春霞中し通ひ路なかりせば秋來る雁は帰らざらまし(古今和歌集)、
の、
春霞中し、
に、
詠みこんだのが、
墨流し、
で、
墨を水面に浮かべてできた模様を、髪に移し染める染色法、
とある(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。かつて担当した書物のカバーに墨流しの模様を使った記憶がよみがえる。
(墨流染 精選版日本国語大辞典)
墨流し、
は、
墨汁を水に垂らした際に出来る模様、
または、
その模様を染めたもの、
をいう(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A2%A8%E6%B5%81%E3%81%97)。日本には、
9世紀頃から、中国の墨流し「流沙箋」から伝わったものとされ、中国の初出資料としては、蘇易簡著『文房四譜』(986年)にある、
とされる(仝上)。上述のように、
墨流し、
には、江戸後期の風俗習慣、歌舞音曲を書いた随筆『嬉遊笑覧(きゆうしょうらん)』(喜多村信節)に、
小豆粉あずきこ一匁、黄柏おうはく五分、明礬みょうばん一分、これを麻切に包み、水にて湿し紙にひたし、その上に文字にても絵にても(墨で)書きて水の内に浮め、細き竹串にて紙を突けば、紙は底に沈み、書きたる墨ばかり水上に浮み残るなり、
とある、
水の上に字や絵をかく画法、
をいうものと、
水面に墨汁または顔料を吹き散らし、これを布や紙の面に移して曲線文様を製出する染法、
をいうものとがある(広辞苑)。前者は、平安時代後期、
王朝貴族が川に墨を流し模様の変化を楽しんだ遊び、
であった(https://euphoric-arts.com/art-2/suminagashi/)ともされ、後者は、
墨流し染め、
といい、
墨汁または顔料で水面に文様を作り、それを紙や布に吸いとり、模様を染めとる方法、
で、
藤原時代以前からあったが、もっぱら古筆の料紙の染色に用いられ、墨だけによる一色のものであった。のちに布の染色にも応用されるようになり、江戸時代以後には、墨と藍、墨・藍・紅のものも現われた、
とある(精選版日本国語大辞典)。その方法は、
容器の水面に墨汁を落とし、静かに息を吹きかけるか、あるいは細い竹の先にわずかの油をつけて水面に入れると、水の表面張力によって墨が流れ、同心円の変形した複雑な模様をつくる。それを上からのせた和紙に吸着して写し取るが、二度と同じ文様が得られないという特徴がある、
というもの(日本大百科全書)で、平安時代の、
本願寺本三十六人家集、
が有名である。江戸時代に入ると、
墨のほかに紅や藍(あい)などが加えられ、油脂を用いたりして、複雑な木目形や、雲形などを染めたものが、千代紙や箱や小引出しの内張りなどに用いられた。そしてさらにこれを布地に写すことが開発され、福井県の武生(たけふ)をはじめ、京都などでも行われた、
とある(仝上)。
(「西本願寺本三十六人家集」の「躬恒集」の墨流し https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A2%A8%E6%B5%81%E3%81%97より)
(広場治左衛門(福井県認定無形文化財)による墨流し https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A2%A8%E6%B5%81%E3%81%97より)
「墨(墨)」(漢音ボク、呉音モク)は、
会意兼形声。黑(コク 黒)は「煙突+炎」の会意文字で、煙突のふちに点々と煤のたまったさまを示す。墨は、「土+音符黑」で、土状をなしたすすの固まりのこと。くろい意を含む、
とある(漢字源)。
参考文献;
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
高田祐彦訳注『新版古今和歌集』(角川新字源ソフィア文庫Kindle版)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95