2024年04月21日

しきたへ


わが恋を人知るらめやしきたへの枕のみこそ知らば知るらめ(古今和歌集)、
しきたへの枕の下に海はあれど人をみるめはおひずぞありける(古今和歌集)、

の、

しきたへの、

は、

枕、床、袖などににかかる枕詞、

とある(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。

しきたえ、

は、

敷栲、
敷妙、

と当て、

共寝するために敷く栲(たへ)、

の意(岩波古語辞典)で、

寝床に敷いて寝る衣、

をいう(大言海・岩波古語辞典)。

栲(たへ)、

は、

たく、

ともいい(大言海)、

楮(こうぞ)類の皮からとった白色の繊維、またそれで織った布(岩波古語辞典)、
梶(かじ)の木などの繊維で織った、一説に、織目の細かい絹布。布(精選版日本国語大辞典)、
殻の木の糸(祭に用ゐるときは木綿(ユフ)とも云ふ)を以て織りなせる布(大言海)、
古へかぢの木の皮の繊維にて織りし白布(字源)、

等々とあり、

コウゾの古名(デジタル大辞泉)、
「かじのき(梶木)」、または「こうぞ(楮)」の古名(精選版日本国語大辞典)、

ともあるのは、

カジノキとコウゾは古くはほとんど区別されていなかったようである。中国では「栲」の字はヌルデを意味する。「栲(たく)」は樹皮を用いて作った布で、「タパ」と呼ばれるカジノキなどの樹皮を打ち伸ばして作った布と同様のものとされる、

とある(精選版日本国語大辞典)。

純白で光沢がある、

ため(仝上)、

色白ければ、常に白き意に代へ用ゐる

とあり(大言海)、

白栲(しろたへ)、
和栲(にぎたへ)、
栲(たへ)の袴、
栲衾(たくぶすま)、

などという(仝上・字源)。

栲、

は、

ハタヘ(皮隔)の義(言元梯)、
たへ(手綜)の義(日本古語大辞典=松岡静雄・続上代特殊仮名音義=森重敏)、

と、「織る」ことと関わらせる説もある(「綜(ふ)」については触れた)が、

堪(た)へにて、切れずの義か、又、妙なる意か、

とある(大言海)ように、

妙、

と同根とされる(岩波古語辞典)。また、

御服(みそ)は明る妙(タヘ)・照る妙(タヘ)・和(にき)妙(タヘ)・荒妙(あらたへ)に称辞竟(たたへごとを)へまつらむ(「延喜式(927)祝詞(九条家本訓)」)、

とあるように、

布類の総称、

として、

妙、

を当てている(精選版日本国語大辞典)例もある。

しきたへの、

は、枕詞として、

明星(あかぼし)の 明くる朝(あした)は敷多倍乃(しきタヘノ)床(とこ)の辺去らず(万葉集)、

と、

「しきたえ」は敷物とする栲(たえ)、すなわち寝具の意となるところから、寝具として使われる「床」「枕」「手枕」、

などにかかり、また、

ますらをと思へる我も敷妙乃(しきたへノ)衣の袖は通りて濡れぬ(万葉集)、

と、

夜の衣や袖(そで)なども、下に敷いて寝るところから、「衣」「袖」「袂」「黒髪」、

などにかかり、夜床のある家の意からか、

留めえぬ命にしあれば敷細乃(しきたへノ)家ゆは出でて雲隠りにき(万葉集)、

と、

家、

にかかり、

寄る波の涼しくもあるか敷妙の袖師(そでし)の浦の秋の初風(新勅撰和歌集)、

と、

袖や床と同音を語頭にもつ地名「袖師の浜」「鳥籠(とこ)の山」「とこの海」、゛

などにかかる使われ方をする(精選版日本国語大辞典)。

しろたへ、

は、

白栲、
白妙、

と当て、

春過ぎて夏来にけらし白たへの衣干すてふ天の香具山(新古今和歌集)
卯の花の咲きぬる時は白たへの波もて結へる垣根とぞ見る(仝上)

などと詠われるが、

栲(たえ)で作った製品の意で、繊維製品を表わす、

ので、

やすみしし我が大君の獣(しし)待つと呉床(あぐら)にいまし斯漏多閉能(シロタヘノ)衣手(そて)着備ふ(古事記)、

と、

「衣(ころも)」「衣で」「下衣(したごろも)」「袖(そで)」「たもと」「たすき」「帯」「紐(ひも)」「領巾(ひれ)」「天羽衣(あまのはごろも)」「幣帛(みてぐら)」、

などにかかり、白栲のように真白なの意で、

まそ鏡照るべき月を白妙乃(しろたへノ)雲か隠せる天つ霧かも(万葉集)、

と、

「君が手枕(たまくら)」「雲」「月」「雪」「光」「砂」「鶴(つる)」「梅」「菊」「卯(う)の花」、

など、白いものを表わす語にかかる(精選版日本国語大辞典)。

栲、

は、

上代において、衣料の素材として用いられていたため、「白栲」は、「万葉集」では、

衣服に関する語の枕詞として多用される。実生活に即した語ではあるが、一方で「白妙」という美称的表記も用いられ、歌語としての萌芽が認められる、

とある(精選版日本国語大辞典)。時代が下ると、「栲」が生活に用いられることはなくなり、それに伴って「白栲」は観念的なものとなっていき、歌語としては白色のみが強く意識され、白の象徴としての枕詞になっていく(仝上)とある。

「敷」.gif

(「敷」 https://kakijun.jp/page/1543200.htmlより)

「敷」(フ)は、

会意兼形声。甫(ホ・フ)は、芽のはえ出たたんぼを示す会意文字で、平らな畑のこと。圃(ホ)の原字。旉(フ しく)は、もと「寸(手の指)+音符甫(平ら)」の会意兼形声文字で、指四本を平らにそろえてぴたりと当てること。敷はそれを音符とし、攴(動詞の記号)をそえた字で、ぴたりと平らに当てる、または平に伸ばす動作を示す、

とあり(漢字源・角川新字源)、

会意兼形声文字です(旉+攵(攴))。「草の芽の象形と耕地(田畑)の象形と右手の象形」(「稲の苗をしきならべる」の意味)と「ボクッという音を表す擬声語と右手の象形」(「ボクッと打つ・たたく」の意味)から、「しく」を意味する「敷」という漢字が成り立ちました、

ともある(https://okjiten.jp/kanji1111.html)が、別に、

形声。「攴」+音符「尃 /*PA/」。「しく」を意味する漢語{敷 /*ph(r)a/}を表す字、

とも(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%95%B7)ある。

「栲」.gif


「栲」(こう)は、

会意兼形声。「木+音符考(まがる)」で、くねくねと曲がった木、

とある(漢字源)。
中国最古の字書『説文解字』(後漢・許慎)には、

紵緒の旁(つくり)を省き、合して木篇としたるもの、

とあり(大言海)、「栲」は、

樗(アフチ 「楝(あふち)」に似たる一種の喬木、

で、

栲栳量金買斷春(盧延譲詩)、

と、

栲栳(カウラウ)、

は、柳條をまげて作り、物を盛る器、

とある(字源・漢字源)。

「妙」 漢字.gif

(「妙」 https://kakijun.jp/page/0768200.htmlより)

