2024年03月21日
已矣(やんぬるかな)
覇図悵已矣(覇図(はと)、悵(ああ)已んぬるかな)
驅馬復歸來(馬を驅りて復た歸り來(きた)る)(陳子昂・薊丘覧古)
の、
悵、
は、
歎いたり恨んだりして、心の痛む時の間投詞、
で、また、
歎き怨むという意味もあり、ここで動詞にとって、
已みぬるを痛み、
と読むこともできる(前野直彬注解『唐詩選』)とある。また、
已矣(イイ)、
は、
おしまいになってしまった、
の意(仝上)である。
やんぬるかな、
は、
已矣哉(イイサイ)、
已矣乎(イイコ)、
已矣、
の訓読み、
已んぬる哉、
と当て、
「やみぬるかな」の転、
で、
已矣哉(やんぬるかな)國に人無し 我を知るもの(な)し(楚辞・離騒)、
と、
もうおしまいだ、
どうしようもない、
と、
慨嘆・絶望の辞、
を表わし、「已矣」「已矣乎」「已矣哉」などの漢文訓読みに使う(広辞苑・大辞林)。
已矣(ヤンヌルカナ)市に五勺の升あらば(俳諧「俳諧新選(1773)」)、
は、『論語』の、
子曰、已矣乎、吾未見能見其過而内自訟者也(子曰く、已んぬるかな、吾未だ能く見その過(あやま)ちを見て内に自(みずか)ら訟(せ)むる者を見ざる也)、
を背景にしている(精選版日本国語大辞典)。
「已」(イ)は、
象形。古代人がすき(農具)に使った曲がった木を描いたもの。のち、耜(シ すき)・以(イ 工具で仕事をする)・已(やめる)などの用法に分化した。已(やめる)は、止(とまる)・俟(イ 止まって待つ)に当てた用法。また、以に当てて用いる、
とある(漢字源)。別に、
象形。農具の「すき」を象ったもの。他に「㠯」「厶(以)」など。「やめる」「すでに」の意は音を仮借したもの、
とも(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%B7%B2)、
もと、巳(シ)との区別はなかったが、のち、その字の一部を変え音も変えて、借りて、助字に用いる。一説に、㠯(イ)(以の古字)の字形の変わったものという、
とも(角川新字源)、
象形文字です。「農作業に使う農具:すき」の象形から、「すき」の意味を表しました(耜(シ)の原字)。借りて(同じ読みの部分に当て字として使って)、「やむ」、「すでに」、「のみ」等の意味で使用されるようになりました、
ともある(https://okjiten.jp/kanji2432.html)。
已、
は、
畢りなり、全くをはる義、
とある(字源)。
「矣」(イ)は、「行矣」で触れたように、
象形。「ム+矢」と書くが、実は、「匕+矢」が正しく、人が後ろを向いてとまったさまをえがいたもの。疑の左側の部分と同じ。文末につく、「あい」という嘆声であり、断定や慨嘆の気持を表す。息が仕えてとまるの意を含む、
とあり(漢字源)、
断定や推定の語気を表わすことば、
で、
……するぞ、
……となるぞ、
の意(仝上)とする。
参考文献;
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)
前野直彬注解『唐詩選』(岩波文庫)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95