2024年03月31日

桃李蹊


倶遨侠客芙蓉剣(倶(とも)に遨(むか)う侠客芙蓉の剣)
共宿娼家桃李蹊(共に宿る娼家桃李の蹊(けい))(盧照鄰・長安古意)

の、

桃李蹊、

は、

蹊は小道、桃や李の花咲く小道、

をいい、「漢書」李陵伝に引用されていることわざに、

桃李は言わざれども、下自ずから蹊をなす、

とあるのをふまえる(前野直彬注解『唐詩選』)とある。

桃李(トウリ)、

は、

何彼穠矣、華如桃李(詩経)、

と、

桃とすもも、

あるいは、

桃の花とすももの花、

意で、万葉集にも、

眺矚春苑桃李花作二首、

として、

春の苑紅にほふ桃の花下照る道に出で立つ少女、

とあり、さらに、転じて、

一日声名徧天下、満城桃李属春官(劉禹錫「継和礼部王侍郎放榜後詩」)、

によって、

試験官が採用した門下生、
自分が推挙した人材、
自分がとりたてた弟子、

といった意味にも使われ、

姚元崇等數十人、皆狄仁傑所薦、或謂仁傑曰、天下桃李、盡在公門矣、仁傑曰、薦賢為國、非為私也(唐書)、

とあり(字源・精選版日本国語大辞典)、優秀な門下生が多く集まることを、

桃李門に満つ(とうりもんにみつ)、

ともいうhttps://kokorogoan.com/proverb-tourimonoiwazaredomoshitaonozukaramichiwonasu/

桃李蹊、

の、

桃李不言下自成蹊(桃李は言わざれども下自ずから蹊をなす)、

は、

桃李は華實あるを以て、招かざれども、人争ひ赴きて徑(こみち)を成す、

意で、

徳ある人は言わざれども、人自ら帰服するに喩ふ、

とある(字源)。

李広.jpg


史記・李将軍傳讃贊に、

太史公曰、傳曰、其身正、不令而行、其身不正、雖令不従、其李将軍之謂也、余睹李将軍、悛悛如鄙人、口不能道辞、及死之日、天下知與不知、皆為盡哀、彼其忠實心、誠信於士大夫也、諺曰桃李不言下自成蹊、此言雖小、可以喩大也、

とある。李将軍とは、

李広、

のことでhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E5%BA%83に詳しい)、最後は、匈奴との戦いに遅れたことを大将軍衛青に咎められ、

広結髪与匈奴大小七十余戦。今幸従大将軍出接単于兵、而大将軍又徙広部。行回遠、而又迷失道。豈非天哉。且広年六十余矣。終不能復対刀筆之吏。遂引刀自剄(広結髪してより匈奴と大小七十余戦す。今幸ひに大将軍に従ひ出でて単于の兵接せんとするも、大将軍又広の部を徙せり。行回遠にして、又迷ひて道を失ふ。豈に天に非ずや。且つ広は年六十余なり。終に復た刀筆の吏に対する能はず。遂に刀を引きて自剄す)、

と自裁するhttp://www.maroon.dti.ne.jp/ittia/ShikiPP/LastOfRiKoh.html。李広には、

李広は虎に母を食べられて、虎に似た石を射たところ、その矢は羽ぶくらまでも射通した。のちに石と分かってからは矢の立つことがなく、のちに石虎将軍といわれた、

という伝説もある。

「蹊」.gif


「蹊」(漢音ケイ、呉音ゲ)は、

会意兼形声。「足+音符蹊(ケイ ひも、ひものように細い)」、

とある(漢字源)。「こみち」の意である。

参考文献;
簡野道明『字源』(角川書店)
前野直彬注解『唐詩選』(岩波文庫)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

posted by Toshi at 03:38| Comment(0) | 言葉 | 更新情報をチェックする