「妙」(漢音ビョウ、呉音ミョウ)は、「妙見大悲者」で触れたように、

会意文字。少は「小+ノ(けずる)」の会意文字で、小さく削ることをあらわす。妙は「女+少」で、女性の小柄で細く、なんとなく美しい姿を示す。細く小さい意を含む、

とある(漢字源)。別に、

会意形声。女と、少(セウ→ベウ わかい)とから成り、年若い女、ひいて、美しい意を表す。また、杪(ベウ)・眇(ベウ)に通じて、かすかの意に用いる、

とも(角川新字源)、

会意兼形声文字です(女+少)。「両手をしなびやかに重ね、ひざまずく女性」の象形と「小さい点」の象形(「まれ・わずか」の意味)から、奥床しい女性(深みと品位がある女性)を意味し、そこから、「美しい」、「不思議ではかりしれない」を意味する「妙」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji1122.html

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
久保田淳訳注『新古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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2024年04月22日

下紐


思ふとも恋ふともあはむものなれやゆふ手もたゆくとくる下紐(古今和歌集)、

の、

とくる下紐、

は、

下紐が解けるのは、思いを寄せる相手と逢える前兆と信じられていた、

とある(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。

下紐(したひも)、

は、

装束の下、肌着の上に結ぶ帯、したおび、

とあり(精選版日本国語大辞典)、

下裳(したも)などのひも(岩波古語辞典・大言海)、
下裳(したも)・下袴(したばかま)などの紐、下結(したゆう)紐(デジタル大辞泉)、
腰から下に着用する裳(も)や袴(はかま)などの紐(学研全訳古語辞典)、

等々とあり、

人に恋ひらるる時は、下紐、解くることありと言ひならはして、歌にむ多く其意に云へり、

とある(大言海)。また、

我妹子し吾(あ)を偲ふらし草枕旅之丸寝(たびのまろね)に下紐解けぬ(万葉集)、

と、

下紐が自然に解けるのは、相手から思われているか、恋人に会える前兆とする俗信があった、

が、また、

男女が共寝した後、互いに相手の下紐を結び合って、再び会うまで解かない約束をする習慣があった、

ともある(学研全訳古語辞典)。万葉時代には、

紐の結び、

の伝統があって、

恋人同士が別れる前に互いの魂を分け与えるという意味で、「下紐」を結び交わした。その結び目は再会するまで解けることなく維持されるのが原則であった。その「結び目」が解けたり切れたりするのは互いの魂の遊離を意味し、不吉なものであった、

といい、他方、

下紐解く、

ことを、

離れている二人が相手を思い、その強い思いが魂の片鱗である下紐の結び目に作用して自然に解けるという考え方をも有していた、

とあるhttps://www.earticle.net/Article/A280071)。これが、平安時代には、

思ふ心のしるし、

としての「下紐」信仰のみが影響力を持った、

とあり、不吉な意味はなくなり、「下紐」の表現は多様化して、

夜半の下紐(男女の間柄が親密なってうちとける様子)、
花の下紐(女性が男性に身をまかせる表現から花のつぼみが開く様子を表す表現として定着)、
下紐の関(片想いの障害物か、男女が逢ってはいるがそれにも関わらず存在する障害物の象徴)、

等々といった慣用句を産み出した(仝上)とある。

下紐(したひも)、

は、

日本書紀では、

遂(つひ)に美麗(うるは)しき小蛇(こをろち)有り。其(そ)の長(なか)さ大(おをき)さ衣紉(シタヒモ)の如(こと)し、

と清音だが、万葉集では、

うるはしと思ひし思はば之多婢毛(シタビモ)に結ひつけ持ちて止まず偲(しの)はせ、

と、

したびも、

と濁音である(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)。

下紐、

の意は、下ると、日葡辞書(1603~04)では、

ふんどし、

の意、江戸時代には、

いつ見ならひけるつまなげ出しの居ずまひ、白羽二重の下紐(シタヒモ)を態と見せるはさもし(好色一代女(1686)、

と、

腰巻、

をいい(仝上)。

二布(ふたの)、
したへぼ、

ともいった(仝上)とある。

なお、

下紐の、

は、

物思(ものも)ふと人には見えじ下紐(したびも)の下(した)ゆ恋ふるに月そ経にける(万葉集)、

と、

「下紐」の「下」と同音の繰り返しで「下ゆ恋ふる」にかかり、また、下紐を解く意で、「解(と)く」と同音の地名「土岐(とき)」に、下紐を結う意で、「結(ゆ)ふ」と同音の「夕」にかかる、

枕詞として使われ、

男女が別れる時に互いに下紐を結び合い、再会して解き合うまでその紐を解かないという習慣、また信仰があったので、その恋の心を含ませて用いる、

とある(精選版日本国語大辞典)。

「紐」.gif

(「紐」 https://kakijun.jp/page/himo200.htmlより)

「紐」(慣用チュウ、漢音ジュウ、呉音ニュウ)は、

会意兼形声。「糸+音符丑(チウ ねじる、ひねって曲げる)」で、柔らかい寝(い)を寝(ぬ)含む、

とあり(漢字源)、

会意兼形声文字です(糸+丑)。「より糸」の象形(「糸」の意味)と「手指に堅く力を入れてひねる」象形(「ひねる」の意味)から、ひねって堅く結ぶ「ひも」を意味する「紐」という漢字が成り立ちました、

ともある(https://okjiten.jp/kanji2650.html)が、

形声。糸と、音符丑(チウ)→(ヂウ)とから成る(角川新字源)、

と、形声文字とする説もある。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
久保田淳訳注『新古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)

