
児草、ヤマシ、
とある。
知母(ちも)、
は、
花菅(はなすげ)の漢名、
とあり、また、
その根茎の生薬名、
でもあり、漢方で、
知母治諸熱(本草)、
とあり、
解熱・鎮咳・利水・鎮静剤、
とする(広辞苑)。だから、類聚名義抄に、
知母、ヤマシ、
和名類聚抄(931~38年)に、
知母、夜萬之、
とある。
知母、
は、
古名ヤマシ、
ともあり、
ヤマドコロ、
ともいい、
春、宿根より叢生す、葉は芒(すすき)の葉の如くにして、狭く厚く、深緑色、長さ二三尺、夏月、葉の中に、茎を起こす、高さ二三尺、其端に一尺許りの小さく長き花、繁く綴りて穂をなす。其色、深紫碧、後に、長さ三四分の細莢を結ぶ、内に三稜の黒子あり、
とある(大言海)。
やまし、
の、
し、
は、
羊蹄(ぎしぎし)の古名、
とある(精選版日本国語大辞典)が、
し、
は、別名、
シノネ、
ウマスカンポ、
オカジュンサイ、
などともよばれ、生薬名および中国植物名は、
羊蹄(ヨウテイ)、
で、俗に、
きしぎし、
と呼ばれる、古い名称は、
之(し)、
で、根を薬用にしたため、
之の根(シノネ)、
とも呼ばれ、薬は、
和大黄(わだいおう)、
という(大言海)。字鏡(平安後期頃)に、
羊蹄、志乃根、
本草和名(ほんぞうわみょう)(918年編纂)に、
羊蹄、之乃禰、
とある。
知母(ちも)、
を、
やまし(山之)、
というのも、
根を薬用するに因り、
しのね、
やまし、
と呼ぶようである(仝上)。
ただ、
ハナスゲ、
自体は、
からすすげ、
ともいうが、和名は、
カヤツリグサ科のスゲのような葉を生じ、地味なスゲの花と比べて大きく(といっても径5~6mmです)、よく目立つことから名づけられました、
とあり(https://www.pharm.or.jp/yakusou/2023/01/post-114.html)、
根茎はやや塊状に肥大して白色の細根を多数生じ、また茶褐色の繊維を密生させています。草丈は1mくらい、葉は広線形で地際より多数出しています。葉の間から花茎を出し、その上部に白黄色から淡青紫色の花を穂状に多数つけ5~6月に咲きます。果実は長卵形で、その中に翼のある黒色の種子を生じます、
とある(仝上)。日本へは、苗が、
享保年間(1716-36)ころに薬用として渡来した、
といわれている(仝上)。おそらく、古く、
知母、
として、薬用として伝わったものと思われるが、それにしても、
やまし、
と、
之、
として認識していたということは、この植物の生態をよく知っていたということなのだろうか。
(「之」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%B9%8Bより)
「之」(シ)は、
象形。足の先が線から出て進みいくさまを描いたもの。進みいく足の動作を意味する。先(跣(せん)の原字)の字の上部は、この字の変形である。「これ」ということばに当てたのは音を利用した当て字。是(シ これ)、斯(シ これ)、此(シ これ)なども当て字で之(シ)に近いが、其・之、彼・此が相対して使われる。また、之は、客語(目的語)になる場合が多い、
とある(漢字源)。別に、
象形。足あとの形にかたどり、「ゆく」意を表す。借りて「これ」「の」の意の助字に用いる、
とも(角川新字源)、
形声。「一 (始点)」+音符「止 /*TƏ/」。「ゆく」を意味する漢語{之 /*tə/}を表す字。のち仮借して助詞の{之 /*tə/}に用いる、
とも(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%B9%8B)、
指事文字です(止+一)。「立ち止まる足」の象形と「出発線を示す」横線から、今にも一歩を踏み出して行く事を示し、そこから、「ゆく」、「行く」、「出る」を意味する「之」という漢字が成り立ちました(借りて(同じ読みの部分に当て字として使って)、「これ、この(助字)」の意味も表すようになりました)、
ともある(https://okjiten.jp/kanji2313.html)。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
2024年03月11日
からはぎ
うつせみのからは木ごとにとどむれど魂(たま)のゆくへを見ぬぞかなしき(古今和歌集)
は、
からはきごとに、
で、
からはぎ、
を詠みこんでいる(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。
からはぎ、
は、
唐萩、
と当てるが、
どんな植物か不明、
とある(仝上)。
からはぎ、
は、
「はぎ(萩)」の異名か、萩の一種なのかは未詳(精選版日本国語大辞典)、
萩の一種(季語・季題辞典)、
萩に同じ(広辞苑)、
萩に同じという(岩波古語辞典)、
等々とあるが、
語源も明らかでなく、「唐萩」の字をあてることの当否もわからない。弓や柱を作るほどに幹の大きくなる萩の記事は諸書に見えるが、これを「からはぎ」というのは「幹萩(からはぎ)」の意か、
とある(精選版日本国語大辞典)。ただ、
此萩草花にあらず木なり。一名をから萩(ハギ)といふ。よって弓などに是を作る(浄瑠璃「伽羅先代萩(1785)」)、
と、
萩の一種「きはぎ(木萩)」の異名か、
または、
萩の中でも特に幹の大きな品種をいうか、
ともあり、
木だちの萩で、幹が大きく、冬も枝が枯れないもの。弓を作るのに用いるという、
と(仝上)、ある。古今集のいう、
からはぎ、
が、何を指しているかは、はっきりしない。
はぎ、
は、
萩、
と当てるが、古くは、
芽子、
と記し、
ハギ、
と読み(岩波古語辞典・大言海・世界大百科事典)、
生芽、
とも当てる(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%82%AE)。和名類聚抄(931~38年)に、
鹿鳴草、萩、波木、
貝原益軒編纂の『大和本草(1708)』に、
天竺花、ハギ、花史云、観音菊、天竺花是也、五月開至七月、花頭細小、其色純紫、枝葉如嫩柳、其幹之長與人等、
とある。漢名は、
胡枝子、
特に、
ヤマハギ、
を指すという(日中対訳辞典)。
タマミグサ、
ツキミグサ、
ノモリグサ、
ネザメグサ、
ニハミグサ、
ハナヅマ、
の異名をもつ(大言海)が、
ハギ、
というのは、
マメ科ハギ属の中のヤマハギ節、
に属する数種類を含むもので、特定の種類ではなく、外観の似ている種類の総称(世界大百科事典)らしく、ふつうにハギと呼ばれるのは、
ヤマハギ、
ミヤギノハギ、
ニシキハギ、
ツクシハギ、
マルバハギ、
を指す(仝上)が、特に、
ヤマハギ、
をさすことが多い(精選版日本国語大辞典)とある。
秋の七草、
のひとつ、花期は、
7月から10月、
で、
背の低い落葉低木ではあるが、木本とは言い難い面もある。茎は木質化して固くなるが、年々太くなって伸びるようなことはなく、根本から新しい芽が毎年出る。直立せず、先端はややしだれる。葉は3出複葉、秋に枝の先端から多数の花枝を出し、赤紫の花の房をつける。果実は種子を1つだけ含み、楕円形で扁平。荒れ地に生えるパイオニア植物で、放牧地や山火事跡などに一面に生えることがある、
とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%82%AE)。
ハギ、
の由来は、
生芽(ハエキ)の意(キ(芽)は気(キ)の転。芽を出すこと)。宿根より芽を生ずればなり、故に、芽子の字を用ゐる(大言海)、
ハヘクキ(延茎)の義(日本語原学=林甕臣)、
延木の義(国語の語根とその分類=大島正健)、
ハキ(葉木)の義(柴門和語類集)、
ヤマハギの朝鮮語名mo-hyong(牝荊)もしくはsyo-hyong(小荊)紀から転じたもの(植物和名の語源=深津正)、
等々あるが、その生態と、
芽子、
と記したことから見て、個人的には、
生芽(ハエキ)の意、
のように思える。なお、
秋の野をにほはすはぎは咲けれども見る験(しるし)なし旅にしあれば、
と、
万葉集以来、和歌の世界の題目として非常に愛好された(岩波古語辞典)が、平安時代以降、
秋萩にうらびれをればあしひきの山下とよみ鹿のなくらむ(古今和歌集)、
と、
鹿、露、雁、雨、風などと組み合わせて、花だけでなく下葉や枝も作詠の対象となり、歌合の題としても用いられた、。特に鹿や露との組み合わせは多く、「鹿の妻」「鹿鳴草」などの異名も生まれた。一方、露は、萩の枝をしなわせるありさまや、露による花や葉の変化などが歌われ、また、「涙」の比喩ともされ、「萩の下露」は、「荻の上風」と対として秋の寂寥感を表現するなどさまざまな相をもって詠まれた、
とある(精選版日本国語大辞典)。なお、「萩」には、
襲(かさね)の色目、
として、秋に用いる、
表は蘇芳(すおう)、裏は萌葱もえぎまたは青、
の、
萩襲(はぎがさね)、
がある(仝上)。
「萩」(漢音シュウ、呉音シュ)は、
会意兼形声。「艸+音符秋」で、秋の草の意、「よもぎ」の一種、特に「カワラニンジン」を指す、
とある(漢字源)。本来は、
ヨモギ類(あるいは特定の種を挙げる資料もある)、
の意味で、「はぎ」は国訓である。牧野富太郎(『植物一日一題』(1998)「中国の椿の字、日本の椿の字」)によると、これは、
艸+秋、
という会意による国字であり、ヨモギ類の意味の「萩」とは同形ではあるが別字、
とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%82%AE)。別に、
会意兼形声文字です(艸+秋)。「並び生えた草」の象形と「穂の先が茎の先端に垂れかかる象形(「稲」の意味)と燃え立つ炎の象形(「火」の意味)と亀(かめ)の象形(「亀」の意味)」から、「カメの甲羅に火をつけて占いを行う事を表し、そのカメの収穫時期が「秋」だった事と、穀物の収穫時期が「秋」だった事から「秋」の意味」を表し、そこから、秋に紫紅色・白色の花が群がって咲く落葉低木「はぎ」を意味する「萩」という漢字が成り立ちました、
ともある(https://okjiten.jp/kanji2695.html)。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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2024年03月12日
さがりごけ
花の色はただひとさかり濃けれども返す返すぞ露は染めける(古今和歌集)
は、
ひとさかり濃けれども、
で、
さがりごけ、
を詠みこんでいる(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。
さがりごけ、
は、
松蘿、
と当て、
さるおがせ、
ともいい、
山の木の枝から垂れ下がる地衣類、
とある(仝上)。「をがたまの木」で触れたように、
めどにけずりばな、
かわなぐさ、
さがりごけ、
と、古今伝授の三種の草、
三草、
の一つともされる(大言海)。
さがりごけ、
は、
下苔、
と当て、
キツネノモトユイ、
クモノアカ、
の別名を持ち(広辞苑)、
「さるおがせ」に同じ(大言海)、
サルオガセの異名(岩波古語辞典)、
サルオガセの異称(広辞苑)、
とする説が多いのに対して、
植物「ひかげのかずら(日陰蔓)」の異名。一説に植物「さるおがせ(猿麻蔓)」の異名とする(精選版日本国語大辞典)、
植物。ヒカゲノカズラ科の常緑多年草、薬用植物。ヒカゲノカズラの別称(動植物名よみかた辞典)、
と、
ヒゲノカヅラの異名、
とする説もある。漢名は、
松蘿(しょうら)、
なのだが、これ自体、
植物「さるおがせ(猿麻桛)」の漢名。また、一説にヒカゲノカズラなどの蔓草、
とある(精選版日本国語大辞典)。ただ、
松蘿、一名女蘿(本草)、
とあり、
蔦の一種、
とする(字源)が、
蔦與女蘿(小雅)、
女蘿在草、曰兔絲、在木曰松蘿(釋文)、
という、
女蘿(じょら)、
は、
女羅、
とも当て、
植物「さるおがせ(猿麻桛)」の漢名、
とある(精選版日本国語大辞典)。どうやら、
松蘿(しょうら)、
と同じとする、
さがりごけ、
は、
サルオガセ、
のように思えるが、如何であろうか。和名類聚抄(931~38年)には、
松蘿、一名女蘿、和名万豆乃古介一云佐流乎加世、
とあり、平安中期の能因による歌学書『能因歌枕』には、
ざかりごけとは、岸などに下がりたる苔をいう、
とある。
(サルオガセ 大辞林より)
サルオガセ(サルヲガセ)、
は、
サルオカセ、
サルノオガセ、
ともいい、
猿麻桛
猿尾枷、
猿麻蔓、
等々と当て(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%AB%E3%82%AA%E3%82%AC%E3%82%BB・広辞苑・精選版日本国語大辞典・動植物名よみかた辞典)、
樹皮に付着して懸垂する糸状の地衣、
で、
霧藻、
蘿衣、
ともいう(仝上)、
地衣類サルオガセ科の植物の総称、
で、日本に約四〇種あり、ふつうは、
長さ七メートルに達するナガサルオガセ、
と
長さ約三〇センチメートルのヨコワサルオガセ、
をいう(仝上)。
糸状によく分岐し淡黄緑色を帯び、いずれも、霧のよくかかる深山の樹木の幹や枝からたれ下がって生え、直角につきだした短枝をたくさんつけ、レース状の大群落をなすことが多い。地衣体は糸状で根もとで二叉(にさ)に分かれるが、その後はほとんど分枝せず、長さ50~100cm、時には3mを超える。断面は類円形、中心部に軸があり、外側から皮層、髄層、中軸の順に配列する、
とあり(仝上・世界大百科事典)、サルオガセ類は、ウスニン酸usnic acidを含み、漢方で、
松蘿(しようら)、
老君鬚(ろうくんしゆ)、
等々と称して、
利尿、解熱、去痰薬、
とする。民間薬では、
金線草、
と呼ばれる(仝上)。なお、
ヨコワサルオガセからリトマス色素がとれる、
とある(仝上)。
(ひかげのかずら 日本大百科全書より)
ヒカゲノカズラ、
は、
ヒカゲカズラ、
ともいい、
キツネノタスキ、
カミダスキ、
とも呼び、
日陰鬘、
日陰蔓、
蘿葛、
