2024年03月28日

遊絲


百丈遊絲爭繞樹(百丈の遊絲は争って樹を繞(めぐ)り)
一群嬌鳥共啼花(一群の嬌鳥(きょうちょう)共に花に啼く)

の、

嬌鳥、

は、

美しい声でさえずる鳥、

の意、

遊絲、

は、

蟲の吐く糸が空中を浮遊しているもの。春の風物である、

とある(前野直彬注解『唐詩選』)。

遊絲(イフシ)、

は漢語で、

晻曖矚遊絲(梁武帝詩)、

と、

快晴の日に蜘蛛の網の如きものが空中に見える現象、

を意味し(字源)、和語では、

いとゆふ(いという)、

という。これは、

漢語「遊絲(陽炎)」の影響を受けた語、

とあり(岩波古語辞典)、本来、漢語「遊絲」の、

蜘蛛の子が銀色の糸なびかせながら空中を流れている現象をさす。和歌ではその「遊絲」を題として「いとゆう」がつくられたものか、

ともある(日本語源大辞典)。そして、

「遊絲」が空中をあるかなきかに浮遊する現象であるため、地面から立ちのぼる大気が揺らめいてみえる気象現象の「陽炎(かげろう)」との混乱が生じたとされる、

とある(仝上)。しかし漢語「遊絲」には、

陽炎(かげろう)、

の意味もあり(字源)、

陽炎、
野馬、

と同義とある(仝上)。因みに、「野馬」は、

野馬也、塵埃也、生物之以息相吹也(逍遥遊)、

と、

陽炎、

の意で、

遊気蔽天、日月失色(晋書)、

とある、

空中にたなびく雲気、

の意の、

遊気、

とも、意味は少しずれるが、重なる(仝上)とある。ついでに「陽炎」は、

陽焔、

と同じで、

龍樹大士曰、日光者微塵、風吹之野中轉、名之爲陽焔(庶物異名疏)、

と、

遊絲、

と同義(仝上)とある。このため、たしかに、室町末期「三体詩」の注釈書の総称「三体詩抄」に、

三月の時分に、日ののどかなる頃に、野外などに出て見れば、空中にちろちろと日に輝いて糸のやうなるものが見ゆるぞ、……本邦にて、いというと云ふ物ぞ、

とあるものの、鎌倉中期の「万葉集」の注釈書「仙覚抄(万葉集註釈)」(仙覚)には、

かげろふとは、春になりぬれば、日のうららかにてりたるに、炎のもゆるやうに見ゆるなり。いとゆふもおなじことなり、

と、同一視している。ちなみに、

いという、

を、歴史的仮名遣、

いとゆふ、

とするのは平安時代以来の慣用による(精選版日本国語大辞典・日本語源大辞典)。

いという、

は、

あそぶいと(遊ぶ糸)、

ともいうのは、

漢語に陽炎を、遊絲とも云ふを、文字読みに、あそぶいとと云ふなり、それを、几帳の絲結(いとゆひ)の浮遊(あそ)び揺曳(ゆらめ)くに寄せ、陽炎のたなびくに見立てて、あそぶいとゆふ云ふらむ、それを上略して、いとゆふとのみも云ふ、漢語の遊絲も、揺曳する絲の意なるべし、

とあるように、

遊絲、

の文字読みである(大言海)が、

陽炎の異称、

でもある(仝上)とする。大言海は、これをもとに、

いとゆふ、

の語源を、

漢語「遊絲」の文字読みアソブイトを、几帳のイトユヒ(絲結)に寄せてアソブイトユウと云ふ。その上略、

とする(仝上・碩鼠漫筆)。

糸結(いとゆひ)、

は、

夕暮れに、公達、御簾あげて、いとゆひの御几帳ども、立てわたし(宇津保物語)、

と、

几帳(きちょう)の飾りに懸くる緒の、處處揚巻に結ひて垂れたるもの、

をいい(大言海)、「揚巻」とは、

輪を左右に出し、中を石畳 (いしだたみ) に結び、房を垂らす、

のを言う。

揚巻.jpg

(揚巻 デジタル大辞泉より)


几帳.jpg


普通に考えると、

いとゆふ、

いとゆひ、

の先後は、逆かもしれない。別に、

イト(糸)タユタフの義(日本語原学=林甕臣)、

ともあり、

遊絲、

から見ると、こちらのような気がするが、

遊絲、

の受容仮定を考えると、後付けの説のように思えなくもない。

陽炎(かげろう)、

は、

(揺れて光る意の)かぎろふの転。ちらちらと光るものの意が原義。あるかなきかの、はかないものの比喩に多く使う(岩波古語辞典)、
かぎろひ、カゲロヒの転(和訓栞)、
カギロヒの転(大言海)、