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2024年04月23日

ゆたのたゆたに


いでわれを人なとがめそ大舟のゆたのたゆたにもの思ふころぞ(新古今和歌集)、

の、

ゆたのたゆたに、

は、

あが心ゆたにたゆたに浮き蓴(ぬなは)辺(へ)にも沖にも寄りかつましじ(万葉集)、

の、

「ゆたにたゆたに」の転、

とある(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。なお、

蓴(ぬなは)、

は、

スイレン科の水生の多年草の蓴菜(じゅんさい)、

である(仝上)。

ゆたのたゆたに、

は、

寛のたゆたに、

と当て、後世、

ゆだのたゆだに、

ともいい(精選版日本国語大辞典)、

ゆらゆらとただよい動いて、
甚だ揺蕩(たゆた)ひて、

といった(仝上・大言海)状態表現の意で、それが、価値表現に敷衍して、

不安定で落ち着かないようす、

を表す(学研全訳古語辞典)。

ゆた、

は、

寛、

と当て、

かくばかり恋ひむものそと知らませばその夜(よ)はゆたにあらましものを(万葉集)、

と、

ゆったりしたさま、
余裕のあるさま、

の意で(岩波古語辞典)、さらに、上述の、

ゆたにたゆたに、

のように、

ゆったりして不定のさま、

の意になり(仝上)、

たゆたに、

は、

タは接頭語、

で、

ゆたに、

ともいい、

ゆた、

は、上述のように、

ゆるめやかでさだまらないさま、

の意となり(仝上)、

ゆらゆら、

の状態表現から、

気持の揺れて定まらないさま、

の価値表現としても使う(仝上)。動詞の、

たゆたふ、

は、

揺蕩(たゆた)ふ、
猶予ふ、
猶預ふ、

等々と当て(大言海・日本語源大辞典・岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)、

タは接頭語、ユタはゆるやかでさだまらないさま、

とある(岩波古語辞典)が、やはりもとは、

天雲の多由多比(タユタヒ)来れば九月(ながつき)のもみちの山もうつろひにけり(万葉集)、

と、

水などに浮いているものや煙などが、あちらこちらとさだめなくゆれ動く、
ひと所にとまらないでゆらゆらと動く、
ただよう、

という状態表現の意味だが、それをメタファにして、

常止まず通ひし君が使ひ来ず今は逢はじと絶多比(たゆタヒ)ぬらし(万葉集)、

と、

心が動揺して定まらなくなる、
ぐずぐずして決心がつかない状態になる、
躊躇(ちゅうちょ)する、
ぐずぐずする、

という価値表現の意で使う(精選版日本国語大辞典)。で、この意味の時は、

躊躇、
猶予(いざよう)、
依違(いい)、

と意味が重なる(仝上・大言海)。

たゆたふ、

の語源は、

タは接頭語、ユタはゆるやかでさだまらないさま(岩波古語辞典)、

以外に、

ユタユタの略、タヤタの活用語(万葉考)、
タユミ-タタフ(湛)の義(名語記)、
漂う意で、タユタユ(徒動徒動)の義(言元梯)、
タは接頭語、ユタはユタカ(裕)の語幹(日本古語大辞典=松岡静雄)、

等々あるが、上述の流れから見て、やはり、

タは接頭語、ユタはゆるやかでさだまらないさま、

からきていると見るのが妥当に思われる。

「寛」.gif

(「寛」 https://kakijun.jp/page/1323200.htmlより)

「寬」.gif


「寛」(カン)は、

会意兼形声。萈(カン)は、からだのまるい山羊を描いた象形文字。まるい意を含む。寛はそれを音符とし、宀(いえ)を加えた字で、中がまるくゆとりがあって、自由に動ける大きい家。転じて、ひろく中にゆとりのある意を示す、

とある(漢字源)。別に、

会意兼形声文字です(宀+莧(萈))。「屋根・家屋」の象形と「角と目とを強調した、やぎ」の象形から、小屋の中にゆったりとしているやぎのさまを表し、そこから、「ひろい」を意味する「寛」という漢字が成り立ちました、

(https://okjiten.jp/kanji1690.html)同趣旨たが、

形声。宀と、音符萈(クワン)とから成る。広い家、ひいて「ひろい」意を表す。常用漢字は省略形による、

と(角川新字源)、

形声。「宀」+音符「萈 /*KWAN/」。「ひろい」を意味する漢語{寬 /*kwhaan/}を表す字、

(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%AF%AC)、形声文字とする説もある。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前田富祺編『日本語源大辞典』(小学館)
久保田淳訳注『新古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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2024年04月24日

幕府


月卿臨幕府(月卿(げっけい)は幕府に臨み)
星使出詞曹(星使(せいし)は詞曹(しそう)より出でたり)(高適・送柴司戸充劉卿判官之嶺外)

の、

幕府、

は、

節度使(劉卿)は本来武官であるが、駐屯する地方の行政権をも委譲されており、その執務する役所を幕府という、

とある(前野直彬注解『唐詩選』)。

月卿、

は、

朝廷にいる公卿、

を指し、「書経」洪範に、

卿士は惟(こ)れ月、

とあるのにもとづく。ここでは、劉卿をさすとある(仝上)。

星使、

は、

朝廷の使者、

をいい、

柴司戸をさす。柴は使者として行くわけではないが、朝廷の命令によって(劉節度使の判官、幕僚として)派遣されるから、使という、

とあり(仝上)、

詞曹、

は、

文学の才によって勤務する役所、ふつう翰林院をいう。これからみれば、柴は翰林から嶺南の判官に転任させられたらしい、

とある(仝上)。

永平の初、東平王蒼……東閤を開き、英雄を延(ひ)く。時に固、始めて弱冠、奏記して蒼に説きて曰く、……竊(ひそ)かに幕府新たに開かれ、廣く群俊を延(まね)くを見る。~明智を收集し、國の爲に人を得、以て本朝を寧(やす)んずべし(後漢書・班固伝)、

とある(字通)、

幕府、

は、

古者出征為将師、軍還則罷、理無常處、以幕帟為府署、故曰幕府(史記・李牧伝、索隠注)、

将軍職、在征伐、所在為治、曰幕府(「故事(胡継宗)」)、

などともあり、もと、

将軍は軍旅の際、幕中で事を治めたから、

将軍の居所、または陣営、

をいい、

柳営、

のこと(広辞苑)とある。

柳営、

は、「漢書」周勃伝の、

中国漢の将軍周亜夫が匈奴(きょうど)征討の時に細柳という地に陣し、軍規正しく威令がよく行なわれた、

というの故事による(精選版日本国語大辞典)、

出征中の将軍の陣営、

つまり、

幕府、

である。「史記」李将軍傳に、

大将軍使長史急責廣、之幕府、対簿、

とあり、当然、

一定のところになく随処に幕を以て府とする、

ものである(字源)。中国では、

天子を輔佐する者や天子の委任を受けた者が、長官として府を開き属官を置いたが、野戦軍司令官の場合は帷幕(いばく)で府を設営するのでこれを幕府といった、

とあり(世界大百科事典)、幕府が、

官署の意味に用いられるようになるのは、後漢の明帝時代、東平王蒼が驃騎将軍となって自己の政庁を置き、天子を輔佐したときあたりからだという。三国以後になると、将軍号を帯びる者が各地に都督府を開き、1州ないし数州の軍事権を掌握した。都督府はしだいに州の行政権も握るようになった、

とある(仝上)。中唐以後には、

各地に節度使が配置されて数州を管轄したが、その政庁は使府とよばれた。属官には判官・推官など令制外の幕職官が置かれ、従来の州県官の権限をしのいで管轄地域の軍事と行政を掌握した。幕職官も節度使の意向によって任用された、

とあるのが、上記の詩の背景となる。

これを転用して、日本では、

幕府、

は、

左右近衛府、大将、唐名羽林大将軍、常は幕府と云ふ、又幕下と云ふ(職下抄)、

と、

皇居警固の陣、

である、

近衛府の唐名、

として用い、転じて、

近衛大将の居館、

また、

近衛大将、

をさす(広辞苑・精選版日本国語大辞典)。さらに、

右近衛大将であった源頼朝が建久三年(1192)征夷大将軍となったあとも、ひき続いてその居館を幕府と呼称した、

ことから、

武家政権の首長およびその居館の呼称、

つまり、

将軍、公方の政令を発する所、

の意味で(精選版日本国語大辞典)、

朝廷、

に対し、

武家の政府、

の意味で使う(大言海)。で、

柳営、

も、同じ意味で使う。日本では、

鎌倉幕府・室町幕府・江戸幕府、

があるが、歴史学上の用語としては、抽象的に、

武家政権、

を意味し、鎌倉幕府・室町幕府・江戸幕府を一貫して把握するものとされる。したがって政権の首長が征夷大将軍でない時期もその政権を「幕府」と称し、最近では首長の征夷大将軍任命をもって「幕府」の成立とはしない考え方がある、