と当て(広辞苑・岩波古語辞典)、
山葛蘿(ヤマカズラカゲ)、
の別名を持ち、
漢名は、
石松、
で(広辞苑)、
蘿(かげ)、
という別称もある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%82%AB%E3%82%B2%E3%83%8E%E3%82%AB%E3%82%BA%E3%83%A9)。
シダ類ヒカゲノカズラ科の常緑多年草、
で、各地の山麓に生える。高さ八~一五センチメートル。茎はひも状で地上をはい長さ二メートルに達する。葉はスギの葉に似てごく小さく輪生状またはらせん状に密生する。夏、茎から直立した枝先に淡黄色で長さ三~五センチメートルの円柱形の子嚢穂をつける、
とある(広辞苑・精選版日本国語大辞典)。茎は、正月の飾りにし、胞子は、
石松子、
という丸薬の衣に用い、また皮膚のただれに効くという(仝上)。ただ、
ヒカゲノカズラ、
には、
植物「さるおがせ(猿麻桛)」の異名、
とする面もあり(仝上)、となると、
サガリゴケ、
は、
サルオガセ、
に収斂していくことになる。
(ひげのかずら デジタル大辞泉むより)
なお、
ヒカゲノカズラ、
は、
践祚の大嘗祭、凡そ斎服には……親王以下女孺(にょじゅ、めのわらわ 下級女官)以上、皆蘿葛(延喜式)、
と、
新嘗(にいなめ)祭・大嘗(だいじょう)祭などの神事に、物忌のしるしとして冠の笄(こうがい)の左右に結んで垂れた青色または白色の組糸、
を呼ぶ(岩波古語辞典・広辞苑)。もと、
植物のヒカゲノカズラを用いた、
ための称である(仝上)。
「蘿」(ラ)は、
会意兼形声。「艸+音符羅(ラ あみ、あみの目)」で、網のようにはびこる草、
とあり、松蘿(ショウラ)、女蘿(ジョラ)等々、つた類の総称とある(漢字源)。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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2024年03月13日
にがたけ
命とて露をたのむにかたければものわびしらに鳴く野辺の虫(古今和歌集)
と、
たのむにかたければ、
で、
にがたけ、
を詠みこんでいる(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。当時、
はかもなき夏の草葉に命と頼む虫のはかなさ(寛平御時后宮歌合)、
と、
虫は命の糧として露を吸うと考えられていた、
とある(仝上)。
にがたけ、
は、
苦竹、
と、茸の一種である、
苦茸、
のいずれか不明とする(仝上)。しかし、
(たけのこの味がにがいからいう)メダケまたはマダケの別称(広辞苑)、
マダケ、またはメダケの異名(岩波古語辞典)、
(そのタケノコに苦みがあるので)マダケ・メダケの別名(大辞林)、
真竹(まだけ)、女竹(めだけ)の別名。それらの竹の子に苦味があることから(学研全訳古語辞典)、
マダケまたはメダケの別名(大辞泉)、
(竹の子に苦味があるところから) 植物「まだけ(真竹)」または「めだけ(女竹)」の異名(精選版日本国語大辞典)、
まだけの一名(大言海)、
と、ほぼ、
まだけ(真竹)、または、めだけ(女竹)の異名とする。しかも、
にがたけ、
は、
苦竹、
と当てるが、
くちく、
と訓ませると、
メダケの別称(動植物名よみかた辞典)、
ともあるが、
苦竹黮、茶樹成林(「参天台五台山記(1072~73)」)、
と、
植物「まだけ(真竹)」の古名(精選版日本国語大辞典)、
マダケの漢名、にがたけ(広辞苑)、
植物マダケの異名、にがたけ(大辞林)、
マダケの別名(大辞泉)、
「真竹」の別称(https://kokugo.jitenon.jp/word/p38679)、
と、
まだけ、
に収斂していく。後世になるが、林羅山の本草学『多識編』(1631)には、
苦竹、爾賀多計、今案、末多計、
貝原益軒編纂の『大和本草(1708)』には、
苦竹、國俗呉竹、と云、又真竹と云、筍の味微苦、ハチクニオトレリ、
とある。
苦竹(くちく)、
は、
歳月青松老
風霜苦竹疎(孟浩然)、
は、
まだけ、
とある(字源)ので、
苦竹(くちく)、
は、
漢名、
にがたけ、
は、その和訓である可能性もある。ただし、中国で、
苦竹、
と書くのは、
メダケ属、
のもので、
マダケ、
は、
剛竹、
と呼ぶ(世界大百科事典)とある。
マダケ(真竹)、
は、
常の竹を、他名に対して云ふ称、
で、学名、
Phyllostachys bambusoides、
は、中国原産とも日本自生とも言われる、
イネ科マダケ属の竹の一種、
で、別名、
タケ、
ニガタケ(苦竹)、
真柄竹、
等々と呼ぶ(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%80%E3%82%B1)。
稈(かん)の最大の直径20cmぐらい、高さ20m。節の部分は2環状になる。葉はモウソウチクよりも大きく、肩毛が直角につく。竹の皮に暗褐色の大きな斑紋のあることが特徴である。一定の周期で開花するが、花はモウソウチクに似ておしべは3本、
とある(世界大百科事典)。また、
日本マダケのほとんどは遺伝的に均一らしく、日本全国のマダケが一斉に花を咲かせ、一斉に実を付け、一斉に枯れる。日本へは古くから持ち込まれ栽培されていたと見る一方で、日本にもともと自生していた品種であると捉える向きもある、
とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%80%E3%82%B1)。なお、別名を、
苦竹、
というように、収穫後時間を経過したタケノコはエグみがある。苦みやあくが強いためにマダケのタケノコは市場にはあまり出回らない、
とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%80%E3%82%B1)。
めだけ(女竹・雌竹)、
は、
をだけ(雄竹)、
つまり、
マダケ、
に対して言う、
篠竹の類、
をいい(大言海)、植物学上は、
ササ、
に分類される(世界大百科事典)、
イネ科の(メダケ属)タケササ類、
で、
関東以西の各地に生え、稈は高さ三〜六メートル、径一〜三センチメートルになり、節間は長く枝は節に五〜七本ずつつく。地下茎が横に走り、葉は披針形で手のひら状につき、長さ一〇〜二五センチメートル、三〜五個が枝先からななめに掌状に出る。花穂は古い竹の皮を伴い枝先に密集してつき、小穂は線形で長さ三〜一〇センチメートル。筍(たけのこ)には苦味がある。稈で笛・竿・キセル・籠などをつくる、
とあり(日本国語大辞典・大辞泉)、
なよたけ、
おなごだけ、
にがたけ、
あきたけ、
しのだけ、
しのべだけ、
かわたけ、
等々の名がある(仝上・広辞苑)。
(メダケ 広辞苑より)
因みに、
雄竹(おだけ)、
は、主として、
真竹(まだけ)、
をいうが、淡竹(はちく)、孟宗竹(もうそうちく)などの大柄な竹にもいう(精選版日本国語大辞典)とある。
ニガタケ、
の名は、
マダケ、
を指しているようでもあるが、いずれも、「筍」の苦みからきているので、
ニガタケ、
というとき、
マダケ、
メダケ、
何れを指しているかは、定めがたいようだ。
なお、ついでながら、
呉竹、
というのは、『本草和名(ほんぞうわみょう)』(918年編纂)に、
淡竹、名緑 和名久礼多介、
とあるように、
淡竹(はちく)の異名、
である(精選版日本国語大辞典)。
葉竹、
早竹、
半竹、
甘竹、
等々とも記し(大言海・https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%81%E3%82%AF)、古名、
オオタケ、
クレタケ、
ともある(仝上)、
イネ科マダケ属、
で、中国原産で、呉(ご)から渡来した(http://www.kaho-fukuoka.co.jp/saijiki/2003-00/kuretake.html)ことから
からだけ(唐竹)、
くれだけ(呉竹)、
という。
稈は高さ一〇メートル、径一〇センチメートルに達する。稈は滑らかで薄く蝋粉(ろうふん)をつけ、節は二輪状に突起する。枝は節ごとに一~二本ずつ出て小枝を分け、その先端に長さ四~一二センチメートルの披針形の葉を四~五個つける。皮は紫色を帯び大きく、斑紋はない。花穂は紫緑色、
とある(精選版日本国語大辞典)。古今要覧稿(1821~42)に、
おほたけ一名からたけ一名あはだけ一名はちくは西土にいはゆる淡竹一名水竹也、
とある。淡竹の筍(タケノコ)は、
えぐ味がなく美味とされる、
とある(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%81%E3%82%AF)。
なお、「ささ」については触れたし、「しのだけ」については、「箆(の)」で触れた。また、「たけ(茸)」、「たけ(竹)」についても触れた。
(「竹」 金文・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%AB%B9より)
「竹」(漢音呉音チク、唐音シツ)は、
象形、たけの枝二本を描いたもの。周囲を囲むの意を含む、
とある(漢字源)。
象形。たけの葉が垂れ下がっているものを象る(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%AB%B9)、
象形。たけが並び生えているさまにかたどり、「たけ」の意を表す(角川新字源)、
象形文字です。「たけ」の象形から、「竹」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji68.html)、
と、象形文字であることは同じだか、微妙に異なる。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
高田祐彦訳注『新版古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
2024年03月14日
かはたけ
さよふけてなかばたけゆくひさかたの月吹きかへせ秋の山風(古今和歌集)
に、
なかばたけゆく、
で、
かはたけ、
を詠みこんでいる(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。
かはたけ、
は、
川竹か、
とし、
あはれなるもの……夕暮れ暁に、川竹の風に吹かれたる、目さまして聞きたる(枕草子)
を引くが、また、一説に、
皮茸、
ともいう(仝上)とある。
たけゆく、
は、
長けゆく、
で、
盛りをすぎること、
とある(仝上)。これは、
たけなわ、
の、
たけ、
で、これについては触れたことがある。
かはたけ、
は、
革茸、
茅蕈、
皮茸、
等々と当て、、
いまのこうたけ(岩波古語辞典)、
コウタケの別称(広辞苑)、
という。
(こうたけ 広辞苑より)
こうたけ、
は、秋、
松など広葉樹林の中に群生する、
が、
革茸、
茅蕈、
香茸、
皮茸、
等々と当て、別名、
鹿茸(ししたけ)、
鹿茸(しかたけ)、
猪茸(いのししだけ)、
猪茸(ししたけ)、
ともいい(精選版日本国語大辞典)、馬も喜んで食べるとの例えから、
馬喰茸(ばくろうだけ)
ともいう(https://hachimenroppi.com/item/6/58/2497/)。ただ、
シシタケ、
は、
近縁種、
とするもの(日本大百科全書)があるが、
同種、
とする説もある(世界大百科事典)。
こうだけ、
は、
イボタケ目イボタケ科コウタケ属の食用キノコ、
で(栄養・生化学辞典)、かさの裏に剛毛状の針が密生しているのを野獣の毛皮と連想して、
カワタケ(皮茸)、
と名づけられ、それがなまって、
コウタケ、
となった。本来、
香茸、
という表記は、
シイタケ、
にあてられた名で本種を指すものではない(仝上)とある。
かさの径10~25cm、深い漏斗状で中央部には茎の根元まで達する深いくぼみがある。表面は淡紅褐色で濃色の大きなささくれがある。かさの裏面の針は0.5~1.2cm、灰白色のち暗褐色。胞子は類球形でいぼ状の突起がある。特有の香気があるので精進料理につかわれていた、
とある(仝上)。
一度ゆでこぼしてから料理するのがこつ、
とも(仝上)。乾かせば、
染革のような黒色となる、
ので(広辞苑)、
革茸、
と当てるのかもしれない。また、乾燥すると芳香があり(デジタル大辞泉)、保存がきく(広辞苑)。徒然草には、
鹿茸を鼻にあててかぐべからず、ちひさき虫ありて鼻より入て、脳をはむといへり、
とあり、江戸時代中期編纂の日本の類書(百科事典)『和漢三才図絵(わかんさんさいずえ)』(には、
案ずるに革茸は、山麓で落葉をかぶって発生する。形状は松茸に似て傘の外側は黒くて粒皺がある。晒し乾すとまさに黒くなって染革のようである。裏は黄赤で毛糸のようなものがある。柄には鱗甲がある。山城(京都)の北山、摂州の有馬の山中に多く出る。味は微かに苦く、灰汁を用いてゆがいて酢に和えて食べる。味は甘く脆美である。しかし腐敗し易い。それで晒し乾して売る。最も上等品である、
とある(http://www.ffpri-kys.affrc.go.jp/situ/TOK/neda/hanashi/hanasi23.htm)。
なお、
かはたけ、
に、
川竹、
河竹、
と当てると、文字通り、
川のほとりに生えている竹、
の意で、冒頭の、
川竹の風に吹かれたる、目さまして聞きたる(枕草子)、
は、これになる。この、
かはたけ、
をとる説もある(http://www.milord-club.com/Kokin/uta0452.htm)。この場合、
たけ、
は、
茸、
でなく、
竹、
で、
マダケあるいはメダケ、
となる(仝上)。ただ、
かはたけ、
は、
呉竹は葉細く、河竹は葉広し。御溝に近きは河竹、仁寿殿の方に寄りて植ゑられたるは呉竹なり(徒然草)、
とある、
溝竹(カハタケ)の義、(清涼殿の)御溝竹(ミカハミヅ)に因る称ならむ、歌に多く河竹の流れと詠むも、この縁なるべし、
とあり(大言海)、延喜式(927)に、
御輿一具、……盖(蓋)下桟料川竹十株、盖料菅一囲、
とある、
清涼殿東庭の御溝水(みかわみず)の傍に植えた竹、
をいう(仝上・広辞苑)。また、
かはたけ、
は、上述したように、
メダケの古名、
マダケの異称、
ともされ(広辞苑)、和名類聚抄(931~38年)に、
苦竹、加波多計、本朝式、用河竹字、
とあり、
マダケ(真竹)の古称、
とする(大言海)のは、
御溝(みかは)の竹、即ち、苦竹なりしよりの名ならむ、
とある(仝上)。別に、
メダケ(女竹)、
を、川端によく育つので、
川竹(かわたけ)、
ともいい(世界大百科事典)、
京都御所の清涼殿前の漢竹はメダケである、
とする説もある(仝上)。なお、
河竹、
は、
よよ経れど面(おも)がはりせぬかはたけは流れての世のためしなりけり(金塊集)、
と、
「ながる」「ながす」「よ(世)」にかかる枕詞、
として使われる(広辞苑)。「俊頼無名抄(俊頼髄脳)」(1112)には、
かはたけト云ヒテハ、流レテノ末ノ世、久シカルベキコトヲツヅクベキナリ、
とある。
なお、「たけ」、「たけ(茸)」、「たけ(竹)」、「裄丈(ゆきたけ)」については触れたが「たけ」は通じるようである。
「茸」(漢音ジョウ、呉音ニョウ)は、「ひらたけ」で触れたように、
会意。「艸+耳(柔らかい耳たぶ)」。柔らかい植物のこと、
とある(漢字源)。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
高田祐彦訳注『新版古今和歌集』(角川新字源ソフィア文庫Kindle版)
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2024年03月15日
ものから
あぢきなし嘆なつめそ憂きことにあひくる身をば捨てぬものから(古今和歌集)
では、
あぢきなし、
で、
なし、
なつめそ、
で、
なつめ(棗)、
あひくる身、
で、
くるみ(胡桃)、
を詠みこむ(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。
ものから、
は、
今は來じと思ふものから忘れつつ待たるることのまだもやまぬか(古今和歌集)、
と、
逆接の意味になることが多いが、冒頭の歌は順接、
とある(仝上)。
ものから、
は、
接続助詞。形式名詞モノに格助詞カラの付いたもの(広辞苑)、
形式名詞「もの」に名詞「から(故)」が付いたものから。上代から見られるが、上代ではまだ二語としての意識が強く、中古に至り一語の接続助詞としての用法が成立した(大辞林)、
形式名詞「もの」+格助詞「から」、活用語の連体形に付く(大辞泉)、
名詞「もの」に名詞「から」の付いてできたもの。「から」を助詞とする説もある。しかし、上代・中古において、このような意に用いられた「から」は名詞である。(精選版日本国語大辞典)、
などとある(格助詞は、体言につき、その体言と他の語との格関係を示す)。
「から」を名詞とするのは、「から」で触れたように、この「から」の由来が、
うから、
やから、
ともがら、
はらから、
の「から」で、
族、
柄、
とあて(岩波古語辞典)、
上代では「はらから」「やから」など複合した例が多いが、血筋・素性という意味から発して、抽象的に出発点・成行き・原因などの意味にまで広がって用いられる、
とあり、
助詞「から」も、
語源は名詞「から」と考えられる。「国から」「山から」「川から」「神から」などの「から」である。この「から」は、国や山や川や神の本来の性質を意味するとともに、それらの社会的な格をも意味する。「やから」「はらから」なども血筋のつながりを共有する社会的な一つの集りをいう。この血族・血筋の意から、自然のつながり、自然の成り行きの意に発展し、そこから、原因・理由を表し、動作の出発点・経由地、動作の直接続く意、ある動作にすぐ続いていま一つの動作作用が生起する意、手段の意を表すに至ったと思われる、
とある(仝上)ことによる。で、
ものから、
は、
もの、
と、
から、
の複合した助詞で、活用語の連体形を承け、
から、
は、上述したように、
格助詞の「から」と起源的には同一で、「自然のつながり」の意から種々に発展し、原因・理由を示す用法を持っていた、
とあり(仝上)、ほぼ同義の、
ものゆゑ、
も、
もの、
と、
ゆゑ、
の複合した助詞で、
ゆゑ、
は、
もとづくところ、
の意である(仝上)。で、
から、
も、
ゆゑ、
も、
それだけで原因・理由を示す助詞になりうることは、上述した通りである。その上に加わる、
もの、
は、
(ものから)物ながらの略、みな(皆)からの「から」と同じ、
とする説(大言海)があるように、いわゆる、
物、
が原義で、
「もの」とは形があり、手にふれることのできる存在を示す語で、「こと」と対比して使われ、「こと」が時間の経過とともに変化し推移していく出来事・行為をいうに対して、「もの」は変化せず推移しない存在を指す語である。その、変動しない存在の意から、確固として定まっている既定の事実や、避けることのできない法則とか慣習とかを指すことがあった、
とあり(岩波古語辞典)、したがって、
ものから、
ものゆゑ、
と複合すれば、
……するにきまっているのだから、
必ず……とはすでに決まっていることだ、
当然……するにきまっているけれど、
というのが古い用法(仝上)とある。
から、
ゆゑ、
は、順接条件も逆接条件も示しうるので、
ものから、
ものゆゑ、
も、両方の例があるが、平安時代には、
ものゆゑ、
は古語となり、
ものから、
が歌などに使われ、
……ながら、
……だのに、
の意を表した(仝上)とする。なお、「もの」、「こと」については触れた。
見渡せば近き物可良(ものカラ)岩隠りかがよふ玉を取らずは止まじ(万葉集)、
待つ人にあらぬものから初雁のけさ鳴く声のめづらしきかな(古今和歌集)、
と、
既定の事柄を条件として示し、逆接的に下に続け(精選版日本国語大辞典)、
けれども、
ものの、
のに、
の意の使用は、平安時代に盛んに用いられたが、その後次第に衰え、擬古的な文以外にはあまり使われなくなり、中世には、
只乙(かなつる)手のさきさきに、目をかけつれば魂はありて見ゆるものからともの姿も見ゆるなり(「教訓抄(1233)」)、
さすがに辺土の遺風忘れざるものから、殊勝に覚えらる(奥の細道)、
と、理由を示す、
…だから、
…ので、
の意の順接用法が現われ、近世に至ってはこちらが一般的となる。これは、
接続助詞「から」の影響と考えられる、
とある(精選版日本国語大辞典・広辞苑)。
(「物」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%89%A9より)
「物」(漢音ブツ、呉音モツ・モチ)は、
会意兼形声。勿(ブツ・モチ)とは、いろいろな布でつくった吹き流しを描いた象形文字。また、水中に沈めて隠すさまもいう。はっきりと見分けられない意を含む。物は「牛+音符勿」で、色合いのさだかでない牛。いろいろなものを表す意となる。牛は、ものの代表として選んだに過ぎない、
とある(漢字源)。しかし、
会意兼形声文字です(牜(牛)+勿)。「角のある牛」の象形と「弓の両端にはる糸をはじく」象形(「悪い物を払い清める」の意味)から、清められたいけにえの牛を意味し、それが転じて(派生して・新しい意味が分かれ出て)、「もの」を意味する「物」という漢字が成り立ちました、
ともあり(https://okjiten.jp/kanji537.html)、別に、
形声。「牛」+音符「勿 /*MƏT/」。「雑色の牛」を意味する漢語{物 /*mət/}を表す字。のち仮借して「もの」を意味する漢語{物 /*mət/}に用いる(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%89%A9)、
形声。牛と、音符勿(ブツ)とから成る。毛が雑色の牛の意から、転じて、さまざまのものの意を表す(角川新字源)、
と、形声文字とする説もある。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
高田祐彦訳注『新版古今和歌集』(角川新字源ソフィア文庫Kindle版)
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ラベル:ものから
2024年03月16日
月の桂
秋来れど月の桂の実やはなる光を花と散らすばかりを(古今和歌集)
の、
月の桂、
は、
月に生えている伝説上の木、
とある(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。
桂は、
桂を折る(文章生(もんじょうしょう)、試験、対策に応)、
桂男(かつらおとこ・かつらを 月で巨大な桂を永遠に切り続けている男の伝説)、
桂の眉(かつらのまゆ 三日月のように細く美しい眉)、
桂の影(かつらのかげ 月の光)、
桂の黛(かつらのまゆずみ 三日月のように細く美しく引いた眉墨)、
等々と使われるが、それは、「桂」が、
月の桂、
から、
月の異称、
として使われるようになったことによる。
(「つきのかつら、呉剛」(月岡芳年) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%82%E7%94%B7より)
「月の桂」は、「桂を折る」で触れたように、「酉陽雑俎‐天咫」に、
舊言月中有桂、有蟾蜍、故異書言月桂高五百丈、下有一人常斫之、樹創隨合。人姓吳名剛、西河人、學仙有過、謫令伐樹、
とあり、中国において、「月桂」は、
想像の説に、月の中に生ひてありと云ふ、月面に婆娑たる(揺れ動く)影を認めて云ふなるべし、手には取られぬものに喩ふ、
とある(大言海)。「懐風藻」に、
金漢星楡冷、銀河月桂秋(山田三方「七夕」)、
は、
月の中にあるという桂の木、
の意で、
玉俎風蘋薦。金罍月桂浮(藤原万里「仲秋釈奠」)、
では、
月影(光)、
の意で使われている(精選版日本国語大辞典)。万葉集では、
目には見て手には取らえぬ月内之楓(つきのうちのかつら)のごとき妹をいかにせむ、
と、
手には取られぬもの
の喩えとして詠われている。「毘沙門堂本古今集註」(鎌倉時代末期~南北朝期書写)では、
久方の月の桂と云者、左伝の註に曰、月は月天子の宮也。此宮の庭に有七本桂木、此の木春夏は葉繁して、月光薄く、秋冬は紅増故に月光まさると云也、
と解説する。また、月の人、「桂男」を、
月人、
とも言い(大言海)、
かつらをの月の船漕ぐあまの海を秋は明石の浦といはなん(「夫木抄(1310頃)」)、
桂壮士(カツラヲ)の人にはさまるすずみかな(「古今俳諧明題集(1763)」)、
等々と詠われる(精選版日本国語大辞典)。
桂を折る、
のは、
桂男(かつらおとこ・かつらを)、
といい、「酉陽雑俎‐天咫」(唐末860年頃)に、中国の古くからの言い伝えとして、
月の中に高さ五〇〇丈(1500メートル)の桂があり、その下で仙道を学んだ呉剛という男が、罪をおかした罰としていつも斧をふるって切り付けているが、切るそばからその切り口がふさがる、
という伝説がある(精選版日本国語大辞典)。シジフォスの岩に似た話である。
呉剛伐桂、
といい(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%82%E7%94%B7)、伝説には、ひとつには、炎帝の怒りを買って月に配流された呉剛不死の樹「月桂」を伐採するという説と、いまひとつは、上述した、
舊言月中有桂、有蟾蜍、故異書言月桂高五百丈、下有一人常斫之、樹創隨合。人姓吳名剛、西河人、學仙有過、謫令伐樹(酉陽雑俎)、
と、仙術を学んでいたが過ち犯し配流された呉剛が樹を切らされているという説とがある(仝上)。
ために、「月の桂」は、
月の異称、
とされ、略して、
かつら、
ともいい、月の影を、
かつらの影、
といったり、三日月を、
かつらのまゆ、
などという(大言海)。また「桂男」は、
桂の人、
などともいい、
かつらおとこも、同じ心にあはれとや見奉るらん(「狭衣物語(1069‐77頃)」)、
と、盛んに使われるが、さらに、
手にはとられぬかつらおとこの、ああいぶりさは、いつあをのりもかだのりと、身のさがらめをなのりそや(浄瑠璃「出世景清(1685)」)、
と、
美男子、
の意味でも使われるようになる(精選版日本国語大辞典)。
「桂」(漢音ケイ、呉音カイ)は、「桂」で触れたように、
会意兼形声。「木+音符圭(ケイ △型にきちんとして格好がよい)」で、全体が△型に育った良い形をしている木、
とあり(漢字源)、「肉桂(ニッケイ)」「筒桂(トウケイ)」「岩桂(ガンケイ)」「銀桂」「金桂」「丹桂」など香木の総称の他、伝説上の月の桂の意、である(仝上)。
参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
簡野道明『字源』(角川書店)
尚学図書編『故事ことわざの辞典』(小学館)
高田祐彦訳注『新版古今和歌集』(角川新字源ソフィア文庫Kindle版)
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2024年03月17日
百和香
花ごとにあかず散らしし風なればいくそばくわか憂しとかは思ふ(古今和歌集)、
の、
いくそばくわか憂し、
の、
いくそばく、
は、
どれほど多く、
の意、
いくそばくわか憂し、
に、
百和香、
を(かなり無理して)詠みこむ(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)とあり、
はくわこう(百和香)、
は、
神仙世界にあるとされる伝説的な香、
とある(仝上)。
百和香、
は、
ひゃくわこう、
ひゃっかこう、
はくわごう、
とも訓ませ(デジタル大辞泉・精選版日本国語大辞典)、
種々の香を練り合わせて作った香。5月5日に百草を合わせて作ったという(広辞苑)、
種々の香料を合わせた薫物(タキモノ)(大辞林)、
薫物の名。種々の香料を合わせた練香(ねりこう)(精選版日本国語大辞典)、
練り香の一種。陰暦5月5日に百草を合わせて作ったという(デジタル大辞泉)、
等々としかなく、
種々の香料を合わせた薫物(たきもの)の名、
として、
伝説的なものか、
とある(岩波古語辞典)ので、その由来ははっきりしないが、
伝説的な神仙の名、
を借りているもののようである。いわれははっきりしないが、
五月五日に、百草を取り合わする香と云ふ、
とある(大言海)。
百和香、
を詠みこんだ、上述の、
花ごとにあかずちらしし風なればいくそばくわがうしとかは思ふ、
は、杜甫の即事詩、
雷聲忽送千峯雨、
花氣渾如百和香、
を踏まえている(大言海)。
(「香」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%A6%99より)
「香」(漢音キョウ、呉音コウ)は、
会意文字。もとは、「黍(きび)+甘(うまい)」で、きびを煮たときに空気に乗ってただよいくるよいにおいをあらわす。空気の動きに乗って伝わる意を含む、
とあり(漢字源)、同趣旨で、
会意文字です(黍+甘)。「穂先が茎の先端にたれかかる穀物の象形と、流れる水の象形(「酒」の意味)」(酒の材料に適した「黍(きび)」の意味)と「口中に一線を引いて食物をはさむさまを表した文字」(「あまい・うまい」の意味)から、黍などから生じる「甘いかおり」を意味する「香」という漢字が成り立ちました、
とも(https://okjiten.jp/kanji1180.html)、
会意。黍(しよ)(禾は省略形。きび)と、甘(日は変わった形。うまい)とから成り、きびのうまそうなかおり、「かおり」の意を表す、
とも(角川新字源)あるが、この解釈のもとになっている、
『説文解字』では「黍」+「甘」と解釈されているが、これは誤った分析である。甲骨文字の形を見ればわかるように「甘」とは関係がない、
とあり(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%A6%99)、
会意。「黍」(芳しい物の代表)+羨符「口」(区別のための記号、楷書では「日」と書かれる)。「かおり」を意味する漢語{香 /*hang/}を表す字、
としている(仝上)。
参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
高田祐彦訳注『新版古今和歌集』(角川新字源ソフィア文庫Kindle版)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
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2024年03月18日
行矣
自當逢雨露(自ずから当(まさ)に雨露に遭うべし)
行矣愼風波(行(ゆ)けや 風波を慎め)(高適・送鄭侍御謫)
の、
行矣(コウイ)、
は、
旅立つ人におくる言葉。さようなら、お大事にという意味、
とある(前野直彬注解『唐詩選』)。
「行矣(さきくませ)」で触れたように、
宜(よろ)しく爾(いまし)皇孫(すめみま)就(ゆ)きて治(し)らせ。行矣(さきくませ)(日本書紀)、
と、
さきくませ、
と訓ませ、
お幸せに、
とか、
お元気で、
という意味らしいが、
さきく(幸く)、
は、
「さき(幸)」に、「けだしく」などの「く」と同じ副詞語尾「く」の付いたもの、
で、
御船(みふね)は泊てむ恙(つつみ)無く佐伎久(サキク)いまして早帰りませ(万葉集)、
楽浪(ささなみ)の志賀の辛崎さきくあれど大宮人の船待ちかねつ(仝上)、
などと、
さいわいに、
平穏無事に、
変わりなく、
つつがなく、
繫栄して、
等々、
旅立つ人の無事を祈っていう例が多い(日本国語大辞典)。
さきくませ、
の、
ませ、
は、助動詞、
まし、
の未然形、
動詞・助動詞の未然形を承け。奈良時代は、
未然形ませ、
終止形まし、
連体形まし、
しかなかったが、平安時代に入って、
已然形ましか、
が発達し、未然形に転用され(岩波古語辞典)、
ませ(ましか)・〇・まし・まし・ましか・〇、
と活用する(精選版日本国語大辞典)、
用言・助動詞の未然形に付く。推量の助動詞、
で(仝上)、その由来は、
将(ム)より轉ず(大言海)、
助動詞「む」の形容詞的な派生(精選版日本国語大辞典)、
推量の「む」から転成(mu+asi→asi)した(岩波古語辞典)、
とあり、中世以降の擬古文や歌で、
「む」とほぼ同じ推量や意志を表わすのに用いる、
とある(仝上)。
む、
は、
行かむ、
落ちむ、
受けめ、
と、
動作を未来に云ふ助動詞、
とある。漢語の、
行矣(こうい)、
は、まさしく、
行(ゆ)け、
いざゆけ、
人を励ますことば(学研漢和大辞典)とある。
矣、
は、
漢文の助字、
で、
語の終る意、
を示し(字源)、
句の最後につけて断定・推量・詠嘆などを表し、
…である、
…だなあ、
…だろう、
という意味になる(https://www.kanjipedia.jp/kanji/0000130100)。たとえば、下について、
懿矣(よいかな)・蔚矣(うつたり)・鬱矣(うつたり)・往矣(ゆけや)・久矣(ひさしいかな)・休矣(よきかな)・行矣(ゆけや)・皇矣(おおいなり)・尚矣(ひさしいかな)・甚矣(はなはだし)・壮矣(さかんなり)・逖矣(はるかなり)・悲矣(かなしいかな)・勉矣(つとめよや)・耄矣(おいたり)・老矣(おいたり)、
等々という使い方になる(字通)。
語の中に置く助辞、
哉、
反問の辞、
乎、
と通ず(字源)とあるが、文末で用いる語気詞として類義になる、
也、
哉、
焉、
矣、
を比較して、
也、哉>焉>矣、
の順で、すっぱりと言い切った語気から、屈折した語気になり、
也、哉が「!」、
とすると、
矣、
は、
……(!)、
という感じとある(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14139270194・加藤徹『漢文法ひとりまなび』)が、ニュアンスが、
行矣、
の、
ゆけ、
の語感からは、わかりにくい。
いざゆけ、
という語感は、断定というよりは、希望的な願望が入るからだろうか。
「矣」(イ)は、
象形。「ム+矢」と書くが、実は、「匕+矢」が正しく、人が後ろを向いてとまったさまをえがいたもの。疑の左側の部分と同じ。文末につく、「あい」という嘆声であり、断定や慨嘆の気持を表す。息が仕えてとまるの意を含む、
とあり(漢字源)、
断定や推定の語気を表わすことば、
で、
……するぞ、
……となるぞ、
の意(仝上)とする。別に、
象形文字。「𠤗」(「疑」の原字)の略体、
とするもの(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%9F%A3)、
会意。厶(し)+矢。厶の初形は(し)で耜(すき)の初文。耜に矢を加えて清め祓う意。その声を矣・唉・欸、その動作を挨という。詩「小雅」十月之交に謀(ばい)・萊(らい)と韻している。「説文」五下に「語已(をは)るの詞なり」とし、以声の字とするが、もとは矢で厶(すき)を祓う儀礼で、その声をいう。語句を強く結ぶとき、その声を加えたのであろう、
とするもの(字通)がある。
疑、
の原字、
𠤗、
は、象形文字、
杖をついた人が道に惑うさまを象る。のち「子」を加えて「疑」の字体となる、
とある(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%96%91)。
(「𠤗」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%96%91より)
参考文献;
簡野道明『字源』(角川書店)
前野直彬注解『唐詩選』(岩波文庫)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
2024年03月19日
墨流し
春霞中し通ひ路なかりせば秋來る雁は帰らざらまし(古今和歌集)、
の、
春霞中し、
に、
詠みこんだのが、
墨流し、
で、
墨を水面に浮かべてできた模様を、髪に移し染める染色法、
とある(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。かつて担当した書物のカバーに墨流しの模様を使った記憶がよみがえる。
(墨流染 精選版日本国語大辞典)
墨流し、
は、
墨汁を水に垂らした際に出来る模様、
または、
その模様を染めたもの、
をいう(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A2%A8%E6%B5%81%E3%81%97)。日本には、
9世紀頃から、中国の墨流し「流沙箋」から伝わったものとされ、中国の初出資料としては、蘇易簡著『文房四譜』(986年)にある、
とされる(仝上)。上述のように、
墨流し、
には、江戸後期の風俗習慣、歌舞音曲を書いた随筆『嬉遊笑覧(きゆうしょうらん)』(喜多村信節)に、
小豆粉あずきこ一匁、黄柏おうはく五分、明礬みょうばん一分、これを麻切に包み、水にて湿し紙にひたし、その上に文字にても絵にても(墨で)書きて水の内に浮め、細き竹串にて紙を突けば、紙は底に沈み、書きたる墨ばかり水上に浮み残るなり、
とある、
水の上に字や絵をかく画法、
をいうものと、
水面に墨汁または顔料を吹き散らし、これを布や紙の面に移して曲線文様を製出する染法、
をいうものとがある(広辞苑)。前者は、平安時代後期、
王朝貴族が川に墨を流し模様の変化を楽しんだ遊び、
であった(https://euphoric-arts.com/art-2/suminagashi/)ともされ、後者は、
墨流し染め、
といい、
墨汁または顔料で水面に文様を作り、それを紙や布に吸いとり、模様を染めとる方法、
で、
藤原時代以前からあったが、もっぱら古筆の料紙の染色に用いられ、墨だけによる一色のものであった。のちに布の染色にも応用されるようになり、江戸時代以後には、墨と藍、墨・藍・紅のものも現われた、
とある(精選版日本国語大辞典)。その方法は、
容器の水面に墨汁を落とし、静かに息を吹きかけるか、あるいは細い竹の先にわずかの油をつけて水面に入れると、水の表面張力によって墨が流れ、同心円の変形した複雑な模様をつくる。それを上からのせた和紙に吸着して写し取るが、二度と同じ文様が得られないという特徴がある、
というもの(日本大百科全書)で、平安時代の、
本願寺本三十六人家集、
が有名である。江戸時代に入ると、
墨のほかに紅や藍(あい)などが加えられ、油脂を用いたりして、複雑な木目形や、雲形などを染めたものが、千代紙や箱や小引出しの内張りなどに用いられた。そしてさらにこれを布地に写すことが開発され、福井県の武生(たけふ)をはじめ、京都などでも行われた、
とある(仝上)。
(「西本願寺本三十六人家集」の「躬恒集」の墨流し https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A2%A8%E6%B5%81%E3%81%97より)
(広場治左衛門(福井県認定無形文化財)による墨流し https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A2%A8%E6%B5%81%E3%81%97より)
「墨(墨)」(漢音ボク、呉音モク)は、
会意兼形声。黑(コク 黒)は「煙突+炎」の会意文字で、煙突のふちに点々と煤のたまったさまを示す。墨は、「土+音符黑」で、土状をなしたすすの固まりのこと。くろい意を含む、
とある(漢字源)。
参考文献;
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
高田祐彦訳注『新版古今和歌集』(角川新字源ソフィア文庫Kindle版)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95
2024年03月20日
虎嘯
子房未虎嘯(子房、未だ虎嘯せざりしとき)
破産不為家(産を破り家を為(おさ)めず)(李白)
の、
虎嘯(こしょう)、
は、文字通り、
虎が吠える、
意で、
虎が吠えれば、風が巻き起こると言われ、風雲に乗じて大事業に乗り出すこと、
をいう(前野直彬注解『唐詩選』)とある。
子房、
とは、
張子房、
漢の高祖の軍師であった、
張良、
字(あざな)は、
子房(しぼう)
という(仝上)。
蕭何、
韓信、
と共に、
漢の三傑、
とされる(精選版日本国語大辞典)。
虎嘯(こしょう)、
は、文字通り、
虎のほえること、
また、
虎のような声でほえたてること、
の意だが、上記李白の詩のように、
英雄、豪傑が世に出て活躍することのたとえ、
として使う(精選版日本国語大辞典)。劉安編『淮南子(えなんじ)』(紀元前139年成立)に、
虎嘯(うそぶ)いて谷風至り、擧(あ)がりて景雲屬す。麒(きりん)鬭ひて日月食し、鯨魚(げいぎよ)死して慧星(けいせい)出づ、
にもとづき、ここから、
英雄が世に現れ、風雲を巻き起こす、
意の、
虎嘯いて谷風至る、
ということわざも生まれている。
虎嘯風生、龍騰雲起、英賢出發、亦各因時(北史・張定和傳)
ともあり、また、
龍吟雲起 虎嘯風生(りゅうぎんずればくもおこり とらうそぶけばかぜしょうず)、
と、
同じ考えや心をもった者は、相手の言動に気持ちが通じ合い、互いに相応じ合うということ。また、人の歌声や笛・琴の音などが、あたかも竜やとらのさけび声が天空にとどろき渡るように響くことをいう、
意で使われる(新明解四字熟語辞典)。
なお、「虎」をめぐっては、「虎」、「虎嵎を負う(とらぐうをおう)」、「虎を養いて自ら患(うれ)ひを招く」、「虎の尾」などで触れた。
「嘯」(ショウ)は、
会意兼形声。「口+音符粛(ショウ 細い、すぼむ)」
とある(漢字源)。
参考文献;
前野直彬注解『唐詩選』(岩波文庫)
簡野道明『字源』(角川書店)
前野直彬注解『唐詩選』(岩波文庫)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95