とあり、

かぎろひ、

は、

陽炎、
火光、

などと当て(大言海・日本語源大辞典)、

カガヨフ・カグツチ(迦具土・火神)と同根。揺れて光る意。ヒは火(岩波古語辞典)、
爀霧(カガキラヒ)の約轉(軋合(きしりあ)ひ、きしろひ)、かぎろふと云ふ動詞の名詞形なるか、かげろふと云ふ動詞あり、此轉なるべし(大言海)、
カギルヒ(炫日・炫火)の転呼。カギルは、カガヤクと同義(雅言考・日本古語大辞典=松岡静雄)、

等々あるが、

ともし火の影にかがよふうつせみの妹が笑(え)まひし面影見ゆ(万葉集)、

の、

静止したものがきらきらと光って揺れる、

の意の、

かがよふ、

とつながるのではあるまいか。

「遊」.gif

(「遊」 https://kakijun.jp/page/1268200.htmlより)


漢字「遊」(漢音ユウ、呉音ユ)は、「遊ぶ」で触れたように、

会意兼形声。原字には二種あって、ひとつは、「氵+子」の会意文字で、子供がぶらぶらと水に浮くことを示す。もうひとつは、その略体を音符とし、吹き流しの旗の形を加えた会意兼形声文字(斿)で、子供が吹き流しのようにぶらぶら歩きまわることを示す。游はそれを音符とし、水を加えた字。遊は、游の水を辶(足の動作)に入れ替えたもの。定着せずに、揺れ動くの意を含む、

とあり(漢字源)、原義は、「きまったところに留まらず、ぶらぶらする」意である。別に、

会意形声。「辵」+音符「斿」、「斿」は「㫃」+音符「汓」、「汓」は子供が水に浮かぶ様、「㫃」は旗を持って進む様子であり、あわせて旗などがゆらゆら動く様を言う。「游」と同音同義、「游」は説文解字に採録されているが、「遊」は採録されておらず、「游」の水のイメージを、「辵」に替え陸上の意義にしたものかhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%81%8A

とあるのは、同趣旨だが、別に、

辵と、ゆれうごく意と音とを示す斿(ゆう)とから成り、ゆっくり道を行く、ひいて「あそぶ」意を表わす(新字源)、

会意兼形声文字です(辶(辵)+斿)。「立ち止まる足の象形と十字路の象形」(「行く」の意味)と「旗が風になびく象形」と「乳児(子供)の象形」から子供が外で「あそぶ」を意味する「遊」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji416.html

等々の解釈もある。

「絲」.gif

(「絲(糸)」 https://kakijun.jp/page/ito12200.htmlより)


「糸」 金文・殷.png

(「糸」 金文・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%B3%B8より)

「絲(糸)」(①シ、②漢音ベキ、呉音シャク)は、

会意文字。絲は、糸(ベキ)を二つ並べたもので、より糸のこと。いま、ベキ(糸)をシ(絲)の略字に使ってシとよむ。小さく細かい意を含む、

とある(漢字源)。①は、「いと」の意。②は蚕の繭からとった細い原糸、中国では綫(セン)・線といい、糸(シ)とはいわない(仝上)とする。同趣旨で、

①(糸)象形。繭からつむぎ出してより合わせた細い生糸の形にかたどり、よりいと、ひいて「いと」の意を表す。教育用漢字はこれによる、
②(絲)会意。糸を二つならべて、蚕が引き続いてはき出す、きいとの意を表す。また、「いと」の総称とされる、

とも(角川新字源)、

(糸は)象形文字です。「よりいと」の象形から「いと」を意味する「糸」という漢字が成り立ちました(「絲」は会意文字です)、「糸」は「絲」の略字です、

ともhttps://okjiten.jp/kanji193.htmlあるが、これらの説が根拠とする、『説文解字』では、

「糸」は「覛(ベキ)」と読み「絲」とは別字として扱われているが、それを支持する証拠はない。甲骨文字や金文では「糸」と「絲」の用法には違いがない、

としhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%B3%B8

象形。束ねた糸を象る「いと」を意味する漢語{絲 /*sə/}を表す字、

とする(仝上)。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
簡野道明『字源』(角川書店)
前野直彬注解『唐詩選』(岩波文庫)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 03:54| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする