2024年04月01日

桑田碧海


節風風光不相待(節風風光、相待たず)
桑田碧海須臾改(桑田碧海、須臾にして改まる)(盧照鄰。長安古意)

の、

桑田碧海(そうでんへきかい)、

は、

麻姑という仙女が王方平という仙人と宴会をしたとき、「この前お会いしてから、東の海が桑畑に変わり、また海になったのを三度みました」と語ったという故事にもとづく。人の世の変転のはげしいことにたとえる、

とある(前野直彬注解『唐詩選』)。

桑田碧海、

は、

桑田変成碧海、

つまり、

桑田変じて碧海となる、

意で、

已見松柏摧為薪、更聞桑田変成海(劉廷芝)、

獨往不可羣、滄海成桑田(儲光義)、

等々漢詩でしばしば見かけ、

滄桑之変(そうそうのへん)、
滄海桑田(そうかいそうでん)、
桑海之変(そうかいのへん)、
桑田滄海(そうでんそうかい)、
陵谷遷易(りょうこくせんえき)、
陵谷之変(りょうせんのへん)、

等々とも言い(字源)、

陵谷遷易(りょうこくせんえき)、

の、

遷易、

は、

天道有遷易、人理無常全(陸機)、

と、

移り変わる、

意で、

陵谷易處、

というと、

陵谷易處、列星失行(漢書)、

と、

高下其の位をかえ、尊卑その順序を失う、

義になる(仝上)。

また、すこし時間のスケールが小さくなるが、

古墓鋤為田、松柏摧為薪、白楊多悲風、蕭蕭愁殺人(文選)、

の、

古墓鋤かれて田と為り松柏摧かれて薪(たきぎ)となる、

というのも同じ意味になる(故事ことわざの辞典)。

麻姑.jpg


桑田碧海、

の元は、晋代の「神仙伝」にあり、

漢の桓帝の時代、神仙の王遠とともに麻姑が蔡経の家に降臨し、そこで宴会を開き神仙世界のことを語った、

という記事が見え、麻姑(まこ)の言葉の中で、

以前お会いしてから、すでに東の海が干上がって桑畑になり、また海に戻るのを三度見ました、

とある(四字熟語を知る辞典)のによる。

麻姑(まこ)、

は、

その容姿は歳の頃18、19の若く美しい娘で、鳥のように長い爪をしている、

というhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BA%BB%E5%A7%91。蔡経は、その爪をみて、

長爪の仙女。「まごの手」は麻姑の手。〔太平広記、六十、麻姑〕姑は鳥爪なり。經之れを見て、心中に念言す。背の大いに癢(かゆ)き時、此の爪を得て以て背を爬(か)かば、當(まさ)に佳なるべし、

と(字通)思う。この結果、王遠に背を鞭で打たれることになるのだが、この、

麻姑の手、

が、転じて、

孫の手、

となったとされる(世界大百科事典・精選版日本国語大辞典)所以である。

「碧」.gif

(「碧」 https://kakijun.jp/page/1471200.htmlより)

「碧」(漢音ヘキ、呉音ヒャク)は、

会意兼形声。「玉+石+音符白(ほのじろい)」。石英のようなほの白さが奥にひそむあお色。サファイア色、

とある(漢字源)。別に、

形声文字、音符「珀」+ 「石」https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%A2%A7
形声。石と、玉(王は省略形。たま)と、音符白(ハク)→(ヘキ)とから成る(角川新字源)、
会意兼形声文字です(王(玉)+白+石)。「3つの玉を縦の紐で貫き通した」象形(「玉」の意味)と「頭の白い骨又は、日光又は、どんぐりの実」の象形(「白い、輝く」の意味)と「崖の下に落ちている石」の象形(「石」の意味)から、「輝きのある玉のような石」を意味する「碧」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji2357.html

等々ともある。

参考文献;
簡野道明『字源』(角川書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
前野直彬注解『唐詩選』(岩波文庫)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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2024年04月02日

鶴髪


宛轉娥眉能幾時(宛轉たる娥眉、能く幾時ぞ)
須臾鶴髪亂如絲(須臾にして鶴髪(かくはつ) 亂れて絲の如し)(劉廷芝・代悲白頭翁)

の、

鶴髪(かくはつ)、

は、

鶴のように白い髪、北周の庾信の「竹杖の賦」に、老人を形容して、「鶴髪雞皮」とあるのにもとづく、

とある(前野直彬注解『唐詩選』)。つまり、

鶴髪(かくはつ)、

は、

鶴髪雞皮
蓬頭歷歯(庾信(ゆしん)「竹杖賦」)、

と、

白髪(しらが)、

の意である(大言海)が、

鶴髪童顔、
童顔鶴髪、

という言い方がある。

頭は白髪であるが、顔がつやつやして子供のようであること、

また、

そういう人、

を指して言う(広辞苑)。

老人の元気のあること、
老いてなお精気盛んなこと、

である(新明解四字熟語辞典)。

鶴髪、

を訓読した、

鶴の髪(つるのかみ)、

という言い方もする(広辞苑)。

劉廷芝(りゅうていし)、

の、

廷芝、

は字、

庭芝、

とも、

劉希夷(りゅうきい)、

として知られるが、一説に、

名が庭芝で字が希夷、

ともいわれる(ブリタニカ国際大百科事典・https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%89%E5%B8%8C%E5%A4%B7)。

代悲白頭翁、

の、

年年歳歳 花相似たり
歳歳年年 人同じからず

がよく知られている(前野直彬注解『唐詩選』)。

「鶴」.gif

(「鶴」 https://kakijun.jp/page/2107200.htmlより)

「鶴」(漢音カク、呉音ガク)は、

会意兼形声。隺(カク)は、鳥が高く飛ぶこと、鶴はそれを音符とし、鳥を加えた字。確(固くて白い石)と同系なので、むしろ白い鳥と解するのがよい、

とある(漢字源)。別に、

会意形声。鳥と、隺(カク)(つる)とから成る(角川新字源)、


会意兼形声文字です(隺+鳥)。「横線1本、縦線2本で「はるか遠い」を意味する指事文字と尾の短いずんぐりした小鳥の象形」(「鳥が高く飛ぶ」の意味)と「鳥」の象形から、その声や飛び方が高くて天にまでも至る鳥「つる」を
意味する「鶴」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji2168.html

などともある。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前野直彬注解『唐詩選』(岩波文庫)

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2024年04月03日

仮名文学の濫觴


高田祐彦訳注『新版古今和歌集』を読む。

古今和歌集.jpg


漢詩から和歌へと立ち戻ろうとする、いわば脱唐風の流れと、仮名の誕生とによって、仮名による文学表現の嚆矢ともいうべきものとして位置づけられる。漢字を真名というのに対して、かなを仮名と当てた意図については、高橋睦郎『漢詩百首』で触れたが、それは、

日本人は中国から文字の読み書きを教わると同時に、花鳥風月を賞でることも学んだ。花に関してはとくに梅を愛することを学んだが、そのうち自前の花が欲しくなり桜を賞でるようになった、

と、唐風のものから、日本的な物へとシフトしていくその頂点のところに、

古今和歌集、

があると考えると、本歌集に、

真名序、

仮名序、

がある意味も見えてくる。仮名序の

花に鳴く鶯、水に住むかはづの声を聞けば、生きとし生けるもの、いづれか歌をよまざりける。力をも入れずして、天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、男女の仲をもやはらげ、たけき武士の心をもなぐさむるは歌なり、

という紀貫之の昂った言い方も、何か納得ができる気がする。本歌集は、基本、

万葉集に入らぬ古き歌、みづからのをも奉らしめたまひてなむ、それが中にも、梅をかざすよりはじめて、ほととぎすを聞き、紅葉を折り、雪を見るにいたるまで、また、鶴亀につけて君を思ひ、人をも祝ひ、秋萩夏草を見て妻を恋ひ、逢坂山に至りて手向けを祈り、あるは春夏秋冬にも入らぬくさぐさの歌をなむえらばせたまひける、

として、

すべて千歌、二十巻、名づけて古今和歌集といふ、

とするが、正確には、

二十巻、1100首、

このうち、四季が、

六巻、

恋が、

五巻、

その他、

賀、
哀傷歌、
雜歌、
物名、

等々となる。

1100首のうち、勝手読みで、約一割、111首を、自分の好みを選び出してみた。巧拙を判断するよりは、心に響いたものということになる。

雪のうちに春は来にけり鶯のこほれる涙今やとくらむ(よみ人知らず)
春立てば花とや見らむ白雪のかかれる枝に鶯の鳴く(素性法師)
心ざしふかくそめてしをりければ消えあへぬ雪の花と見ゆらむ(よみ人知らず)
霞立ち木(こ)の芽もはるの雪降れば花なき里も花ぞ散りける(紀貫之)
春来(き)ぬと人はいへども鶯の鳴かぬかぎりはあらじとぞ思ふ(壬生忠岑)
春の着る霞の衣ぬきをうすみ山風にこそ乱るべらなれ(在原行平)
人はいさ心もしらずふるさとは花ぞ昔の香ににほひける(紀貫之)
梅が香を袖にうつしてとどめてば春は過ぐとも形見ならまし(よみ人知らず)
世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし(在原業平)
見わたせば柳桜をこきまぜて都ぞ春の錦なりける(素性法師)
春霞たなびく山の桜花うつろはむとや色かはりゆく(よみ人知らず)
一目見し君もや来ると桜花けふは待ち見て散らば散らなむ(紀貫之)
ひさかたの光のどけき春の日に静心なく花の散るらむ(紀友則)
春の色のいたりいたらぬ里はあらじ咲ける咲かざる花の見ゆらむ(よみ人知らず)
春ごとに花のさかりはありなめどあひ見むことは命なりけり(仝上)
花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに(小野小町)
濡れつつぞしひて折りつる年のうちに春はいくかもあらじと思へば(在原業平)
桜花散らば散らなむ散らずとてふるさと人の来ても見なくに(惟喬親王)
夏の夜のふすかとすればほととぎす鳴くひと声に明くるしののめ(紀貫之)
夏と秋とゆきかふ空のかよひぢはかたへ涼しき風や吹くらむ(凡河内躬恒)
秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる(藤原敏行)
けふよりは今来む年のきのふをぞいつしかとのみ待ちわたるべき(壬生忠岑)
木の間よりもりくる月の影見れば心づくしの秋は来にけり(よみ人知らず)
月見ればちぢにものこそかなしけれわが身一つの秋にはあらねど(大江千里)
秋風に声をほにあげて来る舟は天(あま)の門(と)わたる雁にぞありける(藤原菅根)
憂きことを思ひつらねてかりがねの鳴きこそわたれ秋の夜な夜な(凡河内躬恒)
女郎花(をみなへし)秋の野風にうちなびき心一つを誰に寄すらむ(左大臣)
なに人か来てぬぎかけし藤袴来る秋ごとに野辺をにほはす(藤原敏行)
白露の色は一つをいかにして秋の木の葉をちぢにそむらむ(仝上)
紅葉せぬときはの山は吹く風の音にや秋をききわたるらむ(紀淑望)
月草に衣はすらむ朝露にぬれてののちはうつろひぬとも(よみ人知らず)
露ながら折りてかざさむ菊の花老いせぬ秋の久しかるべく(紀友則)
秋風にあへず散りぬるもみぢ葉のゆくへ定めぬわれぞかなしき(よみ人知らず)
吹く風の色のちくさに見えつるは秋の木の葉の散ればなりけり(仝上)
ちはやぶる神代もきかず竜田川韓紅に水くくるとは(在原業平)
竜田姫たむくる神のあればこそ秋の木の葉のぬさと散るらめ(兼覧王)
夕月夜(ゆうづくよ)をぐらの山に鳴く鹿の声のうちにや秋は暮るらむ(紀貫之)
大空の月の光しきよければ影見し水ぞまづこほりける(よみ人知らず)
雪降れば冬ごもりせる草も木も春に知られぬ花ぞ咲きける(紀貫之)
冬ながら空より花の散りくるは雲のあなたは春にやあるらむ(清原深養父)
花の色は雪にまじりて見えずとも香をだににほへ人の知るべく(小野篁)
きのふといひけふとくらしてあすか川流れて早き月日なりけり(春道列樹)
立ち別れいなばの山の峰に生(お)ふるまつとし聞かば今帰り來む(在原行平)
思へども身にしわけねば目に見えぬ心を君にたくへてぞやる(伊香子淳行)
白雲こなたかなたに立ちわかれ心をぬさとくだく旅かな(良岑秀崇)
別れてふことは色にもあらなくに心にしみてわびしかるらむ(紀貫之)
別れをば山の桜にまかせてむとめむとめじは花のまにまに(幽仙法師)
むすぶ手のしづくににごる山の井のあかでも人に別れぬるかな(紀貫之)
(手にむすぶ水にやどれる月影のあるかなきかのよにこそありけれ(拾遺集 紀貫之)
天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも(安倍仲麿)
名にしおはばいざこととはむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと(在原業平)
北へ行く雁ぞ鳴くなる連れて來(こ)し数は足らでぞ帰るべらなる(よみ人知らず)
このたびは幣(ぬさ)もとりあへず手向山紅葉の錦神のまにまに(菅原道真)
あしひきの山立ち離れ行く雲のやどりさだめぬ世にこそありけれ(小野滋蔭)
秋はきぬ今や籬(まがき)のきりぎりす夜な夜な鳴かむ風の寒さに(よみ人知らず)
散りぬればのちは芥(あくた)になる花を思ひ知らずもまどふてふかな(僧正遍照)
うばたまの夢になにかはなぐさまむうつつにだにもあかぬ心を(清原深養父)
花の色はただひとさかり濃けれども返す返すぞ露は染めける(高向利春)
あぢきなし嘆なつめそ憂きことにあひくる身をば捨てぬものから(兵衛)
花の中目にあくやとて分けゆけば心ぞともに散りぬべらなる(僧正聖宝)
遇ふことは雲居はるかになる神の音に聞きつつ恋ひわたるかな(紀貫之)
つれもなき人をやねたく白露のおくとは嘆き寝とはしのばむ(よみ人知らず)
わが恋はむなしき空にみちぬらし思ひやれどもゆく方もなし(仝上)
人知れず思へば苦し紅(くれなゐ)の末摘花の色にいでなむ(仝上)
秋の野の尾花にまじり咲く花の色にや恋ひむあふよしをなみ(仝上)
思ふにはしのぶることぞまけにける色には出でじと思ひしものを(仝上)
思ふとも恋ふともあはむものなれやゆふ手もたゆくとくる下紐(仝上)
人を思ふ心はわれにあらねばや身のまどふだに知られざるらむ(仝上)
篝火(かがりび)にあらぬわが身のなぞもかく涙の川に浮きて燃ゆらむ(仝上)
秋の田の穂の上をてらすいなづまの光のまにも我やわするる(仝上)
思ひつつ寝(ぬ)ればや人の見えつらむ夢と知りせばさめざらましを(小野小町)
うたたねに恋しき人を見てしより夢てふものはたのみそめてき(仝上)
おろかなる涙ぞ袖に玉はなす我はせきあへずたぎつ瀬なれば(仝上)
わが恋は深山がくれの草なれやしげさまされど知る人のなき(小野美材)
わりなくも寝てもさめても恋しきか心をいづちやらば忘れむ(よみ人知らず)
露ならぬ心を花に置きそめて風吹くごとにもの思ひぞつく(紀貫之)
命にもまさりて惜しくもあるものは見はてぬ夢のさむるなりけり(壬生忠岑)
わが恋はゆくへも知らずはてもなし遇ふを限りと思ふばかりぞ(凡河内躬恒)
起きもせず寝もせで夜を明かしては春のものとてながめくらしつ(在原業平)
よるべなみ身をこそ遠くへだてつれ心は君が影となりにき(よみ人知らず)
いたづらに行きては来ぬるものゆゑに見まくほしさにいざなはれつつ(仝上)
あはぬ夜の降る白雪とつもりなばわれさへともに消(け)ぬべきものを(仝上)
あふことのなぎさにし寄る波なればうらみてのみぞ立ち帰りける(在原元方)
しののめのほがらほがらと明けゆけばおのがきぬぎぬなるぞかなしき(よみ人知らず)
君や來(こ)し我や行きけむ思ほえず夢かうつつか寝てかさめてか(仝上)
むばたまの闇のうつつはさだかなる夢にいくらもまさらざりけり(仝上)
君てへば見まれ見ずまれ富士の嶺(ね)のめづらしげなく燃ゆるわが恋(藤原忠行)
かずかずに思ひ思はず問ひがたみ身を知る雨は降りぞまされる(在原業平)
須磨の海人(あま)の塩焼く煙風をいたみ思はぬ方にたなびきにけり(よみ人知らず)
いつはりのなき世なりせばいかばかり人の言の葉うれしからまし(仝上)
陸奥(みちのく)のしのぶもぢずり誰ゆゑに乱れむと思ふわれならなくに(河原左大臣)
千々の色にうつろふらめど知らなくに心し秋のもみぢならねば(よみ人知らず)
色もなき心を人に染めしよりうつろはむとは思ほえなくに(紀貫之)
月やあらぬ春や昔の春ならぬわが身ひとつはもとの身にして(在原業平)
今はとてわが身時雨に降りぬれば言の葉さへにうつろひにけり(小野小町)
われのみや世を鶯となきわびむ人の心の花と散りなば(よみ人知らず)
うきながら消(け)ぬる泡ともなりななむながれてとだにたのまれぬ身は(紀友則)
流れては妹背の山の中に落つる吉野の川のよしや世の中(よみ人知らず)
寝ても見ゆ寝でも見えけりおほかたはうつせみの世ぞ夢にはありける(紀友則)
なき人の宿にかよはばほととぎすかけて音にのみなくと告げなむ(よみ人知らず)
ついにゆく道とはかねて聞きしかど昨日今日とは思はざりしを(在原業平)
天つ津風雲の通ひ路吹きとぢよをとめの姿しばしとどめむ(良岑宗貞)
今こそあれわれも昔は男山さかゆく時もありこしものを(よみ人知らず)
白雪の八重降りしけるかへる山かへるがへるも老いにけるかな(在原棟簗)
かくしつつ世をやつくさむ高砂の尾上に立てる松ならなくに(よみ人知らず)
都までひびきかよへるからこと(唐琴)は波の緒すげて風ぞひきける(真静法師)
わびぬれば身をうき草の根を絶えてさそう水あらば去(い)なんとぞ思ふ(小野小町)
あはれてふことこそうたて世の中を思ひ離れぬほだしなりけれ(よみ人知らず)
世の中は夢かうつつかうつつとも夢とも知らずありてなければ(仝上)
秋霧の晴れて曇れば女郎花花の姿ぞ見え隠れする(よみ人知らず)
人にあはむつきのなきには思ひおきて胸走り火に心焼けをり(小野小町)
心こそ心をはかる心なれ心のあたはこころなりけり(よみ人知らず)

