還家萬里夢(家へ還る 万里の夢)
為客五更愁(客(かく)と為(な)る 五更の愁い)(張謂・同王徴君洞庭有懐)
の、
五更、
は、
夜明けに近い時刻、
とある(前野直彬注解『唐詩選』)。昔は、夜の時間を五つに等分し、
初更、二更、……五更、と順番を付けた(仝上)とある。
つまり、一夜を、
初更(しょこう 甲夜(こうや)、ほぼ午後7時〜9時)、
二更(にこう 乙夜(いつや)、午後9時〜11時)、
三更(さんこう 丙夜(へいや)、午後11時〜午前1時)、
四更(しこう 丁夜(ていや)、午前1時〜3時)、
五更(ごこう 戊夜(ぼや)、午前3時〜5時)、
に分けた称で、
五更、
は、
寅(とら)の刻、
に当たり、
戊夜(ぼや)、
つまり、
暁、
をいう(広辞苑)。古くは、中国で、
五夜(ごや)、
ともいい、すなわち日没から日の出までを五等分して、
甲、乙、丙、丁、戊(ぼ)、
の五つとし、
甲夜(こうや 初更(しょこう)、おおよそ現在の七時から九時頃、戌(いぬ)の刻、初夜とも)、
乙夜(いつや・おつや 二更(にこう)、おおよそ現在の午後九時頃から一一時頃、亥(い)の刻)、
丙夜(へいや 三更(さんこう)、おおよそ現在の午後一一時から午前一時頃にあたるが、子(ね)の刻。三鼓(さんこ)ともいう)、
丁夜(ていや 四更(しこう)、おおよそ現在の午前一時ごろから午前三時ごろ、丑(うし)の刻)
戊夜(ぼや 五更(ごこう)、おおよそ現在の午前三時から五時ころ、寅(とら)の刻)、
と別けた(精選版日本国語大辞典)。
「深更」で触れたように、「更」(漢音コウ、呉音キョウ)は、
会意。丙は股(もも)が両側に張り出したさま。更は、もと「丙+攴(動詞の記号)」で、たるんだものを強く両側に張って、引き締めることを示す、
とある(漢字源)。しかし、「更」には、
初惠遠以山中不知更漏、乃取銅葉製器(唐國史補)、
と、
更漏(こうろう)、
というように、
時を報ずる漏刻(みずどけい)、
の意があり(字源)、また、
五夜者、甲夜、乙夜、丙夜、丁夜、戊夜、衛士甲乙相傳盡五更(漢官舊儀)、
と、
一更毎に夜番の者が交替する、
義もあり(字源)、
甲乙順番に更代する、故に五更ともいふ、
とある(仝上)。
漏刻のかはる時(大言海)、
だから交替するのだから、その元は、時刻の更新なので、
更、
は、
漏刻のかはる義、字典「因時變易刻漏曰更」、
とある(大言海)ように、「刻漏」とは「漏刻」の意である。それが「變易」すること、つまり(時刻が)変わることを「更」という。これが、中国にて、
一夜を、五つに分くる称、
の謂いとして、
初更、又一更、甲夜(こうや)は、午後八時、九時なり、
二更、又乙夜(いつや)は、十時、十一時なり、
三更、又丙夜(へいや)は、十二時、午前一時なり、
四更、又丁夜は、二時、三時なり、
五更、戊夜(ぼや)は、四時、五時なり、
とあるものをわが国でも踏襲している(仝上)。これを、
五夜(ごや)、
という(仝上)。また、
五更、
ともいい、
一夜五更、
というが、
漢魏以来、謂為甲夜、乙夜、丙夜、丁夜、戉夜、……亦云一更、二更、三更、四更、五更、皆以五為節(顔氏家訓)、
とある。ある意味、「更」は、夜全体を指しているので、
午後7時ないし8時から、午前5時ないし6時に至るまで、順次2時間を単位に、
初更(甲夜、一鼓)、
二更(乙夜、二鼓)、
三更(丙夜、三鼓)、
四更(丁夜、四鼓)、
五更(戊(ぼ)夜、五鼓)、
と区切ったことになる(日本大百科全書・精選版日本国語大辞典)。
「漏刻」は、
管でつながった四つまたは三つの箱を階段上に並べ、いちばん上の箱に水を満たし、順に流下して最後の箱から流出する水を、浮箭(=矢 ふせん)を浮かべた容器に受け、矢の高さから時刻を知る、
とあり(百科事典マイペディア・世界大百科事典)、
1昼夜48刻に分け、4刻を1時(とき。辰刻)にはかる、
とある(ブリタニカ国際大百科事典)。「漏」は、