とある(日本史小辞典)。現に、

1190年(建久1)源頼朝は右近衛大将に任ぜられ、やがて辞退したが、その居館を幕府、頼朝のことを幕下と呼ぶようになった、

けれども、

94年に頼朝は征夷大将軍の辞表を提出しているし、その子頼家が征夷大将軍になったのは、父のあとを継いで3年後である。1203年(建仁3)頼家の弟実朝が兄のあとを継ぐと同時に征夷大将軍に任ぜられ、それ以来武家政権の首長と征夷大将軍とが一体のように考えられるに至った。しかし鎌倉・室町幕府ではその首長が幼少のため、元服して征夷大将軍になるまで、征夷大将軍を欠くようなことは珍しくなく、とくに九条頼経、足利義政などは首長の地位についてから征夷大将軍となるまでの期間が6~7年に及んでいる、

とある(世界大百科事典)。

「幕」.gif

(「幕」 https://kakijun.jp/page/1327200.htmlより)

「幕」 中国最古の字書『説文解字』.png

(「幕」 中国最古の字書『説文解字』(後漢・許慎)・漢 https://kakijun.jp/page/0881200.htmlより)

「幕」(漢音バク、呉音マク)は、

会意兼形声。莫(マク・バク)は、四つの屮印(草)の間に陽が隠れるさまを示す会意文字で、暮の原字。隠れて見えない意を含む。幕は「巾(ぬの)+音符莫」で、物を隠して見えなくするおおい、

とあり(漢字源)、

会意兼形声文字です(莫+巾)。「草むらの象形と太陽の象形」(太陽が草原に没したさまから、「ない・覆い隠す」の意味)と「頭に巻く布きれをひもにつけて帯にさしこむ」象形から、「覆う為の布(まく)」を意味する「幕」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji1005.htmlが、

形声。「巾」+音符「莫 /*MAK/」。「とばり」「覆いのぬの」を意味する漢語{幕 /*maak/}を表す字、

ともhttps://kakijun.jp/page/0881200.html

形声。巾と、音符莫(バク)とから成る。おおう布、「まく」の意を表す、

とも(角川新字源)、形声文字とする説がある。

「府」.gif

(「府」 https://kakijun.jp/page/0881200.htmlより)

「府」 金文・戦国時代.png

(「府」 金文・戦国時代 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%BA%9Cより)

「府」(フ)は、

会意兼形声。付(フ)は、人の背に手をぴたりとひっつけるさま。府は、「广(いえ)+音符付」で、物をびっしりとひっつけていれるくら、

とあり(漢字源)、同趣旨で、

会意兼形声文字です(广+付)。「屋根」の象形と「横から見た人の象形と、右手の手首に親指をあて脈をはかる象形(「手」の意味)」(人に手で「物をつける」の意味)から重要な書類をよせて(つけて)しまっておく、「くら」を意味する「府」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji572.htmlが、

形声。「广」(建物)+音符「付 /*PO/」。「蔵」を意味する漢語{府 /*p(r)oʔ/}を表す字、

ともhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%BA%9C

形声。广と、音符付(フ)とから成る。文書などをしまっておく「くら」の意を表す、

とも(角川新字源)あり、形声文字とする。「府」は、

宝物や文書をしまう建物、

つまり、

くら、

の意だが、

政府、

というように、

役所、

も意味し、

唐から清代にかけての行政区画のひとつ、州の上位に位置し、州・県を統括する、

とある(漢字源)。

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
前野直彬注解『唐詩選』(岩波文庫)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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ラベル:幕府 柳営
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2024年04月25日

うけ


伊勢の海に釣りする海人(あま)のうけなれや心一つを定めかねつる(古今和歌集)、

の、

うけ、

は、

釣りをするときの浮子、

とある(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。

うけ、

は、

食、

と当てると、

保食神、此云宇気母知能加微(うけもちの神)(日本書紀)、

と、

食物、

の意(岩波古語辞典)、

筌、

と当てると、

うえ(へ)、

ともいい、

魚をとる道具、

で、

竹を筒状または底のない徳利状に編んだもの、

をいい、

槽、

と当てると(ケは笥の意)、

天の石屋戸(いはやと)にうけ伏せて踏みとどろこし(古事記)、

と、

たらいのような容器、

で(デジタル大辞泉)、

穀物を入れておくいれもの、祭儀の時、これを伏せてたたき、霊魂(たま)に活力を与える、

とあり(岩波古語辞典)、

うけを衝くは神遊びの義なり(江家次第)、

とある。

神遊

は、

神々が集まって楽を奏し、歌舞すること、

が、転じて、

神前で歌舞を奏して神の心を慰めること。また、その歌舞、

の意となる(精選版日本国語大辞典)。

神楽(かぐら)、

と同じ意味である(仝上)。

有卦、

と当てると、

陰陽道(おんようどう・おんみょうどう)で、人の生年を干支に配して、五行相生相剋の理によって定めた、吉事が続くという年回り、次の5年は無卦(むけ)の凶年が続く、

という意味になる(岩波古語辞典・デジタル大辞泉)。

ここでの、

うけ、

は、

浮、
浮子、
泛子、

と当てる、

住吉(すみのえ)の津守網引(あびき)の浮(うけ)の緒の浮かれか行かむ恋ひつつあらずは(万葉集)、

の、

うき(浮)、

つまり、

釣糸や(曳)網につけて波のまにまにうかしてある木片、

をいい(仝上・精選版日本国語大辞典)、

泛子(うき)の古語、

とあり(大言海)、

ちいさきひょうたん浮きて流れもあえず見えけるを、これぞと取あげしに、刀のうけに付て酒もり半に沈め置しと見えたり(浮世草子「武家義理物語(1688)」)、

と、「浮沓(うきぐつ)」のような、

浮かばせるための道具、

をもいう(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)。この、

うけ、

は、四段活用の動詞、

浮く、

の他動詞形、

浮く、

の名詞形になる。

うく」で触れたように、

物が空中・水中・水面にあって、底につかず、不安定な状態でいる意。「心が浮く」とは、平安時代には不安な感じを伴い、室町時代以降には陽気な感じを表した、

とあり(岩波古語辞典)、その語源は、

本来二音節語と考えます。「水面または空中にある」意です。ウカレル(浮か+レル)は、他の刺激により心理的に浮いた状態になる意です。ウカブは「浮カ+ブ(継続)」で、浮いた状態になることを表します。ウカベルはもその一段化で、いずれも同源です(日本語源広辞典)、
ウはウヘ(上)の意(日本釈名・日本古語大辞典=松岡静雄)、
ウヘク(上来)の義(日本語原学=林甕臣)、
ウは海、または上か。クはかろくの上略か(和句解)、

等々とあるが、「うえ(上)」は、古形は、

ウハ、

である。

「下(した)」「裏(うら)」の対。稀に「下(しも)」の対。最も古くは、表面の意。そこから、物の上方・髙い位置・貴人の意へと展開。また、すでに存在するものの表面に何かが加わる意から、累加・繋がり・成行き等の意を示すようになった

とある(岩波古語辞典)。

ウハ→ウヘ→ウエ、

の転訛である。ならば、

ウハ→ウク、

もありそうな気がするが、音韻的には無理らしい。

「泛」.gif


「泛」(①漢音ハン・呉音ボン、②漢音ホウ・呉音フウ)は、

会意兼形声。乏は「止(あし)+/印」からなり、足の進行を/印でとめたさま。わくをかぶせられて進めないこと。泛は、「水+音符乏(ボウ)」で、かぶさるように水面に浮くこと、

とある(漢字源)。「与客泛舟」(蘇武)のように「うかぶ」「うかべる」、「泛論(=汎論)」のように、「おおう」「あまねし」の意は、①の発音、「泛駕之馬(ほうがのうま 暴れ馬)」というように、「覆(くつがえ)す」の意の場合は、②の発音とある(仝上)。別に、

形声、「水」+ 音符「乏」、

と、形声文字とする説(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E6%B3%9Bもある。

「浮」.gif


「浮」(慣用フ、呉音ブ、漢音フウ)の字は、「うく」で触れたように、

会意兼形声。孚は「爪(手を伏せた形)+子」の会意文字で、親鳥がたまごをつつむように手でおおうこと。浮は「水+音符孚」で、上から水を抱えるように伏せて、うくこと、

とある(漢字源)。沈の対である。我が国でのみの使い方は、「浮いた考え」とか「金が浮く」とか「浮いた気持ち」とか「考えが浮かぶ」とか「歯が浮く」というように、本来の「浮く」の意味に準えたような、「うかぶ」「うかれる」「あまりがでる」等の意味での使い方は、漢字にはない。しかし、

浮生、
浮言、
浮薄、

といった「とりとめない」意はあるので、意味の外延を限界以上に拡げたとは言える。別に、

会意兼形声文字です(氵(水)+孚)。「流れる水」の象形と「乳児を抱きかかえる」象形(「軽い、包む」の意味)から、「軽いもの」、「うく」を意味する「浮」という漢字が成り立ちました、

ともある(https://okjiten.jp/kanji1091.html)

参考文献;
高田祐彦訳注『新版古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

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2024年04月26日

獨夫(どくふ)


舊俗疲庸主(舊俗 庸主に疲れ)
群雄問獨夫(群雄 獨夫に問う)
讖歸龍鳳質(讖(しん)は龍鳳の質に帰し)
威定虎狼都(威(い)は虎狼の都を定めたり)(杜甫・行次昭陵)

の、

讖、

は、

予言、

龍鳳質、

の、

龍鳳、

は、

天子の象徴、

で、

天子になるべき素質、

の意で、

唐の太宗、

をさす(前野直彬注解『唐詩選』)とある。

太宗がまだ若い頃、その姿を見た人が「龍鳳の姿」と評した故事を踏まえる、

とある(仝上)。

獨夫、

は、

暴虐無道の君主、

の意、

帝位にあっても、民心はすべて彼を離れ、完全な孤独の状態にあるから、こういう、

とあり、「書経」泰誓篇に、

獨夫受(紂の名)、

とあるのにもとづき、もと、

殷の紂王、

を指した(仝上)とある。「荀子」議兵には、

湯武の~桀(けつ)・紂(ちう)を誅すること、獨夫を誅するが若(ごと)し。故に泰誓に獨夫紂と曰へるは、此れを之れ謂ふなり、

とある(字通)。ちなみに、桀(けつ)は、

夏の最後の帝、

で、

殷の湯、

に滅ぼされhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%80

紂王(帝辛)、

は、

殷の最後の王、

で、

周の武王、

に滅ぼされhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%9D%E8%BE%9B

夏の桀、
殷の帝辛(紂王)、
周の厲王、

は、暴君の代名詞となった(仝上)とある。

獨夫、

は、

どくふ、

と訓ますが、

どっぷ、

とも訓ませる(精選版日本国語大辞典)。

桀.png



紂王.jpg

(紂王(絵本三国妖婦伝より) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%9D%E8%BE%9Bより)

獨夫、

は、文字通り、

高祖は、領地とては一尺の地も持せず、独夫の牢人なりしかども(「集義和書(1676頃)」)、

と、

一人身の男、独身の男(字源・広辞苑)、
ただの一人の男(字通)、
独身のおとこ、ひとり身の男。また、官位や財産などのない、単なる市井の男、

といった意味(精選版日本国語大辞典)になるが、

六軍徘徊、群兇益振。是則孟津再駕之役、独夫(トッフ)所亡也。城濮三舎之謀、侍臣攸敗也(太平記)、

と、

悪政を行なって、国民から見はなされた君主、

を指し、

獨夫受(紂の名)、

とあるように、

紂王、

が象徴のようにされている。

「獨」.gif

(「獨」(独) https://kakijun.jp/page/E0D5200.htmlより)

「獨」 『説文解字』.png

(「獨」 中国最古の字書『説文解字』(後漢・許慎)  https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%8D%A8より)

「獨」(漢音トク、呉音ドク)は、

会意兼形声。蜀(ショク)は、目が大きくて、桑の葉にくっついて離れない虫を描いた象形文字。ひつじは群れをなし、犬は一匹で持ち場を守る。獨は「犬+音符蜀」で、犬や桑虫のように、一定の所にくっついて動かず、他に迎合しないこと、

とある(漢字源)。別に、

会意兼形声文字です(犭+虫(蜀))。「犬」の象形と「大きな目を持ち桑(植物)について群がる虫(いもむし)」の象形(「不快ないもむし」の意味)から、争う事が好きな不快な犬を意味し、それが転じて(派生して・新しい意味が分かれ出て)、「ひとり」を意味する「独」という漢字が成り立ちました、

ともあるhttps://okjiten.jp/kanji827.htmlが、

形声。「犬」+音符「蜀 /*TOK/」。「ひとつ」「他と異なる」を意味する漢語{獨 /*dook/}を表す字、

https://ja.wiktionary.org/wiki/%E7%8D%A8

形声。犬と、音符蜀(シヨク)→(トク)とから成る。犬をたたかわせる意を表す。借りて「ひとり」の意に用いる。教育用漢字は俗字による、

も(角川新字源)、形声文字とする。

参考文献;
前野直彬注解『唐詩選』(岩波文庫)
簡野道明『字源』(角川書店)

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2024年04月27日

人日


今年人日空相憶(今年(こんねん)の人日 空しく相憶(おも)う)
明年人日知何處(明年(みょうねん)の人日 知んぬ何れの處ぞ)(高適・人日寄杜二拾遺)

の、

人日(じんじつ)、

は、

陰暦の正月七日、

をいい、民間の風習で、

正月元日を鶏の日、
二日を狗(いぬ)の日、
三日を豚の日、
四日を羊の日、
五日を牛の日、
六日を馬の日、
七日を人の日、

とし、それぞれ該当するものの一年中の豊凶を占う。人日には七種の菜を羹(あつもの)にして食べたり(七草粥のもとであろう)、布や金箔で人形を切り抜いて飾ったり、親しい間で宴会をひらき、贈物をするなどの行事があった、

とある(前野直彬注解『唐詩選』)。

人日、

は、

にんにち、

と訓むと、

作業量の単位の一つ、

の、

person-day、

の意で、

1人が1日働いた作業量を1としたもの、

をいい、

投入する人員の数と、1人あたりの作業への従事日数の積、

を表し、

1人で1日かかる仕事の量が「1人日」で、10人で5日かかれば50人日(10×5)、100人で半日かかっても50人日(100×0.5)、

となりhttps://e-words.jp/w/%E4%BA%BA%E6%97%A5.html

業務や事業の工数を測ったり見積もる際に用いられる、

とあり、分野や業界によっては、

人工(にんく)、

とも呼ばれる(仝上)。

じんじつ、

と訓むと、五節供の一つ、

陰暦正月七日の称、

である(岩波古語辞典・精選版日本国語大辞典)。

東方朔・『晩笑堂竹荘畫傳』より.jpg

(東方朔(『晩笑堂竹荘畫傳』)  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%96%B9%E6%9C%94より)

東方朔占書曰、歳正月一日占雞、二日占狗、三日占羊、四日占猪、五日占牛、六日占馬、七日占人、八日占穀、皆晴明温和為蕃息安泰之兆、陰寒惨烈為疾病衰耗(宋代類書(事物を天文・地理・生物・風俗などに分類、名称や縁起の由来を古書に求めたもの)『事物紀原』)、

と(字源)、東方朔(前漢の武帝時代の政治家)の、

占書、

に見える中国の古い習俗で、

正月の一日から六日までは獣畜を占い、七日に人を占う、

ところから、

陰暦正月七日の称、

とされ(精選版日本国語大辞典)、

ひとのひ(人の日)、

ともいい(仝上)、また、

霊辰(れいしん)、
元七(がんしち)、
人勝節(じんしょうせつ)、

ともいいhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E6%97%A5

「人日吉兆、幸甚々々」(「看聞御記」応永二六年(1419)正月七日) 、

とある、

五節供の一つ、

で、

正月七日為人日、以七種菜為羹(南朝梁「荊楚歳時記(宗懍)」)、

と、

七種(ななくさ)の羹(あつもの)、

を祝うのが慣例である(仝上)。

七草粥(ななくさがゆ).jpg

(七草粥(ななくさがゆ) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E6%97%A5より)

この日には、

一年の無病息災を願って、また正月の祝膳や祝酒で弱った胃を休める為、7種類の野菜(七草)を入れた羹(あつもの)を食する、

のだとされたが、これが日本に伝わって、

七草粥、

となった(仝上)。

七種粥」は、

七種粥、

とも当て、正月七日に、春の七草を入れて炊いた粥の意だが、

菜粥、

ともいう。

七種の節句(七日の節句)の日に邪気を払い万病を除くために、羹として食した、

とも(岩波古語辞典)、

羹として食ふ、万病を除くと云ふ。後世七日の朝に(六日の夜)タウトタウトノトリと云ふ語を唱へ言(ごと)して、此七草を打ちはやし、粥に炊きて食ひ、七種粥と云ふ、

とも(大言海)あるので、当初は、粥ではなく、中国式の、

羹(あつもの)、

であったらしい。「羊羹」で触れたように、「羹」は、

古くから使われている熱い汁物という意味の言葉で、のちに精進料理が発展して『植物性』の材料を使った汁物をさすようになりました。また、植物に対して「動物性」の熱い汁物を「臛(かく)」といい、2つに分けて用いました、

とあるhttps://nimono.oisiiryouri.com/atsumono-gogen-yurai/

中国の、

七種菜羹、

は、少なくとも平安時代初期には、無病長寿を願って若菜をとって食べることが貴族や女房たちの間で行われていた。ただ、七草粥にするようになったのは、室町時代以降だといわれる、

とある(日本大百科全書)。偽書とされる「四季物語」には、

七種のみくさ集むること人日菜羹を和すれば一歳の病患を逃るると申ためし古き文に侍るとかや、

とあるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%83%E8%8D%89。なお、平安時代の後期の文献に、

君がため夜越しにつめる七草のなづなの花を見てしのびませ、

の歌があるhttp://www.geocities.jp/tama9midorijii/ptop/kogop/kohakobe.htmlので、七草を摘むという風習は平安時代には既にあった(仝上)ようである。

人日、

に、

七種類の若菜で羹(あつもの)を頂く、

ということが習慣化したために、

子の日の祝い(ねのひのいわい)、

という前々にあった行事がまじりあってしまったhttps://plus.chunichi.co.jp/blog/oonishi/article/672/9881/とあるが、「子の日」については触れたように、

正月の初めの子の日に、野外に出て、小松を引き、若菜をつんだ。中国の風にならって、聖武天皇が内裏で宴を行ったのを初めとし、宇多天皇の頃、北野など郊外にでるようになった、

とあり(岩波古語辞典)、この宴を、

子の日の宴(ねのひのえん)、

といい、

若菜を供し、羹(あつもの)として供御とす、

とあり(大言海)、

士庶も倣ひて、七種の祝いとす、

とある(仝上)。また、

子の日に引く小松、

を、

引きてみる子の日の松は程なきをいかでこもれる千代にかあるらむ(拾遺和歌集)、

と、

子の日の松、

といい(仝上)、

小松引き、

ともいい、

幄(とばり)を設け、檜破子(ひわりご)を供し、和歌を詠じなどす、

という(大言海)。

子の日遊び、

は、

根延(ねのび)の意に寄せて祝ふかと云ふ(大言海)、
「根延(の)び」に通じる(精選版日本国語大辞典)、

とある。また、正月の初めの子の日に、

内蔵寮と内膳司とから天皇に献上した若菜、

を、

子の日の若菜(わかな)、

という(広辞苑・精選版日本国語大辞典)。どうやら、これも中国由来のところがあり、まじりあってしまうのはもっともだと思われる。

なお、

1月7日、

は、

白馬(あをうま)の節(せち)

と呼ばれる節供行事を行う日でもあった。

白馬(あをうま)の節、

は、

白馬の節会、
白馬の宴、

ともいい、

あおうま、
あおばのせちえ、

ともいい(精選版日本国語大辞典)。

正月七日、左右馬寮(めりょう)から白馬(あおうま)を庭に引き出して、天皇が紫宸(ししん)殿で御覧になり、その後で群臣に宴を賜わった。この日、青馬を見れば年中の邪気を除くという中国の故事によったもので、葦毛の馬あるいは灰色系統の馬を引いたと思われる、

とあり(仝上)、文字は「白馬」と書くが習慣により、

あおうま、

という(仝上)とある。まず、

青馬御覧の儀式、

があり、

馬寮(めりょう)の御覧より馬の毛付(けづき)を奏聞し(あをうまの奏)、

ついで、

左右の馬寮(めりょう)の官人、あをうまの陣(春華門(しゅんかもん)内)に並び、

順次、

七匹ずつ、三度、

牽きわたす、それを、主上、

正殿に出御ありて、御覧ぜられる、

といい、

春の陽気を助くるなり、

とされる。その後、

節会、

となる、という次第のようである(大言海)。

なお、五節句、

は、

重陽でも触れたように、

人日(じんじつ)(正月7日)、
上巳(じょうし)(3月3日)、
端午(たんご)(5月5日)、
七夕(しちせき)(7月7日)、
重陽(ちょうよう)(9月9日)、

である。正月七日の、七種粥、三月三日の、曲水の宴、上巳の日の、天児白酒については触れた。

参考文献;
前野直彬注解『唐詩選』(岩波文庫)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
簡野道明『字源』(角川書店)

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2024年04月28日

吹毛


烏孫腰間佩两刀(烏孫(うそん) 腰間に两刀を佩(お)ぶ)
刃可吹毛錦為帯(刃(やいば)は毛を吹く可く錦を帯と為す)(李頎・崔五丈図屏風各賦一物得烏孫佩刀)

の、

吹毛、

は、

刃の上に毛をふきつけると、毛が二つに切れて落ちる、刃の鋭いことをいう。吹毛の剣という名の名刀もある、

と注記がある(前野直彬注解『唐詩選』)。

吹毛(すいもう)、

は、文字通り、

毛を吹くこと、

で、

きわめてたやすいことのたとえ、

にいい(精選版日本国語大辞典)、

吹毛の咎

で触れたように、

をりふしにつけては、吹毛の咎を争うて、讒を構ふること休む時なし(太平記)、
関白為汝猶有不快御気色。毎事似可有吹毛。能々可用心云々(「春記」(参議兼春宮権大夫藤原資房(1007~57)の日記)長暦二年(1038)一二月一二日)、

などと、

毛を吹いて隠れた疵(きず)を探す、

意から、

無理に欠点をさがすこと、

また、

他人の弱点をあばいて、かえって自分の欠点をさらけだすこと、

の意で使い、これは、

毛を吹いて疵を求める、

とか、

毛を吹いて過怠の疵を求む、

などという諺の、

毛を吹いて隠れた疵を求める、

つまり、

好んで人の欠点を指摘する、

あるいは、

他人の弱点を暴いて、かえって自分の欠点をさらけ出す、

意から来ていて(故事ことわざの辞典)、

吹毛求疵(すいもうきゅうし)、
吹毛之求(すいもうのもとめ)、
洗垢索瘢(せんこうさくはん)、
披毛求瑕(ひもうきゅうか)、

等々という四文字熟語ともなっている(新明解四字熟語辞典)。出典は、

不吹毛而求小疵、不洗垢而察難知(韓非子)、

とある(故事ことわざの辞典)。この意味の、

吹毛(すいもう)、

は、だから、

あらさがし、

の意である(広辞苑)。しかし、

吹毛、

は、

吹毛の剣、

の略ともされ、

吹きかけた小さな毛をも切る剣、

の意から、

吹毛の剣を提示し、虚空を載断す(太平記)、


と、

非常に鋭利な剣、
よく切れる剣、
利剣、

の意でもあり、略して、

吹毛、

ともいう(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典・広辞苑)。

「吹」.gif

(「吹」 https://kakijun.jp/page/0749200.htmlより)

「吹」(スイ)は、「吹毛の咎」で触れたように、

会意。「口+欠(人の体をかがめた形)」。人が体を曲げて口から息を押し出すこと、

とある(漢字源)。別に、

「口」と「欠(あくび)」から構成され、口から息を吐くことを表す(説文)、

ともhttps://ja.wiktionary.org/wiki/%E5%90%B9

口と、欠(けん)(大きく口を開けたさま)とから成り、大きく息をはく意を表す、

ともある(角川新字源)。

「毛」.gif

(「毛」 https://kakijun.jp/page/0465200.htmlより)

「毛」(慣用モ、漢音ボウ、呉音モウ)は、

象形。細かいけを描いたもので、細く小さい意を含む、

とある(漢字源)。

参考文献;
前野直彬注解『唐詩選』(岩波文庫)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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2024年04月29日

すがらに


恋ひ死ねとするわざならしむばたまの夜はすがらに夢に見えつつ(古今和歌集)、

の、

すがらに、

は、

……の間ずっと、

の意とある(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。

すがら、

は、

ぬばたまの夜は須我良(スガラ)にあからひく日も暮るるまで嘆けどもしるしを無み(万葉)、

と、

多く「に」を伴い、副詞的に用いる、

が(精選版日本国語大辞典)、

名詞に付いて、

をみ衣摺り捨てて着つる露けさは春の日すから又ぞ忘れぬ(「公任集(1044頃)」)

と、初めから終わりまで続く意を表わし、

ずっと、

の意のほか、

いかなりけん契りにかと、道すがらおぼさる(源氏物語)

と、何かをするついでに、の意を表わし、

その途中、

意、

只身すがらにと出立侍るを(芭蕉「奥の細道」)、

と、それだけである意を表わし、

そのまま、

の意などと使う(仝上)。

語源から見ると、

スガは「過ぐ」と同源、ラは状態を表す接尾語(広辞苑)、
過ぐと同根(岩波古語辞典)、
「過ぎ+ながら」の略(日本語源広辞典)、

とする説があるが、

ずっと、

の意と、

その途中、
そのまま、

の意とは幅がありすぎるので、別に、

盡(すぐ)るるまで、
通して、

の意の、

すがら、

は、

スガは、盡(すが)るより転ず(大言海)、

とし、

ながら、
ついでに、
そのまま、

の意の、

すがら、

は、

直従(すぐから)の約、

と、語源を区別する説もある(大言海)。

しな、すがり、すがり」で触れたが、たとえば、

道すがら、

という場合、

道を通りながら、歩きながら、みちみち、途中(広辞苑)、

とあるが、

行く路すがら(大言海)、

とあるので、通り過ぎる、というニュアンスが強いのかもしれない。この場合、語源的には、

過ぎ+ながら、

と、

通りすごしていく、

という意味になる。「すがら」は、

途切れることなくずっと、

という時間経過を示していて、

名月や池をめぐりと夜もすがら、

で、それが空間的に転用されと、

道すがら、

になったと考えられ、当然、

途中、

という意味合いが出てくる。たとえば、

行きしな、

なら、

途中で立ち止まるとか、立ち寄る、

というニュアンスがあるが、

道すがら、

は、

みちみち、眺めた、

という感じなのではないか。

通りすがり、

は、

たまたま通り合わせて、通るついで、通りがけ、

という意味になる。「すがり」は、ここは(どこにも載っていなかったので)想像だが、

過ぐ+り(ある動作が継続中であることを表す助詞)、

で、

ちょうど(たまたま)通り過ぎつつある、

という意味なのではないか。そこでの出会いが、たまたまなのは同じだが、

道すがら、

には何か(そのことに)意味が主体側に見え、

通りすがり、

には行き過ぎていく側には(袖擦り合う程度で、他に)何の意味も見出さない、

というニュアンスがある気がする。しかし、

夜もすがら、

と同義で、

夜すがら、

だと、

この夜須我浪(よスガラ)に眠(い)も寝ずに今日もしめらに恋ひつつそ居る(万葉集)、

と、

夜の間ずっと、
夜通し、
一晩中、
終夜、

という意味になる。確かに、

ずっと、

と、

その途中、

と、

そのまま、

の意味の幅は大きいが、

過ぎていく間、

の、

すべて、

なのか、

その経過中、

なのか、

その最中なのか、

と考えれば、

過ぎ+ながら、

の、

初めから終わりまで、

の何處をとっているかの差にすぎないのかもしれない。ちなみに、

すがる(盡)、

は、字鏡(平安後期頃)に、

羸、須加留、ツカルル、

中国最古の字書『説文解字』(後漢・許慎)に、

羸、疲也、

とあり、

末枯(すが)るの略、

とし、

末になり、
盡んとす、
消えむとす、

の意とある(大言海)。しかし、この、

すがる、

は、

鳴きすがる声を聞けども郭公あかでぞ結ぶ山の井の水(「草根集(そうこんしゅう)」)、

の、

盛りを過ぎる、
衰える、

意の、

すがる、

ではないか。この名詞形が、

青梅は匂ひの玉のすがりかな(俳諧・鷹筑波)、

と、

盛りを過ぎて尽きようとするもの、

の意の、

すがり、

で、この意味の幅は、

すがら、

のそれと重なる気がする。憶説だが、

過がる、

とあてたのではないか。

なお、「ついでに」の意味の、

行きしなの「しな」、
道すがらの「すがら」、
通りすがりの「すがり」、
通りがかりの「かかり」、
行きがかりの「かかり」、
行きがけの「かけ」、

については、「しな、すがり、すがら」で触れた。似た意味の、

「~のついでに」「~かたがた」

の意で使う、

花見がてら、

の、

がてら

についても触れた。

「過」.gif

(「過」 https://kakijun.jp/page/1261200.htmlより)


「過」 金文・西周.png

(「過」 金文・西周 https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%81%8Eより)

「過」(カ)は、

会意兼形声。咼は、上に丸い穴のあいた骨があり、下にその穴にはまりこむ骨のある形で、自由に動く関節を示す象形文字。過は「辶+音符咼」で、両側にゆとりがあって、するするとさわりなく通過すること。勢いあまっていきすぎる意を含む、

とある(漢字源)。しかし、他は、

形声。「辵」+音符「咼 /*KWAJ/」。「すぎる」「こえる」を意味する漢語{過 /*kwaaj/}を表す字、

(https://ja.wiktionary.org/wiki/%E9%81%8E)

形声。辵と、音符咼(クワ)とから成る。ゆきすぎる、ひいて、度を越す意を表す。転じて「あやまち」の意に用いる、

も(角川新字源)、

形声文字です(辶(辵)+咼)。「立ち止まる足の象形と十字路の象形」(「行く」の意味)と「肉を削り取り頭部を備えた人の骨の象形と口の象形」(「えぐる」の意味だが、ここでは「越」に通じ(「越」と同じ意味を持つようになって)、「遠方に過ぎゆく」の意味)から「すぎる」、「度(限度)を超す」を意味する「過」という漢字が成り立ちました、

(https://okjiten.jp/kanji733.html、形声文字とする。

参考文献;
高田祐彦訳注『新版古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
増井金典『日本語源広辞典』(ミネルヴァ書房)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
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2024年04月30日

ゆふつけどり


逢坂のゆふつけ鳥もわがごとく人や恋しき音(ね)のみなくらむ(古今和歌集)、
恋ひ恋ひてまれに今宵ぞあふ坂のゆふつけ鳥は鳴かずもあらなむ(仝上)、
たがみそぎゆふつけ鳥か唐衣たつたの山にをりはへて鳴く(仝上)、

の、

ゆふつけどり、

は、

諸説あるが、都の四方の関で祓いをするために用いられた、木綿をつけた鳥のことか、

とある(高田祐彦訳注『新版古今和歌集』)。なお、上記の二首目の歌では、

「ゆふつけ鳥」から明け方の「鶏」へと意味が転じる。鶏が鳴くころには、男は女のもとから去らねばならない、

と注記がある(仝上)。

ゆうつけどり、

は、

木綿付鳥、
木綿着鳥、

と当て、

訛って、

ゆうづけどり、

とも、

ゆうつげどり、

ともいい、それには、

夕告鳥、

と当て(精選版日本国語大辞典・岩波古語辞典・大言海)、略して、

ゆふつけ、

ともいう(大言海)。

ゆうつけどり、

については、

鶏に木綿(ゆう)をつけ、都の四境の関で祓いをしたことから(広辞苑)、
騒乱のあった時、鶏に木綿(ゆう)を付けて都の四境の関で祓いをしたことから(岩波古語辞典)、
世の乱れたとき、四境の祭といって、鶏に木綿(ゆう)をつけて、京城四境の関でまつったという故事に基づく(精選版日本国語大辞典)、
古へ、世の中に騒乱ある時に、四境の祭とて、鶏に木綿(ユフ)を着けて、京城四境の関に至りて、祭らせらると云ふ(大言海)
昔、世の中が乱れたとき、鶏に木綿 (ゆう) をつけて都の四境の関所で祓 (はらえ) をしたところから(デジタル大辞泉)、

等々とあり、

木綿をつけた鶏、

また、

鶏の異称、

とある(広辞苑・精選版日本国語大辞典)。12世紀初頭の作歌の手引書「俊頼髄脳」(源俊頼)では、

ゆふつけどりとは鶏の名なり。鶏に木綿をつけて山に放つまつりのあるなり、

と説明されていたが、12世紀半ばの歌学書「奥義抄」(藤原清輔)は、それを、

疫病流行の際に朝廷が四方の関で行う四境祭の儀式である、

と説き、「袖中抄」「顕昭古今集注」もこれを継承した。上記諸説はこれにもとづいている。また、1221年までに成った、従来の歌学書を編集・集大成した「八雲御抄」(順徳天皇)では、

ゆふつけどり、付木綿相坂ニ祓故也、

とある。

相坂(おうさか)、

とは、古代の近江国の関、

逢坂関、

のことで、

四境の関所、

の一つである。四堺(しさかい)は、

平安京のある山城国の四維(北西、南西、南東、北東の隅)にあたる大枝・山崎・逢坂・和邇の4つの地点、

をいい、四境の関所は、

大枝―現在の京都府亀岡市の老ノ坂峠。山陰道の入り口で丹波国との国境、
山崎―現在の京都府大山崎町大山崎・大阪府島本町山崎。山陽道の入り口で摂津国との国境、
逢坂―現在の滋賀県大津市の逢坂山(逢坂関で知られる)。東海道及び東山道の入り口で近江国との国境、
和邇―現在の滋賀県大津市和邇。北国街道(及び愛発関経由で北陸道)の入り口で近江国との国境、

であるhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E5%A0%BA。由来はともかく、四境で、祓いを行っていた名残りのようである。

「綿」.gif


「緜」.gif


「緜(綿)」(漢音ベン、呉音メン)は、

会意文字。「木+帛(しろぎぬ)」で、白布をつくるわたの木。緬(メン 長くつづく)と同系で、細く長く続く意を含む、

とある(漢字源)が、別に、「綿」は、

「緜」の異体字、

で、「緜」は、

会意。系(糸をつなぐ)と、帛(はく)(きぬ)とから成り、糸を連ねて絹を作る、ひいて「つらなる」意を表す。教育用漢字は俗字による、

とも(角川新字源)、

会意文字です。「頭のしろい骨の象形と頭に巻く布にひもをつけ帯にさしこむ象形」(「白ぎぬ」の意味)と「つながる糸を手でかける象形」(「つなぐ」の意味)から、白ぎぬを作る時につながってできる、「まわた(くず繭などを煮て引き伸ばして作った綿)」を意味する「綿」という漢字が成り立ちました。「綿」は「緜」の略字です、

ともある(https://okjiten.jp/kanji744.html

参考文献;
大野晋・佐竹 昭広・ 前田金五郎編『古語辞典 補訂版』(岩波書店)
大槻文彦『大言海』(冨山房)
高田祐彦訳注『新版古今和歌集』(角川ソフィア文庫Kindle版)

ホームページ;http://ppnetwork.c.ooco.jp/index.htm
コトバの辞典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/kotoba.htm#%E7%9B%AE%E6%AC%A1
スキル事典;http://ppnetwork.c.ooco.jp/skill.htm#%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%E4%BA%8B%E5%85%B8
書評;http://ppnetwork.c.ooco.jp/critic3.htm#%E6%9B%B8%E8%A9%95

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