古今和歌集の特徴は、

事物にせよ、心にせよ、それをそのまま見つめるのではなく、変化や因果関係から捉えるところに古今和歌集の真骨頂がある(編者)、

とする。ある意味で、仮名という自分たちの文字という、表現手段を得て、それを自在に使いまわしている、という感がある。

確かに、技巧的で、作為的な歌が目立つが、ある意味、それは、喩や見立て、掛詞、助詞、枕詞を駆使した、文学的な表現の工夫と見るべきだろう。言葉をこのように巧みに操っていると見れば、それなりの自立した、現実とは次元を異にした表現空間を描き出す、表現のレベルと見ることが出来る。

たとえば、

都までひびきかよへるからこと(唐琴)は波の緒すげて風ぞひきける(真静法師)
こきちらす滝の白玉拾いおきて世の憂きのときの涙にぞかる(在原行平)

というように、

からことという地名を唐琴と見立て、その琴に波が弦として張られ、風が引き鳴らす、

とか、

滝の飛沫を白玉に見立て、木や枝に見立てた滝からしごき落とされて、散らばる、

とかと、現実を映すのではなく、幻想の世界を、二重写しに描き出している。子規の、

柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺

と比較してみれば、表現の奥行きは圧倒的に古今和歌集がまさる。子規の句の是非云々というよりは、古今和歌集の表現手法をいっている。その折り重なった、あるいは折り畳んだイメージの重なりの奥行きは、技巧的であろうとなかろうと、歌の(意味ではなく、表現空間の)深みを、間違いなく表出していることは確かである。

落ちたぎつ滝の水上年つもり老いにけらしな黒き筋なし(忠岑)、

のような、明らかな失敗の仮託もあるにしても、

表現の世界、

の自立を目指したという意図ははっきりしている。つまり、

何を表現するか、

ではなく、

どう表現するか、

の工夫である。だから、

見立て(アナロジー)

喩、

掛詞、

縁語、

を駆使して、一つの言葉に幾つもの意味やイメージを折り畳んでいる。

心あてに折らばや折らむ初霜のおきまどはせる白菊の花(凡河内躬恒)、

を、子規は、

一文半文のねうちも無之駄歌、

と酷評し(「歌よみに与ふる書」)、

嘘の趣向、
初霜が置いた位で白菊が見えなくなる気遣無之候、

とまで言った。虚実皮膜の説で言うなら、

実寄りでなくてはいけない、

と言っているだけだ。

虚に寄れば、どこまでも遠くへ行っていい。

柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺、

は、悪く言えば、実在の、

法隆寺、

を知らなければ、その意味は過半は消えるだろう。

表現の世界の自立、

ということをいうなら、

現実世界を媒介にしながら、唐詩の世界から離脱し、和風の文学表現を工夫した、

ことばによってそれを突き抜けた次元に、もう一つの世界を現出させた(編者)、

という実験の数々ということが出来るのではないか。この文学表現の工夫が、この後の、

日記、物語の仮名散文へとつながる(編者)、

という指摘は重要である。

古今和歌集仮名序.jpg


正岡子規(高浜虚子編)『子規句集』については触れた。

参考文献;
高田祐彦訳注『新版古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)

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2024年04月04日

烏號


赤土流星剣(赤土(せきど) 流星の剣)
烏號明月弓(烏號(うごう) 明月の弓)(楊烱・送劉校書従軍)

の、

赤土、

は、

晋の雷墺が張華の指示に従って地を掘り、名剣を得た。これを華陰(陝西省)に産する赤土で磨くと、更に光輝を増した、

とされ、

流星剣、

は、

呉の孫権が持っていた六振りの宝剣の一つとされる、

とある(前野直彬注解『唐詩選』)。

孫権.jpg


因みに、孫権の持つとされる、

六振りの剣、

とは、

白虹・紫電・辟邪・流星・青冥・百里、

と命名されており、ほかに、孫権は、

百錬・青犢・漏影、

の名をもつ、

三振りの宝刀、

をも所持していた。中国では、直身で(先のとがった)両刃の物を、

剣、

片刃の物を、

刀、

と呼ぶとされる(中国語辞典)。

烏號、

は、

弓の名、

とあり(前野直彬注解『唐詩選』)、

上古の帝王、黄帝(こうてい)が大きな鼎を作り、それが完成したとき、空から龍が降りてきたので、黄帝は龍に乗って昇天した。群臣があとをしたい、龍のひげをつかむと、ひげが抜け、また黄帝の弓が落ちた。人々はこれを抱いて泣いたので、号泣の意味で烏號と名づけた、

といい(仝上)、また別に、

烏が桑の木にとまり、また飛ぼうとするとき、その枝が強靭で弾性に富む場合は、しなうので飛び立てなくなる。そこで烏が鳴きわめくから、その枝を伐って弓を作れば、よい弓が得られる。これを烏號と呼ぶ、

ともいわれる(仝上)。『史記』封禅書には、

黄帝采首山銅、鑄鼎於荊山下。鼎既成、有龍垂胡髯下迎黃帝。黃帝上騎、群臣後宮從上者七十餘人、龍乃上去。餘小臣不得上、乃悉持龍髯、龍髯拔、墮、墮黃帝之弓。百姓仰望黃帝既上天、乃抱其弓與胡髯號、故後世因名其處曰鼎湖、其弓曰烏號、

https://ja.wikisource.org/wiki/%E5%8F%B2%E8%A8%98/%E5%8D%B7028

百姓仰望するに、黄帝既に天に上る。乃ち其の弓と胡(こぜん)とを抱きて號(な)く。故に後世、因りて其の處を名づけて鼎湖と曰ひ、其の弓を烏號(をごう・おごう)と曰ふ、

とある(字通)。で、後世、

其弓曰烏號、

と(字源)。この、

烏號、

の「烏」は、

漢音は「ヲ(オ)、呉音・唐音は「ウ」、

である(漢字源)。

黄帝(武氏祠画像石).jpg

(黄帝(武氏祠画像石) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%84%E5%B8%9Dより)

黄帝、

は、

三皇五帝のひとり、

で、

三皇は神、
五帝は聖人

とされ、諸説あるが、『史記』三皇本紀では、三皇を、

伏羲、女媧、神農、

とし、

天皇・地皇・人皇という説も並記しているhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E7%9A%87%E4%BA%94%E5%B8%9D

五帝、

も、諸説あるが、『史記』五帝本紀では、

黄帝・顓頊(せんぎょく)・嚳(こく)・堯・舜、

とし、司馬遷は、

黄帝伝説は史実とは思っていないが、黄帝伝説のあるところに限って共通の民俗風土があり、いくばくかの史実が紛れ込んでいることは否定できない。よって、これらを記録することに価値を見出すものである、

と断って(仝上)、

五帝を歴史の範疇内、

に置き、彼から中国史を記述しはじめている(旺文社世界史事典)。黄帝は、

姓は公孫、名は軒轅であるといわれる。諸侯を攻める炎帝(神農氏)を阪泉(河北涿鹿(たくろく)県北西)にやぶり、反乱を起こした蚩尤(しゆう)を涿鹿で殺し、帝位につく。四方を平定し、天地自然の運行を調和させ、衣服、舟車、家屋、弓矢などの生活用具を初めてつくるとともに、文字、音律、暦などを制定し、また薬草を試用して人民に医術を教えるなど、人類に文化的生活を享受させた最初の帝王、

とされる(世界大百科事典・日本大百科全書)。で、中国人は、黄帝を漢族の祖先と考えた(旺文社世界史事典)。伝説中の帝王であることは言うまでもないが、戦国時代の斉国の青銅器銘文では、黄帝を高祖と呼んでいるから、東方地域の人々の間には、黄帝を始祖とする伝承があったことはあきらかである(デジタル大辞泉)。司馬遷が、

いくばくかの史実が紛れ込んでいる、

と言っているのはこの辺りを指している。『史記』では、中国の歴史を黄帝から始め、

黄帝以下の顓頊(せんぎよく)・帝嚳(ていこく)・尭・舜、夏殷周三王朝の始祖をすべて黄帝の子孫、

と説明し、黄帝を、

黄河流域の古代文明の始祖、

とみなしていた(仝上)。

「烏」.gif


「烏」 金文・西周.png

(「烏」 金文・西周 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%83%8Fより)

「烏」(漢音ヲ(オ)、呉音・唐音ウ)は、

象形。カラスを描いたもの。アと鳴く声をまねた擬声語、

とある(漢字源)。そこから、黒い」、「黒色」を意味も意味する(https://okjiten.jp/kanji2246.html)。なお、

象形。上を向いて鳴くカラスの形。古くはカラスは目の位置が分からないので「鳥」の横線を欠いたともいわれたが、鳥類をかたどった漢字の甲骨文には目と思われる部分はめったに無く、また金文中では、正面を向いた鳥を象った「鳥」字と、上を向き口を開けて鳴くカラスを象った「烏」字の形状は大きく異なるためこの説は誤りである、

とあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%83%8F

「鳥」甲骨文字・殷.png

(「鳥」甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%B3%A5より)

カラスは全身真っ黒で目がどこにあるかわからないことから、「鳥」の字の目の部分の一画を外して「烏」とした、

との説(角川新字源)は、「鳥」の象形を見ると、それが妥当な説明ではないことがわかる。「」については触れた。

参考文献;
簡野道明『字源』(角川書店)
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
前野直彬注解『唐詩選』(岩波文庫)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