計時用の漏壺を指し、
刻は、
時間の単位(1日は100刻が標準であるが、120刻、96刻、108刻とした時期があった)、
を意味する(仝上)。日本の漏刻は、中国で発明・使用されたものを真似て、
斉明六年(660)中大兄皇子が製作したという所伝が初見。令制では陰陽寮に2人の漏刻博士があり、漏刻によって時刻をはかり、守辰丁(しんてい、ときもり)に鐘鼓を打たせて時を報じた、
とある(仝上)ので、一更、二更……を、一鼓、二鼓……と呼んだものと思われる。
さらに、各一更の時間を、
五等分して、その各分割を一点、二点、三点、四点、五点と称える。もちろん各点は、一更の五分の一に当たる時間帯になる、
とあり(広瀬秀雄『暦(日本史小百科)』)、「夜半」は、三更の中央(三更三点の中央)、
に当たる。詩文などで、「夜半」を言うのに、
三更、
というのは、この意味である。
ただ、
一更、二更、三更、四更、五更、
も、
一点、二点、三点、四点、五点、
も、
時刻点、
を指す言葉ではなく、夜間を五等分した、
時間帯、
をいうので、何時に当たるかには幅がある。特に、江戸時代貞享暦(じょうきょうれき)が使われる時代(1684年以降)は、夜間は、
日暮れから翌日の夜明けまで、
を指したが、江戸初期は、
日没から日出まで、
を指し、季節によって、日暮、夜明けの時刻は異なるので、「更」の長さも異なる。便宜上、日没から日出まで夜間とした、更点時間帯と現在の時刻制度とは、年間を通してかなり変動する。
(更点法と現在時刻 広瀬秀雄『暦(日本史小百科)』より)
例えば、現在の時刻で、一更は、
春は午後六時三〇分頃から八時三〇分すぎまで、夏は午後七時四〇分頃から九時すぎまで、秋は午後六時すぎから八時二〇分頃まで、冬は午後五時すぎから七時四〇分頃まで、
二更は、
現在のおよそ午後九時から一一時頃。また、午後一〇時から午前零時頃、
三更は、
春は午後一〇時四〇分頃から零時五〇分頃まで、夏は午後一一時前頃から零時三〇分頃まで、秋は午後一〇時頃から零時三〇分頃まで、冬は午後一〇時二〇分頃から零時五〇分頃まで、
四更は、
春は午前一時頃から三時頃まで、夏は午前零時半頃から二時すぎまで、秋は午前零時半頃から二時半すぎまで、冬は午前一時頃から三時すぎまで、
五更は、
春は午前三時頃から五時頃まで、夏は午前二時頃から四時頃まで、秋は午前二時半すぎから五時頃まで、冬は午前三時二〇分すぎから六時頃まで、
と、幅を持たせた時間帯になる(精選版日本国語大辞典)。
ちなみに、時刻は、いま、
真夜中(午前零時)から真昼(午後零時)までを午前、真昼から真夜中までを午後とし、そのおのおのを12等分(または午前・午後を通して24等分)する、
が、昔は、
12辰刻、
が広く行われた。これは夜半を九つ、一刻を終わるごとに八つ・七つ・六つ・五つ・四つとし、正午を再び九つとして四つに至る区分である。また、時刻を方位に結びつけ、一日を十二支に配して12等分し(夜半前後一刻を子(ね)の刻とする。午前零時から午前2時までを子の刻とする説もある)、一刻の前半・後半を初刻と正刻に分け、さらにまた四分などする区分もあった。この区分は、後に一刻を上・中・下に三分するようになった。また民間では、日出・日没を基準に定めて、明六つ・暮六つとし、昼間・夜間をそれぞれ6等分して、四季に応じて適当な分割による時刻をも定めた、
とある(広辞苑)
(時の区分 広辞苑)
なお、「時」については触れたが、「初夜」、「夜半」、「深更」、「よひ」、「ゆふ」についても触れた。
参考文献;
広瀬秀雄『暦(日本史小百科)』(近藤出版社)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
前野直彬注解『唐詩選』(岩波文庫)
ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95