ラベル:烏號 流星剣 黄帝
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2024年04月05日

沙棠の舟


木蘭之枻沙棠舟(木蘭の枻(かい) 沙棠舟)
玉簫金管坐兩頭(玉簫金管 兩頭に坐す)(李白・江上吟)

の、

沙棠(しゃとう)、

は、

崑崙山に生えるという木、

で、それで作った舟を、

沙棠舟、

という(前野直彬注解『唐詩選』)とある。

李白.jpg

(「李白吟行図」(梁楷(南宋)・墨筆画) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E7%99%BDより)

沙棠、

は、

舟材に用いる、

とあり(字通・字源)、

崑崙之丘有木焉、其状如棠、黄葉赤實、其味如李而無核、名曰沙棠、可以禦火、食之使人不溺、焉舟不沈(山海経)、

とあり、この前漢の地理書『山海経』を受けて、梁の志怪小説集『述異志』には、

漢成帝常趙飛燕、游太液池以沙棠木為舟、其木出崑崙山、人食其實入水不溺、詩曰安得沙棠木、刳以為舟舩、

とある(「志怪小説」については触れた)。

崑崙山(こんろんさん・こんろんざん)」は、

中国古代の伝説上の山、

で、「崑崙」は、

昆侖、

とも書き、

霊魂の山、

の意で、

崑崙山(こんろんさん、クンルンシャン)、
崑崙丘(きゅう)、
崑崙虚(きょ)、
崑山、

ともいい(大言海・https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B4%91%E5%B4%99・ブリタニカ国際大百科事典)、中国の古代信仰では、

神霊は聖山によって天にのぼる、

と信じられ、崑崙山は最も神聖な山で、大地の両極にあるとされた(仝上)。中国北魏代の水系に関する地理書『水経(すいけい)』(515年)註に、

山在西北、……高、萬一千里、

とあり、中国古代の地理書『山海経(せんがいきょう)』には、

崑崙……高萬仞、面有九井、以玉為檻、

とあり、その位置は、

瑶水(ようすい)という河の西南へ四百里(山海経)、

とか、

西海の南、流沙(りゅうさ)のほとりにある(大荒西経)、

とか、

貊国(はくこく)の西北にある(海内西経)、

と諸説あり、

その広さは八百里四方あり、高さは一万仞(約1万5千メートル)、

あり、

山の上に木禾(ぼっか)という穀物の仲間の木があり、その高さは五尋(ひろ)、太さは五抱えある。欄干が翡翠(ひすい)で作られた9個の井戸がある。ほかに、9個の門があり、そのうちの一つは「開明門(かいめいもん)」といい、開明獣(かいめいじゅう)が守っている。開明獣は9個の人間の頭を持った虎である。崑崙山の八方には峻厳な岩山があり、英雄である羿(げい)のような人間以外は誰も登ることはできない。また、崑崙山からはここを水源とする赤水(せきすい)、黄河(こうが)、洋水、黒水、弱水(じゃくすい)、青水という河が流れ出ている、

とあるhttp://flamboyant.jp/prcmini/prcplace/prcplace075/prcplace075.html。『淮南子(えなんじ)』(紀元前2世紀)にも、

崑崙山には九重の楼閣があり、その高さはおよそ一万一千里(4千4百万キロ)もある。山の上には木禾があり、西に珠樹(しゅじゅ)、玉樹、琁樹(せんじゅ)、不死樹という木があり、東には沙棠(さとう)、琅玕(ろうかん)、南には絳樹(こうじゅ)、北には碧樹(へきじゅ)、瑶樹(ようじゅ)が生えている。四方の城壁には約1600mおきに幅3mの門が四十ある。門のそばには9つの井戸があり、玉の器が置かれている。崑崙山には天の宮殿に通じる天門があり、その中に県圃(けんぽ)、涼風(りょうふう)、樊桐(はんとう)という山があり、黄水という川がこれらの山を三回巡って水源に戻ってくる。これが丹水(たんすい)で、この水を飲めば不死になる。崑崙山には倍の高さのところに涼風山があり、これに昇ると不死になれる。さらに倍の高さのところに県圃があり、これに登ると風雨を自在に操れる神通力が手に入る。さらにこの倍のところはもはや天帝の住む上天であり、ここまで登ると神になれる、

とある(仝上)。

「沙」.gif


「沙」(漢音サ、呉音シャ)は、「沙喝」で触れたように、

会意。「水+少(小さい)」で、水に洗われて小さくばらばらになった砂、

とあるが、別に、

象形。川べりに砂のあるさまにかたどる。水べの砂地、みぎわの意を表す

とも(角川新字源)、

会意文字です(氵(水)+少)。「流れる水」の象形と「小さな点」の象形から、水の中の小さな石「すな(砂)」を意味する「沙」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji2096.html

「棠」.gif


「尚」 金文・西周.png

(「尚」 金文・西周 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%B0%9Aより)

「棠」(漢音トウ、呉音ドウ)は、

形声、「木+音符尚」、

とあり(漢字源)、「甘棠(カントウ やまなし)」「海棠(カイドウ)」の意である。別に、

形声、声符は尙(尚)(しよう)。尙に堂(どう)・當(当)(とう)の声がある。中国最古の字書『説文解字』(後漢・許慎)に「牡を棠(やまなし)と曰ひ、牝を杜(あかなし)と曰ふ」とあり、甘棠をいう、

ともある(字通)。「尚」(漢音ショウ、呉音ジョウ)は、

会意文字。「向(まど)+八(わかれる)」で、空気抜きの窓から空気が上に立ち上って、分散することを示す。上、下に上がるの意を含む。また、上に持ちあげる意から、あがめる、とうとぶ、身分以上の願いなどの意を派生し、また、その上になお、の意を含む副詞となる、

とある(漢字源)。しかし、これは、『説文解字』の、

「八」+「向」、

という分析をもとにしているが、金文の形を見ればわかるように、これは誤った分析である、

として、

象形。建物を象る。「たかどの」を意味する漢語{堂 /*daang/}を表す字。のち仮借して「そのうえ」を意味する漢語{尚 /*daangs/}に用いる、

とあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%B0%9A。なお、類聚名義抄(11~12世紀)では、

棠 ヤマナシ・アマシ・サス・ツク・ヨル、

と訓ませている(字通)。因みに、

甘棠(かんとう・かんどう)、

というと、

かんとう(甘棠)の詠(えい)、

の故事をふまえて、

ずみ(桷 漢名「棠梨(とうり)」)の古名、

として用いられる。

ズミの花.jpg


この故事は、

周の宰相召公奭(しょうこうせき 召伯)が甘棠樹の下で民の訴訟を聞き、公平に裁断したので、民が召公の徳を慕い甘棠の詩(「詩経‐召南」)をつくりうたったという、

ところからいうらしい(精選版日本国語大辞典)。『詩経』「国風・召南」には、

蔽芾甘棠(蔽芾(へいひ)たる甘棠)
勿翦勿伐(翦(き)る勿(なか)れ伐(き)る勿れ)
召伯所茇(召伯の茇(やど)りし所)

蔽芾甘棠(蔽芾たる甘棠)
勿翦勿敗(翦る勿れ敗る勿れ)
召伯所憩(召伯の憩ひし所)

蔽芾甘棠(蔽芾たる甘棠)
勿翦勿拝(翦る勿れ拝(ぬ)く勿れ)
召伯所説(召伯の説(やど)りし所)

とありhttp://www.atomigunpofu.jp/literary%20works/China_classic/shikyo_kokufu_shonan_kanto.htm

甘棠(かんとう)の詠(えい)、

は、

人々が為政者の徳をたたえること、

をいう(精選版日本国語大辞典)。『史記』燕世家には、

召公巡行郷邑、有棠樹、決獄政事其下、自侯伯至庶人、各得其所、……民人思召公之政、懐棠樹不敢伐、歌詠之、作甘棠之詩、

とある。

参考文献;
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
前野直彬注解『唐詩選』(岩波文庫)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
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ラベル:沙棠の舟
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2024年04月06日

あやめぐさ


ほととぎす鳴くや五月のあやめぐさあやめも知らぬ恋もするかな(古今和歌集)、

の、

あやめぐさ、

は、

菖蒲(ショウブ)、

のこと、

節は、五月にしく月はなし。菖蒲、蓬などのかをりあひたる、いみぢうをかし(枕草子)、

とあるように、

五月の端午の節句に、その強い芳香によって、邪気を払うため、鬘(かずら)や玉薬をつくり、また軒を葺いた、

とある(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。「よもぎ(蓬)」については触れた。

ショウブ.jpg


あやめぐさ、

は、

菖蒲草、

と当てる。

サトイモ科のショウブの古名、

で、

初夏に、黄色の細花が密集した太い穂を出す。葉は剣の形で、香気が強いので邪気を払うとされ、五月五日の節句には、魔除けとして軒や車にさし、後世は、酒にひたしたり、湯に入れたり、種々の儀に用いられる。菖蒲の枕、菖蒲の湯、菖蒲刀の類。一方、根は白く、長いものは四、五尺に及ぶので、長命を願うしるしとする。また、根合わせといって、その長さを競う遊びもある、

とある(精選版日本国語大辞典)。本草和名(918頃)に、

昌蒲……昌蒲者水精也、菖蒲 一名菖陽注云石上者名之蓀、一名荃、和名阿也女久佐、

とあり、和名類聚抄(931~38年)には、

菖蒲、阿夜女久佐、

とある。歌では、枕詞として、

同音反復によって「あや」にかかり、また、「根」を賞するところから「ね」にかかり、「鳴く」「泣く」などの語を導いたり、物の文目(あやめ)に言いかけたりして詠まれることが多い、

とある(仝上)。日本でショウブを、

菖蒲、

と漢字で書き表されるが、中国で正しくは、

白菖、

と書き、「菖蒲」は小型の近縁種である、

セキショウ(石菖)、

を指す漢名であるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%82%A6%E3%83%96

何れ菖蒲」で触れたことだが、

ショウブ、

は、

晩秋から冬期にかけて地上部が枯れてから、採取した根茎のひげ根を除いて水洗いし、日干しにしたものが生薬の「ショウブコン(菖蒲根)」です。ショウブコンは特有の芳香があり、味は苦くやや風味がある精油を含みます。その水浸剤は皮膚真菌に対し有効であると言われています。また、採取後1年以上経過したものの煎剤は芳香性健胃薬、去痰、止瀉薬、腹痛、下痢、てんかんに用いられます、

とあるhttps://www.pharm.or.jp/flowers/post_7.htmlように、薬草で、和名は同属の、

セキショウ(石菖)、

の漢名、

菖蒲、

の音読みで、古く誤ってショウブに当てられたらしい(仝上)。

本来、「菖」(ショウ)は、

会意兼形声。「艸+音符昌(ショウ あざやか、さかん)」で、勢いがさかんで、あざやかに花咲く植物、

の意で(漢字源)、「セキショウ」(石菖蒲)の意。「ショウブ」は、

白菖(ハクショウ)、

という。日本では、これを「ショウブ(菖蒲)」というが、「蒲」(漢音ホ、呉音ブ)は、

会意兼形声。「艸+音符浦(みずぎわ、水際に迫る)」、

で、「がま」の意となる(仝上)。

あやめ草、

は、だから、

文目草の義、

とし(大言海)、

和歌に、あやめ草 文目(あやめ)も知らぬ、など、序として詠まる、葉に体縦理(たてすぢ)幷行せり。アヤメとのみ云ふは、下略なり、

とする説もあるが、

菖蒲草、

と当て、

「漢女(あやめ)の姿のたおやかさに似る花の意。文目草の意と見るのは誤り、

とし、

平安時代の歌では、「あやめも知らぬ」「あやなき身」の序詞として使われ、また、「刈り」と同音の「仮り」、「根」と同音を持つ「ねたし」などを導く、

とする説がある。いずれとも決めがたいが、

「ショウブ」の別名、

として、

端午の節句の軒に並べることに因んだノキアヤメ(軒菖蒲)、古名のアヤメグサ(菖蒲草)、オニゼキショウ(鬼石菖)などがあります。(中略)中国名は白菖蒲といいます、

とあるhttps://www.pharm.or.jp/flowers/post_7.htmlので、

菖蒲草、

と当てる方に与しておく。なお、

あやめ、
かきつばた、
はなあやめ、
しょうぶ、

の区別については、「何れ菖蒲」で触れた。

「菖」.gif

(「菖」 https://kakijun.jp/page/1165200.htmlより)

「菖」(ショウ)は、

会意兼形声。「艸+音符昌(ショウ あざやか、さかん)」で、勢いがさかんで、あざやかに花咲く植物のこと、

とある(漢字源)。別に、

会意兼形声文字です(艸+昌)。「並び生えた草」の象形と「光をはなつ日」の象形から(「明るい」、「良い」、「美しい」の意味)から、良い香りのする草・美しく明るい花を咲かせる「菖蒲(しょうぶ)」を意味する「菖」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji2689.html

とあるが、

形声。艸と、音符昌(シヤウ)とから成る(角川新字源)、

と、形声文字とするものもある。

「蒲」.gif


「蒲」(漢音ホ、呉音ブ)は、

会意兼形声。「艸+音符浦(みずぎわ、水際に迫る)」、

とある(漢字源)。別に、

会意兼形声文字です(艸+浦)。「並び生えた草」の象形と「流れる水の象形と草の芽の象形と耕地の象形(田に苗を一面に植える意味から、「一面に広がる」の意味)」(「水辺」の意味)から、水辺に生える「がま」を意味する「蒲」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji2701.html)

ともあるが、

形声。「艸」+音符「浦 /*PA/」https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%92%B2

形声。艸と、音符浦(ホ)とから成る(角川新字源)、

と、形声文字とするものもある。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
高田祐彦訳注『新版古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)

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2024年04月07日

はたて


夕暮れは雲のはたてにものぞ思ふ天つ空なる人をこふとて(古今和歌集)、

の、

雲のはたて、

は、

漢語「雲端」の訳語であろう。「美人雲端に在り、天路隔たりて期無し」(『玉台新詠』巻一、「雜詩九首・蘭若春陽に寄す」)。「はたて」は端の意味で、雲の端、すなわち、はるか彼方、

とある(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。

はたて、

は、万葉集に、

嬢子(をとめ)らが插頭(かざし)のために遊士(みやびを)の蘰(かづら)のためと敷(し)き坐(ま)せる国の波多氐(はたて)に咲にける桜の花のにほひもあなに、

と詠われ、

果、
極、
尽、

等々と当て(広辞苑・大辞泉・大言海)、

はて、
かぎり、
際涯、

の意で使われる(仝上)。

漢語「雲端」の訳語であろう、

とある(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)が、

極之方(はたつへ)の(大言海)約、
ハタはハテ(極)の古形、テはチと同根、方向の意(岩波古語辞典)、

とある。「東風(こち)」「はやち」の、

風、

と当てる、

ち、

は、転じて、「はやて」のように、

て、

に転ずる(岩波古語辞典・大言海)。

道・方向、

とあてる、

ち、

も、同様に、

て、

に転ずることはあり得る気がする。

ち、

は、

たらちしの母が目見ずて欝(おほほ)しく何方向(いづちむ)きてか吾(あ)が別るらむ(万葉集)、

と、

いづち、
をち、
こち、

など、

道、また、道を通っていく方向の意、独立して使われた例はない。……へ行く道の意で複合語の下項として使われる場合は多く濁音化する、

とある(仝上)。その意味で、

極之方(はたつへ)、

と重なる。

「果」.gif


「果」(カ)は、

象形。木の上にまるい実がなったさまを描いたもので、まるい木の実のこと、

とある(漢字源)。他も、

象形。実のなった樹木のさまを象る。「くだもの」を意味する漢語{果 /*koojʔ/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%9E%9C)

象形。木に実がなっているさまにかたどり、木の実の意を表す。「菓(クワ)」の原字。借りて、思いきりがよい、また、「はたす」意に用いる(角川新字源)、

象形文字です。「木に実のなる」象形から「木の実」を意味する「果」という漢字が成り立ちました。転じて(派生して・新しい意味が分かれ出て)、「なしとげる」の意味も表すようになりましたhttps://okjiten.jp/kanji689.html)

と、ほぼ同趣旨。「菓」(カ)は、「菓子」で触れたように、

会意兼形声。「艸+音符果(丸い木の実)」

で、「果」と同義。食料とされる果物、木の実の意である(漢字源)。

「極」.gif


「極」 金文・春秋時代.png

(「極」 金文・春秋時代 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%A5%B5

「極」(漢音キョク、呉音ゴク)は、

会意兼形声。亟(キョク)の原字は、二線の間に人を描き、人の頭上から足先までを張り伸ばしたことを示す会意文字。極は「木+音符亟」で、端から端まで引っ張ったしん柱、

とある(漢字源)。別に、

形声。「木」+音符「亟 /*KƏK/」。「棟木」を意味する漢語{極 /*g(r)ək/}を表す字。のち仮借して「きわみ」を意味する漢語{極 /*g(r)ək/}に用いるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%A5%B5

形声。木と、音符亟(キヨク)とから成る。棟木(むなぎ)の意を表す。棟木が最も高いところにあることから、ひいて「きわめる」意に、また、最高・最上の意に用いる(角川新字源)、

会意兼形声文字です(木+亟)。「大地を覆う木」の象形と「上下の枠の象形と口の象形と人の象形と手の象形」(口や手を使って「問いつめる」の意味)から屋根の最も高い所・二つの屋根面が接合する部分「棟(むね)」、「きわみ」を意味する「極」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji575.html)

等々ともある。

「盡」.gif

(「盡(尽)」 https://kakijun.jp/page/jin14200.htmlより)

「盡(尽)」(漢音シン、呉音ジン)は、

会意文字。盡は、手に持つ筆の先から、しずくが皿にたれつくすさまを示す、

とある(漢字源)が、別に、

象形。空になった容器をブラシで洗うさまを象る。「つきる」を意味する漢語{盡 /*dzinʔ/}を表す字、

とも(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%9B%A1)

形声。皿と、音符㶳(シン)(は「盡」の上部はその変形)とから成る。容器がからっぽであることから、「つきる」「つくす」意を表す(角川新字源)、

ともあるが、

会意文字です(聿+皿)。「はけを手にした」象形と「うつわ」の象形から、うつわの中をはけではらって空にするさまを表し、そこから、「つきる」、「なくなる」を意味する「尽」という漢字が成り立ちました、

とする(https://okjiten.jp/kanji1382.html)説については、

これは誤った分析である。甲骨文字や金文の形を見ればわかるように「聿」とも「火」とも関係がない、

とあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%9B%A1

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
高田祐彦訳注『新版古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
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ラベル:はたて
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2024年04月08日

刈菰


刈菰(かりこも)の思ひ乱れて我恋ふと妹(いも)知るらめや人し告げずは(古今和歌集)、

の、

刈菰、

は、

刈り取った菰、

の意で、

思ひ乱れての枕詞、

とある(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。枕詞としての、

刈菰の(刈薦の)、

は、上記のように、

刈り取ったこもの乱れやすいところから、「みだる」にかかる、

ほか、

刈ったこもがしおれやすいところから、

夏麻(なつそ)引く命かたまけ借薦之(かりこもの)心もしのに人知れずもとなそ恋ふる息の緒にして(万葉集)、

と、「心もしのに」にかかる(一説に、「篠(しの)」の意をかけるともいう)し、

沼水に君は生ひねどかるこものめに見す見すも生ひまさるかな(「平中(へいちゆう)(965頃)」)、

と、刈った菰から芽が出るところから、

「芽」と同音の「目」にもかかる(精選版日本国語大辞典)。

真菰(大辞林).jpg

(真菰 大辞林より)

刈菰、

は、

刈薦、

とも当て、後世は、

かりごも、

とも訓ませた(仝上)が、

刈薦の一重(ひとへ)を敷きてさ寝(ぬ)れども君とし寝(ぬ)れば寒さむけくもなしか(万葉集)、

と、

刈り取った真菰、

または、

それで作ったむしろ、

である(仝上・大言海・岩波古語辞典)。

真菰刈る淀の沢水雨降ればつねよりことにまさるわが恋(古今和歌集)、

とある、

真菰、

は、

真薦、

とも当て、「ま」は、

接頭語(岩波古語辞典)、
まは発語と云ふ(大言海)、
マは美称の接頭語(角川古語大辞典・小学館古語大辞典)、

とあり、色葉字類抄(1177~81)に、

菰、マコモ、コモ、

とあり、

こも(薦・菰)、

のことで、

かつみ、
はなかつみ、
まこもぐさ
かすみぐさ、
伏柴(ふししば)、

ともよぶがイネとは異なる(広辞苑・大言海)。

真菰、

は、古くから、

神が宿る草。

として大切に扱われ、しめ縄としても使われてきたhttps://www.biople.jp/articles/detail/2071

こも」は、

薦、
菰、

と当て、

まこも(真菰)の古名、

とある(日本語源大辞典・精選版日本国語大辞典)。

イネ科の大形多年草。各地の水辺に生える。高さ一~二メートル。地下茎は太く横にはう。葉は線形で長さ〇・五~一メートル。秋、茎頂に円錐形の大きな花穂を伸ばし、上部に淡緑色で芒(のぎ)のある雌小穂を、下部に赤紫色で披針形の雄小穂をつける。黒穂病にかかった幼苗をこもづのといい、食用にし、また油を加えて眉墨をつくる。葉でむしろを編み、ちまきを巻く、

とあり、漢名、

菰、

という(精選版日本国語大辞典・日本語源大辞典)。

マコモの種子、

は米に先だつ在来の穀粒で、縄文中期の遺跡である千葉県高根木戸貝塚や海老が作り貝塚の、食糧を蓄えたとみられる小竪穴(たてあな)や土器の中から種子が検出されている、

とある(日本大百科全書)。江戸時代にも、『殖産略説』に、

美濃国(みののくに)多芸(たぎ)郡有尾村の戸長による菰米飯炊方(こもまいめしのたきかた)、菰米団子製法などの「菰米取調書」の記録がある、

という。中国では、マコモの種子を、

菰米、

と呼び、古く『周礼(しゅらい)』(春秋時代)のなかに、

供御五飯の一つ、

とされているし、『斉民要術(せいみんようじゅつ)』(6世紀)には、菰飯の作り方の記述がある(仝上)。なお、茎頂にマコモ黒穂菌が寄生すると、伸長が阻害され、根ぎわでたけのこ(筍)のように太く肥大する。これを、

マコモタケ、

という。内部は純白で皮をむいて輪切りにし、油いためなど中国料理にする。根と種子は漢方薬として消化不良、止渇、心臓病、利尿の処方に用いられる(マイペディア)。

真菰.jpg


こも、

の由来は、

クミ・クム(組)の転か(碩鼠漫筆・大言海)、
キモ(着裳)の転呼、被服に用いた編物から、さらにその材料となる植物をいうようになった(日本古語大辞典=松岡静雄)、
コモ(薦)に用いるところから(和訓栞)、
もと、茂る意の動詞カムから(続上代特殊仮名音義=森重敏)、

等々あるが、

こも、

には、

「まこも(真菰)」の古名、

の意の他に、「まこも」で作った、

あらく織ったむしろ、

の意がある。今は藁を用いるが、もとはマコモを材料とした(精選版日本国語大辞典)。で、

コモムシロ(菰蓆)の下略(大言海)、
コモで編んだところから(東雅・松屋筆記)、
コアミ(小編)の義(和訓栞・言葉の根しらべの=鈴木潔子)、

等々「こも」から「蓆」のプロセスを意識した由来説になる。

ただ、「こも」で触れたように、『大言海』は、

菰・蒋、

の字を当てる「こも」と、

菰、

を当てる「こも」と、

藺、

を当てる「こも」と、

海蓴、

を当てる「こも」を項を分けている。由来はこの区別の中で明らかになるように思える。

「菰・蒋」の「こも」は、

クミの轉か(拱(コマヌ)クもクミヌクの転なるべし。黄泉(よみ)、よもつ)。組草などと云ふが、成語なるべく、葉を組み作る草の意。即ち、薦(こも)となる。菰(かつみ)の籠(かつま)に移れるが如きか(藺(ゐ)をコモクサと云ふも、組草、即ち、薦草(こもくさ)ならむ)。マコモと云ふやうになりしは、海蓴(コモ)と別ちて、真菰(まこも)と云ふにか。物類称呼(安永)三「菰、海藻にコモと云ふあり、因りて、マコモと云ふ」、

と注記がある。「薦」と当てる「こも」は、

菰席(こもむしろ)の下略(祝詞(のりとごと)、のりと。辛夷(こぶしはじかみ)、こぶし)。菰の葉にて作れるが、元なり。神事に用ゐる清薦(すごも)、即ち、菰席(こもむしろ)なり、

とある。「藺」の字を当てる「こも」は、

こもくさ、

を指し、「こもくさ」は、

薦に組み作る草の意。藺の一名、

とあり、「こもくさ」の下を略して、「こも」である。「海蓴」の字を当てる「こも」は、

小藻か、籠藻か、

とあり、やはり、細く切って、羹(あつもの)にすべし、とあるので、食用だったと見なされる。「蓴」は、「ぬなわ」で、「じゅんさい(蓴菜)」である。

この説に依れば、「こも」を組んで、神事に用ゐる、

清薦(すごも)、

即ち、

菰席(こもむしろ)、

を作ったが、

海蓴(コモ)、

と区別するために、

真菰、

としたということになる。それだけでなく、大事なものだったからこそ、区別するために、美称の、

マ、

をつけたに違いない。

神事で、用いていたところを見ると、「菰」は、大切なものだったに違いない。しかし、稲作とともに、藁が潤沢となり、「菰席(こもむしろ)」は、蓆に堕ちた、という感じだろうか。「薦被り」も「おこもさん」まで、堕ちるということか。

薦の上から、

という言い方は、お産のとき、こもむしろを敷いたところから、

生まれたときから、

の意で使い、

薦を被(かぶ)る(被(かず)く)、

というと、

こもをかぶる身となる、

意で、

身躰残らずうち込み菰をかぶるより外はなし(好色二代男)、

と、

乞食(こじき)になり下がる。

「菰」.gif

(「菰」 https://kakijun.jp/page/ko11200.htmlより)

「菰」(漢音コ、呉音ク)は、

会意兼形声。「艸+音符孤(コ 丸くて小さい、小粒)」、

とあり、「まこも」の意である(漢字源)。別に、

形声。「艸」+音符「孤 /*WA/」https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%8F%B0

とある。

「薦」.gif

(「薦」 https://kakijun.jp/page/1614200.htmlより)

「薦」 金文・西周.png

(「薦」 金文・西周 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%96%A6より)

「薦」(セン)は、

会意。「艸+牛に似ていて角が一本の獣のかたち」で、その獸が食うというきちんとそろった草を示す、

とある(漢字源)が、別に、

形声。「艸」+音符「廌 /*TSƏN/」。「むしろ」を意味する漢語{薦 /*tsəəns/}を表す字、

ともhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E8%96%A6

会意。艸と、廌(ち)(しかに似たけもの)とから成り、廌が食う細かい草の意を表す。借りて「すすめる」意に用いる、

とも(角川新字源)、

会意文字です(艸+廌)。「並び生えた草」の象形と「一本角の獣」の象形から、「一本角の獣が食べる草」を意味する「薦」という漢字が成り立ちました。また、「饌(せん)」に通じ(同じ読みを持つ「饌」と同じ意味を持つようになって)、「すすめる」、「供える」の意味も表すようになりました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji1962.html

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
高田祐彦訳注『新版古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)

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コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
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2024年04月09日

ねたし


つれもなき人をやねたく白露のおくとは嘆き寝とはしのばむ(古今和歌集)、

の、

ねたし、

は、全体にかかり、

しゃくにさわる、

意である(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。

ねたし、

は、

妬し、
嫉し、

と当て(広辞苑・精選版日本国語大辞典)、

相手に負かされ、相手にすげなくされなどした場合、またつい不注意で失敗した場合などに感じる、にくらしい、小癪だ、いまいましい、してやられたと思うなどの気持。類義語クヤシは、自分のした行為を、しなければよかったと悔やむ意。クチヲシは期待通りに行かないで残念の意、

とある(岩波古語辞典)。基本、

ねたましい、

意で、

ねたきもの 人のもとにこれより遣るも、人の返りごとも、書きてやりつるのち、文字一つ二つ思ひなほしたる。とみの物縫ふに、かしこう縫ひつと思ふに、針を引き抜きつれば、はやく尻を結ばざりけり。また、かへさまに縫ひたるもねたし(枕草子)、

と、

憎らしい、癪である、
いまいましい、
残念だ、

といった意味の幅を持つ(仝上)が、たとえば、

ほととぎすいとねたけくは橘の花散る時に来鳴きとよむる(万葉集)、

と、

癪である、

意や、

いとほしきに、つれなき心はねたけれど、人のためは、あはれと思しなさる(源氏物語)、

と、

(相手にされず)いまいましい、

意や、

(碁を)打たせ給ふに三番にかず一つ負けさせ給ひぬ、ねたしきわざかな(源氏物語)、

と、

残念だ、

意などで使われる(岩波古語辞典)。

ねたし、

は、

「名痛し」の転か。相手の評判が高くて、自分に痛く感じられる意から(広辞苑)、
「な(名)いた(痛)し」の変化で、相手の評判の高いのを痛いと感じるところからかという(精選版日本国語大辞典)、
相手の名、評判が高く、自分に委託感じられる意のナイタシ(名痛し)から(日本語の年輪=大野晋)、
ネイタシ(性痛)の義(日本語原学=林甕臣)、
ネイタシ(心根痛)から変化した(語源辞典・形容詞篇=吉田金彦)、

等々、

反発を感じ、ねたましく思う気持を表わす、

と思われる、

心、
名誉、
自尊心、

等々自負心が

痛い、

というところからきていると見ているようだ。動詞、

ねたむ(妬・嫉)」、

は、形容詞、

ねたし、

と語幹が共通し、

ウム(倦)→ウシ(憂)、
スズム(涼)→スズシ(涼)、

と同様の関係と考えられる(日本語源大辞典)とあるが、

「ねたし」+接尾辞「む」

とする説https://ja.wiktionary.org/wiki/%E3%81%AD%E3%81%9F%E3%82%80もあり、また、

形容詞「ねたし」から動詞「ねたむ」が生まれた、

とする説(日本語源大辞典)もある。これに一考の余地があるのは、

ねたし、

と類義語の、

ねたまし、

が、動詞、

ねたむ、

を形容詞化した派生語とされるからである。そうなると、

ねたし→ねたむ→ねたまし、

と変成したことになる。

「嫉」.gif


「嫉」(漢音シツ、呉音ジチ)は、「妬む」で触れたように、

会意兼形声。疾は「疒(やまい)+矢」からなり、矢のようにきつくはやく進行する病を意味する。嫉は「女+音符疾」。女性にありがちな、かっと頭にくる疳の虫、つまりヒステリーのこと、

とある(漢字源・https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%AB%89)。別に、

会意兼形声文字です(女+疾)。「両手をしなやかに重ねひざまずく女性」の象形と「人が病気で寝台にもたれる象形と矢の象形」(人が矢にあたって傷つき、寝台にもたれる事を意味し、そこから、「やまい」の意味)から、女性の病気「ねたみ」を意味する「嫉」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji2076.html

「妬」.gif


「妬」(漢音ト、呉音ツ)は、

形声。「女+音符石(セキ)」で、女性が競争者に負けまいとして真っ赤になって興奮すること。石の上古音は妬(ト・ツ)の音になりうる音であった、

とある(漢字源)。別に、

形声文字です(女+石)。「両手をしなやかに重ねひざまずく女性」の象形と「崖の下に落ちている石」の象形(「石」の意味だが、ここでは、「貯」に通じ(「貯」と同じ意味を持つようになって)、「積もりたくわえられる」の意味)から、夫人(妻)の夫に対する積もった感情「ねたみ」を意味する「妬」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji2077.html

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
高田祐彦訳注『新版古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)

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ラベル:ねたし 妬し 嫉し
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2024年04月10日

末摘花


人知れず思へば苦し紅(くれなゐ)の末摘花の色にいでなむ(古今和歌集)、

の、

末摘花、

は、

紅花、

のことで、源氏物語の、

末摘花の女君は鼻が紅いところからその名がある、

と注記がある(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。

ベニバナ.jpg



生薬として利用される乾燥した紅花.JPG

(生薬として利用される乾燥した紅花 仝上)

ベニバナ、

を、

末摘花、

と呼ぶのは、

茎の末の方から花が咲き始め、その茎の末に咲く黄色の頭花を摘み取って染料の紅をつくるからいう、

とある(広辞苑・大辞林)。

ベニバナ、

は、日本には5世紀頃に渡来したといわれ、古くは和名を、中国伝来の染料の意味で、

くれのあい(呉藍)、

といいhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%8B%E3%83%90%E3%83%8A

万葉集にも、

外(よそ)のみに見つつ恋ひなむ紅の末摘む花の色に出(い)でずとも、

と詠われ、上代の和歌では、

紅の末摘花、

などと、

色に出づ、

を導き出す序詞とされる(精選版日本国語大辞典)、

成長すると草丈は0.5~1m、葉は5~10cmほどになり、初夏に半径2.5~4cmのアザミに似た花を咲かせます。咲き始めは鮮やかな黄色の花ですが、やがて色づき、赤くなります。種子は花1つにつき10~100個ほど、ヒマワリの種を小さくしたような種子がつきます。葉のふちに鋭いトゲがあり、このため花摘みはトゲが朝露で柔らかくなっている朝方に行われました、

とあるhttps://www.lib.yamagata-u.ac.jp/database/benibana/mame.html

キク科ベニバナ属、

の耐寒性の一年草で、

秋に種をまき、夏に花を咲かせ、翌冬に枯れます、

とある(仝上)。乾燥させた花は、

紅花(こうか)、

と呼ばれhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%8B%E3%83%90%E3%83%8A、血行促進作用がある生薬として使われる。

源氏物語で、

末摘花、

とあるのは、

うちつぎて、あなかたはと見ゆるものは、鼻なりけり。ふと目ぞとまる。普賢菩薩の乗物とおぼゆ。あさましう高うのびらかに、先の方すこし垂りて色づきたること、ことのほかにうたてあり。色は雪恥づかしく白うて真青に、額つきこよなうはれたるに、なほ下がちなる面やうは、おほかたおどろおどろしう長きなるべし。痩せたまへること、いとほしげにさらぼひて、肩のほどなどは、いたげなるまで衣の上まで見ゆ(源氏物語)、

と、

常陸宮(ひたちのみや)の姫の、ながくのびた鼻の先が末摘花(ベニバナ)でそめたようにあかい、

ところからきている。

「末」.gif

(「末」 https://kakijun.jp/page/0576200.htmlより)

「末」(漢音バツ、呉音マツ・マチ)は、

指事。木のこずえのはしを、一印または・印で示したもので、木の細く小さい部分のこと、

とある(漢字源)。別に、

指事。「木」の上端部分に印を加えたもの「すえ」「こずえ」を意味する漢語{末 /*maat/}を表す字、

ともhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%9C%AB

指事文字です。「大地を覆う木」の象形に「横線」を加えて、「物の先端・すえ・末端」を意味する「末」という漢字が成り立ちました

ともhttps://okjiten.jp/kanji698.htmlある。

「摘」.gif

(「摘」 https://kakijun.jp/page/1437200.htmlより)

「摘」(漢音テキ・タク、呉音チャク)は、

会意兼形声。帝は、三本の線を締めてまとめたさま。締(しめる)の原字。啻は、それに口を加えた字。摘は、もと「手+音符啻」で、何本もの指先をひとつにまとめ、ぐいと引き締めてちぎること、

とあり(漢字源)、

会意兼形声文字です(扌(手)+啇(啻))。「5本の指のある手」の象形と「木を組んで締めた形の神を祭る台の象形と口の象形」(「中心によせ集める」の意味)から、5本の指先を集めて、果物の実などを「つまみとる」を意味する「摘」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji1214.htmlが、別に、

形声。「手」+音符「啇 /*TEK/」。「つまむ」を意味する漢語{摘 /*treek/}を表す字(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%91%98)

形声。手と、音符啇(テキ)→(タク)とから成る。つまみとる意を表す(角川新字源)、

と、形声文字とする者もある。

「花」.gif

(「花」 https://kakijun.jp/page/hana200.htmlより)

「花」(漢音カ、呉音ケ)は、「はな」で触れたが、

会意兼形声。化(カ)は、たった人がすわった姿に変化したことをあらわす会意文字。花は「艸(植物)+音符化」で、つぼみが開き、咲いて散るというように、姿を著しく変える植物の部分、

とある(漢字源)。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
高田祐彦訳注『新版古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)

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2024年04月11日

伏櫪


功成惠養随所致(功成って惠養、致る所に随い)
瓢瓢遠自流沙至(瓢瓢として遠く流沙より至る)
雄姿未受伏櫪恩(雄姿 未だ受けず伏櫪(ふくれき)の恩)
猛氣猶思戦場利(猛氣 猶思う戦場の利)(杜甫・高都御驄馬行)

の、

伏櫪、

の、

櫪、

は、

馬の飼料を入れるおけ。馬がかいばおけに首をつっこんで食べること。馬がうまやで養われることをいう、

とあり(前野直彬注解『唐詩選』)、魏の曹操の、

老驥は櫪に伏するも、志は千里に在り(歩出夏門行)、

にもとづく(仝上)とある。

曹操.jpg


伏櫪、

は、

老驥伏櫪(ろうきふくれき)、

と使われ、

老驥、伏櫪するも、志千里に在り、
烈士、暮年(ぼねん)、壮心(そうしん)已(や)まず(歩出夏門行)、

と、曹操「碣石篇」にあるのによる。

老驥、

は、

老いた駿馬、

の意、

櫪、

はくぬぎの木、

で、転じて、

根太、

の意で、

床下の横木に使うことから馬屋のこと、

とあり(四字熟語辞典)、つまり、

馬小屋で、かいば桶で養われる、

即ち、

老いて養われる、

の意になる(仝上)。で、

老いた駿(しゅん)馬(め)は馬小屋にくすぶっていても、千里を行く志があり、勇士は晩年になっても勇ましい心がなくならない)、

と詠(うた)う(四字熟語辞典)。

櫪馬、

は、

櫪馬非不、所苦常縶維(白居易)、

と、

厩に繋がれている馬、

となる(字源)。

曹操、

は、字は、

孟徳(もうとく)、

後漢末期の軍人・政治家・詩人、

で、魏の創始者、廟号は、

太祖、

諡号は、

武皇帝

であるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9B%B9%E6%93%8D)

ただ、

伏櫪、

には、別に、漢書・李尋傳に、

不伏櫪不可以趨通、

とあり、その注に、

伏櫪、謂伏槽歷而秣之、

とある。「歷」は「櫪」に通ず(字源)とあり、

伏歷、

は、

伏櫪、

と同義となる(仝上)。

「櫪」.gif


「櫪」(漢音レキ、呉音リャク)は、

会意兼形声。「木+音符歷(レキ 並べる)」

とある(漢字源)。

参考文献;
簡野道明『字源』(角川書店)
前野直彬注解『唐詩選』(岩波文庫)

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2024年04月12日

ほつえ


わが園の梅のほつえに鶯の音(ね)になきぬべき恋もするかな(古今和歌集)、

の、

ほつえ、

は、

秀つ枝、

の意で、

他よりも伸びた枝、

とある(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。

秀(ほ)つ枝、

の、

つ、

は、

「の」の意の上代の格助詞、

で(精選版日本国語大辞典・大辞泉)、

上枝、
秀枝、

と当て、

はつえ、

とも言い、

うわえだ、

とも言う(仝上)。

下枝(しずえ)」で触れたように、

花橘は本都延(ホツエ)は鳥ゐ枯らし志豆延(シヅエ)は人とり枯らし三つ栗の中つえのほつもり赤らをとめを(古事記)、

と、

本都延(ホツエ 上枝)、
中つえ (ナカツエ 中つ枝)、
志豆延(シヅエ 下枝)、


とあり、

下の方の枝、
下の枝、
したえだ、

は、

下枝(しずえ)、

といい、

しずえだ、

とも訓む(広辞苑・精選版日本国語大辞典)。

上枝、

は、

上の方の枝、

の意で、

上枝(ほつえ)、

中つ枝の枝(え)の末葉(うらば)は下つ枝に落ち触らばへ(古事記)、

と、

中間の高さにある枝、

は、

中つ枝、

という(仝上)。

上枝、

の由来は、

ホ(秀)は、突き出ている意、ツは連体助詞(岩波古語辞典)、
秀(ほ)つ枝(え)の意(広辞苑)、
「ほ」は「秀」、「つ」は格助詞(大辞林)、
「ほ」は突き出る意、「つ」は「の」の意の上代の格助詞(学研全訳古語辞典)、
秀(ほ)之(つ)枝(え)の義、ホ(秀)は最上の義(松屋棟梁集・大言海・万葉集講義=折口信夫)、
穂枝の義(万葉集類林)、
ホノカナル梢の義(歌林樸樕)、

等々とあるが、

穂、

は、

秀、

とも当て、

稲の穂、山の峰などのように突き出ているもの、形・色・質において他から抜きんでていて、人の目に立つもの、

の意(岩波古語辞典)なので、

上枝、

は、

秀つ枝、

であろう。とすると、

下枝、

の語源は、

シヅはシヅム(沈)、シヅカ(静)、シヅク(雫)のシヅと同根、下に沈んで安定しているさま(岩波古語辞典)、
シモツエ(下枝)の約ソツエの転(名語記)、
シヅはシタ(下)の転(国語の語根とその分類=大島正健)、
シヅはホツに対する体言形容詞、エは枝の義(万葉集講義=折口信夫)、

などと諸説あるが、「下」から来たのではなく、

シヅはシヅム(沈)、シヅカ(静)、シヅク(雫)のシヅと同根、下に沈んで安定しているさま(岩波古語辞典)、

なのではあるまいか。

「秀」.gif


「秀」 楚系簡帛文字.png

(「秀」 楚系簡帛文字(簡帛は竹簡・木簡・帛書全てを指す)・戦国時代 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%A7%80より)

「秀」(漢音シュウ、呉音シュ)は、

会意。「禾(禾本科の植物)+乃(なよなよ)」で、なよなよした稲の穂がすらりと伸びていることを示す、

とある(漢字源)。別に、

会意。禾と、乃(だい)(のびる)とから成り、いねが長くのびる、「ひいでる」意を表す(角川新字源)、

会意文字です(禾+乃)。「穂先が茎の先端にたれかかる穀物」の象形と「のびた弓」の象形から、「長く伸びる」、「すぐれる」を意味する「秀」という漢字が成り立ちました(https://okjiten.jp/kanji1181.html)

等々ともあるが、しかし、

会意文字だがその起源は不明。「禾」と「乃」から構成されるが、「乃」は「引」が変化したものであるという説もある、

とあるhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%A7%80

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
高田祐彦訳注『新版古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
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2024年04月13日

逆立ちしたヘーゲル


ミシェル・フーコー(渡辺一民・佐々木明訳)『言葉と物―人文科学の考古学』を読む。

言葉と物.jpg


何年も前に読み通した後、また取り出して読みだしたが、正直のところ、わからない部分が多いので、書評という域には達しないだろうが、感想を記しておきたい。

本書は、ラスト、

「人間は、われわれの思考の考古学によってその日付の新しさが容易に示されるような発明にすぎぬ。そしておそらくその終焉は間近いのだ。
もしもこうした配置が、あらわれた以上消えつつあるものだとすれば、われわれはその可能性くらいは予感できるにしても、さしあたってなおその形態も約束も認識していない何らかの出来事によって、それが一八世紀の曲がり角で古典主義的思考の地盤がそうなったようにくつがえされるとすれば─そのときにこそ賭けてもいい、人間は波打ちぎわの砂の表情のように消滅するであろうと。」

と記して終わる。この、

人間、

とは、もちろん、

人類、

の謂いではなく、

「博物学が生物学となり、富の分析が経済学となり、なかんずく言語についての反省が文献学となり、存在と表象がそこに共通の場を見出したあの古典主義時代の《言説》が消えたとき、こうした考古学的変動の深層における運動のなかで、人間は、知にとっての客体であるとともに認識する主体でもある、その両義的立場をもってあらわれる。」

とあるように、いわば、概念としての、

人間、

である。はじめて、知の地平に、そういう形で登場した、

人間、

が、知の地平から、

消える、

と言っているのである。ではその先に、

何が來るのか、

は、フーコーは、

精神分析、
文化人類学、
言語学、

を、人間諸科学の、

三つの軸、

と述べるにとどめ、本書では述べていない。ただ、

「人間が『有限なもの』であり、ありうべきあらゆる言葉の頂点にいたるとき、人間が到達するのは彼自身の中心ではなく、彼を制限するところのものの縁、すなわち、死がさまよい、思考が消滅し、起源の約束が無際限に後退していくあの領域にである。」

と述べ、それは、

「自分が神を殺したのだと告示するのは、そうやってみずからの言語、みずからの思考、みずからの笑いをすでに死んだ神の空間におきつつ、また、神を殺し、みずからの実存がこの虐殺の自由と決定をつつんでいる、そのようなものとしてみずからを示す、最後の人間なのではあるまいか? こうして、最後の人間は、神の死よりも古いと同時に若いものとなる。彼は神を殺したのだから、みずからの有限性の責任をとらなければならぬのは彼自身であろう。しかし、彼が話し思考し実存するのは神の死のなかにおいてであるから、その虐殺そのものも死ぬことを余儀なくされる。新しい神々、おなじ神々が未来の大洋をふくらませている。人間は消滅しようとしているのだ。」

「十九世紀全体を通じて、哲学の終焉ときたるべき文化の約束は、たぶん、有限性の思考および知における人間の出現とまったく一体をなすものにほかなるまい。今日、哲学がいまなお終焉にむかいつつあるという事実と、おそらくは哲学のなかで、だがさらにそれ以上に哲学のそとでそれに対抗して、文学においても、形式的反省においても、言語の問題が提起されているという事実は、たぶん、人間が消滅しつつあるということを証明しているのにほかなるまい。」

等々にみられる言い方に、かつて、ロラン・バルト(沢崎浩平訳『S/Z』)で、

「誰がしゃべっているのか。(中略)ディスクールが、というよりも、言語活動が語っている」

という問いと重なり、フーコーが、

「……自分が自分の言語の総体に、秘かですべてを語り得る神のように、住まってはいないことを学ぶ。自分のかたわらに、語りかける言語、しかも彼がその主人ではないような言語が、あるということを発見するのだ。それは努力し、挫折し、黙ってしまう言語、彼がもはや動かすことのできない言語である。彼自身がかつて語った言語、しかも今では彼から分離して、ますます沈黙する空間の中を自転する言語なのだ。そしてとりわけ、彼は自分が語るまさにその瞬間に、自分がつねに自分の言語の内部に同じような仕方で居を構えているわけではないということを発見するのであり、そして哲学する主体……の占める場所に、一つの空虚が穿たれ、そして無数の語る主体がそこで結び合わされては解きほぐされ、組み合わさっては排斥し合うということを発見するのだ。」(豊崎光一訳『外の思考』)

と書いていることと重なる。ぼくの、勝手な見方だが、

人間の死、

とはこういうことを言うのだろう。

本書全体の印象からいうと、僕には、

逆立ちしたヘーゲル(の精神現象学)、

と感じたのだ。ヘーゲル(樫山欽四郎訳)『精神現象学』については触れたが、

意識の経験の学、

と名づけられているように、

意識(感覚的確信→知覚→悟性)→自己意識→理性→精神(精神→宗教→絶対知)、

と、意識の成長プロセスを辿っていく。

「最初に、すなわち、直接的に我々の対象となる知は、それ自身直接的な知、直接的なものまたは存在するものの知にほかならない。われわれもやはり直接的な、つまり受けいれる態度をとるべきであって、現われてくる知を少しも変えてはならないし、把握から概念把握を引き離しておかなくてはならない。」(樫山訳『精神現象学』)

の「感覚的確信」からはじまり、

「精神のこの最後の形態は絶対知である。それは、自らの完全で真なる内容に、同時に自己という形式を与え、このことによって、その概念を実現すると共に、かく実現することにおいて、自己の概念のうちに止まる精神である。これは精神の形態において自らを知る精神である。言いかえれば、概念把握する知である。真理は、自体的に確信と完全に等しいだけでなく、自己自身の確信であるという形態をももっている。言いかえれば、真理は定在となっている、すなわち、知る精神にとって、自己自身の知であるという形式をとっている。(中略)すなわち精神は、意識にとって定在の場に、対象性の形式に、本質そのものであるところのものに、すなわち概念に、なったのである。この定在の場において意識に現われる精神、或はこの場合同じことであるが、意識によってこの場に生み出された精神、これが学である。」(仝上)

と、「絶対知」へと至るのである。そのラストは、

「精神の完成は、精神が何であるかを、つまり精神の実在を完全に知ることであるから、この知は精神が自分のなかに行くことであり、そのとき精神は自らの定在を捨て、自らの精神を思い出に委ねるのである。精神は、自己のなかに行っているとき、自己意識の夜に沈んでいるが、その消えた定在はその中に保存されている。この廃棄された定在、かつての定在ではあるが、知から新しく生まれた定在は新しい定在であり、新しい精神形態である。この新しい形態のなかで、この直接的な姿でまた無邪気に初めからやり直すべきであり、そこからまた成長していかなければならない。」(仝上)

しかし、本書は、「エピステーメー(知識)の考古学」と言っているように、

知に対する知、

知のメタレベルの推移をたどりつつ、最終的に、

人間主義、

を超えようとする。逆に言うと、ヘーゲルが、

精神、

から、意識のピラミッドをたどったように、フーコーは、

人間主義の否定、

の地点から、知を逆算していったと見える。しかし、僕は、これが、

構造主義、

と言うものなら、

構造主義、

の名のもとに、人間主義を吹き払った跡に、

荒野、

だけが残ったとしか思えない。現実の課題には背を向けていたとされるフーコーが見ていたものが何なのかは別として、フーコーの拓いたのは、

知の荒野、

なのではないか、という個人的な印象を強く持つ。単なる妄言なのかもしれないが。

『ラス・メニーナス』(女官たち).jpg


最後に、ベラスケス『ラス・メニーナス』について、木村泰司『謎解き西洋絵画』でも触れたことだが、フーコーは、

「われわれは絵を見つめ、絵の中の画家は画家で我々を凝視する。」

という位置関係をしめし、さらに、

「画家が眼をれわれのほうに向けているのは、われわれが絵のモチーフの場所にいるからにほかならない。」

と書く。そして、画家とモデルとみえない描かれつつある絵との関係を、「潜在的な三角形」として、

「その頂点―可視的な唯一の点―に芸術家の眼、底辺の一方にモデルのいる不可視の場所、他方に、裏がえしにされた画布のうえにきっと素描されているに違いない形象がある」

と、その、いま描かれつつある絵を描いているその瞬間を、絵にしている、というこの絵を観ている鑑賞者も、

「鑑賞者をその視線の場に置いた瞬間に、画家の眼は鑑賞者をとらえてむりに絵のなかへ連れこみ、特権的であると同時に強制的な場所を指示したうえで、輝く可視的な形相を彼から先どりし、それを裏がえしにされた画布の近づき得ぬ表面に投射するのである。だから鑑賞者は、画家にとっては可視的だが、自分に取っては決定的に不可視的な像におきかえられてしまう。」

モデルと、同じ立ち位置に立つことで、鑑賞者は、絵の中の画家のモデルになっているかのような位置にいるのである。さらに、こう書く、

「オランダ絵画では、鏡が二重化の役割をはたすという伝統がある。つまり鏡は、絵のなかにひとたびあたえられたものを、変様され、縮小されたわめられた非現実の空間の内部で反復するわけだ。(中略)同じアトリエ、同じ画家、同じ画布が、鏡のなかに同一の空間にしたがってならべられることを期待するであろう。それは完全に模造となるはずなのである。」

そして、

「鏡のなかに映しだされているもの、それこそ、画面のあらゆる人物が視線をまっすぐに伸ばし凝視しているものにほかならない。つまり、画家のモデルとなっている人物をも含めるまで画面が手前に、すなわち、もっと下の方へ延長されれば見ることのできるはずのものなのである。けれども、それはまた、画面が画家とアトリエを見せるところで止まっているのであるから、絵が絵である限り、…絵の外部にあるものでもある。…思いがけず鏡が誰にも知られず、画家(仕事中の画家という、その表象された客観的実在性における画家)の見つめている諸形象ばかりか、画家(線や色が画面においてあの物質的実在性における画家)を見つめている諸形象をも、きらめかせている。」

絵画空間の外の、この絵を描く画家と、この絵のなかで国王夫妻を描いている画家のモデルたる、国王夫妻と、この絵の鑑賞者の立つ位置との三重の関係、それはまた、絵の中の人々が意識し、目を向けている位置でもある、

「描かれている瞬間のモデルの視線、場面を見つめている観賞者の視線、そしてその絵(表象されている絵ではなく、われわれのまえにあって、われわれがそれについて語っているところの絵)を創作している瞬間の画家の視線が、正確に重なりあう」

その位置は、画家ベラスケスの設定した、

描かれるべきものと向き合う仮設の画家、

である。ここでは、あくまで、

「古典主義時代における表象関係の表象のようなもの」

を語る材料にしているのだが、

描くことを描く、

という現代的なモチーフとして見ることもできる気がした。

なお、ミシェル・フーコーについては、『〈知への意志〉講義』、『主体の解釈学』については触れた。

参考文献;
ミシェル・フーコー(渡辺一民・佐々木明訳)『言葉と物―人文科学の考古学』(新潮社)

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2024年04月14日

がてに


あしひきの山ほとときすわがごとや君に戀ひつついねがてにする(古今和歌集)、

の、

がてに、

は、

できずに、

とある(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。また、

あは雪のたまればかてにくだけつつわがもの思ひのしげきころかな(古今和歌集)、

の、

かてに、

は、

動詞「克つ」からできた連語。「こらえかねて」の意。他の動詞につくと、

桜散る花のところは春ながら雪ぞ降りつつ消えがてにする(古今和歌集)、

と、

「がてに」の形になる、

とある(仝上)。

がてに、

は、

かてに、

の濁音化、

で(広辞苑)。のちに、

ガテは難シの語幹と混同され、ニは格助詞のように意識され、

動詞に付いて、

わが宿に咲ける藤波立ち返り過ぎがてにのみ人の見るらむ(古今和歌集)、

と、

…しがたく、

の意を表すようになる。

かてに、

は、

勝てに、
克てに、

と当て(広辞苑・岩波古語辞典)、動詞の連用形に付き、

……することができる、
堪える、

意の、

下二段動詞「かつ」の未然形に打ち消しの助動詞「ず」の連用形の古形「に」の付いたもの、

で、上記の、

あわゆきのたまればかてにくだけつつわが物思ひのしげきころかな(古今和歌集)、

と、

こらえられず、
堪えかねて、

の意で使われた(岩波古語辞典・明解古語辞典)が、のちに、

語頭が濁音化し、一語と考えられ、ガテ(難)ニと意識された、

もので(大辞泉・学研全訳古語辞典)、

平安中期ごろ消滅した、

とある(岩波古語辞典)。そのため、

がてに、

は、

難てに、

と当て、

「かてに」の語源意識が薄れ、「難 (がた) し」の語幹と混同され、それに格助詞「に」の付いたものと意識されるようになったもの、

で、

春されば吾家(わぎへ)の里の川門(かはと)には鮎子(あゆこ)さばしる君待ちがてに(万葉集)、

と、

すでに上代からその例がみられる(大辞泉)。ちなみに、

かつ(克・勝)、

は、

じっとこらえて相手に負けない、

意で、

…するに耐える、
…することができる、

の意味に使い、転じて、

物事を成し得る、

意となり、

大坂に継ぎ登れる伊辞務邏(イシムラ)を手越(たごし)に越さば越しかてむかも(日本書紀)、

と、

他の動詞の連用形に付く(岩波古語辞典)。多く、

未然形には打消の助動詞「ず」、終止形には打消の意志・推量を表わす助動詞「ましじ」が接続する、

とある(精選版日本国語大辞典)。

「難」.gif


「難」(漢音ダン、呉音ナン)は、

会意。「動物を火で焼き、かわかしてこちこちにするさま+隹(とり)」。鳥を火であぶることをあらわし、もと燃(ネン もやす)と同系のことば。やけただれるひあぶりのようにつらいことの意から、転じて、つらい災害ややりづらい事などをあらわす、

とあり(漢字源)、別に、

会意文字です。「火などの災いにあって祈るみこ」の象形と「尾の短いずんぐりした小鳥」の象形から、災いにでくわして、鳥をそなえて祈る事を意味し、そこから、「災い」を意味する「難」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji1026.htmlが、

会意文字として解釈する説があるが、根拠のない憶測に基づく誤った分析である、

とありhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%9B%A3

形声。「隹」(鳥)+音符「𦰩 /*NAN/」。鳥の一種を指す。のち仮借して「むずかしい」を意味する漢語{難 /*nan/}に用いる、

とも(仝上)、また、

もと、𪄿と書き、形声。意符鳥(とり)と、音符堇(キン)→(ダン)(は変わった形)とから成り、鳥の名を表す。艱(カン)に通じ、借りて「かたい」意に用いる。旧字は、意符が隹に変わったもの、

ともある(角川新字源)。

「克」.gif


「克」 甲骨文字・殷.png

(「克」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%85%8Bより)

「克」(コク)は、

会意。上部は重い頭、またはかぶとで、下に人体の形を添えたもので、人が重さに耐えてがんばるさまを示す。がんばって耐え抜く意から、勝つ意となる。緊張してがんばる意を含む、

とあり(漢字源)、別に、

象形文字です。「重いかぶとを身につけた人」の象形から、「重さに耐える」、「打ち勝つ」を意味する「克」という漢字が成り立ちました、

ともhttps://okjiten.jp/kanji1497.html)

象形。人が甲冑(かつちゆう)を着けた形にかたどり、甲冑の重さに耐える、ひいて「かつ」意を表す、

とも(角川新字源)あるが、

不詳。複数の説が存在するが定説はない、

とする(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%85%8B)

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
高田祐彦訳注『新版古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)

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2024年04月15日

寝(い)を寝(ぬ)


いもやすく寝られざりけり春の夜は花の散るのみ夢に見えつつ(新古今和歌集)、

の、

いもやすく、

は、

眠りも安らかに、

の意とあり、

「い」は「寝」、

で、

眠ること、

を、

寝(い)を寝(ぬ)、

といったとある(久保田淳訳注『新古今和歌集』)。

寝を寝(いをぬ)、

は、

名詞「い(寝)」+動詞「ぬ(寝)」(デジタル大辞泉)、

つまり、

い(寝)を動詞ぬ(寝)の義(大言海)、

で、

イは睡眠、ヌは横になる、

意で(岩波古語辞典)、

家思ふと伊乎禰(イヲネ)ずをれば鶴(たづ)が鳴く葦辺も見えず春の霞に(万葉集)、

と、

横になって眠る、

つまり、

寝る、
眠りにつく、

意である(精選版日本国語大辞典・デジタル大辞泉)。名詞、

い(寝)、

は、

人間の生理的な睡眠、類義語寝(ぬ)は、体を横たえること、ネブリ(眠)は時・所・形にかまわずする居眠り、

とあり(岩波古語辞典)、ふつう、

助詞「の」「を」「も」などを介して次に動詞「ぬ(寝)」がくる形をとる、

とあり、古くから独立性が弱く、

いを寝(ぬ)、
いの寝(ね)らえぬ、

など、助詞を介して、

玉手(たまで)さし枕(ま)き股長(ももなが)に伊(イ)は寝(な)さむを(古事記)、

と、

い…ぬ、

の形で用いられる。なお、「い」と「ぬ」とが直接結合した、

「いぬ」は、上記万葉集の表記から考えて、すでに一語化していたとみられる、

とある(精選版日本国語大辞典)。ちなみに、

寝の寝らえぬ(いのねらえぬ)、

は、

妹を思ひ伊能禰良延奴(イノネラエヌ)に暁(あかとき)の朝霧ごもり雁がねそ鳴く(万葉集)、

と、

眠りにつくことができない、
熟睡することができない、

意で、

「らえ」は上代の可能の助動詞「らゆ」の未然形。「ぬ」は打消の助動詞「ず」の連体形。準体句を構成している、

とある(精選版日本国語大辞典)。

い(寝)、

は、

い(寝)をぬ(寝)、

の他、

い(寝)も寝(ね)ず、

などの句として使い(岩波古語辞典)、また、

熟寝(うまい)、
安寝(やすい)、
朝寝(あさい)、

など複合語を作る(仝上・岩波古語辞典)。

ぬ(寝)、

は、ナ行下二段活用で、

ね/ね/ぬ/ぬる/ぬれ/ねよ、

と活用するが、

寝(ね)る、

の文語形になり、

門(かど)に立ち夕占(ゆふけ)問いつつ吾(あ)を待つと寝(な)すらむ妹(いも)を逢(あ)いて早見む(万葉集)、

の、

動詞「ぬ(寝)」に上代の尊敬の助動詞「す」が付いて音変化した「ぬ(寝)」の尊敬語、

寝ていらっしゃる、

意の(デジタル大辞泉)、

な(寝)し、



「な」と同根、

とあり(岩波古語辞典)、

今造る久迩(くに)の都に秋の夜(よ)の長きにひとり寝(ぬ)るが苦しさ(万葉集)、

と、

横になる、
臥す、

という意になる。

「寝」.gif



「寢」.gif


「寝(寢)」(シン)は、

会意兼形声。侵は、次第に奥深く入る意を含む。寝は、それに宀(いえ)を加えた字の略体を音符とし、爿(しんだい)を加えた字で、寝床で奥深い眠りに入ること、

とある。同趣旨で、

会意兼形声文字です(宀+爿+侵の省略形)。「屋根・家屋」の象形と「寝台を立てて横にした」象形と「ほうき」の象形(「侵」の略字で、人がほうきを手にして、次第にはき進む事から、「入り込む」の意味)から、家の奥にあるベッドのある部屋を意味し、そこから、「部屋でねる」を意味する「寝」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji1262.htmlが、別に、

形声。意符㝱(ぼう、む)(〈夢〉の本字。ゆめ。は省略形)と、音符𡩠(シム)(𠬶は省略形)とから成る。清浄な神殿・神室の意を表したが、古代には貴人の病者は神室に寝たことから、ねやの意に転じた。常用漢字は省略形による、

ともある(角川新字源)。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
久保田淳訳注『新古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)

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2024年04月16日

丹青


丹青不知老将至(丹青 老いの将(まさ)に至らんとするを知らず)
富貴於我如浮雲(富貴は我に於て浮雲(ふうん)の如し)(杜甫・丹青引贈曹将軍覇)

の、

丹青、

は、

赤と青、

で、

絵画をいう(前野直彬注解『唐詩選』)とある。

丹青(たんせい)、

は、

丹砂と青雘(せいわく)、すなわち赤の絵具の材料になる石と青の絵具の材料になる土、

を指し、そこから、また、

赤い色と青い色、

をも意味する(精選版日本国語大辞典)。

丹碧、

ともいう(仝上)。転じて、

雖竹帛所載、丹青所畫、何以過子卿(漢書・蘇武傳)、

と、

絵具、
絵具の色、

で、

絵具を塗ること、
彩色、

の意で使い(仝上)、さらに、

毎疑丹青過實、今観此景、乃知良工苦心(客越志)、

と、

彩色畫、

の意でも使う(字源)。日葡辞書(1603~04)には、

タンゼイ、エヲカク、

とあり(広辞苑)、

たんぜい、

とも訓み、

而習丹青之業以来、不致朝夕之恪勤(漢書・蘇武伝)、

と、

絵画、

また、

絵を描くこと、

の意でも使い(精選版日本国語大辞典)、当然ながら、

見嵩大師所持梵才三蔵真影。三蔵自作偈。小師徳嵩写予真乞讚。以偈答之。爾命丹青。絵予之相(「参天台五台山記(1072‐73)」)、

と、

絵を描く人、
画家、

意でも使う(仝上)。

まごころ、
不変のもの、
簡札、
歴史の書、

の意もある(字通)とあり、宋の文天祥「正気の歌」では、

天地有正気
雑然賦流形
下則為河獄
上則為日星
於人為浩然
沛乎塞蒼冥
皇路当清夷
含和吐明庭
時窮節乃見
一一垂丹青、

と、

歴史の書、

の意で使っている。

「丹」.gif

(「丹」 https://kakijun.jp/page/0405200.htmlより)

「丹」 甲骨文字・殷.png

(「丹」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%B8%B9より)

「丹」(タン)は、

会意文字。土中に掘った井型のわくの中から、赤い丹砂が現れ出るさまを示すもので、あかい物があらわれ出ることをあらわす。旃(セン 赤い旗)の音符となる、

とある(漢字源)が、

会意。「井」+「丶」、木枠で囲んだ穴(丹井)から赤い丹砂が掘り出される様、

https://ja.wiktionary.org/wiki/%E4%B8%B9、会意文字とも、

象形。採掘坑からほりだされた丹砂(朱色の鉱物)の形にかたどる。丹砂、ひいて、あかい色や顔料の意を表す、

とも(角川新字源)、

象形文字です。「丹砂(水銀と硫黄が化合した赤色の鉱石)を採掘する井戸」の象形から、「丹砂」、「赤色の土」、「濃い赤色」を意味する「丹」という漢字が成り立ちました、

https://okjiten.jp/kanji1213.html、象形文字ともある。

参考文献;
冨谷至『中国義士伝』(中公新書)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前野直彬注解『唐詩選』(岩波文庫)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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2024年04月17日

積水


積水不可極(積水(せきすい) 極む可(べ)からず)
安知滄海東(安(いずく)んぞ滄海の東を知らんや)(王維・送秘書晁監(阿部仲麿)還日本国)

の、

積水、

は、

海のこと、

とある(前野直彬注解『唐詩選』)。「荀子」儒効篇に、

水を積む、これを海という、

とあるのにもとづく(仝上)とある。

勝者之戦、若決積水於千仞之谿者形也(孫氏)、

とあるように、

あつまりたまった水、

の意で、転じて、上記のように、

積水而為海(荀子)、

と、

海の異名、

ともなる(字源)。因みに、会社名の、

積水、

は、上記「孫子」の、

積水を千仞の谿(せんじんのたに)に決するがごときは、形なり、

に因んだものhttps://president.jp/articles/-/73?page=1という。

なお、

積水、

は、中国で、

北河(ふたご座の三星)の西北にある星の名、

としても使われている(漢書・李尋伝)とある(精選版日本国語大辞典)。

北河(ホクカ)、

は、

ふたご座の2つの1等星、

の名で、黄河最北端の河の流れを別けて南河(なんか)、北河(ほくか)とした、

とあるhttps://www.city.tottori.lg.jp/www/contents/1430291022251/index.html。古く、

匈奴が活躍した北方の地を東に流れる黄河は南北に分かれて東に流れますが、分かれた流れの北の部分を北河、南に流れる部分を南河と呼び、この流れに天の川を例えて呼んだ、

とある(仝上)。また、

積水星、

の位置については詳しく調べたものがありhttps://www.kotenmon.com/str/china/china_037.html、それに譲る。

なお、「積む」については触れた。

「積」.gif

(「積」 https://kakijun.jp/page/1644200.htmlより)

「積」(①漢音セキ・呉音シャク、②漢音呉音シ、慣用セキ)は、

会意兼形声。朿(シ・セキ)は、とげの出た枝を描いた象形文字で、刺(サス)の原字。責はそれに貝を加えて財貨の貸借が重なって、つらさや刺激を与えること。積は「禾(作物)+音符責」で、末端がぎざぎざと刺激するようにぞんざいに作物を重ねること、

とある(漢字源)。「集積」「積年」のように「つむ」意は、①の発音、掛け算の数値の「積」、「貯積」のように、貯える意は、②の発音、とある(仝上)。別に、

会意兼形声文字です(禾+責)。「穂先がたれかかる稲」の象形と「とげの象形と子安貝(貨幣)の象形」(「金品を責め求める」の意味)から、農作物を求め「集める・たくわえる・つむ」を意味する「積」という漢字が成り立ちました、

とするもの(https://okjiten.jp/kanji591.html)のほか、

形声。「禾」+音符「責 /*TSEK/」。「たくわえる」「つみあげる」を意味する漢語{積 /*tsek/}を表す字、

とするもの(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%A9%8D)

形声。禾と、音符責(サク)→(セキ)とから成る。いねを重ねつむ、ひいて「つむ」意を表す、

とするもの(角川新字源)など、形声文字とする説もある。

「水」.gif

(「水」 https://kakijun.jp/page/0467200.htmlより)


「水」 甲骨文字・殷.png

(「水」 甲骨文字・殷 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%B0%B4より)

「水」(スイ)は、

象形。みずの流れの姿を描いたもの、

とあり(漢字源)、他も、

象形。水流を象る。「みず」を意味する漢語{水 /*stujʔ/}を表す字https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%B0%B4

象形。水が流れるさまにかたどり、河川・水液の意を表す(角川新字源)、

象形文字です。「流れる水」の象形から、「みず」を意味する「水」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji83.html)

等々ほぼ一致している。

参考文献;
簡野道明『字源』(角川書店)
前野直彬注解『唐詩選』(岩波文庫)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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2024年04月18日

飼ふ


駒とめてなほ水かはむ山吹の花の露そふ井手の玉川(皇太后宮大夫(藤原)俊成)、

の、

花の露そふ、

は、

詠歌一体で制詞とされる、

とある(久保田淳訳注『新古今和歌集』)。

制詞、

とは、

制(せい)の詞(ことば)、

ともいい、

禁制の歌詞、

といい、歌学で、

聞きづらいとか、耳馴れないとか、特定の個人が創始した表現であるなどの理由から、和歌を詠むに当たって用いてはならないと禁止したことば、

とされ、鎌倉初期の歌論書『詠歌一体(えいがいったい)』で、藤原為家が説いている(精選版日本国語大辞典)とある。

水かはむ、

は、

馬に水を飲ませよう、

の意で、

馬に飼料や水を与えること、

を、

飼ふ、

という(久保田淳訳注『新古今和歌集』)とある。

飼ふ、

は、

養ふ、

とも当て(大言海)、

さ檜(ひ)の隈(くま)檜(ひ)の隈川に馬駐(とど)め馬に水令飲(かへ)吾外(よそ)に見む(万葉集)、

と、

食物や水をあてがう、

意であり、日葡辞書(1603~04)にも、

エ(餌)ヲトリニカウ、

とある(広辞苑)。更に意味を広げて、

鉗(かなき)着け吾が柯賦(カフ)駒は引出せず(日本書紀)、

と、

食べ物や水などを与えて生命を養う、

つまり、

飼育する、

意でも使う(精選版日本国語大辞典)。さらに転じて、

人にくすりをかふて馬になす(狂言「人を馬(室町末‐近世初)」)、

と、

人や動物に毒や薬などを与える、

また、比喩的に用いて、

悪知恵などを授ける、

意でも使う(仝上)。

飼ふ、

の由来は、

支(か)ふと通ずるか、口に支ふ意、宛てがふ、土かふ同じ(大言海)、

とあるのが妥当に思える。他に、

食物をアテガフル意(和句解)、
ケフ(食触)の義(言元梯)、
家生の義(和語私臆鈔)、
キアフ(来合)の約、かう人の心とかわれる者の心の来合うこと(国語本義)、
カヒ(飼)はクハリ(配)イヒの義、クハの約か、リ、イを略す(和訓考)
クサハム(草喰)の反(名語記)、

等々あるが、

カフ、

の音からの解釈が多く、もともとの、

食物や水をあてがう、

という意とも反する気がする。

支(か)ふ、

は、

あななう、
支えんと當つ、
支柱をなす、
つっかう、

意で(大言海)、

心張り棒をかう、
鍵をかう、

と今でも使う。

あななう(扶翼)、

は、

彌(いや)務めに彌結(しま)りに阿奈々比(アナナヒ)奉り、輔佐(たすけ)奉らむ事に依りて(續日本紀)、

と、

助ける、
補佐する、

意で、

「たすく(助)」と併用されることが多い、

とある(精選版日本国語大辞典)。名詞、

あななひ(麻柱)、

は、

支柱、

の意である(大言海)。

「飼」.gif


「飼」(漢音シ、呉音ジ)は、

形声。「食+音符司」。司の本の意味は関係がない、

とある(漢字源)が、別に、

形声。「食」+音符「司 /*LƏ/」。「やしなう」を意味する漢語{飼 /*sləks/}を表す字。もと「食」が{飼}を表す字であったが、音符を加えたhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%A3%BC

とあり、

会意で、食と、人(ひと)とから成る。飼は、形声で、食と、音符司(シ)とから成る。「やしなう」意を表す(角川新字源)、

会意兼形声文字です(食+司)。「食器に食べ物を盛り、それにふたをした」象形(「食べ物」の意味)と「まつりの旗・口の象形」(「祭事を司る(職務として行う)」の意味)から動物を「かう(養い育てる)」を意味する「飼」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji816.html

と、会意文字、会意兼形声文字とする説もある。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
久保田淳訳注『新古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)

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2024年04月19日

坎壈(かんらん)


卽今瓢泊干戈際(卽今 瓢泊す 干戈(かんか)の際)
屡貌尋常行路人(屡(しば)しば尋常行路の人を貌(えが)く)
途窮反遭俗眼白(途(みち)窮(きわ)まり反(かえ)って俗眼の白きに遭(あ)う)
世上未有如公貧(世上未だ公の如く貧しきは有らず)
但看古来盛名下(但し看よ古来盛名の下)
終日坎壈纏其身(終日坎壈の其身を纏(まと)うを)(杜甫・丹青引贈曹将軍覇)

の、

干戈、

は、

楯と矛、

で、

戦争、

の意、

坎壈(かんらん)、

は、

思うとおりにならなくて困窮すること、

とある(前野直彬注解『唐詩選』)。

坎壈(かんらん)、

は、

志を得ないさま。望み通りにならず心が満たされないさま、

をいいhttps://kanji.jitenon.jp/kanjiy/13876.html

百度百科には、

坎壈是一个汉语词汇……意为困顿、不顺利(坎壈是一個漢語詞匯(彙)、……意為困頓、不順利)、

とある。

永井荷風は、「下谷叢話」で、

然レドモ九皐詩文ヲ以テ高ク自ラ矜持(きょうじ)シ世ニ售(う)ルコトヲ欲セズ。今四十ヲ過ギテナホ坎壈(かんらん)ヲ抱ク。コレラノ作アル所以(ゆえん)ナリ。方今在位ノ人真才ヲ荒烟(こうえん)寂寞(じゃくまく)ノ郷ニ取ラズ。吁(ああ)惜ムベキ哉 (新字新仮名)、

と使っておりhttps://furigana.info/r/%E3%81%8B%E3%82%93%E3%82%89%E3%82%93、空海は、『三教指帰(さんごうしいき)』で、

或るときは金巖(きんがん)に登つて雪に遇うて坎壈(かんらん)たり、或るときは石峯(せきほう)に跨(また)がって粮(かて)を絶つて轗軻(かんか)たり、

と使っているhttps://www.i-manabi.jp/system/regionals/regionals/ecode:1/10/view/1737)

「坎」.gif


「坎」(漢音カン、呉音コン)は、「かん日」で触れたように、

会意兼形声。欠(ケン)は、人がからだをくぼませたさまを描いた象形文字。坎は「土+音符欠」。土にくぼんだ穴を掘ること、

とあり(漢字源)、

坎穽(カンセイ)、

は、

陥穽、

と書きかえられhttps://www.kanjipedia.jp/kanji/0001026100

坎、

は、

陥、

と書き換えられるものがある(仝上)とある。

「壈」.gif


「壈」(ラン)については、手元の漢和辞典(字源)には載らず、

坎壈(かんらん)、

としての用例のみが、かろうじて載る(https://kanji.jitenon.jp/kanjiy/13876.html)。で、

壈、

の「旁」の、

稟、

を調べてみた。

「稟」 金文・西周.png

(「稟(禀)」 https://kakijun.jp/page/rin13200.htmlより)


「稟」 金文・西周.png

(「稟(禀)」 金文・西周 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%A8%9Fより)

「稟」(①ヒン、②リン)は、

会意文字。「禾(穀物)+屋根付きの丸い米蔵のかたちろ」。収納していた作物をあらわす。転じて、食糧のこと、

とあり(漢字源)、「さずかった食糧」「さずかる、うける(稟命、稟樂)」「天から授かった性質(天稟・稟性)」「申し上げる(稟告)」等々は、①の発音、こめぐら(米蔵 廩)の意は、二の発音となる(仝上)。他に、

会意形声。禾と、㐭(リム)(こめぐら)とから成る。「こめぐら」、転じて「うける」意を表す(角川新字源)、
会意文字です。「米蔵」の象形と「穂の先が茎の先端に垂れかかる稲」の象形から、「米蔵の中の穀物」、「扶持米」を意味する「稟」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji2350.html)

とある。

参考文献;
藤堂明保他編『漢字源』(学習研究社)
前野直彬注解『唐詩選』(岩波文庫)

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2024年04月20日

齋院


忘れめや葵を草に引き結び仮寝の野辺の露のあけぼの(式子内親王)、

の詞書に、

斎院に侍りける時、神館にて、

とある(新古今和歌集)。

斎院、

は、

賀茂社に奉仕する斎王。未婚の内親王・女王が卜定された、

とある(久保田淳訳注『新古今和歌集』)。

神館、

は、

神事の際に神官などが参籠する建物、

とあり、

ちはやぶる斎(いつき)の宮の旅寝には葵ぞ草の枕なりける(千載和歌集)、

があり、これは、

祭の使として神館に宿り、斎院女房に贈った詠、

なので、これを意識するか、とある(仝上)。式子内親王集によれば、

斎院退下後の詠と見られる、

とある(仝上)。なお、歌の中の、

葵、

は、

賀茂葵、

を指し、

二葉葵、

ともいい、

賀茂社の神事に用いられる、

とある(仝上)。

返さの日」で触れたように、

返さの日、

は、

祭の次の日、祭を終わって賀茂の斎院が紫野(賀茂の斎宮の御所があった)へ帰っていく、それを公卿が行列で送るのである、

とある(佐藤謙三校注『今昔物語集』)。

賀茂斎院(かものさいいん)、

は、

いつきのみや、

ともいい、

賀茂別雷(かもわけいかずち)神社(上賀茂神社)、賀茂御祖(かもみおや)神社(下鴨神社)からなる賀茂社に奉仕する、未婚の内親王または女王、

をいう(国史大辞典)。伊勢神宮の斎宮と併せて、

斎王(さいおう)、
斎皇女(いつきのみこ)、

と呼ばれ、

伊勢神宮または賀茂神社に巫女として奉仕した未婚の内親王(親王宣下を受けた天皇の皇女)または女王(親王宣下を受けていない天皇の皇女、あるいは親王の王女)、

だが、厳密には、

内親王の場合は「斎内親王」、
女王の場合は「斎女王」、

といい、両者を総称して、

斎王、

と呼んでいるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%8E%E7%8E%8B。伊勢神宮の斎王は特に、

斎宮(さいぐう)、

賀茂神社の斎王は特に、

斎院(さいいん)、

と呼んだ(仝上)。また、単に、

斎(いつき)、

ともいう(大言海)。

賀茂斎院制度の起源は、平安時代初期、

平城上皇が弟嵯峨天皇と対立して、平安京から平城京へ都を戻そうとした際、嵯峨天皇は王城鎮守の神とされた賀茂大神に対し、我が方に利あらば皇女を「阿礼少女(あれおとめ、賀茂神社の神迎えの儀式に奉仕する女性の意)」として捧げると祈願をかけ、仁元年(810年)薬子の変で嵯峨天皇側が勝利した後、誓いどおりに娘の有智子内親王を斎王としたのが賀茂斎院の始まり、

とされる(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%8E%E9%99%A2・國史大辞典)。

伊勢神宮の、

斎王(斎宮)、

に倣い、歴代の斎王は、

内親王あるいは女王から占いによって選出され、賀茂川で禊を行い、宮中初斎院での二年の潔斎の後、三年目の四月上旬に、平安京北辺の紫野に置かれた本院(斎院御所)に参入し、再び賀茂川で禊をしてから、仏事や不浄を避ける清浄な生活を送りながら、年中祭儀や賀茂社での葵祭などに奉仕した、

とされる(仝上)。で、その御所の地名から、

紫野斎院(むらさきのさいいん)、

あるいは、

紫野院(むらさきのいん)、

とも呼ばれた(仝上)。特に重要なのは四月酉の日の賀茂祭で、

祭当日斎院は御所車にて出御され、勅使以下諸役は供奉し先ず下社へ次いで上社へ参向・祭儀が執り行われる。上社にては本殿右座に直座され行われた、

とあるhttp://www.genji.co.jp/yukari/aoi/saiin.html。この時の斎院の華麗な行列はとりわけ人気が高く、枕草子にも、

見物は、臨時の祭 行幸 祭の還さ 御賀茂詣で、

とある。「祭の還さ」が、

斎王の還御、

である(仝上)。祭り当日の夜は御阿礼所前の神館に宿泊され翌日野宮(紫野院)へ戻られたのである。

齋院制度は、

9世紀初めから13世紀初めまでの約400年間続き、35人が斎院をつとめた、

とある(国史大辞典)。

「齋」.gif

(「齋」 https://kakijun.jp/page/sai200.htmlより)

「斎(齋)」(漢音サイ、呉音セ)は、「斎」は「(とき)」で触れたように、

会意兼形声。「示+音符齊(サイ・セイ きちんとそろえる)の略体」。祭りのために心身をきちんと整えること、

である(漢字源)。別に、

形声。示と、音符齊(セイ、サイ)とから成る。神を祭るとき、心身を清めととのえる意を表す。転じて、はなれやの意に用いる、

とも(角川新字源)、

会意兼形声文字です(斉+示)。「穀物の穂が伸びて生え揃っている」象形(「整える」の意味)と「神にいけにえを捧げる台」の象形(『祖先神』の意味)から、「心身を清め整えて神につかえる」、「物忌みする(飲食や行いをつつしんでけがれを去り、心身を清める)」を意味する「斎」という漢字が成り立ちました、

ともhttps://okjiten.jp/kanji1829.htmlある。

とあり、やはり、心身を浄め整える意味がある。

「院」.gif

(「院」 https://kakijun.jp/page/1081200.htmlより)


「院」 中国最古の字書『説文解字』.png

(「院」 中国最古の字書『説文解字』(後漢・許慎) https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%99%A2より)

「院」(慣用イン、漢音呉音エン)は、

会意兼形声。「阜(土もり)+音符完(丸く欠け目なくとりかこむ)」。周りを囲んだ土べい、

とある(漢字源)。別に、

形声。「阜」+音符「完 /*KON/」。「かきね」を意味する漢語{院 /*waan/}を表す字。音変化 *-on > *-wan の後に「完」が音符として充当されたhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%99%A2

形声。阜と、音符完(クワン)→(ヱン)とから成る。家の周囲にめぐらした土塀、また、その家の意を表す(角川新字源)、

会意兼形声文字です(阝+完)。「段のついた土山の象形」と「家の屋根・家屋と、冠をつけた人の象形」(「家の周囲の土塀」の意味)から「堅固な垣根・建物」を意味する「院」という漢字が成り立ちましたhttps://okjiten.jp/kanji451.html)

等々とあり、ほぼ同趣旨である。

参考文献;
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
久保田淳訳注『新古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)

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スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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